2013年12月31日

2014 睦月

【1月定休日】   
年始は3日より営業致します  
     5日(日) 13日(月) 19日(日) 26日(日)
     (12日(日)通常営業)
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日   日曜日 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5〜7名)

昨晩、今年最後のお客を見送ったのが、日付の変わった31日の深夜3時5分。
棚卸は先送りにして、あとかたづけも終わり、火元の確認と戸締りも完了。
2013年の営業は4時10分、無事に終了した。

大方、年の瀬に願うことは、「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」というところか。
僕の世代になると、これからどうしても避けては通れないことがおきてくる。
近親者からの喪中、行事でいえば葬儀だ。
唐突な連絡もあれば、余命の噂も耳にすることもある。

別れには美学がある。
心の整理をしながら、覚悟をもってきたるべき日に備える。
生前に会うことで、後に本人の遺志を汲むこともあるだろう。

7年前、親戚の伯母を見舞いに行った時には、風前の灯だったので会話ができなかった。
だけど数日前、近親者には僕宛にメッセージをつぶやいていたという。
それは日常の小言であり、伯母にとって僕はいつまでも子どもであることに涙した。
華やかに見送ってほしい、葬儀は盛大に頼むなんてことは言わない。
ドラマで描かれるような、別れの場面はどこにもない。
つまり、人は死ぬときは自分ひとりを自覚した気がする。

順番からすれば、人を見送ることが多くなる。
年明けの歓び以上、これからはおちつきを要することになるだろう。

年頭祈願 胸中は「無」である。
 
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2013年12月30日

お肉屋さん

場所は教えない…

新潟の下町(しもまち)に、親子3人で営んでいる、小さなお肉屋さんがある。
その焼鳥は肉質が上品な上、火の通し方も上手く、価格も今どき「一串¥50」の安さ。
小ぶりな若鶏の半身も、全体にパウダーのすりこみがいいから、味が均等にしみている。
鶏の竜田揚げは、脂肪のうまみを含んだ肉汁が、じんわりと口の中に広がる。
ちょっと唾液が出てきたんじゃないか…  でも、教えなーい。

電話で年末年始の休みをたずねたところ、元日意外は通常に営業をするという。
年末年始、世間並みの休日は「9連休」が最も多い。
当店は大晦日と元日、2日までの三連休とし、3日から通常営業する。
お客さんから、ねぎらいの言葉をいただくこともあるが、元日しか休まない店(形態)と比べれば、    今ようやく3日も店を休めるなんて、一年に一度のありがたみを感じる。

個人事業主は営業をしないことには、干上がってしまうから、間延びできないのが商売の基本となる。
店主によっては、営業を生き甲斐にしている人もいれば、根っから商売の好きな人もいるだろう。
それに「平成の大不況」で、休みたいけど営業をせざる得ない、過酷さも現実にあると思う。
9連休に三連休、元日だけの休みをどうとらえるかは個人の自由だが、僕は貧乏性なので少し早めに 店を開け、お客さんと接していたいタイプかもしれない。

でも、元日しか休まない、昔ながらの「お肉屋さん」は、それだけ商売人としての「精神的な誇り」を   持っているんじゃないかと思うわけ。
生業としての「覚悟」とでもいうのかな…
その意味、万代から自転車で柳都大橋を渡ってからも、あっち「クネクネ…」こっち「クネクネ…」しながら買いに行くこだわりと楽しみ方は、下町育ちで身についた僕の文化なのかも知れない。
人に教えたくない理由は、仕事がら決まって夕方近くになるので、売り切れが心配なんだ。

僕が自転車に乗っている姿を見かけて、尾行したとしてもムダな努力である。
変速機を巧みに使い、狭い小路をすり抜けて、追っ手を振り払える土地勘があるからだ… 教えない!
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2013年12月29日

暮れの挨拶

28日 寝覚めのカーテンを開けたら、粉雪がヒラヒラと舞っていた。

今日、帰省ラッシュだったらしい。
「いつもの顔」でありながら、早々に帰省した人もいれば、旅行の準備をしている人もいるだろう。

冬の帰省は、少し神妙な気持ちを抱くもの。
家族や親戚と交流しながらも、年齢的に避けては通れない問題も多くなる。
僕の友人は母ひとり子ひとり、温泉宿で一緒に過ごすなど、しみじみ親孝行を意識して生きている。

店を始めてから、夫婦で旅行へ出かける暇がなくなった。
友人とも以前のように、自由気ままなつきあいも物理的に難しい。
そこには相変わらず、頑とした毎日があるだけ。

客と恋愛に堕ちたこともない。
既婚ながら、恋愛などする時間や余力もなくなる。
甘い夢を見ていられるのも若いうちである。

カウンターを挟んだ内側の空間には、僕の公的(仕事)な時間が流れている。
方や、外側の空間では、お客の私的(プライベート)な時間が流れている。
おたがい、同じテンションで交わることはない。
気安く交わってしまえば、それはもう看板を出してはならない店となる。
誰彼と区別なくつきあおうとすると、結局は誰とも友だちにはなれないのと同じこと。
おたがい一定の距離を保つなど、思慮が必要な職業でもあるんだ。

今晩、多くのお客さんがお見えになり、とても嬉しかった。
深いつながりができるまで時間はかかるが、こうして「暮れの挨拶」を気軽に交わせる距離感こそが、     この先の関係第一歩だったりする。
その意味では、後ろ姿を見送れるのも、今日29日を含めて今年の営業日もあと2日…

自宅マンション前には、左右に立派な門松が飾られていた…  お正月が来るぞ。
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2013年12月28日

小さな寝息

27日夕方…
「御用納め」と思える新人社員らが、ビールや乾きものをスーパーで買い出す姿を結構見かけた。
きっと終礼後、社内で簡単な慰労会をしてから、夜の街へ繰り出すのであろうか。

午後7時の開店まもなく、近隣のOLが3名でお見えになった。
やっぱり、社内の打上げ後だという。
今日は解放感もあり、店内は少し騒がしくなると思っていたが、意外とおちついた雰囲気が続いた。

年の瀬を騒いで過ごしたい人は、より繁華街へ出歩くであろうが、当店のお客さんはたいていのことは    経験した年齢層が占めるので、いつまでも群れることを潔しとしない。
その姿、賑やかな街中にさして興味を示さず、目的としているところはおちついている様子がわかる。

それでも、今日の街中は賑やかだったようだ。
タクシーを手配すれば、いつもより配送に時間がかかり、運転代行も数時間待ちで、それなりに活況  づいた様子がうかがい知れた。

そろそろ閉店も近づいたころ、某社長がひとりでお見えになった。
いつものシングルモルトを一口つけると、そのまま「小さな寝息」を立ててしまった。
まあ、いいか、安堵感から疲れが出たのだろう…  しばらく、そっと寝かしておいてあげよう。

その間、音を絞った「ブランフォード・マルサリス」を一枚聴かせてもらった…
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2013年12月27日

御用納め

26日夕方、気持ちが透くような冬空だった。
自宅の窓を順に開けていく、妻の行動を尻目に外出するのは、天気のいい日には大掃除をするからだ。

年賀状をポストに投函するとひと安心する。
毎年、差出枚数は少なくなるが、新年の義理がけは欠かさぬようにしてきたつもりである。
特に世話になった年上の人には、電話でも年賀挨拶をするが、受話器ごしの「おー、元気か」のあとが、 ふたりの初笑いとなる。

夜は空模様が一変した。
今の時刻 28時10分…  外は雨風で、天気予報に「雪」マークが出ている。
雪が降るほどの体感的な寒さではないが、冬の天候は変わりやすいからね。

今日27日は、一般的に「御用納め」となる。
単身赴任者でない限り、今夜あたり真っ直ぐ帰宅する人は少ないだろう。
それに最長9日休みに、夕方5時の解放感は特別なものがあるであろう。

だけど自由時間を手にしても、多くの人は「何をして過ごそうか…」意外と思いつかないもの。
漠然と「友人と飲みに行こうかな…」と思っても、結局は連絡をためらって時間を持て余す日が続く。
連絡ひとつできない、自分の優柔不断さに嫌気を覚えながら、気づけば5日の日曜になる。
大まかではあるが、暮れは会社の小さな忘年会、新年は家族と過ごし、3日も過ぎたころになると友人と  新年会など、特別な用事や旅行でも行かない限り、行動なんて似たり寄ったりだと思う。

僕自身、休日はそのときの好奇心に身を預けるが、今決まっているのは柔道部の後輩らと飲むこと。
今のところ、それだけだ…
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2013年12月26日

家族のプライド

家族への愛情が、軽視される世の中になった。

親の悪口を平気で言う、子どもが増えている。
子どもと言っても、形式上は成人しているが。
気の済むまで、親の悪口を言えばいいんだ。
「おめー、何を言い出すんだ…」と思われるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

自分の親なんだから、悪口を言う権利はあるということ。
子どもなんだから、思ったことは言ってもいいんだ。
しかし、親の悪口を赤の他人に言わせたら、絶対にダメなんだ。
声を大にして言いたいのは、ここなの…

その昔、暴走族に加入した若者達は甘やかされて、その多くは親と不仲な関係だった。
夜中につるんでは、親の悪口を言い合って、そのときだけは気分が晴れる。
だけど、仲間の親の悪口には、誰ひとりとして便乗しない。
自分の親には毒づくものの、仲間の親には礼儀正しく接していたんだ。

親がわが子を心配して、夜のたまり場に呼び戻しに来る。
少年は体裁上、反抗はするけど、総長は命令で親と一緒に帰らせる。
自分の親には毒づくけど、仲間の親には礼節を重んじる姿は牧歌的である。
つまり、親を憎んでいる感情ではないんだ。

その感情を知らず、相手の親の悪口に便乗することは、子どものプライドを傷つけたことになる。
それに対して言われるまま黙っていれば、子どもとしてのプライドを放棄したようなもの。
人の親の悪口を言う奴はバカだけど、それを平気で言わせる子どもにも問題があるんだ。
子どもとして、自分の親の悪口を世間に言われることほど、恥ずかしいことはない。
もし友人が「ひどい親でよ…」と愚痴ったとしても、それは親子の問題だから口出しは一切しない。
無責任に他人の家族に割り込む、これほど失礼な会話はないんであってさ。

誰だって、他人に家族の悪口を言われたら、おもしろくないだろう。
そのときは、ボロカスに容赦なく罵倒しまくるか、金的を食らわされても文句は言えないはずだ。

子どもは自分の親なんだから、悪口を言う権利はあると思う。
だけど他人に親の悪口を言わせたら、絆を放棄したことになるから絶対にダメだ。
これが家族への愛情であり、手放してはならない最後のプライドだったりするんだ。

人聞きの悪い、誤解はされたくないので、ここまでの流れを一応整理しておく。
暴走族に興味を示したことはないし、家族のあり方についてもプライドはもっている。

ただ、あまりに「こいつ、ひとりで生きてきたつもりなのか…」と思わせられる若者が多くてね。
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2013年12月25日

休日ふらり(18)

日付は前後して、クリスマスパーティー明け 23日の月曜休日。

今年の大晦日を除けば、最後となる休日になった。
寝覚めのコーヒーは、午後3時20分。
「あー、寝たなあ…」と思いつつ、仕事の動きだけで筋肉痛になる年齢を自覚した。
いつもなら、とっくに外出している時間だが、まだ出かける気力がわかない。
休日だけは「台所休み」にしているので、夜は外食か買出しで済ませる生活。
時の流れに、身を委ねるとはこのこと。

自宅から歩いて5分ほどの、メディアシップ2階にある「四川飯店」へ妻と出かけた。
窓側の席で料理を待つ間、万代橋につながる斜面道路をぼんやり眺めていた。
休日の夜は交通量が少なく、バス停の列や横断歩道を渡る人たちもどこか寂しげに映る。
夜の万代はお世辞にも活気があるとはいえないが、逆にこのおちつきぶりが好きである。
どうやら僕らが最後の客だったようで、9時ラストオーダーが終わると厨房からあとかたづけをする什器の響きが、この日の終わりを告げているようにも聞こえる。

一階のエントランスで、11年ほど前に一緒に仕事をしたことのある、女性と偶然に出会った。
(当時の役職)で、「もう、てっきり、東京に行ったんだと思っていましたよ」と、懐かしく微笑む彼女も今や  36歳ぐらいになったのかな…  
転職した先は10年以上続いているようだから、当時の会社から巣立った意味があったというもの。
妻とも顔見知りなので、3人でしばし立ち話をした後、連絡先は交わさずに離れた午後9時20分。

このあと、当てもなく歩き回ることもせず、暖房の効いた部屋で気まぐれに過ごした最後の休日。
その甲斐あってか、今日クリスマスイブは心身ともに軽く、今年の営業もあと一週間を意識した。
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2013年12月24日

2013 X'mas Party 2

昨晩は高ぶる神経と疲れた体を癒したく、文章を28時40分で打ちとめた。

一夜明け、朝の目覚めは人それぞれ違ったであろう。
その思い、「調子こいた」 「飲みすぎた」 「連絡先を交換すればよかった」だの…
「K子」ちゃんだけは、「あー、また余計なことをしゃべってしまった…」と早朝懺悔したであろうが、これが彼女の人気の秘訣なので心配はいらない。
一番寝覚めが悪かったのは、誰もが知る「奇跡のじゃんけん王」こと、「M沢」さんであろう。
ボトルはさておき、優勝賞金を多くの参加者に振る舞い(タカられ)、おつり200円。
その姿、ひとりでクラブのボックスシートに座り、多くの女性たちに囲まれて豪遊気分。
現金なもので、一瞬で大金を手にし、一瞬で大金を失った「バブル紳士」とはこのこと。
大金を手にすると、昔のお友だちが急に近づいてきたり、そのまた友だちも来たりするケースを再現。
それを「E商法」(巧妙なマネーロンダリング)と名づけた、「Nい」ちゃんに座布団3枚差し上げたい。

新潟13名、東京から3名、男女総勢16名 「GIG クリスマス パーティー」
最年少の「Hみ」ちゃんは、年明けに海外生活へ旅立つという才女。
一番最初に参加を名乗り出てくれた、男性最年少の「Tとう」くん。
静かに雰囲気に寄り添ってくれる「Fシー」くん。
遥か昔、S高校の美人アイドルだった噂の「Y子」さん。
猫好きで笑顔がチャーミングな「Mり」さん。
不思議な「S子」さん、元気な「Mみ」さん、落ち着きの「Yえ」さんは、名づけて「3人娘SMY」
探偵物語の工藤ちゃんに扮した、「Tき」ちゃんには拍手だ。
それに差し入れまでいただいた、ジャズ談議仲間の「N塚」さんと、初来店で緊張気味の「Hと」さん。
変わらない「関口おかず」は、夕方に東京から新潟入りして、始発の新幹線で帰るほどの余裕と忙しさ。
そして、忘れてはならないのが、最初に企画のきっかけと後押しをしてくれた「C−」ちゃん。
そんな手作り感なパーティー、きっと「イニシャル」で、顔ぶれを思いおこしていることでしょうか…

他に参加を希望してくれた人もいたが、何せ手狭な店なので締め切らざる得なかったのが心残りだ。
尚、開店以来、初めて完全な貸切にしたので、それを知らずに足を向けたお客さんがいたら心苦しく、 この場を借りてお詫びを申し上げます。
最後にストレス社会に悩み苦しむ人たちが、ホッと一息つけて、楽になれる場所であれば幸いである。

皆様の温かい眼差しに幸あれ。
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2013年12月23日

2013 X'mas Party

2013年12月22日  2回目となる 「GIG クリスマスパーティー」
去年とは、やや顔ぶれも変わり、ずいぶん個性ある参加者で満席となった。

特徴的なのは、「元気ある明るい独身」が多かったこと。
そんな自立した大人でも、誰もいない部屋に帰宅するのは、寂しいときがある。
また、こういう日だから、せっかちで飽きっぽい人も、長尻になるのは皆一緒。
腰を落ちつけられる場所になっていれば、僕自身がお客さんへの義理も立つ。

今夜、少し高ぶる神経を鎮めたいので、早めにベッドにつくことにした、今の時刻は「28時40分」
この続きは、後日談で…   zzzzzzzz

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2013年12月22日

Yoshiko Kishino (P)

最近、素敵なアルバムを耳にしている。

僕は 「キース・ジャレット」 「ビル・エヴァンス」 のような 「リリカル志向」 である。
反面 「マル・ウォルドロン」のような、男の哀愁が漂う、オリジナルタッチも好きだ。
最近では 「マッコイ・タイナー」のコルトレーン・スピリットを再認識し、70年代あたりまでのアルバムを積極的に聴いている。

時々のテイストながら、「ジャズピアノを聴きたい」 と思うと、キースを引っ張り出すことが多い。
エヴァンス同様、リリカルさに加えて、一瞬の 「イマジネーション」 が最高に素晴らしい。
現役の日本人ピアニストでは、リリカルさを認められるタイプはそう多くはない。
「それらしいんだけど、ちょっと違うかな」 と思うのはあるけど。

そこで 「テンダネス」 (00) 木住野佳子(P)
普段は自宅でジャズはあまり聴かないけど、美しくてシンプルなこのアルバムは聴いている。
ジャズに限らず、クラシックやポピュラーが好きな人には、絶対にお薦めしたいアルバム。
内省的になりすぎず、人を包み込む温かさを感じるのが、彼女のピアノタッチなんだ。
ジャズの中にも、クラシックやゴスペルが存在していたり、どこか祈りのような哀愁味を感じる。
それにストリングスが、全体を澄み切った空気にしてくれ、疲れた心を癒してくれる優しさが大きな魅力。

今の時季、気持ち欲しがる女性にプレゼントするのなら、この一枚がいい!
(たまにゃ、わしもこういうことを書く)

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2013年12月20日

年末の景況感

タクシーの後部座席に備付の朝刊一面に、「東京都知事の辞任表明」が大きく見出しになっていた。
東京五輪の誘致に名を馳せながら、去り際なんてそんなものであろう。

片道10分を要する往復の車内で、乗務員と世間話をして過ごしていた。
去年は選挙戦が終わったころから、繁華街が大きく動き出したらしいが、今年はやや緩やかだという。
何でも、今は新潟市よりも燕三条のような「ものづくり」を生業としている地域や企業の方が好調らしく、景況感にばらつきがあるらしい。
特に零細企業など、ここ何年もの間は倒産の危機に見まわれたり、リストラを敢行せねばならぬほどの経営状態に瀕していたわけだから、それはもう断腸な思いだったであろう。
それがアベノミクスの効果も得て、ひとまず局面は耐え忍ぶことはできた。
効果は限られた業種業態、まだ地域の一部でしかないが、これまでがこれまで我慢の限界だったから今ぐらいは押し出しよく楽しみたいんだと思う。

底冷え感は通り抜けたと思える。
だけど若干景気のいい業種、景気に大きく左右されない人たちが、将来の不安から資本を回さないから景況感を実感できないのも現実だ。
僕自身、夕方のタクシーから眺める、中央区の人通りや交通量を見てもどこか迫力がない気がする。
やはり、この時季は交通渋滞が起きるぐらいじゃないと、年末の慌しさを感じられないもの。

個人事業主であれば、理屈と現実の「ギャップ」に敏感となる。
景気は人や街を変え、社会も変えてしまい、広くは国までも変えてしまうんだからね。

報道で知る景気は自己判断だが、本当の「景気ウォッチャー」は、閉店間際の買物客だったりする。
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2013年12月19日

Paper Doll

某中古CD店のBGMから、ミディアムスローなリズムにギターの軽快なカッティングが鳴り響き、     山下達郎の伸びのある歌声がかぶさってきた。
演奏の自由度が高いので「ライヴ音源」だろうが、その楽曲は聴いた記憶だけがある。
だが、そっちの系統は知識に乏しく、いつのころのなんていう曲なのかもわからない。
ただ、しばらく聴きいれるほど、親しみやすかった曲だった。

ジャンル違いのCD(ジャズ)を会計しながら、見るからに年齢が近そうな店員さんにこうたずねた。
「この曲の3曲ほど前のタイトルわかりますか…」と。
特殊な音源でリストがなく、即時に出てこない様子なので、最初の出だしを歌って伝えた。
「いつまでも 一緒だと ささやいた…」 ここでいったん歌を切る。
だが、「もう少し聴かせてもらえませんか」と、聞き返される始末。
さすがに恥かしくなり、「勘弁してくれー」と笑って、そそくさと店を後にした次第である。

自宅のパソコンで、うろ覚えの歌詞を検索したところ、「Paper Doll」という古い楽曲だった。
ライヴ音源よりも、アレンジが地味すぎたけど、確かにこの曲である。
それにシンプルながら、メロディーとリズムがしっかりしているから、色あせていない。
そんな、山下達郎の楽曲に再燃させられた。

今でも、アルバム「メロディーズ」は名盤だと思うし、シングルでは「あまく危険な香り」が好きだ。
もっとさかのぼれば、「Paper Doll」のような、聴いてないだけのいい楽曲もあるだろう。
個人的には熱量を込めた楽曲よりも、ミディアムスローで大きな抑揚もなく、リラックスしているのか、  気怠いのかわからない感じのほうが聴きやすいんだけどね。

こんな形で「山下達郎」を書くとは思わなかったけど、あらためてポピュラーの完成度が高いと思う。
新潟ではコンサートチケットが、手に入れにくいほどの人気だと聞くけど、まあ納得だよな…

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2013年12月18日

架空の予定

世の中、イベントの多くは「カップル」を中心に企画されている。

クリスマスを中心に、バレンタインデーやホワイトデー、告白企画が目白押しとなってくる。
まったく現金なモンで、好きかどうかわからない相手とディナーをしてプレゼントを交換して、おまけに  ヘンテコリンなエッチまでしちゃったりする…   なんて日だ!

僕は、クリスマスにそんな経験をしたことはない。
だいたい、何でその日だけは、ふたりじゃないとダメなんだよ。 (ひがみ半分)
40歳も過ぎた頃になれば、形式に軽く触れながらの「社交パーティー」となる。
性はおちついてるし、ふたりの気分だけにひたらず、形を決めないところに男女の余裕があるんだから、  逆にいい出会いも増えて紹介に結びついてくるもんだ。
若い内はふたりでこもるのが楽しいけど、男の仲間はしらけているからね。

飲食店の遅番にかかる従業員は、クリスマスに休日願いを出しがちだから、就労シフトもままならん。
大型の飲食店であれば、それこそシフトで回しているんだから大変だと思うよ。
ひどいのになると、予定もないのに「架空の予定を作る」従業員もいるからね。
そういう日に仕事をしている女性は、男からするとホンノリ気になってしまうんだよな… これが!

正解とも間違いともつかないが、クリスマスだからといって、何も二人きりでいることもないだろう。
それにお相手がいなくても、部屋でネガティブな感情に支配されず、満面な笑顔で街へくりだすべし。
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2013年12月17日

秘密の画像

近年、ふられた腹いせに元交際相手の男が、女の裸の画像をネット上に投稿する「復讐ポルノ」が、  若者を中心に深刻化しているらしく、想定される問題に規制が追いついていないのが現状らしい。
それに対し、政府は法整備を視野に通常国会で、名誉毀損罪で立件できるよう動いているという。

硬い書き出しはここまで。
東京在住時、会社に男女の「秘め事の写真」が、特定者に郵送されてきたことがあった。
このケースで、裸の写真を公開されたのは会社の部下(男)で、送り主は驚くなかれ交際中の彼女だ。
本人の動揺も大きいことから、会社と警察で内密に解決をしたが、何とも後味の悪い出来事だった。
彼に対する彼女の願望が、捻じ曲がった嫉妬や妄想を生み出し、征服欲が常軌を逸してしまったこと。

恋愛の最高潮に秘め事の画像を撮りたがる男女がいる。
マニアカップルならいいが、健全な恋愛に至っては、その画像が恐怖のはじまりになる場合もある。
当時、表沙汰にはなりにくい事象ながら、今では隠し撮りも含めて明け透けな画像が溢れかえっているどころか、丁寧にも保存されているという。
赤裸々なメールや秘密の画像が満載のスマホを紛失して、もし拾ったり盗んだ相手が相手であれば、日常生活が急変する怖さもあるわけだ。
それに何で、きわどさを画像に収めたがるのか考えると、セックスが幼い以外他ならないからだろう。

会社に朝、いい年齢なのに首筋へキスマークをつけて出勤してくる男がいた。
本人は愛の証しのつもりのようだが、周囲からは陰でバカにされているわけだ。
その仲がエスカレートすれば、「裸の写真館」のようなことに発展する可能性もある。

大人の男女であれば、興味本位な真似は絶対にしない。
年齢を重ねていけば、証拠は残さないようにするし、それがエチケットだったりもする。
恋愛は口が固いことが前提で、情事を画像にしてしまったら、危険な橋を渡っているもの。
そのときは、自分には相手を見る目がなかったのだと思うしかない。
決定的なことは、「愛されていなかった」という事実。

もし、そんな画像を保存していたとしてだよ…
ふたりの関係が不安定となり、冷静さを欠いてくれば、普段とは違う男女の一面が出ることもありえる。
有頂天な恋愛をしたときほど、その反動で別れも壮絶である。
結果、何ごともなかったとしても、普通の人でも画像を投稿できる世の中になったんだ。
まあ、根源的に男誰しも、そういう画像を見ることは楽しい。
だけど、性にモノサシを持たず、安易に秘め事の画像を保存なんかして、後々誤解を生むようなことは   避けたほうがよさそうに思う。

日常生活で顔面蒼白な失敗は、財布を落すことより、秘密の画像を見られることだろう… 怖いね。
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2013年12月16日

ステータス

僕らの世代、ウイスキーのボトルキープに、自分(たち)への 「ステータス」 があった。

今は価値観も変わり、キープは盛んじゃないけど、それなりにこだわりのある人もいる。
前に 「ボトルキープに父性を感じる」 と記したが、今回はボトルを介した 「仲間意識」 について。

若い頃、仲間とスナックバーへ飲みに行くと、割り勘でボトルキープすることがあった。
当時 「I.W.ハーパー」 は高かったので、最初はもっぱら 「リザーブ」 ばかりだった。
それは、「また、一緒に飲もうぜ」 という、仲間宣言みたいなものである。
タグの代表名は、店と所縁のある男としておき、誰が来ても気軽に飲めるようにしていた。
その代わり、空にしたら次の仲間のために入れておくのがルールだけど、そこがかけひきとなる。

ボトルが空きそうになると、どこかソワソワしはじめる。
「ニューボトル」 を入れておくか、次の仲間が入れるように 「ワンフィンガー」 残して消えるか。
店の保管スペースを考えれば、中途半端に残しておくのは、これも粋じゃない。
「次回、用意しておいて」ぐらいならまだカッコイイけど、店が仕入れを現金化することまで考えれば、  あんまり引き伸ばしておくのは失礼にあたるので、その場繕いなことも言えない。
この場合、ボトルを入れる入れないよりも、スマートに対処できるかなんだと思う。

老舗店へ行くと、ボトルが会社や個人の名前で何本も繰越されていたり、タグだけが薄汚れていたり   するのは、どこかでつながっていたい関係の表れである。
最初は3人で仲良く入れたのに、数年後にはひとりの名前になっていたりする。
けんか別れでもしたのか、以後は誰も手をつけないボトルもある。
中には突然転勤が決まり、「残りはあの人の名前に変えておいて」と残し、二度と会えない人もいる。
そのときは、解散したころなんだと思える。

ボトルキープは盛んじゃないけど、仲間意識の象徴 (ステータス) みたいなものだった。
そのくせ、別行動で仲間がボトルを飲んでたりすると、「あの野郎、俺のいない間に…」とつぶやくが、  親しさ代わりの 「あの野郎」 なんだから、憎まれ口でも男の関係はカラッとしている。

多くの店は焼酎キープが主流となっているが、店主として迎合したくないね。
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2013年12月14日

冬の鯉のぼり

まあ、こう冷え込みが増してくると、「ホットウイスキー」で体を温めたくなる。

バーボンに、沸騰させたお湯を注ぐ。
凍えた両手をグラスで温めながら、しばらく湯気をボンヤリとながめる。
グラスにすぼめた唇をあて、最初のひとくちをゆっくりと喉へ流し込む。
全身に熱さがしみわたり、バーボン特有のコクと香りが立ち込めてくる。
きっと、今日一日が終わりに近づいていることを、実感できるであろう。

最近、ボトルキープの繰越も増えてきた。
仕事帰りに体を温めてから、適当に帰宅するお客さんも見受けられる。
誰かと待ち合わせて、ひとまず体を温めながら連れを待つ男性客。
扉のチャイムが鳴ると白い息をはきながら、「ゴメンね」とひと声かけてから、隣の席へ座る女性客。
そんな「トレンチコート」と「ハーフコート」が、壁際のハンガーでも、そっと寄り添っているふたり。

これからの時季…
ハンガーには真冬の厳しさを感じる、温かいコートと色とりどりのマフラーがならぶことであろうか。

「冬の鯉のぼり」とは、このことである。

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2013年12月13日

飲みに行こうぜ

テレビ番組「未来に伝えたい言葉」をテーマに、有数な著名人が「命について」質問に答えていた。

その問いは、「人生に絶望して、自殺を考えている若者にかける言葉」
「若者」の部分を「友人」に置き換えて、僕自身の言葉を探ったが、何の言葉も思い浮かばない。
最初の20分(録画)ほどで飽きてしまい、そのままベッドについたが、しばらく問いを考えていた。
「がんばれ」「負けるな」「考え直せ」… 自殺を前にした友人に、かけられる言葉はあるだろうか。

僕は自殺をしないための言葉を、自分自身に向けておくことのほうが、健全なんじゃないかと思うわけ。
言葉に限らず、行動とか趣味に生きるとか、今思いついたことをサッと書き並べてみると…
積極的に外出をする。
気軽に人と会話をする。
楽しく人と食事をする。
好きな音楽を聴く。
勉強の時間を作る。
仕事は楽しくする。
家族を大切にする。
友人を気にかける。
恋愛心を忘れない。
全てが普通のことであり、行動学や趣味、人間関係を気にかけるなど、当たり前のことだったりする。
僕自身、この中のひとつでも残されていたら、死を考えることはないだろう。
仮に、どんなに借金をしてようが、金に命まで奪われることは絶対ないんだ。
だから、金で自ら命を絶つことは、あまりにも悲しすぎる。

窮地に追い込まれている人からすれば、「きれいごと」と思われるだろう。
だけど、人にかける言葉はきれいごとしか言えないのも現実だから、逆に何も言えなかったりするんだ。
個人的には人からの言葉に甘えるぐらいなら、自分に向けた言葉に生きたほうが悔いのない気がする。

それでも、自殺を考えている友人にかける言葉があるとしたら…  僕なら、「飲みに行こうぜ!」
誘いの言葉に勝る言葉はないと思うし、そのひとことで大半の人は思いとどまるんじゃないかな。

人間関係なんて、そんなもんだと思う。
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2013年12月12日

愛嬌と笑顔

悪天候な11日…
妻は今年最後となる「月一会」を友人らと楽しんできた。
早速「おいしかった…」と聞くと、女性店員の態度が刺々しく、せっかくのおいしさが半減した様子。

僕は基本的にどこへ出かけようと、サービスの類は期待しない性質である。
それでも女性店員には気を遣うほうだと思うが、気まぐれタイプは放っておくことにしている。

気まぐれはわがまま。
その背景には、間違いは間違いだと指摘されず、育てられたことが影響していると思える。
店に若くて可愛い子が入れば、お客さんの視線はおろか、男の店員も仕事で気を引こうとするもの。
即座なカンフル剤にはなるが、これがいいほうにも悪いほうにも左右してしまう。

ちやほやされてきた子ほど、感情の抑揚が強すぎて手荒な接客が目立つ。
さっきまでの笑顔が一変し、今度は何もしゃべらずに怒っていたり、理由は本人にしかわからない。
女性を雇用した経験があれば、多かれ少なかれ似たようなことはあったであろう。
時には、ひたすら自分のわがままだけを主張されたことなど、きっとあるはずだ。

ある休日、Mさんと新潟駅前の居酒屋で過ごすことにした。
暖簾をくぐると女性店員に迎えられ、卓上コンロのあるテーブル席に案内された。
店員はマニュアル通りの要領で、コンロのレバーをひねるがなかなか着火しない。

そこで考えられることは3つ。
カセットボンベのガスが足りないか、着火装置に不具合が生じたか、着火の仕方がまずいのか。
そのうち着火しないことにイラ立ち、今の今までの笑顔が消えて、しまいに真顔から怒りの形相と化し、「何これ…」「もう何なの…」とか、つぶやき出した。
Mさんと笑って和ませたけど、マニュアル外の小さな不測に取り乱すところが、今の若者を物語る。
客として、小さいことにいちいち怒らないが、それが仕事関係なら不思議な喜怒哀楽に包まれるだろう。

つまり、余裕のないところが不器用に思える。
マニュアルは特殊な技術がなくても、誰もが均等なサービスを提供できる優れもの。
だけど不測の場面において、女性だから許されるのが、「愛嬌」と「笑顔」である。
その2つさえわかっていれば、だいたいのことは乗り切れる。
当然、その場合のマニュアルは、二の次になるんであってさ。

それを見事に実践しているのが、某スーパーの女性店員。
よーし、明日もレジ袋を持参して会いに…  じゃなくて、買物へいくぜ。
最後のほうになって、わしゃ、何を言っているんだろうね…
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2013年12月11日

おぼろ豆腐

10日 ユニット名「のいひろし」さんから、名水栃尾の「おぼろ豆腐」を差し入れていただいた。
何でも、車で豆腐を買いに出かけたほどのこだわりようである。

豆腐には、和の精神がある。
献立次第では主役になれるが、脇役に本筋があると思える。
何色にもそまらない純白さ。
すぐに崩れてしまうもろさ。
箸を入れるときは、赤子の柔肌に触れるように、自然と指先が繊細になる。

食べなれた食卓の定番なんだけど、なかなか舌に記憶が残らないのも豆腐。
昔から一途で真面目だが、近年は脇役に徹するのに焦りを覚えたのか、豆腐が主張するようになった。
食品スーパーへ行くと、いろんな豆腐のパッケージを目にする。
「男前なんちゃら」 「風のジョニーどうたら」など、男ぶった商品名にしても豆腐は豆腐である。
マーケティングもわかるが、パッケージも中身も少し「あたりまえの豆腐」を食べたい。

風情ある和の精神に、愛想を振りまく風潮はあまり好きになれない。
単純に「美味ければ文句ないだろう」だが、ちょっと違うんだよな。
豆腐には、安易な流行や流通に乗らない、孤高さがあるんだ。

昭和の新潟下町(しもまち)では、夕方になるとラッパを吹きながら、行商してたおやじさんがいた。
朝早く起きて、あかぎれした手を冷たい水に浸し、夫婦でこしらえているような生活力を感じたんだ。
そんな手作りには最小限の薬味だけ使い、素材そのものを賞味するのが最良であろう。

「おぼろ豆腐」の外見は、「木綿豆腐」や「絹ごし豆腐」などの端正な形とは少し異なる。
その見た目は優等生でないが、中身(工程)の素朴さに、硬派な魅力を感じてしまう。
つまり、迎合しないパッケージこそ、豆腐として本来のかっこよさがあるのだ。
その味、口の中で広がる苦味に濃厚さがあり、薬味など必要ないのがおぼろ豆腐。
こういうのが、「本物志向」なんじゃないかと思うけどね。

のいひろしさん… 本日はごちそうさまでした。
次回は、ふわふわで少し甘味な「厚焼き玉子」の差し入れをお待ち申し上げます。 (笑)
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2013年12月09日

銭湯の人情論

小学生のころ、家に風呂があるのに、どうして銭湯へ行きたがるのか不思議がられていた。

本当の理由は「誰か友だちいるかな」程度の好奇心と、夜に外出できる口実だった。
あのころであれば、友だちと遊ぶにしてもせいぜい夕方まで。
夜に会える場所は、銭湯か道場ぐらいで、離れ際の合言葉は「今日、銭湯いく…?」

そのころ、家風呂のない家庭も多く、銭湯には遊びに行く感覚だった。
湯船のふちに腰かけて足湯をしながら、ダラダラとしゃべりながら時間を過ごす。
会話に飽きると、ようやく体を洗い始め、カラスの行水で脱衣所に戻る。
ラムネのビー玉を舌でビンに押し戻しながら、名残惜しむようにチンタラと服を着出す。

銭湯の暖簾をくぐるときは、期待と不安が入り交じっていた。
下駄箱にサンダルを預けて、服を籐のカゴに入れて、曇りがかったガラス戸を開ける。
そこに友だちがいたり、親しみあるおじさんがいたり、「おー」なんか言いながら近寄る。
時には会いたくない上級生がいたり、墨を入れたおやじがいたりと、意図しない人とも出会う。

教育上、新潟の下町(しもまち)の子どもには、これがよかったんだ!
好きな人としか会わなかったら、苦手な人と会ったときの、間合いがわからなかったであろう。
年上への礼儀、年下には優しくするとか、簡単な挨拶の交わしかたなど、銭湯は学びやだった。

今は、簡単な挨拶ひとつできない人が多い。
銭湯に限らないが、情操的な場所に行かなかったから、間合いがわからない。
バスの中では、おばあさんに席の譲り方がわからないから、寝たふりするのと同じことでさ。
それで優しさなんちゃら、いっぱしなことを言っているんだから、もうちゃんちゃらおかしいわけよ。

自然と相手に失礼にあたらないように、銭湯で公衆作法を覚えていった。
年長者や先輩にあたる人には、こちらから簡単な挨拶を済ませて、やるべきことは先にやっておく。
評判の悪い男ほど、そのあたりまえができないから、男から相手にされなくなる。
さっきのバスの話と一緒で、寝たふりしている間に人望も損なわれているもの。

銭湯で学んだことは人情論。
雰囲気には緊張したけど、無防備な裸でいるときは、不思議といざこざは起きない。
湯に浸かって、体を温めて、あとは寝るだけなのに、誰が好んでトラブルを起こそうものか。
不思議なもんで、銭湯で出会った上級生と学校でケンカにならないのは、おたがいに裸を見せ合った  テレがあるせいか、無言の連帯感ができている。
「おまえの家、風呂がないのか。おれの家もないから、まあ、仲良くしようぜ…」 こんな感じだ (笑)

銭湯は人の心の奥まで、和ませてくれるんだよね。
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