2013年12月08日

交差点注意

自転車に乗っていて、交差点で「ヒヤッ」とさせられることがある。

共通していることは、自転車の直進と車の右折と左折。
交差点の信号だけしか、見ていないと思える単純運転。
車の構造上の死角に加えて、交差点の死角もわからないドライバーが多いんだ。

新潟は他県と比べて、交通マナーが悪いらしい。
普段の交通量が一定している上、走り慣れた道路ばかりだから、きっと緊張感に欠けるんだろうな。
危険運転というよりも、気がつかない怖さのほうが先立つんだ。
逆に、東京だと事故を起こすと渋滞につながるので、運転が慎重だしマナーも思うほど悪くはない。

今日も柳都大橋の信号交差点で、若い女の子が自転車で横断歩道を直進しているところを、右折車が勢いよく進入してきて、あわや追突事故になりそうだった。
かわいそうに女の子は、気が動転してペコリと頭を下げていたが、その子は全く悪くない。

万代周辺の交通事情が少し変わってきた。
駐車場を探し回る車を始め、大した渋滞でもないのに、抜道を利用する車も多く見かける。
土地勘がない車だと、ハンドル操作が混乱しているから、少し近づくのも危ない。
余裕がない運転だと、抜道を探して進入するから、きっと視界も狭まっているだろう。
ここ危ないなと思える場所が、あと二ヶ所ぐらいあるので注意に越したことはない。

まあ、車が勝手に単独事故を起こす分にはいいが、間違っても俺にはぶつけるなよ…
それに、仮免許を17回も落とされた俺に言われるようじゃ、そのドライバーは前途多難だろう。
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2013年12月07日

健康な会話

忘年会シーズン。

朝刊のコラムで、悪酔いを防ぐにはチーズや乳製品を食べておくと胃に膜が張り、アルコールの吸収を遅らせることができると載っていたが…  コレ、 よく聞くことだよね。
某テレビ番組によると、それは思い込みの連鎖で、酒を飲めば膜が流されるので効果はないという。
どちらも医師と栄養士、専門分野の意見でも異なるんだから、その信憑性は自ずの判断に委ねられる。

そもそも、酒の席で本当の健康とはなんだろうか…
精神的な部分のほうが勝っていると思うので、人が嫌がる会話をしないことなんじゃないかな。
一応のマナーとして、政治や宗教、特定政党やスポーツにおける応援気質など、とかく議論になりそうな話題は避けるに越したことはない。
話題にするのであれば、全員が同じ条件で会話に参加できる、明るい事柄がいいだろう。

「新潟は(人間関係)がせまいから…」と、相関図を指す言葉をよく耳にする。
せまいから、なおさら気をつけなくてはいけない。
その意味では、相関図を壊すような会話には、同意すべきではないだろう。
人が集う場所では、どこでどう人とつながっているかわからないから、気をつけたいものだ。

健康な会話が一番だ。
医食同源と同じで、言葉(会話)の効力は、思いの外にあるもの。
そこに笑い種でもあれば、その時間は福来るになるし、時として博識を得られる。
翌朝、飲みすぎて後悔するぐらいなら、前夜の笑いで腹筋が傷んでいるぐらいのほうがいいでしょ。

悪酔いをおこすような会話(社交)はしないこと。
粋な大人は、酒にお金を使っている感覚ではなく、会話に投資(自己啓発)をしている。
酒は潤滑油であって、会話と沈黙の繰り返しで、時間と信頼を買っている。
これこそ腹構えが据わっている、健康的な会話ではないかと、最近あらためて思えるようになってきた。

乳製品で胃に膜を張るより、腹を割って会話を解していたほうが、よっぽど健康な生き方だと思う。
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2013年12月06日

幹事の心境

深夜近く… 会社の幹事役から解放された方が、扉を押してくるのは忘年会シーズン定番の光景。

今度は自分の時間を寛ぎにくるんだ。
この時季、段取りから実行に至るまで、大変なのは幹事である。
場所の予約や人数の確定、会費の徴収や料理の嗜好、席順に会の進行などなど。
それだけではなく、店との連携もなくてはならないし、枝葉の部分まで気を使う。
中には出欠を曖昧にされたり、会の足並みを揃えるのにもひと苦労するであろう。
それでも、目的は一年の締め括りだから、最後はしこりなく一本締めでいきたい。
そこまで考えると幹事は思いの外、大変な役目なんだけど、あんまり理解されてないんだよね。

文句を言いながら、嫌々参加する人はお気楽だ。
好き勝手に酔っ払って、一年の不満をぶちまけているんだから、ある意味のんきである。
ひどいのになると空気をぶち壊して、挨拶もせずにとっとと帰る非常識な人もいるからね。
幹事はそういう参加者も見守り、穏やかな表情で場を和ませたり、さりげないケアをしているものだ。
幹事をしたことがない人ほど、きっと裏方の努力がわからないんだろうな。
参加者は楽しむべきだが、幹事に対する敬意は忘れちゃいけないと思える。

文句の塊では、誰からも厚意をもたれないし、周りの受け止め方も不利なほうに動く。
謙虚な態度が微塵(みじん)もないと、残念だけど声をかける気もなくなってくるだろう。
一番いいのは、誰よりも不平不満が強い人に、幹事をやってもらうんだ。
人の気持をわからせる最善の荒療治になるし、組織にとってもいいはずだから次回やらせればいい。

僕が「幹事の味方」をするのは、そういう裏方の心理も見ているから。
バーは主に二次会ニーズだから、別会場で宴会をした後の本音をこっそり聞かせてくれたりする。
だから、バーは隠れ家になりやすく、人の本音が飛び交う空間になるんだ。
それが少しでも「癒しの空間」になってれば、バーテンダー冥利に尽きるもの。
今年も幹事の寛ぎを目にすることになりそうだが、ハツラツとした表情で最後を締めてほしいと願う。

幹事さんの気持ちを代弁すればこうなる。
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2013年12月05日

運転免許証

5日 午後12時22分バスセンター発、運転免許センター行のバスに乗り、免許証の更新に出かけた。
今では身分証明書代わりの免許証だが、優良免許なので事務手続きと30分講習だけで済んだ。

僕にとって、運転免許センター(当時は黒埼町)は苦い思い出しかない。
交通違反の類ではなく、公安委員会が直々に審査する仮免許取得でのこと。
18歳当時、自動車学校ではなく、個人経営の自動車教習所で運転技術のみを学びに通っていた。
生意気に学科は自信があったので、近道で技術を修得しようと考えていたのが浅はかだった。

なんと…  仮免許の技能試験 不合格17回!
付け焼刃の未熟な技能はもとから、きっと態度も悪かったんだと思う。
当時の試験官は軍隊上がりかと思えるほどの威圧感があり、中には大威張りしながら、助手席で   ふんぞり返っていた態度の悪い試験官も多かった。
その独特な態度に受験者は委縮して、素直な態度でさえいれば早く合格するのが慣わしのようだった。

僕は「態度には態度で返す」タイプだったので、そりゃ心証は悪く取られていたはずだ。
受験者なのに態度だけは、試験官並みのふてぶてしさなので、やりにくいと思われていたであろう。
こうなると人情的に辛口採点は間逃れないし、最後の方にはチェックされた回数を数えていたほど、  変な余裕が出てきたしね。

笑っちゃうのが、仮免許試験に12回ほど不合格にされたころだったかな…
いつものように受付に申請書を提出したのに、窓口の試験官から「写真と顔が違う」とか言われ、ついにニセモノ疑惑までかかってさ。
いくらここまで落ちてるからとはいえ、「なべやかん」じゃあるまいし、「替え玉受験かよ」である。

18回目には試験官も渋々妥協したのか、試験後の車内ではいつもの技能指導ではなかった。
その時に限れば、コンコンと人生訓話を唱えられたんだ。(合格ながら、最後の説教だろう)
試験官の態度には態度で返したけど、人生を説かれるほどの悪態を吐いたつもりはないけどな。
後部座席に待機していた次の受験者も、その異例なおたがいの様子に少し困惑していたようだ。

その後、仮免許の合格発表されたときは、「18回の敢闘賞」みたいで、逆に恥ずかしかったなあ。
同じ合格者からも「何回目で合格したの」と聞かれ、「18回目」と答えたら、目を丸くしていた。
断っておくけど、これ…仮免許試験だからね。

二週間後、路上試験も筆記試験も一発でパス!
だけど車を買うどころか、教習料やら受験料などで追加出費が重なり、親に頭を下げて借りたお金を 返済するために、それはもうがむしゃらに働いて返した。
それらの甲斐もあってか、今まで交通事故を起したことがないのは、そのときの教訓かも知れない。
僕にとって、運転免許センターは物言わぬ「鬼門」であり、仮免許は「試練18番勝負」と化した。

6年も車の運転をしてないんだから、優良免許はあたりまえだ…  やっぱり、自転車サイコー!
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2013年12月04日

ひとりごと

統計心理学による「誕生日占い」だと、僕はこういう人物らしい…

性格は気性が激しいしっかり者?
恋愛は健気で献身的に思いやる?
対人は好き嫌いをハッキリする?

占いの「アタリハズレ」どうあれ、誕生日を喜べなくなったら、更年期障害のはじまりだろう。
「誕生日うらない」というか、「誕生日いらない」が、心の叫びとなってくるのかもしれない。
年齢を重ねれば体力や知力、容姿も変わっていくけど、変わらないのはそれまでの人格だという。

それでも、フッと誰かに教えたくなるのが誕生日である (笑)
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2013年12月03日

なんとなく

先月某日から、ある出来事に敬意を示す意味で、なんとなくネクタイを締めて店に立つことにした。

ネクタイを締めるのは、かれこれ6年ぶりとなる。
当時、「もう、スーツを着ることはないだろう…」と処分したが、ネクタイだけは取っておいた。
久し振りにタンスを開けて、固定ハンガーに吊るしてある、当時のネクタイを小刻みに指で弾いた。
センスのなさを棚に上げて、「デザインが古い」とか「ダサい」など、つぶやきながら指を止める。

ブランドは「フェンディ」
趣味もなかったころなので、コレクション代わりに少しの贅沢をしていただけ。
時間がない生活をしているときは、それぐらいしか楽しみがなくなってくるんだ。
だからと言って、奇をてらうようなデザインはさけたし、身の丈に合った収集癖でしかなかった。

ネクタイは父性である。
ネクタイの選び方、結び方、結び目の作り方など、親から子へ伝える成人儀式となる。
私立高校へ入学したときは前倒しになるが、締め方の意識は成人とは全く違うだろう。
体裁的な髪型にリクルートスーツ、白のワイシャツとストライプのネクタイ、革靴とビジネスバッグ。
最初は典型的なスタイルながら、上手く着こなせない初々しさが一目で社会人予備軍を物語っていた。

時は流れて、自身のネクタイがさまになるころ、息子が成人を迎える父親も多いだろう。
僕には結び方を教える息子はいないが、結び目を三角に整えると気が引き締まる気がする。
それにスーツのサイズは変わっても、流行や奇抜でなければ後々左右されるものではないからね。
女は何かがきっかけで髪型を変えるように、男も何かがきっかけでなんとなく変えたくなるときもあるが断じて異性問題や内省的なことではない。

こうして、久し振りにネクタイを着用しているが、その「なんとなく」に気持ちが表れたりするものだ。
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