2014年05月11日

Mother's Day

花屋の店先には、白やピンクの色彩鮮やかなカーネーションが、ところせましに並んでいた。

今日は、母の日。
僕ら60年代、実の母しかり、実の父の「感謝の日」も失いつつある年回りである。

子ども心に、父は「強さ」の裏づけに「やさしさ」、母は「やさしさ」の裏づけに「強さ」を感じた。
親とは、表裏一体の性質を持ち合わせた印象だった。

母親の特別な想いを表現する気はないが、母親はきっと最後まで母親であることは感じたものだ。
新潟から東京へ住民票を移すことになったとき、わざわざ新幹線ホームまで見送りにきたことがある。
息子の立場からすれば、「しばらく会えないだけ」でしかないが、母親からしたら、「この子はそのまま  帰ってこないのかも…」  そんな心境だったのかもしれない。
だが、その気持ちは取越し苦労ではなく、そのときは本当に帰ってくる気はなかったんだ。

それに、駅のホームで別れるなんて恋人じゃあるまいし、恥かしくてどうしようもなかった。
だけど見送られた後、過ぎ行く窓の景色を眺めながら、気分に流された言葉からではなく、心底     「こりゃ、悲しませられねえな…」と思った。
そう思わせるだけでも、母親の存在は大きいのである。

数ヵ月後、父と母が離婚することを聞かされた…   だけど僕の中にわだかまりは一切ない。

僕とさほど年齢が変わらず、巣立っていく年頃の子をもつ 「おかあさん客」を何人か知る。
共通していることは、進学や就職で故郷を離れるとき、おかあさんは別れに涙をこぼしているんだよね。
父親は「たかが」でしかないんだけど、母親はまた違う感情があることをあらためて知った気もした。

今、同世代の母親の姿を見ながら、「俺のおふくろもこんな心境だったのかな…」と思うときがある。
なによりも、「男の思春期」を辛抱して、見守ってくれていたわけだ。
そう思うと、「親の心、子知らず」だったのかな…

この週末、今年3月に横浜の女子大へ入学した、お客さんの愛娘が「母の日」に合わせて帰省した。
その前夜祭には、おかあさんと一緒に当店で過ごしていた。
「子どもは、いつまでもおかあさんのことが好きなんだな」と同時に、「このおかあさんの子ならば、   曲がる心配はないな」と両面から感じたものだ。
愛娘が母へプレゼントした、小鉢のピンクのカーネーションは今、バーカウンターに置いてある。

ハートの立札には、ひとこと 「おかあさん、ありがとう」と、可愛い文字で印字されている。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする