2013年11月30日

2013 December

【12月定休日】  
    1日(日) 8日(日) 15日(日) 23日(月) 31日(大晦日)
     (22日(日)一部貸切営業 29日(日)通常営業 年始は3日(金)から通常営業致します)

 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日   日曜日 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)

Tさんから、「クリスマスシーズンに合う、ジャズは何ですかね…」と聞かれた。
ご本人は特にジャズが詳しいわけでもなく、たまには違ったフレーバーが欲しいんだと思われる。

「Love Theme From Spartacus」 (スパルタカス 愛のテーマ)を推薦した。

シンプルなノートの繰り返しながら、どこかノスタルジックで親しみやすいメロディー。
ゆっくり弾いても、軽快に弾いても、美しく聴こえるアレンジにしてあるし、口ずさみやすいので、      ジャズを聴かない人の耳にも届くんじゃないかな。
個人的には「シンプルの中の美しさ」を、もう少し生かしてもいいような気がするんだけど、あくまでも、 僕の感想からすればそうなるだけ…
それよりも、シンプルで哀愁溢れるメロディーがとても印象的で、インストゥルメンタルだからこそできる表現方法かもしれない。

クリスマスの感情抜きでも心地よい曲だと思うし、何よりも自分自身が好きな曲には違いないからね。   
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2013年11月29日

Nickname

ニックネーム、ありますか…

バーの店主は「マスター」、もしくは「さん」づけで、呼ばれることが多い。
お客さんは「お客さん」だけど、次第に親しみをこめて「さん」づけになる。
ほどほどの関係にもなれば、「ちゃん」や「ニックネーム」に変わることもある。
愛称で通用するのは、これ意外にも人気者の証しだったりするからね。

お客さんを「会社の役職名」で、お呼びすることはない。
敬称とはいえ、私生活の空間だし、肩で風を切ろうとも、いずれ必ず終わりがくるのが役職だ。
呼び名が変わることがない「さん」の素顔で、大切な時間を過ごしてもらいたいのが情である。
会社の役職に依存した、崇拝主義な人を遠慮したいのは、人相がゆがんで性格が屈折してるから。

バーで過ごせる人は、それなりの個人力もある。
金を払えば何をしてもいい、値段だけでモノを手に入れる考え方の人は、いずれ消えて行く。
社会の中の個人がわかる場所だから、人間関係を使い捨てにするようなタイプは論外なんだ。
伊達や酔狂でこんなことを言っているのではなく、詰まるところそこに行きついてくるんだ。

店主として、苦い表情でお客さんを「…おやじ」とか、「…おっちゃん」などと陰で呼んでいるときもあるが、それこそ悪口ではなくて、裏を返せば親愛感だったりする。
友だち同士が、「あんにゃろう」「こんにゃろう」と言いながらも、楽しくつきあっている感覚と同じ。

小さい店であれば、ウイットに富んだ空間が存在している。
お客さんを慇懃無礼に扱ったり、金額の大小や領収証に迎合するような店にはしたくない。
あくまでも、おたがいが今の証言者であり、先々の伴奏者になるかもしれないんだからね。

まだ、会社勤めをしているころ、行きつけの店があった。
店主はもとから「誰かいるかな…」の気持ちで、深夜にほど近いころに扉を開けていた。
呼び名は「お客さん」から、しばらくして本名に「さん」がついた。
いつのまにか、他のお客さんからは「ちゃん」づけで、呼ばれるようになっていた。
しまいには、仕事や私生活の会話に至るまで、気心が通じ合ってきた。
共感したり、納得したり、時には不思議に思えたり、同じような悩みがあったりとかさ。
そこでは、会社の役職に擦り寄られたり、誰からも役職で呼ばれるようなこともなかった。

最後は「エッジー」とか、ヘンテコリンな「ニックネーム」を、どこかのOLからつけられたけど、      それはそれで会社では味わえない心地よさがあった。
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2013年11月28日

砂時計

砂場は最初に社交練習したような場所だったと記憶している。

好きな子もいれば、苦手な子もいる。
男の子もいれば、女の子もいる。
初めての子もいれば、遊びなれた子もいる。
砂で作るものも違えば、描くものも違う。
なかよしになれるかもしれないが、いじめられるかもしれない。
でも、少し離れたところから、やさしいお母さんが見ていてくれた。
砂場は成長するための、通過点だったと思う。

大人になれば、静かに見守りあう場所になる。
他人のプライバシーを、何かと詮索しない。
ネガティブな話をせず、ユーモアを解する。
自分勝手に、話題を独占することはしない。
独り善がりでは、誰とも友だちになれない。
こうして、人は消えて行き、残る人はいつまでも残り、また新しい人が入ってくる。
無縁社会にしないためにも、砂場は必要なのである。

ああ、人の「砂時計」を見たようだ…
    
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2013年11月27日

詐欺電話

26日 午前11時30分 自宅の固定電話に「0484…」が表示された。

寝ぼけ眼で受話器を取ると、ひとり暮らしの伯母からで、僕の在宅を確認する電話だった。
何ごとなのか聞いてみると、「オレオレ詐欺」に似た電話が、たった今入ったばかりだという。

話の内容からして、個人を特定した詐欺ではなく、適当な高齢者を手当たり次第に狙った類のようだ。
伯母は賢いので、矛盾を冷静に判断して、折り返し電話をすることで受話器を置いたという。
会話の手口は、肝心な質問には抽象的な言葉で内容を濁し、思わず相手が具体的な名称をもらすと、便乗して会話をこじあけてくるらしい。

何でも「上だよ」(兄弟)とか言って、「長男」(僕)のフリをして、聞き慣れない会計用語を巧みに使い、  切迫した口調を使うらしい。
そんな伯母の説明を聞きながら、まだまだ奇想天外なことがおきていることを実感した。

10年ほど前のことだったかな…
会社に、「将来有望と称されている幹部を対象に…」とかの電話があったので、「有望じゃございませんので、あしからず…」と言って、サッサと切ったことがある。
そのころ、自宅にも身に覚えのない督促状が届いた。
それがおかしくてさ…  どこから個人情報が漏れたのか、ちょっとしたことで特定できたんだ。

昔から、個人情報は(リスト)は金になるとして、管理元(者)が水面下でブラック企業に横流しする   ケースが後を立たない。
小遣い稼ぎに情報を売り、あとは知らん顔するのも、直接的に手をそめてなくても同罪だよな。
それに、詐欺をはたらくほうもはたらくほうだが、疑問を持たずに支払うほうも支払うほうだ。

結局のところ、人が人を判断するモノサシは、自分自身なのであろう…
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2013年11月26日

「屋」さん

小学生のころ、新潟の東堀通りの外れに「模型屋」があった。

ある日、友だちと一緒に5百円にも満たない、チープな模型を買いに出かけた。
すると、どこかの小学生が1万円近くするであろう、高級模型を買っていった。
スーパーカーだったかな、いや戦艦、それともお城だったかは覚えていない。
はっきりと覚えているのは、「本当に作れんかな…」という店主のつぶやき。
そのつぶやきに対して、僕らも「うん、うん…」と共感した覚えがある。

今のように金さえ払えば、調子のいいことを言う風潮ではなく、あのころはよくいえば「売る側にプライド」があったし、悪くいえば「明け透けなおせっかい」も多かった。
それも威張るだけのことはあり、商品に関する知識もともなっていたような気がする。
だけど難があるとすれば、「ありゃ、客商売の態度じゃねえぞ」ってことも多かった。
それも個人商店で「屋」がつくお店に多く…  あっ、ほとんどが「屋」か。

当時は乾物屋に駄菓子屋、魚屋に八百屋など、そこらじゅうが「屋」で個人商店が多数あった。
仕事に威勢があるものの、気分にムラっ気があり、客がこなけりゃ座敷で寝ているような店主。
女房に尻を叩かれながら、渋々と店頭に立ち「いらっしゃーい…」と、やる気のなさそうな声を出す。
お客が帰れば、「せこいババアだ…」とか何とかブツブツ文句を言い、また女房にとがめられる。
ガキながら、そういう現場に居合わせていたから、何か大人の楽屋にいたようであってさ (笑)

陶芸家は自分の作品が気に入らなければ、釜から出して平気でパーンと割ってしまうという。
納得いかないからと割るようなところは、ある意味では「屋」や「家」の特権だったりする。
今は、その「屋」が様変わりして、無個性な店主が多くなった。
客も客で、事務的な大量消費に慣らされているから、井戸端会議らしい会話すらしなくなった。
「屋」とは、商店を通じた喜劇であり、そこではみんなが主役になれる寛容さがあったんだ。

だから「本当に作れるのかな…」なんていう、生のつぶやきが聞けたんだと思う。
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2013年11月25日

下町情緒

昔から、新潟の下町(しもまち)地区では、新しいお店は繁盛しなかった。
まあ、古町に近いこともあったけど、需要と供給が適正規模だったからね。

「下町は人情味があっていいじゃないか…」と言われる。
だけど実際に住んだことのある立場からすると、そのニュアンスは少し異なる。
下町の人情味は義理堅さにあるんだけど、昔から住んでいる者のつながりだけな気もした。
小さい頃から、その店に行っているとか、それに新潟は縁故の強い町である。

当時なら、床屋はここ、八百屋はここ、肉屋はあそこと「行きつけの店」は決まっていた。
たまにデパートや他の店へ買いに行くぐらいで、あくまでも生活の基盤は地元にある。
それに新しいお店へ行くことは、それまでのお店を裏切ることになるから行かない。
行くとしてもこっそりと行くか、人に見られないように順路や時間を変えて行ってたり。
それが下町の気遣いと白々しさだったりするから、逆に新しいお店は繁盛しにく町なんだ。

僕は東京からの転校生だったので、今振り返れば雰囲気の違いを嗅ぎとったかもしれない。
下町の気質は知らない人とはかかわらないとか、簡単な挨拶もできない人は敵とみなす傾向がある。
地域に溶け込めたのも、合わせるべきは合わせ、凛とすべきは凛としていた親の姿だった気もする。
新参者を受け難い町だけど、受け容れてもらえば楽しい町ながら、浸かってはいけない町でもある。
意外に思うだろうが、観光ガイドには載らない下町独特の文化がある。

生活する上でやることをやっておけば、言われもない中小誹謗など気にすることはない。
近所の人間関係が成立しない理由は、礼儀なきことと自分に利益が還元されないからである。
そういう町は何をやってもダメだし、つきあいに強いストレスを感じたら自分は自分でいい。
新参者には冷たいようだけど、最初から歓迎されるなんて思わないほうがいいだろう。
地域で生活する処世術のようだが、どこへ住もうとどこで商売しようが、似たような風潮はある。

その昔、「下町の人は家の玄関に鍵をかけない」と言われたほど、地域には安全さがあった。
しかし、町に人が集まる場所(個人商店)が減ったから、情報交換がなくなり地域もわからなくなる。
また、そういう場所で顔見知りになっていくから、悪さをしたくても悪さができない町作りにもなる。
何か悪さでもしようもんなら、すぐ噂になったし、地域が連携するので犯罪もおきにくかった。
まとわりついた色眼鏡は嫌だったけど、何か事がおきたときは素朴で強い下町だった。

あのころは、最後に頼れるのは自分の力ながら、そこには庶民感覚の心意気が根付いていた。
下町育ちの無視しない気質というか、行動力はどこの地域よりも美徳があったんじゃないかな…
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2013年11月24日

デコツリー

毎年見慣れた、店内のクリスマスツリーに物足りなさを感じた。

手元にあった、「ホリー・コール」のCDジャケットをおもむろにツリーへ飾ってみたら、意外とシャレた  感じになり、女性ジャズシンガーのアルバムを探った。
少量ながら、「エラ・フィッツジェラルド」 「ジェーン・モンハイト」 「ヘレン・ロレン」 「アニタ・ベイカー」 あたりも引っ張り出して飾ってみた。
どこか大人の艶めいた香りがして、この時季はツリーに合ってたりもする。

他にも、トランプ ポストカード 写真なども、ツリーに散りばめてもおもしろいだろう。
僕の趣味だけであれば、イメージ画家 「ルネ・マグリット」のポストカードを飾るけどね。
まあ毎年、決まりきったツリーの装飾をただ眺めていたけど、今年は小さな工夫をしてみた。
だけどデザインやインテリアのセンスはないに等しい男なので、あまり調子に乗らないようにせねば…

ジャケットもいいが、冬は「アニタ・ベイカー」の歌声を聴きたくなる… それにしても、すごい歌唱力だ!
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2013年11月23日

1122

日付は変わったが、11月22日は「いい夫婦の日」だという。

いい夫婦って、具体的にどんな夫婦なのかな。
けんかをしないのがいい夫婦。
趣味が合うのがいい夫婦。
食事の好みが合うのがいい夫婦。
どれも正解のようだが、少し違うような気もする。

夫婦は少し思考が異なる、パートナーのほうがいい。
大の大人が趣味に思考、物の考え方まで同じなんて考えにくい。
自動車教習所であれば、生徒と教官の視点が同じであれば、運転が危なっかしいのと同じである。
それに元々は他人同士なんだから、夫は男の時間を楽しみ、妻は女の時間を楽しめばいいと思う。
その根底は尊敬あってのことで、協力すべきは歩み寄りを惜しまず、強力なパートナーになればいい。

僕ら夫婦は、思考が分散している。
思考が似すぎると、他が見えなくなるんじゃないかな。
もちろん、夫婦の相性は合うに越したことはないけど、合いすぎるもろさもあると思っている。
妻には何度か、視点(見方)という部分で、助けてもらったことがある。
視点は本音であるから、男の思い込みを助けてくれるときもあるんだ。

その考え方には賛否両論あろうが、夫婦生活は異なる視点を持つべきだと思うようになったのは、   それでもここ2〜3年のことで、いまだに「いい夫婦」なんてのはさっぱりわからないのが本音である。
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2013年11月22日

窓辺の灯り

夕方5時、新潟駅南口で郊外バスを降りてから、久し振りに駅の構内を歩いた。

現在、万代口の連絡通路が工事中なので、短い仮通路で迂回していたら、一瞬だが地下鉄の懐かしい光景に迷い込んだ気持ちにさせられた。
きっと機能的な通路になるであろうが、昔のような旅情的な駅の雰囲気は様変わりしていき、どんどん近代化が進んでいくんだろうな。
変わることは怖れに足らずだが、駅の風情は大切にしてもらいたいと思う。

クリスマスの飾りつけも、所々で見かけるようになってきた。
明るい場所では光源が同一化するので、少し暗めな場所のほうがムードがあっていい。
駅構内や街中のイルミネーションもいいが、意外と静かな住宅街で見かける窓辺も良かったりする。
無機質なマンションから、やわらかい明かりが点滅してたりすると、幸せそうな家庭が思い浮かぶ。
人様を羨ましがる気はないが、だれもが温かみを感じるときがあるだろう。

街のイルミネーションから離れた先にある、小さな明かりにやすらぐ色彩感覚。
停電したときのロウソクのように、どこか癒されるものがあるのかもしれない。
その感じ方は本人次第であるが、人をさびしい気分にさせるためではない。
今冬、僕の部屋から見えるマンションの窓辺もそろそろ、ひとつひとつイルミネーションが輝くだろう。

昨晩、手狭な店内に 「クリスマスツリー」をセットした。
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2013年11月21日

大砂嵐

大相撲九州場所千秋楽は、「白鵬」と「日馬富士」の東西横綱対決になりそうだ。
それに大関「稀勢の里」の調子がいいので、優勝争いにからんでくるかもしれない。

大相撲ファンなら、本場所10日目も過ぎれば、高い確率で勝敗を当てられるようになるだろう。
根拠はないが、今場所力士の立ち合いやふみこみ、重心運びや技の切れなど、自然に勝敗にかかわる要素に目が向くからだと思える。
それに、10日間も相撲を見ていれば、調子の良し悪しは何となくわかるもんだしね。

相手にまわしを簡単に切られるようであれば、突き指でもしているのかもしれない。
相手が右足首に負傷箇所をかかえているから、左からの攻めに弱いとか。
今はケガの防止も兼ねて、部位にテーピングをほどこしている力士も多いけど、独特な風習の中で   競い合う格闘技なだけに満身創痍であろう。

相撲はスタミナ勝負よりも、破壊的な瞬発力のほうが重要視される。
毎日が単調な稽古の積み重ねでありながら、軍配が返るその一瞬に全身全霊をかける。
そんな張り詰めた15日間が続くんだから、精神面も強くないとそうそうは勝てない。

今年1年の大相撲を振り返ると、強くなる要素を持ちながら、なかなか番付が上がらない力士にやきもきしたけど、ここにきて「遠藤」や「大砂嵐」のような、スピード出世の力士が現れてきたのが特徴的だ。

「遠藤」は弾力性があり、頭の良さがある。
7日目「千代大龍」との一番では、ひたすら突っ張られても左のまえみつをガッチリと離すことなく、   回転が衰えてきたときに体を入れ換えて、バランスを崩したところなど、定石ながらセンスなんだよな。

問題は「大砂嵐」でさぁー 今場所引退した「阿覧」のように、上半身の力に頼りすぎて乱暴なんだ。
ここまでの相手なら通用するけど、相撲巧者になってくる前頭上位にもなると通用しないだろうな。
それに「売られたケンカを買うタイプ」は、動きが直線的になり脇があいて単調な攻めになるんだ。
ケンカ越しで激情すればするほど、手足の感覚がバラバラになり、勝ち味が縁遠くなってしまう。
仕切りで胆(きも)を据えておかないと、張り手が呼び水になって、相撲じゃなくなるからね。

まだ、胆が据わってないぞ エジプト出身 「うおぉー すな あっらーしいー!」(大砂嵐)
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2013年11月20日

日照時間

僕の生活リズムでは、この時季の日照時間は短すぎる。
しかも、灰色の雲におおわれた日も多く、雨風にも見舞われやすい。

起床時にカーテンを全開にして、陽射しを浴びたいところだ。
しかし、窓の景色に寒さを感じるので、わずかしか開けない。
その上、遮光した部屋に照明を灯すので、昼夜が曖昧に感じる。

それでも、カーテン越の狭い視界から、外出の頃合を見計らう。
だが、予定がなければ外出する気が失せることもあり、まれに時間まで閉じこもっている日もある。
そうなると自宅とお店の暗い夜道の往復だけで終わり、陽を浴びなかったことを今さらながら後悔する。

その意味で買出しも含めて、1日1回 「どこかへ出かける」ことを意識するようにはしている。
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2013年11月19日

おもてなし

18日 雨降る夕方、街中へ日用品を買いに出かけた。

歩きながら、「あの無愛想な店員じゃなければいいが…」などと思いながら、店先で傘の滴を振り払う。
日常の買物は近いのが理由だけで、どこで買おうがそんなに変わりはない。
それでも、こう割り切りながらも、どこか温もりを感じたいのは人の情。

レジ会計は慎重な実務ながら、シンプルな接客の代名詞である。
なので、「接客を通した心のふれあい…」など期待していない。
寧ろ、話かけ次第では、相手に嫌がられてしまうので、TPO通りに振舞うだけ。
だが、その女性店員は、会計で人を下からにらみつけるような接客をする。

きっと誰もが、「過去に悪いことしたかな」と振り返ると思うが、自身に覚えはない。
しばらくして、そのお店を利用している、共通の知人と会話をしていた。
すると何かの会話がきっかけで、周囲の人も「私も」「俺も」の「やっぱり状態」になった。
その人の態度は他人にも及んでいたことから、僕個人に向けた他意ではなさそうである。

そうなると、「なぜ、そういう態度をするのか…」を解明するのが自然な流れ。
ここは何歩か譲って、この人は過去に傍若無人な客から、よっぽどひどいことを言われたのかな。
それとも、こんな仕事(レジ)は、本来の私がするべき仕事ではないとか思っているんだろうか。
どうして、こんなにつっけんどんな態度をとるのか、いよいよ謎は深まるばかりである。

その答えに意味を見出せないが、接客されるのなら、「女性は笑顔と愛嬌、颯爽としていればなおよい」ことにひとまずはおちついた。
このどれかひとつ欠けたとしたら、おたがいが機械的にならざるを得ない。
もちろん客の立場からしても、店から歓迎される、スマートな客になるべきだと思うしね。

そんなレジの店員さんは、新しく入ったと見える若い女性だった。
接客に可もなく不可もなく、その初々しさだけが印象に残る。
目線斜めの名札には、「おもてなし」という流行の標語が印字されていた。
対策を講じねば何のための本部なのか、目に見える行動規範であろうか。
見ている人は、黙っていても見ているものである。

僕はやっぱり、某スーパーのあの人のレジに並びたいな…  あぁ、言葉を交わせないこの片想い!
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2013年11月18日

休日ふらり(17)

日曜 午後1時 起床。

4時に予定があるので、その前に雑用を済ませに出かけた。
このところ、日曜は二週連続で雨に見舞われ、ようやく秋晴の下で休日を過ごせた。

日曜、全て自由になることは少ない。
この年齢になると見過ごせない人間関係もあり、自分の時間を後回しにすることも多くなる。

夕食は知人が東堀に開店した、「タン専門店」で牛タンの味噌焼をいただく。
満席の店内は活気に溢れており、店主の人懐こい笑顔に見送られて店を後にした。

その後の居場所を考えていたら、小雨がポツポツ降りだしてきた… 「また、日曜の雨か」
手荷物の上、傘もないので、一歩後ろの妻に「今日は帰ろうかと…」とつぶやく。
ポケットの小銭を確かめて、本町から万代までの直線2区間をバスで移動した。

久し振りにふたりで過ごした短い休日であった。
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2013年11月17日

酔漢結晶

来月、誕生日をむかえることになる。
出産予定より早く産声を上げたため、未熟児だったらしい。

一般的に妊娠期間は、約十月十日(とつきとおか)といわれる。
逆算すればザックリ、2月あたりにヒットした結晶であろうか。
安心したのは真冬であることから、きちんと布団の中での行為には違いないだろう。

5月〜6月生まれを逆算すると真夏にあたり、今と違い冷房のない時代だ。
真夏の熱帯夜、玉汗を流しながらの行為であれば、こりゃすごいパワーだ。
いや、室内じゃないかもしれない。

夜の浜辺や車中のような、野外行為かもしれんぞ。
おしりを蚊に刺されたり、車窓にいくつもの顔がはりついていたかもしれない。
その出会いは、夏の風物「ナンパ」だったかもしれない。
うーん、そのころの誕生日の人は怪しいぞ。

「おまえは、酔っ払ってしたときの子なんだぞ…」 今もおやじの古典ギャグは健在であろうか。
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2013年11月16日

柳都中学校

ここまでブログを書いていれば、僕が育った地域は特定されているだろう。

柳都大橋を古町方向に下り、右手を奥に奥に進んでいくと、新潟の下町(しもまち)に迷い込む。
慣れないと方向を見失いそうな、袋小路の多い地域である。

新潟島の最北端にある母校の舟栄中学は、来年は二葉中学と合併して柳都中学に校章が変わる。
舟栄の校舎を使うようだが、下町文化を象徴していた母校も、少子化にはお手上げということだ。

今も昭和のたたずまいを残している、当時の下町の雰囲気を語ってみたい。

下町のランドマークに、新潟鉄工がある。
小学生のころ、夕方五時に響き渡る新潟鉄工のサイレンを時報代わりに遊びに歯止めを利かせた。
時報と同時に、浅黒い顔の屈強な作業員たちが、大勢して正門から出てくるような町だ。
そんな下町の銭湯は作業員たちに占領され、そこで子どもたちは銭湯のルールを教わる。

夜にもなるとラジオの野球中継、ネコの鳴き声など、木造住宅から庶民的な音がもれてくる。
台所に裸電球が灯り、すりガラスごしには決まって、「ママレモン」のシルエットが浮かび上がる。
もしかしたら、「小路から、妖怪が出るんじゃないか…」と思える、隠し味があるのが下町なんだ。

大きな特徴は、海や川、防波堤や防風林が近いこと。
よく友だちと防波堤に腰かけて、信濃川の河口をゆっくりと横切っていく佐渡汽船をのんびり見ながら、「努力を考えない将来の夢」を語っていたものだ。
未熟な自我の中にも、これから経験するであろう出来事に、無意識な憧れを抱いていたんだと思う。

裕福な地域じゃなかったけど、人とのつながりがあり暮らしやすかった。
だけど、素行の悪い連中も多い町で、喧嘩っ早い地域でもあった。
僕は東京からの転校生だったので、その空気をなんとなく嗅ぎ取ったんだと思う。
小学2年生から、町の道場(柔道)へ入門したのも、子ども心に防衛本能が働いたのかも知れない。

それでも町全体が牧歌的で、不思議とまとまっていた雰囲気があった。
そんな活気に溢れていた下町の風景は、今になれば懐かしくも名残惜しいのだが、以前からあった  価値観を次世代につなげようとしているのは健在である。
学校名が変わろうが、校区が統合されようが同じこと。
地域が一体となり高齢化社会を見守っている、舟栄中学の生徒の活動は新聞報道でも知るところだ。

たまに潮風吹く下町に身を置いていると、自然と新潟弁になることが何よりも下町に住んでいた証し。
今は万代に住居を構えているが、いつまでも「下町の少年気質」は抜けないようだ。
卒業以来、改装した校舎すら見たことがないけど「柳都中学校」か…  わかりやすい校名でいいよ。

34年ぶりに、校門へ続くあの緩やかな上り坂を自転車で登ってみようかな…
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2013年11月15日

ポケベル時代

20代のころ、「ポケットベル」の普及がめざましかった。

スマホまでの流れを知る世代からすれば、最初の「以心伝心」手段のような気がした。
自宅の留守番電話が赤く点滅していたときの、ワクワクやドキドキとは違うリアル感があった。
腰のベルトに装着したポケベルが、会社員の忙しなさを物語っていた気もする。
ポケベルを持たされたことで、サラリーマンからビジネスマンに変身したような錯覚をしたというか。
人によっては不倫の小道具にして、禁断の恋をしていた男女関係もあった。

ポケベルは基本的に電話(肉声)なので、会話が成立しなければ用を足さない。
会話の的は得ていたし、仕事においても感情確認ができるので対策を立てやすい。
また、「何かあったら、いつでもポケベルを鳴らして…」が、離れ際の合言葉だったと思う。
それはいつでもつながる行動の余裕であり、逃げも隠れもしない対人力だったとも思われる。

それが今の若者になると会話ひとつでも、「何かあったら、メール下さい」だもんな… (笑)
電話で済むようなこともメール扱いされ、「何、このレスポンスの悪さ」と呆れることもある。
メールのほうが確実に思えるが、電話口でメモを取って復唱すりゃいいだけの話でしょ。
女はいいよ… 相手へ嫌味にならない、「身辺ガード」をしてこその女だから。

高校生のころ、女の子の自宅に電話するとき、最初に家族が出る緊張感がある。
とりわけ、父親や兄貴が出たりすればなおさら、無言で電話を切ったりすれば男失格なわけだ。
だから、電話線を介した言葉遣いや礼儀こそ、つないでもらうための通過儀礼になっていたんだ。
そこで失敗すると元も子もないから、緊張かつ慎重になるんであってさ。
若者が結婚の挨拶をしに、婚約者の父親に会うことになったら、これもメールで済ませるのかな?

ポケベル時代まで、会話の向上(コミュニケーション)には役立っていた。
それが僕と年齢がひとまわり違うと、本来は出向いて挨拶しなきゃいけないことまで、なんでもかんでもメールで済ませようとする傾向があるけど、まあ、最近じゃ世代も関係ないか…
人との間合いがヘタだから、礼儀知らずな真似をしていても、非礼だと思ってないから始末が悪い。
固定電話から留守番電話、ポケベルの流れを知る世代だから、もどかしく感じるんだろうね。

だけど若い人からすれば、「そういうのが重いんですよ」と、言われているんだろうな…
えーい、勝手に御託を並べておけである (笑)
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2013年11月14日

Jazz Talk Vol.35

自宅にコンパクトなレコードプレーヤーを買った。
これでLP盤も耳にすることができる。

CD化されてない盤もあるので、休日の楽しみ方も増えたというもの。
扱い方は手間がかかるが、そのぶん味わい深さはよみがえる。

最初にのせたのは、中学生のころに聴いていたLP 「ブルース・トゥ・イースト」 山本剛トリオ。
パチパチするノイズが耳障りだけど、その音にあのころの面影が浮かんでくる。
今のほうが録音技術は断然いいが、聴く集中力は違っていた。
音の奥にまで、耳が届いていたというか…

仮に3分間、目を閉じて聴いていると、目を開けているとき以上に音が聴きとれたりすることがある。
響きのバランスとか、テンポをキープすることや、ソロ以外のパートに驚かされたり。
特にレコードは録音状態があまりよくない分、耳を研ぎ澄ませたことで発見があったりね。
たまには、聴きはじめのころの音に戻ることもいいんだ。

洋服に例えるなら、CDはユニクロのような手軽さに対して、LPは着物めいた趣があるというか。
正装だけでは疲れるし、カジュアルばかりでは、ここ一番でのファッションセンスも怪しくもなる。
今なら、スマホとガラケーの違いだろうが、どちらがいいかは本人のニーズが合えばいいんだしね。

こうして自宅で、ジャズのアナログ盤を聴く時間が増えてきた。  うーん、2枚目はそうだな…
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2013年11月13日

ふじりんご

12日の昼下り、戻りの郊外バスの車窓から、小雨降る新潟市の景色をぼんやりと眺めていた。

灰色の空の下、半裸を前にした街路樹が過ぎて行く。
バスが次第に、街の中心部へと近づくと空と同じ、くすんだビル群が見えてきた。
目的のバス停まであと5つほどだが、外は北風も舞っており、降りる気まで失せてしまう。
5番の整理券と握り締めていた小銭を払い、ステップを降りるとやっぱり肌寒かった。

そのまま地下通路の階段を前列にあわせて右側通行で下ると、ひとりの老女が左側通路の手すりを  慎重に握り締めながら下っていた。
当然、上りの通行人と相対するが、右側通行のルールよりも優先すべきは老女の存在である。

初老のおばさんは、見たことをそのまま口(言葉)にしてしまう単純さがある。
後方のふたり連れのおばさんが、これ聞こえよがしに「右側通行よね…」とつぶやきあっていた。
ルールは間違ってはいないが、「右半身に障がいをかかえているのかな…」とは考えられないかな。

物事の見方という部分ではルールは大切だろうが、ルールにあてはまらないことも折りこんでおかねば常識たるや一面判断と化したら困り者だろう。
そんなことを感じながら、歩幅の合わない万代の地下通路の階段を今度は一段おきにかけ上がると、    さっきまでの小雨がすっかりとあがっていた。

色つやよくて丸まるした、「ふじりんご」がおいしそうだったので思わず2個手にした。
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2013年11月12日

のいひろし

会社だけの所属では、新しい人間関係を築くのは難しい。

そう新たな出会いを望んでないし、望んだとしても仲良くなるまで、人には人の距離感があるからだ。
最近のように、見ず知らずの「ネットの輪」からはじまることもあるだろうが、これもこれで厄介だ。
何せメール文には、利点もあれば難点もある。
難点を言えば、メールは想像が膨らみすぎる。
想像が大きいと、感情がつかみにくくもなる。
その意味では早い話、会うことは楽観につながることだと思う。

僕には忘年会らしい、忘年会はない。
長年、忘年会を催す場所が、仕事場になるからである。
それに深夜3時に店を閉めて、誰とどこへ飲みに出かけるって話でさ。
このあたりは、割り切らないと仕事にならないから、少しだけ辛いところかな。

その代わり、年明けの休日に新年会と称した「静かな顔合わせ」になる。
以前は気まぐれでしか集まらなかったけど、今になれば「たかが集合」である。
その集合が「されど集合」になり、おたがいをささえあっていたりするものだ。
それこそ、年頭祈願みたいなもので、年始の挨拶代わりにもなる。

東京時代、年末年始は故郷「新潟」に、一度も帰省したことはなかった。
長年ひとり暮らしに慣れていたが、それでも正月の三が日だけは寂しさが募るもの。
今はそこが埋まっているんだから、小さな幸せといえば小さい幸せである。

また、一年に一度ぐらいの集合だから良かったりもする。
その日だけは、酔っ払って好き勝手なことを言い合いながら、気づけば親しさが増していたりさ。
その関係にささいな胸の痛みはあったとしても、時が解決していることのほうが多いというもの。
過去を根に持たないことで、視界が広がるようなところもあるからね。
人それぞれのささいは違うけど、会えば自然と笑顔になり、成長した姿とはそういうものだろう。

来年、お客さんらとボーリング大会の後、居酒屋で懇親会を催すことがほぼ決まりつつある。
人数と場所、参加者は未定でありながら、決まっているのは日曜の夜であること。
曜日が物語っているように、言い出しのふたりは本当にいい男なんだ。

彼らの生き方を見ていると、水前寺清子の「365歩のマーチ」が鳴り響いてくる。
「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ」〜 「胸を張って歩こう」… だったかな?
人生の充実を求めて、ズンズンと行進していくところなんて、まるでチーターばりである。

ともに、来年50歳をむかえるコンビの仮名を 「のいひろし」としておく。
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2013年11月11日

相撲の美学

今年の締めくくりとなる、大相撲九州場所がはじまった。
毎晩(朝)、居間で「大相撲ダイジェスト」を土俵正面席(桝席)代わりにして、晩酌と風情を大いに    楽しむことになるだろう。

あらためて、相撲を好きな理由を考えてみた。
自分がやっていたから…  それだけじゃないだろう。
好きな力士がいるとか…  これといっていないんだ。
若貴ブームのときには…  逆に全く興味を示さなかった。
そんな程度なんだけど、琴線に触れているんだから、やっぱり何かあるはずなんだ。
過去、好きな理由を書いた覚えはあるが、庶民的な思い出話の類で土台なる理由が思い当たらない。

あるとすればこれかな…
「変わらない世界」が存在していることかも。
世の中、目まぐるしく変わることのほうが多いから、変わらぬ造詣(ぞうけい)を自然と見直しているとか。

年齢を重ねると、神社やお寺を巡りたくなるという。
趣味も陶芸や書道、俳句や短歌などに、畏敬の念を抱きはじめるともいう。
伝統の重みということでは、歌舞伎や能、落語にも通ずるであろう。

もし、大相撲の所作が変わり、髪型が自由となり、まわしの下にスパッツをはいてもいいようになったら、   僕は相撲から遠ざかるだろう。
大相撲の不文律に、「女性は土俵に上がってはいけない」とされている。
正論は割愛するが、時代的な伝統背景を形式的に残しておくことも、大相撲の歴史に叶うと思える。
個人的に相撲から遠ざかるであろう理由も含めて、触れないでそっとしておくべきこともあるんだ。

相撲が好きな土台は、変わらぬ世界に「相撲の美学」を感じているのかもしれない。
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