2014年10月29日

晩秋の秋虫

晩秋の寒さだった28日。
上着をもう一枚着込めばよかったと、体感した気温12度の午後2時30分。

夕方、妻と待ち合わせた、スーパーからの帰り道。
雨がポツポツと降り出したので、少し足早になったのが、午後5時20分。
「今日はこれから、冷え込むだろうな…」 と、歩きながら、他愛のない会話を続ける。

心なしか、道行く人の歩幅も一斉に早まった気がする。
こうなると、荷物を両手で抱えている人は大変である。
帰路、雨宿りする場所を思い浮かべつつ、このときだけは目の前で無機質に立つ、自宅マンションの    暖色系の窓明りが、どこか暖かい気持ちにさせられた。

現在、29日 午前4時を少し回ったころ。
これからの時季、仕事を終えて家路に向う夜道、寒さが身に堪える時間帯となる。

深夜の遊歩道から、けして姿を見せることのない、秋虫の声が止んだ…  
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2014年10月28日

バーの公用語

先週末 5年前に次なる勤務地へ転勤なさったAさんが、手土産持参でお見えになっていただいた。

旧知の挨拶を交わし、愛飲の 「ジム・ビーム」 と、ヨーロピアン・ジャズ・トリオ の 初代ピアニスト  「カレル・ボエリー」 が奏でる マスカレード・イズ・オーヴァー で、歓迎の意を称した。
そんなAさん、来年は定年退職をむかえるという。

サラリーマンは、役員でもない限り、定年退職はやってくる。
また、定年まで 「無事これ名馬」 ならいいが、社内政治によるリストラ、尊厳無視な辞令の発令、   寝耳に水の倒産など、どこかで大きく舵を切らなきゃならないときもあるだろう。
中には、自分の人生を会社に委ねるのは潔しとせず、どのようなことがあろうが、自分の人生は自分で決める人もいるだろうし、どんな職業であれ、終わりは必ずやってくる。

来るべき日にどうするかなんてわからないけど、たったひとつだけわかったことがある。
組織でしか通用しない、「会社語」 (専門用語) は、社会では通用しない。
組織の依存症に陥ると、「社会語」 (共通用語) が、苦手となってしまう。
会議の後、居酒屋で本会議ばかりしているタイプは、「会社語」 の 傾向はあると思える。

ご当地、新潟が生んだ女子プロレスラー 「里村芽衣子」 さんを知っているかな。
彼女は、クラッシュ・ギャルズ の 「長与千種」 が、立ち上げたプロレス団体 「ガイヤ・ジャパン」 の一番弟子として有名だが、後にプロレスの閉鎖された世界をこう語っている。
「特殊な団体生活で育てられたから、団体以外の人とは挨拶はおろか、公の場で目を合わせて普通の会話ができなかった」 と、ひとりで泣いたことをもらしている。
そして、「自分は人として、決定的に何かが欠けているのでは」 と、そのころの悩みを述懐している。
もちろん、新弟子時代の若きエピソードであり、今では 「センダイ・ガールズ」 の 代表エースとして、笑顔を取り戻し、興行の責務に溢れて、コミュニケーションに支障などない。

つまり、ひとつの会社で、決まった顔ぶれで過ごしていると、社会との接点を見失ってしまうんだ。
社会とつながってさえいれば、仮に会社を辞めたとしても、その謙虚さで意外と何とかなるもの。
問題は 「会社を社会の縮図」 だと疑うことを知らない、逆説的な大きな錯覚であろう。

手前味噌な言い方になるが、バーの公用語は社会語だから、不必要な上下関係や会社語を店内に      持ち込んでも、無鉄砲な言動で常連になれるような甘さはない。
さしずめ、公用語を知らずに定年退職すると、暴走老人の予備軍になってしまうから注意したいものだ。

バーで、やわらかい時間を過ごせる人は、まず心に余裕があるから、仕事ができることも断言する!

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2014年10月27日

秋の乱読

夜の仕事で生きる者にとって、休日夕方からの解放感は格別な時間となる。

このところの休日は、何かと予定が立て込んでいたので、今日はそれぞれの行き先で読書をして      過ごそうと思っていた。
近年、老眼が進行してきたので、店で客待ちしてるときには、15時間遅れとなる朝刊を広げるぐらいで、 照度の低い店内では、細かい活字は読まなくなった。
だから、日中の照度は有効に使いたくなるもの。

正午に起床して、カーテンを開けると寝室は、秋の陽射しにおおわれた。
ベッドのサイドボードから、一冊の対談本を手元に引き寄せ、読み終えたのが午後2時。
朝刊を斜め読みして、自転車に空気を入れたり、雑用を済ませてから、熱いシャワーを浴びる。
バスタオルに身を包み、テレビの学生柔道選手権を見ながら、リビングで遅めのコーヒーを2杯。

家を飛び出したのは、午後4時10分。
晩御飯を買出しに、本町めぐりをしながら、家路に着いたのが午後6時。
また鉄砲玉のように飛び出し、南万代のツタヤで新刊を3冊購入後、午後8時からマックカフェで読書。

文庫本の類は消耗品扱いしていたので、指にまとわりつくカバーははずし、粗雑に乱読するもんだから読み終えるとページがほつれてくることも多かった。
最近は、読むスピードが落ちたせいか、本を大切にと思い直し、少し丁寧に扱うようになった。

コーヒー1杯で、しぶとく粘るのは、僕のルールに反しているから、だいたい2杯は飲んでしまう。
それか店を変えたりするが、夜にコーヒーを飲める場所は限られるので、どうしても同じ席でおかわり   するしかなく、好んで飲むのはアメリカンコーヒー。

腕時計を見て、表紙をいきおいよく閉じて、近所の銭湯に滑り込んだのは、午後9時40分。
自宅の浴室に洗面道具を戻してたら、東京の友人から電話がかかってきたのが、午後10時30分。
先に食事を終えてソファーで寛いでいる妻の隣に座り、「プシュッ」 と最初のひとくちを流し込んだのが午後11時。

このあとも、本の続きを読むであ…   いや、やっぱり、うーん、そうだな…  
録りだめた、「マッサン」 に 「団地ともお」 それから、「深夜食堂3」 を、先に見てしまおう。

こうして、明日からまた、お客さんと時間を共有し合える、素敵な一週間がはじまる。
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2014年10月25日

嫉妬の正体

連日、録りだめしてある、朝の連続テレビ小説 「マッサン」 を、見はじめたここ数日間。

現在、第23話中、ようやく第12話まで見終わり、ドラマの展開は、妻の 「エリー」 が、夫である    「マッサン」 の元婚約者から、執拗な嫌がらせをうけているあたりまで。
エリーの味噌汁だけ味つけを濃くしたり、味をととのえた手料理に大量の塩を入れたり、古典的な手口。

男の立場からだと、女性の嫉妬は外目からでは、わかりにくいからこわい。
仲が良さそうでも、離れた場所になると、妙な噂をまことしやかにささやいていたり。
その嫉妬、「えっ、そんなことが理由だったの…」 と、意外性に驚かされたこともある。

会社勤めしているころ、部下である女性から、何者かからの嫌がらせの相談を受けたことがある。
更衣室の自身のロッカーに、日常の汚物を入れられたり、制服や靴などの私物を隠されるなどの事例。
施錠を徹底すると、今度は扉にチョコを塗られたり、時折そんな日もあったという。

そこで、実害を受けた時期や日時と状況だけは、具体的に記録しておくように命じた。
その間、出勤簿を洗い出して、消去法で詰めていくと、単独か複数なのか特定できるようになり、こうして浮かんできたことは、バレンタインディーで、同僚男子たちに贈ったチョコレートをめぐる女子の嫉妬劇。

その子はおこずかい程度のチョコをやすらぎで配っただけなのに、周りの女子からすると 「自分だけ、男子に気に入られようとして、かわいい子になっている」  どうしたら、そういう心理になるのかな…
空気を察して嫌がらせは終息したが、いつ・どこで・だれから・どのような理由で嫉妬されるかなんて   わからないからね。
その後、しばらくは白々とした空気の中で、仕事をしていたことは言うまでもなかろう。

男の世界でもおきることだ。
男の嫉妬になると、むき出しの感情がうずまき、露骨でうさんくさいものだ。
女は男をめぐって嫉妬しやすいが、男は相手の地位や経済力、または人間的な強さや魅力など、      自分にないものが備わっていると、それまでの仲が嫉妬に捻じ曲がってくることがあるんだ。

いっそのこと相手を認めちゃえばいいのに、「本気出せば、俺のほうが上だ」 みたいな、根拠のない   仮想にとらわれているから、いつまでもよそよそしさが抜けないもろさがある。
心の中で思っているには勝手だが、実害を与える言動に及んでくると、もう病んでいるとしか言えない。
それこそ更衣室でおきた、出来事も同じことだよね。

嫉妬の正体は 「プライド」 と 「コンプレックス」 の 紙一重と見たり
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2014年10月23日

女性の起業

季節はずれの寒さを感じた22日…

夕方のローカルニュースで、先日の女性閣僚のダブル辞任について、新潟で起業を目指す女性らが     インタビューに応じていたが、どこか違和感を覚えてしまった。

近年、働く女性をテーマにした起業塾や支援策など、あらゆる場所で講座が開催されている。
僕は女性による社会進出は賛成だし、紋切り型な言い方だが、道が開けることには夢がある。
反面、シラケさせるつもりはないけど、浮かれすぎている気もしないでもない。

起業の規模はどうあれ、この先は企業においても、女性の社会進出は常識となる。
そんな女性経営者に若い子は憧れを抱くだろうし、成功の法則と称してメディアにも登場する。
だが、実際に起業した女性の中には、月々の支払いや融資の工面など、今日の飯にも困窮してたり     その実態は一般的には伏せられている。
起業ロマンは大切だけど、そういう視点にも立てられるかは疑問だったりする。

書類上、失敗するための 「事業計画書」 を作るはずはない。
だけど、賢い起業者ほど周辺調査をした上で、採算ラインが見合わなければシュレッダーにかける。
むしろ、そういう感覚の持ち主ほど、過去に事業で失敗したとか、挫折を味わったことがあるから、    慎重になれるんだと思う。

成功事例を多く聞かされていたら、「もしかしたら、私にもできるかも…」 と思うはず。
そう思うのもわからないでもないが、その時点で冷静さを見失っている場合もある。
07年の開業データながら、オープンして1年以内に店を閉める割合は当時 「45%」 だった。
調査エリアは新潟市であり、半分近くは何かしらの事情で閉店したんだから、整合性をとる意味でも    失敗例を聞いておかないと危ないんだ。

高校時代の同級生が、専業農家を営んでいる。
ここ数年の 「農ガール」 とかいう、農業ブームにあおられて、余生を自然とともに暮らし、充実した日々をおくりたいとして、男女問わずに起業という道を選んだ人もいる。
そのロマンにはくみするが、それで負債を抱えたり、自殺にまで追い込まれたケースもあるというのに、「こういうことは、表に出ないんだ」 と、つぶやいた言葉が印象的だった。
つまり、真実とは公表されないものである。

親から世襲した身分、資金調達に困らず、無借金経営できるなら別だが、そんな人はそういやしない。
だから、多くの事例を聞いておかないと、「あなたのロマン、他人に搾り取られますよ…」 になる。
本気で起業を考えている人であれば、成功例は書籍で十分だから、失敗例を解き明かしてくれる人を    探したほうがいいと思うし、お金を払ってでも聞くだけの価値はあるはず。
それを聞いたら、3/2 は尻込みするだろうが、それはそれで経営判断したんだから間違いじゃない。
冒頭の違和感の正体とは、そういう公表されないところなんだ。

僕の個人的な意見になるが、「男性には負けたくない」 とか、「女性軽視の社会は許せない」 など、  被害者意識にも似た、極まりない動機であれば、起業なんてやめたほうがいいんじゃないかなと思う。
起業したら経営の通念上、そうかんたんにやめますなんて言えないし、人を雇用したらなおさらである。

男だって、つらいんだからね…  
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2014年10月22日

システム手帳

紀伊國屋書店の一角では、早くも来年はじまりの 「システム手帳」 が、平たく積んであった。

もう使う必要はなくなったが、システム手帳には少々こだわりがあった。
サラリーマン時代、年度変わりになると、新しい手帳に切りかえることになる。
面倒なのは、所要なデータや各々の連絡先など、書き写す作業がある。

特に連絡先が多い人になると、そのころ普及しはじめた携帯番号は元から、オフィスや自宅の番号、    自動車電話にポケベルにファックス、それに行きつけの店のナンバーまで、書き写すのも苦労した。
その連絡先の多さが、顔の広さを誇っていたり、多忙さを示すバロメーターであったり。
もうひとつつけ加えれば、なかなかつかまらず、睡眠時間の短さを自慢する風潮もあったね。
つまり、それだけ連絡先を教えてくれるのは、たぶん人恋しいんだと思える (笑)

話を本題へ戻す!
ポケットサイズのアドレス帳もあったけど、名刺入れも必須アイテムながら、かさばってしまうので、   書く手間はあれど、できればシステム手帳一冊でまとめておきたいもの。
肝心の記入による中身だが、使いはじめの春のページぐらいまでは達筆なんだけど、初夏あたりの     ページになると、次第に殴り書きになってくる。

筆おろしは丁寧 前期は達筆 後期は乱筆。
読み返すと、ところどころに心境の変化が、字体となって表れている。
ブルーペンで雑な文字を走り書きしながら、内心は 「早く期が終わって、新しい手帳に切りかえたい」と思っていたあのころ。
振り返ればシステム手帳とは、一年間の心境が描かれている、一冊のオムニバス本にもなる。

今は近代的に、手持ちの通信機器で代用できる。
それに打合せで生返事をされながら、視線も合わせられることなく、手元の代替品だけをいじられてたら僕ら世代からすればコミュニケーションしにくいし、モノには限度があることを強制的に教えたくもなる。
それでも書店に専用コーナーが設けられるんだから、ビジネスツールとして筆記力は根強いんだろうし、またそうじゃなきゃいけないと思える。

電子機器が新ジャンルではあるが、僕にとっては 「リトマス試験紙」 のようにも思えてしまう。
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2014年10月21日

ダブル辞任

「私自身、わからないことが多すぎて…」 (政治資金問題における、小渕優子の辞任会見でのコメント)

今日一日、どこのテレビチャンネルにしても、2人の女性閣僚が辞任するニュースばかりだった。
女性の社会進出を形とした、閣僚人事が裏目に出たようでならない。

今となっての 小渕・元経済産業相は、前任のころからマスコミの前に姿を現して、あまり自身の考えを積極的に述べることはしてなかったと思える。
それより、公務に励むほうがひいては国民のためになると、清楚な美貌ながら二世議員らしからぬ     パフォーマンス性を持たないタイプだった。
辞任の理由は意図せずにわいたが、それまでのイメージとして、目玉人事と言われたわりにはしおらしく逆にしゃべらなさすぎたから、「よそよそしさ」 だけが印象が残った。

松島・元法務相については、任命された当初から、その才覚をささやかれていたようだが、そこは同感で地雷になることは大方予想できた。

古今東西、経済の再生を実感してこなければ、消費税はおろか、医療制度や教育制度においても、     手厚い助けがおよびにくくなると思える。
経済的な格差が、人の幸不幸を決めるもんじゃないが、長く強いられることはストレスになる。

そうなると、「あれはやめろ」 「これもだめだ」 と、削減策ばかり大きくなり、政権や人事交代があろうとなかろうと足を引っぱるだけで、決め手となる代案も望めず、次第に実行力も失ってくる。
そんな繰り返しに辟易しながら、この先投票所に足を運ぶのも、国民が国民であるための耐久力。
「住みよい国を作りたい」 と、投じた票の真の行方はわからないから、政治の世界なんだとも思える。

個人的には、号泣・元県議 「野々村」 さんの、私人として今件の意見を聞いてみたいね。
ヘーイ ユー ミスター 野々村 カマーン !  ユー ガイズ パフォーマンス グレート !! 
なんちゅう、呼びかけであろうか…
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2014年10月19日

早熟な美学

中央区で仲むつまじく、同棲生活をして3年ほどたつ、20代のカップルを知る。

そのころ、どこでこの店を知ったのか、今でも忘れかけたころに、2人で扉を開けてくれる。
そんなカップルは、2年前の花火大会のとき、「一緒にやすらぎ堤で、花火を鑑賞しませんか」 と、   僕ら夫婦との年齢差に臆することなく、素直な誘いがけをしてくれたふたりである。

ある日、店で彼女が会話の中で、「わたしたち、あまり友だちがいないんです」 と、小さくつぶやいた。
その言葉を聞いて、「自立したカップルなんだな…」 と少し感心した。
今の若者は、人から友だちがいないと思われるのが、もっとも辛いという。
これも通信型のコミュニケーションの影響であろう。

だいたい、手元の通信機に保存されているリストの、約9割は単なる知り合いレベルだろ。
何年も連絡してないリストまで、何かあったときのために保管しておいても、実際は何もないって!
それを9割の仲間で紹介されるから、若い子ほど、言い知れない孤独感におそわれるんであってさ。
これって、青春時代の群像が抜け切れてなく、相手がどう思っているかはともかく、自分から見て    「あいつは友だちだ」 「あいつは戦友だ」 と思える人間なんて、数人しかいない。
つまり、最初から友人じゃなく、ウイスキー樽と同じで、熟成 (育てていく) させるもんだ。

急接近した人間関係ほど、いともかんたんにヒビが入る。
気に入らなければ、さっさと消去できる性質なんだから、こっちの方がよっぽど非情だよ。
それに、心の狭さをぶつけ合う道具なら、そんな気味の悪いコミュニケーションはやめるべきだ。
これじゃ、ますます孤立するし、最初の意気投合で友人になろうとするほど、結局はだれとも友だちに   なれないのと同じで、すぐ近くにいるのに何年も連絡してない奴を、友だちなんて呼べないでしょ…

だれにでもいい顔してつき合うなら、いっそのこと目の前にいる交際相手と真剣につき合っていたほうが まぎれもなく恋愛として成就すると思う。
僕らの世代でも、結婚披露宴で呼べる友だちが少ないことを、体裁的に恥じるのが何人かいた。
しかし、「おまえ、どこ見ているんだ」 って話でさ…   友だちなんか3人もいれば十分だろ。

だから、彼女は彼女でいいんだし、友だちがいないことをうしろめることもない。
この20代のカップルからは、早くから自立した 「早熟な美学」 を感じるのである。
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2014年10月18日

木下友夫

朝の連続テレビ小説 「マッサン」 は、自身の後学のためにも見ておくのが望ましい。
だけど優先して見てしまうのが、同局のアニメ 「団地ともお」 である。

団地住まいの木下家は、典型的な核家族。
主人公となる長男のともおは、小学4年生で勉強嫌いの運動音痴。
秀でた才能があるのでもなく、性格は自由なやんちゃであけっぴろげ。
思わず、「この子の将来は大丈夫なのか…」 とあんじてしまう。

だけど、ともおは、友だちや近所つきあいを通じて、社会と対話をしているんだ。
算数は苦手だけど、クラスメート全員のフルネームは言えるとか。
国語は苦手だけど、プロレスの必殺技は全部並べることができるとか。
体育は苦手だけど、町内の住民の顔と名前、自宅まで知っているとかね。
僕らが子どものころ、新潟の下町 (しもまち) で経験した、「何か」 に似ている。

僕はマンション住まいだ。
ともおの設定と、同年代と思える子どもたちを見かける。
だけど、「こんにちは」 ぐらいの挨拶程度で話すことはない。
今の世の中、ヘタに子どもと話し込んで遊ぼうもんなら、不審人物扱いされそうだから面倒くさい。
それでも、どういうわけか、なつかれてしまうこともある。

最近の子どもは、おもしろい態度をとる。
子どもが親といるとき、僕と会うと 「おじさんのこと知らない」 と、ツンとした態度をとる。 (笑)
子どもがひとりのとき、僕と会うと 「おじさんどこへ行くの」 と、デレッと近寄ってくる。  (笑)
「知らない人とは、しゃべってはいけません」  まあ、親の心配性がうかがい知れる世の中である。

本当は、大人としゃべったり、一緒に遊んだりしてほしいんだ。
大人はいろんなことを知っているし、ある意味 「正義の味方」 な意識は残されている。
しかし、残念ながら、大人に全幅な信頼を寄せられる世の中ではない。

僕は子どもが好きじゃないから、純粋な世界に立ち入らないが、適度な距離で見守ることはできる。
それにイザというとき、子どもは最終手段として、大人に信頼を寄せてくるから、そのときだろう。
だから、「団地ともお」 は、「大人の教科書番組」 であり、「木下友夫」 くんは 「分身」 なんだ。

大人社会でも、生涯の友人として残るのは、「少年っぽさのある男」 だと思う。
下町で経験した 「何か」とは 「遊び心」 と 「子ども心」 のような気もするんだよね。
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2014年10月17日

常日ごろ

16日 午前9時30分
東京在住、ミャンマー国籍の友人から電話で起こされた。
「まったく、容赦ないなあ…」 と苦笑しながら、 お約束の 「HELLO. HELLO.」

午後2時30分
予約を入れておいた美容室で、1年ぶりにパーマをかけた。
基本的なヘアスタイルは、何十年も変えてないが、髪の量だけは、辛うじてありがたみの胸中である。

午後4時30分
僕にとっては、中途半端に和らぎ、忙しい時間となる。
コーヒーショップでわずかな時間を過ごすか、そのまま買出しへ行ってしまおうか。

午後5時10分
自転車から買物袋を下ろし、狭いながらも温かいわが家へ到着。
朝霞で暮らす伯母から、白内障の手術が終わったことを告げる電話を、妻が共感的に受けていた。

午後7時00分
開店時間に合わせて、お店のネオンを灯す。
40分後、今晩最初のお客さんが、仕事帰りに立ち寄ってくれた。

午後9時20分
オーダーのピザを焼いていたら、外が稲光に包まれ、隕石でも落ちたかのように雷鳴がとどろいた。
雷の迫力からして、近い場所に落ちた様子だが、避雷針であれば幸いだろう。

その後は外の荒れ模様とは別に、ゆっくりと時間が流れていき、傘を持ち忘れたお客さんにそれぞれ    2本さしあげ、タクシーをトータル2台手配し、最後のOLを見送ったのが、深夜2時00分。

ブルー・ミッチェル 「ブルース・ムーズ」 をだれもいない店内に流しながら、明日の準備にとりかかり、全工程が終了して、お店のネオンを全て落としたのは、深夜2時50分。

毎日が無意識にせよ、所々の小さな出来事を流れの中で判断していき、同時にいろんな処理をしながら平穏無事な日常生活ほど、幸せを作るものはないことを実感する。

帰宅後 深夜4時20分 ブログをアップした。
変哲のない日々が、僕らの存在をささえているように思える。 
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2014年10月16日

フォトグラファー

15日 昼下りに野暮用が入り、自転車で 「ヘイコラサッサ」 と言いながら、下町地区へ向った。

柳都大橋の階段を下り、川ぞいの遊歩道を北に進むと 「みなとぴあ」 という憩いの文化施設がある。
いつもは素通りをして、入船町の鉄工所通りを突っ切り、海辺の町にほど近いところまで行く。

その日に限って用事を済ませてから、対岸が一望できる公園のベンチに腰をかけて、目の前に広がる港や船、見上げた秋空をボッーと眺めていた。
普段はこういう気にならないが、これから徐々に寒さが増して日暮れも早くなるから、陽だまりみたいな場所に少し身を置きたいと思ったのかも。
このあと、自転車で15分ほど要する場所へ行くことを予定していたが、変速機を最大6馬力に切りかえガキになって、ペダルを回せばいいだけのこと。

それより今、「陽だまりがほしい」 と思ったことに忠実にならねば、また今度で秋空が過ぎ去ってしまい今度は春になっているだろう。
この 「今度」 という便利な方便に気持ちが流され、本当はいい風景を見逃していたりする。
今度、今度、また今度ばかりだと、ムダに年齢を重ねていくだけだから、それこそ今なんだ。

僕は手持ちの通信機器を使い、周辺の動画や画像を撮ることは少ない。
それに自画撮りした顔を、世間に公表するほどのナルシズムぶりもない。
最近、スマホでなんでもかんでも撮影して保存後、すぐ公開する感覚に世間が慣れてしまったから、    被写体を目に強く焼きつけておく、眼力が損なわれているのではと思う。

芸術まで大げさでないにせよ、趣味の範囲で収集してるとは言え、いい大人が高校生のプリクラ感覚で撮りまくるのは、ちょっと考えものじゃないかなとも思える。
だから、最近の写真からは 「これだ!」 と言える、気合の入った一枚が感じられないのだ。

今朝の新聞を斜め読みしていたら、写真家のアラーキーこと 「荒木経惟」 (あらきのぶよし) の   インタビュー記事がとても印象的だった。
最愛の妻が、生死にかかわる手術を受けているとき、夫である荒木はそばには立ち会えない。
ドラマであれば、手術中の赤いランプ、待合室の無機質な長椅子に、満たされない心情をおいたりする。
だが、彼は待っている間、ひとりで病室の窓から願いをこめて、見上げた空を撮影していたという。

妻が病と戦っているとき、自分は何を見て、どう感じていたのか、そのときの心情を記録していたんだ。
それも、スティービー・ワンダー の名曲 「リボン・イン・ザ・スカイ」 を聴いているかのように、      空を撮っていた感性は芸術を飛び越えた、「魂の叫び」 があるんだ。 (僕の好きな歌詞なんだ)
末尾をこう締めていた…  「デジタルなんて、なにも写らないよ」 とね。

写真に釘づけになった経験はあるだろう。
不思議なモンで、写真が訴えかけてくるのは、人の情なんだ。
鈍い奴は自分の視線には立つが、相手の視線には立てないから、絶対にいい写真は撮れない。
この世を去るとき、病室の天井を見て逝きたくないでしょ。
つまり、自分の視線は、自分だけの視線にあらず…   アラーキーが表現したのは、ここだと思う!

まあ、そんなことを書いておきながら、ベンチで見てたのは港でも船でも、まして青い空でもなかった。
今にも目の前でラブシーンを演じそうな、若いラブラブカップルのほうに気をとられた。
しかし、どうやら、「私服のおっさん」 の存在が目ざわりだったのか、静かに場所を移動してしまった。

僕に好奇心はあっても、ふたりの仲をジャマする悪気はない…  許せ若者。

  
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2014年10月15日

So Tender

新潟を直撃すると思われた台風19号は、短時間に進路を変えて太平洋側に北上して消えた。

13日は、予め休店日にしていたので、開店休業とはならず、幸いにも休養に充てられた。

巻き返しの弱風が、余韻となった火曜の夜。
仕事帰りのお客さんが、肩の凝らないラベルを指さす。
複数のざわめき感、少数のひっそり感、どちらもバーの特性となる。

「バーで飲んだ」 と 「バーで過ごした」 とでは、少し意味が異なる。

僕自身、20代は 「バーで飲んだ派」 であり、「バーで過ごせる派」 になったのは、妻を同伴して    30歳も半ばになったころかと思う。
男も40歳を過ぎれば後者でありたいが、それまでの飲み方が習慣で出てしまうので、見る人が見ればどのあたりで飲んでいたか、素性は見抜かれてしまうもの。

男は慣れない場所へ行くと、変に個性ぶるから、態度が透けて見えるんだ。
「マナー」 と、「どうでもいいこと」 を混同すると、結婚披露宴の困った 「円卓集団」 に見える。
それをあえて言葉にせず、限度を見守る意味では (バー) 「テンダー」 であってね。

60歳前後の人からすれば、僕なんかまだまだ 「ヒヨッ子グループ」 である。
「暴走還暦」 は救いようないが、還暦のダンディズムは、伊達じゃないだろう。
それは理屈でなく、以前からあった価値観を次世代につないでいくという意味でね。

常連の序列は堅苦しいけど、常連の過ごし方は店の雰囲気に影響してくるから、バーのお客さんとは 「選ばれし者」 なのかも知れないと、最近は感じることが多くなった。

そうすると、バーのニュアンスは、「飲む」 より、 「過ごす」 のほうが、しっくりくる。
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2014年10月14日

ひとり欲

休日の短い時間を利用して、書店めぐりをしようと思っていたが、夕方には雨がポツポツ…

そう遠くにはでかけられないと気を取り直し、紀伊國屋書店で新刊文庫を一冊購入。
近くのコーヒーショップで50ページほどめくり、いつものスーパーに、晩酌のつまみを買いに行く。

今夜の外出は、これで終わりであろう。
あとは自宅で文庫本の続きを読むか、録りためた番組を見るかそんなところだ。
帰るころには、台風入りを告げる突風にみまわれ、自由行動のない 「あきらめの休日」 となる。

行動範囲は狭いが、休日の夜は外出するようにしている。
そのほとんどは、「ひとり遊び」 だが、あまり現実的な問題に気持ちを支配されないようにしている。
ひとりの時間が充実したころに、友人と呼べるか微妙な関係と一緒に飲むのが好きだ。

妻と食事へ出かける日もあるが、当初から自由な生活スタイルなので、おたがいの欲求を認め合うのが夫婦円満な秘訣となっている。
婚前から親元を離れて、東京でひとり暮らしに慣れていたので、おたがいの距離感にも伸縮性がある。

核家族や子どものいない夫婦は 「せっかくの休みだから、どこかへ行かねばならない」 となりがちだ。
さながら間違いではないけど、夫婦だから、夫は水族館 妻は美術館 という単独行動を楽しめる。
こういう行動は、逆に夫婦仲が悪いとできないんだ。

若いころの恋愛は、相手を想いはからんがため、大して興味のないこともわかろうと努力するもの。
それって健気なんだけど、どこか媚びているんだよね。
「同じことをしてほしい」 じゃなく、「違うことをしてほしい」 のほうが、おたがいの 「ひとり欲」 が    満たされて、結果 「ふたり欲」 が強くなるんだと思える。

店には、「ひとり欲」 を満たしに来るお客さんがいる。
ひとりで飲めるのは、信頼できるパートナーがいるからだ。
見方において、「いつもふたり一緒で仲がいい」 というのは、見た目の思い込みであり、ひとりだから  好きなことをさせてもらっていることに、ふたりの仲の良さを察するべきであろう。

ある日、こんなことがあった。
友人の恋人と一緒に飲むことになったとき、彼に 「彼女をお借りします」と伝えたら、笑いながら     「よろしく頼むわ、言うこときかんかったら、そのへん投げておいて」 と、心優しい言葉が印象的だった。
変なヤキモチを妬いたり、妙に束縛めいたこともせず、こういうのが信頼できるカップルじゃないかな。

台風19号は、明日の午後3時には、中心気圧が新潟に上陸するとか。
あーあ、 夕方イオンの火曜市には、俺ひとりで行って来ようかな…
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2014年10月13日

マラソンランナー

「本当に台風が接近しているのかな」
そう思わせるほど、晴天の 「新潟シティマラソン」 だった12日。

ノーベル文学賞候補に上がっていた、村上春樹の趣味は 「マラソン」 だという。
何かのインタビュー記事で読んだが、「走るからには、最後まで歩かない」 ことを信念にしていると。

名作映画 「ロッキー」 で、試合の前日、寝室でエイドリアンにつぶやいた台詞。
「もし、俺が15ラウンドまで立ち続けられたら、ただのチンピラじゃなかったことを世に証明できる」

そのどちらも、ありきたりな言葉にさえ聞こえるが、生への共感を覚えてしまう。

日常生活において、真に感動するようなことは少ない。
他人から感動を与えてもらうぐらいなら、自分で感動を作り出したくなる心境なのかも。

本音を言えば、半世紀も生きていれば、大概のことは経験している。
もう世界は広がるどころか、逆に狭くなるもので、つきあいは固定化して行動範囲も限られてくる。
仕方のないことだけど、そろそろ受け止めなきゃいけない現実となる。

だけど、自然の風景に感動できなくなったり、映画を見ても感想が出てこなくなったとしたら…
人の機微に感謝できず、計算式のような自分本意になったら、きっとガッカリするんだろうな。

僕の生活から、サイクリングをなくしたら、五感の解釈が欠しくなり、感動の結びつきが鈍くなるだろう。
そう考えれば、村上春樹の 「走る」 ロッキーの 「立つ」 とは、イコール 「〜続ける」 ことに意味が つながっていると思える。

つまり、マラソンで ゲッポ (新潟弁で最下位) であったとしても、最後まで立ち止まらなかったことが「男の勲章」 なのかも知れないね。

僕が市民ランナーなら、「へぇ、ダメら…」 とか言って、萬代橋を直進して自宅に帰るだろう _| ̄|○
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2014年10月11日

ノイズ感覚

10日 サッカー 「日本代表 対 ジャマイカ」 戦の舞台となった新潟ビッグスワン。

そのために、多くのタクシーが新潟駅南口へ待機して、万代口方面は台数が不足したせいか、       空車を探すのも一苦労だったらしく、どこのホテルも満室状態だったとか…

だから、当店が忙しいとか、暇だとかではなく、ほとんど関連性のない、いつもの金曜日であった。
いや、寧ろ、こうじゃなきゃ、バーとしての特性にはならない。

仕事から解放され、街の喧騒から離れて、ようやく見つけた店のテンションが、高すぎたら興ざめだ。
一見客で店を探すのは結構大変だが、ここは自分の勘を信じるしかない。
だからと言って、店の雰囲気や構造を、堅苦しく考えすぎてはならない。

無口なマスターがグラスを磨きながら、カウンターにはハードボイルド風の客がコートの襟を立てて、   マイルス・デイビスの 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」 を聴きながら、バーボンをあおっている姿は、田舎役者が見る夢であってさ…

理想の店内とは、適度な音楽が流れており、お客さん同士の冗談や高笑いがこだましてたり、       低音の話し声の合間にグラスの乾いた音が響いていたり、精神的、物資的の両面をもっていること。
ビル・エヴァンスの 「ワルツ・フォー・デビィ」 における、あのノイズ感がほど近い。

静寂的な環境だけを望むことは、感傷的な思い込みでしかない。
それに、人の息吹をBGMにして過ごせないようでは、根本的な部分が間違っていると思う。

愛される音とは、ロマンチックな音楽でも、グラスの氷が揺れる音でもなく、会話の笑い声である。
なぜなら、笑いは人間だけがもっている感情で、笑うことで元気になれるのは、高等動物の証でしょ。

3日後の台風19号で、すっ飛ばされてしまうような小さな店だけど、お店が本当に欲しい音とは、    粋な大人の笑い声や周辺のノイズ感で、それこそが 「ジャズー・バー」 としての特性である。
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2014年10月10日

Peter Cat

「村上春樹」 = Peter Cat

この取り合わせがわかる人は、今やジャズファンだけではなく、村上春樹のファンなら知っているだろう。

彼はジャズ好きが高じ、東京の千駄ヶ谷で 「Petre Cat」 という、ジャズ喫茶を経営していた。
昼は喫茶 夜はバー 二毛作営業で合間を利用しながら、小説を執筆していたらしい。
文才が人様の目に止まるようになって、結果として小説家に生業を移すことになったとか。

数ある作品の中には、ジャズのコラム、ウイスキーのエッセイなど、優れた執筆も多い。
他の作品でも、ジャズを情景描写に使っている行もある。
僕は 「ハルキスト」 ではないし、行間をすっ飛ばす乱読タイプなので、大そうな感想は書けない。
それに、小説家の村上春樹より、独眼竜で描くコラムのほうが、僕には読みやすい。

しかも、メジャーなことを題材にしない。
ジャズなら 「ジョン・コルトレーン」 「チック・コリア」 など、巨匠は積極的にとりあげない。
「キース・ジャレット」 に至っては、「好きになれない」 一文を目にしたこともある。
その代わり 「デクスター・ゴードン」 「シダー・ウォルトン」 などの渋さを取り上げる。
それも、過剰表現な文章でなく、割り切った表現が伝わってくるのがいい。

謎に包まれた、生態系も好きだ。
なかなかマスコミの前に姿を現さないし、そうそう世間に素顔を公開しないところ。
小説家の素顔が有名になりすぎると、いい作品を描けなくなる。
なぜなら 「商業的な作風」 になるから 「媚びない力強さ」 が失われて行く。
そうなると 「仕事小説」 のようで、味わいは薄れる。
だから、小説家は執筆以外の表舞台で有名になろうとせず、できるだけ身を隠してこそ、読者の鼓動が高まるというもんじゃないかな。
その点、彼は 「セルフ・プロモーション」 を知っている 「クレバーな作家」 だと思える。

蛇足ながら、ノーベル文学賞の有力候補に上がっていたが、今回も受賞できなかった。
彼には、喜びの表情より、どこか照れた表情を浮かべているほうが、似合う気がする。

現存しない 「 Peter Cat 」 同様、村上春樹は 「無冠の帝王」 でいいのじゃ! 
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2014年10月09日

意地だよ

今朝のトップニュースは、青色LEDの開発に成功した日本人3氏がノーベル物理学賞を受賞したこと。

その中でも、中村氏の成功の原動力を探ると、これは間違いなく意地である。
一般的に意地とは、あまりいい意味では理解されにくい。
こだわる内容にもよるが、「ちくしょう」ぐらいの意地がないと、何もできないのも事実だと思う。

これまでに成功している人たちの経験は失敗の繰り返しであり、やるからには成功するために、とことんこだわり続けた末の結果が多いはずだろう。
中村氏の年表をさかのぼれば、サラリーマン研究員のころ、自由な研究環境で結果を出しながらも、    特許権における譲渡対価をめぐって、会社を提訴することにまでなった。
冷遇された会社を辞めて、更なる飛躍を求めて単身渡米し、今回の受賞に至ったという。

ここまで行くと通常の意地を飛び越えて、どこか怨念めいた意地すら感じてしまう。
それをささえたのは妻であり、夢を作る場を用意した米国の学長でもあり、とりつかれていたと思える   怒りの過去を、水に流したようなコメントも印象的だった。

アメリカの行き過ぎた自由主義と比較されるのは、僕個人的に気に食わないが、末尾は日本の若者に向けてこう締めた。
「夢ある学生が、大企業か公務員を目指すようになったのは、日本の洗脳社会で養殖された結果だ」
文法は異なるが、このような意味のことをプレス発表していたはずである。

その意地が生んだ容赦ないコメントは、ヤワな夢にガツンと響かせる、励みの言葉としては理解できる。
しかし、反面ではSTAP細胞の小保方氏の不正疑惑的な、思い余った弊害も指摘されていることも、   並行しておかないといけないような気もする。

好きなことに没頭できるなんてうらやましいことだし、発明や発見することだけが全てじゃないけど、   そこに意地があるかないかでは、結果も違ってくるんじゃないかと思わせられた。

僕に足りないのは、この意地という、こだわりなんだよな…  (´。` )
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2014年10月08日

ツンデレ

台風一過の秋晴れ。

空を見上げたら、雲ひとつない薄い青空が広がっており、昼下りは暑いぐらいだった。
夕方になると、冷え込んできたようで、今度は上着をはおらないと少し肌寒かった。

店へ向う途中、東の夜空に浮かんでた月灯りが、夜道をほどよく照らしてくれた。
電柱の下では、餌付けされたと思われるネコが、だれかを待つかのように座っていた。
ネコもキッチンの窓越しから、ただよう匂いに嗅覚が反応するのかな。
同じ道でも明るい時間に歩く街並みと、暗い時間に歩く街並みとでは、その光景たるものも違う。

「ツンデレ」 って、流行語があったかと思う。
普段は 「ツン」 とすましているのに、対外的なところでは、「デレ」 っと、親しくふるまう二重構造。
わかりやすく言えば、女性の素顔と化粧をしたときの顔の違い。
男の世界でも、権力の行方に敏感な社内政治家タイプほど、こういう態度を平気でとるよね。

日中の飲食店は、光線の加減で店構えがすすけて見えるけど、夜になると見映えの悪いところが      暗がりにおおわれ、ネオンが良いところに灯るので、同じ店でも見え方が違うものだ。
それこそ、同じ街でも昼と夜とでは 「ツンデレ」 となる。

「ツンデレ」 な態度は、そこで暮らす人々の防衛本能だから、一概には空々しいとは否定できない。
しかし、それがあまりにも露骨だと、人から在らぬ誤解をされても、それは仕方のないことであろう。
会社の集合写真でも、普段おとなしい人ほど、場所取りになると真ん中に出るような自意識に似ている。

人は夜の暗さに、孤独を感じて生きるものだと思う。
だから、夜は身の回りの条件さえ整えば、デレッとした不思議な連帯感が生まれるときがある。
恋愛も昼はそれまでの序章であり、成熟するのは夜の出来事が決定的だったりするでしょ。

僕自身、昼顔も夜顔もなく、そう性格は変わらないから、言動は一致しているほうだと思っている。
ただ、気分は内面が作り出すから意識はするけど、根が楽天的なので、「ツンデレ」 なんて言葉には、執着心の欠片もないのかもね。
まあ、ポジティブシンキングなんていうほどの、カッコイイもんじゃないけどさ。

帰宅途中、今度は西の夜空に浮かんでいた月は、14階建てのマンションにその月灯りをさえぎられ、   行きの 「デレ」とは一変して、帰りの夜道では 「ツン」とされた。
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2014年10月07日

隠微な日記

夕方、店まで歩いていたら、雨もすっかりと止み、やわらかい巻き返しの風が心地よかった。

台風が去った夜ほど、宝石箱をイメージさせる旋律を欲する。
小粒なピアノもいいけど、たまにはストリングスを背景にした、管楽器のバラードなんかもいい。

しかし、「ウィントン・マルサリス」 のような、聴き手の感情移入を拒み、甘さを排除したストイックな演奏ではなく、静かなノートながら、軽やかにスイングさせ、シンプルなリフを繰り返して、クライマックスを  むかえるような曲が好きだ。
そこに関心を寄せながら、パッと曲が浮かばないところに、「ストリングス・ジャズ」 の難しさがある。

10年前に知り合った女性が、生後3ヶ月の赤ん坊を抱いて店の扉を開けた。
未婚の母ながら子どもをあやしている、彼女の元気な姿を見れたことが、何よりうれしかった。
新潟駅「21:35発」の新幹線に乗り込むため、街角の横断歩道まで母子の後ろ姿を見送った。

「ミシェル・カミロ」 の 「ピアノとストリングスの組曲」 を流してたら、店の電話が鳴り響いた。
「近々、そちらへ伺いたいので、お店の場所を教えて欲しい」 という、問合せの内容であった。
今ではどんな場所でも、すぐに調べられる情報化社会でありながら、最近ではめずらしいことだ。

7年間、店の帳簿をつけているが、大してお客さんの来店動向はアテにはならない。
天気が荒れれば足並みは乱れるし、新しいお店を開拓したい誘惑も勝るので、昔ほど行きつけの店を    大切にする風潮が薄れている中、変わらぬ関係こそが貴重と思えるようになってきた。

日本のバイオリン奏者である、「寺井尚子」のライブアルバムを流したのは、日付が変わるころ。
音のはじまりがハッキリしない楽器は、それまでジャズには向かないと思っていた。
しかし、そのイメージを変えてくれたのが彼女のバイオリンで、はち切れんばかりに弓を引く力強さ、   最初のアクセントの入れ方など、名曲 「スペイン」を聴いたとき、最初にそう感じたね。
それに良家のお嬢様が情操教育で、習ったような演奏じゃないところがいいんだ。

僕は女性奏者が弦楽器を弾きながら、譜面を 「Z目線」 で追っているときの表情が好きだ。
女性ピアニストの場合、口が半開きになりがちだけど、バイオリン奏者は本体を首に固定するから、    自然と口が引き締まってるので、眼力がカッコいいんだよな。

さざ波のドアチャイムが響いたのは、深夜の1時を少し回ったころ。
ネクタイの結び目がいかしている男性二人連れは、今夜最後のお客になることは長年の勘でわかった。
台風が去った夜ほど、時が止まって動いているような、独特なおちつきの空間がある。

今晩は日記風に、ジャズのフレーバーを散りばめた。
音楽好きじゃないと、隠微な文章がジャマだろうけど…     これでも ジャズバーですので!

   
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2014年10月06日

チャリンコ

生活の一部であり、趣味でもあるサイクリング。

人にこう言うと、半魚人みたいなスーツを着用して、さかなクンみたいなヘルメットをかぶり、競輪選手が乗るような自転車で、街中を疾走していると思われているが、大げさな想像はやめていただきたい。
僕の 「サイクリング」 は、日常の足であり、わかりやすく言えば 「チャリンコ」 レベルだ。

先週の日曜、古町で合流に継ぐ合流で、友人ら5人と飲んでいたので、今日はシンプルに過ごす。
それにまだ、疲れも抜け切れていないようだし、体力の回復に時間を要するようにもなってきた。
年齢に逆らう真似はしないが、それなりの生活習慣のなかで、楽しみながら健康を維持している。

休日が2日あれば、休養とリフレッシュにそれぞれ充てるだろう。
だが、正味半日の休日ともなると、どちらかを選ぶことになる。
リフレッシュも体に疲れを残すものではなく、軽い運動量で気分転換できるものがいい。

サイクリングはこの上ないが、野球ならキャッチボール、卓球ならピンポンのように、スコアや勝ち負けにとらわれない、緩やかな反復運動を続けられるのが好ましい。
それに健康を兼ねた趣味で、熱くなるのはみっともないし、競わない味わいに楽しさがあると思える。

今さら生卵を飲んで、ロッキーみたいに 「 フン! フン! 」 とか、鼻息荒く走る姿はありえない。
日常の移動や用事を利用して、上手に体を動かすことをライフスタイルにしている。
僕にとって自転車は、エイドリアンのようなやすらぎと、冒険心をもたらしてくれる存在なのである。

夜のサイクリングをあきらめ、日曜の雨音を聞きながら、今日これを書いて過ごしている。
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