2015年05月31日

Jazz Talk Vol.59

たとえば 「セロニアス・モンク」 と 「ビル・エヴァンス」 を聴き違えたら…
そりゃ、穏健なジャズファンでも 「この人、どういう耳をしているのかな…」 と思うだろう。

中堅ベーシスト 「トニー・グレイ」 が、音楽誌のインタビューで、こうコメントしていた。
「最終的な目標は、音を聴けばボクと思われること」
最後に、こう締め括っていた  「これが、個性だ」 と。

個性を目標にしている、ミュージシャンは多い。
だけど、そうなれないから、高いレベルで葛藤している。

昔、フュージョン系を専門に扱った 「アドリブ」 という音楽誌があった。
その特集記事で、海外の一流ミュージシャンをまねき、初見 (聴) で 「だれの演奏なのかを当てる」 ブラインドテストが企画されていた。

有名無名なアルバムを5枚ほど聴いてもらうのだが、そのうちの2枚も当てられればいいほうだった。
もちろん、当てることにこだわるだけでなく、音楽のイメージや好奇心、だれの影響を受けているかまで、総合的な感想も自由だけど、プロでも難しいんだから、常人がそうそうわかるものでもない。

だれだれの影響を受けているぐらいならわかりそうなものだが、よっぽど聴きこんだ人とか、聴いてきたストック量が豊富でない限り、ほとんど初見ではお手上げであろう。

録音技術も格段に進歩している。
最近はプロとアマの違いですら、録音技術でかなりカバーできるから 「相当、録り直したんじゃないか」 と思えるし、音を無難に置こうとすると、演奏に温もりやオリジナルを感じにくくなる。
このあたりは、録音することへの向き合い方だろうし、人それぞれの華は違っていいんだろうが。

その点、音源は劣るものの、ライヴ盤はリアリティーが伝わる。
なにも、燃焼するジャズだけがリアリティーではないが、総じて名盤には個性が引き立つもの。
正直 「乱暴なライヴ盤だなあ…」 と思っても、それが彼らのポテンシャルだったりするから、それぞれ愛すべき個性に仕上がっていたりするからね。

最後は余談でしめるが、今は音楽が行き渡っているから、全体的に演奏レベルは高い。
その昔は玉石混交、レベルに大きな差がありながらも、一生懸命に演奏していた熱い時代だったから、「ぶっ飛び方」 もおもしろかったんだけどな。
それこそ、良し悪し抜きに、これも 「音を聴けばボクと思われる個性」 だからね (笑)

きっと、ジャズの原始的な部分に、思い入れがあるんだと思う。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月30日

スルメキムチ

5月には 「初かつおを食べましたか」 なんて、時候の挨拶がある。

鮮魚コーナーに行くと 「かつおのたたき」 が、売場を大きく占めていた。
好きな人は、大根やしょうがをおろして、ポン酢をかけて食べるのだろうが、ボクは食指が向かない。
強火でサッとあぶった皮の部分と、生の部分の食感が合いいれないからだ。

味はともかく、食感がなじめないことはよく聞く。
妻はイクラのプチプチ感が苦手だと言うし、ある人はネギの苦味走った食感がなじめないだとか。
人は何か苦手があるもので、それが味や見た目に食感など、その発露は何なのだろうね。

ボクは俗に、魚の 「ヒカリモノ」 が苦手だ。
今ほど衛生面がよくなかったころ 「あそこの家のおっとちゃん、シメサバ食ってあたったらしい」 話を、子どものころによく耳にしていたので、きっと防衛本能が働いているんだと思う。
そうじゃなかったら、食べない理由はないであろう。

20代のころ 「キムチ」 を食べられなくなったには、こんな理由があった。
居酒屋のトイレで居合わせた客が 「うっ… オエェー」 と叫んで、洗面台にゲロを吐きやがった。
その汚物はそのまま和食器に盛りつけて、また厨房から商品として提供できそうなほど、原形とどめた 「ゲロキムチ」 に思わず 「おまえは、牛か!」 と言いたくなるほど強烈だった。

トイレは一瞬にして、キムチと胃液、モロモロが混ぜ合わさった、異臭は説明するまでもない。
危うくこっちも、もらいゲロしそうだったが、安月給で奮発して食べた 「うなぎ」 を吐くわけいかないと、もちこたえさせたあのとき。
5年ほどキムチを食べる気がおきなかったのは、あきらかにそのときのトラウマからだ。

そのころ、バーで仲間と飲んでいるとき、そいつが 「チーズのにおいが苦手だ」 と言っていた。
それを聞き 「おまえ、変なところをなめたんじゃねえか…」 と聞くと、あっさり認めて、そのときの体験を真顔で話し出すから、もう腹がねじまがるほど笑ったね。
その変なところは想像にお任せするが、食べ物の好き嫌いは体験からのトラウマなんだろうな。

このところ、ビールの友に 「スルメキムチ」 をつまんでいる…  これがうまいんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月29日

かつとじ煮

店をはねてから、飲みに出かけることはまずない。

お店が限られるし、よほど親しい関係か、特別な話でもない限り、まっすぐ自宅へ帰るのが日課となる。
それにその時間とこの年齢まで、一緒に飲むような奇特な仲間はいないから、そこは割り切れるところ。

その分、休日の夜に楽しみを持ち越せるし、開店前のわずかな時間で、日々リフレッシュできている。
気まぐれの 「ぶらつきレベル」 だが、スーパーでの買物はいいストレス発散になっているようだ。

ボクにとって、スーパーとは、かわいいお花畑みたいなもの。
出来合いのパックもあれば 「この材料で、何か作ってもらおうかな…」 など考えると楽しくなる。

自宅で飲むお酒は、水代わりのビールだけ。
食事と並行するので、せいぜいロング缶1本で足りる。
それ以上は、腹がふくれるから、休日の夜以外は 「酔う感覚」 に包まれることはない。

最近 「かつとじ煮」 にはまっている。
作り方はかんたんで、惣菜コーナーで、かつを買ってくる。
手鍋で、だし汁と砂糖、醤油で味をととのえ、玉ねぎのスライスを敷く。
その上にかつをのせて、火加減を調整しながら、裏返しにしたり、卵を流し込んだりする。

食べるときには、甘辛い香りがフワッとただよい、ネギのシャキシャキ感と半熟卵のフワフワ感、それにかつの肉汁感との三重奏が口中に広がる…  なーんてね。
妻に作ってもらってるから、大きなことは言えないが、今の好物といえば、ビールでのどを湿らせながらいただく 「かつとじ煮」 に勝るものはない。

食は細くなったけど、おおざっぱで食べごたえのある 「かつ」 こそ、男の本能的な料理である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

ネームプレート

毎年 青や紫の紫陽花が咲くころ、ボトルキープがやや増してくる。

この時期、五月病といわれるぐらいだから、心情的な部分もあるのかな。
仕事を進めるにあたり、世代間や役職間をめぐり、問題の在りかたが見えてくるのもこのころ。

ボトルキープとの、因果関係である。
まず、人間関係は多少にかかわらず、必ずこじれると思っているから、大しておどろくことはない。
自己紹介も最初のうちだけで、このころになると下は上を 「やり方が納得できない」 とつぶやき、上は下を 「今の若いのは使えねえ」 となげく。

両者の言い分はわからなくもないが、おたがいの言い分は、おたがいの耳には届いていない。
言葉の手間を省くから、いつまでもボタンを掛け違えたまま、気持ちの悪い状態だけが続いている。
結果として、それが会社にロスをあたえていることはわかってはいるんだろうが、理論と感情が正面からぶつかると、大方は感情論のほうが幅を利かせてしまうものだ。

「同じ釜の飯を食う」 という、仲間意識を指す言葉がある。
ご飯をよそってあげたり、お皿の料理を取り分けてやったり、美味しいところを譲ったりしながら、チームのほつれた気持ちをやわらげたり、小さいしこりを取り除いていく。
そこにお酒を一滴もれば、それまでいがみあっていたことが、バカバカしく思えたりする。
コミュニケーションの基本原則なんて、本来シンプルなもんだと思うし、その技術云々、能書きにかぶれていると、終いにはめんどくさい人間にされてしまう。

昨晩、ボトルキープの 「ネームプレート」 を新調した。
それぞれのボディを磨きながら 「代表名の中には、いろんな人が含まれているんだろうな」 と思った。
ひとりで飲むもよし、会社関係や友人関係、恋人同士で飲むのもいいだろう。
お近づきのしるしに 「一杯どうですか…」 で、親交をうながすこともできる。
同じボトルを味わうことは、同じ釜の飯を食うのと同じように、身近なコミュニケーションなんだ。

最近の食事スタイルは、共食よりも個食を好み、分配よりも独占を好む傾向にある。

だけど 「たまには飲みに行くか」 「行きます」  そんな普通の会話に尽きるんじゃないのかな…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

DVD マガジン

今朝の朝刊で 「探偵物語」 をはじめ、松田優作が主演した作品の 「DVDマガジン」 が、順次に発売されることを知り、早速書店で創刊号を手にした。

注目記事は、未亡人である女優 「熊谷美由紀」 長年のパートナーだった脚本家 「丸山昇一」 彼がプライベートで身を寄せていた、ジャズバーのマスター 「大木雄高」 が、述懐対談するところ。

しかも、家庭 仕事 私生活 の3方向から、彼と多くの時間を共有した三人が時を越えて語るから、   ますます、松田優作の人間像が浮き彫りとなる。

正直、この手の企画は、しぼりかすみたいなヨタ話を、クローズアップされやすいんだ。 
だが、進行役の導き方次第によっては、新たなエピソードが生まれたり、整理がついたからこその語彙 (ごい) が飛び出したりするから、変わった 「デジャ・ブ」 を感じさせるときもある。

「コレクションシリーズ」 は、全く興味がなかったけど、性格は自由奔放だが、生き方には哲学をもち、仲間を大切にする、そんな 「工藤ちゃん」 をなんかさ…   もう一度、見たくなっちゃった。
この機会に、収集しようかな。

探偵物語は35年前のドラマなんだよね…  オレ、中学三年生だったけど、その存在は色あせないね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月25日

若者カルチャー

今朝の新聞で 「NGT48」 の専用劇場が 「万代ラブラ・2」 に開設される囲み記事を目にした。

県内外から、若者の集客に相乗効果があるとして、地元民やファンからも大いに歓迎されている。
これからの万代は、若者が集う情報発信地として、集客は広がると思うし、周辺のコミュニティー開発も見直されてくるであろう。

進んで 「若者カルチャー」 を見る気はないが、いくつになってもさわやかにはとけこんでいたいね。


話は変わるが、鳥取県に初出店した 「スタバ」 の開店初日に、朝から 1000人 並んだとか…

給水場や炊き出しじゃあるまいし、本来のコーヒーは寛ぐものでしょ。
どれほどの時間を並んだのかわからないけど、正直そんな思いまでして並ぶ人の気は知れないなあ。

客が途切れない店内で 「ゆっくりとお召し上がり下さい」 なんてのは建前であってさ。
それがどんなおいしいコーヒーでも、次々に来る順番待ちの客に無言のプレッシャーをかけられたら、飲んだ気がしないでしょ。

必要性があれば話は別だが、長時間並んで飲食するぐらいなら、年齢的にオレならやめるね。
そこまでして飲みたい、いや、早く飲まなきゃいけないなんて、何かみっともねえじゃん。
戯言ながら、流行に並ぶよりも、並ばない粋ってないのかな…

賑わいが予想される万代だが、極めた情報に踊らされて、自分のメリハリ文化は失ってほしくないね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

ハイティーン・ブギ

23日 好天の下、多くの小学校で運動会が開催された様子。

その昔は 「大運動会」 と称されるほど規模は大きく、この日ばかりは成績の良い子と悪い子の存在感が入れ替わり、ボクは後者の少年だった。

得意種目は、騎馬戦 と 棒倒し。
騎馬戦はやぐらながら、複数の騎馬と結託して、戦略的に狙いを定める。
棒倒しでは、てっぺんの旗を取ることなど眼中になく、ひたすらどさくさにまぎれて、相手を潰しにかかりそのスキに身軽で足の速いやつに、旗を取らせる作戦を練るんだ。
開始寸前になると、複数の目が本気モードになるから、だいたい体育教師にマークされていた。
まあ、そういうところでしか、クラスメイト (チーム) に、貢献できなかったからね。

応援団には誘われたが、ハチマキをして変な格好で踊ったりするのがイヤなので断っていた。
その代わり、下級生の応援席に加わり、ひやかし半分で連呼してたので、きっと 「この先輩おかしい」 と、不審がられていただろうなあ。

高校生になると、ツッパリブームが全盛期だったから、体育祭の様子も風変わりしてきた。
急ごしらえのリーゼントにパンチパーマ、応援服の背中には 「夜露死苦」 や 「聖子命」 などと   刺しゅうされた、キンキラキンの格好で竹刀を振り回し、応援団で目立とうとする連中が多くなった。

その応援団がきっかけとなり、体育祭が終わったころには、校舎の隅のほうでキンキラキンの格好の    まま、無口に見つめ合う男女が続出して、お決まりの恋愛フルコースとなる。
たぶん、体育祭を通じて、共通の達成感に酔いしれて、燃え上がったんだと思う。

ボクはこういう 「自己陶酔感」 になじめないから、パフォーマンスに加わることはなかった。
今思い返せば、恋をする他人を見るのは楽しいが、恋をする自分になるとテレくさかったんだろうな。
だから、小学校の運動会から、高校の体育祭を通じ、必殺仕事人のように、出場する種目だけに全力を傾けるタイプだった。
柔道部だったせいか、演劇部のような応援団や番長遊びの真似事には、トコトン興味が冷めていた。

体育祭が終わると、だいたい打上げと称して、だれかの家に集まり酒盛りをするのが流行していた。
それで学校に通報され、反省を行動で示すため、現場となった町内を一週間ほど毎日清掃することで、地域奉仕をして一応のけじめをとり、学校便りに取上げられたりするんだ。

おいおい、これだって、おかしくないか…
算術的に言えば 「マイナス10」 のことをしておいて、たまにこうしていいことをして 「プラマイ0」 に 戻しただけなのに、よくやったとほめられる。
じゃあ、そういうことをしなかったやつが、それをやったら 「プラス10」 なのに、そこは取上げられないんだから、どこか矛盾があるでしょ。
そういう意味では、体育祭はいろんな側面を見ることができた、青春の学校行事ではあったけどね。

そんな自己陶酔感、達成感から恋愛に発展する世界には、どこかナルシストぶりが全開で、あのころのボクは、そんな 「ハイティーン・ブギ」 の世界は、なじめなかったね…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

食と愛護

今月6日 水族館の 「イルカショー」 を眺めながら、2010年に公開された ドキュメンタリー映画  「コーブ」 の映像が頭の中でよみがえってきた。

21日 イルカの入手方法をめぐり、国際動物団体から水族館に、圧力がかかったことは記憶に新しい。

一見、水族館を矛先にしているようだが、当面の狙いは和歌山県大地町で行なわれている 「イルカ漁」 であり、真の狙いは動物愛護を立てにした 「寄付金」 のような気がしてならない。

イルカ問題の賛否を問うことは別にして、動物の命について個人的な見解をつづってみたい。

地元テレビの街頭インタビューでは 「イルカショーを見られなくなったら、これからの子どもたちが   かわいそうだ」 と清廉潔白な意見が多かったし、子どもの純真さを利用している印象も受けた。

まあ、その質問内容と少ない情報で意見を言わざる得ないのは仕方ないが、日本はイルカを食用として伝統と文化を育んできたことを知ってか否かは、どうなんだろうね。

食生活において、日本には日本の論理はあるが、個人的にイルカの肉を食べたいと思ったことはない。

以前、イルカに限らず、牛や豚の殺生場面 (食肉処理) を見たとき、もう少し思いやりのある方法は  ないだろうかと書いたが、それは今も変わらない。

ただ、情操教育において、動物の命を殺めて生きるのが人間であることを、キチンと教えていかないと、命の本質を学べないような気がするけどね…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月22日

神経内科

連日 ANAホテルの駐車場が満車だったことから、医療学会が開催されていることを思い出した。
今回は神経内科らしく、開催中はどこのホテルも満室のようである。

ボクの家系を遺伝子的に考えると 「パーキンソン病」 は他人事じゃないかもしれない。
まあ、今から不安にかられるほど、心配症ではないが…

人の最期は神のみぞ知るでいいし、それより厄介なのが、ムダな心配症にとりつかれてしまうこと。
そうなるとまだ何もおきてないのに、心の回路が心配症だから、いつも考えて神経を疲れさせるだけ。
そっちのほうが、よっぽど心身に悪影響をおよぼすわけで、考えなくてもいいようなことまで、いつまでも考えてしまう、悪循環にとりつかれてしまう。

どうして、そんな先のことまで悲観的になるのか、たまに理解できないこともある。
健康管理や医療対策は大事だけど、もしそうなったら、そのときに考えればいいと思える。
これは考え方だけど、今の病と異なる病を告げられたら、それまでの病は頭から吹っ飛ぶだろう。
つまり、不安が重なると前の不安なんて、大して気にならなくなるものだ。

それより、未知の心配ばかりに悩まされ、後半のクライマックスを生きるぐらいなら、ボク自身のことに  限れば、開き直ってすごしたいと思うもん。
おきていないことを想像して、いつも悪い方向に悩むことは、よくよく想像妊娠と同じであろう。

こう書いたが、このあたりの思考は、妻の大胆な考え方が影響されている。
いつもひとりで考えていたら、ただ空しいだけの悩みクセがついてしまう。
人とつながる形はどうあれ、人とのつながりは間違いなく、神経を鍛えて図太くしてくれるものだ。
そう考えれば、年齢を重ねていくことは、逆にこわいものなんか、少なくなってくるんじゃないかなあ。

これぞ、何もおきていないことに悩まない、ボクの 「神経内科」 である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

5% OFF

毎月 20日 30日 は、近くのスーパーが 「5%オフ」 になるので、よく買物に行かされる。

特に重い荷物のとき、あまり割引の対象にならないもののとき、妻から 「行けー」 と指令が入る。
最近では、新聞に折りこまれている、スーパーの広告だけは、丹念に見るようになってしまった。
とはいいながら…  ボクのほうが、スーパーで買物するのが好きだから、率先して行くんだけどね。

手もとのメモ用紙には 「ごま油」 「すし酢」 「穀物酢」 「みりん」 「サラダ油」 (コレステロールゼロ) など、必然的に調味料関係が多くなる。

たまに、聞きなれないものも書かれている。
香辛料だが 「クミンシード」 「サフラン」 「カラムマサラ」 など…  なんじゃらほい ?
まあ、それだけ料理に手を加えてもらっているが、こりゃ職業でもない限り、男の世界ではない。

それが 「お肉」 になると、さらにわかりにくい。
肉が好きなわりには、やきとりレベルなので、どれがどれでどれがいい肉なのか、あまりわからない。

その点、野菜や果物の目利きは格段に上がり、数ある中から判断がつくから、なかなかのもんじゃ。
タマゴパックだって、ひっくり返してすきまがないものを選ぶので、タイムサービスで配られるものに   わざわざ列をなすことはないし、棚に並んでいる商品の賞味期限のフェイントにひっかかることもない。

つまり、ボクが買物をしたあと、いいやつは残っていないのである…   次は30日だ !?
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

和して同ぜず

大阪都構想の住民投票に、大阪市民は 「NO−」 と判断し、維新の会の代表である橋下市長は、    任期満了で政界を引退することを表明した。

個人的に賛成反対、橋下好き嫌いの感情はなく、結果どうあれ 「男らしい引き際だな」 と感じた。
彼の魅力でもある、イエス・ノーを示し、リーダーとして先陣を切り、リスクをとった。

対立軸からすれば 「ほら、ざまあみろ」 になるんだろうが、負けたとはいえ、あの信念を貫く姿勢は  「敵ながらあっぱれだった」 というのが、礼儀のような気もする。

彼は自らを 「権力は使い捨て」 と言い放ったが、その才能はだれもが認めるところであるから、    その存在価値は十分あると思われる。

彼いわく、好かれることはいいことなんだけど、彼は政策のため、好かれようとして生きなかった。
敗因があれば、このあたりのイメージも影響したと思うが、あの主体性は魅力的なんだよな。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

健常は奇跡

毎年 新緑が薫るころ、病床で闘病生活をしている、高校時代の友人に会いに行くこと早5年目。

高校生のころ、部活の帰り道でよく一緒に、古町の 「ロータス」 で、ミートソースの大盛を食べた。
たまには、向かいのラーメン屋 「きんしゃい亭」 では、替え玉を2個は追加した。
こづかいのないときは、小さなパン屋の見切り品 (3個100円) を買い食いしたものだ。
パン屋のおばちゃんがやさしい人で、腹を空かせたボクらのために、パンを取っておいてくれたっけ。

彼は生まれつき、聴力に障害があり、少し日常会話が不自由だった。
そのため、人見知りをする傾向はあったけど、古町までは同じ帰り道だったので、親しくなるまでには、  大した時間は要さなかった。

将来は 「手に職をつけたい」 と描いており、数年後には、歯科技工士になった。
なにも考えていなかった、ボクからすれば、彼の人生設計は堅実そのものだった。

馬は合っていた。
社会人になってからも、年賀状のやりとりだけは欠かさず、共通の節目には顔を合わせた。
ボクの結婚披露宴では、調子ハズレな音程で、合唱の輪に加わってくれた。
そのときの元気な姿は、ビデオにハッキリ残っているが、つらくて見ることができない。

数年後、年賀状が途絶えた理由を、初老の母親の口から明かされた。
5年ほど前の2月、まだ寒さ厳しい、冬枯れのある日。
出かけた先は、田園が広がる郊外の、静かな病院だった。
彼は目線と首を動かすことでしか、意思表示できない体になっていた…  言葉が見つからなかった。

面会へ行くことで、少し励みになればと思いつつ、逆に孤独感を味わわせてしまっているのではないかといつも不安がついてまわっているのが本音である。
もしかして、招かざる客なのか、それとも、行かぬ口実を作っているのか、そんな気持ちがよぎった。
逆の立場なら、見られたくないと思うからだ。

その目には、いつも涙がにじんでいるが、オレにはみまもることしかできない。
そんな不器用なオレでも、確実に続けられることが、年に一度、遠路会いに行くこと。
それは義務ではなく、自分の意思で会いに行っているのを、彼はわかってくれていると信じている。
これからも、友だちでいさせてもらいたいのが願いだから。

もし、彼を見て見ぬフリしたら、オレ…  きっと申し訳ない気持ちを一生持ち続けることになると思う。

健常者は、奇跡である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

KINSHO WHISKY

16日 ニックネーム Dさん から、希少価値の 「キンショーウイスキー」 を、提供していただいた。

酒蔵は、清酒の製造元で有名な 新潟県新発田市の 「金升酒造」 (かねますしゅぞう)
ラベルの 「キンショー」 は 「金升」 を音読みにしたという。

創業は古くも、蔵元の四代目が終戦後、清酒の製造を中断して、モルトの蒸留を開始したが、次第に    洋酒の需要が縮小したことで、現在は完全に製造を取りやめたという。

そのときの 「10年貯蔵ウイスキー」 を、60年以上保管されていた 「ヴィンテージボトル」 に詰めて、シリアルナンバーつきで 「限定330本」 中の1本を手に入れた。
容量は 330ML で、限定小売価格 1本1万8千円前後 するという。

その味と香り、ボトルのヌードデザインに、当時の時代背景を嗅ぎ取れるものの、金升酒造が自社で    製造していた 「最後のウイスキー」 というだけでも、興味がそそられる。

ボトルは隠してあるので、飲みたいと申し出てくれれば 「15MLストレート」 で無償提供する。
その代わり 「本当に飲んでみたい」 という、先着20人に限らせてもらいたい。
というのも、金升酒造の社長の友人である Dさん の心づけにお応えする意味だからである。
その上で、清酒の酒蔵が作ったキンショーウイスキーを、雑学のひとつに加えてもらえたら、うれしい。

ウイスキーは、ロマンの酒である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

Jazz Talk Vol.58

1983年に始動の 「キース・ジャレット・トリオ」 に魅せられてから、2013年に解散するまでの軌跡で実は聴いていないアルバムもある。

過去に書いたことは割愛するが、一度整理するとオリジナルメンバーは3人。
書くまでもないが、キースを筆頭に 「ゲイリー・ピーコック」 「ジャック・デジョネット」
その魅力を押し上げているのは、三者間にしかつむぎだせない融合ぶり。
だから、だれかひとりでも欠けたら、それはもうオリジナルメンバーじゃなくなる。

その聴いてなかったアルバムが、92年 「アット・ザ・ディア・ヘッド・イン」
このアルバムを放置していたのは、ドラムが 「ポール・モチアン」 だったこと。
当時、モチアンのキャリアよりも、デジョネットのピークに耳が向いていたからだ。

某CDコーナーで、これならの価格で陳列されていたので、早速手にした。
聴き終えて 「オレ… やっぱり、ジャック・デジョネットが好きだわ」 とあらためて思ったの。
もちろん、モチアンがどうこうじゃないよ。
そりゃドラマーが代われば、違ったアプローチも生まれるけど、このトリオに限れば 「ビート感覚」 は、デジョネットなんだよね。

次のトレイには、特殊なアンサンブルで知られるアルバム 「インサイド・アウト」 をセットした。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月15日

名前負け

動物園で生まれた小猿に 「シャーロット」 と名づけたら、批判が集中したとか。

その昔、わが子に 「悪魔」 と命名した父親が役所に届出したら、受付を拒まれて時事問題になった。
親は 「この名前を背負うことで、社会の荒波に立ち向かう強い子に育ってほしい」 と、勝手な能書きをたれていたけど、最終的には 「あく」 (漢字は忘れた) で、折り合いはついたはずだ。

地元紙の 「うぶ声」 欄を眺めていると、ふりがな表記がないと読めない名前ばかり。
これも時代の流れだが 「親の妄想じゃねえか…」 と、首を傾げたくなる名前もある。
名は人格を表す意味で言えば、キラキラネームの子たちが、社会の担い手になったときには、そりゃ、美しき世界が広がっていることであろう ?

それに、二文字〜三文字ネームばかりだから、呼び名は 「ファーストネーム」 に 「ちゃん」 「くん」  ずけが主流になるのかな。
そのうち 「ニックネーム」 とか 「略称」 など、なくなるのかもね。

ボクらの世代、四文字ネームが多かったから、自然と二文字に分割されがちだった。
「あきひろ」 なら 「あきちゃん」 「たつのり」 なら 「たっちゃん」 とか。
友人や恋人を呼び合うときは、二〜三文字ネームのほうが、呼びやすかったりするだろう。
それに、四文字はどこか字あまりだよね。

また、変なあだ名をつけられやすい時代だった。
野球でトンネルすりゃ 「トンネル男」 になるし、学校でうんこなんかしようもんなら、「うんこマン」 の  称号を与えられる、子どもの掟社会があった。

だから、変なあだ名をつけられる前に 「オレのことを 〜と呼んでくれ」 と、かっちょいいニックネームを自己紹介しながら、だれもそのニックネームで呼ばず、とんでもないあだ名がついた奴もいた。
ファーストネームやニックネームは、プライドにかかわるところだから、デリケートゾーンなんだ。

それにしても 「としこ」 や 「まゆみ」、「かずお」 に 「ひでお」 なんて 「ガッチリ昭和風」 の名前で産声があがらないかな。

ボクの人生 「名前負け」 である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月14日

Jazz Talk Vol.57

最近、ジャズを聴きはじめたと思える Tくん。

休日に中古CD店で、5枚ほどジャケット買いをしてきたという。
購入した基準はわからないけど 「ジョー・パス」 「チック・コリア」 「ブランフォード・マルサリス」   「ジョシア・レッドマン」 と、早々たるチョイス。
それに、フュージョンバンド 「フォープレイ」 を加えてあるあたりがバラエティーだ。
感覚的に選んだにしては、なかなかいいアルバムを手にしたと思える。

その中の一枚を借りた。
チック・コリア 「昼も夜も」 (ライヴ・イン・ヨーロッパ・1984)
名盤 「ナウ・ヒー・シングス」 のライブ盤である。

84年といえば 「キース・ジャレット・トリオ」 が始動した2年目にあたる。
正直、聴いていたら、どこか対抗意識があるように感じたし、そのあとに同じユニットを結成しながら、 「アコーステック・バンド」 と銘打ったことから、小さな炎を燃やしていたこともうかがえる。

どちらも 「マイルス・デイビス・グループ」 の門下生だから、複雑な気持ちはわからなくもないが、    たがいの価値観の違いによるものであろう。
また、大物同士であることへの周囲の思いこみもあり、本当は確執なんてなかったんじゃないかなあ。
その後、記憶が正しければ、両者はクラシックで協演しているはずだ。

チックは常にメンバーを代えたり、最先端の音楽をつむぎ出す意味においては先駆者である。
また、後身を育てた功績も計り知れない。
しかも、多才にして柔軟性もあるから、数多くの協演者が去来した。

88年に結成した 「アコーステック・バンド」 の最新4ビートには、度肝を抜かれた。
あの 「ジョン・パティトゥッチ」 と 「デイヴ・ウエックル」 のことだ。
だけど、極めて新鮮で興奮した、究極のトリオと感じたのが、06年 「スーパー・トリオ」 だった。
紹介するまでもないが 「クリスチャン・マクブライド」 に 「スティーブ・ガッド」 だ。
「ミシェル・ペトルチアーニ・トリオ」 のときの、スティーブ・ガッ… やめよう、ここでピリオド。
これ以上、キリがないので、話の続きはお店ですることにする。

こうして、お客さんがキッカケとなり、思わず 「ジャズ記事」 を書きなぐってしまうのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月13日

過ぎる時間

遠洋漁業の船乗りたちは、星空を見上げて、今いる位置を知ったという。

11日 午後にテレビをつけたら、大相撲夏場所2日目のざわめきが飛びこんできた。
このときばかりは、テレビの音声だけでも、時計を見ずに時刻を言い当てられる。
部屋の射光だけでも、今は何時か当てられるだろう。

夜に仕事をする者にとって、昼から夕方にかけては、世間が思うほどヒマではない。
お店の買出しや仕込み、自宅の雑用など、結構やることがあったりするものだ。
それと業種の性質、家族構成から年齢など、表面的な部分だけで判断できない。
おかれている立場は異なりながら、開店前に用事を済ませておくことが、商売の心得となる。

バー空間は自然光ではなく、暗がりに間接照明を灯し、仕事に疲れた人を癒す空間となる。
そうなると、時計はうっとおしく感じるから、店内に時計がないのはそういう意味である。
「えっ、もうこんな時間なの…」 ぐらいが、ちょうどよかったりするのはそのためだ。

お店の時計代わりに、音楽をチョイスしているときがある。
夜も浅いうちなら、躍動感にあふれて歌心のあるジャズ。
夜も更けてきたら、都会的で親しみやすく色彩的なジャズ。
深夜になれば、スローテンポの美しいバラードを流したくなる。
お客さんがいないときは、今夜ボクが欲しているジャズだ。
とはいえ… お客さんの気分に合わせているときのほうが多いけどね。

音楽は空気の読み合いながら、楽曲を聴き流していたほうが、本当の粋だったりする。
時計と音楽は、同軸チャンネルみたいなものだ。

星空代わりに、音楽を流していると思ってもらえたら、ありがたい感性である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月12日

つつじの花

ANAホテルの正面花壇に咲き誇る 「つつじ」 のコントラストが見ごろをむかえている。

今の時季、楽しみは散歩。
ひとりのときは、低速でサイクリング。
ふたりのときは、会話しながら徒歩で。

そのため、花の名前が少しづつ、わかるようになってきた。
先週も護国神社で 「あの薄紫の花はなんじゃらほい」 とたずねると 「ふじの花」 と教えられた。
花の博識はないけど、美しいものは美しい。

4月 妻の誕生日 C−ちゃんから贈られた、バラやユリのステキなアレンジも散ってしまった。
ちょうど目が寂しくなったころ、街中の 「つつじ」 が見ごろをむかえている、今日このごろ。
さあ、これから自転車の買物ついで、わずかな時間で気分転換しに行くとするか…

あらためて、日常の風景を見渡してみる。
植木の開花に気づかされたり、初物に食指が伸びたり、風物詩を見たとき、今いる季節を実感できる。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

プロ野球観戦

10日 午後2時 エコスタでプレイボール。

プロ野球公式戦 「DeNA−巨人」 戦を、バックネット裏13列目で観戦してきた。
試合結果は割愛するが、投打の真っ向勝負を食い入るように見れたので、生の実感を得られた。

ピッチャーの球種やコースがわかったり、バッターが狙い玉を絞っているようだったり。
あるいは、この主審は外角球がしぶいとか、状況に応じ内外野手の守備位置が微妙に変化していたり。

おぼろげながら、両チームのシステマティックな攻防も見てとれた。
それも、バックネット裏だから、ホームを軸に野球全体を見ることができた。

やかましいだけの応援は苦手だ。
選手は応援が励みになっているだろうが、プロなんだから、プレイに対する歓声でいい。

野球の魅力は、フィールドの生音だ。
ボールが 「バシーン」 とミットに収まった、あの渇いた音。
バットが 「カコーン」 と真芯をとらえた、むねのすく快音。
時には選手の息づかいを感じたり、プロ野球ならではの音があるんだ。

だから、ラッパや太鼓の鳴り物応援が激しすぎたり、ピョンピョン飛び跳ねている応援をしていては、   ディティールは見えないし、エンターティメントである前に、スポーツの緊張感も少し大切にしたい。

とかなんとか言いながらも、ボクはトーシローもいいところ。
だけど、全体を見ながら細部を見ると、意外と新しい発見があったりするから、野球はおもしろい。

その醍醐味、球場に足を運んでわかることもある。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

おふくろ

ボクらの世代、人気テレビ番組と言えば 「太陽にほえろ」

新人刑事の成長を同時に描く、ヒューマンドラマであった。
中でも 「マカロニ」 (萩原健一) 「ジーパン」 (松田優作) 「テキサス」 (勝野洋) ぐらいまで夢中で次第に番組から遠ざかったと思える。

3人に共通していることは 「殉職シーン」 で、それも皆まちまちだった。
「ジーパン」 は、シンコとの結婚を前にして、裏切りの銃弾に撃たれ、夕焼けの廃墟で寂しく逝った。
「テキサス」 も、銃弾に撃たれ、遠のく意識の中、刑事仲間に囲まれて逝った。

リアリティーあったのが、ショーケンこと、萩原健一が演じた 「マカロニ」
事件が解決後の帰宅途中、夜中にこっそり立ち小便をして振り返ったら、事件や怨恨とは全く無関係の通り魔に襲われたんだから、まさに孤独な犬死である。
本人いわく 「人が死ぬときはカッコつけていられない」 と。

マカロニとジーパン、ふたりの殉職シーンに共通していたのは 「おふくろ」 の存在。
マカロニは、最後に小さな声で 「かあちゃん」 とつぶやいた。
ジーパンも薄れる意識の中で 「おふくろ」 がよぎっていた。
生い立ちを、感じられる。

彼らが疾走した大都会は、高度成長期、真っ只中の東京の新宿。
男には 「望郷の念」 とりわけ 「おふくろ」 へは、造詣深いものがある。

5月10日 「母の日」 に投稿。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする