2015年08月31日

無題雑記 15

残暑が快適である。

夕涼みのサイクリングは、気分がすこぶる。
久し振りに予定のない休日だったので、なおさらひとり、水を得た魚のように解放感に満ちた。
「どこへ行こうか…」 そんなことが考えられる自由な気分がいい。

夫婦は一緒に暮らしているからこそ、自由な時間を干渉しないのもルール。
「どこでなにをやっているか…」 そんな世話話はするけど、おたがいのスタイルが違うから、私生活は   相互不干渉ぐらいがちょうどいいし、協力し合うところにおたがいの価値があったりすると思う。

夜の街歩きも好きだ。
小さな飲み屋で、一段落した女将が少し気を許して 「私も一杯、いただいちゃおうかしら」 などいい、 他愛もない会話で、夜が更ける店があったら。

実はあるんだけど、ベテランの女将にもなると、朝が早くなるせいか、閉店時間も体力次第だとかさ。
そうすると、またひとりでフラフラ歩き出して、なにかを求めているつもりでもないのだが。

それに、店探しは情報にすがりつくだけでなく、自分の感性を元に、あまり知られない居場所を作りたい気持ちがあれば、気が合う者が引き合える 「オリジナルの一軒」 も欲しくなるものだ。

「日曜限定劇場」 ながら、夜のフィーリングはジャズのように、即興にブッ飛んだ世界もいいよね。
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2015年08月30日

柔道を語る

8月の第4週は 「世界を冠」 にした、スポーツ中継が充実していた。

リアルタイムで見れないので、録画して欠かさず見ていたのが、2015世界柔道選手権。

好きな階級は、スピードとパワー、テクニックの三拍子に見応えのある、中量級トーナメント。
中でも 「海老沼」 と 「大野」 の 「攻め勝つ柔道」 は、いつ見てもしびれる。

以前、ジャケットレスリングとも皮肉られた 「ポイントJUDO」 も、ルール改正されてから、見苦しい  試合は少なくなり、本来の 「柔道」 に戻りつつある。

柔道の基本は、組み合って技をかけあうこと。
それが成立しなければ、こんなにつまらない競技もなく、柔道が柔道でなくなってしまう。

審判にしても、柔道の精神を冒涜するような、あからさまに肩入れしたジャッジもあったが、きわどい   判定では、ビデオ判定を導入するなど、国際柔道連盟も一定の改善はしたと思う。
審判の仕事は 「見たことを見たままに判定すること」 だが、これがまたむずかしい。
国によって手心を加えるときもあるだろうし、強さの先入観が判定を曇らせるときもある。
それに、つい思いこみで見てしまうと 「実際にはなかった場面」 が見えることも考えられる。
見方に幅を持たせれば、競技に政治がからむとか、自国に有利な議決権をもつ存在もいたりする。
素直に見れないのが人間なんだけど、ありのままを見れてこそ 「一流の審判」 なんだろうね。

話は実戦となる。
一過去と比べて、今の現役選手のほうが、あらゆる技術面で優れている。
同じ柔道でも、ボクらのころの練習内容とは、技術的にも科学的にも質は異なる。
ならば、進化している柔道が人気に比例しているかと言えば、残念ながらそうではない。
質は上がっても、人気は上がっていない、矛盾したところもある。
柔道の凄さを評価できる着眼点にもよるが、多くの評価は見た目のカッコよさやブームからなので、    もう一度見たいと思わせられるかが、一筋の道になるような気がしている。

ボクが柔道を見るのは、経験競技はもとから、進化した技の衝撃度に加えて、情緒的になれるんだ。
相撲にも同じことが言えるけど、武道は礼儀であって、見た目のカッコにとらわれることではない。
カッコにとらわれることほど、カッコ悪いことはないからね。

「礼にはじまり しっかりと組み きちんと技をかけ 礼で終わる」  これが 「柔道」 である。
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2015年08月29日

折れ方上手

ある日、テレビのバラエティー番組に出演していた芸能人 「ヒロミ」 を見ていたら、妻の 「 (松本)  伊代ちゃんは、幸せなんだろうな」 と思った。

彼女の魅力は、憎めない天然ボケぶりらしいが、それが鼻につくと感じる男もいるだろう。
だけどヒロミは、妻の個性を意に介する風でもなく 「もう、ママはどうしょうもねえなあ… あはは」 と  笑い飛ばせる寛容性がある。
短く言えば 「男女の価値観の差」 を認めているんだ。

人はよく、価値観が一致すれば、幸せ (結婚) と考えがちである。
価値観が離れているよりかは、上手くいくだろうが、そこにとらわれすぎていると錯覚すると思う。

「男と女は違う」 ことを前提にしないと、家庭はいさかいだらけになってしまう。
ありがちなのが、趣向が似たもの同士は、すぐに親密な関係に発展するから、気をつけたほうがいい。
なまじっか似ると、同じことしか考えず、意見がこじれたら、似てるだけあって収拾もつきにくいんだ。
趣向の枠でとどまらざる得ないから、あんまり合いすぎるのも、考えもんだろう。

男女は 「折れ方上手」 でいたほうが、うまくいくもの。
日常生活で 「ここはいいかな…」 と、思い流せることのほうが、多いんじゃないかな。
いちいち説教じみたことは言わないし、伝えたいことは気軽に伝えるし、どうしても言いたいことがあれば 「今、言っておかないと、あとを引きそうだな」 と、思ったときぐらいでさ。
それができれば 「男女は円満」 にいくような気がするけどね。

つまり、価値観をムリに合わせようとせず、やっぱり、価値観は認め合えるほうがいい。
だから、価値観が合う異性を探し続けても、ムリな理想とムダな努力、ムラのある感情になると思う。
それより、自分と違った価値観を認められる自分にならないと、相手にとって、まず自分がいい相手の   条件じゃなくなるし、断言すれば 「価値観が合う相手なんていない」 から。
単純に、価値観が合わないからとぼやいている時点で、男女の根本がわかっていないんだから、自分をわかってほしいと言っても、わかってもらえるはずはなかろうに…

これは、ボクの個人的な印象だ。
伊代ちゃんが失敗したら、ヒロミは 「バカだなあ…」 とつぶやきながら、人差指でおでこを軽く押して、笑って済ませられる器量を感じさせるんだ。
塩加減を間違った料理を、子どもと一緒に食べながら 「なんじゃこりゃ」 と言いながらも、少し涙目と 笑いを交えて 「おいしいよ」 と、失敗を癒しに変えられるような食卓。
その脇で伊代ちゃんが 「えっ、うそだ、どらどら、ヤダー、ほんとうだー」 と笑うことで、また食卓の   雰囲気が和むというか…   女性が与えてくれる、こういう雰囲気っていいもんだよ。
そんな 「ヒロミ」 と 「松本伊代」 のような夫婦なら、熟年離婚なんて、無縁なんだろうな。

反面 「高橋ジョージ」 と 「三船美香」 の 「年の差愛憎劇」 は、価値観の認め合いが薄れた結果と思えるが、今日のオレ…  芸能レポーターみたいなことを書いているから、ここいらで止めておくわ。

男女のやすらぎは、価値観を上手に認めていくことで、理解の度合いが深まり、気がついたころには、   意外と深い愛情が出来上がっていたりするものだ。
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2015年08月28日

中村のコメント

あのときのコメントが、花ひらいたんだなあ…

現在、カザブスタンで開催されている、柔道世界選手権 女子52キロ級 日本代表 「中村美里」 が、自身4年ぶり3度目となる、世界王者に (金メダル) に返り咲いた。

ロンドン五輪では、優勝候補の筆頭でありながら、まさかの一回戦負け。
その後、ケガによる2度の手術を乗り越え、立ち止まることはなかった。

彼女に注目したのは、北京五輪からで 「銅メダル」 を獲得した際、19歳にしてこうコメントした。
「金メダル以外は、全部同じ (負けと同じ) 」

きっと世間の多くは 「血のにじむ努力をしてきた、銀・銅メダリストたちに失礼であろう」 と、思われたに違いないし、正直にボクも 「可愛げのない、小娘だなあ…」 と思った。
こう宣言した以上、金メダルを獲れなければ、赤っ恥をかくのは自分だ。

その意味で記憶に残ったコメントだったし、後の政権になった民主党 「蓮舫議員」 が、事業仕分けで放った、あの有名な台詞 「なぜ一番じゃないといけないのですか… 二番じゃダメなんですか!」
そこにあのときの 「中村のコメント」 が思い浮かんだ。

あのとき オレ…  こう思ったモン。
人前で大きなことを言うと、リスクを負うようになり、それができなかったら、あとで何を言われるか   わからないから 「何であんなことを言ったんだろうか…」 と、後悔の念もありうる。

そうなるのがこわいから、ありきたりのことしか言わなくなる。
こうなると、2番や3番がまかり通るようになり、柔道界の活力は損なわれ、大きな衰退も考えられる。

だが、彼女は周囲の空気など読まず、ただひたすら、信念と勝利だけを目指した。
つまり、柔道家 「中村美里」 が通した筋こそが、今回の 「有言実行」 に、つながったと思う。

全体的に世の中を見渡すと、男は今…  女に負けているような気がするね。
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2015年08月27日

真の華やかさ

スポーツの華やかさが、鼻につくときがある。

連日、世界陸上北京大会を眺め、あらためて感じさせられるところがある。

短距離の予選、優勝候補のランナーが後続を振り返りながら、余裕しゃくしゃくでゴールする姿を見ると 「イヤミな野郎だなあ…」 と思う。
それは、一流のパフォーマンスでもあるが、日本人の慎み深さからすれば、余計な華やかさに映る。

勝負の世界、男が男を見る目はリアクションじゃなくて、勝っても負けても、物言わぬ背中だったりする。
エンターティメントなら、リアクションは 「おいしい映像」 であろう。
それが、クライマックスに向けた、期待度の演出になるからだ。

だが、一流スポーツにおいては、下手なパフォーマンスはジャマに感じるときがある。
日本の美意識のひとつに、負けた相手に対する 「わびさび」 という美しさがあるからだ。
真のアスリートは、競技そのものに存在感があり、その姿は神々しく、真の華を持つのである。

パフォーマンスに感動するために、スポーツを見ていないので、ボクの持論からすればそうなる。
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2015年08月26日

食べおさめ

無類の麺好きではないが、家で食べる 「冷やし中華」 だけは別格だ。

ラーメン屋だと材料費と作る手間がかかるせいか、量が少ない上、そこそこ単価も張る。
ヘルシーにレタスが敷かれ、フルーツが盛られていると、王道の風格が損なわれてしまうのでダメだ。

具は、シンプルがいい。
細切りにしたきゅうりと玉子、チャーシュー、ゴマと紅しょうがぐらいで、創作は必要としない。

皿の脇に添えられている、練りカラシはつゆにまんべんなく溶かさないと、のど元で 「プッ… ウェ・  ゴホゴホ オエー $%#!&%#! 水くれー」 と、むせ返ってしまうので注意したい。

暑い日には、少量の酢をかけると、涼を感じとれていい。
猫舌なので 「フーフー」 して、食べる熱い麺よりも、冷やし麺なら一気に完食できる。

どんぶりと同じで 「男飯」 だから、迷い箸にならず、食が細くても早食いになれる。
そのあと 「少し食いすぎたかな…」 と実感できるのが、家で分量を調整できる、冷やし中華である。

個人的には、冬に食べるほうが、水道水が冷たい分、麺が締まって美味しいが、何せ季節感がない。
やっぱり 「初夏のおとずれ」 から 「消え行く残暑」 でとどめておくのが、食の風情であろうか。

今夏 食べおさめの 「冷やし中華」 だった。
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2015年08月25日

アレルギー性鼻炎

ある日、突然くしゃみが出はじめ、鼻水も止まらなくなり、鼻つまりの症状があらわれた。

おまけに、空咳とのどに痛みもある。
今まで、花粉症にかかったことはないし、かぜの諸症状とも違う。

もしかして、これが 「アレルギー性鼻炎」 であろうか。
おかげで体力の消耗も早く、味覚がやや鈍くなり、涙目に悩ませられることもしばし。

ブログを3日間、動かさなかったのは、どうせ書く気が途切れるのがわかったし、こういうときは睡眠と  栄養を最優先にしておく。

別に体は何てことないのに、鼻炎は 「集中力を奪う」 から、本当にイヤミな症状である。
市販薬では心もとないので、耳鼻咽喉科で、アレルギー性鼻炎と気管支喘息の薬を処方してもらった。

それにしても、「どこで何のアレルギーに急性反応したのか…」 初めてながら、原因は特定できず。
8月はめずらしく、最寄の診療内科2ケ所で受診した。

今になれば、ワンマン・アーミー 「和製・ランボー」 だった、あの若さがなつかしい。
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2015年08月21日

Jazz Talk Vol.62

ジャズDVDコレクションシリーズ 「ハービー・ハンコック・トリオ・83」 (映像) を購入した。

本編 「ロン・カーター」 と、リズムを担った、ドラマー 「ビリー・コブハム」 のプレイを映像で、じっくりと見たく、その持ち味はパワフルなドラミングが、魅力的な存在である。

ゆえに、モダンジャズの原点である4ビートからは、遠い存在におかれていたようだが、時代の新境地を開いた功績からすれば、もっと評価は高くてもいい気もするが…

ウェザー・リポートのドラマーで名を馳せた 「ピーター・アースキン」 リターン・トゥー・フォー・エバーの 「レニー・ホワイト」 も、後に 4ビートの 「スティックワーク」 を披露したが、彼らのルーツをたどれば 「ジャズ」 であり、オファーに応えていたら 「ロック・フュージョン」 のラベルになっただけである。

一貫して、4ビートの第一線に君臨した 「エルビン・ジョーンズ」 や 「トニー・ウイリアムス」 など、  別格もいるんだけど、他は要求に応えただけで、真のスタイルは 「ストレート・ア・ヘッド」 なんだ。

まず 「ジャック・デジョネット」 がそうであったし、ボクの好きな 「アル・フォスター」 も、てきめんで、 2人に共通しているのは、リーダーというよりも、サイドメンとしての実力に本筋があると思えた。

アルの場合 「マイルス・デイビス」 を従属的にささえているよりも、ハービーや 「ソニー・ロリンズ」 と一緒に、自由度の高いドラミングを披露していた姿のほうが、それはもう断然好きでさ。

「ハービー・ハンコック・トリオ・83」 に話を戻す。

レギュラードラマーだった、トニーのシャープなスイング感のほうが、完成度が高いと思えるが、ビリーはパーカッションを駆使したロックアプローチで、種の異なる特別なスイング感はあったけど、即席トリオの印象は否めなかったなあ。

ビリーの持ち味となる連打の速射砲で、ハービーをガンガンあおると思ったが、どこか遠慮というか、   まだ 「トリオが融和していない」 印象を受けた。
ロンがリズムをガッチリとキープしてるから、もっとドラムのカラーを打ち出してもいいんじゃないかと。

ボクにしては、めずらしいことを書いたと思われそうだけど、期待が大きかった分、個人的な 「ベスト  リスト」 には、ならないかな。

余談だが、好きなリーダーアルバムは 「ハービー・ハンコック・トリオ・ライブ・イン・ニューヨーク・93」

日本だと手抜きをしても、その存在に拍手喝采されるが、ジャズの本場ニューヨークあたりだと、エールが大きい分、ヘタすればブーイングを浴びさせられるんだとか。

ボク自身、東京で 「ジョニーグリフィン」 を聴いたとき 「あれ?」 …そんな印象を持ったことがある。

ハービーの 「本気モード」 を感じさせられた、お気に入りの 「NYライブ」 がこれである。

リズム隊 (サイドメン) は、日本では無名に近いが 「こいつら、只者じゃないぞ!」        
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2015年08月20日

正常な目覚め

今月はじめのブログで 「若いときは、男より女の語学力のほうが高い」 と記したと思う。

深夜番組 「ヨルタモリ」 で、客のジャズ喫茶のマスターを演じるタモリが、こんなことを言っていた。
「思春期のころ、10分に1回はエッチなことを考えていたから、あまり勉強に身が入らなかった」 と。
「女の子のほうが、その分集中力があるから、なんにつけても男の子よりリードしていた」 だとか。

それを聞いて 「なるほど」 と思いながら、大げさではなく1日の半分ぐらいは、頭の中でエッチなこと ばかり考えていたような気もするし、男ならだれでもそうだったであろう。

ボクは、性の目覚めは早かったけど、なにぶん照れ屋で奥手だった。
中学生のときは、女子のブラジャーが透けて見えただけでも… ムクムク
体育の授業で女子が運動をしているだけでも… ソワソワ
太ももを見ただけでも… モヤモヤ
男なら一度は 「オレ、おかしいんじゃないのか」 と思うし、水面下で同級生と探り合っていたよな。
女子なら、男子の足がゴボウのように変わっていく様子を見て 「モヤモヤ」 することはないでしょ。
それぐらい、男女には大きな差があり、女のほうが成績が良かったのは、青春ハンディなのかもね。

だから、部活動で一生懸命に汗を流して欲望を散らし、家では音楽を聴いたり、楽器の練習をしたり、   突然マラソンに出かけたり 「ムラムラ」 をまぎらわせたりするんだ。
この時期の男子は、少し勉強は不得意なんだけど、運動能力や趣味や特技に至っては、秀でるモノがあったのは、そんな事情もあったと思える。
学校で下半身が 「ムクムク」 した男子は、いきなり廊下を走り出したりするから、わかるんだよなあ。
これらは、健全な男に成長するための、思春期の道のりである。

こうして、頭の中ではアホなことばかり考えていたが、なにも心配などいらない。
それこそ、バランスのとれた純然な性教育 (自習) なのだから。
思春期の男の子を持つお母さんは、健全に成長している証拠だと思い、安心してもいいんだよ。
そういう過程がなかったら、大人になって急に自我が目覚めてしまい、女性がビックリするようなことに  及んでしまうことがあるんだ。

今日の夕方のニュースであったけど、小学校の教師が女児の体を触る行為をして 「キスはしたけど、体には触れていない」 と、素っ頓狂 (すっとんきょう) な否認に、思わず吹き出しちゃったもんなあ。
たまに報道されるけど、路上で女性のパンツを脱がせて、猛ダッシュでお持ち帰りになるおバカさん。
かと思えば、下半身を丸出しにして 「ホイサー」 とご登場して、サッとお消えになるおバカさん。
どれもこれも、健全な性を身につけなかったから、こうして 「性のバランス」 を崩すんだろうな。

だから、エッチなことを考えるのは、男の精神衛生上ではいいことだけど 「それはやらない約束だろ」 というのが、正常な大人の目覚めだったりするからね。

でも、男は女を抱いた 「あの感覚」 だけは、いくつになっても体が忘れないんだよな。
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2015年08月19日

顔が通じる店

先週 「久し振りの顔」 も少なくはなかった。

帰省客や観光客の予定はタイトである。
それだけにスケジュールを組んで、再来してくれたことには、いつも感謝をしている。

それに帰省したとき 「顔が通じる店」 がある人は、望郷の気持ちを豊かにしてくれるだろう。
ボク自身、何十年も帰省客だったから、その気持ちってわかるんだよね。

不思議なモンで、近距離に在住している人ほど、思いの外に会わないんだけど、遠距離の人にもなると 「一年に1度、ないし2度」 という具合に、再会が自然と固定するから、逆に長いつきあいになるんだ。

おたがいを見守る気持ちは、距離の問題ではないことがわかる。
故郷や縁を断ち切るんなら別だが、後ろ髪を結いあっていれば、何かと気にはかけているものだ。

それといちいち会う理由だの、連絡を取り合う理由なんて探さないから、そういう関係が一番さ。
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2015年08月18日

翳り行く夏

17日 朝から一日、小雨模様なんて、何日ぶりであろうか… ?

夏の雨は大粒で蒸し暑さがともなうが、今日のようなサラサラな雨と気温であれば過ごしやすい。
今夏は台風直撃や集中豪雨もなく 「バカ暑さ」 だけを除けば、しのぎやすかったと思える。
とはいえ、予断のならない残暑と不安定な気候はこれからではあるが。

この週末は 「愛は地球を救う」 チャリティーイベントがあり、街は黄色いTシャツが目立つようになる。
ボランティアに必然性はなく、ほめられることを期待するのは偽善だし、しなかったことをとがめられる  筋合いもないが 「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」 をスッと言えることが、奉仕活動の成熟な気もするが。

とりわけ、夏の終わりにリアルな境界線を引くなら、お盆が過ぎた今、それとも高校野球中継が終わったとき、もしくは24時間テレビ終了時など、人にはそれぞれ気分の座標軸があると思う。
ボクの場合は、セミの鳴き声が聞こえなくなったときかな。

去り行く夏ならぬ 「翳り行く夏」 であることには違いない。
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2015年08月17日

無題雑記 14

16日 東掘 「二代目勝烈亭」 に入ろうとしたら、中学の柔道部の後輩と入れ代わる形になった。

「おっ、一杯飲むか」 と仕切り直しさせようとしたが 「明日 (横浜へ) 帰らなきゃいけないので、今日のところは自宅で両親と過ごします」 と、素のままで下町の家路に帰った。

県外で働く者は、老いた両親を残して、仕事へ行かねばならない心境に情け深いものがある。

そんな、標準型の夏休みも今日で終わり、今週は交代制の休日で行楽に出かける人も多いのでは。

会社の形態においては、全員の顔が揃うのは第四週ぐらいで、その週末から9月の第一週にかけては気の許せる同士で 「納涼会」 が定番になろうか。

しばらく残暑を肌で感じ、日の出日の入を意識するようになれば、ボクの好きな 「秋」 が近づいてくる。

だけど、お手柔らかな残暑でいてくれるのなら、もう少し 「去り行く夏」 に身を置きたい気分である。
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2015年08月16日

聞けなかったこと

週末の街中では、大小の同窓会が開かれていたようだ。

自身、不定期に旧友と交われる環境にあるから、その意味ではバー冥利といえようか。

6月のある土曜日、東区の某中学校の同窓会が新潟駅前で開かれ、人数も絞られてきた同世代の      男女数人が、この日最後の居場所となる当店で名残惜しそうな時を過ごしていた。
引率してくれたお客さんによると、当時の担任も列席していたという。
先生を招待してこその同窓会だが、先生の年齢はいくつなんだろうね。

中学の三年間、同じ女性の担任に受け持たれた。
年齢は30代、専門教科は国語で、思春期の性には理解があった。
見た目は小柄で目力があり、気の強さともろさを合わせ持ち、その教えは 「論より証拠、態度で示せ」

中1のときは、先生を 「甘えの対象」 にしながら、中2にもなると 「反抗の対象」 に変わる。
先生の気を引くため、一番手っ取り早い方法は、ズバリ 「反抗的な態度」 に出ること。
振り返れば、一方的に母性を抱きながら、そんな方法でしか 「愛情の渇き」 を伝えられなかった。

校内で 「ヤンチャ」 が過ぎて、生徒相談室に呼ばれたことが幾度とある。
愛情で叱っているのか、義務で怒っているのか、敏感な時期だからわかるんだ。
中3の秋、ようやく高校へ進学することを決心した。

20年後に対面したのは、新潟の青山にある葬儀場。
祭壇に飾られていた先生の遺影を見たとき、こういう形の再会に落胆した。
「オレのことは、忘れられているだろうな…」 と思いつつも参列したのは 「3年間の敬意を軽んじては いけないな」 と思ったから。

先生の飲みっぷりのよさは、父兄の噂でちゃっかりと耳にしていた。
同窓会は40歳位から、先生も交えて自然に集えるようになるもの。
お酒を酌交わせていたら、あやふやな昔話で盛り上がったかもしれない。
変わった自分を見せたい気持ちもありながら、はにかみながら、こう聞いたであろう。

「高橋先生から見た、本当のオレって、どんな生徒だったんですか…」   解き明かされることはない。

当時の担任と一緒に飲めるなんて、ちょっとうらやましいんだよね。 
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2015年08月14日

Introduction

お盆だから、考えておきたいことがある。

ボクの 「遺言」 はカンタンだ。
「献体してくれ」  「密葬でいい」  「墓はいらない」  「戒名はつけるな」  以上。
妻には、今から申し送りしてある。

もし、ボクが独り身になっていたら、信頼できる友人に心づけと手続きをお願いしたいと思っている。
入る墓はないし、だれからも管理されないし、戒名をつけても、戒名で呼ばれることはあるまいし。 (笑)
その代わり、生前に親しかった人には、別れの手紙は残したいので、届いたら献杯だけはしてほしい。

自分の最期はわからないけど、誠実につきあった関係なら 「じゃあな…」 ぐらいで、気持ちは伝わる  だろうし、大そうな演出は 「恥かしいから、やめてくれ」 と思っている。
そんなことをされたら、余計に孤独になるだけだ。

序論を考える年齢になったが、楽しく生きていればこそ、神のみぞ知る 「エンディング」 となる。 
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2015年08月12日

空白の好奇心

今日 (12日) から、夏休みの人が多いであろう。

ボクの夏休みは、父親の介護が本格的になったときに失ったので、もう十年以上は遠ざかっている。
いや、この先もないであろうが、まあ、二連休が夏休みみたいなものだ。

バーは 「ひとり力」 のある、お客さんが多い。
しかし、長期休みは気分をもてあますせいか 「定年退職すると、毎日がこんな気分になるのかな」 と、つぶやいていたりする。
「何もしないのが、本当の休みになるんじゃないの」 と言うと 「そうなんだけどさ」 と、ささやきながら、 カウンターに軽くヒジをつく。
どこか、しょぼくれた感じが、共働きの家庭で遠くに遊びに行けない、子どものような顔になっていた。

ある日の深夜、信号待ちをしていた。
ガラス越しに見える牛丼屋の席で、ひとり客が背中を丸めながら、食事をしている姿を見かけた。
店員は客の存在に意を介するふうでもなく、お決まりの接客用語と調理作業を淡々と進めているだけ。
一見、温もりに包まれているように見えるが、実は、店員も客も孤独な背中をしていたりする。

だけど、その姿を見ても、だれも 「かわいそう」 「わびしい」 とは思わない。
なぜなら、求められて、創りだされた、食の大衆世界だからである。

今の飲食店の形態は稼働率重視だから、低価格で長居されるのは好まれない。
「食べながら話す」 基本的な形式よりも、相当数さばけるかが商売のカギになるからだ。
そこに 「ふれあい」 とか 「やすらぎ」 など、あまり言い出すと、ここまでのシンプルな商業システムが 「主客転倒」 になってしまう。
そんな孤食がイヤならば、自分の 「寂しさの基準」 を見直して、人間関係を作ればいいだけのこと。

そう考えると飲食店の中で、バーは現代のシステムにそまらない、非日常の空間であるともいえよう。

「夏休みなのに…」 そんな書き出しからはじまったが、夏休みの絵日記を目一杯書くための夏休みより何にも色を入れてない絵日記のページに 「空白の好奇心」 を感じるときがあるものだ。
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2015年08月11日

無題雑記 13

正午 蒸し暑さに安眠を妨げられ、再度、寝室のエアコンをつけようとしたがやめた。

エアコンに依存し過ぎると、新陳代謝が鈍るおそれがあるので、窓を全開にしてそのまま起きた。

夏の甲子園大会を見ていると、炎天下の暑さが極限として伝わってくる。
選手や審判はもとから、アルプススタンドあたりは、ゆうに40度はこえていると思われる。

都心の野外イベントでは、熱中症で倒れ搬送されたなんてニュースを見かけるが、さらにスポーツの    世界においても、ただごとじゃなくなりそうな暑さである。
それを 「熱血球児よ、感動をありがとう」 なんて、記事の見出しに踊っている場合じゃなかろう。

日中の仕事もダラダラとせず、サッととりかかって、パッと終えるのが理想的だしね。
5年後の東京五輪だって、秋に移行したほうがいいとの論調は強まってくるであろう。

昔と今では、暑さのレベルが変わったんだから、思考や行動も少し変えなきゃいけない気がする。
まあ、日本人は伝統とか情緒を重んじるから、おいそれとは決められないからな…

新潟弁で 「いや いっーや なまら あっちぇ わいや」  (いやー、本当に暑いぞ)
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2015年08月09日

原爆の日

ボクに子どもがいたら、こういうことを教えたい。

今年は、戦後70年となる、節目の年である。
連日、二度と戦争を繰り返さないため、貴重な戦争証言を目にしている。

この際、観念的な言葉は一切省く。

広島で、救護体験者 (当時13歳) の証言が生々しかった。
「無数の遺体や負傷者を見ているうちに、死への恐怖が薄れ、次第に悲しみの感情も奪われた」
これが、戦争の怖ろしさなんだ。

ボクの父親は、長崎出身である。
長崎 「原爆の日」 となる、今日9日は、奇しくも新潟まつり最終日の花火大会。
父 (当時11歳) は、その時の体験を思い出すのか、この日だけは食事を口にすることはなかった。

それが、父親なりの慰霊者に対する 「型」 だったのであろう。
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2015年08月08日

いつもの夏

7日 新潟まつり初日、民謡流しとなる万代の夕方。

今年はこの暑さのせいか、早めに浴衣姿で出歩いている人は少なく感じた。

開店と同じ午後7時、一斉開始。

樽が刻む、新潟甚句のリズムが、夜風に乗って響いてくると 「おっ、はじまったな」 と思った。
お客さんたちも 「ありゃさ、ありゃさ…」 と、かけ声を響かせて、華麗なステップをふんだようだ。

8日 神輿パレード  9日 花火大会

日曜は夕涼みがてら、花火を眺めながら、テキトーな時間でどこかの 「のれん」 を 「ヒョイ」 と    くぐり、景気よくビールを 「プハァー」 って、やりたいね。

去年の花火大会を思い出した。

妻が入院した、病院からの帰り道。
交通規制の歩道をひとりで自転車を押しながら 「音は聞けど、花火見ず」 心境だった、あの夜のこと。

今年は 「いつもの夏」 である。
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2015年08月07日

深夜の電話

某平日 深夜 0時40分…

歴代の常連客だった 「M本」 さんから、長距離電話が店にかかってきた。

「やあ、久し振り!」  そんな程度だったけど、少しお疲れぎみのようだ。
言葉の端々が、トーンダウンしているように聞こえた。

お客が引けるであろう時刻に合わせたようだが、今宵のカウンターには 「ナイトキャップ」 が数名。
雰囲気を察したのか 「また、かけます」 で、ひとまず間合いをおきあった。

「今日じゃなきゃいけない、相談事でもあったのかな」 と、やや後味を残したが、こうして気兼ねなく  電話をかけてくれたことで 「近しい関係」 に、変わった瞬間に思えた。

「真夜中に電話をできる友人はいますか…」

常識として、ためらいもなく、深夜に個人宅へ電話する人は少ないだろう。
そんな時間に電話をかければ、緊急性のあることか、病になったのか、普通の神経なら不安が先立つ。

だが、理屈ではなく、だれかと電話で話したくなる夜はあると思う。

人恋しく、深夜のコンビニに入っても、孤立した客と店員の冷めた空気だけが、ただよっているものだ。
それぞれの事情に、都合よく対応してもらえる夜の場所など、実はありそうでないことはわかっている。

実際、深夜にかけるかけないは別として、かけたときに対応してくれたら、それなりの関係であろう。
また、かけなくても、いつでもかけられると思っていれば、ささいなことではかけたりしないもんだ。

バーは深夜営業であり、その時間なら、ボクは 「どっこい」 仕事をしている。 

深夜営業の特殊な利点で、人の心を軽くすることができるのであれば、職業冥利に尽きるだろう。
立体的な人間模様が見え隠れするバー空間では、意に介しないコミュニケーションも大切である。

こればかりは、金では買えない人との互換性であり、カウンターでの対面と時間の長さと深さにおいて、いつしか精神的に、お客さんと近しい関係になるときもあるからね。

場所は離れていても 「その後、いかがお過ごしでしょうか」 と言い合えるのが 「近しい証」 である。

そういうときは、男も女も年齢関係なく、去年のボクは 「近しい関係」 たちから、助けられたんだ。
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2015年08月06日

古今熱帯夜

熱帯夜とはいえ、室内ではエアコンをかけているから、極めて眠れないことはないだろう。

今ほど暑くない夏だが、エアコンのない生活は堪えた。

20歳のとき、大宮駅の近くでひとり暮らしをしていた。
四畳半の風呂なし共同トイレ、エアコンなんて取り付ける金もないころ。
寒さは着込めばしのげるが、暑さだけはどうにもならない。

そこで、熱帯夜の過ごしかたである。
JRの入場券を買い、大宮発、上りの京浜東北線に乗車し、川口あたりまで車内のエアコンで涼むんだ。
上りの各駅停車は閑散として涼しいが、東京からの下り電車は混雑しており、やや蒸し暑かったりする。
なので、風通しの良さそうな駅に途中下車し、ホームのベンチに腰かけては、自動販売機の 「ドクター ペッパー」 を飲んで過ごしていたな。

今はエアコンのない家は少ないが、水風呂につかったり、コンビニまでサンダルで買物に出歩いたり、   気分的な熱帯夜の過ごしかたはあるだろう。
もし今、20歳なら、夜の路線バスに乗車して、座席上の冷気の吹き出し口を頭上から浴びせて、     過ぎ行く街並みをボンヤリと眺めているかも知れないね。
エアコンが効いている部屋だから、毎晩ブログを書けるんで、そうじゃなかったら気力が萎えるだろう。

毎日、テレビの気温予想図では、無意識に北海道の釧路に目が向き、この時季だけでも移住したいと、便利があたりまえになった現代で、気分は自由に放浪しているのである…  ああ、冬が恋しいな。
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