2014年08月22日

和して同ぜず

先週末、毎年の恒例行事と化している、中学校の同窓会が古町で催されたという。

今年は、母校の統合や50歳の節目にあたるためか、いつもより出席者が多かったとも聞く。
僕は仕事がからんでいるから、まず出席できないが、後からは 「あんな奴が来て、こんな奴がいた…」程度の話は自然と耳にすることになる。

不思議なことに、僕の店に来る同級生は大々的な同窓会に出席するタイプでなく、どちらかと言えば、少数派の 「へそ曲がり」が多い気がするのは、僕と似ているタイプが集まるのかも知れない。
彼らには出席できない理由などないし、ありがたくない形容をされている人物ではない。
何かのトラウマが晴れていなかったり、近寄りがたい人物がいるわけでもなさそうである。
それによほどのしこりがない限り、過去の罪状に免罪符をもっているものだ。

同窓会という性質上、仲良しとばかり群れて、同じ席で長っ尻するのは粋じゃない。
いろんな同級生と交流をはかり、間合いを楽しむことが主となる。
だけど深いつながりがないと、気軽に参加できない一面もあるよね。
せっかく出席しても、壁の花になっていたら、心苦しいだろうしさ。

同窓会は、記憶力や存在感の問題じゃない。
思い出話に真意は問われないし、それが真実であったかどうかはもうどうでもいいこと。
全てあやふやな会話でいいんだし、懐かしみたいのなら、忘却することも大切だと思う。

だけど気軽に話しかけようとしても、意図的にタイミングをはずされたりすれば、「どうでもいいや…」  になるし、逆に話しかけられたら、笑顔で応じるぐらいの懐がなければ、同窓会の趣旨は成立しない。
それに、「おまえ、誰」なんて、斜に構えているようでは、暴走族の集会じゃあるまいし、ダサいでしょ。
女性なら夫の肩書や豪華な生活ぶり、果ては子どもの成績がいいだのと、バカ丸出しの自慢話に   興じるなどの致命的な欠陥があれば、たとえ級友であっても一緒には飲みたくはないわな。

同窓会は学校の民度がわかるもので、このあたりの相関図は系統割れしているから、結構おもしろい。
でも不思議なモンで、小中高で親しかった同級生よりも、その当時はあんまりつきあいのなかった     同級生たちのほうが、今になっては懇親な関係になっていたりするんだよね…

それを氷解させてくれた、同級生の一言がこれだ!
「あのころ、(理由はどうあれ) つきあえなかったからさ…」
僕の友人には、和する大切さを持ちながら、「和して同ぜず」 タイプが多いことに気づかされた。

僕らの50代…  まんざらでもなさそうである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする