2015年02月28日

2015 March

ジャズをBGMにお酒を愉しみ、健全な会話で寛ぐ大人の空間

(3月 定休日)     
       1日(日) 8日(日) 15日(日) 22日(日) 29日(日)

 住所     新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話     025−247−1644
 営業時間   19:00 ⇒ 26:00 (平日・祝日) / 27:00 (週末・祝前日)
 定休日    日曜 (連休の場合は営業致します) 
 客席数    カウンター10席  ボックス席


 (取扱いメニューの一部をご紹介いたします)

 【チャージ】  ¥600 

 【ビール】 ・カールスバーグ ・クワーズ ・ハイネケン ・ギネス ・シメイ ・デュベル 他

 【アイラ】 ・ラフロイグ ・カリラ ・ボウモア ・アードベック ・ラガヴーリン 他

 【スペイサイド】 ・クラガンモア ・マッカラン ・グレンリベット ・グレンフィデック 他 

 【ハイランド】 ・グレンモーレンジ ・タリスカー ・オーバン ・スキャパ 他

 【ローランド】 ・オーヘントッシャン ・トバモリー ・グレンキンチー 他

 【キャンベルタウン】 ・スプリングバンク ・ヘーゼルバーン 他

 【スコッチ】 ・デュワーズ ・シーバスリーガル ・バランタイン ・オールドパー 他

 【アイリッシュ】 ・ブッシュミルズ ・ジェイムソン ・カネマラ ・ターコネル 他

 【バーボン】 ・ブッカーズ ・ベーカーズ ・ノブクリーク ・メーカーズマーク 他

 【ジャパニーズ】 ・余市 ・宮城峡 ・伊達 ・山崎 ・白州 ・響 ・イチローズ 他

 【カクテル】 ・ミントジュレップ ・ゴッドファーザー ・ラスティネール ・ロブロイ 他

 【フード】 ・オリーブ ・オイルサーディン ・ピクルス ・レーズンバター ・ピザ 他

                              メニュー表 ご用意しております。
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2015年02月27日

更年期と思春期

思春期の難しい年齢を、子にもつ親を何人か知る。

思春期では、心と体のバランスが崩れ気味で、ちょっとしたことでも勘に触るようになる。
だからと言って、思春期の不機嫌を容認する風潮を許すと大変なことになると思う。

もしも、ボクの子どもがクラスでいじめを受けていたら、間違いなく学校に乗り込むだろう。
だけど、学校にクレームだけ入れて、「あとはなんとかしろ」 で、教育を放り投げたりしたくない。
それをやったら 「親と先生にチクった」 と言われ、今度は違った陰湿ないじめを受けるから。
このあたりは、「あの親父は手ごわいぞ」 ぐらいの感覚を、与えておくことが有効だろう。
その代わり、担任の先生を尊重する態度で一緒になり 「問題解決」 する姿勢はとるべきだ。

逆に、わが子がいじめに加わっていたときほど、親父の力量が試されるもんだ。
仏も鬼にならなきゃいけないときがある。
昔の筋金入りの親父なら、子どもが学校や地域で悪さでもしたら、事実確認をした上で、「あー、先生、ヤキを入れてもかまいません」 ぐらいのことは平気だった。
言動は物騒だけど、親も先生も歯止めは利いているわけで、その愛情に潔く反省するのがならい。
こうして、おとしどころを探っていくのが、ひとつの対応だったりしたものだ。

今は、いじめた側の親が一方的な主張を繰り返し、時には親子で言い逃れを考えてくるとか。
謝罪を負け組と思っているのか、格差社会の上から目線なのか、少し考えればわかりそうな子どもの    ウソまで、「ウチの子はそうは言ってなかった」 の一点張りだともいう。
これでは話合いも何もあったもんじゃないし、その態度もなぜか堂々としたものらしい。

その昔、漫才師の横山やすしの息子が、六本木の街中で酒に酔って、無抵抗なタクシーの運転手を     相手に、命にかかわるほどの暴力事件を引き起こしたことがある。
そのとき、親として警察へ出頭するときの態度が傲慢で暴力的だったため、「父親として事の重大さを   わかっているのか」 とマスコミから叩かれた。
ボクでさえ 「親の巧みな演出で、共感を得ようとしているのかな…」 とも思った。
当時、勘違いした父親像が社会風刺されていたけど、現代社会においては気性的に激しいところは     見せないが、親の内面が作為的になっている気もしなくはない。

こんな話がある…
子どもが学校で悪さをして、同様に保護者も呼び出しを喰らったあとの帰り道。
普通の中華そば屋に入り、父親は自分のチャーシューを息子の丼に 「ホラッ…」と投げ込んだ。
親子に会話はないが、子どもが心から反省したことがわかったから、自分の分を分け与えたと思う。
それは、おたがいの気持ちが合ったからで、ボクが思う本当の教育は 「金の匂い」 がしないんだ。

それこそ 「更年期の親父」 と 「思春期の息子」 との戦いである。
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2015年02月25日

傍観者達

川崎で発生した 「中1殺人事件」 は、容疑者が未成年の可能性が高いため、裏づけ捜査が慎重だ。

「事後証言」 が上がってきた。
思うことは、少年のSOSを見聞きした時点で、どうしてしかるべきところに伝えなかったのだろうかと。
また、満ち足りてるSNSなのに、どうしてこういうときに活用しなかったのだろうか。

くだらん文章のやりとりは得意だけど、不測の事態で知恵を合わせられなければ、今流行のラインは    「おバカのおもちゃ」 かと思えてしまう。

顔面をはらしていたり、迫り来る恐怖を友人にもらしていたにもかかわらず、彼の声はだれにも拾って   もらえなかったとしたら、こんなにかわいそうなことはないだろう。
仲間と称しながら 「だれも気にとめない」 「慰めもしない」 ボクはそんな風潮のほうが気になる。

親の正式なコメントは届いていないが、考えてみればイジメ (未成年犯罪) は、学校だけで解決できる問題ではあるまい。
思春期の子どもは、正直に話をしない。
言える相手がいるとすれば 「マン・ツー・マン」 で、向き合ってくれる人だけじゃないか。

つまり、信頼関係のことだ。
その信頼を得るための努力をすべき、親や教師、友人らがいるはずだが、彼から目を背けてしまったら他にだれを信頼すればいいんのかって話である。

グレーゾーンの言い方をすれば、クソ真面目だった男ほど、変化を見過ごしやすい。
むしろ、少し不良だった男のほうが、変化に敏感で見破るからね。

チクる (告げ口) ことは、裏切りの意味ではない。
有力な情報を提供することは、正義感の表れだから、知らせる意味で臆することはない。
コトと次第によっては、伝えるタイミングを逃してしまうと、生涯 「申し訳ない気持ち」 を背負って生きることにも、つながりかねないから 「思い立ったときに言わないと手遅れ」 だと思う。

事件の全容が解明されるまでは、そう時間はかからないだろう。
個人的には、つながりのない社会が引き起こした、悲劇であると思っている。
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2015年02月24日

7 Th Anniversary

ボク自身、そんなに齢をとったとは思っていないが、一般的に 「人生80年」 で語られる。

50歳であれば、残りの人生30年となり、健康 (気力) 年齢で考えれば、薄氷をふむ気分になる。
気がつけば、そんなことをボンヤリと考える年齢になっていた。

先週 高校時代の友人が懐かしい方を連れ添って、早い時間に顔を出してくれた。
思い出を語るとき、それが真実であるかどうかなんて、もう笑い飛ばせるものだ。
それもまた、半世紀生きたひとつの余裕となる。

それでも 「そんなこと、言ったっけなあ…」 なんてことは、話の端々で感じることもある。
修正したい過去はないが、記憶面は語った本人より、聞いた本人の信憑性が高かったりするもの。

「高校時代から、ジャズの店をやりたいって、話をしていたよなあ…」 と。
高校時代、ノンキな夢を描いていたが、警察官志望だったので、生真面目に柔道だけは続けていた。
しかし、一発 デカイ停学を喰らったから、採用試験に影響が出ないことを願っていたような。

ジャズは好きだったので、将来の夢を語る上では 「二番煎じ」 な言い方をしたのかも知れない。
友人が話を続けるには 「こうして周囲に公言したことが、明白な事実になって今があるんだ」 というが当人のボクに記憶がないんだからね…

現実的に将来の夢なんて、世の中のスピードや価値観の多様性によるところが大きいわけだし、家庭を持てば多くを得る代わりに、あきらめなきゃいけないことも出てくるだろう。
突然、身に降りかかった出来事、人との出会いに一喜一憂し、会社や家庭の変化で生活が左右したり、もちろん時代の影響も強いであろう。
そのあたり、メンタル面では妻の存在が大きいが、これからは孤独と向き合える強さも大切になる。

開店8年目を迎えた…
これまでは 「たかが、数年…」 と周囲の祝辞に恐縮していたが、某氏によると 「あの不況のどん底で開店したんだからなあ…」 と述懐していただいたことが、リアルに時の流れを実感できた。

「10周年だけは、店を休んででも、ささえてくれたお客さんと盛大にやりたいですね」
「そうか、またひとつ目標ができたね」  … こうして 「三年後の2月22日」 を確認した。
そんな会話ひとつ、言葉で励まされ、行動で真実を知るのかもね。

最初の切り口に戻れば、不慮の出来事でもない限り、人生の終末は誤差の範囲で決まっている。
おかしなもんで、人間はケツが決まるとブレなくなる。
われわれの世代、覚悟とか見誤らない成長の中で、わずかな休息を求めていると思う。
「ちょっと、飲みに行ってくるわ…」 そんなありふれた日常が小さな楽しみになるんだ。

そのためにも、人と共感できるバー (止まり木) で、在りつづけたいと思っている。  
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2015年02月23日

8/1 ピース

22日 開店7周年を迎え、前夜はお客さんの温かさに包まれた。

夜がふけるにつき、一人 またひとりと帰宅の路につき、片づけが終わったのは4時近く。
音楽を切って、照明を下げたカウンターに腰かけて、首まわりを少しゆるめる。
グラスにバーボンと余ったソーダを注ぎ、ボッーとくつろいでいた。

フッと思い出したのが、W部ご夫婦から頂いた ホールケーキ。
最後に残された 「8/1ピース」 を手もとに置き、フルーツのデコレーションが横倒しにならないように、慎重にミニフォークを入れながら、小さく口元へ運ぶ。
積み木崩しで遊んでいるかのように、童心に戻りゆっくりとケーキを味わう。
みんなで仲良く分け合った、最後のピースがこんなにもおいしく感じたのは、久し振りだった。

その脇には、H施さんから頂いた、風水カラーのかわいい 「縁起だるま」 が二体。
色それぞれに思いがこめられており、緑色は 健康祈願 黄色は 生命躍動
妻が大病した後なので、そんな願いがこめられていたとしたら、人は気持ちでつながっていることを感じ添えられていた自筆の便せんに胸中が記されていた。
後日、妻と一緒に 「目入れ」 をした。

彼女を同伴してくれた、34歳になるO橋くんとは世代を越えて、もう15年ほどの知り合いになる。
出会った当時、大学生だった彼も、今では一児のパパとなり、新しい環境でがんばっている。
いつも顔を合わせる間柄ではないが、機微に自然と寄り添えるのは、それまでの感情にもよるだろう。
立場や年齢に臆することなく、肩の力を抜いて、おたがいに個性の違いを認識しあったとでもいうか。

こうして 「今」 を感じるのは、個性的な人生を歩んでいる人たちのおかげかも知れない… ありがとう。
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2015年02月20日

ボウリング

大人だから、もっと遊ぶべきだ。

毎週金曜日のテレビ番組 「ドキュメント72時間」 を録画予約して見ている。
過去、新宿の歌舞伎町にある、閉鎖をまじかに控えた 「ボウリング場」 の人間模様を取材していた。

閑散とした場内では、一組の団体客が会社の親睦会を楽しんでいた。
ピンアクションの度、大きな拍手と歓声が上がり、ガーターでずっこけるのはお約束。
ストライクでハイタッチする姿は、エネルギーが満ち溢れている。

そんな光景を見ながら思った。
会社は世代を越えて、ああして笑いあったり、本来は自然に対話できるところなんだなと。
仕事の厳しさは排除できないけど、仮に自分のスコアが悪いのを他人のせいにしたり、不機嫌な風潮を容認するようなことなく、チームリーダーを中心とした結束感なんだなと。

これまでに、見聞きした光景を思い浮かべると、職場の中にそういう雰囲気がないと逆に生産性が下り、小さなロスが生じていくことは、だれもが何となく感じているものだ。
程度問題、適度な雑談は風通しがいい証拠だから、仕事が機能していると思う。
それに、ムダ話が飛び交っているチームのほうが、仕事の成果が高いことが実証されているらしい。

個人では、コミュニケーションの重要性に気づいているが、どうしていいかわからないんだと思える。
現代社会、コンピューターと向き合うだけの仕事もあれば、だれでもスマホを持ち歩ける時代である。
そんな便利に慣らされすぎると、会話がわずらわしいものになり、終いには対人音痴となる。

現代は 「コミュニケーション クライシス」 である。
その知恵を記せるほどスキルはない。
だけど 「たまにはみんなでボウリング大会でもやったらどうだ」 ぐらいなら言えるかも。
一緒に汗を流せることは、それまでのことも水に流せると思える。

その昔、笹口にあった 「新潟アイスリンク」 の CMコピーを覚えているだろうか。
「滑って 転んで ヤッター アイスリンクに連れてって…」  滑って、転んで、ヤッターだよ!
「丸大ハム」 の CMは親子で焚き火をしながら 「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」
見方として、勉強は賢くても 「逸ノ城」 ぐらいわからないようじゃ、子どもとして可愛げがない。

大人でも、遊び上手は家庭を大切にすると言われるほど、遊びは何ごとにも通じる気がする。
とりわけ、ボウリングは 「遊び心」 を呼び覚まし、人とのゆとりを取り戻せるんじゃないかな。
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2015年02月19日

お見合い

昨夜、新潟県三条市を舞台に 「お見合い大作戦」 なる、3時間枠のバラエティー番組があった。

何でも、三条市の独身男性の社長を限定した、女性からの逆告白 (求婚) 婚活バトルだとか。
少子化する社会に、現代の奇策ぶりを感じるけど、どうも男女の動機がいまひとつハッキリしない。

男は社長というポジションを手にしたけど、中には顔立ちを見る限りおぼっちゃん気質なので、そのぶん人柄はいいのだが、ちょっと頼りにならない印象も受ける。
それか、自分を等身大に見せようと、ずいぶんムリしている感じに見えたりする。

全国から集まった女性は、第一条件を会社の社長 (肩書) で、応募してきたわけで、その動機は   「頼りになりそう」 「引っ張って行ってくれそう」 など、俗に 「玉の輿感覚」 なんだよね。
そりゃいいさ…  でも女性として、社長の嫁に相応しい努力をしてきたんならいいけど、それまで怠惰な生活をしておきながら 「エステ通いができる」 「エレガントな夜を過ごせる」 など、逆転生活だけを  夢見ている気もしなくはない。
そのために 「お見合い回転寿司」 「告白タイム」 なども、いとわない。
まして 「お宅訪問」 なんかされた日にゃ、大迷惑であろうに…  (笑)

男の立場で言えば、社長はそれなりの風格がそなわっているものだ。
個人的な意見だが、だから社長なんであり、その反動から私生活は少年に戻る人もいる。
公人では、立場と責任がともなうから、私人では、甘えん坊になるんだ。
その前に、女性は男のナイーブな部分をわかっているんだろうか。

男には 「3人のママ」 が、いるといわれる。
母親と妻、そして 「夜のママ」 である。 
仕事の愚痴を聞いてくれ、時には自分を褒め称えてくれたり、慰めてくれる存在なんだ。
身近に相談できる人や場所がないと、次第にバランスが崩れてくると思う。
それを会社筋で言えない辛さがあるのは、パワーゲームの中で生きているからと考えられないか。
だから、私生活までも、ボスやリーダーになりたくないんだ。

昔みたいに 「俺に黙ってついて来い」 なんて男がいないのは、公私で疲れきっているからだ。
逆に 「甘えさせてくれ…」 と思っているのが、哀しくも男の本音じゃないかな。
その姿を隠しているだけで、今の世の中は受け身のほうが、断然多いように思える。

昔からささやかれていることで、エリートや聖職者と呼ばれる人ほど、風俗店が好きだという。
真偽は知らぬが、余裕資金の遊びの他に、緊張感から解放されたいからだとか。
まあ、男の遊びは自分のイメージも作るから、抑制している男も多いのも事実だと思うね。

不思議なモンで、本当に女性が結婚するときは、どこそこの社長だろうが、一流会社の肩書で年収が    ナンボだろうが、そんな条件など度外視して、一番愛してくれる男におちついている。
男だって同じことで、相手を好きになればバツイチだろうが、連れ子がいようが、過去も受け容れてこそ男の器量になると思える。
そう思えば、結婚に 「王子様」 や 「白雪姫」 など、ないんであって、自分の内面が 「王子様」 だと思えば 「もう、それでいいじゃん」 と、おじさんは思うわけ。

そう考えれば、最低限の基準は大切だが、往年の歌手 朱里エイコ  「ジョーのダイアモンド」 の歌詞「私にとって、いい男…」 であれば、それでいいわけで、妥協なんてないでしょ。

まあ、男だって、同じだよね。
 
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2015年02月18日

今夜は最高

バリトンサックスを手にすることもある、お客の 「Iさん」 から、日曜の深夜番組 「ヨルタモリ」 の   オンエアーを教えてもらった。

舞台は、都会の片隅にある小さなバー。
店主でママの 「宮沢りえ」 と、ゴキゲンな常連 「タモリ」 を主役に、物静かな常連ふたり組みと毎回代わるゲストを交え、5人で作り出すトークバラエティー番組である。
それから毎週、録画予約をして見ているんだけど、どこか懐かしいんだよね。
その昔は、大人向けのバラエティー番組は多かった。

あれ… うーんと、なんていったかなあ…  あっ! 「今夜は最高」 だ。
同じ深夜番組でタモリをMCにゲストが加わり、トークにコント、鈴木宏昌(P)をリーダーにした      「プレイヤーズ」 をバックに、ジャズのスタンダードを2〜3曲披露していた。
その番組で、ジャズに興味を持った持たないはともかく、とても良質な大人のムードが漂い 「団しんや」 「木の実ナナ」 などを交えた、小粋な会話が魅力的だった。

「ヨルタモリ」 は、音楽色は濃くないが、セットやトークの中に、大人のフレーバーがちりばめられておりややもすれば 「ガキが見てわかる番組じゃない」、そんな大人気分のテイストを感じる。
押し並べて、ゲストもウイット感覚にあふれ、おおらかな動作でさわやかな会話ができるあたり。
そんなコミカルな会話の中にも、少しだけビター感覚もあって、32年ぶりにタモリが深夜の時間帯に   帰ってきたような、大人のトーク番組である。

僕らの世代、深夜にコッソリと見ていたのが 元祖 大人のお色気番組 「11PM」
その番組で、酒(ウイスキー) 女(セックス) を予習して、夜の街でオトコになった奴も多かった。
青春時代はませていたけど、飛び切りのテレやだったから、快感を知るにはまだ先のことであったが。

男が描く妄想のひとつに、カウンターで飲んでいたら、偶然に目が合った女性となんちゃら…
ありえなくもない話だけど、一杯ごちそうするぐらいの器量があってこそ 「今夜は…」 って展開でさ。
それこそ、男女のかけひきであり、誘いながら待つ、待ちながら誘うである。

男の話をやさしく聞いてくれるリエママがいて、飛び切りおもしろい話を聞かせてくれる常連タモリ。
現実は、そんなに都合のいいゲストばかりじゃないけど、1日の仕事から解放されて、色恋なしに     その扉を開けたら、ニコッと微笑まれるような、行きつけのバーがあったらゴキゲンだよね。

それこそ、大人の遊び場であり 「今夜は最高」 である!  あのエンディングさえなければ…(笑) 
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2015年02月17日

Impressions

男の魂がヒートアップするジャズはなんじゃろうか。

まあ、花形は サックス かな。
空間を埋め尽くすほどのブローをもって、ハイスピードでかけぬけていくようなハードな演奏。

カクテルジャズ ムードジャズ しか聴いたことがない人からすれば、「そんな演奏はあるんかいな」 と言われそうだが、あんまり求められなくなっただけで、「あるんよ」
じゃあ、いつごろのだれの演奏になるのか、ここが割れどころである。

「ジョンコルトレーン」 は、はずせないね。
人気曲 「インプレッション」  メンバーは 「黄金のカルテット」 と呼ばれたあの面々。
中でも、「マッコイタイナー」 が、うなりながら鍵盤を炸裂 「これでもか」 と連打、連打する姿。

「オトマトペ」 で伝えれば シンバル音の 「バシャーン」 に、ベース音の 「ズンズン」 とか。
しかし、執筆を職業とする人たちは、一般的にこういう文章表現を嫌う。
だけど、音楽の擬音は表現迫力としては、とても伝わりやすいと思っている。

経験上 「凄いなあ」 と思ったときほど、短いオトマトペで表現しているもんだ。
外国人が発する 「ワーオ」 や 「イェー」 など、そのときの心情がダイレクトに伝わってくるから、   場の表現方法としてはわかりやすい。

ジャズのトークショーなんかでも、単調に同じ声域で難しい単語を並べられていると、たとえその内容が良くても、次第に飽きてくるものだ。
つまり、伝え方に迫力をおりまぜることにより、最後まで聞き入ってしまうのは興奮させられるからだ。

ジャズヴォーカルでも、スキャットのように、「ダバ・ダバダ・ダバ…」などと、歌詞にないアドリブによる   盛り上げ方を知っているから、引き込まれたりするんであってさ。
だから、オトマトペも、効果的につかえば問題はないんだ。

僕自身、ノッているときは、頭は真空で無呼吸状態。
演奏中の 「タメ」 や 「キメ」 あるいは 「ブレーク」 で、無意識に声が上がりその高揚感は一気に  加速する状態となる。

たまに聴いてみたいジャズは、酸欠状態をおこすような演奏。
それも、小さなハコ (ライヴハウス) で、スネアーが甲高く鳴り響き、マシンガンのようなフルスピードで汗が飛び散るような至近距離を、もう一度体験してみたくなる。

そんなミュージシャンを探しているんだけどね。
パッションなんて言葉は置いておいて、テクニカル的には上手くなっているわけだし、若手はチャレンジする意味において、こういう演奏をどんどんやってほしいと思う。

若いうちから、ロマンティックさを意識してやろうと思っていたら、つまらない個性で完結しちゃう。
アグレッシブだからこそ、ミディアムテンポの美しいバラードが、いちだんと引き立つわけであってね。
いろんな言葉で反応しあうのがジャズだから、次第にどんな言葉にも返せる言語音楽なんだと思う。

そのなかのひとつとしての 「オトマトペ」 であろうか。                      
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2015年02月16日

銭湯で考える人

冬は厚着で銭湯へ行くので、脱ぐときは少しめんどうだ。

そこは男のおおざっぱであり、重ね着を一枚一枚丁寧に脱ぐことはせず、ズボンとインナーにパンツを   わしづかみにして、一気に 「おっしゃー」 で脱いでしまう。

そんな真冬の銭湯では、体が冷えているせいか、お湯の温度が感じにくい。
蛇口の水を差してうめるべきか迷うのは、人それぞれの好みや適温があるから。
ボクの体感温度だけでお湯をぬるくしたら、公衆浴場なだけに申し訳ない気もするし。

元々、ここは普通の銭湯よりも熱めなことはわかっていたが、今晩は特に沸かしすぎのようだ。
一度は肩まで湯につかったが、その熱さに思わず腰が浮きはじめ、半身浴状態を経ていったん上がる。
気がつけば、湯船のフチに腰をかけながら、「オレの体が冷えているのか… それとも、お湯が限界点にまできているのか… 水を差すべきか、差さぬべきか…」    「ロダンの考える人」 になってしまう。

体の表面は熱く赤くまだら模様ながら、体の芯は何か寒いような。
長年通いながら、たまにしか来れないボクとしては、きっとここの熱いお湯が好きで通っているような   常連客がいる限り、大胆に蛇口の水をひねることは勇気のいることである。

そんな出たり入ったりを繰り返しながら脱衣場に戻り、湿気でクシャクシャにしおれたスポーツ新聞を   読みながら、湯上りをくつろいでいた。
すると、ずいぶんあとから来たはずのおにいさんなのに、お湯の熱さに驚いてしまったのか、シャワー   だけ浴びて、脱衣場にスゴスゴと戻ってきた様子。
あー、やっぱり、熱かったんだ…  お気の毒に。

帰り際、番台に座る 「銭湯の神様」 に 「いいお湯でした…」 とは、お世辞にも言えず、まるで修行を終えたかのように 「ありがとうございました」 と一言。
それもまた良し…   「銭湯・愛」 である。

しかし、帰り道は着込みすぎて暑くなる。
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2015年02月14日

保険の外交員

12日 午後2時に自宅を出たら、それまでの雨がすっかりと晴れ、西日が街全体を包み込んでいた。

日中の用事は2時間ほどで済み、夕方は妻と伊勢丹で過ごした。
バレンタイン商戦のため、地下も途中階の催事場も女性らでひしめき合っており、僕は人酔いする前にエスカレーター脇で、買物が終わるのを待っていた。

女性は本当に甘いものには目がないのか、恋愛行事にもなると能動的になる。
そのみなぎるパワーに、草食系おじさんはいつも脱帽している。

売場を見渡すと保険やさんと思しき、女性たちも含まれている様子。
「大変な気遣いなんだろうな…」 と感心しながら、フッと思い出したことが。
そういえば、僕が契約している保険会社の外交員さんからも、毎年プチチョコレートをいただいている。
だけど窓口は妻にしてもらっているので、僕自身は本人と一度もお会いしたことはないんだよね。

聞くところによると、20代半ばの色白で可愛い子らしく、明るくて活発なタイプらしい。
保険業界も担当がよく代わるから、その都度お会いすることもなく、満足にお相手の顔すらわからないのが、世のご主人たちの現状であろう。

それでも、毎年 「義理チョコ」…  いや 「契約チョコ」  それとも 「更新チョコ」 かな…
呼び名は何でもいいが、手元に来れば自然と口に運ぶのがいただきモノの礼儀となる。
同時に 「どんな子がくれたのかな」 と、都合のいい容姿を想像してしまうものだ。

いい方にふくらませれば 「AKB48」 「ねぎっこクラブ」 のフレッシュな子を想像する。
だが、描くことがないのは 「大久保佳代子」 のような、とても地味なおばちゃん外交員の姿。
仮におばちゃんであっても、「かたせ梨乃」 「伍代夏子」 のような、大人の熟女が願いとなる。
決して最初から 「なんじゃこりゃー!」 と、叫びたくなる女性は思い描くことはないのである。

もし、保険やさんの子が来たら、今度はオレが出ようかなあ…
「石原裕次郎」 ばりに、スリーピースとサングラス、右手にブランデーグラスをグルグルと回しながら、玄関扉を開けて英語で 「Hi! Nice To Meet You」 とか言って、お出迎えに上がったりしてさ。

その前に、後ろから妻に、まな板で頭をぶん殴られて、そのまま玄関で失神したりね。
それでその子 「だ… だ… 大丈夫ですか!」 と叫んでも、妻は涼しい顔で 「いつものことですので、お気になさらないで下さい」 …  んなわきゃねえか。

そんな保険の外交員のお気遣いには、いつも頭が下がる思いである。  m( ̄ー ̄)m
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2015年02月13日

キング・オブ・エンターティメント

プロレスから見た、社会風刺である。
プロレスがもたらした、ユーモアや曖昧さを理解できない頭の持ち主には、読み進めないでもらいたい。

先日、プロレスラー 天龍源一郎 (65) が、正式に引退を表明した。
と、同時に 「阿修羅」 と化すらしい。

引退試合に指名した相手は、今や飛ぶ鳥を落す勢いで実力をつけた、若手王者のオカダ・カズチカ。
どうやら、オカダが不用意に言い放った暴言に天龍のプライドが傷ついたらしく、知るところでは過去の人物扱いされたどころか、昭和のプロレスに敬意を重んじない不遜な態度に腹を立てたとか。

うーん、このアングル (プロレス隠語) は、どこかで覚えがあるぞ…
そうだ、シルベスター・スタローン 主演映画 「ロッキー・ザ・ファイナル」 である。

映画では、現役王者が自分の強さに自惚れ、それまで歴史を刻んできた人物を見下す発言をした。
ロッキーはエイドリアンを失った傷心と、息子とのわだかまりを抱えていながら、若造の不用意な言動に  過去の闘争本能を呼び起こされ、現役王者からの逆挑戦状に決断を下すのがあらすじとなる。

今回のアングルは、天龍とロッキーの生き方をダブらせているようだ。
きっと、ハイスパット (プロレス隠語) で、ロートルの元王者が現役の王者をガンガンと追い込んで、
リング上で 「プロレスとは何たるものか」 を叩き込むのであろうか。
いいよ いいねえー 「天龍革命」 らしくて、 いいよ!

劇画やエンターティメントの世界は、何でもできちゃうからいいよね。
だれもが心の中では、日常の理不尽な小さな怒りに気持ちがフツフツとわきおこっている。
それを壮大なドラマ仕立てで表現してくれ、最後はジョブ役 (プロレス隠語) の相手を、天下の宝刀で倒すのが爽快である。

年代をラベリングするつもりはないが、この先は過剰意識とならずに、読み飛ばしてもらいたい。
僕より干支 (えと) が、ひと回り下だと、子どものころはあまり生活に困らなかった時代だろう。
私立高校に進学させてもらったり、私立大学や留学なども盛んなころだ。
バブルが弾けたとはいえ、世の中のお金はまだ回っていたし、親の恩恵を受けやすかった世代である。

それでいながら、「ニート」 なんていう不思議な存在も注目を浴びはじめていた。
いい歳なのに、働かなくても自宅に居候させてもらえ、三食の飯にもありつけた。
たまに週4日ほどのアルバイトに出かけ、休日はカラオケか自宅でパソコンやゲームに興じる。
小さいときからチヤホヤされてきたから、叱られることに慣れていない。
少し叱られたぐらいで、イライラした感情をあらわにフテ腐れるから、当然、私生活も荒くなる。
こっちは怖くも何ともないのに、そういう態度に出れば、相手がビビると思っているから、始末に悪い。
それに給与を家に入れることもなく、消費はマイカーとたまにコソコソ出かける受身の風俗店オンリー。

今から、20年ほど前はそういう連中が多かったが、それに甘んじなかった若者が、今しっかりしている。
経済的にはどん底じゃなかったし、そうじゃなきゃ 「ニート」 なんて言葉は生まれなかったはずだ。
本当に不況だったら、ニートなんていないと思うし、石にもかじりついて何かしら生きているであろうし、 時代が時代なら 「赤紙」 (徴兵令) モンである。

それに気づかずに肩書を手に入れたりすると、自分を育ててくれた環境に敬意をもたなくなる。
それまでの歩みはあたりまえの権利だと思っていれば、何かを得たのは全ては自分の能力が成し得たことと、勘違いをはじめてしまうんだ。
だってさ、甘やかされた奴は、謙虚な姿勢がなく、口ほどでもなく、態度だけがデカイからわかるもん。
彼らに敬意なんて言葉を期待するほうが、ちゃんちゃらおかしいんであってさ…

そんな、バカ殿さまな対戦相手を天龍源一郎がプロレスファンタジーを使って、われわれのうっぷんを   晴らしてくれるとしたら、何だか興奮しちゃうよね。
この際だから、顔面達磨大師、またの名をマムシの組長 「藤原嘉明」 も、登場してこないかなあ。
つまり、プロレスエンターティメントとは、主役と悪役の抗争劇の中で、どのようにして主役が感動を   与えてくれるのかを見届ける人生教養でもあるんだ。

社会の縮図をリアルに描くのが、われわれが愛した キング・オブ・エンターティメント 「プロレス」 だ。
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2015年02月12日

待ち人来ず

その昔、野口五郎が歌った 「私鉄沿線」 という歌謡曲があった。
駅の改札脇にある伝言板に純愛を託す 「待ち人来ず」 の心情を描いた歌詞だったと思う。

僕らの世代、この 「待つこと」 に、感情の揺れ動きを抱いたものだ。

例えば、彼女とどこかで待ち合わせたとき、約束の時間になっても現れない。
時間が経てば経つほど 「どうしたのかな」 と想像をはりめぐらすだろう。
待ち合わせ場所や時間を間違えたのか、交通機関にトラブルがあったのだろうか。
もしかしたら彼女の身に何かおきたか、それともすっぽかされたのかなど、いろんな感情が交差する。

連絡ツールは、固定電話の時代である。
大人の待ち合わせなら、電話をつないでもらえる喫茶店を指定したし、街角で待ち合わせるのならば 「±10分ルール」 が許容時間だったから、約束事は今よりも緊張感があった。

男女のつきあいは、待ち合わせ時間に遅れたとき、本心がわかったりする。
「彼女に何かあったのかな…」 と少し不安な感情が先行していれば、きっと親愛の情であろう。
「約束に遅れやがって…」 と支配的な怒りの感情が先行していれば、これは恋なんだろうなあ。
何かあったとき、最初に自分のことを考えるのが恋で、真っ先に相手のことを考えるのが愛だろうか。

自分の気持ちがわからなくなったとき、一度距離を置くと本当の気持ちがわかったりしたよね。
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2015年02月11日

恋に恋して

寒波だとカップルの距離が密着しているので、何だか温かそうに感じてしまう。

新潟交通のバスカードを手にしてから、市内バスを利用する機会が増えた。

そんなある日、最後部の横一列の座席に腰かけていた。
座席を3つ分空けて座っていたのは、同じ色のマフラーを巻いた高校生のカップル。
よくある光景だが、周囲の視覚をふさぎながら求愛中のご様子。
終始、体半分を密着させて、指を絡めあったり、手の甲をなであったり、まあアツアツぶりだ。

僕の高校時代もすすんでいるといわれたが、まだスポ根の名残が微妙に影響を落としていた世代。
その欲望を抑えるのが精一杯だったし、テレが先に立っちゃうから、恋愛は奥手だったと思える。
若いときの恋ほど人目を気にしてたし、本当は相手のことをそんなに好きでもないが、「思い出作り」 に恋愛をでっち上げた気がしたのは、恋に恋しているお年頃だから、若いのである。

先ほどの催眠状態になっているカップルにも一言…   おい、目を覚ませ!

車内アナウンスが響いた  「次は万代バスセンター前…」
ボタンを押そうと指を近づけたら、前の座席のおばちゃんが素早く押したので、伸ばした手が止まった。

たまーに乗客を代表して、つい押してみたくなるんだよね。
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2015年02月10日

命の使い方

世の中、間違っちゃいないけど、正しくもないことってある。

外務省は生命の保護を理由に、中東への渡航を自粛するように促している。
憲法が定めるところによると、渡航の自由は保障されているが、法律に違反さえしていなければ権利を行使するでは済まない状況にあるため、自由という言い分は個人的に釈然としない。

動機はともかく、冬山スキーの禁止区域へ無断で侵入して、後々救助を必要とすることがあった。
自分の感情には忠実だけど、他人からすれば過信が無謀に映るから、それこそ命の使い方である。

自由なる既得権をわからぬわけではないが、外務省は命に毅然と対処したと思っている。
今後は未然に防ぐためにも、強権で断固と取り締まるべき意見も検討されているという。
何も永久的な対応ではなく、生命の保護を前提とした暫定的な安全措置である。

イスラム国の事件でわかったのは、日本の常識 (メンタリティー) は、世界では通用しないこと。
話合いだけでは平和を保てない現実ながら、日本は争いに加担しない勇気をもっている。
だからこそ 「日本らしさ」 という実体が揺れ動いているのも、コレ 現実なんだ。

報道の自由は表現の自由であり、それこそジャーナリズムの拠り所だろう。
だが、仮に見えないものを伝える報道の使命感にかられても、本人がピンボケして横槍を入れてないか冷静に見極めなきゃならないことはあると思う。

自身、歯止めの利かない政治談議をしたことはないが、日本国民があまりにも悲しみにうちひしがれただけに、命の使い方について考えてみたいと思った次第だから。

個別な思いを、いかように受け取られるのは自由だが、求めてもいない意見は不本意である。
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2015年02月07日

Coffee Time

昼下りの万代で、キリマンジャロを…

コーヒーショップは、そのときの気分や状況に応じて利用する。
挽きかたやブレンドにこだわりはなく、寛げる空間でそこそこ美味しければいい。

キリマンジャロと記した。
時間に余裕があるとき、少し考えごとをしたいときには、豆を指定することがある。
そうじゃなければ、アメリカンでサッと済ませる。
どちらにせよ、体がカフェインを欲していることには違いない。

1986年前後…
バブルで大賑わいしていたころの古町を知る者として、今はあまりにも夜が静寂である。
僕の知る限り、繁華街の個性が色濃かった、古町8〜9番町周辺にあった喫茶店は消えた。
今では、7番町にチェーン店が一軒あるだけだろう。

それはなにを意味するかといったら、賑わいのある場所には喫茶店がある。
早い夕方であれば、店の仕込を終えた板前の休憩時間だったり、打ち合わせの場にしたり。
遅い夕方になると、同伴出勤のおねえさま、気力をチャージするマネージャークラス。
バーテンダー、バンドマン、も例外ではなかった。
夜の世界に生きる者は、19時には一斉に街中から姿を消して店入りする。

深夜2時も過ぎると、東掘にあった24時間営業のカフェが、ちょっとしたたまり場となる。
店を跳ねて緊張から解放された、俗に業界人の他愛ない雑談がはじまる。

「今度、店に入ったA子は生意気ね」
「あの野郎、ついに店の客にまで手を出したぞ」
「あのふたり、一緒に住んでいるウワサよ」
「ツケは、きちんと回収できてるのか」
「今度のコック、口で言うほどの腕はないぜ」
「あそこの板前、店をやめたがっているようだ」
「音楽性が違ってきたから、メンバーチェンジするか」
「今の店よりも、いい条件で引き抜かれているから、アンタも一緒にこないか」

普通に勤めをしている人とは、あまり遊べないのが、夜の仕事のライフサイクル。
過酷な日常の裏でおきている、人手不足や労働環境のことから、景況感や公私の悩み相談など、      下世話な会話とリアルな専門用語が飛び交っている深夜のカフェ…
生々しくも真剣に生きている、夜の面々が集う場所である。
だけど、早い段階から 「この人、そのうち街から消えるな…」 と、何となく感じたものだ。

僕は、夜の友好の和に入ることはしなかった。
「管理職」 という名の下、残業代なしで限界まで働いていたから、少しでも睡眠時間が欲しかったんだ。
深夜のカフェ、ひとりで食前のコーヒーを飲み干し、ミートソースをフォークで巻き上げ、セブンスターを灰皿にもみ消してから、バイクにまたがって帰る生活を送っていた 22〜23歳。
「飲む・打つ・買う」 に走らなかったのは、コーヒーで寛ぐわずかな時間を大事にしたからだろう。

過去、昼も夜も会社員か水商売かもつかなかったが、行けるなら 「GIG」 を人生の最後としたいね。
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2015年02月06日

本命チョコ

来週 14日 バレンタインディー

世の中の仕組は、カップルを中心に作られているが、そのわりには素直な恋愛をしていないと思う。
チョコレートに託す想いはそれぞれだが、なにやら 「友チョコ」 なる、女性同士の交換がいけない。

エレベーターでロフトへ向う途中、一階の有名洋菓子店が、にわかにざわめきだしていた。
五階で降りると、おやおや…  目の前にも特設のチョコレートコーナーができていた。
有名ブランド、パッケージのユニークさを見ていると、贈答分けしている様子も伺える。

イベントをパロディー化すると、商業的な広がりは見せるが、本当の意味はどうしても薄らいでいく。
また、そうすることによって、気軽な国民的な行事にもなる。
つまり、ボーイフレンドやガールフレンドがいようがいまいが、だれでも条件なく楽しめるのである。

こうなると、意中の人がいなくてもよくなる。
バレンタインがユニクロ化するのは否定しないが、それだけだとプレゼントセンスが身につかない。

そうだ、勝負パンツを選ばなくてもいい、世の中になったんだ。
そうなりすぎると、パンツのゴムヒモが 「ビィョョヨヨ〜ン…」と伸びきっていても、尻の部分が擦り切れて毛玉だらけであっても、気にならなくなる。
今、あなたがはいているパンツこそが、バレンタインにプレゼントするチョコレートのランクなのだ。
シルクかレースか、それとも100円ショップのパンツかわからんが、これはワシの見方である。

毎年、女同士でチョコレートを交換するのは感心しない。
最も、女は男を対象として、感性を磨くべきだと思う。
そうじゃないと、今度は 「ホワイトディー」 までが、男が男にプレゼントし合うようになり 「ホモチョコ」 なんて、風習が生まれてしまうぞ。

近年、男女の恋愛はおとなしい。
「レズチョコ」 を、5つ交換するのであれば、そのうちの一つだけは気合を入れて 「勝負チョコレート」でストレートに男へ贈るべきだ。
バレンタインディー 本来の意味で考えれば、一つぐらいは 「型」 を持っておかないと、ユルい世界に甘んじることになる。

それで、「彼氏がほしい」 なんて、つぶやいても、ベースを勘違いしているんであれば、自らチャンスを遠くへ突き放しているのと同じことじゃないか。
とはいえど、最近の男は無作為な紹介だとか、女からの告白を待つことを美徳にしているからね。

あー、調子に乗って書いちゃった。   だから、女に嫌われる…   ┐( ̄ヘ ̄)┌
当分、夜道では後ろを振り返りながら、帰宅せねばならない。

僕はチョコレートよりも 「都こんぶ」 のほうが、いいなあ。                    
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2015年02月04日

泣いた赤鬼

3日 夜8時 赤鬼のお面をかぶって店に現れた、ホロ酔いのKONちゃんが、今夜の口開けだった…

今日は節分
節分といえば鬼
鬼は鬼でも、童話 「泣いた赤鬼」 に出てくる、青鬼に子ども心が動かされた。

赤鬼は人里の村人と仲よくしたいが、鬼の容姿であるから、だれも怖がって相手にしてくれない。
そんな赤鬼のやさしさをかわいそうに思った青鬼は、ひと芝居打つ相談を持ちかけた。

青鬼が村で大暴れしているところに赤鬼が参上して、青鬼を追い払い多くの村人を助ける。
これで、赤鬼は村人から信頼を得て、無事に人間と仲よく共存できるようになった。

それから、しばらくして、何も音沙汰のない青鬼を心配した赤鬼は、人里離れた青鬼の家をたずねると一枚の貼紙がしてあり、そこにはこう書かれていた。
「僕がいることで、村人はまた君を怖がるかも知れないので旅に出ます、さよなら」 と。

青鬼は自分を犠牲にしてまで、赤鬼の願いを叶えてあげた。
青鬼にとって、赤鬼はかけがえのない友だちであったが、近くの自分よりも村人たちに心を寄せていた   ことに、青鬼は寂しさを感じていたんだと思える。
そんな赤鬼は青鬼の犠牲的な気持ちに気づかず、自分はいかに青鬼に甘えていたかを知ることとなり、青鬼の空き家の前で泣いたという物語である。

節分に豆をまいたり、恵方巻きを頬張ったりするのもいい。
だが、それぞれの感想はどうあれ、童話の読み聞かせなんかも、節分の情操教育だったりすると思う。

僕の心の中には 「青鬼のやさしさ」 が、印象に残っている。
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2015年02月03日

うらみ念法

旅の思い出に買った、お気に入りのマフラーだったけど…

1日の余談
うなぎ屋の駐車場から、店の入口までの数歩で、中途半端に巻いたマフラーを落としたようである。
そのときの記憶を巻き戻しても、その間数メートルで紛失したことは間違いない。

わずかの敷地なのに、店へ届けられてないことから、拾って持ち去った疑わしき人物も特定できる。
まあ、落とした僕がいけないんだし、歴然とした証拠もないのでこれは仕方あるまい。
だけどブランドや金額の問題じゃなく、思い入れのあるマフラーだったから、なおのこと残念である。

それにしても、たった一声 「落しましたよ」 とか 「忘れ物ですよ」 ぐらい、言えないのかな。
物質的なお礼はできないが、「ありがとう」 という、最高の称賛 (言葉) はかけてもらえるのにさ。

だいたい、だれが巻いていたか、わからないマフラーなんて欲しいのかな。
別に物珍しくもあるまいし、マフラーと知らずに拾って持ち帰ったのであろうか。
そうだとしたら、マフラーに取扱説明書はついていないから、きっと今ごろはわからずに 「腹巻き」か 「ふんどし」 で、使用していると考えたら、おぞましい光景が頭をかけめぐる。

あー、何か思い出していたら、腹立たしくなってきた。
本来、根に持つような性格ではない。
だが、今回は封印した 「うらみ念法」 を使うことにする。
メラメラメラ…  このうらみはらさでおくべきか!   うらみ念法 「残尿感」 を喰らえ!!
そいつは3日後から、四六時中 残尿感に悩まされるはずだ。

僕らの世代 マンガ 「魔太郎がくる」 を読んで育ったから、うらみの念力をかけられるのである。
相手によっては 「恐怖新聞」 であったり 「エコエコアザラク」 だったり、UFOも呼べるかも。
そういう僕も最近はだれかから うらみ念法 「更年期障害」 をかけられたようである。
早速 「呪い返し」 をしなければ!

今夜のオレ、メチャクチャなことを書いてるよね…
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2015年02月02日

間の作法

日曜 午前11時の万代で待ち合わせた。
Mちゃんの車に妻と同乗して、一路 「小千谷」 まで 「うなぎ」 を食べに出かけた。

のれんをくぐると、うなぎの甘辛いタレの香ばしい煙が、店内の空気と雑じり合っていた。
うなぎは焼き上がるまでの 「間」 と 「和」 の大切さを実感できるごちそうだ。

テーブルにタイミングよく運ばれてきた、重箱のふたを三人で同時に開ける。
ほどよく蒸らされたごはんの上には、ふっくらと焼きあがったうなぎが香ばしい。

うなぎのリポートを書くつもりはないが、食指と作法についてちょっとだけ…

食事は人と作法を合わせてこそ、心が通じ合う 「団らん」 かと思える。
ひとりが食べ終わっているのに、ひとりだけ食べ続けているようなことはあまりない。

和のドレスコートとして考えれば、動物的な食べ方であってはならないし、仕える人に横柄な態度で店の団らんムードに水をさすようなことはできない。

今はこう書いているけど、独身のころは違った。
むさい体育会系なところがあり、一緒にいる相手のペースなどおかまいなく、独りよがりでガツガツ食べ終えるタイプだったと思う。

20歳のころ、自分次第でつきあいがはじまるかも知れない、女の子と食事へ出かけたことがある。
基本的に早食いなのでサッサと食べて、手酌のビールを注ぎながら、タバコを吸って待っていた。
食べ終わっていない彼女が、寂しげな上目遣いしていたが、鈍感なので目の訴えがわからなかった。

あれから、数年たったころ、何かのきっかけで、その時の場面を思い出した。
僕はあのとき、食事をエサのようにして平らげ、彼女の食事のペースに合わせなかったんだ。
これでは、おいしいものもおいしく感じられず、あの日が最後の食事になったことは言うまでもない。

味覚の合う男女の関係は上手くいくといわれるが、僕はあれは 「ちょっと違う」 と思っている。
関東と関西の味つけが違うように、それまでの食文化だから仕方ないところはある。
だけど食べるスピードやリズムは、相手に対する思いやりであったりするから、むしろ 「食べ方」 に、ふたりの相性が表れるような気がする。
もしかして一緒に生活する上で、味覚よりも作法のほうが大事なんじゃないかなと…

僕がゆっくりと味わうようになったのは、女性と向き合って食べるようになってから。
経験が欠しければ、学生がどんぶり飯をむさぼるような食べ方が続いていたかも知れない。
だから、いつでも気軽に一緒に食事ができる、異性関係は大切だと思える。

相手を知りたければ、うなぎやフルコース系などの 「間の作法」 で、相性が図れるかもね。
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