2015年01月12日

五穀豊穣

外出の仕度をしていたら、みぞれまじりの雪が降り出し、その気が萎えてしまった夕方。

「あっ、今日から、初場所か…」  思わず、テレビをつけた。
年6場所を四季の移り変わりにすると、時は早く感じてしまう。

低迷期から、大相撲を見ている者として、この人気ぶりで本場所のチケットが入手しにくくなるのが    少しだけしゃくにさわる (笑)
今の人気は感覚的なものではなく、来場者数や視聴率など、数値化されたデーターによるもの。
これにはいくつか理由をあげられるが、日本人の中に 「やすらぎ」 が、欲しくなったとも思える。

一過去、国民の多くは 「K−1」 や 「PRIDE」 など、殺伐とした競技に感情を高ぶらせた。
団体競技においても、ヒステリックに声援を送る、過激なサポーターの姿を目の当たりにしてきた。
しかし、躁 (そう) 状態で高ぶる気持ちは、そう長きに続くことではない。
冷静な状態において、モノの見方や角度は変わるわけで、リアリティーだけが全てとは違う。

一昨年、店のお客さんと 「プロレス」 を見に出かけた。
場外乱闘の際、近くにいた父親が小さい息子を前にして、「殺してしまえ」 だのと、大声で叫んでた姿を見たとき、イヤな気持ちにさせられた。
これって、「エンターティメント」 なんだよね。
観戦に度が過ぎると、見方に遊びがなくなるから、疲れてしまうんだ。

その点、大相撲は五穀豊穣 (ごこくほうじょう) を願った神事である。
八百長疑惑は昔からあったことだけど、老若男女、あぐらの中で子どもを座らせて安心して見せられる伝統的な 「お茶の間スポーツ」 でもある。

微妙な軍配に抗議したり、挑戦的な態度もせず、土俵上で毅然とした所作で勝敗の行方を待つあたり。
沈黙のプライドは、教育的なモデルケースにもつながると思える。
スポーツにケンカ腰になる人がいるから、逆に冷静な目で見ることができるようになるものだ。

同じ世界に止まり過ぎると、自分の関心のないことは、全否定するようになりがち。
やはり、関心をある程度散らさないと、「やるか、やられるか」 の発想にとり付かれちゃう。
その意味では、スポーツである前に神事、神事である前にスポーツ、五穀豊穣を祈ったお祭りなど、    取りかたは何通りもあるんじゃないかなあ。

それで、好きな力士に話を結びつけると、心情的には 「バラエティー番組向きじゃない」 ひたむきな  力士に好感を抱いてしまう。
僕は、素朴さに情緒的になってしまうタイプ。
だから、「稀勢の里」 には、一度でいいから、優勝経験をしてほしいんだ。
期待を裏切る常連力士なんだけど、あの愚直な不器用さが見放せないんだよね。

それにしても、初日の宝富士戦は勝ったけど、危なっかしい内容だったなあ…  今場所 前途多難か。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする