2013年12月09日

銭湯の人情論

小学生のころ、家に風呂があるのに、どうして銭湯へ行きたがるのか不思議がられていた。

本当の理由は「誰か友だちいるかな」程度の好奇心と、夜に外出できる口実だった。
あのころであれば、友だちと遊ぶにしてもせいぜい夕方まで。
夜に会える場所は、銭湯か道場ぐらいで、離れ際の合言葉は「今日、銭湯いく…?」

そのころ、家風呂のない家庭も多く、銭湯には遊びに行く感覚だった。
湯船のふちに腰かけて足湯をしながら、ダラダラとしゃべりながら時間を過ごす。
会話に飽きると、ようやく体を洗い始め、カラスの行水で脱衣所に戻る。
ラムネのビー玉を舌でビンに押し戻しながら、名残惜しむようにチンタラと服を着出す。

銭湯の暖簾をくぐるときは、期待と不安が入り交じっていた。
下駄箱にサンダルを預けて、服を籐のカゴに入れて、曇りがかったガラス戸を開ける。
そこに友だちがいたり、親しみあるおじさんがいたり、「おー」なんか言いながら近寄る。
時には会いたくない上級生がいたり、墨を入れたおやじがいたりと、意図しない人とも出会う。

教育上、新潟の下町(しもまち)の子どもには、これがよかったんだ!
好きな人としか会わなかったら、苦手な人と会ったときの、間合いがわからなかったであろう。
年上への礼儀、年下には優しくするとか、簡単な挨拶の交わしかたなど、銭湯は学びやだった。

今は、簡単な挨拶ひとつできない人が多い。
銭湯に限らないが、情操的な場所に行かなかったから、間合いがわからない。
バスの中では、おばあさんに席の譲り方がわからないから、寝たふりするのと同じことでさ。
それで優しさなんちゃら、いっぱしなことを言っているんだから、もうちゃんちゃらおかしいわけよ。

自然と相手に失礼にあたらないように、銭湯で公衆作法を覚えていった。
年長者や先輩にあたる人には、こちらから簡単な挨拶を済ませて、やるべきことは先にやっておく。
評判の悪い男ほど、そのあたりまえができないから、男から相手にされなくなる。
さっきのバスの話と一緒で、寝たふりしている間に人望も損なわれているもの。

銭湯で学んだことは人情論。
雰囲気には緊張したけど、無防備な裸でいるときは、不思議といざこざは起きない。
湯に浸かって、体を温めて、あとは寝るだけなのに、誰が好んでトラブルを起こそうものか。
不思議なもんで、銭湯で出会った上級生と学校でケンカにならないのは、おたがいに裸を見せ合った  テレがあるせいか、無言の連帯感ができている。
「おまえの家、風呂がないのか。おれの家もないから、まあ、仲良くしようぜ…」 こんな感じだ (笑)

銭湯は人の心の奥まで、和ませてくれるんだよね。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする