2014年07月30日

うなぎのぼり

土用丑の日だった29日

前日、最寄のスーパーで国産うなぎを眺めたが、高値に手を引っ込めた。
今年は欧州産が市場に流通したと聞くが、一般相場にはまだ遠い気もする。
売場を占めていたのは中国産だが、このところの食のモラルを知らされると食指が動かない。

うなぎが高値でないころ、街の鮮魚店の店頭や小料理屋の換気扇から、あの香ばしい蒲焼のたれの     においが風にのって漂ってきた。
そのにおいを吸い込んだだけでも、一瞬食べた気にさせられ、次は身の味を想像したものだ。

炭火でふっくらと焼きあがった身を、箸の先で小分けにして口の中にいれたときは、たれと脂が混じり   あったうまみが独特の食感に包まれ、専門店の味わいがじんわりと口中に広がる。
スーパーでは調理時のシズル感 (においや焼き音などの臨場感)が漂っていないので、販売に迫力を欠いてしまうのが残念である。

日本うなぎは大量消費したことで、絶滅危惧種に指定され、文化的な味わいは食卓から遠退いた。
この先、うなぎはお祝いや記念日で食べる、ある種スローフード扱いされてくるんじゃないかな。
位置づけとしては、鯛の尾頭付きのようにさ。

僕はうなぎで変なスタミナ(?)をつける気はないが、「うなぎのぼり」に商売の景気も上がらないかな…と願を賭けて食したいね。
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2014年07月29日

旧電車通り

午前10時に市役所で私用を済ませて、次の目的地まで徒歩で向った。

その昔、この白山通りは 「電車通り」と呼ばれ、道路の中央に路面電車 (電鉄)が往来していた。
当時は路面電車や市内バスの車窓から、ぼんやりと眺めていた街並みだ。
高校のころ、ポンコツバイクを走らせながら、線路に前輪が奪われぬよう慎重を期した電車通りである。
この道幅で電車にバス、大型車両も多かった時代に通行人まで含めれば、騒音や振動で大変だったと思うが、西新潟と古町を結ぶ幹線道路として、大きな役割を果たした通りである。

そんなセピアな街並みを思い出しながら、進行方向右手に見えるのは大衆食堂 「こんちゃん食堂」
次第に左手から見えてきたのは、洋食の 「ピーア軒」
他に記憶のある店はシャッターが閉まっていたり、建物や土地そのものが変化してたりと、電車通りを   歩いたからわかった風景だった。
車窓からしか見たことのない街並みながら、こうして歩いてみると新しい発見に包まれることもある。

個人的には、電車通りと何のかかわりはないし、住みたい街と意識したこともない。
だれでもそうだけど、時間の経過ですっかり変わってしまった風景を見て何かを悟ったり、昔懐かしい   おちつきを取り戻したりすることはあるんじゃないかな。

この日、たまたま歩いた道で、とめどなく 「昭和56年ころの賑やかな風景」がよみがえってきた。
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2014年07月28日

朝採り茶豆

週末の深夜、高校時代の同級生が仕事帰りにカウンターの隅で飲んでいた。

彼の実家は西蒲区(旧黒埼町)で、兼業農家を営んでおり、これから黒埼茶豆の収穫がピークになる。
この時期、家族は深夜には起床し、「朝採り茶豆」として、早朝には市場へ出荷する日が続くらしい。
作物にもよるだろうが、農家にとって今が集中的なシーズンであろう。

遠い記憶だが、夏の時期に農家の友人宅へ遊びに行くと、ひと仕事終えた家族が大広間で扇風機を   回しながら、昼寝をしていた光景を目にした。

あたりからは、セミの大きな鳴き声や風鈴の小さな音色が響き、つけっぱなしのテレビからは時折、    高校野球の甲高い白球音のあとにこだまする、実況と大声援が飛び込んでくる。

空を見上げると、飛行機の轟音が雲ひとつない青空に遠く響いていたり、夏の農家は朝が昼、       昼が夕方、夕方からが夜、深夜が早朝になる、どこか違った世界が感じ取れた。

会社勤めの彼は、そのあとタクシーで実家の二世帯住宅へ帰宅することになるが、深夜に収穫へ向う家族と出くわすと、「バツが悪くてさ…」と、少しはにかんだ表情でつぶやくあたり。

今夏、わが家の食卓には弾けるほど粒が揃った、黒埼産の 「朝採り茶豆」が並ぶであろう。
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2014年07月24日

Jazz Talk Vol.47

不慣れなジャズの雑文も、いつの間にか 「130本」を越えていた。

ジャズの評論家ではないので、規定の文字数におさめる器用さはない。
CDのコレクターではないので、杓子定規なカタログページも作れない。
プレイヤーでもないので、ステージパフォーマンスのこともわからない。
書いてきたことは、どこにでもいるジャズファンの見識、プラスアルファの経験でしかない。

89年7月 新宿の東口で、休日を過ごしていた。
新宿伊勢丹の裏通りにある地下階段を下り、まだ客がまばらな店内の最前列に腰をおちつけた。
ステージには、ジャズファンなら、多くの人が知る手練がスタンバイしている。
これからはじまる演奏に期待をふくらませ、店内はどこか独特な緊張感に包まれている。

ピアノが指でテンポを示すと、強力なリズム隊をバックに、若手のトランペッターが徐々に、ハイノート  まで上りつめながら、額から流れ落ちる玉の汗を構うことなく、新主流派をアピールしてるようだった。
そんな意気を後押しするかのように、ドラマーが彼のパワフルなソロをシンバルであおっていた。

前半はまだ緊張がほぐれてない様子だったが、後半からのヒートアップぶりは鳥肌モンだった。
最後の曲が終了すると、メンバーがステージ中央の彼の元へかけよってきて、握手で敬意を示した。
ハツラツな笑顔で握手に応じながら、客席からも惜しみのない拍手が送られた。
この会場の拍手は特別な真実がともなっており、どこよりも拍手のステータスは高いものがある。

そのときのトランペッターは、日本ジャズ界の第一人者にまで成長した、原朋直だった。
僕の記憶が正しければ、彼が大学を卒業して晴れて、プロデビューした瞬間だったんじゃないかな。
場所は新宿ピットイン ステージの彼に最初に手を差し出したのは、ピアニストの益田幹夫さんだった。

ひところ、ジャズミュージシャンが、タレント化されてる時代もあった。
それにより、ジャズの楽しさを分け与えてもらい、近道でファンになった人も多く知る。
それはそれで、気軽にジャズを楽しむ文化として、認められてもいい現象だったはずだ。
その半面、地下のジャズクラブから派生した、硬質な連中がいたことも特徴的だったと思う。

日本のトップドラマー 奥平真吾も、11歳でのデビューはセンセーショナルながら、実践では      益田幹夫 辛島文雄 山本剛 大森明 本多俊之…  正統派に育て上げられたひとりなんだよね。
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2014年07月23日

逸ノ城

待望の日本人横綱候補として、毎場所 「遠藤」に大きな期待が寄せられている。

そんな遠藤もここまで10日目、5勝5敗の五分の星ながら、内容は苦戦している。
しかも全体を見渡すと、そう易々と期待通りには、立ち行かなくなってきたようだ。

十両から、超重量級のモンゴル力士 「逸ノ城」が着々と番付を上げてきているからだ。
過去、上り調子で入幕した力士は、手土産ついでに十両優勝をしてた感じを受けていた。
幕内の 「遠藤」 「照ノ富士」も十両優勝者だし、「大砂嵐」もさっさと通過したはず。
横綱候補といわれる力士にとって、十両はとどまるところじゃなく、通過点に過ぎないからね。

だけど寂しいのは、伝統国技でありながら、日本人のスケールがあまりにも小さすぎる。
このあたり、素質(運動能力)の高い若者ほど、人気スポーツへ才能が向き、角界に入門してこない。
そうなるとどんなスポーツでも、競技人口が減っているのに、競技種目だけが広がっていくのだから、   2部リーグのエースが、1部リーグのエース格になってしまう現象も起きてくるだろう。

本当に相撲の強い力士ほど、体格が大きいわりにはスピードがあるし、均整も柔らかいからどんな     スポーツにも適応できてしまうと思う。
さすがに球技は難しいにせよ、他の格闘技にも順応できる資質があるだろう。

長年、大相撲を見て思うのは、体格に添った柔軟性と瞬発力に強さがあり、それを体現しているのが、  心技体の兼ね備わっている 「白鵬」といえよう。
それにモンゴル勢は民俗学的に、格闘遺伝子が強いのかも知れない。
前にも書いたけど、母国の国技であるナーダム (モンゴル相撲)こそ、相撲の本質にかなう競技    なんじゃないかと…  まわしをとらせたら強さを存分に発揮するでしょ。

ともあれ、遠藤・遠藤と浮かれてられないのは、もうすでに十両以下から、またモンゴルからの才能が次々と番付を上げてきていること。
遠藤を応援する気持ちは同じだけど、日本人力士を取り巻く環境は思いの外に多難なのである。

この先、遠藤のライバルとして、大砂嵐 照ノ富士に続く、第三の存在こそ、逸ノ城のような気がする。 
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2014年07月22日

ちょっとそこまで…

日曜の代休とした、「海の日」 月曜日の休日。
今になれば、太陽の高さと生活の時間が合わないので、海の高まりとは縁遠くなってしまった。

午後2時、寝室のカーテンを半開にして、晴れわたった休日の青空をベッドから眺めていた。
完全には目覚めてないので、静かな風に舞うレースのカーテンの揺れも、ぼんやりと追っていた。

夜は気分転換と涼みをかねて、街の灯りがおちはじめたころ、万代周辺をサイクリングした。
休日のオフィスビルを見上げると、不気味なほど窓明りがついてない。
その代わりマンションだけは、暖色系の窓明りが横一列に灯っている。

まだ夜の9時ころだけど、結構歩いている人、ジョギングしている人も目立つ。
遠くに目を配れば、犬を散歩させている人、別れを惜しんでいるようなカップルもいる。
そんな光景を横目に、僕の自転車のカゴには、途中で買ったダビング用CDボックス。
それと妻から頼まれた、アイスクリームを買ったからには、ペタルの回転数が速まるというもの。

こうして夜の街をさまよっていると、どこか街の哲学者になったような気分である。
これが昨日と同じ今日では、次第に見る光景が固定化され、小さなディテールに気づかなくなる。

「ちょっとそこまで…」
そんな散歩を通して、間接的に違った光景を体験していると思えば、けしてムダな行動ではあるまい。
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2014年07月21日

照ノ富士

大相撲名古屋場所中日8日目
横綱 「白鵬」と、エジプト出身の新鋭 「大砂嵐」の一番は見ごたえあったね。

大砂嵐が得意とする強力なかちあげからの破壊力ある攻めは、さすがに白鵬相手では委縮したようで、がっぷり四つになったときは勝負が見えた。
もしも白鵬が負けるようなことがあれば、左の一枚まわしを切られるか、不用意な出足をしてあの腕力でつり返されるかぐらいしかないと思ったね。
横綱 「三羽カラス」の筆頭には、まだ通用しないことが証明された。

最近の場所はもっぱら、遠藤や大砂嵐に注目が集まり、白鵬の安定した強さが一段と光る。
やや人気先行の力士も多い中、僕がひそかに注目してる幕内力士が東前頭6 「照ノ富士」である。
モンゴルの新鋭22歳は、注目度の高い力士の陰にいながら、着々と実力をつけていくであろう。
相撲内容は軸が安定しており、長身からおおいかぶさる寄りと、前みつをとったときの引きつけの強さ。
体格も申し分ない上、物怖じしそうもないその面構え。

多くの大相撲ファンは、星取表と人気面にしか目が向いてないだろうが、照ノ富士の秘めた実力に気がついているのは、先見性を持つ一部の玄人筋だけかと思える。
今は同世代の躍進の陰に隠れている状態だが、何かのきっかけで好機を逃さなければ、横綱 「鶴竜」のような存在になれるかも知れない。
大相撲ファンがあまりにも、遠藤・遠藤と叫ぶので、僕は勘ながら 「照ノ富士」に注目しておきたい。

育つ者は見逃さずの精神である。
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2014年07月18日

夜の扉

17日 夕方のローカルニュースで、友人が某学校の講師として、生徒に指導する様子が映っていた。

近年はローカル番組で、知る顔をよく見かけるようになってきた。
店のお客さんとして、知りあった顔もあれば、旧知の関係だったりすることもある。

それを見て親しい関係であれば、「あんにゃろう、かっこつけやがって…」ぐらいは叩かれていたほうが、親愛の情だったりするもんだ。

不思議なことに、日中は存在感のある人ほど、夜は存在感を消そうとしているもの。
理由はかんたんだ…   昼夜で存在感があったら、やすらぐ間もなく、疲れがとれないでしょ。

僕自身も仕事以外では、顔なんて知られたくないし、わざわざ顔を売るようなこともしない。
リラックスできる時間があって、こうして仕事ができるんだからね。
テレビで知る顔も飲んでいるときは、自然と目じりが下がり、声もリラックスしている。

隠れ家として、夜の扉を開けることは本当だよ。
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2014年07月17日

怪人元年

16日 午後のワイドショーを見ていたら、上半期 「おさわがせ人物」 ベスト10を特集していた。

STAP細胞の小保方晴子氏を筆頭 (第1位)に、偽・ベートーベン男 (ゴーストライター)         自作自演PC男 (遠隔操作犯) セクハラヤジ男 (名誉毀損) など…

凶悪な部類では、のこぎり男 (AKB襲撃) エントリーはなかったが、2チャンネルバンザーイ絶叫男   (通り魔犯人) 下半期にエントリーされそうな声優アイコ (昏睡詐欺) など…

まあ、よくぞ、次から次へと、いろんな 「怪人」が現れるものだ。
それもただの怪人ではなく、珍怪人であり、今年はまさに 「怪人元年」である。

個人的には、マン オブ ザ イヤーは、珍怪人を通り越して、西宮の珍獣 「野々村竜太郎」   
 (元県議員)であり、あの号泣会見で一躍、ワールドワイド級になった。

怪人たちが腹立たしいのは、反省しないこと。
センチメンタリズムが強いので、人からの愛は欲しがるが、人に愛を分けることはしない。

こういう人は、昔から 「マッチポンプ」 と呼ばれている。
自分で放火し、自分で通報し、自分の小便をまきちらして、消火活動をしているんだ。

おもしろがっているんじゃなくて、身の回りにこんなのがいたら、大変でしょ。
論理的な話が通用しない相手に、論理で説こうとするのはムリがあるようにね…

ここに出てくる怪人らは、猿芝居を打っているつもりでも、相手に正体を見抜かれていることも知らずに、    いつまでも猿芝居を演じているから大変なんだ。

僕が演出家なら、怪人らを飛行機の滑走路に横一列に並ばせて、「Gメン75」ばりに歩かせるね。
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2014年07月16日

ゲルマン魂

サッカーW杯 ドイツの優勝で沸きあがった試合会場。

選手の妻だか恋人かわからぬが、金髪美女らが選手によってきて、キスするハグするわ見てられん。
日本人にあそこまでの表現はできんわな…  というより、さまにならんと思う。

男のメンタルティーでいえば、勝負の世界に女性を表舞台には上げないであろう。
まあ、最近では、女性のほうが積極的に上がりたがるようだが。

その原形をさかのぼれば、映画 「ロッキー」での、ファイナルシーンに由来すると思える。
あれは2人にしかわからない、おさえきれない気持ちであり、カメラを意識してのシーンではない。

中でも決勝ゴールを決めた男の彼女なんて、登場するタイミングを測っていたとしか思えない。
「アチャー、この女、ヴィーナスに変身しちゃったよ…」 そんな演出だったよね。

勝負の世界に、女をよせつけるとシラけてしまう。
女には女の世界があるんだし、彼女を公開する必要性がない限り、公の場に出すべきじゃない。

私生活においては、普通の男女の暮らしほど、やすらぐものはない。
長続きするカップルほど、普段から仲がいいので、こんなラブ・サプライズは必要ないだろう。

勝負後、あんなの見せられちゃ、プロポーズの途中で屁をこくのと同じだ… なんというゲルマン魂!
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2014年07月15日

身体能力

サッカーW杯 ドイツが世界を制覇した。

感覚的な見方であるが、決勝トーナメントになると、それまで見ていたサッカーとは違う気がした。
ゴール前の肉弾戦、素早い攻防、パワー&テクニック… どこをとっても、同じには見えなかった。
また、そうじゃなかったら、トーナメントの値打ちはないわけだし、一流のあとに超一流を見た感じ。

これを言っちゃあ、実もフタもないが、ここまで欧米や中南米の桁外れのサッカーを見せられると、    肉体的な人種の差を感じざるを得ない。
とりわけ、もって生まれた身体能力などは、先祖代々からの狩猟民族の血をひいているようでさ。

同じチームスポーツでも、野球のような間合いで考える競技、肉体の接触が少ない競技であれば、   そんなにアドバンテージに差はないであろう。
しかし、サッカーやバスケット、アメフト並みに、直接的なボールの奪い合いになると悲しいかな…
「体格で勝る、外国人にはかなわない…」と、つい本音がよぎるような。

こういう見方はよくないんだろうけど、戦わずしてもわかる身体能力の高さと強靭さが見て取れるから、アジアの日本が頼るべきところは、勘の働きや身軽な動きしかないんじゃないかな。
それに高いボールを奪い合うとき、意識せぬ方向から本気の頭や手足が飛んでくるから、極めて    その危険性 (ボールに集中するあまり、無防備なときの打撃)に、脅かされるもの。

このあたり経験を積めば積むほど、わかってくる境地かと思えるが、日本人の秀でた部分を結集して  チーム作りを目指しながらも、あのピッチに立つ日本人選手の本音はどうなのかな…

まあ、一流選手であればあるほど、人種の違いが浮彫りになろうと、絶対に本音は言わないであろうが。
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2014年07月14日

休日ふらり(20)

日曜の起きかけにテレビをつけたら、西宮の怪人 「野々村竜太郎」の 号泣映像が飛び込んできた。
「で・で・で… 出たー! また、こいつ、かいなー!」  目覚まし時計の代わりにはなりそうだ…

早々にシャワーを浴びてから、自転車で外出するつもりだったけど、雨が本降りになったので仕方なく自宅でボンヤリと過ごす。

月日は早いモンで、大相撲名古屋場所がはじまった。
幕内の取組を総じて見たけど、淡白な相撲が目立ち、初日はつまらなかった。

雨の中、このまま自宅にこもっていても、ムダに時間を持て余すだけなので、東堀の「二代目勝烈亭」で  ライス小盛りのカツカレー大辛を食す。
その後、古町を適当に歩き回ったが、日曜の夜は割り切って早じまいする店も多く、ましてやこの雨だ。

気分的に酔い切れないまま、本町の人情横丁にさしかかると、小料理屋の暖簾をくぐって出てきたのは顔なじみの友人であり、僕と同年齢の仲睦まじいカップルであった。
彼は明朝が早いので、離れ際の挨拶だけになってしまったが、彼女とはもう一度その店で飲み直すこと小一時間ほど…

街は公園の砂場だから、そこで生活する人と溶けこむのも溶けこまないのも、全ては自由意志である。
僕は前者でありたいと思いながら、午前様にならぬよう、霧雨の万代橋をひとりで歩いて帰ってきた。

こんな思いがけない道で、一緒に時間を許せる仲間と出会い、ささやかに楽しめた雨の休日であった。
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2014年07月13日

デビル雅美

サッカーW杯は残すところ、このあと朝5時からの3位決定戦と明日の決勝戦の2試合だけになった。

試合前の選手入場シーンで、子どもと一緒に手をつないで入ってくるのは、おなじみの光景である。
選ばれた子にとって、それは一生の思い出以上に、最後まで心情的にその選手を応援し続けるだろう。

子どもならず、手の感触というのは、いつまでも覚えているものだ。
手をつないだ感覚であれ、握手を交わした感覚であれ、温もりや柔らかさ、大きさは人それぞれ違う。

高校2年生のとき、プロレス会場となった新潟市体育館にて、リング上から花道を引き上げてくる     女子プロレスラー デビル雅美 と、対面で握手を交わしてもらったことがある。
当時の女子プロレス界はビューティーペアが引退後、ミミ萩原を前面に売り出したけど、爆発的な   スターレスラーが不在で空席のほうが多かったころだ。

僕はアイドルレスラーには興味がなく、日活ロマンポルノ系のお色気レスラーのほうが好きだった。
そういう女子レスラーは、大人顔のメイクで悪役系の扱いをされていたので、男のファンも少し怖気づき遠巻きであまり近寄ろうとはしてなかった。

そんなころに花道でサッと手を出したら、僕の顔を見て握手に応じた、スーパーヒールのデビル雅美。
興行上、デビルはヒール (悪役)だが、一瞬の手の温もりに隠された、その素顔を見た気がしたんだ。
いずれ劣らぬヒールだけど、「本当は悪役なんかしたくないのよ…」 そんな女性の叫びにも似た握手。

その後、クラッシュギャルズの出現によって、空前の女子プロレスブームに突入していくんだけど、  僕はそんな人気を尻目に最後まで、デビル雅美 の隠れファンだった。
きっと心情的な気持ちが、後々まで続いていたんだろうね。

だから、サッカー選手が手をつないでいる子に微笑みかける姿を見ると、余裕のある男だと感心する。
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2014年07月11日

虎の存在

年齢目線で言えば、現在と過去の社会品位を比べれば、間違いなく今のほうが優れている。

ただし、一般社会と比べて、国会という特別な社会においては、一連の性差別発言 (セクハラヤジ)に代表されるように、いまだに浮世離れが甚だしい。

最近のヤジっぷりは、自分ではいかんともしがたい、身体的な特徴に触れるなど聞くに堪え難い。
じゃあ、なぜ、そういう愚弄 (ぐろう)が放置されているのか。
国会や議会に、「こわい人が存在してない」 からだ。

何も国会などだけではなく、一般社会においても同様なことが言える。
その存在は親や教師、先輩や上司と名称はそれぞれでいいが、昔は自分の身の回りにひとりやふたり「あの人に知られたら、タダじゃすまないぞ…」と、眼光の鋭い門番役がいたはずだ。
だから、言動をセーブできたという面もある。

例えば人が傷つくこともいとわない、傍若無人なヤジを平気で飛ばす七匹の狼がいたとする。
こいつら七匹の狼を押さえるには、一匹の虎がいなきゃいけないわけで、これがリーダーってもんだ。
暴言にニラミが効く、強い虎がいないから、狼の皮をかぶった羊がのさばるのである。

それこそ議会で性差別発言した議員は、その場でつまみ出せばいいんだ。
女性の人権を侵害するようなヤジを飛ばした議員には、同情の余地なんかないでしょ。
本当に改善する気があるんなら、それぐらいの荒療治はするべきだと思っている。

ここは女性に、百歩譲って聞いてもらいたい。
女性議員は 「結婚しろ」とか 「子どもを産め」なんてヤジを飛ばされたら、「うるさーい インポおやじ」 ぐらいは言い返せばいい。

無視するのも大人であるが、これほどのたくましい言い返しができる女性議員がいたら、逆に僕はその 「肝っ玉の強さ」 に期待を投じる。
そう言われたら、ヤジを飛ばした議員は言葉に詰まるだろうし、返り討ちにした女性議員は世間から  一躍注目を浴びて、多くの国民がその政策に耳を傾けるようになれば一石二鳥であろう。

そうしたら、今度は男性議員の間から、「これは、男性蔑視だ…」とか何とかわめかれて、世界の珍獣 「野々村竜太郎」ばりに、泣きじゃくられたりしてね。

まあ、民間企業では考えられない出来事が、次々と表沙汰になっている今、国会や議会に必要なのは気取るだけの虎じゃなくて、気概のある 「虎の存在」 だと思える。

つまり、言いやすい女性議員を楯にしているだけで、実は男が男になめられているだけのことなんだ。
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2014年07月10日

ゆりかご

湿った暑さに目覚めてしまい、冷蔵庫の炭酸飲料水で涼をとる。

連日、蒸し暑くて眠りが浅い。
大雨で窓を閉ざすものの、冷房をかけるにはまだ早い。
せめて扇風機の風は回すが、夏本番を意識して少し暑さに体を慣らしておきたい。

それでも寝つきの悪いときは、寝室から居間へ移動する。
ひんやりとしたソファーに素肌で横向きに寝そべり、片手片足をテーブルにのせると、体の真ん中に  適度な空間ができて涼しいんだ。

その姿、だらしない 「ナマケモノ」のように、テーブル周りを手足で大きく占拠してしまう。
だけど、妻にそんな姿を見られると喝をいれられるので、あんまり長くはその状態ではいられない。
本当はひんやりしたフローリングで寝そべってたいのだが、そんなことしたらモップではかれてしまう。

だから、仕方なくベッドに戻っていくのである。
連日、湿った空気が体中にまとわりついているようで、寝つくまでの気分は少し憂鬱(ゆううつ)である。
さすがに今日からは、冷房を26度ぐらいに設定して寝ようかな。

あー、快適な気温と湿度の中、そよ風に吹かれながら、夢見心地でゆりかごに揺られて寝たいなあ。
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2014年07月09日

台詞論議

「なじみの女に、会いたいなぁ…」

新潟県佐渡市の観光名所になっている、佐渡金山の電動人形の台詞をめぐって、県議会の意見が  割れているらしいが、問われてるのは、労働者が休憩時間に仲間と交わした台詞こそが冒頭である。
その台詞に批判的な意見は、もっと新潟のイメージアップに取り組むべきとし、一方では歴史的な表現だから問題はないとしている。

僕の意見は、過剰反応な印象を受ける。
最近の議会における性差別発言に端を発して、見るもの知るものすべてにおいて、差別の対象に    傾いている気がする。

そういう人に、オススメの観光名所を紹介する。
熱海温泉にある博物館 「秘宝館」へ視察 (自費でね) に行ってくればいい。
きっと、その場でめまいをおこして、ひっくり返るだろうね。

だいたい、男だけの世界には、女の話は切っては切れないもの。
酒場を見渡してごらんよ…  女を語る男なんてそこらじゅうにいるでしょ。
男が勃起するうちは、「女を抱きたいな…」ぐらいは、酒の席でつぶやいているもんだ。

野暮な事態は別にしても、地に足をつけた飾り気のない、庶民のつぶやきみたいなもの。
批判者の性別はわからないが、自らを賢いと思っている人ほど、遊びが足りないんだよな… マジで。
ケース的に潔癖タイプほど、「どすけべ大王」に変身しがちだし、男女の会話に慣れていないぶん、   一文字一句に神経質すぎるんだ。

そういうタイプに理路整然と理屈を並べても、自分以外の価値観を不真面目扱いしているんだから、  話が通用するわけがない。
自分が凛とさえしていれば、済むようなこともあるからね。
しまいには、公衆トイレの男女の色分けにも異論をふっかけてきそうで、こうなったら 「困ったさん」   としか言い様がないであろう。

このまえの、性差別発言 (セクハラヤジ)と一緒にされたら心外だけど、もう少し男も男なら、      「男はこうなんだ」という、ガンとした意見で突き返すことも必要なんじゃないかな。
「なじみの女に、会いたいなぁ…」が、女性を冒涜(ぼうとく)していたり、差別発言につながると本気で 思っている人は、生身の恋愛が不足しているから、形式的なことばかりにとらわれていると思える。
庶民的な表現のどこに問題があるかわからないし、それで公務をしている気になってるほうが問題だ。

どうでもいいことに眉間のシワを立てるより、もう少し笑いシワを増やしたほうがいいんじゃないか。
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2014年07月08日

銭湯廃業

新潟の東掘通りから下町方向に下った、本町13番町商店街の四つ角に昔ながらの銭湯がある。

先日、四つ角で信号待ちをしていたら、銭湯の入口に7月25日をもって廃業との告知が貼られていた。
利用者の減少と後継者不足、ニューファミリーはマイカーで健康ランドに出向き、時代に取り残された   昭和の銭湯の存続は危ぶまれている。

僕はここの銭湯とは縁がないんだけど、不定期ながらも銭湯に通っているのはブログで語ってきた。
銭湯の精神的な効力、文化的な魅力を断片的に語り継いできたのは、たまには心行くまで広い湯船に    つかりながら、日本人のルーツに触れてみるのもいいかと思っているからだ。

ただ単に新しいモノ好きが、新しいモノを食い散らかしていくような、風潮は好きになれない。
新しいモノにあおられすぎ、古きに座持ちできないようでは、上品に年齢を重ねていけない気がする。
ちょっと大げさに言ってしまえば、「古きを知り、新しきを知る」 こと。
古きを知ることにより、それまでの仕事や生き方に活かすことができるんじゃないかと思うんだ。

それこそ、「えっー 私 海外生活が長かったから、白米と味噌汁は受けつけなくなったのよね…」
そんな台詞を平気で言う、本末転倒な帰国子女みたいなもんで、文化というモノサシを失ってしまうと、木で鼻をくくったような人生と化してしまうだろう。

それまでは必要であったことでも、生活の向上により次第に人が見向きしなくなったモノに対して、    自分はどう見るべきかって、意外と大切なのではなかろうか。
本町13番町の銭湯が廃業すれば、下町地域の銭湯はあとひとつしかないんじゃないかな。

下町が活気に溢れていた、元気なころの空気を知る自分としては、銭湯はパワースポットだった。
それに銭湯は人情以上に、長幼の序を自然と見て覚えた、ある種の修業場に近かったかも知れない。

僕はこの先の人生、銭湯の思い出を楽しむだけではなく、利用することによって深見をつけていきたい。
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2014年07月07日

How are You ?

休日の午後、洗面台でひげを剃っていたら、固定電話のメロディーが鳴り響いた。

妻がめんどうそうに居間でコールを受けると、急に声のトーンが明るくなり、子機を耳にあてたままの  視線で洗面所にかけよってきた。
だれなの…? そんな表情でたずねると 「ちょっと待ってね…」とマイクを指でふさぎながら、「Aくんよ」(外国人の名)と、嬉しそうに子機を手渡された。
僕はあわてて、顔の右半分についたままのシェービングクリームをバスタオルでふき取り、それ以上の トーンで彼のファーストネームを確認した。

今年で45歳になる言語能力の高い彼は、ミャンマー人で東京で一緒に仕事をしていた旧知の仲だ。 
そのつきあいは私生活にまでおよび、信頼がともなった誠実な関係を保っていた。
素性は日本人以上に、礼節と仁義を重んじ、人の気持に敏感で正義感にあふれていてやさしい。
やさしいから気持ちが強く、曲がったことに怯まない、実際の勇気も目の当たりにした。
それはどんな言葉の積み重ねよりも、信頼は行動でしか証明されないもので、共通の目的に向って  一緒に仕事をしたことのある、けして大げさではない戦友のひとりである。

出会いは仕事つながりながら、気が合っていたんだろうな。
夫婦で招待された、椿山荘でのミレニアム婚では、日本人の友としてスピーチを依頼され、司会者から 「日本で慕うおじさん」と紹介されたときは、さすがに祝辞の出ばなをくじかれてしまった。

発信元は国際電話ではなく、東京からだった。
電話で話すのは10年ぶりで、会うことになれば12年ぶりにもなろうか。
混乱が続く本国との往復もあったせいか、音信不通の状態が続いていたが、今さら何も言うな。
日本に再入国したのも、よくよくの理由とロマンがあってのことであろう。 
それより、連絡をくれたことのほうが、何十倍も嬉しいんだからね。

その間、彼はどんな人生を歩んだかわからないし、興味本位で空白の時間を知ろうとも思わない。
呼吸が合えば切り出せるだろうが、僕も自分のことを明け透けに語るつもりもない。
最初に確認しあうのは、おたがいの健康と相手の生活を気にとめておくことのほうが自然である。
ただ、今は彼と直に会って、テライのない思い出話で、夜を明かしてみたいこと。

顔右半分のひげのそり残しに気づいたのは、夕暮れせまる万代橋のたもとあたり…  あぁ 恥かしい。
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2014年07月06日

ファクター

最大のコミュニケーションは、笑いにあると言う人がいた。

同感である。
知的レベルでいえば、笑いこそが信頼関係の証かもしれない。

だが、最近の笑いのようすを見ていると、とがめなきゃいけないヤジに便乗笑いしていたり、いびつな   嘲笑で形をとりはかろうとする、奇妙な連帯意識が強くなっているようだ。
それこそ、「いいね」をクリックする感覚で、笑いがおきているんだと思える。
本来の笑いとは、もう少し知的なものである。

笑いをもたない相関図ほど、つまらない時間はない。
職場でも適度な笑いや会話があってこそ、多くの仕事がはかどるのであって、遊びのない部署ほど   業績が悪いのは、私語がないからだとデータ上で証明されているらしい。
だから、真面目にやってますという部署ほど効率が鈍く、ボスにユーモアがないと組織の構造は硬い。

適度な笑いや会話が消えてなくなることは、その人間関係とは終わりを告げるときである。
ひとりでニタニタと笑っていれば、人からは気味悪がられる。
独り言をブツブツと発していれば、人から病んでいると思われる。
コミュニケーションは他者と一緒にしてこそ、笑いや会話が成立するのであり、だれもがはまりがちの 「ライン」としっかり隔離して考えておかないと、通常における思考は危ぶまれると思う。
つまり、笑いと会話の2つは必要不可欠なファクターであり、その意味は大きいと言えよう。

僕自身、お客さんが笑顔で会話をして、帰宅する姿を見送る時には、かすかなやすらぎを感じている。
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2014年07月05日

ハイブリッドエリア

飲食店を経営する仲間から、今の景況感を探るようなメールが届くときがある。
個人経営者ならば、毎日が一喜一憂しているものだ。

新潟の万代橋を基点に街を古町と駅前に二分すると、それぞれの特性が異なることがわかる。
勘でありながら、古町は気軽に飲みに出かける感じではなく、最初から 「あの店に行こう」とするような
目的格がハッキリしている気がする。
夜の通行量はネオンのわりには少ないが、差こそあれど店にはそこそこお客さんがいる様子らしい。
それに年齢層も高いから、流入客ではない限り街中を回遊せず、行先だけを決めて歩いてるようだ。
また、タクシーで帰宅する余裕の表れもあるから、滞在時間もおちついていると思える。

新潟駅前はアクセスがよく、格好の通行量は保てるから、やっぱり回転率なんだろうな。
小さな店がひしめき合っているロケーションながら、駅の中心部に向えば向うほど資本力のある    オシャレな大型店も目立ってくるから、客の座持ちもおちつかなくなる。
そのぶん、常連という観念は成立しにくく、おちついて飲むには風情が欠けることは仕方ない。
常に街の新陳代謝も早く、刺激の吸収には役立つけど、このあたりは人の好みなんだろうな…

個人的にはどちら派でもないんだけど、自身が経営する店が駅前寄りの東万代付近にあるので、    休日の夜に過ごすのであれば、逆に環境の異なる古町のほうがおちついて飲めるのかも…
駅前は40代からの知人と会うことが多く、呼び名は 「マスター」 「苗字のさんずけ」が多い。
古町は10代からの街で、苗字のさんずけに加えて 「Eちゃん」 「苗字のよびすてくんずけ」が多い。
ちなみに 「Eちゃん」とは、夜の世界における昔かたぎなニックネームみたいなもので、正式には苗字に 「ちゃん」ずけするのは、年齢を超えたテレと親近感が入り雑じった古い業界用語でもある。

当店のロケーションは、駅前のような迫力もなく、古町のような風情もない。
どちらかといえば、お客さん自らが色彩を入れることができるフリーエリア。
それぞれの店は個性があるが、地域としては何色にもそまらない特性がある。
そんなエリアにお店をかまえて早7年目。

僕は目立たない場所にあるからバーだと思っているが、今では周囲にずいぶんとお店も増えてきて、  開店当初のころと比べると様変わりしてきた。
それにプロデュースされないエリアだから、都会と下町が混在した雰囲気をもっている街。
つまり、「フリーエリア」でありながら、「ハイブリッドエリア」なのである。

店のお客さんの特性は流行人よりも、文化人寄りが占めている気がする。
それに年の功や立場を発揮しようとせず、慣れた態度で飾り気のない言葉で飲んでいる姿がいいんだ。
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