連日 ANAホテルの駐車場が満車だったことから、医療学会が開催されていることを思い出した。
今回は神経内科らしく、開催中はどこのホテルも満室のようである。
ボクの家系を遺伝子的に考えると 「パーキンソン病」 は他人事じゃないかもしれない。
まあ、今から不安にかられるほど、心配症ではないが…
人の最期は神のみぞ知るでいいし、それより厄介なのが、ムダな心配症にとりつかれてしまうこと。
そうなるとまだ何もおきてないのに、心の回路が心配症だから、いつも考えて神経を疲れさせるだけ。
そっちのほうが、よっぽど心身に悪影響をおよぼすわけで、考えなくてもいいようなことまで、いつまでも考えてしまう、悪循環にとりつかれてしまう。
どうして、そんな先のことまで悲観的になるのか、たまに理解できないこともある。
健康管理や医療対策は大事だけど、もしそうなったら、そのときに考えればいいと思える。
これは考え方だけど、今の病と異なる病を告げられたら、それまでの病は頭から吹っ飛ぶだろう。
つまり、不安が重なると前の不安なんて、大して気にならなくなるものだ。
それより、未知の心配ばかりに悩まされ、後半のクライマックスを生きるぐらいなら、ボク自身のことに 限れば、開き直ってすごしたいと思うもん。
おきていないことを想像して、いつも悪い方向に悩むことは、よくよく想像妊娠と同じであろう。
こう書いたが、このあたりの思考は、妻の大胆な考え方が影響されている。
いつもひとりで考えていたら、ただ空しいだけの悩みクセがついてしまう。
人とつながる形はどうあれ、人とのつながりは間違いなく、神経を鍛えて図太くしてくれるものだ。
そう考えれば、年齢を重ねていくことは、逆にこわいものなんか、少なくなってくるんじゃないかなあ。
これぞ、何もおきていないことに悩まない、ボクの 「神経内科」 である。