2014年11月03日

雨上がり

2日 雨上がりの夕暮れ

澄んだ空気に誘われ、信濃川沿いのやすらぎ堤の土手を、閉じた傘を片手に歩いていた。
そんな万代側から、対岸に見える多くの窓明りは霧がかっているせいか、どこかボンヤリと目に映る。
だれもいない土手を歩きながら、広くあたりを見渡すと、万代周辺は街としての生活機能は整っており   適度に自然も保全されているから、老後を暮らすにはいいロケーションかも知れない。
たぶん、このまま、この街で暮らして行くだろう…

それに萬代橋のたもとでは、水辺の公園スペースも整地されているから、雑然とした騒音に疲れたら、   川辺のベンチで対岸を眺めながら、静かに仕事前のひとときを過ごすのも悪くはない。
その自然の中の静けさについて、今思っていることを書いてみる。

自然の風景を映像で見る分には、音楽は効果的な役割を果たす。
だが、自分が直に見ている風景に、意図しない音楽がズカズカ入ってくると。ジャマになるときがある。
なぜなら、自然の中にこそ、アコースティック (自然の生音) が、映えているからだ。

好きなジャズを聴きながら、目を閉じて耳を澄ますと、普段なら気がつかない音を拾うことがある。
日常生活でも、無音の部屋で寝覚めのコーヒーを飲んでいる時、クリアー感覚になっていることもある。
ウソだと思うんであれば、今この場で3分間ほど目を閉じてみれば、いろんな音を拾えると思う。
「目で聞いて、耳で見る」  そんな感覚じゃないかな…

2年前の春、初めて妻と2人で、上越の高田公園まで夜桜を見に、日帰りバスツアーへ出かけた。
その一角にステージが設営されており、ヒップホップやらジャンルを問わず、さまざまなアトラクションが催されて、その音響が夜風に乗って耳に入ってきた。
音に違和感を覚えたのは、桜を見に行くよりも、桜を感じに行く感覚だったからであろう。

桜の花びらが、ハラハラと舞い落ちる音。
風に枝葉が大きく揺られて、こすれるような音。
観光地化してしまうと、楽しい場所にはなるけど、風情を味わえなくなる。

それなら、昼下りに立ち寄った、弥彦公園の桜の散策道のほうが、まだ自然なアコースティック感を    味わえた気もしたし、そこに増幅装置が加わってくると、どうしても風情は失われてしまうからね。
イベントが五感という視界を、さえぎってしまうこともあるんだ。
つまり、迫力のある桜の強い風景の中においては、音楽がジャマになるときもあるから不思議だ。
それと同じく、花火大会で打ち上がる生音に音楽がかぶると、夜空の画面が台無しになることがある。

春夏秋冬、映像だけでは、聞き取れない自然な音ってあるわけで、料理でも 「さしすせそ」 の配分を入れ間違えると、素材が失われてしまうこともあるからね。
それら風の音だったり、今なら落ち葉が舞い落ちる音だったり、自分の服の衣擦れ音だったりする。

雨上がりの夕暮れ、意識してなければ聞こえてこない音を感じた日であった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする