2014年11月30日

I My Me

世の中、曖昧なことだらけ。

新聞社会面、「元大臣が政治資金でキャバクラ」 との見出し記事を斜め読みした。
当人は参加しておらず、秘書が 「会合費」 で処理したとかで、近く返金を求めるとか。
最近の関連記事とつけ合わせると、「キャバクラ」 か 「ワイン」 か、それとも 「うちわ」 か、      本人は知ってか知らずか、こういうことは結構あるんだ。

僕自身、過去にいくつも経験している。
上司が勝手に僕の名義で、35万円の仮払いを起こして未清算の末、監査から事情聴取されたこと。
接待交際費の枠内の人数調整のため、同席したこともない高級クラブに架空の参加者にされたこと。
大小数あれ、姑息さは切りなかったけど、そんなもんである。
それを申請した方も、領収証を清算した側も、懐刀をしのばせた権力のとりまきだから、それはそれで   タチが悪いんであって、健全に会計されたとしても、内部監査なんて怪しいとしか思わざる得ない。

当店、まだネットが細かく行き届いていないころ、どこかの会社の経理部みたいなところから、      領収証の確認と形態の問合せがきたことがある。
コンセプトは 「ジャズをBGMにお酒を愉しみ、健全な会話で寛ぐ大人の空間」 であり、変な       「おもてなし」 なんかないし、それ以上もそれ以下もない。
このあたりチェック機能と思えるが、領収証の承認は人の感覚的なことも影響するから難しいんだ。

キャバクラだって、社交業として不健全な店ではないし、不適切かどうか偽善的なことも言えない。
スナックやバーも、多くの意味で目を背けたくなる店でなければ、倫理観の範囲で認められているはず。
中には、「食事を建前」 に官僚があしげに通っていたことで有名となった 「ノーパンしゃぶしゃぶ店」 なんてのが、まかり通っていたんだから、そっちのほうが問題だ。

ソープランドも似たようなモンで、個室ですることはみんなわかっているはずなんだけど、扉に小窓を   つけることで言い逃れができて、それを正面切って、「性風俗反対」 なんていうやつはいないわけだ。
そう考えれば世の中、なんでもかんでも白黒つけられる問題ばかりじゃなくて、それをできるのなら   「やってもらおうじゃないか」 であり…  できっこないって。

ただひとつ、僕なりの見方になるが、「法律に違反してなければ、なにをやってもいいだろう」 と、     こう開き直る姿は好きになれない。
時事問題なら、網の目をかいくぐった 「危険ドラッグ」 なんて典型的であり、既得権を振りかざすのは なんだかカッコ悪い気もする。

仮に自宅前の玄関をふさぐようにして車が止まっており、それをとがめたら、「税金払っているし、ここは公道でしょ」 なんて言われたら、そんなバカを真っ向から相手にはできないわけだ。
このあたり、他人への気の使い方に、カッコ良さが表れるんであってさ。

それを知っているのと知らないとでは、庶民生活は大きく変わるだろう。
政治家みたいなことを言うつもりはないが、何でも、「イエス」 か 「ノー」 で分けられることはなく、  もしあるとすれば、土壇場に立たされたときぐらいじゃないか。
選択したものが、「アタリ」 か 「ハズレ」 は、最終的には自分の見分ける力なんだと思えるけど。

当店で、「竹鶴」 を好んで飲む、40歳のお客さんがこんなことを言っていた。
公平性を保つ野球の主審が、ボールかストライクのきわどい判断の場合、双方の人がらで決めるとか。
言い得て妙であり、これを曖昧とするか否か、人間の本質なんてこんなモンじゃないのかなと共感した。

僕がピッチャーなら、毎回満塁押し出しのフォアボール、相手によってはビーンボールを投げるかも… 
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2014年11月29日

生活はコント

夕方、妻がめずらしく、「今日、夕飯作る気がしないんだ…」 とボソリ
「味は保証できないけど、オレが作ろうか」 と提案したが、即刻却下!

そしたら、「あっ、たまには、ハンバーガーを食べたいな」 とつぶやく。
今まで、フィンガーフードを食べたいなど、言い出したことがないので、めずらしいことだ。
まあ、そんないい加減さも大切かと思い、ひとりで近くのファストフード店へ買いに出かけた。

学校帰りに立ち寄った学生らで賑わっていた、店内の短い列の後尾に並びながら、なにを頼もうか     電光メニューを眺めながら、テリヤキにグラコロだの… 注文の品を整理していた。
順番が巡り、最初に 「持ち帰り」 を告げてから、おすそわけ分も含めて、2袋の量を注文した。
すると、テレビやコラムで紹介されるような、「おかしな接客」 って、本当にあるんだなと思った。

精算の際、若い女性店員から、「店内でお召し上がりですか」 で、きたもんだ。
この年齢で、わたしゃ 「フードファイター」 じゃあるまいし、これだけの量をひとりで店内で食べていたら恥かしいわいと思いながらも、もう一度 「いえ、持ち帰りで」 と、平常心で告げた。
地元のよしみでいちいち言わないけど、こういうのはいずれ、気づかざる得ない青春の一面なんだよね。

2週間ほど前にも、こんなことがあったなあ。
某対面売場で、800円ほどの食品を購入し、若い女性店員に一万円札を差し出した。
するとあずかった札をそのままレジに入れて、「一万円いただきました、どうもありがとうございました」と購入商品を手渡され、一瞬の間ができた。
「おつりどうしたんかな…」 と、ポカーンとなったけど、そのあとで表情変わらぬ動作で返却された。

店員の言葉の使い方と作業手順がバラバラだったので、少し困惑させられたが、日常のいろんな      ケースを 「生活はコント」 だと思っていれば、笑い飛ばせることも多いからね。
むしろ、それに対して、自分はどのような対応をするのか、客観的に判断して修正できればいいかな    ぐらいにしか思ってないから、人に正しさを振りかざすつもりはないんだ。
倫理的な指摘はあるけど、アラ探しをして指摘するほどの物好きじゃないので、日常生活は少し寛容で過ごしていたほうが楽しいでしょ。

フニャフニャにしおれた 「フライドポテト」 を、塩まみれの左手3本指で、口に運びながら執筆。
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2014年11月27日

Jazz Talk Vol.50

開店7時の灯りを入れて思ったことが、今、音を出したころかなと…

今晩26日 新潟で 「上原ひろみ」 トリオ の公演が行なわれた。
前に、彼女の斬新な魅力を記したが、進化系のニュージャンルとして聴いたほうがいいだろう。

コンサートのあと、だれもが体内に熱がこもっているので、余韻に添える店でクールダウンをはかるのも充実した楽しみであったりする。
僕自身、ジャズに限定せず、スポーツだろうが、映画であろうが、終演後の会話を楽しみにしている。

去年、プロレス観戦したあと、居酒屋談議になったのだが、あくまでも観戦は会話のきっかけでしかなく、 コミュニケーションが教養だったりする。
知識量にもよるが、それがゆるい会話であっても、そういう時間を裂く人は少なくなり、もう終わったら  そそくさと帰宅してしまう人のほうが多い。

僕の場合、高校生の頃から、ジャズを聴いているけど、夜の9時にコンサートが終了後、その足で     ジャズをコンセプトにした店へ行き、そこの店主相手に興奮冷め止まぬ口調で話していたものだ。
今思えば、ガキの興奮をにこやかに聞いていた大人の余裕を感じながら、気分清々しく家路に着いた。
と、いうのも、次の日に学校へ行っても、ジャズの話をできる友人がだれもいなかったから、4ビートが  目を覚ますネオンの灯かりに、まばゆい刺激を見出していた。
浅い夜遊びを覚えたのも、ちょうどそのころだったかも知れない。

感じても、人に伝える場所がない文化は、文化として育たないと思っている。
だから、こうして、つたない乱文を恥じらいも外聞もなく、書いているんであってね…

今ツアーメンバーの、ベース 「アンソニー・ジャクソン」 (6弦EB) は昔から好きだ。
数多くのユニットのなかでも、それを確信させたのが、「ミシェル・ペトルチアーニ」 トリオ による、   「A列車で行こう」 だった。
あの、うねるような独特のフレーズ感覚なのに、どっしりとした安定感に魅力があるんだ。

そう書きながら…   今晩、オレ、聴きに行ってねえし ! 
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2014年11月26日

モイスチャー

外出時に空を見上げると、微妙な小雨模様だった。

連休をはさんだ週初めは、公私の雑用が多くなる。
天候によっては、自転車が徒歩に代わり、徒歩がバスやタクシーに代わる。
荷物があるときや移動時間によっては、それぞれにて交通用途を判断する。

最近は天気予報を見ては、前日に買物を済ませておくこともある。
むしろ、雲におおわれた小雨の日には、コーヒーショップで読書をしたいタイプだからね。

昨晩、2メーターほどの距離を移動するため、タクシーを利用した。
還暦を過ぎたと思える女性ドライバーの話によると、突然降りだした雨は一斉に忙しくなるが、      朝から雨模様が続いてしまうと、人は外出しなくなるから暇なんだとか。
雨はタイミングなんだろうね。

25日、開店早々に扉を鳴らしたのはTくん。
毎月、どこかの週末にひとりで来店するのだが、週初めはめずらしいことだ。

今晩、28歳の彼について、少し触れてみたい。
ひとりで飲む時間を好み、月に一度は休みを利用して、自分の好きなテイストを雑じり合わせて      過ごせることが、自立したところである。
ひとりで映画を見たり、カラオケ店で歌声を磨いたり、寿司屋のカウンターでつまんだり。
その最後の行き先が当店となり、足がふらつかない程度に、新潟駅へ向うこと4年近く。

彼は群れをうらやむようなことはせず、自分の意思を大切にするところに好感が持てる。
行動を変わり者扱いされようが、適度に他人の視線を気にしないあたり、自分を持っているんだと思う。
これも狭いお店の距離感が成せる見方で、メインストリートで何回転もするようなのはバーではあらず。

その意味で、バーは今日の天候のように、「モイスチャー」 なのかも知れないね。
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2014年11月25日

ナンパ講師

何でも、職業 「ナンパ講師」 と名のる、アメリカのうさんくさい白人男が、女性蔑視を理由にイギリスに入国させてもらえなかったとか。

しかも、「日本人の女性なら、好き放題に遊べる」 として、次のナンパ講習国にしていたんだから、   白人男性おそるべしである。
もちろん、「日本人女性は、尻軽ではありません」 との声が聞こえてきそうだが、だいたいのケースは  本人を目の前にしたら、その言葉に屈することとなる。

東京時代、オーストラリア国籍のビジネスパートナーが、同じことを言っていた。
打ち合わせの合間、「日本に来て、何人の女と寝たんだ」 と冷やかすと出るわ出るわ、相手の名前すら憶えちゃいないし、迫って断られることがないという。
日本人の感覚からすると、誘いを断る女性にこそ、どこか憧れを抱くんだけどね。

彼曰く、セックスはゲームであり、趣味だとも。
抱かれた女も、「思い出をもらったからいいの」 だとか。
若いときほど、男は秘め事をどこかでしゃべっているもの。
女は目を見ればわかるし、静かに喜怒哀楽をぶつけるようになる。
男女の行動パターンなんて、観察せずもだいたいは決まってくる。

このあたり、相手をわかってつきあわないと、後々ややこしくなる。
「リベンジポルノ規正法」 がすんなりと可決されるほど、社会問題になっているんだしね。
それに、公開されたら恥かしい画像を許すことのほうが、信じられないけどね。
それが、社内の不倫関係であれば、パンツをはかずにオフィスを歩いているようなモンだから、      格好の酒の肴となり、目もあてられなくなる。
好奇心なんだろうが、好色劇と思われるのはプライドが許さないから、それらしい理由をつけるんでさ。

30年前、新潟のナンパスポットに行けば、発情期のネコがお見合いしていた光景があった。
今みたいに、ネットでなりすましたアプローチができないから、まずは声をかけるしかなかった。
男は猫なで声で女に近づくが、気のない素振りをされたりすると、とたんに 「ブス」 や 「うんこ」 だの捨て台詞を吐いて、「次に行こう」 とかいって、消えたアホな男も多かった。
女もこういう経験をしながらも、男を学んでいたと思える。
危うくヘタ打てば、潜伏期間後、泌尿器科に通院するハメになったりとかさ…

あのころのナンパなんて、大人の恋愛に入る前の試し撃ちみたいなもんで、そんな世界からはサッサと卒業していくのが、健全な若者の姿だったような気もする。
だから、ナンパは男女の微妙な距離感を測るのが学びであって、曖昧だからナンパだと思う。
そこで、純愛とか遊びを持ち出したりすると、またややこしい話になるんであってね。
また、こういう世界があるから、男女の曖昧さがわかるんであって、そんな講習レベルじゃないわけだ。

それにナンパ講師に安くもない講習費を払って、参加する男も 「大賞モン」 じゃねえか。
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2014年11月24日

大鵬伝説

昭和の大横綱 「大鵬」 は、真の伝説になったのだ。

横綱 「白鵬」 は、大鵬がもつ、歴代優勝回数32回の大記録に並んだ。
来年、2場所以内には、新記録を樹立するであろう。
そもそも、同じ人間業をこえられないのはおかしいのであり、これからの白鵬は新伝説であるべきだし、大鵬は記録を更新されたことで価値が上ったと思える。

白鵬はモンゴルからの入門志願者の一団として16歳で初来日した。
しかし、体重60キロそこそこの痩せ型であり、どこの部屋からも受け入れてもらえなかった。
そんな帰国直前、有志の計らいにより、宮城野部屋に入門できたことは語り草に。
初土俵から13年、横綱在位8年、白鵬はついに快挙を成した。

日本人横綱の誕生は期待できないのかな。
まず、日本語を覚える能力からして、覚悟がわかるというもの。
それも退路を断ち来日したのだから、根性からして違いがある。
選ばれた素質が飢えた努力をしてるんだから、そりゃ強くなるわけである。

豆知識ながら、本来の番付には、「横綱」 という地位はなかったんだとか。
最高位は大関であり、三役とは、心技体が充実した 「大関」 「関脇」 「小結」 と聞く。
では、横綱とは、雲の上の存在で、その重責を果たせなくなったときには、大関に陥落どころか、     引退の二文字しかないんだから、これ以上はない厳しさである。

そのほとんどが遊び盛りの20代なのに、象徴的な存在になるんだから、強さはまぎれもなく一番だが、どこかで思い上がりも出てくると思う。
そこを修行できて、今の地位と強さを保ったんだから、ここが 「朝青龍」 と異なるところであろう。
つまり、鉄の実力主義ながら、情という精進主義もないと、人から厚意をもたれないと思う。

あと2〜3年もすれば、白鵬と入れ代わりに、「逸ノ城」 と 「照ノ富士」 時代到来の予感がする。
「遠藤」 は、期待と不安が入り交じるが、このままでは 「豪栄道」 化する、気もしなくはない。
これも時代のイタズラなのか、新星の遠藤が伸びてきたと思ったら、今度は超新星のモンゴル勢が     頭角を現してくるんだから、いずれにしても玉石混交であることには違いない。

盛り上がっているところには、自然と高い素質が集まってくるといわれる。
その中で、自分の強さの見せ所がある逸材が、これからの白鵬の大記録を追っていくんであってさ。
こうして、昭和の大横綱 大鵬は真の伝説となったのである。

今日から、夕方のニュース番組に音声が切り替わるわが家…
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2014年11月22日

イニシャル T

自宅のパソコンプリンターの性能がおとろえ、中学時代の友人にデーターをあずけて出力してもらった。

たったそれだけのことだが、彼とはここ7年間、友人つきあいの気楽さを教えてもらった気がする。
友人というとすぐに、「何かあったとき」 や 「本音を言い合える」 など、限定したがる。
そういうとき、本当に連絡するしないは別にして、気楽に連絡をとれる友人はどれほどいるであろうか。

人の気持には、本音と建前が共存しているから、連絡すると迷惑がられることもある。
だから、何かあったときの友人なんてのは、実は大した関係ではないと冷めているところもあるんだ。
何年も会ってなければ、友人と思われていないかも知れないし、街中で会ってもどう声をかけていいかわからないから、元の知人に戻っていることもあるだろう。

それよりも、小さな相談事や頼み事に気持ちよく応えてくれたり、「近くに来たから、顔を見にきたぜ」  なんて関係のほうが、末長くつきあえたりするものだ。
それに、人つきあいは切っても切り放せないから、あまり難しく考えることでもない。
だから、おたがい 「遠慮のカード」 ばかり見せ合っていれば、そのうち共感も消えてしまう。

ほどよい日常の接点なくして、何かあったら何かしてくれる、そんな都合のいいことは絶対ないから。
友人に連絡をためらうこと時点で、もう白紙に戻りつつある心境だと思える。
だからと言って、構える必要はなく、前みたいに自分をさらけ出せばいいことなんだしね。
そう思えば、「つれション」 (一緒に小便する) 感覚こそが、おたがい気を許していることだろう。

僕の友人は、あれこれ気を回したり、気持ちを深読みすることもないから、「フレンド」 なんだ。
友情の厚さや重さでなく、フレンドとしての薄さや軽さ。
つきあいやすいけど、チープじゃないし、チープなんだけど、ディープでもある。
そのディープとは、土壇場に追い込まれたとき、救いの言葉や手を差し延べてくれたりね。

そんな 「イニシャル・T」 とは、気を遣いすぎない、さりげなさに粋を感じるんだ。
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2014年11月21日

万歳解散

来年10月、消費税率10%に引き上げる案は先延ばしとなり、3年ぶりに師走の衆院選挙となる。

二期連続、日本全体の景況感が回復しないことにくわえ、中央の好景気がまだ地方までに波及しない。
予定通り実施すべきとしているのは、中央資本のグローバル企業、所得水準の高い人たちでありながら 肝心の個人消費が伸びないんだから、シナリオの刷り直しは否めないであろう。

それに賃金や雇用が拡大しても、すぐには投資マインドが回復するとは思えない。
長年のデフレマインドがしみついているんだから、使わない工夫や、ためる工夫から脱却するには、    まだまだ時間はかかるだろう。

僕の仕事を好意的に見れば、人間文化の充実と言えようか。
偏見的な見方をされれば、生活に関連のない分野ではある。
見方はそれぞれ、車の運転に置き換えれば、ハンドルに遊びがないと危険運転につながる。
純粋である一方、関心のないことは全否定していると、グレーゾーンの処理がわからなくなると思う。
本当の景気回復とは、そんな気持ちのおすそわけなんだからね。

師走のせわしない時期に総選挙か…
「宴たけなわではございますが、これをもちまして、今日は解散! (帰さない) … なんちゃって」

あの、どうしょうもねえ、オヤジギャグが思い浮かぶ、そんな師走になりそうだ (笑) 
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2014年11月20日

Till Bronner (Tp & Vo)

毎年、クリスマスシーズンに合わせ、それらしいジャズのアルバムを店に用意しておく。

だからと言って、ありきたりな企画モノを流すだけではつまらない。
「チェット・ベイカー」 のトランペットとヴォーカルのように、甘美で枯れた感じもいいが、それだけでは  ダークすぎるし、どこか青春の盛りがないとカラフルなツリーも、すすけた白黒に見えてしまう。
ここはやはり、色気も欲しいところだ。

それにだれもが自然と口ずさめるメロディーのあと、少し感傷が残るぐらいがいい。
ならば…  「ティル・ブレナー」 だ。
アルバム  「チャッティン・ウィズ・チェット」 (チェット・ベイカーに捧げる) に、決めた。
クラブ風のアプローチなので、訳し方は人それぞれだが、まあ、今年はコレで行こうか。

その中から、「ノット・ライク・ディス」 という、わずか2分半ほどの曲が入る。
トランペットとピアノのデュオ (二重奏)で、男女をやさしく包んでくれるようで好きだ。
30秒ほどのピアノのイントロのあとから、むせび泣くようにトランペットが語り出す。
彼の語りをジャマすることなく、彼女はきれいな接続語と相づちを打ちながら次の言葉を待つ。

ライナーノーツにも、名演にも取上げられていない曲ながら、この一曲だけでもアルバムの価値は     高まったし、僕の中では、「隠れた名演」 として、いつまでも心に残るものとなった。
そんなジャケットにも、心が奪われそうである…  When I Fall In Love

今夜、クリスマスツリーをセットした

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2014年11月19日

高倉 健

「高倉健」 が、運命を全うした。

俳優 「高倉健」 の魅力を語れるほど、作品は見ていないので、何とも言いがたい。
人間 「高倉健」 の魅力は、これまでに数多くの証言があるし、これからも語り継がれるだろう。

まず、あれだけの大スターなのに、その素顔は平凡な日常を大切にして、目上だろうが年下であろうが気づかいに長けて、気さくで偉ぶらない人柄が、人間としての厚みがあったとか。
これもきっと若いころから、仁侠映画の主演だったので、当然ファンの中には 「モノホン」 も雑じって いただろうから、自然と作法が身についたところもあるのだろう。

ヤクザは、矛盾した生き方だが、「仁義を切る」 「義理を重んじる」 など、われわれの一般社会よりも しっかりしているし、挨拶ひとつにしても、つべこべ言わせずに叩き込まれる。
それは、良くも悪くも力の世界で、どこぞの悪ガキであろうと、すぐにおとなしくなるほどだ。
男の世界では、長幼の序を守り、挨拶もロクにできなかったら、バカにされて相手にもされなくなる。

役柄、そういう世界との接点もあったから、好む好まざる、任侠を反面教師にせざる得なかったと思う。
それがバカスターなら、自分もヤクザの一員になったつもりになり、「虎の威を借りた姿」 をほのめかすだろうが、高倉健は姑息な生き方とは無縁な気がする。

僕より、ひとまわり半ほど上の世代には、健さんに憧れている人は結構いる。
真っ当に憧れた人なら、暴走老人のような、こっ恥かしい真似はしないだろう。

今は、象徴的なスターが不在だ。
「この人を手本にしたい」 とか 「この人を探りたい」 など、内面に興味を持たなくなった。
興味を持つとしたら、「ヘアースタイル」 に 「ファッション」 または 「しゃべり」 や 「ふるまい」 など、外見的なモノマネばかりで、内面的なスケール感に欠しいんだ。

若さの特権として、形から入るのは理解できる。
だけど 「似せた自分のかっこよさ」 にしか、目が向いてないから、薄っぺらい気がしてならない。
その意味で、高倉健の存在は、男の味わいがにじみ出た、貴重な役者のひとりだったと思える。

特別なファンでなかったけど、「幸せの黄色いハンカチ」 「鉄道員(ぽっぽや)」 は心に残った名作だ。
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2014年11月18日

銭湯の達人

子どものころから、「それ」 は見慣れてはいたが、同時に憧れでもあった。

銭湯の下駄箱の上、脱衣場の括りつけの棚などに、少し色あせた洗面器が並んでいる。
その中身と言えば、石鹸にシャンプー、ナイロンタオルなどを貸し出す分かと思っていたが、どうやら   常連客のあずかり分らしい。

そもそも、あずけられる人とは、どういう人であろうか。
常連客だけに与えられた特権のようなものだろうが、見る限りあまり使用されているようには思えない。
中には何ヶ月、いや、何年もそのままにしてある洗面器もあるようだし、番台の店主も整理に困っているどころか、まったく気にかけてもいない様子である。

僕が育った新潟の下町では、洗面用具を預ける人は新潟鉄工所や町工場に勤める工員さんと相場は決まっており、ほぼ毎日のれんをくぐっていた記憶がある。
ここ沼垂地区では、定期的に寄港する船員さんらが、信頼を条件に置かせてもらっているようである。
それに近隣のお年寄りのモノであったりね。

洗面用具とは、決して他人が手を触れてはならないもの。
なぜなら、生身の体を洗う神器だから、それを無断で使用することは、他人の性器に触れる行為だ。
(なんだかオレ、すごいこと書いたような気がする…)

この1年ほどは、銭湯に行く回数は減ったけど、月に1〜2回はのれんをくぐるので、本当は洗面用具を預けておきたいんだけどね。
肩にタオルだけ引っかけて、下駄を鳴らしながら、サッパリと身ひとつで帰ってこれたら粋じゃない。
それは、近代的な入浴施設では似合わないし、やっぱり昔ながらの銭湯なんだよな。

何年も銭湯に通っているけど、番台と親しいわけでもなく、顔なじみを作りたいとも思わない。
あくまでも、温かい時間と静かな空間の中で、疲れをとりたいだけなんだからね。
まあ、洗面用具をあずけるには、それなりの場所も借りるんだから、憧れなれど厚かましいかな…

でもね、棚にいつまでも古ぼけた洗面器が置いてあるのを見ていると、「もしかして、この持ち主 (老人) は、もう、この世にいないんじゃないのか…」 と。
そんな、人生の一抹を感じさせることもある。

子どものころから、見慣れている 「それ」 は、どこか地域に根ざした特別な特権を持つ、銭湯の達人による、象徴のように思えて、少し憧れているんだ。
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2014年11月17日

明日の記憶

休日に妻とお寿司をつまみに出かけた。

大概、若いころは、相手に自分をわかってもらおうと、しゃべりすぎてしまうもの。
また、沈黙があると一緒にいて、つまらない人と思われるのがイヤなので、しゃべることを考えていたり。
だから、若いのである。

僕らぐらいの年齢になると、しゃべることを考えたりせず、沈黙に違和感を覚えなくなる。
言い換えれば、次第に空気で会話ができるようになり、手が合ってくるとでも言うのかな。
それでも、若いころは、「言わなきゃわからない」 で、そこそこの口論もしたけどね…

対面席、刺身の盛り合わせのあとに注文した、にぎりが十貫ずつ手元に並んでいる。
僕はアジやサバなどのヒカリやサーモンに食指がなく、妻はイクラの歯応えが苦手である。
この場合、何も言わなくても黙って、おたがいの苦手を交換し合えるあたりが歳月の証。

9年ほど前、日本映画 「明日の記憶」 を鑑賞したときの、オープニングシーンが印象に残っている。
「渡辺謙」 演じる、若年性認知症を患った夫、「樋口可南子」 演じる、献身的に夫を介護をする妻。
そんな夫婦がふたり並んで座り、無言で山あいの夕陽を眺めている、回想シーンから物語ははじまる。
見つめ合うわけでもなく、会話を交わすわけでもなく、ただ一緒に同じ方向の夕陽を眺めながら、     静かにたたずんでいるだけである。

本編を見たあと、熟年夫婦の絆を感じながらも、具体的な語意が出てこなかった。
なぜなら、そのときはその年齢ではないから、目をそらしておきたい胸中になるもの。

つまり、長年連れ添った夫婦にしかわからない、歳月に美学があるんだ。
夫婦生活は見返りや献身を求めることではなく、おたがいの変化から決して目を背けないことが、     在りかたなんだと思える。

オープニングシーンのメッセージが、ようやくわかったような気がした。
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2014年11月15日

65点の人

だれが歌っていたのか、どのタイミングで聴いたのか、今では曲名すらも思い出せない。

高校生のころ、女性アイドルが歌うサビの部分で、「65点の人が好き…」 とかいう、乙女心を表現した歌謡曲があり、歌詞は 「100点の男の子は好きじゃない」 ような内容だったと思う。
10代の女子は、男子に完全を求めなかったし、欠点も個性の一部で受けていた気がする。

時は進んで、バブル期…
結婚条件は、3高 (高学歴・高収入・高身長) と言われ出したころから、多くの女性は男の見た目や  経歴を重視し、どこかお金のにおいがする恋愛を求めはじめた。
最初は純愛ながら、今の男よりも条件がいいだけの男が現れたら、平気で乗り換える軽薄さもあった。

3高を条件にしていた、女性たちは今ごろどうしているか。
お局に君臨して、自分が3高化 (高年齢・高姿勢・高血圧) しているのじゃ。
この一節で、「まあ、失礼しちゃう」 なんて、怒った女は図星だろう。

内面35点の女性が、100点の男を求めるのもいいが、そういう女ほど自分をわかっていない。
外見なんてのは、神様からあてがわれたものとして、清潔感そこそことしよう。
だけど自分の点数を上げるための、内面的な努力をしないのにだよ、そんな夢みたいな出会いなんて    あるわけないんであって、仮にあったとしても魂胆を見抜かれてしまうだろう。
ここまでの一人称、女を男に変えてもいいさ。

男女のつきあいなんて、65点ぐらいどうしのほうが、ちょうどいいような気がする。
足りない35点を、おたがいの年月と経験でフォローし合い、内面の充足感を得たほうがいい。
3高を基準にするのは間違っちゃいないが、気持ちを65点ぐらいに定めておけば、高い確率で出会いはめぐってくるだろうし、なによりも自分自身が疲れないと思う。

足りない35点が課題になるのに、相手には高い理想を掲げるが、肝心な自分が怠惰な生活してれば、世話ないわけであってさ。
「65点の人が好き」 という心情は、空腹は最高のグルメと同じこと。
人の気持は好きと嫌いだけで分けられるもんじゃないし、曖昧さも恋愛のひとつだと思っている。

出かけるまで時間があるから、もう少し書くとする。
男に求める理想が高いほど、部屋でキティちゃんのクッションを座布団にして、サバの缶詰を食ってる。
缶焼酎を飲みながら、ケツをポリポリかいて、垢を床にボロボロ落として、そのあとコロコロをかける。
フリーペーパーをめくりながら、「どっかに、私の理想に叶う、とびっきりのいい男はいないかしら…」とかなんちゃら言って、今度はポテチを食いながら、出会い系サイトに登録するんだ。
そんで、「A子からは、横顔が黒木瞳に似ているって言われる、ナウ!」とか言い、屁をぶっこきながら、おおぼらを吹きまくり、パンツを裏返しにはいて、「フンガー!」 と、いびきをかいて寝ているんだ。
そういう女の家のトイレは、便器に 「ネンボ」 (クソ) ついているから、トイレクイックルじゃー。

いい年齢なのに、こういう余計なこと言うから、俺は女性から嫌われる…  自己採点 18点  赤点! 
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2014年11月14日

越冬仕度

13日 午後2時40分 友人にメールを送信後、部屋のカーテンを開いた。

予報どおり、外は寒気による暴風が吹きすさみ、グレーの雲が北東に流されていた。
すると雲の切れ間から、スカッとした青空が抜けて見え、陽の光が街中を照らした。
雲上のスカイブルーは、瞬く間にグレーにおおわれ、視線を落すと桜の木の葉がすっかりオレンジ色にそまっており、天と地のデジャブを見たような気がした。

今日は気温が一段と下がった。
それでも今冬、エルニーニョ現象の影響で暖冬となるらしく、平年より2〜3℃は気温が高くなるとか。
しかも、寒気が長く停滞することは少ないと聞くが、そうなればほどほどに嬉しい。

夜に仕事をする身分としては、天気予報は必ず目を通しておくことが日課である。
特に外出をはじめる昼下り、開店7時以降の空模様は気になってしまう。
悪天候に直面すると、客の引きは早いし、深夜は途絶えてしまうからね。

これからの時季、寒空の下、コートの襟を立てながら、街角を歩いてくるお客さんの心情を思えば、    店内を暖めておくのが人情。
冬の魅力は人との距離が少しだけ近くなり、何となく温かい気持ちにさせられる。

インナーを一枚、重ね着した。
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2014年11月13日

さとり世代

近年の若者は、自分の収入枠でも、会社の交際費の枠であっても、お酒をたしなまないといわれる。

そんな若者は、「さとり世代」 と名づけられ、特徴は 「消費しない」 「上昇志向がない」 加えて、    「会話は面倒なこと」 と考えているらしい。
本当のところはわからないが、人と直に対話をする、対人関係のあたりまえが果たせないのかな。
まあ、できないことを面倒なことで、かたずけているんだとも思える。
それら、何も若者に限ったことではなく、僕らの世代でも、似たような現象は起きている。

コミュニケーションは、手段としてのメールやラインであり、本来の目的とはならない。
物理的な距離や時間があるから、効率的な通信手段に転用するのであり、決してコミュニケーションの主役にはなれない。
それに、文字だけが頼りの通信手段だと、その使い方次第では、感情的な食い違いが生じやすい。
基本は対話あっての通信手段で、はまりすぎると何か問題が起きても、相手に直接連絡しようとせず、何でもかんでも何かを経由させて、接触を拒む性質におちいると思える。

だから、ネットの恋人探しは、おのれの性欲を乗せているだけで、対話ができない裏返しの気もするし、正体を隠して何者にでも変身できちゃうからね。
仮に顔見知りでありながらも、顔を見せなければ、声も発しない、そんなことされたら気味が悪いでしょ。
それこそ数日前に書いた、「電話すればすぐにわかることまで」 一事が万事、不倫関係じゃあるまいしメールやラインじゃなきゃ受けつけないんだから、こっちのほうがよっぽどめんどうくさいでしょ。
コレ、「現代の対人恐怖症」 の一種なんだと思う。

いい年齢なのに、かんたんな対話ひとつできない輩も多い。
だから本当は、「今の若い奴は…」 とか 「さとり世代」 だのと、言う資格はないんだ。
それこそ、上から目線であり、若者からすれば、年齢が高いから頭がいいとか、常識があるなんて、    そんなことコレっぽちも思ってないって…

その意味で、若いときに対話と向き合ってないと、赤ん坊のおしゃぶりと同じで、「声を出さない会話」 がクセとなり、「無口なおしゃべり屋」 が出現するんだ。
お酒なんて、対話の潤滑油なんだし、消費したお金は自分の内面に返ってくると考えられないかな…

仕事をしていて、こんな経験あるだろう。
取引先の相手が電話で激高しており、直接会いに出向いたら、拍子抜けするほど穏やかであったこと。
顔が見えない分、感情を荒げてしまったが、来た人を目の前にして、怒る人はそうそういないんだよ。
対話ができないことは、肝心なことも聞けないし、人と上手に仲直りすることもできないと思う。

個人的には、仕事上の不測な事態に対する訓練だと思って、若者はお酒を潤滑油にして、もう少し    「世代を越えた対話」 を、身につけたらどうだろうか。
多くの若者は勘違いしているが、たまに自分の方から上司に胸襟を開いて、「飲みにいきませんか…」 なんて誘ってみたらいい。
最初はテレくさいが、誘われて悪い気はしないし、ここは勉強だと思い 「迷ったら誘え」 である。

そのときはおごってもらえばいいし、また、少しでも払えば、可愛げのある奴だなぐらいは思われる。
ただし、領収書をもらうところは、見て見ぬふりをしておけ。
翌朝、開口一番に 「昨晩はごちそうになりました」 ぐらいの礼儀も忘れずに…
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2014年11月12日

Speak Like a Child

「素敵なレコードジャケットだ…」
最初に、いつ、どこで、見たのかは思い出せない。

タイトルは、「スピーク・ライク・ア・チャイルド」 (1968年)
アーティストは、「ハービー・ハンコック」
本作、そんなに聴いてはいないが、叙情的な夕暮れを感じさせる、ジャケットは見飽きることがない。

季節は秋かな。
場所は広大な土地のなかにある飛行場の敷地外で、しばしのお別れを惜しんでいるのであろうか。
錆びついた金網と枯れ草が、ふたりの複雑な関係を物語っているかの様子である。

ロマンテックなシルエットに浮かぶキスシーン。
後から知ったことだが、ハービー本人と彼女のツーショットだという。
ニクイね、妬けちゃうねえ…

音楽を絵画のように見ると、音がエッセイで、画が心象風景のようだ。
数多くのジャケットの中で、僕は、1.2 の ビジュアルに感じる。

その音楽は、シルクのような広がりがある。

 
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2014年11月11日

ホスピタリティー

長年、スーパーに通っていれば、それぞれのお店の特徴もわかってくる。
価格に反映されない、その店のメリットとデメリットだが、これがまたおもしろい。

僕はコンビニよりも、スーパーをよく利用する。
売場の豊富な彩りや香りなど、日常の活力源となるからだ。
所要の条件は、近場であることが優先になるが、今や価格が安いだけでは足を運ばない。

ひとつの店の売場が、全部いいなんてことはない。
青果はA店、精肉ならB店、惣菜であればという具合に、店独自の強みと弱みを知ることになる。
その際、資本金の規模や売場面積など対象とせず、衛生面はもちろんのこと、品揃えは豊富であるか    主力商品の品質はどうかなど、感覚的に判断している。
それとスーパーよりも、少し価格は高めになるが、個人商店をひいきにするマインドも大切にしたい。

新聞のチラシを見るようになってきた。
夕方5時の市 “ たまごワンパック 91円 ” なんてありゃ、最初の行き先になるね。
そのくせ、目利きはできるようになったものの、自分ひとりじゃ満足に料理も作れないんだ。
その点、冷蔵庫のあり合わせの食材で、サッと料理を作れる女性は、掛け値なしに尊敬できる。

買物をする上でとりわけ、店員さんの接客は人の心を豊かにしてくれるときがある。
聞いたことにキチンと対応してもらえるとか、お店にそれぞれ知る店員さんもいるから、一概に         「ここだけ」 というのではなく、全てにおいて 凹 凸 はあるものだ。
それも商品力に大差なければ、接客 (人柄) に魅力あるが店で、財布を緩めたいのが人情。

接客も高い商品力だと思うし、中には僕のことをわかって、融通を利かせれる店員さんもいるから、    夕方のあわただしい時間を節約できたりする。
だからと言って、店員さんと会話でうるおいなど求めないが、その人の笑顔や商品を丁寧に扱うしぐさにプロの 「ホスピタリティー」 を感じたりする。

同じ買物をするにしても、店員さんの魅力は大きい。
どんな美人の店員であれ、無表情で淡々と作業をされているよりも、少しの愛嬌で女性らしい       接客をされたりすると、男は単純だから、そのレジの列に並んじゃうんだよね。
「作業」 と 「接客」 は、違うもので、容姿や年齢の問題じゃないと思っている。

それがわからない人には、「30%割引」 のシールを、顔にピタッと貼りたくなるときもある。

このように、よき部分を楽しむことが買物の魅力であり、近ごろの僕は 「スーパーのミュシュラン」 に なろうかとも考えている…   んな、素質もねえか!
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2014年11月10日

大胆予想

今年最後の大相撲九州場所は、17年ぶりに初日満員御礼の垂れ幕が出たという。
横綱の三つ巴に加え、新進気鋭の 「逸ノ城」や「遠藤」などの、快進撃が人気を呼び戻したと見える。

ここで、はっきりしたことは、観客は無類の 「強さ」 を第一に求めていたこと。
つまり、真剣勝負であり、エンターティメントとして、見ごたえのある世界にしてゆかねば、プロとしての 完成度はとぼしくなる。

大相撲は神事の思想だから、所作や様式美においても、日本が誇る伝統文化でもある。
その何かが欠けてもいけないし、清らかさがない世界は崩壊する。
一過去、社団法人の後ろ楯のもと、特俵で残せたけど、夢がないと稽古には耐えられないわなあ。

今場所、新関脇の 「逸ノ城」 に、大いに関心が集まっている。
たしかに、下半身は安定しているし、出足も悪くないし、巨漢ながら動きも早い。
少し気になることが、体重頼みのいきおいで勝負をかけると、長引いたときに息が上がるからね。

かなり研究された上、立ち合いは下から突き上げられ、まわし狙いで左右から揺さぶりをかけられたり、  変わられたり、張られたり、今場所は一番一番が動揺するであろう。
それにこのまま波乱が続けば、横綱や大関の威信にも関わってくるから、もう許されないでしょ。

僕の大胆予想は負け越しながら、白星は 「6勝」 止まりかなと思っている。
鬼門となる今場所、勝ち越せば凄いし、10勝以上あげれば、もう来年は横綱に昇進するだろう。
まあ、あくまでも初日を見た感想であり、この時点でだれが優勝するかは、皆目見当もつかない。

二週間、大相撲ダイジェストを見ながら、歯に衣着せぬ戯言をつぶやいているであろう…
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2014年11月07日

人を選ぶこと

「論より証拠 態度で示せ」 
コレ、今の新潟柳都中学校 (旧・舟栄中学校) 一年生のときのクラス標語の一節である。

これまでの人生は文字通りに行かなかったが、社会生活で調子がいい奴の不快さを多く味わってから「口だけ番長」は、アテにしないようにしている。
人を判断する上で、小さな基準にしているのは、行動でしか認めないこと。
だからと言って、相手にトゲを持つことはないけどさ。

新潟市長選挙を2日後にして、連日街宣カーから、筋肉質な声が響いてくる。
夕方の新潟駅前から、万代周辺においては通行量が増すので、一段とテンションが上がるのだろう。
当選と落選では、天国と地獄のような違いがあるらしい。
心理戦でいえば、如何に庶民を操って、得票を集めるか。
まさに、商業原理と同じで、エンターティメントである。

僕は選挙には行くが、この場でだれに票を投じるかは、語るにあらず。
3名の立候補者による、政策広報は読んでいるが、正直なところ 「できるのか」 「変えられるのか」 と思わざる得ない部分もあるから、全てのパーツが優秀なんてのはありえない。
どこかのマニュフェストみたいに、耳ざわりのいいキャッチコピーは、もうコリゴリしているわけだし。
最初は純粋に政策をアピールするけど、当選後は 「あれはどうなったのかなあ」 ってこともあり、   結局は 「パフォーマンス合戦だったのか」 なんて、後味もあったわけでさ。

その訴えを声高らかに伝えど、自分の言葉でないようだと、どこか違和感を覚えてしまう。
もしかしたら、この人… 周囲から担ぎ出されて、ただ神輿の上に乗っかっているだけじゃないのかと、  思えたこともある。

以前、公式な場でこんなことがあった。
社会的な縁があり、その立候補者と初めて対面したとき、迷いを感じている様子の顔に映った。
それよりも一番大きかったことは、その素顔に立候補者としての魅力を感じなかったことなんだ。
人と目を合わせて、通る声でハッキリ話さないから、仲間以外とはコミュニケーションできないのかなと
共感とは逆の負のイメージを持ってしまったんだよね。

自分より立場が上の人たちには、うるさいほどの相づちを打つが、たいしてメリットがない人に対しては
本性がにじみ出てくるもんだ。
本来の選挙って逆であってさ、仕組としては本末転倒であり、一票の重みがわからねば落選する。
こうなると、うわべを繕った正論にしか聞こえなくなるから、人の心理は不思議である。
昔からよく言われるように 「人は会って5分」 で、その人の印象を決めると。

字に置きかえると少々堅苦しく感じるが、僕の考え方はシンプルで 「わかりやすい人」 が好きだ!
初対面で、その人の人間性を知りたくなるのは当然なこと。
だけど腹の底では嫌いなのに、ムリして好きになろうとする、そんなムダな努力はもうやめた。

修行僧のような、モノの見方や考え方は捨てたし、別に相手からも選ばれなくても一向に構わない。
だから、「この人と知り合いになったら、俺の人生は楽しくなりそうだな…」 そう思えて、じっくりと気軽につきあえる人としか、解することはなくなるかも知れないね。

通して、恋人選びと同じようなもんで、「選び方」 とは、自分に素直になることだと思う。
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2014年11月06日

千里の道も会話から

アイドルグループのメンバーをノコギリで襲撃した、24歳の犯人がその動機を話し出したとか。

自分よりいい収入を得ているとして、標的はメンバーなら、だれでもよかったと…
動機も怪しい気がしないでもないが、不遇を他人のせいにして、男が女を襲撃するか。
彼女たちには、高給を得られること同様、努力でその権利があるというのに、一番大切な命に       手をかけたんだから、許されることじゃないわな。

昔から、やっかみにまつわる事件はあったけど、今の世代にしては、意外な犯行動機にも思えた。
近年の若者の特徴は、スマホ (ライン) AKB48 (アイドル) 自慰 (セックスレス) が        青春の神器なのかと思わせられてしまう。
自らの収入枠で、居心地のいい世界を作り上げ、人と比べることもしなくなり、自ら 「こうなりたい」 と夢を口にすることも少なく、「千里の道も一歩から」 の格言は時代にそぐわなくなってきた。

純粋な世界、男が女に嫉妬するときは、好きになったその子とは結ばれず、その子に彼氏ができたのを知ったときと相場は決まっていた。
脳裏には、男の顔が浮かび、気がつくと自分とを比較をしていたりする。
そのうち、「もしかしたら、今ごろ、あの男に抱かれているんじゃないか…」 とか。
つきあってもいないのに、ただ一方的な想いだけが、止めどなく押し寄せてくる。

でも、それって、だれもが経験する青春貧乏みたいなもんで、次第に整理をつけられるようになる。
そういう経験をすることで、大人の恋愛ができるようになると思う。

今なら、メールの返事がこないことに動揺して、それだけで相手を嫌いになったりとかさ…
不器用な上、おたがいに気を使いすぎているから、それゆえに実は臆病なんだ。
今回の事件は、人つきあいを避けてきた、短絡さによるやっかみだと思う。

便利だからといって、バーチャルなことばかりしていると、外部からのどうでもいいような刺激に対して、 興味の示し方が攻撃的となり、想像だけがどんどんとあらぬ方向に膨らんでしまうから怖い。
それに、ラインなどをやらざる得ない状況になっても、直に会話もできないとそのバランスを失うもの。
これらを合理的に考えれば、さっさと言葉で意思の疎通をはかったほうが、時間の節約になるだろうし、ストレスをためるようなこともなくなると思う。

たまにコーヒーショップなんかで、若いカップルが向き合って、会話をしている姿を横目で見かけると、  どこか雰囲気的にホッと寛げたりするんだよね。
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