2015年06月21日

激情と失望

20日 トヨタの米国人役員が麻薬の密輸容疑で、警視庁から取調べを受けているとの新聞記事。

社長自ら、迅速な会見をした姿勢はいいが、(彼女が) 「法を犯す意図がなかったことが、明らかに   されることを信じている」 とのコメントに、違和感があった。

心情的には理解できる。
しかし、裏切られるのは、相手の人柄を自分のモノサシだけで計ってしまったから、不測の事態となる  「まさか」 に、戸惑ってしまうんだと思う。

「信じている」  逆に、完全なる黒と認めているように聞こえてしまう。
仕事や生活の中でも 「あの人のことを信じていたのに、まさか…」 そんな経験のひとつやふたつは、だれにでもあるだろう。

そういうときほど、激情にかられたあと、失望感に苛まれるものだ。
人間関係なら 「あいつを信用していた、オレがバカだった…」 になるし、組織ぐるみの関係であれば 「こんな倫理観のない会社にいた、オレにも非があるな…」 と、少しは反省するものだ。

「信じている」 は、感じのいい人柄を表す言葉のようでもあるが、組織内では、人工的な言葉に聞こえてしまい 「親は子を守る責任」 (従業員は家族) とも言ったが、その言い回しは純真すぎる気もした。

それなら、こうはどうだろうか…
俳優 「萩原健一」 が、人気テレビドラマ 「太陽にほえろ」 のショーケン役を自ら降板したとき、自伝でそのときの胸中をこう記していた…    「せいせいした」 と…

本音ほど、歯切れの良いきれいな言葉で、まとめられるものじゃないだろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする