2014年09月28日

夕方の空気

寝覚めのシャワーをゆっくり浴びてから、リビングのテレビをつけたら、怪人 「野々村元県議」の    号泣記者会見の映像が流れていた…  また、朝(昼)から、こいつかいな!

夕方、大相撲中継の歓声が大きくなるにつれ、二人暮らしの台所も忙しなくなる。
僕が買物から帰宅し、冷蔵庫に食材をしまう。
続いて妻が手際よく、献立の材料を出し入れする。

まな板で、野菜を刻む音
水道水が、シンクに滴る音
アルミホイルを切る音
ガスレンジの着火音
換気扇が回り出す音
皿の音がした後は、台所から何やらいい匂いが漂ってくる。

どこの家庭も時間差はあれど、夕方の生活音が鳴り響いているだろう。
その大きな違いは、仕事から帰宅する夫か、仕事へ出かける夫かであり、僕は後者の夫。
夫婦箸をできないのは申し訳ないが、どんな食事であれ、家庭のやすらぎには違いない。

そんな冷えてしまった料理を温め直し、録画した大相撲ダイジェストをリビングの砂かぶりで見るのが、ささやかな楽しみながら、秋場所も今日が千秋楽となる。
結びのあと、全取組の終了を告げる 「やぐら太鼓」に風情を感じているが、それも今日で終わり。

明日からは、少し寂しい 「夕方の空気」 になりそうだ。
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2014年09月26日

チョイバカおやじ

今朝の新聞、世代別の 「国語世論調査」の傾向が載っていた。

僕自身は、「コクる」 (告白する)とか、「事故る」 (事故をおこす)などの造語は使わない。
ウィットな会話ならいいが、日常語にすると口癖になるから、オフィシャルな場では注意が必要だ。

それに、「煮詰まる」などの慣用句も、意味が怪しいと思ったら使わない。
しかも、「気のおけない友人」なんかだと、あらぬ誤解をされそうだから、この場合 「気を許せる友人」と言い換えたほうがスムースかと思う。
人の言葉は、「どういう人たちと会話を重ねてきて、今日の言葉があるのか」、背景がわかるもんだ。

それを裏づけるような、アンケートの調査結果が別枠で特集されていた。
「空気を読む若者世代」との見出しで、相手によって自分の態度を変える若者は6割だという。
今年の流行語大賞になりそうな、「ありのままで」 (態度を変えない)の生き方に憧れはあるようだが、 僕は態度や言葉を変える大切さもあると思っている。
それもTPOの世界であり、「ありのままで」 なんて、言っていられないわけだ。

一度、そういう世界に自らをはめこんで、周りを見ながら学んで行けば、それまで敬語知らずな若者であっても、そつなくできるようになるんじゃないのかな。
それを、「俺は俺」 で引きこもって、外の空気を吸わない 「ありのまま」 じゃ困るでしょ。
若者は空気を読むことが、意にそぐわないのが本音らしい。
人によって態度を変えることは、健全に大切な成長過程だと思うが、人におよぼす影響をどの段階    (年齢)で気づくかも知るべきだろう。

まあ、空気を読むことは、着る服や髪型で装いが変わる、一種独特な人間の単純さでもある。
それがわからないと完璧に勘違いした 「チョイワルおやじ」 をさらに通り越した、社会人不良デビュー 「チョイバカおやじ」 になってしまうから、気をつけたいもんだ。
そういうオヤジが、「暴走老人」 の予備軍になっちゃうからね。

僕が見てきた限り、不良とは縁のない人生を歩んできた、クソ真面目なオヤジほど危ないかも…   
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2014年09月25日

母系社会

ローカルニュースを横目に開店準備をしていたら、女性キャスターが 「このあと天候が崩れますので、お早めにご帰宅して下さい」で、末尾を締めていた。

僕にすれば、この時間からが生業なので、「大きなお節介だよ」 とつぶやいてしまった。
早く帰宅するしないは、個人の自由であり、キャスターに言われなくても判断できること。
それなら、「雨足にお気をつけて、ご帰宅下さい」のほうが、まだ情緒的であろう。

母系社会なんだ…
社会があれこれと注意喚起を促すにもほどがあり、街は情報の雑音に囲まれすぎている。
傘を持って出かけるか否かも、朝のニュースにのせるんだから、自己判断が鈍くなるのも仕方ない。
天気予報も晴天の喜びを伝えているが、ほどよい雨が降らねば困る業種もある。

日本は親切とお節介のはざまで、これが正常な情報社会と思ってたら勘違いであり、この情報論理は過保護社会を生み出しやすい仕組だと思える。
僕は計数管理でパソコンを立ち上げたついでにブログを書いている程度で、外出先にまでスマホを     持ち出すと遊びと化しそうで、日常が不自由しなければいいと思っている。

雨が降るのは、生活のルーティンであり、帰宅時間なんてのは本人が判断すること。
雨が降れば交通機関は混みあうが、情報過多で精神的余裕がなくなっているのではないのか。
だから、「新潟は杉と男は育たない」 と言われるんであり、「母系社会」 もいい加減にすべきだ。
そのうち、初潮をむかえる女の子に、「ナプキン持ちましたか」 など、公然と言うようになるぞ。

と、言うことで、今晩の営業を振り返ってひとこと…  「なんて日だ!」 
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2014年09月24日

吉幸四回忌

アイツは 「つむじ風」 のような男だった。

24日 店の常連客であった、よっちゃん (享年46歳)の四回忌である。
無神論者ながら、彼への想いをつづることが、友情の証だと思っている。
それは、だれかに読まれることを想定してのことではない。

おたがいの人生、心の傷が癒えてないころ、最初は店の客として出会った仲だ。
奇遇にも同じ年齢が幸いしてか、打ち解けるのは早く、屈託のない少年っぽさが魅力だった。
一緒にいると、いやな出来事もまぎれるような楽しさがあったが、それは彼も同じだったという。

今思えば、仔犬が二匹して、じゃれあって遊んでいるような感じだった。
僕は二匹で暮らす犬小屋があるけど、彼は一匹の犬小屋に戻る日が続く。
別れ際になると、少し寂しそうな顔を向けて、小さく手を振る姿が愛しくも思えた。

女にはモテた。
色気があり、遊びを知り、ムリに悪ぶるところが憎めなかった。
しかし、「あなたは帰ってこない」と、結婚生活に破滅性もはらんでいたらしいが、離婚後にも前妻の   息子と内緒で会っては、遊んでいた優しさも知っている。

寂しさをまぎらわすかのように、お店に現れたのは2009年の秋。
エピローグを重複するようなことはしない。
彼は幸せを作っては壊す人生を繰り返し、個人で生きて最期は個人で逝った。
ひとことあるとすれば、もっと早く出会いたかったのが、偽らざる気持である。

嬉しかったことは、僕の妻を大切にしてくれたこと…  あれが本当の人間性だったんだ。
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2014年09月23日

焼肉屋

前日、妻がボソッと 「焼肉たべたいな…」とつぶやいていた。

疲れているときは、ささやかなごちそうとして、たんぱく質を摂りたくなるもの。
昔ほど、お肉の量は食べれないが、そのぶん火加減と焼くコツを覚えて網を汚すこともない。

つくづく思うことは、焼肉はひとりで食べるもんじゃないね。
鮮度のいい肉を熱した網へ置き、白煙を調整しながら、小さなグラスにビールの手酌を繰り返す。
箸を割るのももどかしく、お肉をかみしめると、香ばしい肉汁がじんわりと口中にひろがる。
だれかに気がねすることもなく、味わいをかみしめているが、ひとりでは味気がないもんだ。

今では、どこの焼肉屋の内装もシックになり、雰囲気や客層の趣も変わってしまった。
個人的には、若いグループが入るようなお店ではなく、地味に年季の入った雰囲気のある店が好きだ。
だけど、ひとりで焼肉を食べている人は、どこか自己嫌悪ぎみに思え、放っていてもらえることが、    至福の時間のように見えるから不思議だ。

後日、地味に50年は続いている、古町の焼肉屋で好物を焼きながら、妻と向かい合った秋分の日。
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2014年09月22日

大相撲人気

大相撲秋場所は連日の熱戦を見る限り、ようやく人気が回復してきたことがうかがえる。

とりわけ熱心なファンでもないが、若貴ブームにも乗らずに寧ろ、凋落傾向のときこそ見ていた。
ひところ、メディアがとりあげざる得なかったのは、相撲のスキャンダルや不祥事ばかりだった。

家庭不和やシゴキによる死亡事件、力士の素行不良や暴行事件、薬物使用に野球賭博の数々。
極めつけは、大相撲八百長問題において、大勢の力士が番付編成を余儀なくされた。
しかも親方衆からして、多くの疑惑が浮上してきたんだから、隠し事のオンパレードであった。

いつからそんなことになっていたのか、そんな思いが頭の中をよぎっていたころ。
北の湖理事長を一度代えて、実質的には放駒親方や貴乃花親方らを旗手にして土俵の浄化に努め、     もう一度クリーンな世界を作り直してきた。
同時に育つ者は見逃さず、去るべき者は去らせ、大相撲の復権に尽力したと思える。

数々の取材により、稀勢の里をはじめ、若の里 豊真将 安美錦 引退した高見盛 岩木山 垣添など、複数は八百長の申し出を断り、星 (勝敗)の貸し借りをする、「闇の互助会」 (ごじょかい)に、加わっていなかったことは、好角家なら知っていること。

彼らに共通する特徴だが、少し浮いた存在にも思え、口を一文字にして耐えている様子がうかがえる。
それに八百長疑惑の力士らに結託され、ときにはケンカを売ってくるような相撲も仕掛けられていた。
その攻めは厳しくも危険極まりなく、それを15日間なんだから、精神が休まる暇もないだろう。
逆に厳しい攻めでやり返したのが、前頭三枚目の嘉風であり、今も顔の生傷が癒えないから痛々しい。

彼らは黒い霧の連帯感に怯まず、真っ当な相撲道を歩んできたから、今の大相撲人気を回復させたと思えるし、拍手を贈るべきは 「魂を売らなかった力士」の存在である。
耐え難きを耐えたからこそ、心情的に念じるような応援をしたくなるわけで、今の角界(大相撲)を    信じるしかないし、また八百長が横行してきたときには、ガチンコ力士の力を信じるしかない。

