2015年04月30日

やりがい

新潟県 「市町村議選挙」 (統一地方選挙後半) に、東京で同じ会社の同じ部に所属していた女性が三期連続で当選した。

結婚披露宴にも、個人的に招待したひとりでもあったから、その当選はいつもうれしく思っている。
当時の印象は、気立てのいい姉御肌で、後輩の面倒見のいいタイプだった。
聞くところによると、温泉宿の女将でもあり、その資質は女性の社会進出に適した人物でもあろう。

こうして、世の中を広く眺めていると 「ああ、あのときの彼女か…」 とか、夕方のローカルニュースでも「おー、出てるじゃん」 など、なりたい自分になった人もいるであろう。
また 「晩年はこうしたい」 とか、少し調整を考える年齢回りでもある。

だけど、なりたい自分、こうしたい自分を言い出したらキリないし 「オレはこうして食っていけるだけでも幸せだ」 と地に足をつけて、飾り気のない言葉に身がしみることもあったりする。
それに、なりたい自分をとっておくことも、考えのひとつだと思える。

人生語らずながら、いろんなやりがいや満足感がある。
ボクは 「この程度の人生なら、良しとして楽しく過ごさなきゃな…」 と思っている。
だから、人の人生に口出ししないし、することがあれば、どこかひっかかりを感じたときかもしれない。

お店でたとえれば、扉を開けて止まり木で、くだらない話を咲かせられるようになれば充実するだろう。
その意味では、お店の看板をつけることが、どこかやりがいにつながっているのかもしれないね。
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2015年04月29日

ごめんください

5坪ほどのシャレたCD雑貨店に入った。

こういう店は入りやすいんだけど、なにも買わずには少し去りにくかったりする。
店主もやり過ごすことに慣れているようだが、空気が流れていないと居心地がよろしくない。

客としては、掘り出し物を探し当てたいもの。
その際、社交的な店主ならいいが、仏頂面な店主だと空気も気だるくなる。
だからといって、四部咲きの笑顔で行動を追われると、気になって仕方ない。
このあたりは、見て見ぬフリされ、ほっとかれたいが、ボクも個人経営者のはしくれだ。

入店時に 「見せていただきますか」 と、断りを入れるぐらいが慣わし。
そうすると押し黙って入るより、安心感を持って招き入れてくれるものだ。
そのあとは自分のペースで、ゆっくりと商品を眺められる。

途中 「欧州ジャズが充実していますね…」 と声をかけたものの、すんなりと話に乗ってこないから、  この時間帯の店番であろうか、そこは割り切って、引き続き視線をもとに戻した。
数分後、お目当てのモノがなく 「ありがとうございました」 と会釈をすると 「またお願いします」 と  やわらかい声をおかれた。

この言葉のひびきは、昔の人間関係が根ざしていた光景と思ってもいい。
声かけは店側だけの専売特許ではなく、円滑に買物をできるための客側の知恵でもあった。
事務的な買いやすさ、ただ値段の安さとは違い、本来は 「ごめんください」 (新潟の文化) なんだ。

最近、世間を賑わせた、大塚家具の 「ダブルスタンダード」 みたいなもんで、どっちがいいとかでなく、どっちの敷居もまたげる感覚でいいと思う。
よいんがよかったから、また近くに寄ったら、ふらりと眺めるだろうね。

新潟には 「ごめんください」 という、いい言葉の表現があるではないか。
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2015年04月28日

無題雑記 7

26日 休日は久し振りに、ひとりで飲みに出かけた。

夜8時に自宅を出て、行き場所は古町、行く店は決めず。
天候がいいので、そのまま萬代橋を歩いて、見ごろのチューリップを眺めながら渡る。

日曜の夜にもかかわらず、歩いている人が多かった。
ジョギングをしている人、夫婦でウォーキングをしている人、サイクリングをしている人。
犬と散歩をしている人、スマホをいじりながら歩くおねえちゃん、休日の別れを惜しんでそうなカップル。
月曜の朝に向けた、それぞれの思いがあったりするのかな。

方や、居酒屋のカウンターで、文庫本を片手に 「たこわさ」 「たまご焼き」 をつまみに手酌のビール。
日曜だというのに、店内に賑わいがあるのは、給料日あけの天候のよさによるのだろう。

あたりを見渡すと、男ひとりで飲んでいるのはボクだけで、多くはカップル客と奥まった座敷の若者達。
それも、どこかの店の客と夜のご商売らしき男女のカップル、それと円熟味のある初老のご夫婦。
心なしか、その男女の距離が微妙に縮まって見えるのは 「春の陽気」 にも思える。

文庫本にも飽きたころ、話し相手がほしくなり、近くに住む柔道部の後輩に電話をかけた。
気がつけば3人、ウイスキーグラスが空になったのは、24時30分ごろ…
深夜、萬代橋を歩いていたのは、ボクひとりだけ。

赤ら顔に触れる、風の感触が気持ちよかった…
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2015年04月27日

野生時代

昭和49年 8月某日 金曜夜 …  その時刻は、きっと 「8時48分」 ころであろう。

小学4年生だったボクは、テレビの前で上下純白のデニムを鮮血にそめ 「なんじゃこりゃー!」 と叫ぶジーパン刑事の姿に呆然としていた。

先日、部屋を整理していたら、薄汚れたビデオテープが出てきた。
インデックスには 「ジーパンとシンコ、その愛と死」 と油性マジックで書かれていた。
そのままデッキで再生すると、新宿を疾走する24歳のジーパンこと、松田優作の若き姿が現れた。

人気テレビ番組 「太陽にほえろ」 ジーパン刑事が殉職する回の録画テープである。
あらすじは、同僚のシンコと婚約を決めたものの、一方では暴力団がらみの凶悪事件も抱えていた。
ヤマが動き出したときには援護が間にあわず、ひとりで暴力団と廃墟の中で銃撃戦をすることとなり、   ジーパンだけに助けを乞う、チンピラ青年を命からがら救い出したのだが…   やつは裏切った!

命の恩人であるジーパンに銃口を発射して、そのまま逃げ出してしまったのだ。
ジーパンは、なにがおきたかわからぬまま、逃げる青年の後ろ姿に 「待ってくれ」 と声をかけ続ける。
正気になったとき 「オレは死ぬのか…」 と泣きながら、失意のまま孤独に逝ってしまう。
ボクは子ども心に 「あの男、裏切ったんだ」 と思い、ジーパンが殺されたショックに震えた。

過去、何度も 「松田優作」 について書いた。
角川映画のハードボイルド、探偵物語のコミカルさもいいが、ボクの中では、野性味あふれるジーパン刑事こそ、高度成長期の新宿が似合う、正義の青年像として目に焼きついている。

89年 病で亡くなる、数ヶ月前のトーク番組で、その殉職シーンをワイブで見ながらこう言った。
「若かったね…」    映画 「ブラックレイン」 の撮影を終えたばかりだったから、こうもとれる。
「まだ、青いな」 「ヘタだな」 「ああ、こんなときもあったなあ」 「がんばっていたね…」 と。
人知れずに闘病生活を続けながら、ハリウッド俳優を目前にした心境からすれば、達観的であろう。
しかし、まさか自分が病で死ぬとは思ってなかった、そんな節もあるんだ。

そう考えると、青春の飢えと乾きを味わった男ほど、一瞬の閃光が凄まじかった気がするし、あとから   その時間の貴重さを整理できるようになれば、大人の時間が味わい深いものになると思える。

男は後にスタイリッシュになっても、バンカラ風な青年だったときには、野生の魅力に満ちあふれており、その意味では、大都会を疾走するジーパン刑事は若者の魂を揺さぶった 「完璧な青春像」 なのだ。
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2015年04月26日

新緑感覚

主役が交代した。

満開だった桜の木も、今では新緑香る葉桜になった。
東大通から、萬代橋の西詰めにかけた両側には、彩り鮮やかなチューリップが並んでいる。

毎年 「サクラ」 から 「チューリップ」 へ、花の王道が連係されると、初夏を感じるものだ。
これから 「ツツジ」 や 「キンモクセイ」 なども、主役をサポートするであろう。

準主役な樹木の中に、ラブラ万代の正面入口に植えてある、複数の木も同じこと。
花は咲かせはしないし、何の木かもわからないが、わざわざ調べる気もおきない。

だけど毎年、この木の新緑を見上げるたびに、不思議と生かされている感覚となる。
「ヨォ! 今年もオレはちゃっかりと、この街で生きているぞ」 … こんなセリフかな。

その木は、だれかが見とれたり、気づかれたりするほどの華やかさはない。
ボクと木にしかわからない、何となく存在をささえあっているような感覚。
だれでも、身近にフッと安心させてくれるような、人やモノ、自然って、あるんじゃないかな。

このところ、気候も安定して過ごしやすいと思いきや、お店の蛇口をひねるとまだまだ水は冷たく、    その濡れた手でガスの元栓をタテにした。

夜はまだ、肌寒いし、水がはっけ (冷たい) なあ… 
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2015年04月25日

公式文章

カチッとした文章は、どうも苦手なんだよな…

某ミニコミペーパーに、かんたんな挨拶文 (紹介文) を依頼された。
形式はフリーフォームながら、不特定多数に向けた公式文章は慣れていない。
いや、慣れていないというより、ひな型文はハッキリといえばキライなの。

こういうとき、学識のなさがバレてしまう。
挨拶と時系列、抱負をノンシャラリンと書いて、ハイ、おしまい…  ハハ、いいかげんなモンだ。
表現上の制約は、つまらないからね。

知っているかな…  演奏者の中でも、アドリブをできる人もいれば、アドリブができない人もいる。
昔、知り合いに音大出身の女性がいて、難易度の高いクラシックピアノの譜面はサラッと弾きこなすが、空白の部分になるとお手上げなんだ。

たとえば、決められた朗読が得意な人もいれば、時々に応じたフリートークが得意な人もいる。
大勢を前にプレゼンテーション向きな人もいれば、対話型でディベート向きな人もいたりする。
前者はステージ向き、後者は裏方向きとも言えようが、良し悪しでなく、その人のタイプであろう。

普段から目にしていながら、なかなか書けないのが、少し仰々しい 「公式文章」 だったりする。
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2015年04月24日

中学教師

夕方のニュースで、新潟市の中学教員がクラス全員に給食を食べさせず、減給処分にされたという。

その理由、教室のヒーターを破損した生徒がいたらしく、いさぎよく名のり出るまで、約4時間教室で缶詰にしたことを後日、親が体罰あつかいとみなし、教育委員会に訴えたとか。
その教師のやり方は不適切だけど、ボクはもしかしたら、こういう教師も必要なんじゃないかと思った。

普通なら、めんどうだと見て見ぬフリをするか、形式的に注意だけするか、問題を問題にしないだろう。
こうなると、生徒は 「ああ、この教師なら、何をしても怒らんぞ」 と、つけあがる。
だから、教師は真っ向から、生徒に善悪の区別をつけることを教えたかったものと思える。
なにも、犯人探しだけが目的じゃなく、傍観に対するわがクラスへの問い掛けもあったんじゃないか。
ただ… やり方がいけなかった。

その昔、学校でワルさしたら 「みんなで先生にあやまりに行こうか」 そんな仲間意識もあった。
じゃあ、あやまりに行って、先生が怒ったかと言えば 「しょうがねえなあ…」 ぐらいで終わり。
ちゃんと、おとしどころも考えていたと思うわけ。

それと、もし壊した現場を見ていながら、だれも気にとめない感じも気になったんじゃないかな。
もっと、クラスの絆のようなことを教えたいのだが、その先のPTAが理想論で居直ってしまうとかさ。
だけど… 指導が空回りした。

意外かも知れないが、ボクに子どもがいたら、こういう教師のもとにあずけたいね。
まず、子どもの心を折るような、陰険なイジメがおきない教室だろうと期待できるモン。

数年後… その生徒たちは、逆にこの教師に対して、申し訳ない気持ちになるんじゃないか。

最近の 「ロリコン校長」 「スマホ盗撮教師」 に比べれば、キチンと仕事 (教育) してるじゃん!
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2015年04月23日

威風堂堂

今朝 (21日) の新聞に、中央区で息子を名のる不審な電話が相次ぎ、注意を呼びかけられていた。
昨日 (20日) おふくろからの電話内容と酷似しており、念のため、もう一度クギをさしておいた。

個人情報の取扱に慎重をきする今、気軽な同窓会すらできないと聞く。
ボクの高校時代、卒業アルバムには、生徒の住所録が掲載されていた。
それもご丁寧に、進学先の大学名、それに就職先まで載っていたほどだ。
笑えるのが、大学受験に失敗した生徒の進路先は、「進学」 と記され、就職が決まらなかった生徒には「就職」 と記されていたこと。
それで 「あいつ、浪人生か…」 とか 「無職だぜ…」 など、広く知れ渡っていた。

そうすると今で言う 「ブラック企業」 らしき人から電話が来て 「一度会いたい」 となる。
喫茶店かマンションの一室に呼び出され 「羽ふとんは体にいいから」 とか 「友人を3人紹介すれば、リッチになれる」 だの、きちんと説明されない 「謎のご職業」 から、勧誘されるんだ。
ひどいのになると 「漁船に乗って、ビッグマネーをつかもうぜ」 なんてのもあったらしい。
名簿は金になるらしく、怪しいところに渡りやすい。

だけど、そんなに神経質になることでもないと思っている。
正直 「オレ (おまえ) の個人情報が、ナンボのもんじゃ」 な、開き直りがあるから。
まあ、営業活動に利用されたり、あるいは悪徳詐欺に利用されない保証はないだろう。
でもさ 「いらない」 「興味ない」 の一言で済むようなことのほうが、断然多いんだからね。
かんたんに言ってしまえば、昨日書いた 「無い袖は振れない」 で、突っぱねればいいだけ。
変な儲け話に反応したり、怪しいセミナーにつきあったりするから、だまされたりするんだ。

10年ぐらい前だったかな…
高校の同窓会名簿を作成したいので、該当する卒業生の連絡先を教えてほしいとの通知が来た。
この場合、女性の姓が、新か旧かで、結婚したかどうか、一般的に判断されてしまう。
後から聞いた話によると、一部の女性たちから、同窓会の幹事が猛烈な抗議をされたとか。
幹事の配慮のなさは否めないけど、人を探すということは、今の情報提供も必要となる。
人の琴線が有刺鉄線なみに、敏感になってしまったのも現代社会である。

男性論者の意見で恐縮だが、結婚してようがしてまいが、同窓会には関係のないことだ。 
「芸能人じゃあるまいし、その過剰意識の方をなんとかせい」 と思っちゃうモン。

職業柄、初対面のお客さんから、しつこくプライバシーを詮索されることがある。
普通は程度問題ながら、あんまり悪癖めいた質問をされると、うんざりしてしまうときもある。
答えることはかまわないが 「それを知ってどうしたいの…」 と言いたくなるときもあった。
いちいち知りたがる、いいたがる人も困るけど、ほどほどの距離感も大切だからね。

つまり、これら一連のこと、堂々としていたほうが、生きやすいのではないだろうか!
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2015年04月22日

不審電話

20日 おふくろから 「息子を名のる不審な電話がかかってきた」 と連絡が入った。

去年も、遠くに住む伯母から連絡が入り、同様の詐欺未遂はひんぱんにおきているようだ。
全くかすりもしなかったのは、適度に連絡を取り合い、状況を共有しているからであろうか。

数年前、自宅に不審な督促状が届いたことがある。
あることが有力な証拠としてわかり、個人情報が持ち出されたところが特定できた。

情報化社会の盲点ながら 「おかしいな…」 と思ったら無視するか、時間をおいて確認する。
人に相談するとか、ひとりで判断しないことに加え、開き直りは 「無い袖は振れない」 だ。

ボクの年齢で、息子をかたられてもなあ…
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2015年04月21日

中華祭り

酢豚 八宝菜 焼き飯 春巻 飲茶 海老チリ 北京ダック…

19日 小さな中華料理店で、複数の男女と円卓を囲んだ。
空腹を満たすだけの食事は味気ないが、食に酒、会話をエンジョイできる時間は大切である。

食事は、高くておいしいのはあたりまえ。
人つきあいを大切にするなら、手ごろな場所と会費で参加を募れば、そんなに欠けることはない。
だけど 「この人とつきあうとお金がかかりそう」 と、思わせたらダメなんだ。

「ママ友」 同士の悩みは、おたがいの顕示欲の違いで、次第に息が詰まってくるという。
気を許せるほど、せまい店だろうが、流行においていかれた店であろうが、一緒にすごせるだけでいい。
たとえば、高級車で気取った会話するより、軽自動車でアホな会話で盛り上がったほうが、楽しいモン。
だれかに見られる、見てもらいたいなど、ムダな自意識はないからね。

自分自身、そんなに年をとったとは思わないが、晩年に向けて、少しずつ気持ちを整えていくことは、   同世代が与えてくれる雰囲気だったりする。
もちろん、ボクも与える側にもなるんだろうが。

集いは楽しく飲みたい…  笑いすぎて、声が枯れてしまった。
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2015年04月20日

ああ夢中

夢中になれることはいいことだ。

NHK 「ドキュメント72時間」 で、コスプレをして、自分を楽しむ人々がオンエアされていた。
印象に残ったのが 「この時間のために、今の仕事をがんばれる」 という、若者の前向きな言葉。
世間でいう 「オタクの世界」 であるが、夢中になれる心を知れば、それは否定できることではない。

若いころ、柔道に夢中になってたとき、いつも 「道場の時計を止めたい」 と思っていた。
稽古で汗を流しているときだけは、一時的ながら、青春貧乏な悩みを忘れることができたからだ。
それが 「早く終わらないかな」 と思ったときは、もう夢中な時間は終わっている。

ボクはコスプレには、全く興味はないけど、夢中になれる純粋さはいいことだ。
だってね、好きなことをしているときの表情って、皆一様にいい顔をしているんだ。
いい表情には、いい表情が集うし、集えば楽しくなるし、楽しければ人生も充実してくる。

「あなたは夢中になれるものはあるか」 と聞かれ、スッと言える人はどれぐらいいるのかな。
なにも、趣味に限らず、好きな場所でも、好きな人であってもいいと思う。
もしも、自分自身にガッカリくるとしたら、夢中になれる時間や空間、好きな人がいないときだろうな。

夢中はリラックスにもおきかえられるが、自分を取り戻す意味でも、何か夢中になりたいよね。
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2015年04月19日

Jazz Talk Vol.56

過去 「ジャズの土台はベースがささえている」 ようなことを書いた記憶がある。

よく、ビートが良い悪いなどの言われ方をされがちだが、総じてベースをさしていることが多い。
それほど、ジャズにとってベースの役割は大きいんだと思う。

最初 「ジャコ・パストリアス」 を聴いたとき 「ベースとしての役割を果たしているんだろうか…」 と、 素朴に感じたが、18歳の耳ではわからなかった。
それに、ベースはリズム楽器でありながら、メロディー楽器にもなることも理解していなかった。
リズムはドラムとばかり、思っていたんだからね。

先週 N瀬さんから 「ミシェル・カミロ・トリオ & ビッグバンド」 (ライブCD/DVD) を、伸び伸びと 鑑賞させていただいた。  (この映像は見れてうれしかった)
以前、スタジオ録音盤は聴いたが、ライブ映像ははじめてながら、リズムセクションが超骨太であると、プラスセクションが映えることを感じた。
それに、瞬間の決め所が多くて、タイム感覚といい、アドリブセンスが高いから 「猛グルーヴ」 する。
しかも、ビッグバンドは音量が大きいため、リードセクションがブロウしないと、迫力負けするからね。

それらを包括的にコントロールした 「ミシェル・カミロ」 は、バンドリーダー 兼 コンポーザーとしての才能もあますところなく発揮している。
その土台のひとり 「アンソニー・ジャクソン」 には、エレクトリック も アコースティック もなく、ベースとしての、真髄を感じずにはいられない。

ボクの好きなドラマー 「クリフ・アーモンド」 が、バネの効いたしなやかさを存分に発揮できるのは、 現在の超絶ピアニスト 「上原ひろみ」 のように、アンソニーのリズムに絶対な信頼感があると思える。



いかにも、ビッグバンドの 「ド迫力なせめぎ合い」 こそが、大きな見どころ聴かせどころである。
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2015年04月18日

調和世代

近年 70〜80年代のアイドルたちが同窓会ツアーと称し、当時のファンを熱狂させているとか。

懐古趣味はないので、そういうイベントやコンサートには興味がない。

同窓会なんかでも、ビシッとフォーマルなスーツやワンピースなんか着て、会場周辺でソワソワしている姿を見かけたことがあるけど、アレって 「あの人は今」 の出待ちみたいでカッコ悪くねえか…

そのあとカラオケにでも流れて 「あずさ2号」 や 「卒業写真」 とか 「カナダからの手紙」 なんかさ、小指を立ててデュエットでもした日にゃ、どこか遠い世界に連れて行かれそうでさ…

もしかしたら、昔、寝た女が来ていたら、何かバツがわりいじゃん…
若さに任せ、洗いもしない体を重ね合わせてたとしたら、なおさらでしょ (断言するが、オレはないよ)
それと、過去にしでかした、自分のカッコ悪さを思い出すようでさ。

ボクは、30代の後半から、集団催眠にかかったようなノリができなくなってきた。
カラオケで全員して熱唱したり、スポーツ観戦ではじけたり、スローガンを掲げたパフォーマンス性の   あるものまで含めれば、とことん冷めてきた。

そういえば、M沢さんがこんなことを言っていたなあ…
ボクら新人類と呼ばれた世代は、極めたスポ根世代でないし、極めたシラケ世代でもないようなことを。
昭和の少年期から、平成の青年期を経験して、どこか二つの価値観が細胞分裂しているような感覚。

ちゃぶ台の味噌汁の味もわかるし、ドレスコートのポタージュの味もわかる。
繊細にして大胆で、仕事をしたら遊び、肉を食べたらそのぶん野菜を食べるようなところもある。
ニュアンス的には、中間的な環境を楽しんで、ボクは過去の遊びにフラッと戻る気はないんだ。

それでも、同じ世代を見渡すと二つの性質が 「調和的」 になってきているようにも感じるけどね。
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2015年04月17日

バス酔い

週1日、バスで30分ほどの場所まで往復している。

行きは交通状況が良く、乗客も少ないから到着は早いが、帰宅のピークと重なると事情は異なる。

今日 (15日) は、3時すぎから雨が降りだしたため、中心部へ戻るにつれて次第に交通量も多くなり、傘のしずくを垂らした乗客も増えて、いつのまにか車内が蒸し風呂状態となってきた。

それに、前列に座っている若い女性の香りと、せんたくの生乾きのような臭いも混じり合い、蒸した空気に乗って、鼻腔を突いてくる。

しかも、信号の廻り合わせも悪く、ひんぱんに短い揺れも生じたため、いよいよ気分がめいってきた。

そんな、繰り返しで、乗車時間が40分オーバーとなり 「これが、バス酔いか…」 と、初めての気分に とまどいながら、降りた万代のバス停で大きく深呼吸をした…

次回、乗るときは 「オレは乗り物に酔わないんだ」 と自己暗示をかけて防衛策とする。
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2015年04月16日

旬の食材

春なのに寒いが…
この2日間で、何杯ホットコーヒーを飲んだかな。

春が旬の食材は…
夕方のスーパーで、妻が 「キャベツ」 と 「タケノコ」 を、買い物かごに入れた。

わが家では、やわらかい春キャベツは、春巻きの具として使う。
タケノコは、茹でてから、しょうゆとかつおぶしでもかけて、食卓に上がるのかな。

タケノコご飯もいいが、ボクには味が薄く、紅しょうがやしょうゆを注してしまう。
舌の好みは、濃味と薄味に分かれているから、味つけは自然といい塩梅に仕上がる。

味覚の合う男女は、上手くいくといわれる。
一緒に暮らす上で、食の好みは原点でもあるから、わからなくもない。
だが、一番大事なのは、適度な会話をしながら、楽しく食べることだと思っている。

味覚は嗜好だから、うまいまずいを言い出したら、キリがなくなる。
食の充実は、穏やかな食卓ムードでもあるから、味覚に文句ばかり言うのは見苦しい。
だから、一度も食事に文句を言ったことはないし、言うとしたらやんわりと伝えるのが食卓だと思う。

食事は自分の時間でもあり、相手の時間でもあるから、旬の食材はおいしく食べたいもんだ。
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2015年04月15日

故郷冥利

今朝 (13日) の新聞で、新潟市議選の無所属の新人が当選したことを知った。

22歳のとき、任されていたお店に、常連客だった父親から手を引かれてきたのが、幼かった彼である。
「あのときの坊やか… たくましくなったなあ」 と思い起こし、12日の投票用紙にその名前を記入した。

本人は知るよしもないが、一方的な記憶はだれにでもあるだろう。
今のボクでさえ、父の 「ジュニア」 と称されることがあるからね。
係わり合いはどうあれ、名乗っていただいたからには、息子として敬意を払うのはあるべき仁義である。

少しだけ、昔話をする。
幼いころ、夕方になると大人のメイクに変身して、古町の職場へ向うのが母だった。
時代も時代であるから、陰で後ろ指をさされていたかもしれない。
だけど、同僚のきれいなお姉さん方には、かわいがってもらった。

もう、消息もなにもわからぬが、ひとりだけ小料理屋を経営する女将を知る。
ある日、店の灯りに誘われ、日曜不定休ののれんをくぐったことがある。
タイミングを見計らい、幼少時にお世話になったことを告げると、ガキだったボクを覚えていてくれており遠慮会釈なしに飲まされた (笑)
これも、故郷 (地元) 冥利に尽きるわけで、過去と現在がおりなす未来だったりする。

最近は、つきあいを損得勘定でしか、計れなくなった風潮がある。
いや… 昔からあったことだろうが、その考え方が激しくなりすぎていると思われる。
そんな、人への敬意とか、これからの願いは少しずつだが、砕けつつあると感じる。

これじゃあ、食い物に群がり、ど下品に食い漁るだけで、自分の味覚を持てなくなるのと同じでさ。
このあたり、若い男が新幹線のグリーン席で、ふんぞりかえっているような態度にも見える。
日本人は、粋にあこがれていながら、粋がわからないんだよな…

SNSばっかりにはまって、人と生身のつきあいをしないもんだから、そういうつきあい方をわずらわしいと感じるようになったんじゃないかな。
つまり、身近で共に役割を果たす年上の存在がいないから、何かあったとき八方ふさがりになるんだ。

一見、ムダと思える対人関係の中に、実はヒントがあったりするのに…   何か、もったいないね。
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2015年04月14日

無題雑記 6

12日 日曜は晴天に恵まれ、妻と花見を兼ねて徒歩で一路、白山公園まで散歩をしてきた。

やすらぎ提 (西詰め) の桜も満開となり、芝生でくつろぐ家族連れ、ベンチでやすらぐ老夫婦、    犬とたわむれているカップル、桜ロードを走るマラソンランナーなど、春の交わりが息づいていた。

そんな光景を横目にしながら、花見客で賑わう白山公園では開いた空間も少なく、そのまま白山神社の境内でお参りを済ませ、古町をぶらついて帰宅。

新潟市は観光名所がないといわれるが、意外にも 「こんな身近にあるんだ…」 と思わせられた。
観光ニーズやスケールにもよるけど、ボクはパフォーマンスを求めていない。
生活を観光に変えているので、地域に点在するシンプルな場所で気分は足りている。
観光の魅力、見果てぬ地への夢とか憧れなど、娯楽上の問題ではないんだ。

これからは、居住区の 人 モノ 自然 に、囲まれて過ごすようになってくる。
社会距離をあやまらなければ、人は近くにいる人と自然に交じり合うものだ。
感覚的には似たようなもので、人から必要とされる生き方をしたいと思う。
ボクは当時、新潟の風土が肌に合わず、東京に出たクチだから、自分でも意外なんだけどね…

正直、ここ5年ほどで、オレ…  新潟のこと知っているようで、知らなかったと思ったモン。
車の走行速度と動体視力の関係の如く、目的地に着くことにとらわれていたのかも知れない。
このあたり、自転車に乗るようになってからだし、命の尊さを経験したり、人情の機微に触れたりさ…
どこか自分でも気がつかないうちに、静かに視点が変わったみたいである。

少し歩きつかれて、夜はめずらしく外出しなかった。
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2015年04月13日

江戸っ子

春先、感傷的になるのは、人それぞれに別れがあるから。

店をやっていれば、お客の顔ぶれも代わり、転勤族であれば、期限つきの親しさに一喜一憂する。

親しさに程度あれ、芽が出かけたのに拍子抜けな別れもあれば、何も告げられず消滅することもある。
また、新潟にうまくとけこめずに、気分的には完敗状態で、次の赴任地へ移動する人もいる。
そうかと思えば、新潟で新鮮な生き方を発見して、新天地へふみ出す人もいる。
その思いはどうあれ、新潟にいたことは、あとから実感することだと思う。

ボクより、5歳年上の某新潟支店長が転勤で新潟を離れることになった。
あとは近日中に住まいの鍵を不動産屋に返し、来週にはネオンの彩が豊富な街にいることであろう。
年齢や肩書を意識することなく、ジャズ好きが高じた時間を共有できたのが、率直な気持ちである。
そのおかげで、フリージャズ系に好奇心を持てたし、ボキャブラリーが広がったことも大きい。

時計の日付が 「11日」 に変わるころ。
「会うのは、きっとこれが最後になるんだろうな」 と思いつつ、ちょうど店に手伝いに来ていた妻とボクに満面な笑顔を向けて、粋に別れを告げるところが、Eさんの 「江戸っ子」 らしさだと思えた。
「チック・コリア 新潟公演」 を一緒に聴きに行ったことが、いい思い出になっている。

翌朝、カーテンを開けたら、雨空の下、満開の桜がユラユラ揺れていた。

 
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2015年04月12日

校長先生

10日 金曜日 どこの酒場でも、この話題は取り上げられていたであろう。

元校長64歳が、28年もの間にフィリピンで児童買春しており、その数1万2千人以上、下は13歳、上は70歳までも相手に、15万枚にもおよぶ、思い出ビデオを撮影してコレクションにしていたとか。
その証拠を押収した警察も、途中から発狂したんじゃねえの…

元教え子の女性によると 「私たちも、そういう目で見られていたとしたら、気持ち悪い」 とコメント。
それが、男の本音になると、生態系の本能だから 「そんなことできて、うらやましい」 になるんだ。
誤解しないでほしいが、男ならだれでも快感を求めたいが、それをさせない自分がいる。

自分を抑えることで、世の中の仕組が成り立ってるから、そのタガをはずしたときから、エロスの欲望に転落していくんであってさ。
責任を持てれば大人の秘め事でいいけど、大人を相手にできない児童買春なんて、カッコ悪いじゃん。

これじゃ、東南アジアに旅行する男は好奇な目で見られるだろうし、フィリピンからすれば、日本の男はどう思われているんだろうね。
掘りの中でもランクがあるらしく、婦女暴行や性的犯罪は他の受刑者から、一番バカにされるという。

中学時代、プール授業の合間に女子更衣室へ、外部から何者かが侵入したらしく、ゴッソリとパンツを持って行かれて、不気味な騒ぎになったことがある。
こういう事件を知ると、コレも 「もしかしたら、教師が犯人だったんじゃねえの…」 と思ってしまう。

最近でも、教え子にラブメールを送りつけたり、ついに男子生徒にもワイセツ目的で手を出したりなど、思春期の目覚めじゃあるまいし、殿堂入りの 「スペシャル・ティーチャー」 ばかりだ。
まあ、昔からあったと思うけど、今は情報が発達したから、すぐに大っぴらになる世の中である。

こうなると、職業以前の問題で、生徒と向き合っている教師まで、そんな人格呼ばわりされてしまうようで心苦しいし、本来、教師は父兄や生徒、社会からも尊敬と信頼を得ていた時代もあった。
当店のお客でもある教職の方は、生徒に勉強や部活を通した達成感、対話力を伝えているからね。

さっきの話に戻せば、リフレッシュの仕方を考えないと、晩年になってから、そんなことで 「レジェンド」 呼ばわりされたら、たまったもんじゃねえわなあ。
それにさあ…  児童買春に没頭している、自分の姿を見れば、みっともなくねえか。

上は70歳…  この元校長先生、どんだけスペシャルなんだよ!  (笑) 
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2015年04月11日

選挙公報

新聞で県議会の広報が発行されず、有権者から 「訴えを知る機会がない」 と声が上がっているが、   もっともな意見だよな。

中央区市議選の、選挙公報は読んだ。
政策アピールはわかったけど、これだけじゃ候補者の資質がまるで見えない。
街中の演説はたいそうだけど、ディベート力がわからないんだ。

民意を吸い上げて、議会に提出するまでなら、コレ、手続きだよね。
しかし、本当の能力は実行上、理論的に説得できる、ディベートにあるんじゃないかなあ。
それに、人望を得られる質疑応答じゃないと、伝わるものも伝わらない。
だからと言って、正論と詭弁に酔いしれられても困る。
言葉に確信がこもっている人を支援するべきだと思う。

理論上、投票基準の絶対条件のひとつに 「しゃべれること」
候補者の経歴は参考ながら、顔写真の良し悪し、学歴や前職なんて付録だと思っている。

例えば、政見放送などで、ひとりパフォーマンスを見るぐらいなら、朝までテレビ方式で、選挙前の論戦 (前哨戦) を聞いてみたい。
候補者をひとつのテーブルに着かせ、複数テーマで議論させれば、議員能力はすぐにわかるでしょ。
選挙前の前哨戦は、遊びじゃねんだから、そのうち必要になってくると思う。

それは、だれでも立候補できるものではない、資質とか抑止って部分を見極める意味もある。
近年の議員は、記者の質問に号泣したり、セクハラヤジを飛ばしておきながらすっとぼけていたり、    女子中学生とラインでトラブルを起こしたり…  なんじゃらほい ?
有権者に電話で世論調査をするんだから、市議選でも候補者調査をしてもらいたい。

広報や演説は、筋書きモノだから、ディベート力とは思えない。
最近では、投票率が少しアップしているらしいが、それは 「ハードな部分」 が進化したからであって、決して 「ソフトな部分」 が伝わったからじゃない。
投票率を上げたければ、立候補者の政策議論をさせるべきなんだ。

そうならないと、結局は表紙 (ポスター) で、選ばれるようなもの。
これじゃ、供え物を選ぶのと変わりはないし、政党公認は包装紙みたいなものでしょ。

3日の記事とは、対極的な内容を記したけど、これが車であれば 「情」 と 「理」 は、両輪になるから、どちらにも偏りすぎない、バランス軸は必要だと思っている。

選挙当日、棄権はしないし、白票を投じることもせず、自分が住む地域だから、だれかには投票する。
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