2015年01月30日

My Dear Life

渡辺貞夫さん (81歳)

この人を語るとき、年齢を取上げることは、失礼にあたるかも知れない。
こんなに音楽 (ジャズ) と、真摯に向き合っている人も、そういないとあらためて思わせられた。

25日 BSでオンエアーされた 「渡辺貞夫 スーパー ビッグ バンド」 最新のライヴ映像。
結成は 97年12月 幕開けは、渋谷オーチャードホール。
当時、僕は客席で聴いていたが、ヒステリックに吹くことなく、気品のある音色が印象的だった。

あれほどの経験と実績がありながら、プライドめいたことをほのめかすことは言わない。
音楽を心から楽しんで、好きなことをやっている 「大人のオタク」 なんだ。

オタクというと、世間の評判は否定的だ。
しかし、若いころから、本人は練習が楽しくて仕方なく、眠りを忘れてしまうほどだったという。
それに 「上手くなりたい」 一念が強いから、世間からどう思われようが気にもならない。

つまり、一流になる人は、みんなオタクを極めた 「プロフェッショナル」 なんだ。
並みのオタクなら、技量と関係なく 「オレの純粋さを認めない奴らはバカだ」 と錯覚するだろう。

音楽は情操であることから、人間性を豊かにしてくれる。
だから、アーティストとは、敬意をもたれなければいけない存在だと思う。
それは音に現れるものだし、あの 「ナベサダ・スマイル」 に、人柄がにじみ出ているではないか。

ラストナンバー 「マイ・ディア・ライフ」  …  貞夫さん、そのものである。
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2015年01月29日

恵方巻き

今年の節分は、2月3日の火曜日。

どこのスーパーへ行っても、売場のベストポジションには落花生、当日には恵方巻が占めるであろう。

節分に豆をまく習慣も、今では家の中が汚れることが理由で、手もとで割って数粒を口に放るだけ。
太巻きを丸かぶりしながら、ある方角に向って願いを念じるなんてことは、あんまり知らなかった。

しかも、無言で一気に食べるなんて、味も何もあったもんじゃないし、もったない。
具が 「ひじき」 に 「きゅうり」 に 「たくあん」 ぐらいなら、まだいいさ。
最近じゃ、縁起物だからって 「ウニ」 や 「イクラ」 に 「大トロ」 など、豪勢すぎる。

これが四人家族だとしたら、まあ、大変だわなあ。
僕が親父なら、フィリピン産のバナナを代用して、ベランダに一列に並ばせて、月に向って一気食いだ。
今年の恵方は、「西南西」 だというが、これも創意工夫である。

「恵方巻」 の、その具はぜいたくすぎる。
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2015年01月28日

30歳か…

白鵬は先日の記者会見で、13日目の物言い取り直しの一番についてこう述べた。
「 (判定は) 子どもでもわかる」 と審判部を批判し、相撲協会から親方を通じて厳重注意された。

今や白鵬は名実ともに象徴的な存在であることから、沈黙の美を破った発言は軽率だったとは思える。
だけど 「29歳」 (もう30歳としよう) の、発言としてなら、個人的には理解できる。

僕ら世代 「30歳」 前後のころ、相手が社長だろうが上司であろうが、納得がいかないことにヒート  アップしたし、上司の見栄を誇示されたこともあれば、それを受け止めるだけの懐の広い上司もいた。

また、こうして意見を交わすことによって、仕事に折り合いがついた気もする。
もちろん、迎合はせず、不要な争いは避け、事実にそって意見することが前提となるが。

逆に今は、自分の意見を言わなすぎると聞く。
用意した資料のプレゼンは上手いけど、責任問題が付きまといだすと、とたんに声のトーンが下がる。

場の空気を読んで合わせることは長けているけど、宣言するとリスクを背負うから言わない。
意見が交わされないと活気は失われ、上司はしびれを切らして、怒鳴り散らすことが悪循環となる。

だから、本会議は居酒屋になり、声を荒げた上司は 「さんま」 を突きながら、自己主張しない部下は  奇しくも 「出世魚」 を食べているような、異様な光景があったりする。

30歳を若手扱いするのはどうかと思うが、あんまりオフィシャルな場で、押し黙っている姿を見てしまうと「こいつ… 何を考えているのかな?」 と、気味悪く映ってしまうだけだ。

理想の30歳はあるだろうが、現実の30歳は意見か愚痴ともつかない放言を繰り返しているものだ。
教育的な意味をこめて言えば、少し放っておくことも大事なんじゃないかなあ…

そのうちにわかることってあるんだし、そもそも大人の品格だって怪しいもんである。
それに実年齢の 「七がけ」 が、精神年齢とも言うではないか。

大人扱いすることも大事だけど、実際のことを言えば、見た目とは違いそれなりの年齢なんだよなあ。
「20歳」 前後の女の子が、どんなに化粧して背伸びしても、しゃべればわかるのと同じことでさ。

僕自身 「50歳」 にしても 「未熟なオンパレード」 は、まだまだ続いているからね。
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2015年01月27日

敢闘精神

新聞紙面で、大リーガー 「イチロー」 の日米を通した、年度別成績表を眺めていた。

入団二年目までは、不本意な成績ながら、三年目からいきなり大化けした。
入団のころ、独特の振り子打法をめぐって、監督やコーチと意見が対立したため干され、空白の2年を過ごしたとも聞く。

似たような境遇に 「落合博満」 や 「野茂英雄」 がいるが、共通していることは、自分に妥協せず、 自らが前例を作り、人から嫌われることをいとわなかったこと。
「失敗したら去る」 ぐらいの強い気持ちで、自分にしかわからない、結果論があったと思える。

大化けと言えば、大相撲の 「白鵬」 もそうだ。
62キロの軽量を受け容れる部屋はなく、お情けで置かせてもらった過去を持つ。
それが歴代横綱優勝回数の最高位まで上り詰め、あのとき見切りの早い親方なら白鵬は存在しない。

41歳のイチローには、不変の考えがある。
野球を取りまく環境 (安全な道具・科学的なトレーニング・食の栄養バランス・スポーツ医学) など、年々進化しているから、選手もそれなりに進化しなければならないと。
今年50歳をむかえる、中日の投手 「山本昌」 なんかは、その言葉を体現しているひとりである。

そもそも、年齢は判断口上にはなるが、決定づけられるものではない。
動機や意思、そのための努力を惜しまず、それぞれにメリットがあれば、まだ現役ではいられる。
このあたり、変わっていく夢 (人生) もあるだろうし、詰まるところはモチベーションなのかなあ。

なぜ、人はスポーツを観戦するのか…
自身の肉体はさびていく中、選手の肉体に自分を投影して、「敢闘精神」 を呼び覚ましたいんだ。
別にスポーツ歴はなくても、だれでも運動会には参加したことがあるだろう。
感覚的には、競争順位に喜怒哀楽を経験したことが大きいと思う。
そうじゃなきゃ、スポーツは廃れるし、順位も勝敗もつかない競技なんて、だれも見向きもしない。

つまり、健康的な動機じゃないと 「氷上のイナバウアー」 を見て、変なことを想像しながら 「うおおおおおおお、ぉぉぉぉぉぉぉ… !」 とか絶叫する 「困ったオヤジ」 になってしまうのじゃー !

最後にオレは、いったい何を言っとるのじゃー ! 
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2015年01月25日

休日ふらり (21)

休日 寝覚めのコーヒーカップを手にリビングへ行くと、妻がロシア映画に夢中になっていた。
それが意外とおもしろくて、外出時間を押してまで見入ってしまった。

プロポーズは成立した…
男は 「 (ボクの職業は) ウェイターだけど、いいかい… 」 とたずねる。
女は 「 ワタシは病弱だけど、本当にいいの… 」 と答える。

命にかかわる危機的体験を乗り越えたふたりほど、共通の達成感を得るから、きっと 「この人なら」 と急接近しちゃうんだろうな。
それに、愛は口では何とでも言えるけど、最後は絶対に行動でしか証明できないからね。
別に恋愛映画ではなく 「メトロ42」 なんていう、13年の地下鉄パニックムービーだった。

大相撲は13日目に、白鵬が歴代最多33回目の優勝を決めた時点で、もう見る気が失せてしまった。
あまりに、他の力士が不甲斐なくてさあ… やっぱり、稀勢のおっさん なんだよなあ  ┐( ̄ヘ ̄)┌
だから、千秋楽は中入り後の後半戦最初の一番となる 「照ノ富士」 と 「玉鷲」 の取り組みだけ見て、サッサとサドルにまたがってトットと外出した。
あとは、大相撲ダイジェストで十分だ。

焼き鳥には、少々うるさい。
とは言っても 「ソリ」 だの 「グリ」 など、一般的じゃない部位にはあまり興味はない。
「とり皮」 が好きなので、それさえ美味しければ、あとはてきとう。
欲を言えば 「ぽんぽち」 や 「うずらのベーコン巻」 でもあればいい。
まあ、新潟ならではの呼び名 「赤」 「白」 レベルである。

最近、新潟三越の地下食品フロアーで、上品な味わいのとり皮が美味しいテナントを見つけた。
しかし、とり皮だけ売り切れていたことから、知っている人は早くから買いに来るんだろうな。
まあ、僕には人に教えたくない、精肉店の焼き鳥があるからいいけどさ。

西堀ローサの中古CD店に、80年 「ステップス」 (廃盤) ライヴ・アット・六本木ピットイン (二枚組) CDを見つけた。
買うか買うまいか迷ったのは、実はこのレコードは持っているんだけど、CDに落す手間が面倒だから、そのままにしてあるだけである。
このパターンはよくあることで、懐かしみと刷新された気持ちが入り雑じって、つい欲しくなるんだ。
箱の中身は変わらないのに、思わず包装紙に惑わされて、ムダに同じモノを買わされてしまうような。

ここは一度、部屋でレコードを聴きなおして、それでも欲しかったら、明日の夕方でも買いに行こう。
買われていたら買われていたで、縁がなかったということで、サッパリとあきらめもつくであろうし。
少し後ろ髪を引かれながらも、エスカレーターで地上に出た。

夜はBSで 「渡辺貞夫 スーパー・ビッグバンド」 が、放映される…  楽しい休日になりそうだ。
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2015年01月23日

Jazz Talk Vol.54

ジャズの二枚組アルバムは、よほどでないと購入しないから、当然ボックスセットにも手を出さない。
理由はテンションが続かないから。

たまにお客さんから 「趣味を仕事にできていいですね」 などと言われることがある。
言われ慣れているので  「あぁ、またか…」 と思いつつ 「おたがいさまですよ」 で軽く応じる。

最も、環境音楽の一部だから、仕事中は耳に届いてないことが多い。
真剣に一枚を聴くとなると、それなりに時間と疲れも要するもの。
だから 「聴かずの在庫」 に、溺れることがないので、聴かねばというジレンマがない。

「60年代がいい」 とか 「ハードバップ」 だの、好みはあれど、強いこだわりもない。
俗に 「年代現象」 がないから、ジャズに飛び込んだ時代が良かったかも知れない。

年の瀬、お客さんから、日本人が奏でる二枚組のライブアルバムをお借りした。
数日間に分けて通しで聴いていると、琴線に触れる演奏がある。
その曲をピックアップしておき、後で集中できる時間枠で、一枚に編集するのが二枚組との向き合い方。
まだ、全曲受け容れられるほどの、耐久力は備わっていない。

ジャズを聴くことは、長い道のり上、マラソンにたとえられることがある。
たしかにそうなんだけど、修行僧のような真似はしたくない。
近道があればそこを通るし、抜道を見つければ通らせてもらう。
でないと、どれほどの時間と金を費やすかになり、聴かずの在庫だけが増えていく。

僕の好きな 「キース・ジャレット」 でも 「ヨーロピアン・カルテット」 は、聴いてないからね。
つまり、省くモノがあってもいいんだし、聴かねばで肩肘を張るなんて、どうかしていると思っている。
たかが、ジャズだ。

まあ、聴き方が 「極楽トンボ」 だから、ジャズでムキになる 「辛口オタク」 からすれば 「オレなんかアンチなんだろうなあ…」 と、思ったりするわけ。

開店した当初 「純粋なジャズファンが集えればいいなあ…」 と、のんきに構えていたけど、その思惑も見事なまでに 「都合よく」 ハズレた。

それによって得たものは、楽しい会話を奏でられる、個性豊かな 「お客さんという楽器」 である。
音楽同様、お客さんが聞き上手で話し上手だから、優れた日常の会話が聴けたりする。
ああ、これこそ、ジャズであり、ギグであり、社会の縮図が見えるというものだ。  

儲からないけど、ジャズバーのマスターはやめられない…
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2015年01月22日

きんぴらだんご

日中、新潟三越で妻と合流し、久し振りに古町を一緒に歩いた。

おおざっぱに、若者の街 「万代」 サラリーマンの街 「駅前」 の騒々しさとは少し違い、日中の   「古町」 を道行く人たちは、そこそこ高齢者が多い。
ゆえに、どこか時間の流れが緩やかに感じるのは、総じて灰色がかった空の色だけではない気がした。

ゆっくりと歩いている高齢者を見かけると、帽子から足元まで茶色系の衣服に身を包んでいる。
その色合いが、ゆったり感をかもしだしているのかも知れない。

それでも時々 「いい原色」 を見かけたりすると、どこか内田裕也系であったり、林家ペーを思わせたり昔はスナックでマジックショーでもやっていたんじゃないかと思わせられる出で立ち。
そんな個性派が街角から、出没しそうな魅力が古町にはあるんだ。

それもそのはず。
昔、夜の世界で生きてきた人たちも今では引退して、その時代の名残が風合いに現れているんだ。

中には、髪を後ろに束ねたアート系、派手な配色を基調にしたデザイナー系など、それぞれに個性が    あるから、存在そのものが 「街の歴史」 を物語っていたりする。

でも、何年も不況が続いてるのに、目立ったホームレス系がいないんだから、街は捨てたもんじゃない。
断片的に新宿の歌舞伎町を見てきたから、新潟の中心部は 「商住混在型」 で、住みやすい街だろう。

空き店舗が多いことも、特徴的になってきた。
駅前周辺は看板の入れ代わりが異常に早いが、古町は閉店ひとつにも風情を感じる。

というのも、ある飲食店の入口に、閉店の貼紙がしてあった。
何の店だったか記憶にないが 「短い間でしたが、ありがとうございました」 と一筆入っている。
「長い間」 でなく 「短い間」 に、儚さを感じたところが、古町の 「光りと影」 のような気がした。

最後は本町市場の田中屋で、好物の 「きんぴらだんご」 を買って帰ってきた。  
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2015年01月20日

年上の切なさ

昔から 「人生の成功者は若い女性を嫁にする」 とか言われたが…

98年 男40歳 女16歳 年の差結婚で有名になった、芸能人夫婦が17年後の離婚危機だとか。
妻は 「決断は変わらない」 夫は 「もう一度、やりなおしたい」  決まり台詞である。

街でロマンスグレーの中高年と一緒にいる若い女性を見かけると、だれもが 「どういう関係かなあ…」と思うのは世の常。

正式な夫婦 実の親子 前妻との娘 上司と部下 店の主人とお客さん 先生と生徒 師匠と門下生…
それとも 同伴出勤   もしかして 不倫   ありゃ 愛人   いや 援助交際…
どこまで親密な関係かわからないが、想像だけはふくらんでしまう。

年の差の夫婦は、何かと興味をもたれるが、どこか怪しいんだけど、どこも怪しくない。
変な好奇心は不要で 「見ざる」 「言わざる」 「聞かざる」 が、大人の礼儀となる。

話を年の差婚 (恋愛) に戻せば、色恋に嫉妬するのは、年の差が大きいほど年上の男。
女の早婚は夫しか男を知らず、夫を通じた世界で若い時代を過ごす。
社会をわかってきたころには、夫はそこそこの高年齢になっている。

中には、妻が若い男と浮気をしないように、行動を逐一報告させたり、外出を制限するようになったり、  その疑心暗鬼が束縛をするようになる。
だから、外出すれば、仲むつまじく映るように見せかけ、他の男の介入を許すまいとしたりさ。

若い妻を嫁にすることは、劇的な 「心の変化」 も、受け容れる覚悟も必要だと思う。
それこそ、男の甲斐性であり、女の心変わりは、男が想像する以上に迫力あるからね。

何年も連れ添った夫婦は似るというが、若い女は若いだけあって、そうかんたんには男に似ないよ。
いつか必ず、他の世界も見たくなるのは成り行きだし、そういう時期も容認しなきゃいけなくなる。

時に若い男の姿がチラついたり、夫に甘えてばかりいた妻なのに、社会知識をつけていくことにより、   次第に対等となっていくから、中にはパート勤めまで制限する男もいるからね。

つまり、いつまでも可愛く、支配的な関係ではいられないことに、男は感情的に嫉妬するんだ。
それに耐えられないようでは、若い女性とはまず一緒にはなれないだろうね。

この際だから、映画を紹介する。
「リチャード・ギア」 「ダイアン・レイン」  共演作  「運命の女」 
年上の男として、生きることへのこだわりが強いからこそ、その切なさを描いた映画である。
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2015年01月19日

日曜一派

17日の中途半端な吹雪から、一夜明けた 18日

休日の用事をすませた後、夜は一切の予定を持たず、自宅でのんびり過ごすことにした。

その前に、今年 「初湯」 となる、銭湯には行きたい。
この寒さで、脂肪という筋肉の硬直をほぐして、疲れを持ち越さずに店に立ちたいからね。
銭湯とは、小さな楽しみである。

週末や連休は仕事だという人は、思いの外に多い。
先週の火曜日 「ディスコにGO」 の、お客さんたちもそういう職業の人で、どこか休日を合わせられる 気軽な集いを求めており、映画 「Shall We Dance?」 さながらの世界観を持つ。

僕のひとり飲みは、今にはじまったことじゃなく、独身時代の名残かと思う。
だからと言って、芸達者な若いお姉ちゃんがいる店ではなく、どちらかと言えば、年季の入った手慣れたおばちゃんがやっている、小さなお店のほうがおちつく。
それに、色恋を求めて、街をさまよい歩いてないから、まあ気楽なモンである。

特別なことは書かないけど、子どものころ、近所のお姉さんにかわいがってもらったことがある。
ホステスさんは昼過ぎから、わずかな自由時間を過ごし、夕方からが仕度時間となる。
昼のノーメイクと、夕方のバッチリメークを比べると、子ども心に戸惑ったりもした。

当時のお姉さん方の中には、今では小料理屋の女将さんをしていたりする。
そんな店ののれんをくぐるのは、子どものころにかわいがってもらったから、程度こそあれ、身の寄せ   どころになるのは自然な趣き。

僕の生活リズムは、標準時間の約6時間遅れだから、飲みだす時間帯もそれなりに遅い。
ただ、閉店時間が早いと言うか、気まぐれと言うか、ご高齢だから仕方ないんだけどさ。
店に行ったけど、そんな理由で急に行き場を失い、古町をフラフラとさまよっていることもあるんだ。

そういうとき、ケータイの電話帳を開いて、「明日休みで、暇を持て余している男はいないかなあ…」と、 「日曜一派」 を探すけど、実際はめったにかけることはないけどね。
そのうち、別ユニットで 「サンデー・ナイト・クラブ」 でも、発足しようかなあ。

銭湯で届いたメールを開くと、某焼鳥屋の大将から 「今日のご予定は?」  … ったく! (笑)  
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2015年01月17日

シャーデー

15日 よく行くスーパーで、その曲名はわからないが、「シャーデー」 が、BGMに流れてきた。

シャーデーは、80年代のヒットシンガーで、僕と同じ世代なら、どこかで一度は耳にしているはずだ。

夕方の買い物客の多くは、そのころに 「青春の盛り」 をむかえていたであろう、主婦層が目立つ。
きっと、その懐かしさに、反応した人もいたかもしれない。

「それなのに、今の私は家庭で世話を焼きながら、人生はいったい何なのよ…」 とか、何とか言ってさ、 昔の恋人とドライブで聴いた曲を浮かべながら、初恋のあのひとに会いたいわ…
なーんて、思うわけないか (笑)

だけど、大人のメルヘンは、現在と過去を分けないとあぶない。
懐メロを未来形にしておかないと、催眠術にでもかけられたようになるからね。
思い出の曲を聴いて、過去の王子様につなげるよりも、未来の王子様につなげたほうが健全である。

僕は、シャーデー の 「イズ・イット・ア・クライム」 を耳にすると、オーデコロン 「アラミス」 の香りを思い浮かべてしまう。
はじめて、その曲を聴いた車中、ダッシュボードに置いてあったのが、アラミスというだけのことだが。

音楽は嗅覚や視覚とも、関係があるんだろうね…
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2015年01月16日

ホッと一息

14日 「親として、一応の義務は果たした気はする」 と、ホッと一息つぶやいたお客さん。
11日 息子さんが、成人式に出席してきたという。

式典は終始、和やかにとりおこなわれ、あたりまえの成人式だったらしい。

ひところの 「荒れる成人式」 といわれた、乱痴気騒ぎはなくなってきた。
それまでの対策はムダに広く報道するだけで、コメンテーターも現実味のない道徳的説教を垂れ流す。
だが今は、蛮行を大げさに報道しないことが、逆に抑止力につながったと思える。

コレ、数年前にも書いたと思うけど、コメンテーターの狭い正論に腹が立ち、思わずテレビに向って、   「だったら、おまえら、あいつらをとめられるのか、とめてこい」 と怒鳴った、10年ほど前の話。

彼らは目立つために、ステージ (壇上) に上がることを企ててきたんだから、ならば、「調子ハズレ」 なことをしてやればいい。

僕が新潟市長なら、壇上に落とし穴を作り、奴らが落ちても何ごともないかのようにスピーチを続ける。
迷惑な自己顕示欲は、取上げないことが最大の防御である。

成人したのなら、親を休ませてやれよ。
それまでの20年間といえば、子どもの学費に養育費、住宅ローンにマイカーローンなどを抱え、あまり好きなこともできず、宴も一次会でサッサと切り上げ、終電で帰る生活ぶりだったであろうに。
当然、この先だってあるんだし、せめて 「おまえに関わることからは楽にしてやれ」 というのが、   自由時間という親孝行なんだと思う。

成人したのなら、考えてもみろよ。
もしかしたら、同窓会にも出席できないほど、家計の厳しさに追われていた時期があったかも知れない。
それまでの人つきあいを遠慮していたり、会社と家庭の板ばさみで悩んでいたかも知れない。
おまえの知らないところで、おまえのために、親が頭を下げていたかも知れない。
子どもはいったん立ち止まって、考えてみるべきであろう…  想像力だ。

だから、冒頭、子を持つ親の気持ちに共感できたんだ。
どこか、「プレイバックシーン」 を見ているようでもあった。
昭和のオヤジたちの愛飲酒 「シーバス・リーガル」 の キーモルト 「ストラス・アイラ」 を注いだ。

「子育て、おつかれさまでした」
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2015年01月14日

遊びと仕事

(1月12日)
妻の女友達でもある、お客さんと4人で 「四川飯店」 で食事会をした。

男は僕だけなので、あんまり出しゃばることはせず、普段着の女性トークを聞いていた。
そのとき、なぜか寛げたんだよね…

もちろん、手際よく出されたコース料理に舌鼓を打ちながら、ホットウイスキーで酔う感覚もあった。
だけど、それ以上に女性が与えてくれる、日常の雰囲気にホッとしたというか…

要するに、男と違って 「女性は難しい話」 をしない。
わかりやすく言えば、今の会話をキチンと楽しむことができるんだ。

「あそこの店はどうたら…」 「会社の人がこうたら…」 ほとんどはどうでもいい話なんだけど、     内容にイヤミがひそんでないから、サラッと楽しく聞き流せる。
それに気軽に向き合っているから、男女の警戒心に固まることもない。

普通なら、無意識に壁を作るのも礼儀なんだけど、あえて出会いや会話がありそうなところを       経験の場にすることによって、その出会いが 「いい運気」 になるときがある。


(1月13日)
この三連休が仕事だった、「平均年齢51歳」 顔なじみの男女がお店で偶然に顔を合わせた。
乾杯そこそこ、そのあとに 「ディスコ」 へ 4人でなだれ込んだ。 (あるんだってさ…)

僕はこうして書いているから、一緒には行っていない。
今の時刻は、午前4時を少し回ったところ…
今ごろ、ボーイズ・タウン・ギャング 「君の瞳に恋してる」 で、盛り上がり状態であろうか。

手前味噌ながら、当店に来ていなければ、こういう展開はなかったはず。
出会いは何よりもおたがいが、相手の懐に飛び込んだことが大きいんだ。
個性のプレゼンなくして、いつまでも誘いを待っているようでは、こういうめぐり合わせはない。
裏を返せば、会うたびに発見があるから、おたがい 「いい気分」 にひたれるんだと思う。

子どものころ、「だれかいないかなあ…」 と期待しながら、公園に出かけたことがあるでしょ。
つまり、恋愛に構える以前に、それこそ、ご飯を食べる気軽さで異性と接していれば、自然と女性観が   身についていくもの。
異性に限定すると緊張するから、気軽な人つき合いと思っていたほうが、本当の自分を出せるかもね。

遠い恋愛にジタバタするより、身近な異性にとけこむほうが、出会いのキッカケは広がるもんだ。
最初はほとほと知らないんだから、今になって時の流れは、財産と化していたりするわけだし。
ただ、身近なことに気がついていないから、すぐにあきらめの胸中に陥ってしまうんだと思う。

平均年齢51歳の、「おっさん」 と 「おばはん」 連中でも、これぐらいのパワーを持っているんだから、それこそ 「男よ来い」 って、ことじゃないか。
オレは、ダメだけどさあ…   ┐( ̄ヘ ̄)┌


(1月15日)
朝には仕事の顔に戻るんだから、人生 「遊びと仕事のメリハリ」 であろう。
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2015年01月12日

五穀豊穣

外出の仕度をしていたら、みぞれまじりの雪が降り出し、その気が萎えてしまった夕方。

「あっ、今日から、初場所か…」  思わず、テレビをつけた。
年6場所を四季の移り変わりにすると、時は早く感じてしまう。

低迷期から、大相撲を見ている者として、この人気ぶりで本場所のチケットが入手しにくくなるのが    少しだけしゃくにさわる (笑)
今の人気は感覚的なものではなく、来場者数や視聴率など、数値化されたデーターによるもの。
これにはいくつか理由をあげられるが、日本人の中に 「やすらぎ」 が、欲しくなったとも思える。

一過去、国民の多くは 「K−1」 や 「PRIDE」 など、殺伐とした競技に感情を高ぶらせた。
団体競技においても、ヒステリックに声援を送る、過激なサポーターの姿を目の当たりにしてきた。
しかし、躁 (そう) 状態で高ぶる気持ちは、そう長きに続くことではない。
冷静な状態において、モノの見方や角度は変わるわけで、リアリティーだけが全てとは違う。

一昨年、店のお客さんと 「プロレス」 を見に出かけた。
場外乱闘の際、近くにいた父親が小さい息子を前にして、「殺してしまえ」 だのと、大声で叫んでた姿を見たとき、イヤな気持ちにさせられた。
これって、「エンターティメント」 なんだよね。
観戦に度が過ぎると、見方に遊びがなくなるから、疲れてしまうんだ。

その点、大相撲は五穀豊穣 (ごこくほうじょう) を願った神事である。
八百長疑惑は昔からあったことだけど、老若男女、あぐらの中で子どもを座らせて安心して見せられる伝統的な 「お茶の間スポーツ」 でもある。

微妙な軍配に抗議したり、挑戦的な態度もせず、土俵上で毅然とした所作で勝敗の行方を待つあたり。
沈黙のプライドは、教育的なモデルケースにもつながると思える。
スポーツにケンカ腰になる人がいるから、逆に冷静な目で見ることができるようになるものだ。

同じ世界に止まり過ぎると、自分の関心のないことは、全否定するようになりがち。
やはり、関心をある程度散らさないと、「やるか、やられるか」 の発想にとり付かれちゃう。
その意味では、スポーツである前に神事、神事である前にスポーツ、五穀豊穣を祈ったお祭りなど、    取りかたは何通りもあるんじゃないかなあ。

それで、好きな力士に話を結びつけると、心情的には 「バラエティー番組向きじゃない」 ひたむきな  力士に好感を抱いてしまう。
僕は、素朴さに情緒的になってしまうタイプ。
だから、「稀勢の里」 には、一度でいいから、優勝経験をしてほしいんだ。
期待を裏切る常連力士なんだけど、あの愚直な不器用さが見放せないんだよね。

それにしても、初日の宝富士戦は勝ったけど、危なっかしい内容だったなあ…  今場所 前途多難か。
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2015年01月11日

OH NO OH YES

テレビ局のアナウンサーとして、採用が内定していたにもかかわらず、大学時代にクラブでアルバイトをしていたことを理由に、内定を取り消しにされた報道は記憶に新しい。

一転、女性が訴訟を起こした末、和解が成立する見通しが立ち、晴れて採用が保全されるというが…

昔、こういうことは表沙汰にならなかっただけで、似たような事例はあったと思える。
真偽はともかく、いつの時代でも、男女の噂には尾ひれがつくことはあった。

男はクラブのホステスに入れあげ、肩書や権限を利用して、入社に便宜を図ったとか。
女はそのときを乗り切るための関係となり、入社後しばらくは常務の女であったりさ。
枕営業の果て、利用したつもりが利用され、利用されたつもりが利用したなんてこと。

オフィスで寝た関係って、傍から見てわかるもん。
言葉遣いがなれなれしくなるし、声のトーンがヒソヒソと下がる。
人目につきにくい場所で立ち話をするようになるし、次第に群れをなさなくなる。
会話の途中で黙って男を見つめ出したり、言動が隠しようなくなってくる。
関係を誤れば、オフィスを全裸で歩いているようなもんだ。

どっちが純情で打算的かはいったん置いて、男の中には出世に響くからとして、それまでの女を平気で棄てるような冷酷さもある。
朱の交わり方が幼いと、浮気と本気が交錯し合い、泥まみれになることもあると思う。
惹かれたのはいいが、妻子ある関係で擬似恋愛したいのか、それとも密会に酔い知れたいのか。
それこそ、竹内まりやの名曲 「OH NO OH YES」 の 歌詞の世界観であろうか。

普通の感覚であれば、身銭を切ってクラブで飲める人は限られる。
会社請求してもらっているか、領収証扱いであろう。
問題は手続きではなく、人 (会社) の金で飲んでいながら、クラブのホステスを口説こうとする根性が浅ましいのである。

クラブは、ドレスアップした姿と楽しい会話で、日常の疲れを洗い流す場所。
それなのに陰に隠れて、会社の経費でホステスを口説こうとするのは、男のぬけがけだよな。
口説きが叶えばいいが、だいたい女性から 「相談がある」 で、聞かされることは、その子につきまといはじめたり、情けない話になると、愚行を 「暴露」 されたりさあ。
それにプライドあるホステスなら、やすやすと大切な体を開けっ広げにはしないからね。

店に通えばセックスをさせてもらえると、本気で思っているから始末が悪い。
だから、抱かせてもらえないことがわかると姿を現さなくなる。
それでいいのかも…  最初から 「クラブのお客さんじゃないから」  コレに尽きる!
今度は他の店でまた似たようなことをはじめ、その界隈ではちょっとした有名人になっている。
それで、風の噂でその男に抱かれたホステスまで、業界で笑い者にされてたりするからこわい。

職業上 「このお客さんは来なくなる…」 と、勘が当ることがある。
不毛な女性がらみだったり、教養レベルで浮いた存在になったり、何かしらの失態をはたらいてしまい、  それから敷居をまたげなくなったとか。
ウソぶって 「行かない」 というより、本当は 「行けない」 ことのほうが、信憑性が高かったり。

僕はクラブに通えるだけの、雰囲気や金銭など持ち合わせていない。
クラブの流儀を守るだけで精一杯だろうし、浮いてしまうのが目に見えるから行かない。
結果として、その店を裏切ってしまうことになるから、早い話、甲斐性がないんだ。

昔の話を思い出扱いしても、今は身の丈に合ったところでしか飲めないし、自分のペースで気兼ねなく通える店があれば十分。
それにあっちこっち、頻繁に鞍替えする年齢でもないし、地味に地域密着型になっていく。

あらためて、クラブやバーは、酒を飲むところだけであらず、社交をする場所でもある。
酒と女はつきモンだから、私生活を誤解されたり、色眼鏡で見られる仕事かも知れない。
だけど、昼と夜の環境の違いだけで、お客さんのことを 「真剣に考えて話す」 こともあるんだよ。

だから、採用内定を取り消すなんてのは、男社会の女性に対するひずみや横暴なんだ。
接待で利用しているのは男だから、「調整的なことを言うよなあ…」 と思ってしまう。
まあ、ハニートラップを、仕掛けられたのであれば話は別だが、男と女は魔性である。

タイトル何にしようかなあ…  OH NO OH YES  で、いいか。
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2015年01月10日

隠れ家探し

天候不順な日、 早朝の移動日、行先が複数ルートの日など、主にタクシーを利用することがある。

タクシーはぜいたくと思われがちだが、自家用車を所持して維持費を支払うのと比べれば、コスト的にもお得で安全である。
まあ、自由度は限られるだろうが。

妻と一緒にタクシーに乗り、複数個所を移動してきた。
車窓から眺める中央区の街並みは、午後なのに薄暗さを感じてしまう。

むしろ、早く日が暮れて、街のネオンや窓辺の灯りがつくほうが、まだ心情的に気分が乗る。
その最たる灯りと言えば、酒飲みにとって、「酒場の灯り」 であろうか。

たまには高みから街の灯りを一望して飲みたいが、ワインやカップルのイメージが強くて、上階の     居心地は 「もういいかなっ…」 て感じだ。
それなら、人気の少ない裏通りにポツンとあるような店で、ひっそりと過ごしていたいタイプである。

個人的には食べ物はほどほどで、酒と音楽に人との会話の三点セットで十分。
と言うのも、年齢とともに酒の量や強さも落ちているので、夜が忙しないと長持ちしないんだ。
それに帰宅がタクシーであれば、気持ちも余裕大きくなるから、酒もほどよく進むでしょ。

こうして、午後の街並みを眺めながら、「このあたりで、日曜日やっていて、ひとりで入れるような店は  ないかなあ…」 など、無意識に物色しているあたり。
この時点で、隣に妻が居ることを忘れているんだから、男って 「隠れ家探し」 をしちゃうんだよね。

オレ、今日これから、仕事だし。
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2015年01月09日

寂しくないか…

6日 「STAP細胞」 の 小保方晴子氏は、調査委員会が示した期限までに不服申し立てをせず、   事実上、不正が確定した。

最後まで、奥歯にモノがはさまったまま、幕切れの悪さを残した印象である。

信じたいんだけど、信じられないもどかしさ。
女は 「しゃべらない」 と、決めたら、男以上に頑として、ウソを吐きとおすところがある。
一度ウソをつくと、ウソを隠すために、またウソを塗り固めるから、次第に整合性もとれなくなる。

それに、ウソの堂々巡りで心を閉ざしている相手に、鋭い質問を浴びせ続けても、逆に身構えてしまい   そうやすやすと本当のことをしゃべるわけはあるまい。
また、不正を追い込みすぎると、悲惨な結果を生み出すことにもつながるから、「真実を斬りこむ」    なんて言っても、ほとんど明らかにならないと思える。
だから、一連の記者会見なんてのは、猿芝居を見せられているようなモンである。

彼女は、実証できなかった真偽をだれにも告白せず、墓場まで持って行くのかなあ。
僕は、だれかに打ち明けていると思っている。
もしかしたら、自殺した教授だったのかも知れない。
それとも、孤独な親和欲求を満たしてくれる、身近な人物とかさあ。

だれにも打ち明けることなく、ひとりで終止符を打つなんてできるのであろうか。
自分の中で、真実とも不正ともつけないまま、最期をむかえたとしたら、あの子は善玉でも悪玉でもない 「凄玉な女」 として、名は残すだろう。

その点、男はペラペラとよくしゃべる。
例をあげれば、浮気の言い訳は完璧であると豪語する男ほど、実はバレているケースは多いでしょ。
ウソの分野では、男は女には、まず勝てないだろうね。

だれでも職業上、人の秘密を知ってしまうことがある。
しかし、立場上で知り得ることだから、人としての信頼度が高いことからではない。
もし、人間性を信じて真実を語るのであれば、口が堅いのはもちろんのこと、話を思い込みで曲解せず   まとめるのが上手いタイプじゃないと、安心して話せないからね。

僕になにかしらの感受性が動いたとき、日常の言語を置きに行ける相手は妻しかいない。
だけど、どういう風に受け止めるかは、妻の受け止め方に負うところが大きいだろう。
それに分野においては、他人の優れた内面を見つけ出して、素直に相談するときもあるからね。

その意味では、小保方晴子氏の周辺に 「真実を打ち明けられる、友人がひとりもいなかった」 としたら コレって、とても寂しいことじゃないか…
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2015年01月08日

Jazz Talk Vol.53

このところ、ジャズカテゴリーに、ほのぼのするコメントが寄稿されることがあり、本来の趣旨からすれば 願ったり叶ったりである。

さかのぼれば、NAGATUKAさんの 「エンリコ・ピィアルヌンツィ」
最近では、MAEMOTOさんの 「マッコイ・タイナー」
数日前には、LOGさんから、コアなエピソードを紹介していただき、思わずニンマリしたり。
今はジャズを聴く人が少ないから、どこかで 「シンジケート談議」 をしたくなるものだ。

以前、お客さんから聞いたんだけど、ジャズ評論家 (執筆家) の 「とみざわえいち」 さんって方が、自身のホームページに、今ジャズブログを紹介してくれたらしいんだ。
僕は、その記事を目にしたことはないんだけど、筆者のことは専門誌のことある記事で知ってはいた。
去年、「がんばらないジャズの聴き方」 なんて、ユニークなタイトルの本を出版したはずだ。

それが、キッカケかどうかは知らないが、匿名ながらジャズのコメントが寄せられることもあった。
中には、非公開の注釈もあり、個人的な閲覧になっていた節もあった。
今となれば、今回で 「140本記事」 なので、過去に何を書いたかなんてあんまり覚えちゃいないし、 まじまじと読み返すこともほとんどしない。

だけど、自分だけにしか書けないエピソード、私的解釈を軸にしているため、商業的な盛り上げ方とは   一線を画しているつもりである。
それでも、ジャズ全体が盛り上がってくれればいいから、はじめてジャズを聴く人が、記事をかいつまみ  少し興味を持ってくれたら幸いだし、難しいことは記していない。

きっと、これからのジャズは緩やかに現状維持で進んでいくか、リスナーが減ることはあっても、増えることがないジャンルであろう。
それでも、今ブログでさまざまなカテゴリーをおりまぜながら書き続けているのは、メインディッシュに  おけるジャズのページを風化させないための意地である。
大そうな使命感なんてモンじゃないけど、おっさんの意地なんだ。

そんな駄文に対して、エピソードをつけてくれることは、時代を愛してペン先で後世に残す、文学的な   見地によるジャズの同志と感じてしまう。
大げさながら、広く浅く語ることもジャズだし、狭く深く語ることもジャズである。
その意味で健全な語り部は好きだし、何よりもおたがいの好きを分かち合えるんだからね。

また、純粋な執筆で個別のテーマでもあるので、意見をいかように受けとられるのは自由であるが、    仮に好き嫌いの議論がはじめると泥沼化するから、一方的な発信は当初から変わらない方針である。
その趣旨を理解して、コメントが投稿されればうれしい限りだ。

今ブログ、複合要素で構成しているから、現代ジャズのひねくれた譜面 (文脈) だと思ってもらえば、話は早い。
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2015年01月07日

3人の女性

世間的に仕事はじめの5日。
万代の街中では、少し張りつめた空気が漂っていた。

いつものスーパーへ出かけると、たまにひとりで飲みに来る、20代前半の女性とバッタリ出会った。
年始のあいさつそこそこ、「ワタシ、彼氏ができたんですよ」 と、屈託のない笑顔を見せる。
若さって、素直な喜び表現にあるんだ。
うん、やっぱり、こうじゃなくっちゃね。

常連女性の自慢の娘さん (Mちゃん 20歳) から、僕ら夫婦宛に素敵な年賀状が届いた。
しかも、全文手書きで、「おかあさんともども、今年もよろしくおねがいします」 なんて書かれているんだから、ノリがカワイイったら、ありゃしない。
早速、一筆入れて、横浜まで返書させてもらった。
「こんな娘がいたらなあ…」 と思うような、年齢になってしまったな。

おかげさまで、40代の女性アルバイトを雇えるようになり、少しだけ仕事に余裕が出てきた。
これまで店を献身的に支えてくれた、妻は少し休ませることにして、代わるパートナーに時々週末の    お手伝いをお願いし、彼女さえいればちょっとした軽食も手が回るし、仕事ぶりもアクティブである。
それも店のお客さんでもあったから、僕もちゃっかり図々しいけど、背に腹はかえられなかった。

だけど、お客さんだから気心が知れており、妻公認であるから、気兼ねすることもない。
最初は近場の女性にお手伝いをお願いしようと思っていたが、個人経営の店はそのときのタイミングや   心意気だとか、気が合うことも含めて人柄だったりするんだ。

特に、僕は体育会系らしいから、ハキハキとサッパリしてるほうがいいのかも。
それに理屈ではない部分で、異性の友だちから、満たされることってあるからね。
そんなわけで、夫婦ではないので誤解なさらず…  安いギャラで一生懸命やってくれるんだ。

10年後は、秘蔵っ子 Mちゃんに、店のお手伝いをお願いしようかな。  そんとき、オレ 還暦か!
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2015年01月06日

生涯の友人

間延びしていた正月気分も薄らいでいた日曜日。

夜の古町アーケードでは、琴の音色と信号機の音響が静かに入り雑じっていた。

同窓会の帰りであろうか…
還暦前後に見える男女7〜8人のグループが、「ニックネーム」 と 「ファーストネーム」を呼合いながらほろ酔い気分でゆっくりと歩いていた。

会合は交通機関の利便性もあり、新潟駅前周辺で行なわれることが多いと思えるが、古町あたりだと、  「中学時代の先輩か後輩かな…」 と、思わず顔を横目で見てしまうのが下町育ち。

僕はサラリーマン時代から、つきあいが続いている友人はほとんどいない。
惚れたフリをしながらつきあうぐらいなら、きれいさっぱりつきあいをしないほうがいさぎいいでしょ。
つきあいは程度問題だが、それは男惚れであったり、人の情や粋に乗じてつきあっているところがある。

でも、本当の友人って、こんな連中のことを言うんじゃないかなあ…

高校3年生の冬休みに、イトーヨーカドーの鮮魚コーナーでアルバイトをしていた。
当時、履歴書に 「柔道部」 と書くと、マクドナルドは不採用になるが、鮮魚コーナーだとほぼ百発百中「君、いいねえー 今日から働かないか」 と言われるほど、大歓迎される不人気職種だった。

後にも先にも、アルバイトの面接で即刻不採用になったのは、旧マクドナルド三越店だけで、そのときの店長らしき面接官が、「おまえ、ウチじゃムリだよ…」って顔で、しぶしぶ感がありありなんだ。
髪型が悪いのか、太いズボンがいけないのかわからなかったが、3K職 (きつい きたない きけん)の 採用率だけは100%を誇っていた。
それに色気づいたころで、女の子と一緒に仲良くアルバイトできる職種を狙ってたのに、結果的には    男所帯の女気のないところばかりでさあ。

そんな複雑な思いで売場に立ち、「ペーパーハット」 と 「エプロン」 をさせられて、「ハイ イラッシャイ イラッシャイ かーちゃん お魚安いよ」 と、大きな声で新巻鮭を売っていた。
試食コーナーでは、じいさんやばあさんたちに、自らホットプレートで焼いた 「マッセル貝のバター焼き」を大盤振る舞いしすぎて、炊き出しコーナーと化してしまい、バイヤーから大目玉を食ったこともある。

それからというもの、バックヤードから売場に出ると、「試食という名の炊き出し」 に味をしめた年配らが「兄ちゃん、今日は試食ねんかね…」 とか言って、寄り集まってくるようになってね。 ( ̄Д ̄;)
集客には貢献したんだけど、「ガッツあふれる買物」 をしてくれなくて、ほとほと困ってしまった。
変に気前が良すぎて、あんまり売場に出してもらえなくなり、パック作業ばかりさせられた。 (笑)

たまに売場の隅から、不自然な動きをする人影が見え隠れしていた。
その方向に目を向けると、複数の友だちが僕の売り子姿を指差しながら、笑って冷やかすわけだ。
最初は、「見せモンじゃねえ」 と、テレるんだけど、内心では来てくれたことがうれしいんだ。

家族に 「塩鮭3切れ買うてくわい」 とか、職場ルールの中で 「Eちゃんのタイムサービス」とか言い   少ない小遣いの中から、何かひとつ買って帰る、友人とのひとときが楽しかったことを覚えている。
何でも安ければ一番ではなく、社会から見た友人、友人から見た社会を教えてもらったというかさ。

今でも、小中高時代の知人が店の噂を聞きつけて、挨拶代わりに顔を見せにきてくれることがある。
つまり、利害関係がないし、純真に離れて再会した関係だから、会ったら会ったで昔の仲間に戻れる。
それに、お店が縁で知り合ったお客さんとも、今になってはビジネスライクなつながりだけじゃない。

生涯の友人って、単純にみずみずしい出会いからはじまっていて、晩年に成熟するような気がするね。
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2015年01月05日

社会デスク

単身赴任している人の多くは、仕事はじめの前日までには現地入りして、翌日に備えるようだ。

特に期末の第4四半期なので、ネジを巻くところも多いのでは。
中には、いまさらネジの巻きようがないと、来期に向けたストーブリーグもはじまるであろう。

これからの時期、昇進や降格、転勤に配置替えなど、胸中おだやかではいられないだろう。
ポテンシャルを開花させる意味では大切だけど、男は傷つきやすい生き物であることはお忘れなく。

それに、あんまりこだわりすぎると、逆に 「敬して遠ざけられる存在」 となってしまう。
要するに 「遊び心」 がないからなんだ。

会社と出世は切り離せないが、ある年齢まで来たら、他人をうらやむことはやめたほうがいいと思う。
これからは、自然体でつきあえる関係のほうが大切になってくるから、いつまでも秘密結社みたいな    真似事につきあってられなくなるし、実は情報通を自己アピールしたいだけのことだろう。

きっと組織のこういう話に加われないと、どこか自分の存在を否定されたような気になるんだろうが、   あんまり権力の行方に敏感になり過ぎるのは、男としてみっともないからね。

ボスが替わると手のひらを返したようになり、方や冷遇された人にはよそよそしくなるもの。
それに周囲の人は、こういうときにどんな態度をとるかで、その人の性格を知ることになる。

やっぱり、公私の区別はつけた上で、バランス感覚に長けていないと魅力に欠けてしまう。
それに男から好かれる男は、年齢や立場に関係なくいつまでも初々しいから、姑息な世界でウロチョロすることなく、裏表がないからつきあいやすいんだ。

40代のお客さんが、こんなことを言っていた。
「外で利害関係のない、第三者と会話しているほうが楽しい」 (得るものがあるという意味だろう)

つまり、たまたま隣合せになった人と、少しうわべだけの会話を交わすだけでも、社会とつながっていることを自覚するときがあるだろう。
もしかしたら、その人も内省的な不安の中に、かすかなやすらぎを求めているのかも知れないんだ。
そういう意味では、バーカウンターは上座も下座もない 「社会デスク」 なんだろうね…

さながら、チャージ代とは、新幹線のグリーン車の指定席みたいなもんだと思っている。
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