2015年04月15日

故郷冥利

今朝 (13日) の新聞で、新潟市議選の無所属の新人が当選したことを知った。

22歳のとき、任されていたお店に、常連客だった父親から手を引かれてきたのが、幼かった彼である。
「あのときの坊やか… たくましくなったなあ」 と思い起こし、12日の投票用紙にその名前を記入した。

本人は知るよしもないが、一方的な記憶はだれにでもあるだろう。
今のボクでさえ、父の 「ジュニア」 と称されることがあるからね。
係わり合いはどうあれ、名乗っていただいたからには、息子として敬意を払うのはあるべき仁義である。

少しだけ、昔話をする。
幼いころ、夕方になると大人のメイクに変身して、古町の職場へ向うのが母だった。
時代も時代であるから、陰で後ろ指をさされていたかもしれない。
だけど、同僚のきれいなお姉さん方には、かわいがってもらった。

もう、消息もなにもわからぬが、ひとりだけ小料理屋を経営する女将を知る。
ある日、店の灯りに誘われ、日曜不定休ののれんをくぐったことがある。
タイミングを見計らい、幼少時にお世話になったことを告げると、ガキだったボクを覚えていてくれており遠慮会釈なしに飲まされた (笑)
これも、故郷 (地元) 冥利に尽きるわけで、過去と現在がおりなす未来だったりする。

最近は、つきあいを損得勘定でしか、計れなくなった風潮がある。
いや… 昔からあったことだろうが、その考え方が激しくなりすぎていると思われる。
そんな、人への敬意とか、これからの願いは少しずつだが、砕けつつあると感じる。

これじゃあ、食い物に群がり、ど下品に食い漁るだけで、自分の味覚を持てなくなるのと同じでさ。
このあたり、若い男が新幹線のグリーン席で、ふんぞりかえっているような態度にも見える。
日本人は、粋にあこがれていながら、粋がわからないんだよな…

SNSばっかりにはまって、人と生身のつきあいをしないもんだから、そういうつきあい方をわずらわしいと感じるようになったんじゃないかな。
つまり、身近で共に役割を果たす年上の存在がいないから、何かあったとき八方ふさがりになるんだ。

一見、ムダと思える対人関係の中に、実はヒントがあったりするのに…   何か、もったいないね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする