2015年07月30日

おくすり手帳

一週間ほど 「空咳」 に悩まされて、しばらく内科の薬を処方していた。

そのとき、薬局で作って発行してもらった 「おくすり手帳」 が、不思議にうれしくてね。
服用シールが貼られていくことに、言い知れない快感があるというか。

パスポートに、入出国した国名のスタンプが押されると、旅の記念になるようでいいでしょ。
そんな、パスポートを開いて、旅のスタンプを眺めていると 「トラベラー」 になった気持ちになる。
寺院巡りの 「ご朱印」 を押していくように、服用した薬のリストに好奇心があおられているようだ。

「おくすり手帳」 も似たようなもの。
今回、服用した薬の名前は 「クラリス錠」 「麦門冬湯の顆粒」 他、色や形、そして用法や効能が   記されており、お薬のスタンプ図鑑に、コレクションが増えたようで、ワクワクしちゃうんだ。

ボクの半世紀、幸いにも 「医者いらず」 「薬いらず」 だったけど、これからはリスクが高まる。
だから、どういう症状のとき、どの薬が効いて、あの薬は効かなかったとか、記録にとどめておけば   「マイカルテ」 みたいで、カッコ良くねえ ?

そのうち 「バイアグラ」 とかのシールが貼られたら、フランスのパリにでも入出国した記録みたいで、「最高にリッチ」 で 「最強にマッチョ」 な気分にひたれたりするのかなあ。
うーん、ますます、ワクワクしてくるなあ…

海外旅行に出かけるつもりはないので、有効期限の切れたパスポートの代わりと言っちゃなんだけど、これからは 「おくすり手帳」 に切りかえである。
次第に薬の知識が身について、数年後には調子に乗って、偽薬剤師のように語っているかもよ。

なので、次の処方薬のシールが貼られることに、かすかに興奮しているんだ。

そんな 「おくすり手帳」 を眺めて、ニンマリしているボクの姿を、妻は首をかしげながら見ていた。
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2015年07月28日

夜空の涼

夏の夜空の下 「ビアガーデンで乾杯」 なんて、さぞかし気持ちがいいだろうね。

しかし、ボクの 「体内時計」 では、あまりにも悪条件が重なりすぎる。
まず、終了時間が早いから、口開けを急がねばならない。 (だいたい、9時ラストオーダーでしょ)
それに飲み放題や食べ放題の欲求がなく、若いときと同じペースでは飲めない。

それで 「ひとり2時間で5〜6千円コース」 だったら、他のお店を2軒、はしごをしたくなる。
このあたり、会計はカンタンでいいが 「元をとる」 なんて、浅ましい年齢でもない。

つまみはひところよりも、格段によくなったという。
それまでは 「やせ細った冷凍の枝豆」 「油がギトギトの揚げ物」 「香辛料だけが強い焼きそば」  「怪しい国のお肉」 など、けしていいイメージはなかった。

まあ、本格的に食事をするつもりはないから、あくまでも 「夜空の下で、爽快に飲む生ビール」 で、  夏の風流や涼を感じたいのが動機だったりする。
なので 「一杯いくら、一品いくら」 のほうが、ボクのニーズには合うのだが、これじゃ、店側の採算が 合わないだろうし、客単価も落ちるから、ひとり客の要望にはこたえにくいのであろう。
シーズンものは、いかに外商が団体客に前売券を売りさばき、精力的に法人を誘客するかで、その夏の採算が左右するんだから、1〜2人じゃ、少し行きにくいかもね。

若いころ、ひとりでビアガーデンで飲んだことがあるけど、団体客の熱気と室外機の熱風を間接的に    浴びながら、提灯の下で中ジョッキと枝豆をつまみに、少しわびしい気持ちになった。
常夏のハワイアンミュージックに冷やかされながら 「ひとりで来る場所じゃないな」 と思った。

じゃあ、リバーサイドのオープンテラスはどうって ?
ボクひとりでは行けるけど、女性は柔肌を虫に刺されそうでイヤだというね。
それに二人とも何もしゃべらず、遠くの夜景を見つめていたら、まるでどっかの不倫カップルと間違われそうだし、傘のついたトロピカルカクテルを2本のストローで、一緒に飲みたくなったら困るしさ。

結局のところ、ビアガーデンやオープンテラスなど、これからは縁のない場所になるだろう。

ならば、エアコンの効いた店でミントを潰しながら 「モヒート」 を飲んで、涼んでいたほうがいいや…
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2015年07月27日

柏崎花火

花火は夏の情緒を象徴する、豪華絢爛なイベントである。

新潟は 「川の長岡」 「山の片貝」 「海の柏崎」 と 「越後3大花火」 が有名なんだとか。

26日 午後3時 万代バスセンター発 柏崎行きの貸切バスで 「柏崎水上花火大会」 を観覧した。
感想は一言で、クリエイトされたカラフルな 「ラテンジャズの祭典」 のようだったな。
見終わって、寂しくならないんだから、不思議なシーファンタジーである。

3年前に見た 「片貝花火」 は、感情を抑えて情感深い 「レクイエム」 のおごそかさがあったので、 それぞれに特性があることを知った。

バスツアーはお膳立てされた企画で、確約の観覧席とお弁当もついて、現地の移動が効率的で楽だ。
それに、夜のイベントは、午後からの行動になるから、夜行性の体質にはやさしい企画である。

3大花火のうち 「長岡花火」 だけは、まだ見ていないんだけど、日本一と言われているだけに、その  印象は壮大な 「オーケストラ」 のように、迫力満点なんだろうな。
それだけに観覧客が増え続けているらしく、安全確保は大丈夫かと思うのは、年齢的な目である。

個人的に花火は 「スケール感」 ではなく、その土地の 「テイスト感」 で見たく、長岡花火は規模が 拡大しすぎたから、この先も遠慮するかもね。

3大花火は 「日付開催」 だから、日曜日にかからない限り、そうカンタンには見ることができない。
今回、柏崎花火を見逃したら、次は7年後になるところだった。

時刻は夕方5時、開店まで少し時間があるので、地元 「新潟まつり」 について、加筆してみたい。

花火鑑賞に感動癖はないが、子どものころの花火大会を思い出すことがある。
今のように高い建物が少ないから、下町の奥まった小路から、小さくも花火が見えていたんだ。
大輪の臨場感は乏しいけれど、所々の夜道で家族連れが、夜空を見上げている姿に風情があった。

個人的な想いだが、外灯の少ない小路から、うちわを片手にサンダル履きで遠くに見える花火でこそ、   古典的なベストポジションに思えたりさ。
B級グルメがあるぐらいだから、B級花火があってもいいだろし 「周辺想像力」 の世界だよね。

「路地裏で 音はすれども 花火は見えず」  これもありなんだ。 
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2015年07月26日

酒場の社交芸

夏は総じて、それまでの交際範囲が動くシーズンである。

暑気払いに大小の同窓会、神輿の仲間やサークルの仲間など、それぞれの飲み仲間が動くであろう。
会社や組合などは、四の五の言っていられないけど、私生活の仲間ならば、免罪符は通用するもの。
また、私生活の部分で、人から誘われることは、人望ありき。

はた目から見ていると、飲み会に誘われる人には共通項があるようだ。
まず、共通の話題を心がけて、その会話は調整的に楽しいこと。
それに、人見知りしないから、初対面だけど安心感があるんだ。

明るくて座持ちのいいキャラクターは、それ自身がインパクトだったりする。
酒場なら、堅苦しい挨拶は抜きにして 「いや、いや、いや、どうも、どうも、どうも…」 で、場になじめるぐらいのほうが、人徳があるだろうね。

個人的に思うのは、割り勘の際、会計の端数をサッと気前良く払える男は、人望がある。
その場で端数まで割勘にしたり、端数をウジウジと出し渋るようでは、要領の悪さにしか映らない。
さりげない気前の良さは、独立しても成功するタイプだと思える。

ボクの交友関係で、盛り上がりが早くて、お酒を楽しく飲めるタイプが何人かいる。
こういう人は、まだ少しその場になじめずにひとりでいるような人を見ると 「ねえ、こっち来ない」 など、声をかけるとか、ビールを持って隣に座ったり、酔いながらも対人配慮できるんだよね。

スマートじゃないのに、狭い話題や宴会芸を仕込んでこられても、コレ… 宴会芸にあらず。
酔っていても、さりげなく人に配慮できるのが、宴会芸という名の 「社交芸」 だと思うけどね。
スマートってのは、飲み会に香水を大量に振り掛けて、歯の浮く台詞を並べることじゃないんだ。

このあたりは、東西南北があるように、見る方向で変わるが、ボクの見方とすればそうなるかな。
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2015年07月25日

Mr Dandy

夕方、自宅のポストを開けたら…   また、入ってやがった !

50歳をすぎたら 「円熟のダンディー」 なる見出しで、カタログ雑誌が送られてくるようになった。
今回は 「真夏の特別号」 だってさ…

中を見ると 「女性をトリコにする香水」 「加齢臭を消す魔法のエキス」 「装着カンタン男性用ウィッグ」 「夢の高身長を可能にしたシークレットシューズ」 
果ては 「みなぎるパワーのスッポンエキス」 だの、なんじゃらほい。

それに 「ちょっとおもらししたときのダンディーパンツ」 だとか、まだまだこういうのには世話になりたくないし、だいたい何でモデルが年齢不詳の白人マッチョマンばかりなんだよ。
その胸板には、若くてかわいい子がうっとりして、寄り添っているんだよな。

昔のエロ本の広告に載っていた 「ガラナチョコレート」 とか 「女の服が透けて見える魔法のメガネ」 のようで、注釈には 「悪用禁止」 と一筆添えられている。
それは 「男の服じゃだめなんか」 と思ってしまうが、そんなの見たらひっくり返ってしまうわ。

他にも 「幸運を呼ぶ白蛇のキーホルダー」 「金運を招く黄金のネックレス」 だの、どれもこれも少し うさんくさいのだが、極めつけは 「男の誇りを守る 防水性指圧マッサージ機 極太ロング」 というけどありゃどう見ても昔の 「電動コケシ」 じゃねえか!

そんなのが届いた日にゃ、わが家はパニックである。
だけどそのうち 「モノは試しに使ってみようか」 と、変な気が目覚めそうで少しこわいよね。
うーん、おそるべし 「ダンディーアイテム 夏の特大号」 おもしろすぎるぞ。

最近、あんにゃろう、やたら元気だから 「オットセイの粉末」 を、買って飲んでいるんだぜ。
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2015年07月24日

柔道部再び

今晩 23日 店の口開けは、中学時代の柔道部の後輩3人だった。

そのうち、2人とは 「35年ぶりの再会」 となった。

2人を誘って来た 「K田」 とは、今では気を許せる仲でありながら、形の上では先輩と後輩の関係は  壊せるものではない。
だからと言って、「昔、オレがめんどうをみた」 なんて放言して、学生時代の名刺で先輩風を吹かせたりするのは、男としてみっともない。
今振り返れば 「後輩らが、オレらをささえてくれた」 と思って、過去をクリアーにすれば、ゼロからの スタートになれるものだ。

体育会系によくあることだが、複数の後輩を引き連れて、肩で風を切るようなマネはしたことはない。
だから、先輩の金魚のフンになったことはないし、後輩の前であればなおのこと、あるべきは対等な    つきあいに重きを置くべきだと思っている。

だってさ、先輩の肩書にしがみついて、いつまでも先輩面する言動って、後輩がしんどいだろうし、先輩として、往生際が悪いというか、絶対カッコ悪いじゃん。
この場合、先輩を上司、後輩を部下に名称を入れ換えればわかると思うけど、そっちのほうが自然な    緊張感の下、後輩はいい仕事ができるというもんでしょう。

不思議なモンで、ボクの人生 「仲のよかった連中」 とは、今はあまりつきあいがないんだ。
ある女性いわく 「男同士はささいなことで、永遠にライバル視するから、ムズカシイ」 とか。
ある友人いわく 「ジェラシーめいた男は、陰で画策して、人を踏み台にしようとする」 だとか。

ボクの人間関係、利害重視じゃないから、一見地味なタイプが多い気もする。
このあたり、会社を辞めてバー経営で生きる道を選んだとき、ボクを知る人から 「大丈夫か」 と連絡が入ってきたときは、掛け値なくうれしかったし、何よりも 「利害抜きの友情」 がしみたからね。

人間関係にも、棚卸しが必要なのかも知れない。
人を優良不良で分けるのは本意でないが、苦しいときに自然と寄り添っていたりできるのが、おたがいにとって、優良在庫 (仲間) であり、言葉はウソをつくけど、行動だけはウソをつかないんだよね。

敬遠しがちな先輩と後輩の関係において 「K田」 とは、分け隔てなく接することができる間柄だ。
数年前の再会を継起に、そのいいところを見ることができたし、当時 「はい」 しか言わなかった、   今晩一緒に来た 「I井」 と 「T田」 だって、ボクと再会しても利益なんて何もないのになあ…
これが、来年 「50歳」 になる、彼らの答えのようにも思えた。

最初、ゴツイ重量級が3人して入ってきたときは、当時のお礼参りかと思い…  ビビッタぜ !
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2015年07月22日

夏・本番

梅雨明け宣言を、週末に控えた新潟。

食卓には、ゆで加減と塩加減のいい 「枝豆」 が、山盛りに並んでいた。

黒埼茶豆の生産者によると、枝豆は小ぶりのほうが美味しいという。

だが、ボクは口の中ではじける食感が好きなので、どうしても大きさで選んでしまう。

それに泡立ちのいいビールとの相性も抜群だから、ついつい食指も止まらなくなる。

そんなわけでブログより、大相撲ダイジェストを見ながら、枝豆とビールを優先するのでこれでおしまい。

週末から、熱帯夜になるらしい。

栄養ドリンク (バーボンソーダー) を飲んで、少し夏バテ気味の我に、喝を入れねばならない。
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2015年07月21日

気持ちのいい本

お笑い芸人の又吉直樹が描いた、著書 「火花」 が、芥川賞を受賞したことは記憶に新しい。

今の時代、腰をすえて、本を一冊書き上げることや、読みきることも忍耐はいるものだ。

ネットに慣れている人は、世の情報は短時間で処理するし、必要な情報だけを取り出せて加工できる。
それに慣れすぎると、必要のない情報はムダなものとして、わずらわしく感じてしまうのかも。
そうなると本を読む時間すら、ムダなこととして耐えられなくなる。
みんながそうというわけではないが、大きな流れではそうであろう。

本 (物語) の多くには、伏線というものがあり、点と線をつなぎ合わせることが楽しみとなる。
しかし、最初から答を求めるのがネットの強みだとしたら 「なぜ」 「どうして」 など、逆にあたりまえの疑問が浮かばなくなり、正解や結論を問わず、物事を予想することをしなくなると思う。
こうなると、考えるヒントを見逃してしまったりするんじゃないかな。

ここまで、あれこれと自分の考えを書いたけど、ご承知のとおり、ボクは偏差値の高い人物ではない。
最終学歴の高校では、テストは答を丸暗記することで勉強した気になっていたから、テストのための    テストでしかなかったし、でも大学に進学していたら、考えるのが勉強であることに気がついたかも。
つまり、求めるものは答ではなくて 「オレはこう思う」 という 「アイデンテティー」 だからね。

ボクは、芥川賞に直木賞、文豪が執筆した純文学など、特定の古典にはあまり興味がない。
では、ボクにとって 「気持ちのいい本」とは、作者と共感したときに出る 「アルファー波」 だ。
それに本を読むきっかけになったのは 「孤独感」 がはじまりだったから、若さゆえに自分を見つめる  ヒントをあたえられたようで、書物に対する造詣はどこかにあるのかも知れない。

傾向的には 「告白的なノンフィクション作品」 が好きだから、無名な作家のほうがしっくりとくる。
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2015年07月18日

Carol Welsman (P & Vo)

最初にジャズを聴いたのは、インストからだったせいか 「ボーカル」 には、あまり興味がなかった。

熱心に聴いたといえば、ジャズテイストなシンガーで、最たるは 「アニタ・ベイカー」
真正なジャズならば 「ヘレン・メリル」 「サラ・ボーン」 を、何かしながら聴き流す程度だった。

世代的に 「ネクタイ族のアイドル」 または 「ジャズを歌うポップスシンガー」 の全盛期だったので、 「阿川泰子」 「マリーン」 あたりのブームを受けたから 「ジャズの本格派」 は、後の経験となる。

ボーカルを聴くようになったのは、40歳を過ぎたころで 「歌」 については、見事に遅咲きなんだ。
それに、歌詞 (テーマ) は、ほとんどピアノのメロディーで覚えたので、原曲 (曲名) を言われても、あんまりわからず、歌いだしで 「あ、あれね」 みたいな感覚である。

ジャズボーカルの魅力は、歌でありながら、楽器にもなるところ。
テーマを歌ったあとのアドリブに魅力があるから、歌声しかり、音域や技量に合った選曲、やや技巧的なパートも優れていないと、次第に飽きてくるときもある。

だれでも歌えるが、だれにも歌えないのがジャズで、あとは、自分の思いをどれだけこめられるかでさ。
そんな歌詞とメロディー、どちらを重視して選曲するのか、機会があればシンガーに質問したいけどね。
好きな歌声は気分にもよるけど、重すぎず、軽すぎず…   今の時季なら 「サラリ」 系がいいな。

「キャロル・ウェルスマン」
南からの吐息を感じさせる、そんな歌声が素敵だ。

欧米人の妻が白いキッチンでラザニアを作りながら、この曲 (ブラザジア) を口ずさんでいるような、昼下りの幸せな家族の光景が目に浮かんでくる。
その間、夫はソファーで娘をひざに座らせて、絵本の読み聞かせをしながら、待っているような。

聴いていて、場面が描写できる音楽こそが、本当にいい音楽なんだと思うね。

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2015年07月17日

嵐の川柳

大型の台風11号は、四国地方に上陸したようだが、新潟への進路はそれてほしいなあ…

台風が近づくと、人の気持ちはおちつきがなくなるもの。
強風でモノが飛んできたり、強い水しぶきや窓をうちつける雨音などで、少し不安になるのだろう。

そんな高ぶる神経は時として、過去のいやな出来事を思い浮かばせることがある。
しかも、自分しか知らないことだから、考えれば考えるほど、悔しさや切なさが倍増してしまうものだ。

それを考えたところで、今さら解決するようなことではなければ、もう考えることはよそう。
所詮、小さいことにすぎないし、自分さえ考えなければそれで済むことである。

もうひとつ、独身であればなおのこと。
さびしさのあまり 「性への欲求」 との戦いがある。

男は神経が高ぶっているとき、女を抱きたくなるもの。
女は不安なとき、男に抱かれたくなると聞いたことがある。

嵐の夜、男と女はさびしさのあまり、見境のない 「口説き対決」 をしようとすることがある。
恋愛経験の少ない男女ほど 「勘違いによる胸の高鳴り」 を運命だと、こじつけるものだ。

嵐の字余り川柳  「さびしい夜は ひとりでなんとか しなければ」
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2015年07月16日

15年介護

今週 父親が81歳の誕生日を病床で迎えた。

耳元で 「おめでとう」 と声をかけるが、今では言葉を失っている。
だが、わかってくれているとは思う。

それまで、ひとり暮らしの在宅介護で 「要介護5」 の認定を受けてから、ようやく特別養護介護施設に入所することができ、長年手厚く介護をしていただいた背景がある。

しかし、老いと病状は進行するため、今年から 「来るべき日」 に備えて、医療介護が整っている病院に転院させ、面会で 「心のケア」 を続けている。

15年ほど前からはじまった、父親の介護を通して、家族にはさまざまな状況が作り出された。

先の見えない時間軸に試練をあたえられ、思ってもみなかった周囲の冷たさや追い討ちに直面したり、いそがしいのはおたがいさまながら、身も心も疲労困憊な時期も短くはなかった。
そんな 「介護ノイローゼ」 になりそうな手前で踏みとどまれたのは、妻の献身に他ならない。

人の気持を知るには、その人の立場にならないとわからないといわれる。

だが、介護を必要とする親の面倒を 「だれが、どのようにして看ていくか」 は、先送りの効かない   大きな社会問題となっている。
道徳的な格言、屁理屈で手をこまねいていれば、永遠に人の気持を理解することはできないだろう。

介護は自分の問題でなければ、本当は避けて通りたい。

だが、そうやって空目を使い、いつまでも避けていても、いづれ自分の問題としてふりかかってくる。
そのとき、いかに自分が無関心であったか、ようやくわかるのであろう。
「来るべき日」 とは、自分の問題でもあるのにね。

お節介を焼く必要はないが  「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」  そんな一言でいいんだ。
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2015年07月15日

無題雑記 12

連日 うだるような暑さに、生気が蒸発しそうである。

BGMに、あの 「サラ・ヴォーン」 のざらついたうねりのある歌声は、さすがに勘弁である。
この時季だけは、声量のなさに小粋さがある 「アニタ・オディ」 のほうがいいや。

この2日間で 「モヒート」 を、6杯ほど作った。
お客さんも見た目に涼を求めているのだろうが、ミントを潰している表情は少しお疲れのようである。

いつもは 「バーボン・オン・ザ・ロック」 のお客さんもめずらしく 「ミスト・スタイル」 (クラッシュ) を、  リクエストしたほどだ。

しかし、夏がはじまったばかりとはいえ、こう暑くちゃかなわない。
平日はまっすぐ帰宅して、週末三連休の夜に 「暑気払い」 というところであろうか。

「ホリー・コール」 が 切なく歌う 「コーリング・ユー」 を流したのは 午前0時。
「ノラ・ジョーンズ」 が メロウに歌う 「ドント・ノー・ホワイ」 を流したのは 午前1時。

最近、お気に入りの 「ホセ・ジェイムス」 を耳にしながら、あとかたずけをはじめたのは 午前1時半。
お客さんが引けた店内に、歌声が響く 「テンダリー」 が、やすらいだ気持ちにさせてくれる。

帰路、どこぞのエアコンの室外機からは、熱量のある扇風音が響いていたり、庭先に吊るしっぱなしの風鈴も無風で鳴らずに、ネコも道路わきに寝そべり、その横を空車のタクシーがゆっくりと走り去る…

「明日は少し気温が下がらないかな」 と、思わず見上げた、夏の夜空。
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2015年07月14日

PRO WRESTLING

プロレスとは 「強さ」 あっての 「ショー」 であることは、公然の事実だ。

今さら、強さ云々を求めているのは、一部のエキセントリックだけで、プロレスとは汗と涙に裏打ちされた 「上手さ」 や 「気持ちを前面に出すこと」 というべきであろう。
その、上手さの先にあるものが、人にあたえる 「何か」 であってね。

さて、12日 同年代の男女5人で、新潟市体育館で行なわれた 「センダイ・ガールズ」 主催興行  「女子プロレス大会」 (里村明衣子 デビュー20周年記念大会) を観戦しに出かけた。

われわれの世代 「プロレスとは、なんぞや…」 と、何通りもある答えに一喜一憂していた。
「本気」 それとも 「ショー」 …  半信半疑なところだらけだった。
だけど、疑惑の部分を見破って、熱弁をふるうほど、せこいマネはしなかった。

なぜなら 「自分が見たものが真実」 であると思っていたから。
それに、純粋にプロレスを見ていたほうが、見せるほうも好意的に演出してくれるもんだ。

プロレスを見る目は、人を見る目に似ていると思う。
たとえば、お店ではお客さんと親しくても、職場で働いている姿まではわからない。
もしかすると激情タイプかもしれないし、それともクレバーなタイプなのかもしれない。

では… 仮にそうだとしても、お客さんにとってお店は、プライベートなやすらぎの時間であるから、   社交的に穏やかにすごしているもの。
こちらも好意的に思っていれば、お客さんもお店の雰囲気に合った 「いい人」 でいてくれるだろう。

だが 「どういう人なの…」 と、あまり猜疑心で見すぎると、おたがいに疲れてしまうものだ。
職場や家庭ではどうあれ、お店では 「いい人」 でいてくれるんだからね。

ならば、話はカンタンで、短所はほっといて、長所とつきあっていればいいんだ。
つまり、感情的な部分には深入りせず、共通する部分とつきあえば、その関係はうまくいくと思う。

プロレスは 「本気かショー」 か、この人は 「敵か味方」 か、その答えは 「イエスかノー」 か、ばかりこだわっている人の姿って、融通の利かない、かっこ悪さを丸出しでしょ…
プロレスを見る目とは、あいまいさやユーモアであり、少し人を見る目に役立つのではないだろうか。

試合終了は午後7時。
一行は歩いて、本町の居酒屋へ移動し、午後11時に解散。
ボクはニンニクの臭いをただよわせて、深夜2時に帰宅。

「楽しかった」 そう思わせてくれた 「ヒューマン・パワー・ショー」 女子プロレスに未来はある!  
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2015年07月13日

Jazz Talk Vol.61

最初に聴いた日本人ジャズのリーダーアルバムは 山本 剛 (P) だったことを書いた記憶がある。

当時、海外のジャズミュージシャンが全盛期だったので、いわゆる世界的に巨匠と呼ばれる人たち、    道しるべとなる名盤を聴いていないと、会話が発展しない風潮があった。

ボクは、どこのだれから聴こうが、自分の解釈の仕方がジャズだと思っている。
だから 「〜から、聴かねばならない」 などの固定観念はなかった。
ただし、聴かないよりも聴いたほうが、スタンダードを中心とした、耳の広がりは早いけどね。

70年代〜90年代前半、地方都市でも、仕事帰りに立ち寄れるジャズ喫茶、ライブハウスが多く     点在していたので、演奏を見聞きしながら、会話できる空間があった。
店主しかり、客同士でも感性を交換したから、積み上げ式に慣れ親しめる環境が備わっていた。
ボクの場合、それが 「新宿ピットイン」 だったり 「渋谷スイング」 であったりしただけ。

十数年前、新潟に帰省する際、手もとのCD関連を処分した。
そのとき 「ゆるいジャズのお店」 を開くことは考えてなかったし、聴かないCDを後生大事にする   趣味はなかったけど、ずいぶん早すぎる 「断・捨・離」 (だんしゃり) だったかも知れないね。

一応、手もとに保管してある CD/レコードもある。
90年 吉岡秀晃 (P) デビューアルバム 「ヒア・ウィ・ゴー」 をトレイにセットした。
あらためて聴きなおしてみると 「いいアルバムだなあ…」 と気づかされることがある。

ビ・バップ をベースに ソウルフル。
グルーヴ感覚は、人種を引き合いに出すまでもなくファンキー。
今振り返れば、当時は気づかなくても、懐かしさとともに、自分の中に保管されていた気もする。
世間でいう名盤や巨匠、コラボレーションも程度問題で、何十年も放置していたアルバムを聴き返すと、  新しい発見があったりするものだ。

「耳がこえる」 なんて言いかたもするが、最終的にはリズムやメロディーが、しっかりとしたアルバムを手もとに残すことになるんだろうな。
そのときは気にとめなかったことも、あとから 「そういえば…」 で、思いおこして、再聴したくなるのが、本当にいいアルバムなのかも知れないね。

現在、N塚さんから、奥平真吾 (Dr) 率いるグループのニューアルバム 「新宿ピットインライブ」 を聴かせてもらっている。
真吾は、若手を育てるという意味においては 「日本のアートブレイキー」 になるんじゃないかな。
彼は、天才ドラマーという音楽的な名誉より、ジャズに恩返しをしたいという、筋をもっている気がする。

まあ、5日間ほど、トレイにのせていることになるであろう…

吉岡秀晃 と 奥平真吾は、協演したら 「ゴキゲン!」 だろうな。
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2015年07月12日

うなぎの風情

夏のごちそうと言えば 「うなぎ」  夏のぜいたくと言えば 「うなぎ」

今夏 土用丑の日の混雑を避けるため、先週5日に、毎年行きつけの専門店で済ませてきた。

その夜、最後の客となったボクら夫婦は、食後のほうじ茶をすすりながら、手が空いた女将となにげない会話の中で、近年 「まだなのか…」 と、イライラと急かすお客さんが増えたという。
これもなにかの影響なのか、まあ、一緒には食事をしたくないタイプだわな。

うなぎは注文をうけてから、一匹ずつさばいて串を打つ。
それを蒸したあと、焼いてからタレをつけて、二度焼きする。
調理方法と焼きに手抜きができない、極めた天然食材である。
だから、美味しいうなぎを食べたいのなら、時間に余裕のあるとき 「待つ」 しかないんだ。

混雑していれば、なおさらのこと。
ランチやラーメン店に並ぶ感覚では困るし、そもそも理解していない素材を食べようとすること自体、   その人の味覚だって、ずいぶん怪しいもんである。
「待つのが風情」 なんだよね。

最近、養殖と天然うなぎの違いを知った。
天然モノは、腹が黄色いんだとか。
まだまだ、うなぎの生態は謎も多いようだが、天然うなぎは年々獲れなくなっているらしいね。
それだけに、風鈴の音色でも聞きながら、じっくり味わいたいものだ。

早めに精はつけたから、しっかりと夏をのりきらねば。
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2015年07月11日

話しっぷり

ネット社会によって、今では世の中の細かいところまで、ずいぶんとわかるようになった。

検索機能を使えば、知りたいと思う情報もカンタンに目にすることができる。
だけど、裏を返せば、だれでも同じものを見ているとも言える。
つまり、公開されている多くのことは、別に特別な情報でもないんだ。

人とのつながりにおいても、似たようなことが言える。
手もとから、カンタンに情報発信できる手軽さにはまった結果、それまでの親近感とは大きく異なり、   逆に本質的なに部分で、距離感を抱かせるようになったと思える。

公開した画像の顔は笑っているけど、それは個人に向けた笑顔じゃない。
親しくなったと勘違いすると、人との距離感がわからなくなってしまうんだろうね。
有名人と写真撮影したがる人は、自分への記念よりも、人に見せるための心理的行為が大きいでしょ。

SNSなんかでも、最初は楽しくてはまるようだが、やがてそこから少しずつ離れていくものだ。
あれで毎日毎晩、いい大人が 「レスポンスだ、既読だ、クリックだ、ナウだ…」 と、つながっていたら、「ひとりの時間」 が、気休めにならないと思える。

それにあれって 「オモチャ」 だろ…   だから、ボクはしない。
電話とメールだけで十分だし、オモチャ代わりにつながっているのなら、その関係は願い下げである。
友人なら、面と向って、直接話しかけてくるはずだし、その話しっぷりは退屈しない。

そんな 「オモチャ」 に頼っていると、ケジメが必要なとき、キチンとした言葉を声明できなくなると思う。

男社会においては、その軽さはバカにされるからね。
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2015年07月10日

ペン先の行方

岩手で中学二年の男子がいじめを苦にして、電車に飛びこみ自殺をした報道があった。

前兆として、担任と生徒をつなぐ、一冊の連絡ノートにSOSを出していたという。
それなのに、担任は赤ペンで内容とはことなる、すかしたコメントを記してあしらっていた。

しかも、彼のセンテンスを 「上から目線ですね」 と、冷ややかに記していたが、中学二年生の文章力を考えれば、真実を見つけることがあり方なのに、そこに目が向いていないことは到底理解できない。

生徒にとって連絡ノートは、担任とつながりをもてる、赤ペンならぬ 「赤い糸」 だったと思う。
それなのに、心に傷を負っている生徒の魂までも、ペン先でふみにじったことになる。

ひとつ書き方を間違えると、ペン先は暴力にもなるから、慎重にならなきゃいけないんだ。
時として、文章のやりとりは、人と見えない壁を作っているときがあるからね。

大切なことは、顔を合わせて話すことを認識しておかないと、またこういうことはおきるんだろうな。
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2015年07月09日

音楽符丁

8日 久し振りに小粒の雨音を耳にしながら、気分よく目覚めた日だった。

洗い立てのTシャツに首を通してから、ブルーの傘を開いて、近くのスーパーへ出かけた。
雨の日は、傘で片手がふさがるので、できる限り身軽にしておきたい。
だから 「これ買おうかな」 と思っても 「こんな日に買わなくてもいいか」 と購買意欲は下がる。

雨の日は、読みかけの文庫本を持ち歩くことが多い。
帰り際、荷物が軽ければ、喫茶店で本を読みふける時間がいい気分転換になるんだ。

それも週半ばで、静かな雨の日であれば絶好となる。
週末やカンカン照りの日には、人の出入りがひんぱんになるので、読書をする気分にはならないんだ。
自宅はドライアイスを使うほどの距離ではないが、冷凍食品を買ったら、帰宅を意味することになる。

最近のスーパーでは、音楽の 「符丁」 (店員が知る合言葉) って、あるのかな。
高校時代にバイトしたスーパーでは、雨が振り出すと館内のBGMが 「雨に濡れても」 に切り替わり、混み合って来ると心が躍動する音楽となり、支配人クラスがハッスルして館内を巡回していたなあ。
最近そのスーパー、来る新潟まつりを意識してか 「佐渡おけさ」 を流しているけど早くねえか。

毎度のスーパーでは 「ユーロービート」 が流れていたけど、全従業員に 「ノッて行け、ノッて」 とか、お客さんに 「ファイト」 をそそいでいるのかな。
だったら 「お魚くわえたどらネコ…」 からはじまる 「サザエさん」 のテーマなんてどうよ。
ハートフルな感じがして、生鮮食品がカラフルに見えそうでいいと思わないか。

雨の日、スーパーでイージーリスニング的に聴きながら、ゆっくり買物するのであれば、自宅の風呂で鼻歌できるような曲が一番いいんじゃないかな。

80年代に大流行した 「シャカタク」 なんかも買物するには、いいBGMだと思うけどね。
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2015年07月08日

早朝のひとコマ

東の空が白みはじめるころ、部屋の窓を開けて、ぼんやりと空をながめていることがある。

明け方は空気が澄んでおり、小鳥のさえずり、カラスの鳴き声、新聞配達が自転車のスタンドを立てる音など、雑音にかき消されない、1日の 「はじまりの音」 を耳にすることができる。

すると少し高ぶった神経が静まり、体の疲れが抜けていくような感覚に包まれる。

朝刊を取りに出るころ、すれ違いの住民から 「いつも、お早いですね」 と声をかけられた。
「にわとり男ですから」 と、挨拶に冗談を添えたら 「クスッ」 と、朝から笑ってくれるあたり。

本当はこれから、歯を磨いて寝るんだけどさ…
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2015年07月07日

コテンパン

6日 「なでしこジャパン」 …   アメリカに五輪の返り討ちにあったね。

前半、最初の3失点で、アメリカの押し出しに呆然とした。
4点目からは 「エキジビションマッチ」 かと思ったほどだ。

それはもう 「ぐうの音も出ない」 ほど、コテンパンに叩きのめされた。
スピードにパワー、フォーメーションに至るまで、桁違いの強さを見せつけられた。

もうやめないか…
日本中がこぞって使いたがる 「最後まで、あきらめなかった」 という、紋切り型なセリフ。

いや、わかるよ、確かにそうだし、言いたいことは。
でもさ、そんなことばっかり言っていると、具体的な進歩の芽を摘むことになると思う。

そういうところは、日本人の情緒なんだけど、あまりにも 語彙 (ごい) が決まりすぎている。
だから、選手に夢や希望ばかり託しちゃいけないし、選手も別にあやまる必要もないんだ。

それより 「今回、何で負けたのか…」 その敗因をキチンと聞きたい。
それが、しっかりしていれば、次の可能性につながっていくと思うから。

アメリカにコテンパンにされたとはいえ、ボクの目には戦う女の姿が輝いて見えたね。
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