新潟の 「やくみつる」とは、俺のことだ…  なーんてね!
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2014年09月21日

独立否決

スコットランドの独立の賛否を問う住民投票は、賛成45%・反対55%で否決となった。
先進国でも中央と地方の在りかたに、待遇の格差や考えに隔たりがあることを世界に知らしめた。

僕は僅かな差でありながら、独立反対派が得票数を伸ばすと予想していた。
国際問題を語れる頭はないが、何となくわかったことは、往々にして人は無意識に保守化していること。

有権者は独立後のリアリティーを曖昧に感じ、気勢のある賛成派のロマニズムに賛成しただけとなり、僕の目には寧ろ、投票段階で大きく深呼吸をしたようにさえ映った。
昔、新潟港から北の楽園とされた大型船に乗りこむような、そんな心境だったかも知れない。

日本でも、政権交代に期待をかけたけど、民主党は自民党時代と何も変わらなかった。
それなら、お灸を据えられた自民党に、もう一度やってもらいましょう程度だった。
結果、社会がもつ独特ないい加減さが、国民に虚しさだけ残して、現政権に至っているわけだ。

人は基本的に、保守的だと思っている。
仕事でも、直前になって変化を嫌い、「やっぱり、やめておく」は、よくあること。
大きなことを言って失敗すると、後から責任をとらされるから、中立の立場で様子をうかがうことが    最も安全な生き方だからね。

その結果が違ってくると、「誰々さんから、言いくるめられまして」と、保身に走るものだ。
慌てて被害者意識を持つぐらいなら、最初から 「保守派でいろよ」って、話であってさあ。
何か新しいことをやろうとする挑戦心は美しいけど、中にはロマンにロマンめいている人も多いわけで、人なんて口で言うほど覚悟してないと思っている。
だってさ、投票前の世論調査では不確かな瞬間ながら、賛成派が反対派を上回っていたでしょ。

まあ、変えることも改革だけど、変えないことも改革であり、だから世の中はおもしろいのである。
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2014年09月20日

睡眠不足

19日 朝7時半に起床

今日の睡眠時間は、実質1時間ほどだろうか。
起きねばの気持ちが強いと、小さな物音にも敏感に反応するもの。
眠ったのかわからない浮遊感のまま、寝覚めのシャワーを浴びて、出かけの仕度を済ませる。
月に何回もある用事ではないので、起きてしまえば大したことではない。

夕方の4時半に一度帰宅してから、それからお店の買出しを済ませる。
少しおちついたのは、大相撲秋場所6日目 「稀勢の里」と「遠藤」の本割中で、遠藤はこれで6連敗。
後続からは、巨大軍艦の「逸ノ城」 重量怪物の「照ノ富士」 重量戦車の「大砂嵐」が、ここまでの   番付を破壊している今場所は見ごたえ満載である。
そんなことを思いながら、定刻の夜7時には、ブルーの看板に灯りを照らした。

それにしても、まともな寝具で睡眠を取らず、これを書いている時点で40時間は経過する。
所々10分ほどの仮眠でつないだが、ここまでくると眠さも感じず、日付が変わると元気になるあたり。
こうして、夜明け前にブログをアップしてるんだから、それこそ、「ランナーズ・ハイ」 である。

久し振りの睡眠不足の中、「不死身のEちゃん」に変身した…  助六寿し食って、さっさと寝るわ。  
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2014年09月19日

Joe Sample (P)

元・クルセイダーズの 「ジョー・サンプル」 が亡くなっていたのは、今日知ったこと。

クルセイダーズ 「スタンディング・トール」 を聴いて、過去のリーダーアルバムを順に聴いたクチだ。
そのアルバム、美しきメロディーメーカーのイメージをもったままである。

高校二年の時、クルセイダーズの新潟公演を県民会館で見た。
終演後、古町の某バーで寛いでいたら、突如来日メンバーが主催者のはからいで来店し、興奮状態でサインをもらったことがある。
そのとき思わず引き込まれそうになった、ジョー・サンプルの黒い瞳の深みが印象的だった。
音楽家は指が命なので、真綿をつかむようなデリケートな握手をしてもらった感覚は今も残っている。

その後、ドラムの 「スティックス・フーパー」が脱退してから、テキサスファンクと呼ばれた、あの独特なファンキーなノリが失われたようで、次第にクルセイダーズのジョーからは遠ざかってしまった。
個人的には、フェンダーローズよりも、アコースティックな表現のほうが好きだったね。

今夜、96年のリーダーアルバム 「オールド・プレイセス・オールド・フェイゼス」 を店内に流したあと、84年のリーダーアルバム 「ハンター」 から、躍動感あふれるピアノソロを聴かせる 「ウイング・オブ・ファイヤー」 を葬送曲にした。

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2014年09月18日

インプロ文章

夕方、Tシャツ一枚で自転車に乗っていたら肌寒かった。
周辺を見渡すと多くの人は、薄手の長袖シャツに衣がえしていたのに。

今年はサンマが安いが、大根は高い。
サンマや鶏肉、タマゴは価格の変動が小さいけど、野菜や果物は大きくブレやすい。

日本の食文化である、鯨や鰻は国際的な規制強化により、今後は高級食材になることが懸念される。
捕鯨に関する報道では、他の小哺乳類も対象枠にされていたが、それはイルカ漁を指すのであろう。
賛否ともかく、日本はイルカを食す民族であることに、日本が日本にモザイクをかける必要はない。
まあ、個人的には、食べたいとは思わないが…

それこそ、精肉店に商品が並ぶまでの過程を見せる情操とまで行かぬが、受け手が正常な認識ならば教育分野として公開してもいいように思える。
つまり、その本質にまとわりついている、カラクリが問題であってさ。

今、興味がある時事は、スコットランドの独立をめぐっての住民投票。
今日の午後には投票結果が出るらしいが、政治や経済、国防への影響を考えれば、民族の旺盛な      独立心だけでは、決めかねられないだろうな。
それに、スコッチウイスキーの輸入ルートや価格帯にも関わってくるから気になる。

Eさんから借りていた、76年の渡辺貞夫 「アイム・オールド・ファッションド」 (廃盤)を返却した。
「グレート・ジャズ・トリオ」は、いい華を添えるなあ。
「ハンク・ジョーンズ」は、主役を食わない美学がある。

2年ほど前に手に入れた、「キース・ジャレット」の二枚組ソロアルバム 「リオ」の二枚目を今になって
ようやく聴いて完結させた。
僕は基本的に二枚組は手を出さないので、例外を除いて企画の類にはあまり興味がわかない。
一枚目を集中して聴くと、二枚目を聴くときには余力がないからだ。
だから、二枚目は時間を置いてから、じっくりと聴きこむのである。
このあたり、書籍でも長編小説より、短編小説のほうが読みやすいのと理屈は同じこと。

「二枚目は、どうだったかって…」
その前に、キースはライヴの余韻 (残響音)を大切に扱うけど、日本公演では少し神経質になりすぎている気がするんだ。
日本への造形の深さだと思いたいが、本ソロライヴを聴く限り、キースのインプロビィゼーションに対し、観客もインプロで返しているような、今までにないリラックスしたアルバムに聴こえた。
南米独特の音楽環境が、日本とは異なる一面を可能にしたんだと思える。
それでさっきの質問の答えだが…   二枚目に限って言えば  「クレイジーだぜ!」

今晩は複数ネタをかいつまんで、書き損じだらけの 「インプロ文章」 にしてみた。
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2014年09月17日

Closing Time

三連休明け 火曜の夜…

僕は中央区のド真ん中で慎ましく暮らし、細々と商売を営んでいるが、今夜は人や物の気配を感じれずなんとも心寂しい日だった。

彼女はさざ波の音色 (ドアチャイム)を、きれいに鳴らせるお客さんである。
いつも入口あたりの席に遠慮がちに座るので、「ご遠慮なく」 と奥の席に導くこと数回。

いつ来るか予想つかない女性客だが、注文するのは 「ネグローニ」が多いかな。
1杯で席を立つ日もあれば、3杯ほどで過ごす日もあり、わかっているのは 「カンパリ系」が好きなこと。

私生活は詮索しないが、会話の受け答えから察すると、販売員 (接客)に従事していると思われる。
それともうひとつ、平日の夜にしか現れないことだ。

最近、ひとりでお酒を飲みに来る、女性客が増えてきた。
涼しくなったこともあるが、秋の夜長になると誰かと話をしたくなったり、複数で集いたくなるものだ。

だからと言って、50歳を間近に控えた既婚の僕が女ずれをして、女性客を独占するようなことはない。
なれなれしい態度だと、相手の身を硬くさせるから、最初は遠目から親近感を測る程度にはしている。

バーで、男性客が女性客に声をかけて、一緒に飲むぶんには問題はない。
このあたり、大人同士なんだから、意思表示はできるだろう。
その代わり、お酒の一杯ぐらいはごちそうして、声をかけた以上は、楽しい会話を心がけてほしい。

ただし、しつこい男の介入を許さないようにするのは、僕の役割となるが、そうめったにお目にかかれる場面ではないし、仮に不純な目的を感じたら、その時点であしらうようにしている。

ある日、今晩の女性客との会話で、「ご夫婦でなさっているようなので、安心しているんです」と一言。
以前も、違う女性客から、「ご夫婦でされているんですか…」と、めずらしがられたこともある。

僕は意識してないけど、そのほうがいやらしくなく、雰囲気に円みでもあるのだろうか。
それにピンク色にそまった女性の肌に、年甲斐もなく興奮するようなこともないからね。

寧ろ、お客さん同士で恋愛する気があれば、その縁を取り持つこともあったけど、どうも後味の悪い    出来事も味わったので、紹介 (仲介)は、慎重を期することにしている。

アメリカの南西部あたりのバーでは、男が集う場所として、歴史的に女は閉めだされていたらしい。
日本では、男が女を連れて行く場所でありながら、今では女性のほうがひとりで入って来るんだから、   いかに男が女をエスコートしなくなったかがわかる。
女性の年齢は割れるところだが、颯爽 (さっそう)と、サバサバした性格は共通している。

僕自身、酒を売って、ジャズを流しているつもりはないんだ。
夜の過ごし方であったり、年齢差をこえた会話だったり、文化的で生活をつむぐほうが意義ある。

バーでは、ひとりは 「点なる個性」であっても、交われば 「線なる社会」になれる場所だと思っているし僕自身の気持ちも救われたと感じたことも幾重にあったからね。

今夜、慣れた帰路でありながら、どことなく寂しい街の雰囲気だった…   お ・ わ ・ り
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2014年09月16日

だれだっけ…

月曜の夜、万代の歩道で、たまに店へお見えになるお客さんとバッタリ出会した。

これまでなら、その人の顔と名前、社名ぐらい言い当てられる芸当があったはず。
しかし、最近は覚えたことがスッーと出なくなり、蛍光灯のような時間を要すること暫し。
このあたり、視力の低下と時同じころ、新しいことを覚える容量は小さくなった。

そんな年齢の近い相手と顔を見合わせながら、「あっ・あー・ああー」の三段活用で、ほぼ同時の     タイミングで口をつくあたり、きっと似たような性能であるに違いない。
早押しクイズで答はわかっているけど、伝達物質の流れが鈍くなったため、押せず終いの感覚に近い。

人から、よく記憶力 (体験型)がいいねと、言われていたのも昔のこと。
年相応な記憶力だし、いい出来事はいつまでも記憶にとどめ、いやなことは忘却したいものだ。
そんな遠い過去、思い出せそうで思い出せないことは、だれにでもあるだろう。

ある夜、古町のあの店でだれかと飲んだけど、今だにだれだったか思い出せない。
あの日、井の頭公園であひるのボートを女の子と一緒に漕いだけど、だれだったか思い出せない。
あるバーで、モダンな古時計は覚えているが、会話をした複数が、だれだったのか思い出せない。

記憶の容量がオーバーするのか、自動的に保管と消去を選別してしまうのかはわからない。
そのだれかを思い出したところで、さほどの意味はないが、人にはまっさらな記憶に風穴が開くと、    細かい部分まで記憶をよびおこす、格納庫があると思っている。

その意味で人と出会うことは、記憶の互換性が働き、開かずの記憶がよみがえるのかも知れないね。
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2014年09月12日

モンスターペアレント

昨日からの連文ながら、コンビニで 「いちゃもん」をつけた、男2人の逮捕に引き続き、新たに共犯の女2人も逮捕されたという。

女2人は、39歳の母親と19歳の娘というから、いやはや 「阿修羅の世界」を歩む親子である。
しかも、7時間も恐喝に参加し、店員が土下座をした姿をネットで配信するなど、おぞましい娘だ。

一昔なら、犯罪に限らず、日常の小さなトラブルなど、同伴者が制止したものだ。
それこそ、目上の人から、「まあまあ…」と、なだめたりされれば、たいがいのことはおさまりついた。
それが世間の知恵であり、大ごとを回避するための、落としどころでもあったはず。

今は気転を利かせられる人が減り、結局は権化になり、利益にありつこうとする傾向だけは変わらず。
逮捕された男女の関係はわからぬが、家族で恐喝していたとなれば、イカれたどころの騒ぎじゃない。
ところで、「モンスター・ペアレント」 なんて言葉が広まったのは、いつのころからだったかな。

あのころ、ヤンキー 「かぶれ」 の夫婦は、わが子の入学式に原色のド派手なスーツを身にまとい、   暴力団の襲名披露宴に参加するような格好が際立っていた。
その格好、TPO以前の問題として、「わが子の将来をどう考えているのか」 不思議でならなかった。

それに亭主がかぶれていたら、そのぶん女房が、「アンタ、何考えてるのよ」 ぐらいは言っていたから  寸前のところが夫婦冥利に尽きるわけだ。
なのに止めるどころか、女房も一緒になっては、「極妻かぶれ」 な格好をして、平気で茶髪で襟足だけ伸ばした髪型の子どもを連れてくるんだから、そりゃ、始末に負えない。

夫婦であれ、恋人や友人であれ、どちらかが客観的な目を持つ存在でいるから、世間はなんとなく     まとまっていたし、その意味ではあのアニマル浜口は、「典型的な夫婦の形」 だと思える。
だってさ、このあたり、昔からあった価値観を次代に受け渡していくことであろうに。

また、そうじゃないと、「おれたちは、最低だけど、最高だぜー!」 みたいなことを絶叫しまくり、     上京後に解散したアマチュアミュージシャンのように、逆にスケールがセコくなっちゃうんだよね。
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2014年09月11日

負のおもてなし

大阪のコンビニ店で、客が店の対応に 「いちゃもん」をつけて、店長を恐喝した上、土下座を強要させたその姿をネットで配信する事件が起きた。

コトの発端は、空のペットボトルに水道水を入れるように要求したところ、店側にお断りされたところからはじまったというが、問題は恐喝や強要はもとより、野蛮な行動をおこすメカニズムを知りたくなる。

今やコンビニは、「街のホットステーション」と、呼ばれるほど定着した。
そこは商品単価が低いから、客数は多くなるが、必然的にトラブル頻度も増えるというもの。
老若男女、ゆえに、人の本性も目の当たりにしやすい場所にもなる。

もしも、客の言い分が正当であれば、クレームをチャンスに置き換えて教育的な余地を持つだろう。
しかし、毅然とした店の姿勢に暴力的な態度で来れば、理屈が通用しないから警察に通報すべきだ。
それは、卑劣な精神構造にとりつかれた、「大人のいじめ」 でしかないからである。

だが、定着したコンビニだから、何でもやってくれると錯覚された向きがある。
「すべてはお客様の笑顔のために」と、あまりにもへりくだった集客手段が次第に軽んじられるようになりコンビニなら多少のわがままも許されてしまう場所になったんだと思う。

常識的な言い方で注意すれば、「責任者を呼べ」…
店内での喫煙をとがめれば、「注意書きがない」…
防犯意識も含めて、もはや管理能力の範囲を超えている場合もあるだろう。
これまでのへりくだったサービスが、客をわがもの顔に変えてしまったのかもしれない。

10年ほど前、居酒屋チェーンの過当競争が激化していたころ、だれもが知る大手の創業社長が、    「お客さまの奴隷になりたいんだ」と、「ドM発言」をして、世間からは商人の鑑だと持ち上げられた。
その結果、「行き過ぎたサービスの虜」になった客は、普通の接客では満足しなくなり、やれ、      「笑顔でいらっしゃいませと言わなかった」だの、「料理の提供が遅い」やら、意見は正解なんだけれど、 ミシュラン気取りが増えて、「ほどほど」や、「そこそこ」という、大切な塩梅を失ったと思える。
その塩梅がわかっていれば、金は払えど店員を見下した態度はとらず、その物腰たるもの寛容だから、店からも感謝の意を表されるものである。

話をまとめていくと、ここまで傍若無人な行動を助長させたのは、サービスをイメージ戦略に企てすぎて現場の商売を成り行き任せにしてきた、机上からの指示に問題があったんじゃないかな。
ましてや、コンビニは個人経営と近しく、立場の弱い家族経営が多い。
企業はサービス標語を開発しても、現場は非常識な相手にも対応しなきゃならないのが実情。
夢あるコンビニ加盟店の触れ込みなのに、家族の安心や安全を保証できない本部は疑わざる得ない。

もしかして、売上さえ伸びていれば、よしとする感覚であろうか。
そんな、「サービスのメカニズム」であれば、早く払拭してしまうに限る。
客に勘違いをさせてきたのは、企業イメージを上げるための、とても安易な 「負のおもてなし精神」が  招いたことじゃないかとさえ思えるんだ。

空のペットボトルを差し出した理由はともかく、一般小売店に入って 「百円の水ぐらい買おう」という  気にはならないのかな。
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2014年09月10日

生きやすさ

号泣怪人・野々村元県議の会見から端を発し、各都道府県の議員の活動内容に至るまで国民の疑惑が向けられ、領収書の改ざんはもとより、銃刀法違反に危険ドラッグなどの実例がワンサカ出るわ…

何でも女子中学生とラインでつながっていた議員が、グループから仲間はずれにされた腹いせに脅迫めいた、稚拙 (ちせつ)な文章を送り付けて訓戒処分になるなど、精神の二重構造を見たようである。
仲間はずれにされた、屈辱感が大爆発したのだろうが、国民からすれば大爆笑なんだけどね。 (笑)

聖職と呼ばれる職業 (立場)は、人道意識に基づいてるから、だれからも信頼されていた節がある。
ところが、職業の中にも人格があることを、もう多くの人が気づいてきた。
それが何かのきっかけでコントロールを失うと、突拍子のない行動に出るときがあるし、プライドと    コンプレックスは紙一重であることもわかってきた。

教職のワイセツ行為、公務員の横領事件、消防隊員が放火したなど、広くは民間でも同じこと。
常識で考えるなら、病んでいると思うが、普通の人が普通の顔でやるような時代になってきた。
聖職なら安心とか、社長だから人格的に優れているなど、そんな理屈はもう通らないと思う。

だけど人を懐疑的に見ては不健康だろうし、ならば好意的につきあったほうが実りはあるだろう。
仮に排他的なことをされようが、黙っていても離れていくから、あまり神経質になることもない。
僕は相手の職業や肩書とつきあっているつもりはなく、その人となりに敬意を払い 「ニュートラル」な  気持ちでいるので、あまり人に緊張しないんだ。
だから、権力の行方に敏感な社内政治家みたいな人からは、絶対にかわいがられないタイプだろうね。

仕事上の便宜があろうがなかろうが、セコい優越感に悦する人からは、僕はきっと嫌われているので、逆にとても自由で生きやすい環境なのである。
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2014年09月08日

Jazz Talk Vol.49

N塚さんから、「ジェフ・ワッツ」の初リーダーアルバム 「シチズン・ティン」を聴かせてもらった。
(一曲目、ウィントン・マルサリスのソロを聴くと、あれだけ大口を叩くだけのことはあるわなぁ…)

ワッツのドラミングは、まるで 「マイク・タイソン」級の重量感とスピード感ながら、コンポーザーとしての才覚もあることを知った。
彼のアルバムに限らず、この世代の流れは、「ブランフォード・マルサリス」 「ジョーイ・カルデラッツオ」 「ジョシア・レッドマン」 「ブライアン・ブレイド」など、実験的なジャズに挑戦していることがわかる。

「ブラッド・メルドー」にも言えるが、伝統を消化しながら、だれにも媚びない現代センスがあるんだ。
ムリに演奏を盛り上げようとはせずに、探り合いの中で盛り上げ場面を作るようなところがニクイんだ。
一年前、「チック・コリア・グループ」のコンサートを2列目で観たとき、確かにそんな印象をもった。

11月の新潟公演 「上原ひろみ・グループ」も、その傾向に近い気がする。
ドラムのリズムの刻み方、複合拍子を使ったり、どこか難易度を楽しんでいる節がある。
このあたり、「複雑すぎる」という意見もあるだろうが、多くの音楽的要素が交じり合っているから、     キャッチーなサウンドとは言い難い印象からなんだと思える。
かたくなに、4ビートのアコースティックジャズが好きな人には、少々苦痛に感じてしまうかもね。

当然、良し悪しではない。
グルーヴ感(ノリ)の違いであるから、行き着くところは個人の好み。
僕の手元にもある、上原ひろみの初スタンダードアルバム 「ビヨンド・スタンダード」を聴けば、ここまで書いた内容を少し理解してもらえるかと思う。

つまり、新しいジャズは作り続けられており、「理解できないから、こんなのはジャズじゃない…」では、 その可能性を放棄したと同じだから、フレッシュなフィーリングにも耳を澄ませておきたいものだ。

僕の中心的存在は、「キース・ジャレット・トリオ」だが、そこだけ聴き続けているわけではない。
50〜60年代のメインストリームにタイムスリップしたり、良質なフュージョンに耳を傾けたり、そして  今の最先端ジャズ(音楽)に注目しながらも、肩肘張らずにセレクションしているんだ。

だけどやっぱり、「ダンモズージャ」が、一番おちつくかな… (往年のジャズメンの逆さ言葉遊びだよ)

 
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2014年09月07日

デュワーズ 12年

ワインの試飲会などで、味わいを伝えるとき、「芳醇」とか「若い」などの、形容詞が一般的かと思う。

ウイスキーにおいては、「とろとろ」とか「つるつる」など、擬音語が多様されるが、言葉に定義はないのでその人なりの表現でいい。

僕もこれまで、「丸みがある」 「角張っている」 「平面的だ」 などの形容詞を使っていたが、最近ではシンプルに 「深い」 「硬い」 ぐらいで、特に表現方法にとらわれていない。

当店、ショット形式ながら、「渋いボトル派」のためにも、伝統的なキープ制も行なっている。
その推薦ラベル(ハウスボトル)は、スコッチウイスキー 「デュワーズ12年」

ワンランク下の 「デュワーズ ホワイトラベル」では、僕の印象ではまだ硬さが残る。
割って飲むぶんにはいいが、生(き)では、スパイシーすぎて飲みにくいかもしれない。

その点、12年は香りと味にボリューム感があって、ほどよく甘く、気分次第で飲み方を変えられる。
それに、プライスゾーンも優れており、ビンがエンボス仕上げで、ラベルもスタイリッシュに見える。

お客さんのニーズは、その夜のTPOであり、酒場はフレキシブルな世界である。
製法的な小理屈は抜きに、まずは素直に香りや味わい、飲み方を楽しんでもらいたいと思う。

アメリカでは、「ブレンデッド・スコッチ」のセールス、ナンバーワンのラベルだという。
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2014年09月05日

ジョニ・黒

「好きなお酒は…」と、聞かれれば、日本酒でも焼酎やワインでもなく、ウイスキーと答えるだろう。

年齢的に少し弱くなったせいか、バーボンなら水割りかソーダ割り、またはミストで飲むときが多い。
時間をゆっくりと楽しみたいときだけは、シングルモルトでロックにする。

バーボンなら 「I.W.ハーパー」 「オールド・チャーター」
M沢さんの愛飲酒 「ブッカーズ」 をたしなむほど、強靭なアルコールの分解質は持ち合わせてない。

シングルモルトなら、「ノッカンドォ」 「クラガンモア」  たまに 「ラガヴァーリン」
最近では、宮城峡蒸留所の仙台限定発売 「伊達」 のスムースな後味がとても気に入っている。

ウイスキーは、ゆっくりと体にしみこんでくる感覚だから、マイペースで飲めるのがいい。
注ぎ注がれ、人に気を使わせないし、良質なウイスキーで二日酔いの話はあまり聞かない。

世間では発泡酒や缶チューハイが、お酒の主役のようになってるけど、あくまでも食事の水代わりで、飲むのであれば、もう少し文化的でありたいと思う。

その昔、洋酒は小売価格が高すぎる上、ラインナップも限られ、上司に飲みに連れて行かれない限り、そうたやすく手を出せなかった。

時が変わり、税率改正されてから、高級スコッチが手ごろとなり、今ではだれもが飲めるようになったが寂しいかな…    いつのまにか、ありがたみを失うんだよな。
その背景、40代半ばからは洋酒に回帰しても良さそうだが、接岸先はハイボール止まりなのかな…

その昔は、高嶺の花で手を出せなかった女性だったが、それがあまりにも身近な存在になってしまうと、それまでの恋熱がスッーと引いていくような軽薄さ。
実は今こそ、円熟味あふれる女性として姿を現したのに、それに気がつかない鈍感さにも似ている。

バーボンは男の屈強なイメージがあるけど、スコッチになるとインテリジェンスなイメージがある。
ラベルで飲んでいると薄っぺらになってしまうけど、イメージ的にはウイスキーの個性は母性にはない、父性への理想郷という感じであろうか。

先月 「ジョニー・ウォーカー・ブラックラベル」 をバックバーに並べた。
年の功は50代後半、腐れ縁にも見える二人連れが飲んだラベルがコレだ。

この年代、通称 「ジョニ・黒!」 で、指定してくる。
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2014年09月04日

更年期障害

男にも、男性更年期障害があることは、医学的にも証明されている。

三ヵ月後、50代の仲間入りをする心境として、心身にどのような変化がおとずれるのか…
いや、もうとっくに、おとずれているのかもしれないが。
台風が接近してくるときのような、知らないだれかと不思議な連帯感に包まれている。

女性の更年期障害は顕著らしい。
そりゃ、50年の間、体に負担をかけるようなことも多かっただろう。
それまでのダメージを修復して、後期高齢者の道を歩むためにも、もう一度奮起したい節目だよね。

そんな更年期を前にした女性たちには、自分じゃないみたいな症状が表れてくるという。
ホルモン変化による、動悸や息切れ、めまいや不眠、疲労感や精神的なイライラ…
個人差はともかく、小さくあてはまるところはあるんじゃないだろうか。

このあたり、女性は大切な人には、伝えておいたほうがいい。
男は単純で、女のイライラに苛立つときがあるから、「そうじゃないの…」と、説明するのは有効だ。
だから、女がイライラしてたら、黙認するのも治療であり、それを 「どうして、イライラしてるんだ!」と  理由を問い詰めることは、何の改善にもならない。
この年代、女性の更年期障害を見守ることは、男の努めになるとも思える。

以前、親しい女性客と更年期の症状について話をしていた。
すると、「私、近ごろ、イライラするから、更年期障害がはじまったのかも…」と、ため息をつく。
それを聞いて、新潟弁で 「おめさん、わがままなだけらがね」 (あなたのはわがまま)と、一言返したら「頭にきた、もう一杯!」 だってさ… (笑)
元気に冗談を返せるだけ、こういうお客さんは心配いらないね。

今晩もカウンターに、別の意味で 「ホットフラッシュ」 が数名…
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2014年09月03日

なぞの女性

あくびが出そうで出ない、くしゃみが出そうで出ない…  どちらも気分がスッキリしないものだ。

夕方、妻と 「たまごのタイムサービス」に合わせて、買物カートをゆっくりと押していた。
特売日のスーパーは、わが家の冷蔵庫に使命感をもった主婦らが多く集まる。
指にはさんだメモを見ながら、買物カゴを左右に持ちかえる主婦の切り返し技が今日も光る。

ママ友と呼ばれる、二人連れの主婦はあまり見かけないが、線引きした構図が隠されているのかな。
ひとりで買物をしているときは、主婦の生態に目を向ける余裕はないけど、今日は僕が買物について    来た感なので、いつもより視野が広いのかも知れない。

途中、乾物コーナーの棚に目を奪われていたとき、すれ違いざまの女性から 「こんにちわ…」と     声をかけられ、そのまま素通りしていった。
挨拶には、挨拶でオウム返ししたが、一瞬頭をよぎったのは 「この人、だれ…」という疑問符。

生業、人の顔を覚えることは長けているかと思われるが、年の功は40代と思しき女性であること。
店での男性客とは違い、女性客の顔をまじまじ見るような、奇特な視線は送らないようにしているので、そう親しくならない限り、女性の顔は覚えにくいものだ。

しかも、店とは違いスーパーでは、素の表情で買物をしていることであろう。
それに、髪型やメイクを変えたり、帽子やメガネで変装していることもあるだろう。
しかし、先ほどの女性は確かに僕の方に向って、発音のきれいな挨拶をしてくれた。

女性が声をかけてくれたんだから、僕とはそこそこの距離であることには違いないだろう。
店に来てくれたことがあるのか、ご近所や外出先での顔見知りか、それとも同級生なのか…
いや、同級生だとしたら、アプローチがおかしすぎる。

すれ違いの女性は、だれなんだ…  返礼はしたから、失礼なことにはなっていないはず。
ただ、すれ違いざまにチラッと見た、横顔の微笑と発音のきれいな声しか手がかりはない。
妻は買物に集中していたので、そのやりとりに気づいていないが、もしも店のお客さんだったのであれば妻の顔を知っていても不思議ではない。

なぞがなぞ呼ぶ、なぞなぞの女性はだれなのか、いまだになぞなぞなのである…  人違いか!?
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