2015年08月30日

柔道を語る

8月の第4週は 「世界を冠」 にした、スポーツ中継が充実していた。

リアルタイムで見れないので、録画して欠かさず見ていたのが、2015世界柔道選手権。

好きな階級は、スピードとパワー、テクニックの三拍子に見応えのある、中量級トーナメント。
中でも 「海老沼」 と 「大野」 の 「攻め勝つ柔道」 は、いつ見てもしびれる。

以前、ジャケットレスリングとも皮肉られた 「ポイントJUDO」 も、ルール改正されてから、見苦しい  試合は少なくなり、本来の 「柔道」 に戻りつつある。

柔道の基本は、組み合って技をかけあうこと。
それが成立しなければ、こんなにつまらない競技もなく、柔道が柔道でなくなってしまう。

審判にしても、柔道の精神を冒涜するような、あからさまに肩入れしたジャッジもあったが、きわどい   判定では、ビデオ判定を導入するなど、国際柔道連盟も一定の改善はしたと思う。
審判の仕事は 「見たことを見たままに判定すること」 だが、これがまたむずかしい。
国によって手心を加えるときもあるだろうし、強さの先入観が判定を曇らせるときもある。
それに、つい思いこみで見てしまうと 「実際にはなかった場面」 が見えることも考えられる。
見方に幅を持たせれば、競技に政治がからむとか、自国に有利な議決権をもつ存在もいたりする。
素直に見れないのが人間なんだけど、ありのままを見れてこそ 「一流の審判」 なんだろうね。

話は実戦となる。
一過去と比べて、今の現役選手のほうが、あらゆる技術面で優れている。
同じ柔道でも、ボクらのころの練習内容とは、技術的にも科学的にも質は異なる。
ならば、進化している柔道が人気に比例しているかと言えば、残念ながらそうではない。
質は上がっても、人気は上がっていない、矛盾したところもある。
柔道の凄さを評価できる着眼点にもよるが、多くの評価は見た目のカッコよさやブームからなので、    もう一度見たいと思わせられるかが、一筋の道になるような気がしている。

ボクが柔道を見るのは、経験競技はもとから、進化した技の衝撃度に加えて、情緒的になれるんだ。
相撲にも同じことが言えるけど、武道は礼儀であって、見た目のカッコにとらわれることではない。
カッコにとらわれることほど、カッコ悪いことはないからね。

「礼にはじまり しっかりと組み きちんと技をかけ 礼で終わる」  これが 「柔道」 である。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする