2014年02月28日

2014 弥生

【3月定休日】     
     2日(日) 9日(日) 16日(日) 23日(日) 30日(日)
    ( 21日(金) 通常営業致します )
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日   日曜日 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5〜7名) ※ボックス席は予約をおすすめ致します。


明日から3月となるが、春めくにはまだ早い。
新潟市内、最もコンクリートに囲まれた街に住んでいると、春の季節感が恋しくなる。

少年時代、遠洋漁業をしている漁師から、こんな話を聞いたことがある。
船上から見上げた星の位置で、季節を知ることができるのだという。

自然を感じるといえば、僕の部屋から見える桜の木。
道すがらなら、ラブラ万代の入口に植樹されている名も知らぬ木ぐらいかな。
そうだ、地下の食料品スーパーで、いつも四季の初物も見かけているはずだ。

五感をこらせば、いろんなところに季節の風物詩がある。
しかし、考えごとをしてたり、見慣れた風景に気づかないだけかもしれない。
少し足を延ばせば、やすらぎ堤の芝生や樹木にも季節を感じるのであってね。

街の特徴でいえば、ショーウインドに並ぶ新作の春物。
カラフルな原色に、衣替えをはじめた若い女の子たち。
花屋の店先に並び替えられた生花など、落ち着いて見渡せば結構感じるもの。

せっかくの機会である。
春の訪れより一足早く、「スプリングバンク」という、一般的には少し甘い香りが漂うスコッチウイスキー などいかがであろうか…  (個人的にはフィニッシュは辛いと感じるがね)
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2014年02月27日

只今外出中

26日、青空が白くかすんでおり、街中でマスクを着用した人を多く見かけた。
新潟では、PM2.5の濃度が上昇し、外出を控えるように注意を促されていたようだ。

そんな夜、妻はPMなんちゃら、どこ吹く風で「月いち会」(定例の食事会)に出かけた。
男子禁制の「女性トーク」であり、日常のストレスを発散する女性の会である。
女性は「おしゃべり」が大好きだから、息抜きと欲求の場を認める必要がある。
男と違って、年齢や立場などあまり気にせず、対等に会話できるところがいい。

僕ら「男世代」になると少し違う。
年齢や立場を尊重するから、まずは誰かをボスにして、号令を図る体育会系のノリが特徴的。
それでいながら、ボスが会話をひとりじめすることはないし、はじまってしまえば、みんな好き勝手なことを言い合っては、仲間を免罪符にヘロヘロに酔ってしまう。
酒で少し粗相をしても、ほとぼりが覚めたころ「飲みに行こうぜ」で済ませられる寛容性はある。
このあたり、ネット文化にどっぷり浸かっていないから、向き合った会話に慣れているのかもね。

会話や交際に男女の難しい理屈は必要なくなる。
これからの年齢、顔の劣化は仕方ないが、表情だけはその人の生きかたそのものだと思う。
顔だけで判断されるのは若いうちまでで、中高年になると表情で値踏みされる。
判断基準は息苦しくない程度に、生身のつきあいをしているかで差がつくような。
日常会話の中に若さが保てる気がするし、外出することで人の内面は刺激を受けるからね。
僕の周りでも自分が束縛されたくないから、相手のことも束縛しない夫婦や恋人も多くなってきた。
男女関係でいけないことは、外の世界(自分以外)を見せないようにガードし過ぎることじゃないかな。

女性が外出をしなくなるときは、「パーマを失敗した時」と相場は決まっているものだ… ?
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2014年02月26日

三猿(さんざる)

見ざる・聞かざる・言わざる…

バーとは、不思議な空間である。
カウンターを隔てたバーテンダーの前で、仕事やプライベートな会話をするんだからね。
それだけに緊張感もあるけど、ニュアンスは少し異なるもの。

「いろんな人の会話が聞けていいでしょ…」と思われるかもしれない。
実際に立ってみればわかるけど、そんなに聞き耳は立ててないんだ。
聞いたとしても、大概のことはその日のうちに忘れてしまい、ある日何かの拍子で思い出すぐらいかも。
それに人の会話に考えを張りめぐらしてないから、表面的に言葉だけが流れ過ぎていく感じである。

こう書くと、「不真面目だ」と言われそうだがそうではない。
普通の会話と違い、他人の会話は副音声みたいなものだから、そんなに意識は向いていない。
せいぜい、呼ばれた声の方向に反応する程度であり、無意識な存在でいいとさえ思っている。
だから、グラスを磨きながら頭の中では「晩飯なにかな…」とか、「今度の休みはあそこに行こうかな…」など、ジャズをBGMに他愛もないことを考えているほうが多い。
ヘタにお客さん同士の会話に割り込んだりせず、肯定的に無心でいたほうが場を共有し合えるもの。

男女が耳元で囁き合っていても、聞えよがしな会話をされてもほとんど気にしない。
仮に、内緒話や人の噂話を耳にしても、基本的には店の外にはもらさない。
まず、本当かどうかもわからないし、それが自己宣伝だとしたら信憑性に疑問を抱く。
会話に巻き込まれたとしても、庶民のひとりとして考えを述べるだけに留めておくであろう。

自然体で寛いでもらえばいい。
ひとり客であれば、フラリと好奇心からなのか、誰かと待ち合わせなのか、黙って静かに飲みたいのか、 気分転換に会話をしたいのか、人恋しくなったのか、だいたい5つの理由に絞られる。
言葉で宣言する必要はないが、表明の仕方では「コミュニケーション」の取り易さ取り難さは決まる。

僕の立場は黒子(後見役)であり、無駄な人気や主役願望もないから、基本は三猿(さんざる)である。
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2014年02月25日

花の手入れ

夕方、帰宅の途で妻からの着信に応じると、「霧吹きスプレー」を買ってきてとのことだった。

先日、開店6周年に届けられた、彩色鮮やかな生花に水分を与えるのに使うためだ。
花を語る感性はないが、そこにあるだけで気持ちが癒され、空気も浄化してくれるようである。

街中で見かけるときがあるだろう。
企業の竣工式や大型店の開店日など、アプローチやホールに豪華な生花が飾られているのを。
外回りに置いてある生花は持ち帰ってもいいが、日本人は儚いものには手を触れない美意識がある。

だけど、生花は思いの外、粗末に扱われている。
開店披露で見慣れているはずの花ほど、あまりアレンジまで目が届いていない。
献花のボリューム(本数)が多ければ多いほど、見たようで見ていないというもの。
それに生花の寿命は短いので、手をかけずに4〜5日で花屋に引き上げてもらうのが慣わし。
だから、花の種類などわからず、せいぜい「キレイね」ぐらいの語意だろう。

その点、小ぶりの店では目が行き届く。
スプレーで艶を出したり、枯れた花を取り除いたり、場所を変えたり結構大切に扱う。
最後は日保ちした花だけを裁断して、小さな花瓶に差してカウンターに飾ることが多い。
儚いけど、お客さんからいただいた思い出の品だから、精一杯手入れするのが礼儀である。

今年は3月3日まで、開花を保てればいいかな。
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2014年02月23日

6 Th Anniversary

彼が知人の女性と一緒に扉を開けたのは、今月11日の21時。

22歳のころ、古町界隈で一緒に仕事をしたことのある彼は、新潟駅前で飲食店を経営している。
同伴者に気をつかいながらも、ところどころで不恰好な思い出話が咲いてしまう。
2歳下の彼は僕を「えっちゃん」と呼び、僕は彼を「ファーストネーム」で呼ぶ。
空白の年月はあるものの、今も変わらないのは、ひょうきんな口調と呼び名。

万代の街角で偶然に再会したのは、今から14年ほど前と記憶している。
新潟駅前で開店まもない飲食店を切り盛りしてるのを聞かされ、それからというもの不定期に顔を出し、 夜のひとり行動でサラリーマン生活のストレスを洗い流す店になっていた。
家庭に不満はないし、仕事も順調だけど、漠然とした不安はどうしてもつきまとっていたころだ。

それから、数年後…
僕は自ら会社を辞めて、個人事業主になるために、事業計画書を作成していた。
しかし、内心は、「俺の人生、これでいいのかな…」など、肝は据わってなかった。
また、考えれば考えるほど、「これからの時代、やめたほうがいいな…」という結論にもなる。

そんな折、彼の店で気分転換しながら、頭の中にあることを打ち明けた。
賛成も反対もされなかったが、資金面では「高級外車を買ったと思えばいい」とアドバイスされた。
それまで、数値を整合することばかり頭の中を支配されていたが、このひとことですっと氷解した。
そのあとは、もう早かった。

「絶対に安全性を確認できるまで」などと延々に考えていたのでは、きっといつまでも決断できなかったと思うし、「いずれは…」の連発で時間を無駄にしていたかもしれない。
過去、組織の部下であっても、個人事業主では先輩格にあたる彼。
いつ、どこで、どうかかわりあったうんぬんより、おたがいやってきたことに敬意を払えた間柄なんだ。

今日、2月22日で「開店6年」を迎えた。
何とか小学校は卒業でき、明日からは中学生になるような7年目の心境である。
それに6年という歳月は、相関図や生活感までもすっかりと変えてしまった。
決して楽じゃないけど、いつのまにか、いろんな人たちからささえられていた…

SPECIAL SUNKUS
YASUHIRO & MAI
HARUHIKO & CHIHIRO

僕は添付画像の「極楽とんぼ」にならぬよう注意しなければ。 (笑)
 
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2014年02月22日

大丈夫か

桜を見せてやりたかったんだろうな…

年齢を重ねると避けては通れない行事にお葬式がある。

21日 夕方、友人の母親のお通夜に一足早く焼香を済ませてきた。
喪主となる彼とは下町育ちの同級生ではあるが、中学を卒業してからは自然とつきあいが途切れた。
28年後…  僕がお店を開業した噂を聞きつけて、誰よりも早く来店してくれた「粋」がきっかけとなり、  今に至るほどよい親しさが戻った。

彼の母親の姿を最後に見かけたのは中学生のとき。
自転車の荷台に、キリンレモンを1ケース積んで、近所をたくましく走っていた日常の姿だった。
家へ遊びに行くたび、玄関先に置いてあった、キリンレモンを礼儀知らずにも飲んでいた。
冥福をお祈りするとともに、そんな恥かしい過去に思わずタメ息をついた。

彼はとても母親(家族)想いで、ひとえに穏やかな性格なので、その心中察するにあまりある。
これまでの母ひとり子ひとりの生活から、しばらくはひとり暮らしがはじまる。
寄り添うほどの親しさではないが、仲間ならひとこと「大丈夫か」で通じるものがあると思いたい。
それに、自分のこれからも投影されてくると思えば、彼の心中を軽んじられなくなるからね。
こういうのは年齢を重ねないと、たどりつかない心境なのかもしれないが…  覚悟なんだろうな。

四十九日後、新潟の桜は満開になっていることだろう。
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2014年02月21日

書き下ろし

若い恋人同士であろうか…

夕方、万代橋を背景にして、彼女の写真撮影をしていた今風の彼氏。
正真正銘のカメラでピントを合わせていたので、きっと専門的に好きなのであろう。
スマホで撮る光景は見かけるが、カメラを構える姿は今や芸術的にも思えてしまう。

女性は年齢差なく、カメラの前ではいい女(表情)を演じる。
だから女性であり、その感覚を失ったら女性としては寂しい。
男と違うところは、女は一番美しかったころを残しておきたくなるもの。
そうするといかに魅力的に撮ってくれる男に、自分という被写体をあずけたくなるのが女だろう。
女心をくすぐられる意味で、万代美術館で開催されている「篠山紀信展」は盛況なんだと思える。

僕は写真を見るのは好きだが、自ら撮ることに興味はないし、撮られることもはた迷惑に感じる。
まず、自分の見た目に過剰な意識がないので、38歳を過ぎたころから、写真らしい写真はない。
それに子孫を残すつもりもないので、遺影も必要ない。
自分の顔写真を見て、何がおもしろいのかなとも思う。

それなら、人を語る表現方法の意味でファインダーになりたい。
昔の仲間が集まる理由に、あのときの自分を覚えていてくれ、出来事を語ってくれる人がいるからだ。
つまり、自分で自分を撮れなかった写真を見ることで、そこにいたことを確認し合えるんだと思える。
それに出来事を語る上で、曖昧な記憶には今さら真偽は問われない優しさがある。
人は誰かに見守られていたいとか、語られたいとか、そんなささいなやすらぎを求めているのだろう。
僕がその人のことを熱く語っているときは、きっと夢中になってシャッターを押しまくっている瞬間だ。

その影響がおたがい強ければ、「俺がおまえを書き下ろす」関係となれるんじゃないかな…
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2014年02月20日

トリプルアクセル

つい先ほどまで見ていた、ソチ冬季五輪のフィギュアスケート。
女子ショートプログラムで、浅田真央がまさかの16位だった。

最初のトリプルアクセルを失敗してから、そのあとの演技を取り戻すことができずに、きっと頭の中が   真っ白なままだったんだろうな。
インタビューでも、「自分でも、何がおきたかわからない…」と、痛々しくコメントしていた。
この大会を最後に、引退を表明しているだけに、あまりにも波乱な初日の様子だった。

同じく引退を表明している、ライバルである韓国のキム・ヨナが1位通過なだけに、精神的にもショック  だったに違いない。
気丈なコメントでありながら、きっと何を言ったのかさえ、思い返せないほど呆然な心境だと思える。
このまま終わったら、かわいそうな気もするけどね。

フリー演技を残しているものの、メダルからは大きく後退した。
華麗さと優雅さを演じる競技だけに、こういうときの順位づけは過酷さを感じてしまう。
明日は明日の結果だが、最後は自分のためだけの演技を思う存分すればいいさ。

わしゃ、柔道や相撲だけの男じゃないし、どちらかと言えばフィギュアのイメージが近いだろう。
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2014年02月19日

流通マヒ

関東甲信の大雪が物流ルートを遮断したため、この4日間ほどは近くの大型スーパーでも、品薄な  食材が申し訳なさそうに並んでいた。

たまには、いいんじゃないか…
新潟は直撃ではないにしろ、不測の事態がおきたとき、便利になりすぎた生活に気づくであろう。

生鮮食品が特売日となるイオンの火曜市。
品薄に文句をたれている客も見かけた。
僕はコンビニができる以前を知る世代なので、あんまりガタガタと食材で嘆かないほうだ。
腹が空けば朝まで我慢していたし、そういう経験が少し辛抱することを覚えさせてくれた気がする。

しかし、今では新しい飲食店などにダラダラと行列してまで、食べようとする国民文化になった。
だから、品薄な状態に文句を言うようになったし、どこか精神的な誇りを忘れちゃったと言うか。
これって、もしかして「精神の飢餓感」じゃないのかと思うわけ。
感覚的には、東日本大震災で味わっているはずだが、人の気持なんて「のど元すぎれば熱さ忘れる」。

さっきの話に戻れば「何で品物がないんだ」と、品物がないことについて怒っていた。
「なぜ、品物が入らないのか」…  その理由に疑問を抱かず、ないことに感情的になる始末。
物事を順序立てて、考えられないんだと思える。
それじゃあ、クレーマーと同じ思考回路であろう。

苦言を呈することは、消費者としては大切なことである。
だが、たずさわる人を相手にわがままな言動を見ると、個人的に楽しい買物時間が不快な気分になる。
スーパーは事務的ではあるけど、それに慣れきってしまったわりには、文句だけはいっぱしだからね。
お客だからと、店員に威張る権利はないし、その前に新聞を読んでニュースで世の中を見ろである。

そんなわけで、今日の食卓には、おかずのつけ合わせの「キャベツミックスサラダ」がないのだ。
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2014年02月18日

努力の行方

連日、ソチ冬季五輪での日本選手の吉報が届いている。

男子ジャンプ競技では、41歳の葛西選手が「銀メダル」を獲得したことは記憶に新しい。
多くの人は年齢と銀メダルに感動したかと思うが、葛西選手の大なり少なりの敗戦体験を乗り越えて  きた背景を知れば感動もひとしおだと思える。

教育上、「努力は人を裏切らない」と教え込まれてきた世代だ。
それはスポーツだけではなく、目標としたことであったり、仕事でも同じことが言えるだろう。
しかし、スポーツはどんなに血のにじむ努力をしても、負けるときは負ける。
また、負けたことで、次第に引き際も考えていくだろう。
それが会社組織であれば、多くの理不尽な思惑を経験して、薄々間接的な仕組を知ることになる。
そう考えれば「努力は人を裏切らない」など、無責任な言葉にさえ思えてしまう。

それは大人が子どもに使う都合のいい言葉であり、実際は叶わないことのほうがたくさんある。
中には体系化されていないことで、間違った努力を続けていることもあるだろうし、教える側も何を   どう教えていいのかわかっていない人もいるであろう。
会社なら、会議で意見が通らないからといって、泣きじゃくる大人がいるかって話だ。
ただ、そのプロセスは免疫力として、後々に役立ってくるんであってさ。

負けた敗因を探ることも必要だけど、負けたことで他の世界が見えることもある。
早い話、「他の分野にも挑んでみようか」とか、「経験をもとに他の場所に根を落としてみようか」だの。
そういう、ひとつの世界にこだわらない生き方もあっていいと思う。
同じことに挑み続けて成功するのは美しいことでもあるが、それは一握りの奇跡の結晶みたいなもので大人社会の一般論ではないことは多くの人はわかっている。

ソチ冬季五輪のさまざまな勝利に感動するのもいいが、少し世代特有の背景を知ることも深みが増し  おもしろいかと思える。
後世に同じ競技(体系)を引き継いでも、世代で挑む精神には違いはあるだろうな。
僕ら世代には、確固たるカリキュラムなど存在せず、我流の延長で伝えていくある種の精神訓話が     強かったのと比べれば、今は論理的で的確な指導要綱が体系的に整っているのだと思う。

仕事がらで言えば、同じウイスキーでも、人それぞれ「飲みかた」が違うようにね。
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2014年02月16日

チョコ? キャー!

こんなおっさんにも、バレンタインチョコをくれた、素敵な女性が3人も現れた。

一つ目は、彼氏ありの40代後半。
二つ目は、既婚である30代後半。
どちらも、義理チョコ 親愛チョコ 友だちチョコ…  名称はどうでもいい。
ハッキリしていることは、バレンタインディ本来の意味とは、違った表現であること。

ちょっとした、心づかいは嬉しいもの。
小さなことに気づかいできる女性は、家計のやりくりが上手な気がする。
仮に手作りだとしたら、料理が得意なんだろうなと、エプロン姿を想像しちゃうとかさ。
女心に余裕を感じさせられてしまう。

三つ目は、お約束で保険の外交員。
面識はないが、妻の話によると20代前半の可愛い子ちゃんらしい。
僕の頭の中では、誰ひとり顔も名前も知らないAKBの女の子たちが、ポップコーンのようにとびはねている姿を想像してしまうが、妻からもらったチョコが一番美味しかったと立場上、書かねばならない…

会社などでは、環境強制と見られるらしく、シャレの効かないイメージがつきまとう。
男の立場からすれば、たかがバレンタイン(遊び心)でしかないけど。
高級だ、美味しいだの、気持ちの中にこれっぽっちも思ってないもの。
あるのは、「ありがとう」という、素直な気持ちである。

いちいち、目くじらを立てている女は、男は単純であることをわかっていない。
女は事の他、敏感すぎる習慣というか、一円の桁までキッチリと割り勘をする。
そういう女性は細かすぎて、あんまり男からモテないと思う。
ここで怒りを感じた女性がいたら話は早く、そういうところを指摘されているんだよな。

「たかが」をセクハラレベルと一緒にするのを聞くと、なんてユーモアに欠けた人たちなんだと思う。
ユーモアのわからなさが、逆に仕事の効率(コミュニケーション)を下げていたりする。
職場でうつ病を引き起こしているのは、シャレが通用しない人間環境が一番多いでしょ。
それで、深刻にお返しを考えるなんて、まあアホとしか言いようがない。

男なら、お返しに女性社員をランチに誘うとか。
複数なら、出来島にある「かとう食材」あたりで、業務用のお菓子の大袋あたりを買って、給湯室あたりに「どうぞ」と茶菓子代わりに置いておけばいいだろ。
センスはないけど、ユーモアを解して、その日(ホワイトディ)ぐらいは笑顔になると思うがね。

よーし、素敵な3人には、おじさんが「牛丼特盛」をごちそうしてあげよう…  おかわりはダメだよ!
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2014年02月14日

Char (G&Vo)

都会が似合う男をあげれば、真っ先にロックギタリスト 「Char」 を思い浮かべる。

音楽性について説明はいらないが、今年59歳のチャーは今も輝き続けている。

ストレートだ。

ミュージシャンにありがちな、奇妙なライフスタイルを感じさせない。
名実とも、トップミュージシャンなのに気取りがない。
若いころ、歌謡路線で尖っていた時期はあったが軸ブレはしなかった。

構えていない。

チャーのホームタウンである、戸越銀座からほど近い武蔵小山商店街でたまに見かけた。
ラフな格好で街中を歩き、周囲にとけこんでいる自然なカッコよさがあった。
長い髪と帽子にピアスはトレードマークだが、サングラスをかけたり変装かぶれしていない。

俺は昔のままさ…

そんな台詞をクールに放ちながら、ウインクするようなイメージがイカすんだ。
もちろん、セクシーな歌声とギターテクニックはサイコーさ。
たまに部屋で日本人ロックを聴きたくなると、トレーに「チャー」を置くときがある。

ミュージシャンがカッコよくないと、その音楽は廃れてしまう。

チャーの音楽は、深夜の首都高速をドライブして、そんな疾走感が伝わってくる。
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2014年02月13日

野次馬教育

11日 新潟市東堀の住宅密集地で木造アパートが全焼し、2人が亡くなり4人が重軽傷を負った。
あのあたりから先へ行くと、高齢者が住む古い木造住宅が多くなり、地域の手厚い連携が必要となる。

僕が下町に暮らしていたころ、いたるところに木造長屋が多く、火災の被害は今より深刻だった。
毎年、学校区のどこかで火災が発生して、原因はストーブから引火するケースが多く占め、次いで   タバコの不始末や台所からの出火に特定されていた。

はじめて火災現場に直面したのは、中学二年生(1978年)だったと記憶している。
入船町の集合木造住宅から出火し、町に消防車のサイレンが響き、出火場所に人だかりができていた。
僕は大したことあるまいと反応しなかったが、休日だった父親が四才年下の弟を連れて現場に向った。
部活動でヘトヘトな体を起こして、仕方がなくあとを追ったのだが、父が単純な動機で家族を連れて  行ったのではないことがわかった。

僕ら兄弟は幼いころから、親戚の家へ預けられたり、鍵を持たされた生活をしていたので、戸締りは  元から火元については、特に口うるさく言われていた。
そのころになると、親戚宅へ世話になることもなかったけど、念のために家の留守を預かる兄弟に火災現場を見せておく機会だと判断したのか、教育的な見地で連れて行ったわけである。

父と弟は高さのあるどこかの敷地から、僕だけは電柱によじ登って、それぞれの位置から消火活動の一部を見守っていたが、それはバケツリレーなんていうものではない。
バリバリと大きな音を立てて二階が焼け崩れ、オレンジ色の火の粉が夜空を舞うほどの全焼レベル。
燃え行く住居に茫然自失となっている住民、泣き声をあげている子どもたちの姿を目の当たりにした。

その後、家族3人でまだ人が多く行き交う夜道を足どり重く、父はボソッと「わかったか…」とひとこと。
野次馬と教育の境目は難しいけど、あのときの場面においては教育的な行動を感じた。
机上でしか考えない人からすれば、「火災現場を教育にするな」と言われるだろうか。
だけど初期消火の意識とは、こういうリアルな経験から、育まれていくと思わないだろうか。

小市民の感覚からすれば、これ以上の「野次馬教育」はなかったね。
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2014年02月12日

ひとり暮らし

新潟の若者は郷土愛が強いのか、積極的に東京へ出たがらない。
出たとしても、早くに帰郷する理由は、「ホームシック」から生じた孤独であろう。

僕はこう思う。
若者にとって、東京は大して重要なところではない。
妄想を描くぐらいなら、地元でしっかりと働き、親孝行するべきだとも思っている。
家賃も食費もかからず、そのぶん好きな車を乗り回して、給与もほとんど貯金できるだろう。
私生活は地元の友人でまかなえるし、ライフスタイルも変える必要もない。
早くに結婚したとか親の介護など、特別な理由がある人は別だ。
しかし、「ひとりの経験」をしないまま、中高年になると思考が怪しくなる気はする。

東京は全国各地の出身者らと、さまざまな交流ができる街だ。
対人能力が試される街であり、ローカルルールなんてのは通用しない。
それまでの環境や習慣など、一度は断ち切らねばならない。
周囲に助けてくれる人は少ないから、まさに裸一貫の生活となる。
こうして孤独に耐えながら、新しい人間関係を作ることからはじまる。

本当のところ、上京早々ホームシックになって、人とうまくつき合えなかったんじゃないの…
それで「東京の人は冷たい」とか、紋切型の台詞で自分を慰めているんでしょ…
早い話、都会に受け容れてもらえなかったんだろ。

ハッキリ言えば、地方都市のほうが冷たかったりする。
地域でしか通用しない小論理が強いから、考え方の違うものは排除しようとする傾向がある。
仲間同士の言語のほうが大切で、徒党を組みすぎるから、なかなか個性も拓きにくい。
個性を拓こうものなら、それこそよそ者扱いで嫌われたり、嫉妬も覚悟しなきゃならない。
受け容れる器量の問題にもよるが、時として器量のなさは地域の発展性に欠いてしまうと思う。

新潟の魅力は、米と水、酒や食べ物が美味しいとは聞くが、あまり「人について」語られない。
新潟人は仲間褒めはするけど、他者には不寛容で少し閉鎖的だ。
その県民性は「慣れれば…」と前置きされるが、本音を言えば「人見知り」なのだろう。

大方の意見でもある。
「どうだ、週末飲みに行くか」と聞かれると、「考えておく」の回答が多い。
それ以上に楽しいことがあれば、そっちを優先するってことなのかな。
ひどいのになると、自分のことなのに意思回答すらしないんだからさ。
他人のことはあれこれ決めつけたがるけど、自分のことさえ自分で決められない。
小さな意思決定もできない人が、人から受け容れてもらえるはずもなかろうに…

そんなのに構っていられないと思うのが、都会人のスピード感なんだ。
まず、そのあたりの物言いから変えないと、東京じゃ相手にされないんだよ。
「東京は冷たい」と言った時点で、「ナルシスト宣言」したようなもの。
そんなの嘘っぱちだし、敗北感でしかないわけだ。

東京は故郷を一度離れて、精神的に大きな自立をする街である。
だけど素直に言えば、寂しさを埋めたいとみんなが願っている街でもある。
強さあっての寂しさなのに、最初から寂しさ全開なんだから、都会のひとり暮らしなどムリでしょ。
要するに「都会に受け容れてもらえなかったんでしょ…」  見方はそうなるわけだ。

当店はオフィス街の路地裏で営んでるから、「東京人」と「地方人」のお客さんが混在している。
よく聞くことだが、「ひとりでバーに入れない男ってどうよ…」ってことでさ。
対人力があるから、ひとりでも気丈にバーで飲めるんだ。
つまり、「ひとり暮らし」できる要素があるってことだと思う。

ここ3年ほどでは、女性のほうが「孤独に強い」気がしてならないが…
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2014年02月09日

東京の大雪

「カーテン開けてごらん…」   妻の小さなひとことで目覚めた8日の午後。
テレビをつけると関東甲信を中心に、東京都心部では16年ぶりの大雪らしい。

あの日のことは、よく憶えている…
間延びしていた、会社の新年会を東京原宿の居酒屋で40人ほどですごしていた。
しかし、朝からの雪が降り止まないまま、交通機関に影響が及ぶおそれもあり、終了予定を早く切り  上げて解散したのが21時ごろ。
まだ、宵の口にあたる7〜8人がそのまま残り、次に向った先は徒歩3分にある※「行きつけのバー」  飲みなおした。 (※バール・デ・じゃんがら)

バーを出たのが、深夜の2時ごろ。
人数が5人にまで減った一団は、ほろ酔いで降り積もった路地裏の雪をかきわけ、ラフォーレ原宿前の交差点で、年甲斐もなく雪合戦をはじめた。
恥かしいことに、雪国育ちのクセに一番多く、雪玉を食らってしまった。
おたがいの存在はそのまま小さく四方に離れていき、僕だけは代々木にも仮住居を構えていたので、  緩やかな坂道の明治通りを新宿方向に足跡をつけて帰った。

翌日、午後出勤だった。
晴天の光が雪に反射する11時には、ぬかるんだ歩道を避けながら、代々木駅へ向っていた。
そんな歩道の片隅に、薄汚れた小さな雪だるまがあったんだ。
きっと朝早く、雪が降り積もった光景に喜んだ子どもが、小さな手で雪をかき集めて作ったのだろう。

東京の雪は儚い…
どんなにキレイに作っても、すぐに泥まみれとなり、交通量の多さで早く溶けてしまうからだ。
東京では、真正の雪だるまを見たことはないが、それでいいんだと思う。
雪だるまがそこにあるというだけで、完成度なんて誰も求めちゃいないんだからね。

東京に雪が降り積もったことを知ると、あの日深夜から正午へかけての出来事を思い出す。
あれから16年…  みんな離ればなれになったけど、あいつら元気にやってるのかな。

今夜、新潟は雪だった…
足元の悪い中、お見えになっていただいたお客様方。
数年後、「あれは雪の日だったな…」と、あやふやに思い出してくれたら嬉しいな。
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2014年02月08日

ウォシュレット

自宅のウォシュレットが、耐久年数を大幅に過ぎたので、この際新品に交換した。

手元の操作パネルを見ると、今度は何やら「マッサージ」なんてボタンがあるではないか。
「なんじゃらほい!」  いきなり手が出てきて、おけつをマッサージでもするんかいな…?
無防備な状態から、何がおきるのかわからないので、まだこわくてボタンを押せないでいる。

日本人はトイレ事情において潔癖らしい。
温風で乾かしたり、音消しのメロディーが鳴ったり、自動消臭だとか…
トイレットペーパーにも、多才な工夫がほどこされているほどだ。

昔は多くの家庭では、固く絞ったわら半紙のような紙質で拭いていたんだよな。
さすがに新聞紙はなかったけど、もっとさかのぼれば農耕民族なので、わらや野草で拭いてたんだから今はいい時代なんだよな。

小学生のころ、身体測定では全員が白いブリーフだった。
まあ一人ぐらいは、パンツにうんこをつけている男子もいたはずだ。
そうすると不名誉なあだ名をつけられるので、その日だけはいつもよりも気合を入れて拭くんだ。

今となれば学校帰りに「バッキュームカー」を見つけては、みんなでバカ騒ぎしていた光景が懐かしい。
あと数年もしたら、洗顔するような感覚でトイレがモニターつきとなり、自分のおけつを映し出しながら、 コンピューターで「ぎょう虫退治」する、スーパー便座になっているかも知れないね。

というわけで、マッサージつきの「変態便座」にまた10年以上世話となる… なんだろうこのボタン?
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2014年02月07日

ゴーストライター

6日 午後のワイドショーで、佐村河内(自称作曲家)氏の「ゴーストライター」と名乗る代作者が、   自身で手がけた楽曲の提供経緯を記者会見していた。

ミュージックエンターティメント… ?
前者は聴力を失った「現代のベートーベン」の触れ込みでありながら、後者の証言では聴力はあり、   音楽の才能はなくて自己演出をしていたんだから笑っちゃう。

やっていることは「手品を超能力」といい、「宇宙人と交信している」とかいう、昭和時代によくテレビに  現れた「怪しいおやじ」に似ている。
見方によっては「プロレス」、または「川口浩の探検隊」みたいなもんで、バーのカウンターでトランプを
するタイプは、こういう顔をしてるんだよな… (笑)

何でも新潟公演では、本人が「新潟に奇跡がおきました!」とか何とか、ステージ上から観衆に叫んだ  とか叫ばないとか、今さら真相がわかっても、観客も気恥ずかしくて怒る気にもなれないだろうな。
例えれば、キャバクラでナンバーワンの女の子を指名して、長年親身になって相談に応じてあげていたおやじが散財した挙句、全て作り話であり、しかも女の正体はニューハーフだった… なんてもんでさ。

世の中には、歌手の口パクみたいな曖昧な演出も多い。
著名人が出版する多くは「口述筆記方式」として、ゴーストライターが取材して構成されたものである。
出版名義は著名人だが、それを読んで文才あるなしは語られないであろう。
あくまでも、その人に成り代わって具体的に伝えるのが、ゴーストライターの役目なんだからさ。

だけど、作り込み過ぎたよね。
音楽そのものには罪はないが、「身体障がい者」を装った演出は、非難されるべきだ。
それと両者にメリットがあれば、共犯関係が成立することは、記者会見を通じてわかったであろう。

商業原理でいえば、金銭関係を担保にして、人が結託するのは仕方がない。
しかし、損得勘定だけでない、日本人の鎮魂(広島・東北の被災者)を、動機と対価に利用されたことは寂しいとつけたしておきたい。

今日金曜日… どこの酒場からも、「交響曲第一番・失笑」が外に漏れるであろう。
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2014年02月06日

雲の上の青空

「緩やかな景気回復」が聞いてあきれる、このところの静寂ぶり…

加えて、大雪のおそれもある新潟市内だったが、ひとまず落ち着いた様子。
そんな景気も天候も実感に乏しく、安定しない日が続いている。

ある施設の窓辺から鉛色におおわれた、万代の街並みをぼんやりと眺めていた。
すると雲のすきまから、レーザービームのようなオレンジの一光が、街全体をあざやかに包み込んだ。

僕が目を奪われたのは、光りが降り注いだ街の光景ではない。
光りが射しこんだ、雲のすきまから見えた、あの透けるような青空である。
大空へ離陸した飛行機の窓から見た、雲の上の光り輝く青空を思い浮かべた。

店で広げた朝刊の社説に、こんなことが書かれていた。
政府は飛行機の離陸を景気回復に例えてこう述べた…  「前輪が浮き上がり、次第に後輪も浮く」
つまり、東京の景気回復こそが、時間差で地方経済にも好影響をもたらすとのことだ。
しかし、それを実感できる人はどれくらいいるのであろうか、という投げかけである。

実感できる人は、輸出産業や一部の恩恵にあずかれる業種で、まだまだ戸惑う日が続くのが本音だ。
人は、「日本を信じたい」という願望があるから、苦しくても前向きに生きていけるんだと思う。
何も、青空だけの下で過ごそうとする図々しさはないが、たまにでもいいから、あの飛行機の窓から見た青空を身近なものに感じたいと思うのが人の情。
だけど、いつまでも、厚い雲におおわれているような感じなんだ。

そんな光りが差し込む、雲の上の青空を想像しながら、いつまでも答えのない問いを考えているのが、われわれ庶民であるのかも知れないね。
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2014年02月05日

古紙の怒り

今や健康食品は一大産業である。

郵便受けを開けると、「軟骨成分」や「DNA配合」だの、DMやチラシを多く目にする。
漢方薬のように、長く服用することで効果出るのもあれば、化学薬品の即効性に期待をもつのもある。

僕らの年代からは、見た目年齢に差が出てくるころだ。
髪の量、顔のほうれい線、アゴのたるみなどが目立ってくるだろう。
だけど、年齢に逆らってまで健康に気を回しすぎ、容姿を追求する必要はあるのかと思ってしまう。

だいたい、サプリメント(健康食品)に依存している人ほど、日常が不健康だったりしている。
人と会話をしたり、笑ったりしてないから、顔の筋肉だってダブついたり衰えたりするだろう。
笑う回数が多ければ、自然と筋力はアップして、キレイな笑いシワが魅力になるんだ。

逆に、朝から不機嫌な顔をして怒ってばかりいれば、眉間に太い立てシワが目立ってくるもの。
それで夜な夜な「ライン」とやらで、表情のない会話(?)をしていれば顔が垂れるのも早い。
日常がそうなんだから、高額のヒアルロンサンなんか注射しても、効果なんて短期間であろう。

セックスする相手がいないのに、バイアグラ飲んで喜んでいるおやじみたいなもんであってさ。
普段から勉強してない人が「青魚エキス」を飲んで、頭が良くなるんなら何の苦労もしないわけだ。
それら、キチンと下地があっての効果であり、「ポパイ」や「メルモちゃん」じゃあるまいし、最初の考え方からして大きく間違っているんじゃないかな。

表情のよさに化粧であり、表情の悪さに化粧すれば、縁日で売られているお面以下である。
やっぱり、日常あっての化粧や健康食品であって、そこを間違えると暗い顔をしてエステティックサロンに通っているようなものだと思う。
そんな調子で鏡を見て、ウットリしている男女がいたら、「おまえは、何を目指しておるのじゃー」と   突っ込みのひとつも入れたくもなる。

こうして、多くのDMやチラシを仕分けしながら、二週間に一度「古紙」を指定場所に捨てに行く。
男の更年期を前にした、やり場のない怒りなのである。
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2014年02月04日

完璧な文章

「完璧な文章など存在しない」
村上春樹のデビュー作、「風の歌を聴け」の有名な一文である。

ブログを読んでいる人は、広い範囲の文章が好きなんだと思う。
僕も文豪や有名作家を認めつつも、基本的に好きな読み物は身近で感じた目線文章である。
だからと言って、安易なネットの書き込みなどに群がることはない。
あくまでも興味があるのは、まずは文章として体を成しているかなんだ。

それと経験をもとに、自分にしか書けない文章は魅力がある。
伝わる文章は次の段階にしても、原則はその人の言葉で描かれてあれば、次の展開に期待を寄せるしそんなブログがあれば紹介にあずかりたいと思っている。
身近でブログアップしている「S木さん」を知るけど、読ませてくれないんだよな…  いじわる!

ここからは、読書のコツについて書いてみる。
読書で大切なのは、背伸びしないことだと思う。
すぐに難しい本を手にしようとするが、それが本離れにつながってしまう。
僕は人に本を薦めたり、本の感想などを求めたことはない。
それじゃ素直に本を楽しめないだろうから、聞いたとしても「おもしろかった…」ぐらいで止めておく。
読書感想はその人の中で感じればいいのだから、感想を求めることを前提にすると、感想のための  感想を考えるようになり、読むことが苦痛になってくるもの。
本当に琴線に触れたのであれば、こちらが黙っていても自然に語意は出てくるものである。
それに国語の教科書の内容なんて、今になれば誰もさっぱり覚えていないと思う。
覚えているのは、小学一年生の最初のページ、「さくら さくら あさのみち」ぐらいだろう。

屁理屈を言うようだけど、文学書を読んでいるから頭がいいとは限らない。
逆に読み込みすぎたため、見方が屈折したり融通が利かなくなったり、同じジャンルばかり凝り固まると思考が偏重的になる危険性もあるから、読み散らかしたほうがいいような気がする。
昔は、「本を読む人は、頭のいい人」、「マンガを読む人は、頭の悪い人」と決めつけが横行していた。
どちらの次元じゃなくて、素直に興味のある活字でいいんだ。
新聞の社説を読んでいるより、マンガを読んでいるほうが楽しいでしょ。
最初の取っ掛かりはマンガであろうが、読むことが習慣になれば次第に読み物も変わってくるもの。
ただし、大人が電車やバスの中でマンガを広げている姿は、イメージとしては感心できないけどね…

僕は難しい本は読めないし、硬い会話も塩梅を利かせているつもり。
話をするとしたら、「話をせざる得ない状態」になったときだけ。
普段は冗談交じりで、大笑いしていることのほうが多いんだからね。
そのあたりは雑談や雑文のくくりで、心の空気を入れ換える感覚だ。
それに哲学書であろうとマンガであろうが、活字を楽しむと言う点においては、官能小説だって同じことでわざわざ本の分野を固定する必要はないんだ。
活字に親しみを持てれば、主な分野が定まり、次第に他の分野にも興味が広がるんじゃないかな。

だから「完璧な文章など存在しない」し、僕は「完璧な文章が存在されたら迷惑」である。
さて、撮りだめしてある、アニメ「団地ともお」を見ながら、あのころにダイブするぜ!
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