2013年11月16日

柳都中学校

ここまでブログを書いていれば、僕が育った地域は特定されているだろう。

柳都大橋を古町方向に下り、右手を奥に奥に進んでいくと、新潟の下町(しもまち)に迷い込む。
慣れないと方向を見失いそうな、袋小路の多い地域である。

新潟島の最北端にある母校の舟栄中学は、来年は二葉中学と合併して柳都中学に校章が変わる。
舟栄の校舎を使うようだが、下町文化を象徴していた母校も、少子化にはお手上げということだ。

今も昭和のたたずまいを残している、当時の下町の雰囲気を語ってみたい。

下町のランドマークに、新潟鉄工がある。
小学生のころ、夕方五時に響き渡る新潟鉄工のサイレンを時報代わりに遊びに歯止めを利かせた。
時報と同時に、浅黒い顔の屈強な作業員たちが、大勢して正門から出てくるような町だ。
そんな下町の銭湯は作業員たちに占領され、そこで子どもたちは銭湯のルールを教わる。

夜にもなるとラジオの野球中継、ネコの鳴き声など、木造住宅から庶民的な音がもれてくる。
台所に裸電球が灯り、すりガラスごしには決まって、「ママレモン」のシルエットが浮かび上がる。
もしかしたら、「小路から、妖怪が出るんじゃないか…」と思える、隠し味があるのが下町なんだ。

大きな特徴は、海や川、防波堤や防風林が近いこと。
よく友だちと防波堤に腰かけて、信濃川の河口をゆっくりと横切っていく佐渡汽船をのんびり見ながら、「努力を考えない将来の夢」を語っていたものだ。
未熟な自我の中にも、これから経験するであろう出来事に、無意識な憧れを抱いていたんだと思う。

裕福な地域じゃなかったけど、人とのつながりがあり暮らしやすかった。
だけど、素行の悪い連中も多い町で、喧嘩っ早い地域でもあった。
僕は東京からの転校生だったので、その空気をなんとなく嗅ぎ取ったんだと思う。
小学2年生から、町の道場(柔道)へ入門したのも、子ども心に防衛本能が働いたのかも知れない。

それでも町全体が牧歌的で、不思議とまとまっていた雰囲気があった。
そんな活気に溢れていた下町の風景は、今になれば懐かしくも名残惜しいのだが、以前からあった  価値観を次世代につなげようとしているのは健在である。
学校名が変わろうが、校区が統合されようが同じこと。
地域が一体となり高齢化社会を見守っている、舟栄中学の生徒の活動は新聞報道でも知るところだ。

たまに潮風吹く下町に身を置いていると、自然と新潟弁になることが何よりも下町に住んでいた証し。
今は万代に住居を構えているが、いつまでも「下町の少年気質」は抜けないようだ。
卒業以来、改装した校舎すら見たことがないけど「柳都中学校」か…  わかりやすい校名でいいよ。

34年ぶりに、校門へ続くあの緩やかな上り坂を自転車で登ってみようかな…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする