花屋の店先には、白やピンクの色彩鮮やかなカーネーションが、ところせましに並んでいた。
今日は、母の日。
僕ら60年代、実の母しかり、実の父の「感謝の日」も失いつつある年回りである。
子ども心に、父は「強さ」の裏づけに「やさしさ」、母は「やさしさ」の裏づけに「強さ」を感じた。
親とは、表裏一体の性質を持ち合わせた印象だった。
母親の特別な想いを表現する気はないが、母親はきっと最後まで母親であることは感じたものだ。
新潟から東京へ住民票を移すことになったとき、わざわざ新幹線ホームまで見送りにきたことがある。
息子の立場からすれば、「しばらく会えないだけ」でしかないが、母親からしたら、「この子はそのまま 帰ってこないのかも…」 そんな心境だったのかもしれない。
だが、その気持ちは取越し苦労ではなく、そのときは本当に帰ってくる気はなかったんだ。
それに、駅のホームで別れるなんて恋人じゃあるまいし、恥かしくてどうしようもなかった。
だけど見送られた後、過ぎ行く窓の景色を眺めながら、気分に流された言葉からではなく、心底 「こりゃ、悲しませられねえな…」と思った。
そう思わせるだけでも、母親の存在は大きいのである。
数ヵ月後、父と母が離婚することを聞かされた… だけど僕の中にわだかまりは一切ない。
僕とさほど年齢が変わらず、巣立っていく年頃の子をもつ 「おかあさん客」を何人か知る。
共通していることは、進学や就職で故郷を離れるとき、おかあさんは別れに涙をこぼしているんだよね。
父親は「たかが」でしかないんだけど、母親はまた違う感情があることをあらためて知った気もした。
今、同世代の母親の姿を見ながら、「俺のおふくろもこんな心境だったのかな…」と思うときがある。
なによりも、「男の思春期」を辛抱して、見守ってくれていたわけだ。
そう思うと、「親の心、子知らず」だったのかな…
この週末、今年3月に横浜の女子大へ入学した、お客さんの愛娘が「母の日」に合わせて帰省した。
その前夜祭には、おかあさんと一緒に当店で過ごしていた。
「子どもは、いつまでもおかあさんのことが好きなんだな」と同時に、「このおかあさんの子ならば、 曲がる心配はないな」と両面から感じたものだ。
愛娘が母へプレゼントした、小鉢のピンクのカーネーションは今、バーカウンターに置いてある。
ハートの立札には、ひとこと 「おかあさん、ありがとう」と、可愛い文字で印字されている。