2014年11月04日

宿題代行

適当に録画した番組で、「宿題の代行商売」 をめぐり、教育評論家と宿題代行業者が議論していた。

子どもの問題ではなく、親たる大人の問題であり、ついにここまでするようになったのかという印象。

中学二年生の二学期 初日。
夏休みの自由課題をしなかったことで、頭に拳骨を喰らい、渋々でも一週間後に提出した。
今になっては、何の課題をどう取り組んだか覚えちゃないが、はっきりしていたのはやる気がなかった。

高校一年生の二学期 初日。
朝から生徒の多くは、宿題をやってきたやつのノートを書き写していた。
僕も真面目に宿題をやらない生徒だったが、この行為はプライドが許さなかった。
それに空白を書き写したり、正解と不正解をそれらしく操作しても、教師は完全見切っているもんだ。
まあ、宿題に関して、良く言えば 「潔かった」 悪く言えば 「やる気なし」 で、渋々である。

さかのぼれば小学生、宿題や自由研究を手伝う親じゃなかったから、どんなにいい加減で不細工な     出来であれ評価も低かれど、とりあえず自分でやった自負はあったつもり。
あっ、そうそう、自由研究でおもしろい上級生がいてね。
見せてもらったら、正方形のマッチ箱を5段ほど重ね、セロテープで巻いて 「小さなタンス」 だって…
あくる日の休み時間、その上級生は教務室で正座させられていた。
そう、拳骨も正座も代償なのである。

宿題や自由研究を代行業者に委託するのは、鼻持ちならない富裕層かバカ親しかいないでしょ。
一般的な親バカであれば、子どもと一緒にエンピツを口に加えて、ハチマキを頭に巻きながら、      親子で唸っているような光景を浮かべてしまう。
こういう、親バカに育てられた子はグレないと思うし、グレても自ら引き返してくる判断力があるだろう。

だけど、バカ親は何でも人任せにして金で換算するから、そうすると子どもは幼くして、特権的な家庭と  勘違いして、どこか金の匂いがするようになるんだ。
親も狡猾 (こうかつ)で、教師が拳骨や正座をさせられないのを見越してるから、始末にうとくなる。
「親バカ」 と 「バカ親」 … 「バカ」 を前に置くか、後ろに置くかで、意味が違うと思える。

「やらんかった、おめーがわーりんだっけ、拳骨さっても、文句言わんねんろ!」
(やらなかった、おまえが悪いんだから、拳骨をされても、文句言えないだろ!)
今、そのぐらいのことを、子どもに言える親っているのかな。
それに、教師も心得ているから、本気で殴ることはしないし、手加減の中に愛情がこもっているって。

こうして、子どもの経験を親の価値観で奪っていくから、偏った感性で自分探しをする若者が多いし、   異様なまでに、挨拶ができなくなったことを寛容とは言えない。
結局、子どもの問題とか言っても、大人の問題に行き着くと思える。

僕は大学を目指して勉強したことがないから、説得力に欠けるのだろうが、学力がなければないなりに、誤魔化すことはしなかったので、学歴は得られなかったが、人に見栄を張らずに済んだ気はする。

中国のことわざ。
「ある人に魚を与えれば、その人は1日食える。だが、魚の獲りかたを教えれば、その人は一生食える」
理解させることは、きっと獲りかたなんだろうな…
  
まあ、僕に子どもはいないけど、親としてのDNAは備わっているから、考え方は及ぶと思っている。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする