2014年11月17日

明日の記憶

休日に妻とお寿司をつまみに出かけた。

大概、若いころは、相手に自分をわかってもらおうと、しゃべりすぎてしまうもの。
また、沈黙があると一緒にいて、つまらない人と思われるのがイヤなので、しゃべることを考えていたり。
だから、若いのである。

僕らぐらいの年齢になると、しゃべることを考えたりせず、沈黙に違和感を覚えなくなる。
言い換えれば、次第に空気で会話ができるようになり、手が合ってくるとでも言うのかな。
それでも、若いころは、「言わなきゃわからない」 で、そこそこの口論もしたけどね…

対面席、刺身の盛り合わせのあとに注文した、にぎりが十貫ずつ手元に並んでいる。
僕はアジやサバなどのヒカリやサーモンに食指がなく、妻はイクラの歯応えが苦手である。
この場合、何も言わなくても黙って、おたがいの苦手を交換し合えるあたりが歳月の証。

9年ほど前、日本映画 「明日の記憶」 を鑑賞したときの、オープニングシーンが印象に残っている。
「渡辺謙」 演じる、若年性認知症を患った夫、「樋口可南子」 演じる、献身的に夫を介護をする妻。
そんな夫婦がふたり並んで座り、無言で山あいの夕陽を眺めている、回想シーンから物語ははじまる。
見つめ合うわけでもなく、会話を交わすわけでもなく、ただ一緒に同じ方向の夕陽を眺めながら、     静かにたたずんでいるだけである。

本編を見たあと、熟年夫婦の絆を感じながらも、具体的な語意が出てこなかった。
なぜなら、そのときはその年齢ではないから、目をそらしておきたい胸中になるもの。

つまり、長年連れ添った夫婦にしかわからない、歳月に美学があるんだ。
夫婦生活は見返りや献身を求めることではなく、おたがいの変化から決して目を背けないことが、     在りかたなんだと思える。

オープニングシーンのメッセージが、ようやくわかったような気がした。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする