2014年02月03日

脱け殻

午後、寝覚めのシャワーを浴びてから、僕の一日がはじまる。

コーヒーを手元に、半開きのカーテンから、空を眺めることが日課である。
新聞でも読みたいが、着替えてポストに行くのも面倒なので、朝刊が夕刊になることも珍しくない。
起きてパソコンの電源は入れたくないし、しばらくは体の力を抜いて、無音状態で過ごしていたい。

今日(休日)は無気力だ。
いつもなら外出を気分転換にするはずなのに、どういうわけか出かけたいという欲求がわかない。
休日のわが家は台所休みなので、仕方なしにその日しのぎの食材を近所に買出しに出かけただけ。

妻は確定申告の用紙に付きっきりだし、その手伝いを買って出ようと思ってもガッツがわかない。
そんな折に着信メールを開くと、友人から夜の誘いかけだったが、めずらしく丁重に断ったほどだ。
何もする気はおきないが、閉店時間が迫る銭湯にはかけ込んだ。
余計に疲れが増したが、体の芯まで温まったので、ようやくビールの栓を開ける気にはなった。

まあ、振り返ると何かしているんだけど、脱け殻状態で行動しているような浮遊感なんだ。
それでも、今こうしてブログは書いてるんだし、会話も普段通りなんだから、筋書きのない休日とはいえ行動は習慣化しているのかも知れない。

一年に何度かある「脱け殻の休日」だが、健全な肉体の意志を尊重するのも悪くはない。
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2014年02月02日

Jazz Talk Vol.39

中古CD店をのぞいたら、2002年に澤野工房から発売された「山中千尋トリオ」(2nd)を見つけた。
サイドメンには、ブラッド・メルドーと同じ、ラリー・グラナディア(B)、ジェフ・バラード(Dr)を起用。

店で聴くまで待ち切れず、自宅のヘッドホンで全曲耳を通した。
スリリングで日本情緒ある「八木節」は、彼女ならではのオリジナルな真骨頂であり、リズム隊がいいと    メロディーは清流の如しである。

疾走感のあるスピードタッチだけでなく、アレンジの妙技が大胆なんだ。
途中で考え込むような節もなく、そのメロディーセンスは実証済みだろう。
一過去、「山中千尋」のタイトルで詳しく述べているので、それ以上は語る必要はあるまい。

総じて、日本の女性ピアニストの功績は大きいと思う。
もちろん、ピアノだけに限らず、「寺井尚子」や「寺久保エレナ」などもあげれば評価は広がる。
彼女らはそれまでのジャズの暗い閉塞感を変えたし、常態化したコマーシャリズムに走らなかった。

ネームバリューでは、世界を舞台に活躍している「上原ひろみ」の才能は筆頭だが、それぞれが      リスペクトする音楽的役割を果たしているから、無駄な個性の張り合いにはなっていない。
トリオに限れば、大きな演奏スペースを余すことなく、本気で挑んでいるから思わず聴き入ってしまう。

最初は時代の追い風を受けた面もあると思う。
だけど結局残るのは、「音楽そのもの」で存在をアピールした、真っ当なミュージシャンなんだ。
それには、ジャズだけにカテゴライズされない、柔和な華であることも絶対条件になるんだろうね。

デビューしたての作品ほど、荒削りだけど本気度が伝わってきやすい。
行く末に方向性を案じるヒントがあったりして、昔のアルバムも対照的に聴き応えがあるものだ。
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2014年02月01日

数十年後…

しばらく姿を見かけることがなかった、レジの店員さんに思わず「久し振りですね…」と声をかけた。

自然な笑顔で「ええ、孫が生まれまして今日からなんですよ」と言われ、「それはおめでとうございます」で会話を閉じたが、とても孫がいる年齢には感じさせない女性の表情である。

近年、日本人の平均寿命が80歳を越えたが、後期の時間が延びただけである。
それに体の機能は衰えていくだけで、何か楽しみを見つけるにしても気力が萎えてくるだろう。
食は細くなるし、美味しいものを食べても昔ほど感動しなくなるし、性欲はあっても満たせなくなる。

そうなると朝から晩まで、テレビづけの生活になりがちとなる。
たまに出かける場所は図書館、探すのは同世代が集まる店。
老い先を考えれば、ご多分もれずの行動であろう。

それは僕自身の見通しにも、関係してくることでもある。
夫婦でもどちらか先立てば、晩年の孤独を味わうことになる。
孤独がいい悪いではなくて、大事なのは孤独と向き合う楽しみ方なんだと思える。

そういうとすぐに、金の論理になりやすいがそうじゃない。
イキイキと若々しい人ほど、いくつになっても恋愛をしているような気がする。
幸い医学の発達などにより、望む望まずも老年期が延びた。
その生かされた期間、楽しみが何もなかったら少し虚しい。
何も、好色高年になるんじゃなく、その気持ちが男の色気を育てるんだと思える。
恋愛は色気同士が引き合うし、年齢的に酸いも甘いも知り尽くした出会いだろう。
そういうときに恋愛しないと、もったいない気がするわけだ。
浮気とかまどろっこしい話は置いて、境遇が合えば最初は「お茶のみ友だち」からでもいいと思う。

男と女の接点を失った中高年は、外見も内面の劣化が早いことは間違いない。
つまり、年齢を感じさせないというのは、年齢に合った男女の楽しみ方を知っていることだろう。
それが可能な人は、誰とも気軽に会話ができ、自分の年齢相手に「つまらない顔」をしてないんだ。
つまらなそうな顔をしている人に近寄りたくないのは、こっちの気分もつまらなくなるのと同じこと。
そうするとますます劣化するから、先々を考えると今のうちから意識しておきたいと思うようになる。

このあたり、なにげない私生活のひとコマだったり、お客さんから学んだことでもあり、何の根拠もない絵空事を書き並べたわけでもなく、「数十年後の宿命」になることを自覚しておきたいと思う。
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