2015年02月10日

命の使い方

世の中、間違っちゃいないけど、正しくもないことってある。

外務省は生命の保護を理由に、中東への渡航を自粛するように促している。
憲法が定めるところによると、渡航の自由は保障されているが、法律に違反さえしていなければ権利を行使するでは済まない状況にあるため、自由という言い分は個人的に釈然としない。

動機はともかく、冬山スキーの禁止区域へ無断で侵入して、後々救助を必要とすることがあった。
自分の感情には忠実だけど、他人からすれば過信が無謀に映るから、それこそ命の使い方である。

自由なる既得権をわからぬわけではないが、外務省は命に毅然と対処したと思っている。
今後は未然に防ぐためにも、強権で断固と取り締まるべき意見も検討されているという。
何も永久的な対応ではなく、生命の保護を前提とした暫定的な安全措置である。

イスラム国の事件でわかったのは、日本の常識 (メンタリティー) は、世界では通用しないこと。
話合いだけでは平和を保てない現実ながら、日本は争いに加担しない勇気をもっている。
だからこそ 「日本らしさ」 という実体が揺れ動いているのも、コレ 現実なんだ。

報道の自由は表現の自由であり、それこそジャーナリズムの拠り所だろう。
だが、仮に見えないものを伝える報道の使命感にかられても、本人がピンボケして横槍を入れてないか冷静に見極めなきゃならないことはあると思う。

自身、歯止めの利かない政治談議をしたことはないが、日本国民があまりにも悲しみにうちひしがれただけに、命の使い方について考えてみたいと思った次第だから。

個別な思いを、いかように受け取られるのは自由だが、求めてもいない意見は不本意である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする