毎年 新緑が薫るころ、病床で闘病生活をしている、高校時代の友人に会いに行くこと早5年目。
高校生のころ、部活の帰り道でよく一緒に、古町の 「ロータス」 で、ミートソースの大盛を食べた。
たまには、向かいのラーメン屋 「きんしゃい亭」 では、替え玉を2個は追加した。
こづかいのないときは、小さなパン屋の見切り品 (3個100円) を買い食いしたものだ。
パン屋のおばちゃんがやさしい人で、腹を空かせたボクらのために、パンを取っておいてくれたっけ。
彼は生まれつき、聴力に障害があり、少し日常会話が不自由だった。
そのため、人見知りをする傾向はあったけど、古町までは同じ帰り道だったので、親しくなるまでには、 大した時間は要さなかった。
将来は 「手に職をつけたい」 と描いており、数年後には、歯科技工士になった。
なにも考えていなかった、ボクからすれば、彼の人生設計は堅実そのものだった。
馬は合っていた。
社会人になってからも、年賀状のやりとりだけは欠かさず、共通の節目には顔を合わせた。
ボクの結婚披露宴では、調子ハズレな音程で、合唱の輪に加わってくれた。
そのときの元気な姿は、ビデオにハッキリ残っているが、つらくて見ることができない。
数年後、年賀状が途絶えた理由を、初老の母親の口から明かされた。
5年ほど前の2月、まだ寒さ厳しい、冬枯れのある日。
出かけた先は、田園が広がる郊外の、静かな病院だった。
彼は目線と首を動かすことでしか、意思表示できない体になっていた… 言葉が見つからなかった。
面会へ行くことで、少し励みになればと思いつつ、逆に孤独感を味わわせてしまっているのではないかといつも不安がついてまわっているのが本音である。
もしかして、招かざる客なのか、それとも、行かぬ口実を作っているのか、そんな気持ちがよぎった。
逆の立場なら、見られたくないと思うからだ。
その目には、いつも涙がにじんでいるが、オレにはみまもることしかできない。
そんな不器用なオレでも、確実に続けられることが、年に一度、遠路会いに行くこと。
それは義務ではなく、自分の意思で会いに行っているのを、彼はわかってくれていると信じている。
これからも、友だちでいさせてもらいたいのが願いだから。
もし、彼を見て見ぬフリしたら、オレ… きっと申し訳ない気持ちを一生持ち続けることになると思う。
健常者は、奇跡である。