2015年02月27日

更年期と思春期

思春期の難しい年齢を、子にもつ親を何人か知る。

思春期では、心と体のバランスが崩れ気味で、ちょっとしたことでも勘に触るようになる。
だからと言って、思春期の不機嫌を容認する風潮を許すと大変なことになると思う。

もしも、ボクの子どもがクラスでいじめを受けていたら、間違いなく学校に乗り込むだろう。
だけど、学校にクレームだけ入れて、「あとはなんとかしろ」 で、教育を放り投げたりしたくない。
それをやったら 「親と先生にチクった」 と言われ、今度は違った陰湿ないじめを受けるから。
このあたりは、「あの親父は手ごわいぞ」 ぐらいの感覚を、与えておくことが有効だろう。
その代わり、担任の先生を尊重する態度で一緒になり 「問題解決」 する姿勢はとるべきだ。

逆に、わが子がいじめに加わっていたときほど、親父の力量が試されるもんだ。
仏も鬼にならなきゃいけないときがある。
昔の筋金入りの親父なら、子どもが学校や地域で悪さでもしたら、事実確認をした上で、「あー、先生、ヤキを入れてもかまいません」 ぐらいのことは平気だった。
言動は物騒だけど、親も先生も歯止めは利いているわけで、その愛情に潔く反省するのがならい。
こうして、おとしどころを探っていくのが、ひとつの対応だったりしたものだ。

今は、いじめた側の親が一方的な主張を繰り返し、時には親子で言い逃れを考えてくるとか。
謝罪を負け組と思っているのか、格差社会の上から目線なのか、少し考えればわかりそうな子どもの    ウソまで、「ウチの子はそうは言ってなかった」 の一点張りだともいう。
これでは話合いも何もあったもんじゃないし、その態度もなぜか堂々としたものらしい。

その昔、漫才師の横山やすしの息子が、六本木の街中で酒に酔って、無抵抗なタクシーの運転手を     相手に、命にかかわるほどの暴力事件を引き起こしたことがある。
そのとき、親として警察へ出頭するときの態度が傲慢で暴力的だったため、「父親として事の重大さを   わかっているのか」 とマスコミから叩かれた。
ボクでさえ 「親の巧みな演出で、共感を得ようとしているのかな…」 とも思った。
当時、勘違いした父親像が社会風刺されていたけど、現代社会においては気性的に激しいところは     見せないが、親の内面が作為的になっている気もしなくはない。

こんな話がある…
子どもが学校で悪さをして、同様に保護者も呼び出しを喰らったあとの帰り道。
普通の中華そば屋に入り、父親は自分のチャーシューを息子の丼に 「ホラッ…」と投げ込んだ。
親子に会話はないが、子どもが心から反省したことがわかったから、自分の分を分け与えたと思う。
それは、おたがいの気持ちが合ったからで、ボクが思う本当の教育は 「金の匂い」 がしないんだ。

それこそ 「更年期の親父」 と 「思春期の息子」 との戦いである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする