2014年04月30日

2014 皐月

【5月定休日】     
     5日(月) 6日(火) 11日(日) 18日(日) 25日(日)
       ( 4日(日) 通常営業 )

 住所     新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話     025−247−1644
 営業時間   19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日    日曜日 
 客席数    カウンター10席  ボックス席(5〜7名)


どこか気分的にワクワクする、新緑茂る5月ではあるが、今のところ特別な予定はない。

GWの休日、前後半に分かれているので、一般的に余暇が分散しているらしい。
中半の平日を休みに充てれば、11連休なんて人もいるようだが、貧乏性には耐え難い長さになる。

旅行へ出かけても、観光地の人ごみや交通渋滞でストレスをためるぐらいなら、家でゴロゴロ、夜は  酒場で放言しているほうが楽しいと思うタイプである。
昔から、「GWだから、何かしないともったいない」と駆られることがないのだ。
マイペースといえば、マイペースである。

人生を損しているといわれそうだが、大きなお世話であり、休日に執着心がないのは、それを補っている何かがあるのだろう。
習慣で生きるだけでは空しいけど、そう多くの娯楽に一喜一憂しなくなった。
好奇心が薄れたわけでもないが、早い話 「旅慣れ」してないんだと思える。

ところで「何に対して、ワクワクしているのか」、自分自身でもわかってないあたり…
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2014年04月27日

ホームレス理事長

今、日本のドキュメンタリー映画がおもしろい。

27日 市民映画館「シネ・ウインド」で、「ホームレス理事長」(退学球児再生計画)を鑑賞してきた。
自分への営利を放棄して、自己犠牲の精神もないと、小さな組織は運営が難しいと思わせられた。

苦境に追い込まれた「NPO野球部」の運営費をまかなうためとはいえ、気持ちがつながらない人たちに頭を下げ続け、次々と覚悟という理想を打ち砕かれてもあきらめない理事長。
そんな内面の葛藤などおかまえなしに、容赦なく理詰めな言葉を浴びせまくるPTA。
僕が最後までわからなかったのは、彼をそれほどまで突き動かしている原動力だった。

主人公の理事長(44歳)は、かつては野球部の監督として、甲子園に出場したほどの指導者である。
何がどうあったかはわからぬが、途中退学した夢半ばの高校球児を集めてチームを立ち上げたもの、私財を投げ売ってまでの無策ぶりに困窮するドキュメンタリー映画。

商業性のない作品の中にこそ、衝撃的な真実が見えているもので、それら多くのことは知らなければ、または知らされようとしないことに動揺を強いられる。
本編、組織に従属した高所得者層が、関心を持つ映画ではないだろう。
だが、中小企業や個人事業主の経営者であれば、後半は生々しい資金繰りの場面が続くため、思わず途中で退席したくなるが、だれが理事長を責められるであろうか…

現実、道徳の次元だけで動いてないことも多い。

映画を観て、その都度記すことはないが、たまに万代の映画館へ駆け込み鑑賞してるんだ。
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2014年04月25日

30年前のボス

毎年春ごろになると、30年前のボス (元上司) が来店してくれる。

初めての職場環境で不安にさらされたとき、直属の上司の存在は精神的に頼りになる。
生まれたてのヒナが、最初に見たものを親だと思う話に似ている。

僕は18歳で、新社会人となった。
ボスは8歳年上の兄貴分であり、職場での仲のよさは他の人から、ヤキモチを妬かれるほどだった。
当時、誕生した娘さん (長女) も、今年29歳となり、結婚して2人の子どもを授かっているという。
そんな通称 「はまさん」 も、今年で58歳になる。

あれから30年…  はまさんとは空白だった。
感情の行き違いで別れたのではなく、僕がひとつの場所に止まれなくなったことが理由である。
兄貴のような存在ながら、別れに寂しさを感じなかったのは、若さの強み以外に考えられない。

僕は他にやりたい仕事をのんきに語っており、それが無意識であったにせよ、もしかしたら、はまさんの仕事上の好意を踏みにじっていたのかもしれない。
これは別れてから、気づいたことだったが、取り越し苦労だったことがわかりホッとした。

28歳のはまさんには、守る家庭が存在していたし、僕は外の空気を吸いたくてたまらなかった。
一昨年、店で再会したとき、あのころの笑顔に戻れたことが、苦々しい別れでなかったことを証明した。

昭和に青春期をむかえた男は 「カラッとした性格」 が多い。
30年後、バーカウンター内側に部下がいて、外側に上司がいる光景など、当時は想像すらできないし、店の話を聞きつけて来てくれたことに、胸を打たれてしまった。
ボスの一言 「おまえが新潟に帰ってきていたことが嬉しい」  言葉は時の空白を埋めてくれる。

今度は、僕からお誘いするのが 「ボスへの流儀」 である。
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2014年04月24日

理想の上司

23日 新社会人が選ぶ「理想の上司」、男性部門第1位は俳優の「堺雅人」だという。

人は必ずしも、イメージと同じではない。
実際に会話をしてみると、その印象が大きく変わるときがある。
外面はにこやかな表情で笑顔を振りまいていても、内面は冷淡で底意地の悪さにうろたえることもある。
逆に仏頂面の印象ながらも、実は礼儀をわきまえており、誰もが認める常識人だったりもする。
後者なら意外な感動に触れたりするけど、前者はどれだけ不気味か想像がつくであろう。

比較的、前者の特徴は女性に多いもんだと思っていたが、最近は男にも多くなっているように見える。
今いわれている、男の中性化現象と何かの因果関係でもあるのだろうか。
いづれにせよ、その人の素顔を見たとき、ガッカリすることもあれば、気軽な喜びに包まれるときもある。
いまさら説明するまでもないが、結婚するときの視点にも近いような気がするね。

うーん、理想の上司か…
まず、会社はタスクフォース(目標達成チーム)なので、あんまり理想の上司すぎても困る。
成果あっての会社だから、人間性よりも貢献度の方を重視されるもの。
それにチームである以上、多少のほころびはあるにせよ、好き嫌いなんて言っていられない。
おたがい人の子なんだから、つまるところ相性もあるだろう。
そう考えれば、現実には理想の上司なんて、夢をつかむもんだと思っていたほうがいいだろう。

僕も長年サラリーマン経験をしてわかったことは、劇画「島耕作」シリーズの主人公みたいな男なんて 見たこともなければ、噂でも聞いたこともない。
だけど、主人公の足を引っ張ろうと複数でうごめきあっていたり、私利私欲まみれのゆがんだ登場人物などが、実在していたことは身をもって知った。
こうしたギャップにさいなまれるぐらいなら、最初から理想など作らないほうが傷つかずに済むだろうが、それはそれで寂しいもんである。
それに理想の上司ほど、手柄は自分のものだけにせず、部下に重きをおいて華をもたせるものだ。

こうは言っているけど、僕の理想の上司をひとりあげるとすれば、「高倉健」だ!
いや、これは僕だけじゃなくて、男なら詰まるところ、高倉健に行っちゃうんじゃないかな。
群れず、媚びず、はしゃがず…  年上を敬い、年下を導き、見返りを求めない男気とでも言うのかな。
「一匹狼タイプ」ながら、協調すべきは協調するところ。
そんな高倉健って、古き良き日本人の気概を感じさせてくれるんだ。

理想の上司とは、「自分にとってどうあるべきか…」ではないと思う。
その能力と人間性に惹かれて、「この上司を男にするための自分」を描くべきなんじゃないだろうか。
これはあくまでも僕の基準なんだけど、「父性を感じさせる」のが最高の上司像だと思っている。

新社会人が選ぶ「理想の上司」、女性部門第1位は女優の「天海祐希」だという。
ちなみに、僕の女性部門第1位は女優「かたせ梨乃」だな!  あぁ、毎日、怒られていたいなあ…
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2014年04月23日

初夏の街

4月は街のいたるところで、新社会人と思しき若者を見かけるようになる。

その面構え、一生懸命に就職活動をしたわりには、弱々しげな目をしている気がする。
まあ、世の中をわかったような面をして、年上をなめきったバカよりはマシであるが…

若かりしころの就職活動といえば、警察官採用試験の1回きり。
早くに情熱が冷めたことからして、大した志望動機でもなかったのだろう。
その後、新聞広告を眺めては、地元の中小企業に応募していた程度である。

入社試験もなかったし、面接の予備練習もしたことはない。
意識したことは履歴書を丁寧に書き上げて、面接では応募の動機を誠実に伝えて、自己アピールは  不器用でもいいからしっかりと伝えること… この3つだけ。
あっ、それから、挨拶と言葉使いに気をつけたぐらいで、それ以外は「スーパーゼロ」からだった。
それにコネや自慢できる学歴もない上、演技も達者じゃないので、胸を張って頭を下げるだけ。
だから、面接前はジタバタしなかったし、学力重視では勝ち目はないからね。

それに落とされたら落とされたで、自分を鼓舞するため、「落としたおまえらがバカだ」と開き直る。
だけど、採用されたら義理も重んじて、まっしぐらに努力はした方だったと思う。
ただ、今思い返せば不器用な若さゆえ、間違った努力も多かった気もするけどね (笑)

83年、山田太一原作 「ふぞろいの林檎たち」という、テレビドラマがあった。
「三流大学の落ちこぼれ」という設定で友情と恋愛、就職活動を通じて、社会への葛藤を描くシュールな青春ドラマであり、その最終回の場面が印象的だった。
面接日… 3人の落ちこぼれは待機する控室で急遽、大学別に面接会場と面接官も仕分けされた。
それを見た柳沢慎吾は、「ひでえよ、差別じゃねえかよ…」とやり場のない怒りを、同じ会場で待機する時任三郎に詰め寄るが微動だにされず一言… 「胸を張れ、いいから胸を張れ、要は生き方よ」
隣の席で待つ中井貴一も腹が決まっているらしく、無言で真正面だけを見ている。
すっかりと変わってしまった2人を見た柳沢は、ふてくさりながらも席に着こうとしたそのとき、テーマ曲「いとしのエリー」が流れてドラマが終わったと記憶している。

そんなリアルタイムなドラマの中に、「学歴がその人を輝かせるのではない」と若者は教えられた。
日本は学歴や肩書、特に地方都市においては家柄(縁故関係)も、幅を利かせている傾向がある。
もちろん努力には与するけど、生まれ持った条件を満たしている中には、裕福なお坊ちゃまも多い。
悪くはないが、鼻持ちならない金の匂いがつきまとい、いざというときほど頼りにならなかったりする。
ことわざをもじれば「自信ある鷹は爪を隠す」もので、すごいかどうかは相手が決めることだからね。
個性ぶる必要はないが、面構えが息づいてないのは、ハッタリも実力の内がわからない気がする。

今年の新卒はどうなのかな…
ちょうど仕事にも慣れた6月ころ、「初夏の街」を歩けば、なんとなくわかるのかもしれない。
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2014年04月21日

Jazz Talk Vol.42

たまには魂を揺さぶられるような、アグレッシブなハードブロウを思う存分に聴きたくなる。

夜の世界(水商売)では、ジャズが隆盛期を迎えていた。
ネオン街のクラブやキャバレーでは、「箱」=「店の専属バンド」という仕事が存在していた。
店と専属契約して、何曜日は2ステージ、何曜日は他の店とかけもちなど、街にも賑わいがあった。
それに当時、専属バンドを抱えている店は「ステータス」が高かったし、客層も社用族ばかりだった。

店の雰囲気によっては、ムード歌謡曲や映画音楽、素人のウタバンなど、それぞれ要求が違ってくる。
ジャズといっても、そう演奏できる時間もなく、余興から余興へのつなぎでしかなかったと思う。
多くの要求は、会話のジャマにならない演奏(メドレー)であり、お客さんの目当ても店の女の子だから、演奏なんてどうでもいいわけだ。
その仕事は建前とはいえ、演奏者の本音はジャズが好きだから、次第にストレスもたまってくる。
だから、必然的に息抜きのできる場に集うようになり、時にフリーセッションがはじまったりした。

今は音楽の志向が広がったし、恵まれた音楽環境にあるので、個々に独立した音楽観がある。
おいしいものを作るのと同じ感覚で、実験的な意味もあるから、ジャズも建設的に異色化したと思える。
音楽の志向も広がれば、ひとつのジャンルにおさまらないのが世の常。
そうなると組織化されていない個人事業店などは、良くも悪くもその影響を浴びやすくなるもの。

じゃあ、何で店名に「ジャズ」を入れたかってことになるが、好きだという「俺の意地」だ。
開店のときは、多くの人から「これからは、ジャズなんてやめておけ…」と肩をたたかれた。
まず若い人が反応しないし、ジャズは時代遅れだから、関わらないほうがいいと反対された。
それに演奏者は演奏者としかつながろうとしないし、極めてジャズの好きな人ほど見向きもしないことはわかっていたことでもあった。
それでも曲げなかったのは意地だし、僕の出生にもこだわりがかっているからだ。

ジャズは文化。
ジャズに気軽に触れて過ごしてもらいたいから、店内もジャズばった雰囲気にはしていない。
だから、店の中を見渡して「どこがジャズなんだ…」という特定の人ほど、「50〜60年代ジャズの亡霊」だったりするし、指が速く動くのがジャズだと思っている人もいれば、音響設備やレコードコレクションを自慢するのもいいが、中学生レベルでやめておいたほうがいいと感じることもある。
理詰めでたたみこむのはさほど難しいことではないが、ジャズに敬意があるから気分を害することは  しないだけのことであり、楽しく優しく語れる人じゃないと一緒にいてもつまらないでしょ。
その意味では、最後に行き着くジャズはどうあれ、はじめてジャズを聴く人にとっては、気軽なスタイルの「ジャズバー」だと思っている。

それにジャズに限らず、バーでは「フリートーク」ができる。
ジャズがわかるわからない、楽器ができるできない関係なく、そのお客さんこそが楽器みたいなもの。
感情をおさえる人もいれば、単独で語る人もいるし、ユーモアをもちいる人もいるようにまちまちだ。
「GIG」の主人公は、あくまでも言葉という楽器を使う、お客さんということになるわけだ。

気がつけば、長々と乱文をつづってしまった。
僕自身、メロディーを大切にした内省的なジャズが好きなんだけど、たまにガッチリとヒートアップした ジャズを大音量で聴いて、内なるマグマを発散させているときがある。
食事なら肉と野菜の栄養バランスであり、何か足りなければ自然と補おうとする生理みたいなものだ。

そもそも、僕の内面には「フリージャズ」が、ひそんでいたことは自覚していた。
数十年ぶりに眠りから覚まさせてくれたのは、「真正なジャズ愛好家」である2人の存在が大きい。

最後まで途切れることのない、テンションノート(緊張感)は圧巻である!
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2014年04月20日

野外授業

できごとには、はじまりがある。

先週の「日帰りバスツアー」のブログを読んだお客さんが、「来年は参加したいな」とつぶやく。
「歓迎しますよ」と、今日20日が最後の見ごろになるであろう、桜の散り際を惜しむ。

今回のバスツアーは、ある女性の「行こう!」からはじまった。
一昨年、僕ら夫婦は同ツアーの定員となり、そのときの様子を語っていたときの一言である。

話は立ち上がるけど、結局は立ち消えのパターンはよくあること。
中学の旅行クラブのように、時刻表をもとに計画は立てるが、実際には行かない模擬旅行。
酒場の仮約束は信憑性にとぼしく、朝起きて「約束したかな…」なんてこともあるだろう。
だけど今回は「行こう」の一言から、テキパキと決まったので、すこぶる気持ちよかった。

決して高い金額ではなく、とても良心的な企画だったので、みんなが喜んでくれたことに意義があった。
これを機会に気心を許せるだろうし、大切なのはつきあいを難しく考えず、気軽に続けられること。
それに男女のいやらしさがないから、遠足へ行くように子ども性を取り戻せるのがいい。
出発からビールやおつまみが回ってきたが、残念ながら僕だけは保健室で休んでいる状況だった。

参加した人の職業は、看護士に介護士、老舗鮮魚店の店主に老舗食堂の女将さん、食品検査員や  建物管理者に法人営業職など、皆まちまち。
参加者に特別な条件はないけど、共通点は「人ありき」で、生き方をエンジョイしていること。
花見は手段であって、異性の友人とそれなりにいい関係を保つには、格好の時間だったと思っている。

たまには「野外授業」へ出かけることも大切で、そのためのはじまりが「行こう!」なのである。
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2014年04月19日

教育演技

先日のキュートな若奥さんの交通違反から比べれば、僕の自転車違反は見るからにハッキリしている。

斜め横断に信号無視など、自転車を状況判断で水陸両用に使っているあたり。
だけど、こだわりはいくつかある。
傘さし運転、無灯火運転はしないこと。
歩行者を事故に巻き込む、危険運転はしないこと。
冒頭、目視で安全確認した違反ではあるが、正当化できる理由でないことはわかっている。

大きなこだわりは、子どもが見ているときは交通ルールに則ること。
これも大人のズルさなんだけど、品のある「教育演技」だと思っている。
このあたり、子どもの純粋な目を意識することは、誰もが行なっていることであろう。
でも、これはちょっと違うんじゃないかと思うことがある。

社会問題は大人同士で論じなければいけないのに、子どもを表舞台に上げて情に訴えようとする大人。
特に反戦や反原発デモなどに子どもまで行進させたり、マスコミが子どもにマイクを向けて、それらしい言葉を引き出している場面はおかしい。
たまに社会問題に手紙を送ったりする子どもがいるが、何か裏で親や教師が操っている気もする。
子どものころは子どもらしく、楽しい行進をさせたり、好きな文章を書かせておけばいいと思う。

それがもし、僕の子どもであれば、政治的な考え方にはコメントさせないね。
すり込みが激しすぎると、大人になってから融通の利かない性格を作ってしまう。
それに社会問題は大人が解決することだし、「子どもは外で遊んでいろ」という主義である。

今は少なくなったけど、街中で幼い子どもの手を引きながら、方々で募金活動をしてた親子連れの姿を  見かけたことがある。
その親子は純粋なのかもしれないが、客観的にはいやらしさがつきまとわざる得ない。
つまり、子どもの純真さを普及活動、ならびに政治的活動に利用してはいけないんだ。
それならまだ、豆粒ぐらいにしか見えない「AKB48」のドーム会場の後ろで、子どもと一緒になって  踊っている姿のほうが、よっぽど健全な親子関係だと思える。

先日の若い奥さんには、純粋な親子らしさを感じたからなんだ。  つけくわえるんであればね…
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2014年04月18日

ズルするね

夕方の万代で、若い奥さんのちょっとキュートな光景を見かけた。

メディアシップの四つ角交差点のうち、歩道橋下の横断だけは自転車専用レーンに定められている。
自転車で信号待ちをしていると、左寄りから女性の声で「ママは、ズルするからね…」と聞こえてきた。
よく通る声にチラッと振り向いたら、胸に乳児を抱いて、手荷物を持った若い奥さんだった。

早い話、「ママは近道するから、交通ルールをやぶるわよ」と乳児に言い聞かせているのである。
同時に、「自転車専用レーンを横断しますので、皆さん見逃してください」と懇願にも聞こえる。
体裁を気にするあまり、自分の行動を周囲に予告して、動こうとするところがいい奥さんに思える。

ためらいは「独り言」になるというが、この人は「ウソをつけないタイプ」なんだろうな。
信号が青に変わると乳児の顔を見て、「今よ!」と小さく叫んで横断したのは聞き逃さなかった。
まあ、前方を無視した、「ながらスマホ」よりはいいわな。

余談ながら、ここは「スクランブル交差点」にしちゃえばいいんじゃないかと思う。
行政も万代クロッシングの活用にこだわりすぎているのか、左右の往来を複雑にしちゃったよね。
万代はスーパーもあるのに、乳児を連れた女性や老人のために、近道や段差など優しくないんだ。

「この母親の子どもなら、きっとグレないだろうな…(笑)」   僕はこう感じたね。 
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2014年04月17日

眉村卓(作家)

僕らの世代、「音楽・映画・書籍」は、青春の三拍子だった。

南万代で古本を眺めていたら、懐かしい背表紙「閉ざされた時間割」(眉村卓)を見つけた。
思わず手に取り、ページをパラパラめくると茶色に変色した紙面から、古い押入れの匂いを一瞬感じた。
本の所々にシミや折目はあるが、それも古書の風情というもの。
その手垢のあとは、まだ指先に脂があるころの、少年少女たちの指紋に違いないだろう。

中学生のころ、作家「眉村卓」のSF小説は何冊も読破した。
代表作には「なぞの転校生」をはじめ、「地獄の才能」「まぼろしのペンフレンド」など、後に映像化された作品も少なくはない。
個人的には「24時間の侵略者」や「つくられた明日」、「深夜放送のハプニング」も代表作になると思うがどれか一冊推薦するとしたら、「ねじれた町」をあげるだろうな。

全作品、物語の相関図に共通点も多く、主人公は平凡な中学生の男子生徒。
パートナーとして不可解な事件に挑むのが、幼なじみで同じクラスのスポーティーな女子生徒。
家族は団地の3人暮らしで、母親は専業主婦で心配性、父親はサラリーマンで理解のある行動派。
事件の展開を整理する場面は、家族で食卓を囲んでいるときの会話がフックとなる
そこで必ず、「よし、お父さんが明日調べてみよう…」と伏線が張られ、場面は次の日の朝に変わる。
男子は登校中、後ろから「おはよう」と女子に声をかけられ、あたりを伺いながら奇妙な出来事を語る。
まだ、ハッキリとは現れない謎の正体は、地球外生命体の宇宙人か、時空を飛び越えてきた未来人。
異星人に捕らわれると、お父さんが「オリャー!」と助けに現れ、息子が「今だ!」と反撃に転じる。
事件が解決した翌日、何ごともなかったような朝の登校風景に替わり、男女が事件の展開を振り返る。
始業のチャイムに慌てて、一緒に仲良く走って校門に入っていくところで、物語は完結するのがお約束。
僕は本を静かに閉じた後、「この2人は高校へ進学したらセックスするぞ…」と、アホな想像をめぐらす。

物語の型がシンプルでわかりやすく、「親子の絆」と「友だちの大切さ」を描いた青春SF小説である。
他にも当時、人気を分かち合っていた「星新一」や「光瀬龍」、「筒井康隆」なんかも併読していたけど、ストーリー運びは「眉村卓」のほうが、リズミックなのでノンストップで乗り飛ばせた。
このあたり、味噌汁の具みたいなもんだから、単に好みでしかないんだけどね。

今は創作本はあまり読まないけど、たまに少年期に読んだ本を斜め読みしたくなるときもあるんだ。
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2014年04月15日

桜の万華鏡

儚く楽しく、話題も尽きず…  そんな「お花見」だった。

13日、男女総勢9名で、「高田公園の夜桜バスツアー」へ行ってきた。
正午にバスセンター出発後、弥彦と柏崎の桜スポットをめぐり、18時30分に高田公園に到着。
一行は、満開に咲き誇った夜桜の下をゆっくりと歩きながら、各々と軽口を交し合うこと1時間20分。

自然を旅する場では、誰ひとりとして「壁の花」にはなれないので、気を遣わなくても大丈夫。
それに車中から、ほろ酔いの人もいれば、僕のスキッドボトルも空になりかけた。

立ち止まって夜桜を見上げていると、どこか美しさを通り越して妖艶さを感じてしまう。
去年、万代橋の夜桜を「花柄のブラジャー」とお下劣な形容をしてしまったが、ここ高田公園の夜桜は「万華鏡」を見ているような、神秘的な空間に吸い込まれてしまう錯覚さえおこしてしまいそうだ。
一緒に見上げたみんなは、どう感じたであろうか…

バスが新潟駅に着いたのは、22時30分ごろ。
いったん解散はしたものの、「お座敷宴会」がはじまったのは言うまでもない。
いや、むしろ、こっちの方を楽しみにしていた感じもしなくもない。
来年は桜並木の下でレジャーシートを敷いて、近場でお花見宴会をする計画もチラホラ。

最初は小さな冒険のつもりで、「店の扉」を開けたんだと思う。
思わぬ形の再会もあれば、初めての出会いのわりには、よそ者扱いする人間関係がここにはない。
空気に透明感があるっていうのかな…   これからもよろしくね!

明日、寝覚めのカーテンを空けたら、まだ満開に咲いた桜の花びらがユラユラと揺れているだろう。
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2014年04月12日

桜とマンション

連日、寝覚めのカーテンを開けて、最初に見るのが目線上にある桜のつぼみ。

桜といえば、小学校の入学祝に学校から、「桜の苗木」をもらったことがある。
小学校は世田谷区の下北沢駅からほど近く、71年当時でも「草むら」や「原っぱ」と呼ばれる土地が  そこそこ点在していた。
アパート住まいだったので、大家さんの庭に植えさせてもらった遠い記憶がある。
桜の樹齢は70年ほどらしく、今もあれば42年になるが、都会の住宅事情を考えればあるのかな…

桜と何かをとりあわせた場合、絵になる風景はなんだろうか。
「桜と青空」 「桜と校庭」 「桜と神社」 「桜と鉄道」 「桜と銭湯」… とりあわせはいろいろだ。
個人的には「桜とマンション」なんかも好きで、近代的な建物に自然が入り込んでいると心が落ち着く。

感覚的には「刺身の盛合せ」と同じで、おたがいを引き立てあうけど、あんまり作りこみすぎると今度は逆に落ち着きを失ってしまうからむずかしい。
こんな具合に、それほど観光地化していない、ご近所の桜にも目を配っていたいものである。

只今、新潟市万代 「桜は満開」を迎えた。
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2014年04月11日

つきあいかた

下町地区で二校統合した、「柳都中学校」の初入学式が行なわれたという。

地元紙の記事では全校生徒が270人で、僕が在校していた70年代後半の四割にも満たない人数だ。
入学式の掲載写真を見て、あのころに自分の体や心が少しずつ変化していく戸惑いを思い浮かべた。
あれから、友人つきあいも変化していった。

友人をなくしたくなければ、集いはリーズナブルな店でシンプルにやるべきである。
僕らの世代になると、儲かっている男もいれば、破産しそうな男もいる。
大型連休になれば、家族で海外旅行へ出かける男もいれば、巣籠もりしている男もいる。
離婚して子どもの養育費を払っている男もいれば、借金をコツコツ返している男もいる。
女性にしても、だんなと別れてかよわい生活をしていたり、ひとり暮らしに不安を抱いてたりする。
つまり、生活感覚は人それぞれなんだ。

僕の出身中学である、柳都中学校(旧舟栄中学の昭和55年卒業組)は何十年にも渡り、夏と冬の2回古町地区で同窓会を開いている。
職業上、時間が合わないけど、8年前に三次会の席に滑り込んだこと一度だけ。
時間的に人数こそ少なかったものの、それは楽しい夜明けをむかえたものだ。

こうして、毎年続いている理由はカンタンである。
先ほどの「それぞれの状況」を考えれば、誰もが参加できる会費で行なっているからだ。
人間関係(同窓会)を、末長く続けられる理由はコレだ。

裕福な幹事が自分基準で企画をしたら、高級店の高いコースになりがちとなる。
それに泊りがけの温泉宴会や高級割烹、ホテルのフロアーでシャンパンを開けたり…
時にはプレミアムパーティーもあっていいけど、その分参加人数は減るし、続けられるもんではない。
そういうイメージを作り上げると、気軽な同窓会のはずが、気軽な同窓会じゃなくなってくるんだ。
幹事はいい格好かもしれないが、それぞれの状況を想像できない、慢心さが同窓会を潰しちゃうんだ。

その意味では、中学の幹事は気軽な参加を心得ており、これこそ全体に気配りした同窓会だと思える。
一次会のあとであれば、同窓生を免罪符にして、好き勝手なところへ散ればいいんであってさ。
僕は中学の友人は少ないけど、開店の噂を聞きつけた級友が利害抜きで来てくれたときは心強かった。
それを友情というんだろうし、長いつきあいをするためのつきあいは大切だと思っている。

友人を減らさないためにも、そこそこ安く雰囲気のいい店を探すよう心がけている… 僕も助かるしね。
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2014年04月10日

三者凡退

すべてのはじまりは、小さな動機からだという。

みんなの党の代表である渡辺嘉美氏が、八億円の借入問題で辞任したことは記憶に新しい。
知るところでは、父親(元副総裁)の渡辺美智雄氏ばりの硬派で鳴らし、行政改革などで正義と正論を  展開したはずであったが…

STAP細胞の発見者である、小保方晴子氏。
会見では不適切な伝え方は認めたものの、その存在の有無については「あります」と語気を強めた。
だけど研究チームとして体を成してなく、しかも周囲の研究メンバーも他人事で冷たい気がする。
目的は同じ志を持った、再生医療の研究開発なのにね…

「現代のベートーベン」の触れ込みだった、沢村河内守氏。
原爆投下の爪痕、東日本大震災の鎮魂を対価に利用して、人々の誠実さに戸惑いを与えた。
会見では応対のまずさもあってか、謝罪より吊るし上げとなり、偽りの演出を繰り返した感じがした。

人それぞれ、最初の動機は小さくも誠実なんだ。
「社会をよくしたい」…  「未来の人類医学のために」…  「傷ついた人々の心を癒したい」…
だが、多くの出来事は最初の志からどこかでネジ曲がってしまい、気がつけば遠く離れてしまう。

それは、したたかに寄り添ってくるときもあれば、半ば強制的に迫ってくるときもある。
金銭欲に名誉欲、時には権力の行方に左右されたり、いくつもの「踏み絵」が存在していることもあろう。
企業などの偽装疑惑なんて最たるものである。

会社に命じられて談合したのに、スッパ抜かれた瞬間、「あいつが勝手にやったこと」で葬られる。
だから、部下に不当な命令を下してきた人間ほど順調に昇進して、部署に生き残っていたりするでしょ。
それならまだ、ヤクザの世界のほうが面倒見がよかったりする。

袖の下に、「現ナマ」をしのばせられたら、あなたならどうするか。
一度でも受け取ったことがある人なら、彼らをとやかく言えるような立場ではないだろう。
最初はすべて小さいことからはじまり、終いにはいびつな形になっていくものなんだ。

この3人は「踏み絵」を間違い、取り巻く環境次第では、仕掛けてくる人間もいるからね。
あー、タイトルが思い浮かばない…  三者三様じゃないし…  「三者凡退」にでもしておこう。    
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2014年04月09日

IT'S COOL

春の万代は、原色の解放感に満ちており、気分的には過ごしやすい。

ショーウインドウのディスプレイは色鮮やかに変わり、街行く人たちも衣がえしていく様子がわかる。

美容室で髪をセットした女性が、どこかウキウキとした表情で足早に消えていく姿。
花屋の店先では上品な女性が、花の小鉢を手に取る後ろ姿を見かけるようにもなる。
入園式の帰り、正装をした母親に手を引かれて歩く、まだ歩幅のせまいお嬢ちゃん。
洗いたてのシャツに袖を通して、部屋から颯爽と飛び出してきたと思える若い女性。

街中がレインボーカラーのように、躍動感みなぎってくるのがこの時期の万代である。

午後の街中をのんびり自転車をこぎながら、すれ違う光景を眺めているのが僕という名のおじさん。
これから、春雨がサラサラと降る日もあるだろうが、それはそれでまた風情があっていいでしょ。

日増しに陽も長くなり、街中で知る顔とバッタリ会うことも多くなる季節…  「ヨッ、ごきげんだね!」
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2014年04月08日

Brack Rain

Tジョイ万代 「午前10時の映画祭」
7日、リバイバル上映された「ブラック・レイン」(89)を、25年ぶりに劇場で鑑賞してきた。

物語の本質は「男たちの哀しみ」を描いた作品である。
マイケル・ダグラス  アンディ・ガルシア  高倉健  松田優作  若山富三郎
豪華俳優陣が孤独を演じながら、それぞれの時代背景を思い浮かばせる。

戦中世代と戦後世代が対立した、ドス黒い価値観を持つ闘争劇である。
アメリカは敗戦国である日本に、一方的な価値観と文化を押しつけた。
日本人の美徳である、「長幼の序」を重んじることなく、行き過ぎた個人主義をまき散らした。

アメリカの言い分は、日本人は個性を持つ者を組織的に潰しにかかり、形式にこだわり過ぎる。
一丸になるということは、すなわち迎合せよということで、コトの本質を理解しようとしない。
所々の場面には、異国の「イデオロギー」が衝突する台詞や描写が多い。

しかし、最後はおたがいの文化的な儀礼を尊重し合えたことに、この映画の意義はあったと思う。
それにエンドロールで流れる、哀愁と情熱に満ちたバラード 「アイル・ビー・ホールディング・オン」が、 人間の業を叫んでいるようで、「男の情感」が押し寄せてくる。

個人的な欲を言えば、ニック(マイケル・ダグラス)に、「私の味方は私なの…」と言い放った、アメリカ人ホステス(ケイト・キャプショー)と、物言わぬ、佐藤(松田優作)の情婦ホステス(小野みゆき)。
罪悪感を持ちながら、惚れた男を援護した「女の心情」に興味があるけど、最後まで「謎の女心」のまま描き切れてなかったのが少し残念だった。

観なおしてわかった場面があったのは、感性は年齢や経験で変化するということか…
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2014年04月07日

酒場の情緒

当店、ショットバー形式だが、ボトルキープも並行している。

システムを紹介すると、ボトルが入っていれば、気兼ねなくひとり二千円で飲める。
ラベルはスコッチかバーボン、顔なじみならば、ラベルの取寄せに融通は利かせる。

毎年、春と秋には、ボトルが回転しやすくなる。
新年度となり、なじみのお客さんが新しいお客さんを連れて、挨拶代わりにボトルを共有し合うからだ。
この感覚、日本人の美徳 「同じ釜の飯を食べる」にも似ている。

一般的にウイスキーのアルコール度数は43%。
日本酒や焼酎、ワインなどと比べても格段に強いので、飲み方(割り方)は自分流でいい。
酔わない酒を低悪く浴びるぐらいなら、時間をかけて強い酒を飲んでいたほうがまだいい。
バーは酒や音楽、会話や親交を楽しむところだから、それぞれに個性があっておもしろい。

ボトルキープは、時々の「TPO」に合わせられる優れもの。
「オレのボトル飲んで待っていて…」なんて、粋な台詞も似合う。
それに同じボトルを一緒に飲むことは、難しいことを抜きに気を許しているものだ。

センスのあるなしは、ボトルが空きそうになったときの対応にある。
落ち着きなくソワソワするか、素早くショットに切りかえるか、スマートに2本目を入れるか…
持ち合わせがなければ、「次回、用意しておいて」でもいい。
早い話、場慣れしているかである。

不恰好なのは、共有ボトルをワンフィンガーだけ残し、店に何ヶ月も放置すること。
次に行けば、ニューボトルを入れるリスクがあるので、おたがいに敬遠しがちになる。
このあたりロウソクみたいなもんで、新しく火を灯すか消滅するか、残量で人間関係が見えたりする。

僕らはショットに加えて、「ボトルキープ世代」でもある。
給料日は口開けのボトル、給料日前はキープボトルと用途を分けていた。
ひとりの財布できつかったら、「セパレーツボトル」(割り勘)でもいい。

女性が隣で接客する店になると、席に着いた子にも飲ませる不文律があるため減り方は早くなる。
その点、ショットバーはお客さんのキープボトルには触れないことが、商売上の仁義だったりする。

バーは、色々な酒をショットで楽しめるメリットもあるが、フードアイテムが少ないデメリットもある。
人それぞれの寛ぎ方によるところが大きいが、基本的に酒飲みはフード(つまみ)は取りすぎないもの。
せいぜい、乾きモノのフィンガーフード、遅めの軽い夕食代わりになるモノでじゅうぶん。

話を戻せば、ボトルキープは「ガラケー」みたいなもんで、根強いファンが多いことも事実だ。

残量の減ったボトルを目の前にした、ある日の夜…
「これ位残していくんなら、全部飲んでいけよ…」とつぶやいた、某ビジネスチームのエンブレムネーム。

まあ、そういうのも「酒場の情緒」である (笑)
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2014年04月05日

サイド・カー

東京で止まり木(行きつけのバー)を見つけたのは26歳のころ。
都会と交われた気分だったが、そのわりには僕は垢抜けてないでしょ (笑)

新潟に帰郷せねばならなくなった十数年前。
それから、東京へ出張の際には、前泊でそのバーへ顔を出すようにしていた。

バーの利点は、マスターが代替わりしにくいこと。
店の雰囲気が当時のままで、あまり変わらないこと。
一過去、僕と懇親(こんしん)な関係であったことも大きい。
決定打は、「懐かしい対話」ができることだ。
つまり、真っ当で当たり前の 「人間関係が存在」しているのである。

物理的に遠隔地なので、もう何年間もご無沙汰である。
せいぜい電話での挨拶、時候の挨拶状ぐらいしか、交際手段は限られてしまうもの。
人伝(ひとづて)には、当時と変わっていないとは聞くが、またそれが嬉しいんだ。

バーで、上司と仕事のやり方をめぐって激論したこともあった。
連れの女性に野暮な動揺をしながら、先の読めない展開に身を任せたこともあった。
「看板のないバー」では、秘密めいた出来事もひとつやふたつはあったものだ。

新潟に戻り、数年後…
「どこかにいい人、いないかな」と、東京のマスターから雇用の相談を受けていた。
そのころ、近々に上京する予定のある、当時23歳の好青年を知っていたので、その性格も見越した上  「サイドバーテンダー」として紹介したのが 「O橋くん」
その後、帰郷した彼は 「現在34歳」になり、今では当店の扉を開けること7年目。

4月4日 偶然にも妻と顔見知りである、懐かしい女性 「Hさん」を同伴して来店。
人間関係、どこでどうつながっているのか、驚きを隠せないまま、最後は 「サイドカー」で締めた。

2014年の冬、彼はまもなく 「おとうさん」と呼ばれることになる…
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2014年04月04日

交わる匂い

3日 妻は昼から、某飲食店を経営する店主の奥さまと一緒にカラオケ店へ出かけた。

夕方、妻のケータイへ電話をしたが応答がない。
そのころ、万代の食料品フロアーにいたので、何か買って欲しいモノがあるか聞きたかったが、きっと  「アイドル」に変身して、「ジャンボパフェ」でも食べてるんだろうとそのまま放っておいた。
たまにストレスを発散してもらわないとこわいからね。
とりあえず、色艶のいい「朝摘みいちご」をワンパック買ってから外へ出た。

そのとき、小雨がポツポツ降りだすと、フイになつかしい匂いがしてきた。
しかし、どこで嗅いだのかは定かではない。
記憶では小学生のころ、学校の帰り道で鼻にしたのが最初だったと思う。

街中のほこりやバスの排気ガスに小雨が雑じり、アスファルトからボンヤリ立ち昇ってくるかの匂い。
だけど、雨が地面をすべて濡らしてしまうと、もうその匂いはただよってはこない。

タイミングは、雨粒が降り出したときの、最初の匂いなんだ。
五感の中でも、とりわけ嗅覚は記憶と深い関係を呼び起こすもの。
でも、その匂いはなんてこともない、日常を包み込んでくれる匂いなんだよね。

僕は信号待ちをしている交差点で、思わず雨粒と空気が雑じりあった匂いを大きく吸った。
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2014年04月03日

対話の術

3日 81歳の誕生日を迎えた朝霞の伯母に電話した。

ひとり暮らしにしては、受け答えが気丈である。
途中で話が反れたり、在らぬ方向へ行かないのは、言語能力の高さであろう。
会話の量をフィジカルとすれば、会話の質はメンタルなんだと思う。

最近は年齢関係なく、会話力が低下している気がする。
例えば、こんなことないかな…
「バナナは好きですか」という質問に対し、バナナの説明を答えにしてしまう人。
今の質問は、「YES or NO」なのに、そこを答えてくれない。
本人は意識にないんだろうけど、会話(対話)不足がまねいている傾向なんだろうな。

独身時代、誰とも会話をしない休日があった。
しゃべるのは、コンビニで「お弁当温めますか」と聞かれ、「お願いします」の一言。
本屋で「ブックカバーはおかけしますか」と聞かれ、これまた「お願いします」で終了。
たまに小料理屋で飲みながら、「誰か声をかけてくれないかな…」と、小心な頃もあった。
「対話の術」そのものより、自分から声をかけなきゃ状況は変わらないのにね。
そんな心境で過ごした経験は、誰にでもあるだろう。

社会と会話ができて、一人前になれるというのかな…
飲む度に会社の愚痴や人の悪口、自分だけの話題に終始してしまうと、結局は独りよがりがまねいて「コミュニケーションクライシス」に陥るんだと思える。
パソコンやゲームの普及で会話はドライになったが、対話することで気持ちは豊かになる。
社会(人)と対話することが、言語能力の良し悪しを決めるんじゃないだろうか。

僕のような仕事(一般的な飲食店)は、機械的でドライな感覚と対極な立場であるから、対話を通じて  気を変えられる場所なのかもしれない。
そう考えれば、仕事の意義は至って明快である。

伯母は質のいいコミュニケーション(対話)をしてきたから、今でも的を得た会話ができると思ったね。
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