2014年08月31日

2014 長月

 【9月 定休日】     
       7日(日) 15日(月) 23日(火) 28日(日)
 
      14日(日) 21日(日)は、通常営業致します。 

 住所     新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話     025−247−1644
 営業時間   19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日    日曜日 
 客席数    カウンター10席  ボックス席(5〜7名)


つれずれなるままに…

ホワイトバランスが崩れた夏も終わり、明日から9月となる。

夏の本性を見極めたであろうか…
夏は人の心をしたたかに利用して、集団催眠にかけてしまう魔物である。
疲れを持ち越している人は、その催眠術にかかったままの人なのである。

夏枯れしている暇はどこにもない。

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2014年08月30日

Men`s Restroom

便所の話である…

新潟県内の小学校では、従来の和式トイレから、洋式トイレへの普及率が高まっているという。
多くの生徒の自宅は洋式ながら、学校は和式であるから、おちついて排便をできないこともあるらしい。

人が精神をおちつける場所のひとつに、自宅のトイレがあげられる。
しかし、自宅以外のトイレともなると、そう呑気なことは言っていられない。

大人であれば新聞や雑誌を持ち込んだり、タバコを吸いながら物思いにふけるときもあるだろう。
若者の中には、学校のトイレで昼食を済ませるなんてのもあったが、そんなのは問題外である。

僕はせいぜい、自宅のトイレに新聞を持ち込むぐらいで、密閉された空間で長い時を過ごすことはない。
それが外出先になると、無防備な状態にさらされるので、マッハの速さで用を足すこと最速18秒。

なぜ、こんなに忙しないかというと、学生時代にさかのぼる。
学校で大便をしようモンなら、冷やかされることは避けられない。
冷やかすぐらいならまだいいけど、あの当時はえげつなかった。
誰かが大便をしてようものなら、すぐに伝達されてトイレの回りを大勢で包囲する。

最初に断っておくが、人がふんばっている姿をのぞかないことが、暗黙のルールとなる。
じゃあ、やることといえば、ドアノブをガチャガチャ回したり、ノックの連打などの冷やかしである。
さらに、ブースの上からホースをたれ下げたり、下のすきまからホウキを出したり引っ込めたりする。
ときには、全員で 「ウンココール」の大合唱をしたり、誰か知らない相手に、「でましたか」とか声を    かけたりすると、「でねわいやー」と絶叫されたり、気配を消してジッーと辛抱していたり…

それでトイレから出てくると大拍手で迎えたり、胴上げしようとしたり、あのころ 「アホ」だった。
一番笑ったのが、ブラスバンド部から借りてきたと思われる、トランペットをトイレの前で吹いていた   アホがいたことで、昼休みは暇だったから、そんなことばっかりして遊んでいたわけだ。
それに、かまわれている男も、なんだかおもしろがっていた時代でもあった。

いじめの類なのかも知れないが、今と違うのは人を無視しなかったこと。
かまわれた本人は迷惑だったと思うけど、かまうことで仲間になって遊んでいたような雰囲気。
「おめ、クソしたろ」とか冷やかしながら、次第に距離が詰まっていくような感じかな。
ハンパ強引ながら、同じ学年なので、すぐにタメ口で話せるような関係に打ち解けていったものだ。

だから、学校の昼休みのトイレは、「誰かクソしてるぞ」の号令とともに、おもしろがられて襲撃される  場所でもあったので、大人になった今でもトイレはおちつける場所ではないんだ。
その経験をもとに、小学校が和式から洋式へ変更になるのは、「精神安全上」でも賛成である。

そんな僕は、小中学校では便を我慢していたし、高校では一度も妨害されたことはない。
なぜなら…  こっそりと 「教員トイレ」を使っていたからである!
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2014年08月29日

柔道の革命児

現在、ロシアで開催中の 「世界柔道選手権2014」

開催2日目、男子66キロ級の日本代表 「海老沼 匠」が、切れ味抜群な内股で世界3連覇を決めた。
(2013年 8月29日 マイブログ 参照)

僕自身、新潟レベルながら、柔道を13年間現役でやっていたから、他のスポーツと比べると見方が    専門的になるし、少し感情も高ぶりやすくなる。
それはもう、自分の組み手から得意な技が決まる瞬間、思わずこちらの体も反応してしまう。

世界レベルにもなると作戦は作戦であれ、試合がどう進んで、どう決着がつくかは予想がつかない。
また、自分の中に秘められた想定外の力が瞬間に出てくることが、「現代柔道」の醍醐味である。

試合を見ていて、「あの体勢から、あの技を仕掛けてくるか」とか、「前襟から、あの大技に連動するか」
「どうして、そこで小外刈り、なぜ、そこで小外刈り」など、次々と口からひとりごとがついてくる。

連続技が多様化してたり、高度な技の攻防にも驚かせられるが、柔道は立技だけではない。
寝技や締技、関節技のような飛び道具も仕掛けられるから、油断もスキもない。

柔道の完成度は、高くなってきたと思える
つまり、予測できる柔道は柔道ではなくなってきているんだ。
柔道の発展ということで言えば、喜ばしいことであろう。

冒頭、海老沼の金メダルだけを見出しにつづったが、彼の攻撃柔道ぶりを見て、僕はそう感じたから    特筆しないわけにはいかない。

実戦した競技だからわかるあの凄さ…   おいおい、やっぱり、あいつ、  只者じゃないぜ!
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2014年08月28日

変わらぬ素顔

27日 水曜日 お昼の 12:25…

意外な場所で仕事中だった、お店の常連客でもある、Mさんと出会った。
おたがいに構えのない素顔で、軽い挨拶と笑顔を交わして、それぞれの方向にすれ違った。

僕のような仕事をしていると、街中でお客さんと会うことは珍しい場面ではない。
だいたい仕事をしている、素顔を垣間見ることが多いであろうか。

素顔にも、「表の顔」と 「裏の顔」が存在する。
表の顔とは本業で見せる 「仕事の顔」であり、裏の顔とはお店で見せる 「和らぎの顔」である。
お店では、「後者の顔」を見て、時が流れていく姿をお見かけしている。

お客さんといえども、人の子…
表の顔を見かけたりすると、お店では魅力的に見えていたはずだが、街中では妙によそよそしい態度に映り、オフィシャルとは言えども、安定しない素顔に困惑することもある。
逆に、ほどよい顔見知りであることに気を許してくれ、社交的な表情で安堵することもあるからね。

思わぬ場所で人と偶然に会ったとき、それまで見たことのない、いろんな素顔と出会うことがある。
それもこれも、その人なりの魅力的な素顔であったりするから、余裕のあるなしではないだろうが。

日常生活の中で、思っていた印象と実際の素顔が違っていたということは、往々にしてあるだろう。
気さくな人と思っていたら、気難しい人だったり、冷たい人と思っていたら、人情味のある人だったり。
人が作り出す印象なんていい加減なモンで、実際に接してみたら違ったなんてことはいくらでもある。

Mさんの人柄はいつも変わらず、ありのままの常連客のひとりである。
表と裏が極端に変わらないことは、人柄に強みがあり、個人のプレゼンテーションでもあると思う。

帰る道すがら、何か得した気分に包まれた…
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2014年08月27日

家事ハラスメント

今、話題の妻からの家事ハラスメント  通称 「家事ハラ」 だとか… 
夫は教えてもらう立場だから、そんなのクソくらえだ!

僕は今まで、男が料理本を広げて、狭い台所で調理する姿を快く思っていなかった。
理由があれば別だが、独身のころから自宅で料理を作るぐらいなら、そこらへさっさと外食に行くか、   コンビニ弁当で済ませるような生活だった。

それこそキッチン用具なんて、洗剤とスポンジ、三角コーナーに水きり用のトレイ。
まな板とペティナイフ、割り箸と小皿ぐらいしかなかった。
小さな冷蔵庫には無造作に放りこんだ、6Pチーズぐらいしか入ってなかったと思う。
枕元には、たまに寝酒でつかっていた 「I.W.ハーパー」があるだけで、食の生活空間はなかった。

そんなひとり暮らしだったので、結婚してからも、料理らしい料理を作ったことがない。
手伝う台所仕事といえば、食材を冷蔵庫へ保管することと、食べた後の皿洗いにゴミ捨てぐらいで、    料理を作ってもらうことについては、妻への感謝は尽きることがない。

しかし、いつまでも甘えていれば、晩年の生き方に不安を覚えてしまう。
このあたりで、緩い性根に喝を入れねばならない。
なぜなら、あと20年は一緒に生きることを約束したからね。

これからは料理もそうだが、男も家事全般について、少し知っておく必要があるだろう。
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2014年08月26日

青春のおとしまえ

長年購読している新聞の見出しから社会面、さらには社説に至るまで、日本文理高校の甲子園での     健闘を讃える記事が、連日大きく扱われている。

新潟県民の関心の高さもあろうが、新聞に限らず取り上げ方が過剰な気もする。
題材的には勝っても負けても、不屈の闘志 心打つ夏 勇気と感動など、県民を代弁するかのような    小刻みな言葉が紙面を飾っている。

僕も惜しみのない拍手を送るし、選手の努力にもくみするものの、過熱した高校野球の取り上げ方に、  「彼らは高校生なんだけどな…」と、冷めた見方もしている。

それでも、高校野球は多くの人を魅了する。
夢や希望などの、語彙(ごい)はいったん置くとして、そこにはまぎれもなく、十代で経験したことがある、青春の匂いがするからだと思う。

選手はプロのように技術的に洗練されておらず、人が喜ぶような芸も持ち合わせていない。
持っているものは、まだ何にも汚れていない、クリアーな世界に生きる純粋さである。
われわれの高校時代と比べると、ひとえに温厚すぎる気もするが、それがチームとしての仲間意識の    強さであろうし、僕なんて色紙に描くサインの練習をしていたんだから、一体何を企んでいたんかな…

心を衝き動かされるのは、経験したスポーツや努力量は違えど、こうして大人になったということ。
つまり、共感や応援をすることで、できなかった青春におとしまえをつけようとしているんだと思う。
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2014年08月23日

8月の空の下

山崎まさよしがしっとりと歌い上げた、映画の主題歌 「8月のクリスマス」が好きだ。

出だしは、「ありふれたできごとが こんなにも愛しくなってる」からはじまる。
「わずかな時間でも ただ君のそばにいたかった」と続く歌詞を聞くと、思わず胸がじんとくる。

ある日、彼女がカウンターでこう言った。
「日常は奇跡だと思う」
僕も、そう思う。
彼女は日常、どれほどの幸せを感じていたのだろうか…

食事は慎ましくていいから、一緒に楽しく食べられればそれでいい。
よほどのことがない限り、高い買物はしないし、バカンスに出かけることもなくなった。
節約生活をしているんじゃなくて、もう多くのことを求めずに済むようになったんだ。
それまでの時間で、モノの価値観や味覚を判断できるように、理屈とは違う感性で生きているんだ。

成熟した大人になるということは、そんなことなのかも知れない。
その言葉を聞いたとき、何もかわりばえのしない日常に人の魂が宿ると思った。
そして深い共感と慈しみの気持ちにも包まれた。

「確かに君がいた あの夏の日に 確かに僕がいた 8月の空の下」
エンディングを聞いていると、日常のあたりまえが身にしみてくる。

フィクションではあるが…
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2014年08月22日

和して同ぜず

先週末、毎年の恒例行事と化している、中学校の同窓会が古町で催されたという。

今年は、母校の統合や50歳の節目にあたるためか、いつもより出席者が多かったとも聞く。
僕は仕事がからんでいるから、まず出席できないが、後からは 「あんな奴が来て、こんな奴がいた…」程度の話は自然と耳にすることになる。

不思議なことに、僕の店に来る同級生は大々的な同窓会に出席するタイプでなく、どちらかと言えば、少数派の 「へそ曲がり」が多い気がするのは、僕と似ているタイプが集まるのかも知れない。
彼らには出席できない理由などないし、ありがたくない形容をされている人物ではない。
何かのトラウマが晴れていなかったり、近寄りがたい人物がいるわけでもなさそうである。
それによほどのしこりがない限り、過去の罪状に免罪符をもっているものだ。

同窓会という性質上、仲良しとばかり群れて、同じ席で長っ尻するのは粋じゃない。
いろんな同級生と交流をはかり、間合いを楽しむことが主となる。
だけど深いつながりがないと、気軽に参加できない一面もあるよね。
せっかく出席しても、壁の花になっていたら、心苦しいだろうしさ。

同窓会は、記憶力や存在感の問題じゃない。
思い出話に真意は問われないし、それが真実であったかどうかはもうどうでもいいこと。
全てあやふやな会話でいいんだし、懐かしみたいのなら、忘却することも大切だと思う。

だけど気軽に話しかけようとしても、意図的にタイミングをはずされたりすれば、「どうでもいいや…」  になるし、逆に話しかけられたら、笑顔で応じるぐらいの懐がなければ、同窓会の趣旨は成立しない。
それに、「おまえ、誰」なんて、斜に構えているようでは、暴走族の集会じゃあるまいし、ダサいでしょ。
女性なら夫の肩書や豪華な生活ぶり、果ては子どもの成績がいいだのと、バカ丸出しの自慢話に   興じるなどの致命的な欠陥があれば、たとえ級友であっても一緒には飲みたくはないわな。

同窓会は学校の民度がわかるもので、このあたりの相関図は系統割れしているから、結構おもしろい。
でも不思議なモンで、小中高で親しかった同級生よりも、その当時はあんまりつきあいのなかった     同級生たちのほうが、今になっては懇親な関係になっていたりするんだよね…

それを氷解させてくれた、同級生の一言がこれだ!
「あのころ、(理由はどうあれ) つきあえなかったからさ…」
僕の友人には、和する大切さを持ちながら、「和して同ぜず」 タイプが多いことに気づかされた。

僕らの50代…  まんざらでもなさそうである。
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2014年08月21日

Jazz Talk Vol.48

ジャズ一色のブログにしようと思えば可能だが、ワンテーマだけでは早々アップできなくなる。

休眠状態のブログは意味を成さないし、ジャズオンリーでは執筆頻度が追いつかない。
そうすると公開できる範囲で、「ジャズが好きな店主の日常生活」を軽くつづりながら、時折こうして   ジャズを題材にアップすることが、ムリのないスタイルとなる。

だから、ジャズの素晴らしさを伝道する使命感に酔いしれたり、勧誘めいた内容にしてないのは、     ブログを書くためのジャズになると、早かれ遅かれ続けられなくなることがわかっているからだ。
ならば、読み手に異常なまでに気を使うことはないし、好きなことを書いてたほうが一助になると思う。

本ブログのジャズのページを読んでいる人は、よほどジャズが好きな人なんだろうね…
そうすると、僕にしか書けない経験談が、重要な題材になるかも知れない。
その意味において、今から 「昭和のジャズ」にタイムスリップしてみる。

80年代、東京でも新潟(地方都市)でも、週末の夜になるとジャズクラブでライヴが催されていた。
あのころ、新宿の伊勢丹裏の路地から地下へ潜っていく、「新宿ピットイン」がとても熱かった。
だけど、渡辺貞夫や山下洋輔などは別格にしても、バブル全盛期でありながら、一般的にはお客さんが聴きに来なくなったのも時の流れになってきた。

避暑地で催されていたイベントである、ジャズフェスティバルもなくなり、「ブルーノート東京」のような   ディナー形式に主流を奪われてしまった。
僕も90年代に入ると、新宿のライヴハウスから次第に遠ざかるようになり、世界的な一流ジャズメンの生演奏を傾聴することが主になった。

チケット代は高いけど、東京在住のアドバンテージを活かせば、「今のうちに…」ということになる。
それにライブハウスでは、スネアのパルスが響いてくる距離で、生音を聴けるんだからたまらない。
演奏しかり、表情やしぐさ、くせや性格に至るまで、生で感じられるんだから素敵な時間となる。

それでも、最終的に戻りたくなる場所は、「新宿ピットイン」だった。
それはなぜか… デートやファッションで、わざわざジャズを聴きに来る客がいないから。
出演者も、明日のメジャーを夢見て、がむしゃらに演奏するのが魅力。
女性を意識して、チンタラと演奏している不純な奴はいない。

観客は楽器を扱えないが、長年ジャズを聴き続けてきただけあり、耳が肥えているのは確かだ。
ステージは、ガチンコ(真剣勝負)を勝ち抜いてきた連中だけが、巣立って行ける登竜門である。
練習もせず、舐めてステージに上がろうなら、客も平気で席を立つのをいとわなかった緊張感もあった。
だから、次第にステージに上がらなくなったというか、上がれなくなった若手もいたはずだ。

当時は朝昼晩の3部制で、朝と昼は力試しみたいなもんで、顔と名前を売り出しにかかるメンバー。
当然、お客さんは少なく、ヘタすれば演奏者の人数のほうが多かったりするからね。
それで客に途中退席されたら、本番のステージが練習風景となるから、バツが悪いったらありゃしない。
しかし、こういうジャズの修羅場を経験した連中こそ、実は底力があったりするから油断ならないんだ。

今やベテランのジャズドラマー 奥平真吾がリーダーとして率いるグループ 「 The Force 」は     当時の流れを受け継いでいる、硬派なグループなんだよね。

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2014年08月19日

秋の訪れ

あぁ、 夏は終わったな…

18日 朝8時に起床して、9時の街並みをタクシーの車窓から眺めていたときにそう思った。

お盆休みも終わり、月曜の朝を行き交う人の顔の多くは、新学期がはじまったような慌しささえもある。
それまでの猛暑日も、これからお盆休みが控えているためか、気分に浮き足立っていた気もしていた。

そんなお盆休みの空気も薄らぐのも、うーん、20日過ぎからであろうか…
そのころには、類は友を呼ぶようになり、元のペースの生活が再開されていることであろう。

その夜、店の扉から、風鈴の音色とコオロギの鳴き声が交じり合った、二重奏に秋の訪れを感じた。
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2014年08月18日

妻の一言

足どりが重かったのかな…

妻が偶然、僕が街中をひとりで歩いていた姿を見かけたという。
会うや開口一番、「今日は休みらしく、少し休んだら…」とやんわり一言。
自分では軽い疲労感ぐらいにしか思っていないが、一緒に暮らしていれば表情などで悟られるものだ。

正月以来、2連休は取ったことはないし、営業時間も一定している。
今月は日曜を初日に連休をはさもうと思いきや、元来の貧乏性が店へと向わせてしまうあたり。
だからと言って、日常が退屈で変わり映えしないと嘆いてないし、自分の意思で行動している。

だけど気を張り続けていれば、意識あるなし関わらず、どこかに疲れの反動が出るのもしかり。
事務的に言葉を返していたり、神経を苛立たせてたり、ストレスをためこんでいるつもりもない。
しかし、妻はどこかお見通しであり、こればかりは理屈ではなく、夫婦にしかわからないことだ。

今夜、妻の一言に耳を傾けて、僕は3ヶ月ぶりに、銭湯のお湯に肩まで浸かってきた…
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2014年08月16日

証拠映像

東京中野の古物商が、万引き犯の顔写真を公開するしないで、世間を賑わせたことは記憶に新しい。

警察の申入れにより、顔写真は公開しないことでおちついたものの、世間の意見は二分したが、      一石を投じたことには意義があったと思う。

店長業務は過酷である。
売上ノルマに追われ、人件費の削減も要求され、万引きによるロス率の高さ。
発注 納品 陳列 清掃 会計をこなし、時には万引き犯との逃走劇にもなる。
年齢による体力の衰えは、いかんともし難いので、防犯カメラの映像で証拠を突きつけるしかなくなる。

警察に任せればいいが、手続きだけで捜査しないのは、過去の経験でわかっているだろう。
曖昧な正義に頼るぐらいなら、自分のやり方で解決を考えても、何ら不思議なことでもない。
賛否両論、個人的な怒りを解消しているとの論調もあるだろうが、そんなことが何度も起きれば、もはや正義のおとしどころすら、見失ってしまうんじゃないかな。
このあたり、実務の接触が薄い人たちからは、あまり実感を持ってもらえないことかもしれないよね。

僕の店の形態は万引きこそないが、無銭飲食の危惧はされるもの、今だかってそれがないのは幸い。
だけど無銭飲食を狙った、確信犯の考え方はこう開き直っている。
財布を忘れたという理由をつけ、身分証明書の類すら持たず、予め用意した名前と住所をためらいなく、その場で速記する器用さを持っている。
後日払いに来るとは言うが、そのほとんどは高い確率で行方をくらましてしまう。
それにわざわざ時間と交通費をかけて、回収に来ないことを想定しているからタチが悪い。
そういう連中を相手に人間愛だの性善説だ、お天道様が見ているからなんて説いても、多くの相手は    せせら笑いしているだけである。

人には、信じたいという本能があると思う。
古物商の店長が期限付きで猶予を持たせていたのも、このあたりの心理と葛藤していたんだと思うし、「犯人は事件現場へ舞い戻る」 犯罪心理を巧みに凝らせば、万引き犯が店のホームページをチェックすることは、容易に想像できるであろう。
それでも名乗り出なかった万引き犯は、先ほどの確信犯と思考回路は似通っているものといえよう。

僕は古物商の店長のやり方を、肯定しないが否定もしない。
だけど、ハッキリしていることは、被害者は古物商の店長なのである。
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2014年08月15日

夏よ失せろ

ノッケから飛ばしていくが、今年の夏は嫌いだ!   さっさと消え失せろ! 

そう思うのは、僕が夏を見る気持ちを反映してのことだが。
つまらないおやじになってしまったのか、それともおちついたおやじになってしまったのか…

夏なんて、ある種の 「集団催眠」 みたいなもんだ。
太陽の下では、海だ山だと興奮しまくり、星空の下では、花火にわめきながら、新潟甚句で踊り狂う。

夏だから、何かしなきゃいけないのか。
それとも何か?  夏は思い出を作らなきゃならないのか…  あー やだやだ こっちが恥かしい。

大人の恋とはなんだろう。
ふたりの関係をはばむ障害に酔っていたり、人目を忍んでバカンスに出かけることでもない。

究極は男女一緒に、同じ時間を過ごせる満足感でいいのだ。
気分的には、今年の夏は完敗である。

夕陽で日陰となった、西側の岸壁 「やすらぎ堤」では、多くの人が夏休みのひとときを過ごしていた。
自転車で遊歩道を走りながら、晩夏の気持ちを整理をしていた、そんな僕を気にする人は誰もいない。

いい夏の条件…?  「何の変哲もない日常」 があることだ。
強いて言えば、いるべき人がそこにいて、当たり前のことが、かけがいのないことだと思う。
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2014年08月14日

夏の帰省

数日前、中学時代の後輩が横浜から帰省し、その合間にお店へ立ち寄ってくれた。

彼の実家は下町 (しもまち)にあり、両親も健在でいい友人たちにも恵まれているので、節目には    こうして故郷に顔を出すらしい。
しかし、帰省の解放感だけにひたっていられないのも、僕と同じ長男の定めでもある。

親の世話や自宅の老朽化に加え、自身の仕事のことや恋愛から結婚生活に至るまで、いずれはもっと現実的な出来事にも直面してくる。
それまで忘れていたことや、起こりうることまで含め、いつまでも先延ばしにするのも不可能となる。
それは故郷を離れてわかる心境でもあり、とめどなく念ずる想いだけが次第に押し寄せてくるものだ。

年齢や経験を重ねていけば、家族との折り合いに知らん顔もできなくなる。
あと数日もすれば、新潟駅などの各交通機関の玄関口から、夏休みの思い出を元気に語る日焼けした子どもの笑顔がテレビ画面いっぱいに広がるであろう。
だけど孫にあたる笑顔とは対照的に、実の親子関係は戸惑いや焦りにも似た心境なんだと想う。

本当はおたがいの人生を少しでも語っておきたいのだが、いざ対面すると成長のギャップに戸惑いを    覚えながら、実際は肝心の話をなかなか切り出せずにいたりする。
間が持たないから、話そうとすれば緊張でたどたどしくなるし、そこに子ども(孫)でもいれば、一時の  沈黙をうめられる格好の潤滑油にもなる。
本音は早く本題に触れたいが、親子関係という家族だからこそ、氷解しにくいこともあるだろう。

夏の終わりころ、帰省するたびに新潟の静かな浜辺で寝転んで風に吹かれていると、それまで気にも    していなかったことに、気がつくようになったのが、20年前の夏…

家族だから、空気のような存在になってしまうことがある。
目を背けていたわけではないが、自分のことで手一杯になり、いつのまにか気がつかなくなるんだ。

だから、時の流れを実感として認め合えるようになってこそ、はじめて親子関係らしくなるんだろうね。
まあ、今になっての人生観でしかないけど、自分の年齢をつかめるようにはなりたいとは思っている。

夏の帰省とは、理屈と違う感性で言いそびれてしまったことを胸に秘めて戻る…   そんなもんだ。
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2014年08月13日

鶏皮焼き

晩酌の友にしているつまみに鶏皮焼きがある。

作り方は至ってカンタン。
鶏の皮をオーブンで焼いてから、焼鳥のタレをかけるだけのシンプルな一品。

今の季節なら、ビールによく合う。
他にもポン酢であえたり、調理法はいろいろあるんだろうが、食に関してはひとつ覚えタイプ。

鶏の部位では半身や焼鳥でも、香ばしい皮が好きなので、体内コラーゲンは豊富だと思っている。
飲みに出かけても、あまりつまむ方じゃないが、鶏皮料理だけはちゃっかり手元に寄せるあたり。

男の肴は、年齢とともにシンプルになるもので、鶏皮焼きは気軽に作れるベストアイテムである。
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2014年08月07日

熱帯深夜

連日のトロけてしまいそうな猛暑に、体力を奪われた人もいるだろう。

僕のような仕事は、「アフター5」より、「ビフォアー5」なので、公私の所用は昼過ぎからが多い。

真夏に過ごすコツは、ダラダラと時間を費やしていると、逆に夏バテしてしまうもの。
公私とも、時間内にビシッと終わらせて、心身をリフレッシュさせることが、一番の暑さ対策となる。

日中の最高気温に達した時間帯に外出する日もあるが、街中の日なたにはまあ人が少ないこと。
日影で休んでいる人もいるが、どこか目の焦点が虚ろな表情をしている。

猛暑を知るからこそ、いつもより保冷在庫の補充も多くなり、おしぼりも冷やしたものに変えた。
音楽もボサノバ、声量のないサラリとしたヴォーカル、軽妙で澄んだピアノタッチなど、少しでも涼を   感じてもらいたく、クールジャズをセレクトしている。

熱帯夜…  ジョージ・シアリングのピアノソロを聴いていたら、心のすきまにメロディーが合った。

曲は  I Didn't Know What Time It Was   〜    Misty
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2014年08月06日

精肉売場

妻とスーパーに出かける日もあるが、僕ひとりで買物リストを見ながら、カートを押す日も珍しくはない。

順路は青果売場からはじまるが、途中で時間がかかるのが精肉売場。
豚も牛も、どれも同じように見えてしまうからだ。

メモ用紙には、「三枚肉」とあるけど、商品名と現物が一致できず、店員さんにたずねることもある。
豚と牛を間違ったり、安かったからと劣化した鶏肉を買って帰ったり、女の聖域である台所で説教されたことも数知れない。

それなりに野菜や果物、鮮魚の目利きは上達したと思うが、調理が必要となる精肉選びは苦手だ。
最近のメモには、精肉リストをはずされるようになり、後日に妻が買いに行くパターンも少なくはない。

うーん、まだまだ、修業が足らんようだ。
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2014年08月05日

うなぎの蒲焼

日曜の夜、妻と新潟三越の7階にある 「うなぎ屋」に出かけた。

うなぎ料理を漢字一文字にたとえるなら、「忍」 であろうか。
注文が入ってから身をさばき、遠火でふっくら焼き上がるまで結構な時間を要する。

店内には、初老の夫婦や祖父母と親子らしきお客さんで、満席に近い状態ながら物静かな空間である。
その間、お茶をゆっくりとすすりながら、ひたすら焼き上がりを待つ、日本的な情緒が息づいている。

ここでは時間に業を煮やして、「まだなのか…」と、店員を急かすような客はいない。
うなぎを食すまでの長い時間は、和の精神で保たれ、それも含めて前味になっているからである。

他の客より先に注文したからといっても、席に運ばれてくる順番はことなる。
うなぎにも蒲焼や白焼、うな重に柳川と調理方法も違えば、天然素材であればなおさらであろう。

今はとにかく、自分たちのテーブルに運ばれてくる、うなぎの蒲焼を待つこと1時間近く。
空間の所作をたしなみ、「熱いものは熱いうちに」を意識して、妻の箸使いに合わせながら食べる。

うなぎの旨みは尾にあるとの定説は本当らしいが、僕はやっぱり脂がのった胴回りのほうがいいな。
時間をかけて完食後、番茶を飲んだあとの余韻(よいん)こそが、うなぎの後味となる。

うなぎは、「忍耐」 のあとに押し寄せる、「清貧」 なのである。 (明日からはタマゴかけご飯だ…)
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2014年08月04日

木枯し紋次郎

時代劇に癒される年齢になってきた。

「こいつはただのクセってもんでさぁ」と、口の楊枝がヒューと鳴る…  あいつが、木枯し紋次郎だ!

BSの再放送で録りためていた、中村敦夫が演じるドラマ 「続・木枯し紋次郎」を少しずつ見ている。
もうすでに、第三シリーズ 「新・木枯し紋次郎」もはじまった。

彼の生き方、どういう経緯があり、なぜ無宿渡世人になったかは知らぬが、天涯孤独な哀愁が漂う。
ケンカの強さは筋金入りの評判だが、決してみっともないケンカはしない、本物のプライドをもつ。

紋次郎ほど、やさしい男はいない。
「あっしには、かかわりあいのないことでござんす」 と面倒を避けるが、コトと次第の本質を見抜いて、怒りの琴線に触れたときには、腰のドスを抜いて一歩も引かない男気がある。

人の人生に余計な口出しをしないかわりに、自分の人生にも口出しをさせない潔さがいい。
一見、渡世人の冷たさを感じるが、本当のやさしさには厳しさがともなっているもの。
つまり、やさしくされる人のためになる、本当のやさしさをもっているんだ。

木枯し紋次郎は、あるべき男の姿として、笹沢佐保が原作した劇画である。
時代も違えば、実在した人物でもないから、紋次郎像は十人十色であろう。
僕に男を語る資格はないんだけど、心がけ次第では憧れは手本にできるからね。

大人がアイドルの追っかけをすること自体、生きたいように生きているんだから否定しない。
だけど、紋次郎のように寡黙に仁義を重んじ、孤独な世界を知ることも見ていて損はない。
男は気が弱いから虚勢を張るのであり、抱くのは 「かくありたい自分」だから憧れるのである。

1972年 僕のヒーローは、仮面ライダーでも、少年ジャンプでもなく、木枯し紋次郎だった!

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2014年08月03日

2014 葉月

【8月定休日】     
     3日(日) 10日(日) 17日(日) 24日(日) 31日(日)

8月はカレンダー通りに営業しますが、いずれかの日曜を初日に2連休、もしくは後半の平日に1日だけ休みをいただく予定ですので、不明な場合はお電話にて確認の上、ご来店のほどお待ち申し上げます。

 住所     新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話     025−247−1644
 営業時間   19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日    日曜日 
 客席数    カウンター10席  ボックス席(5〜7名)


【 つれづれなるままに… 】

50代が迫ってきて、何かと公私がせわしなくなってきた…

やりたいこともあるが、いまや時間はもとより、われながらの知力に不安を感じつつ、体力がおぼつかぬ  ことが悩みの種というか、次第にあきらめの胸中も覚えるだろう。

当店のお客さんの中には、直の会話とブログを折り合いにしている方もいる。
会話の勘所にする人もいれば、意外と共感めいてつながっていることもある。
ある人が言うには、迎合色を漂わせてないから、純粋に文章を楽しめるブログ感が好きだとか。

ブログを休眠状態にはしないが、長い道のりだから、道の状態も変わるというもの。
使命感で更新せぬが、ここまで書き続けてきたんだから、気の向くまま続けたいと思っている。
やりたいことを優先し、ブログの更新がとどこおっても、何ら疑問を残すようなことではないので。

そんな実在する僕は、そのまんまです。
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