2014年11月22日

イニシャル T

自宅のパソコンプリンターの性能がおとろえ、中学時代の友人にデーターをあずけて出力してもらった。

たったそれだけのことだが、彼とはここ7年間、友人つきあいの気楽さを教えてもらった気がする。
友人というとすぐに、「何かあったとき」 や 「本音を言い合える」 など、限定したがる。
そういうとき、本当に連絡するしないは別にして、気楽に連絡をとれる友人はどれほどいるであろうか。

人の気持には、本音と建前が共存しているから、連絡すると迷惑がられることもある。
だから、何かあったときの友人なんてのは、実は大した関係ではないと冷めているところもあるんだ。
何年も会ってなければ、友人と思われていないかも知れないし、街中で会ってもどう声をかけていいかわからないから、元の知人に戻っていることもあるだろう。

それよりも、小さな相談事や頼み事に気持ちよく応えてくれたり、「近くに来たから、顔を見にきたぜ」  なんて関係のほうが、末長くつきあえたりするものだ。
それに、人つきあいは切っても切り放せないから、あまり難しく考えることでもない。
だから、おたがい 「遠慮のカード」 ばかり見せ合っていれば、そのうち共感も消えてしまう。

ほどよい日常の接点なくして、何かあったら何かしてくれる、そんな都合のいいことは絶対ないから。
友人に連絡をためらうこと時点で、もう白紙に戻りつつある心境だと思える。
だからと言って、構える必要はなく、前みたいに自分をさらけ出せばいいことなんだしね。
そう思えば、「つれション」 (一緒に小便する) 感覚こそが、おたがい気を許していることだろう。

僕の友人は、あれこれ気を回したり、気持ちを深読みすることもないから、「フレンド」 なんだ。
友情の厚さや重さでなく、フレンドとしての薄さや軽さ。
つきあいやすいけど、チープじゃないし、チープなんだけど、ディープでもある。
そのディープとは、土壇場に追い込まれたとき、救いの言葉や手を差し延べてくれたりね。

そんな 「イニシャル・T」 とは、気を遣いすぎない、さりげなさに粋を感じるんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする