2013年10月23日

困惑会見

社会的な事件をおこしたスポーツ選手(著名人)の供述に、「酒に酔って…」の言い訳がある。

酒を提供する立場からすれば、「あー、またか」と腹立たしい言葉になる。
しかも「子どもたちの夢を汚した」と詫びるが、お行儀のいい「お言葉セット」のようでハナにつく。
マスコミの質問の仕方にも、問題はあるとは思うけどさ。

人の才能は、心を豊かにしてくれる。
感動や共感、努力の在りかたを示してくれるからだ。
その意味では、人の心を動かすのは人であろう。

才能は遠い存在にあるもの。
今なら多くの野球少年たちは、楽天の田中投手に憧れを抱いているだろう。
僕らの世代であれば、王や長嶋にあたる。
王や長嶋にはなれないけど、この人の存在を励みにがんばれば、自分の向上になるとか。
加えて大事なのは、身近な存在の才能に触れているかだと思うし、まあ努力でもいいさ。
それは身近な他人を認める潔さでもあり、近くの才能に敏感になるべきだと思う。

僕は野球が下手な少年だった。
ヘタはヘタなりに、上級生の打撃や捕球を見ながら、それなりの格好はつけたものだ。
一流を学ぶことは情操になるけど、身近に「こいつを目指そう」の存在がないと浮き足立ってくる。
だから、人の才能に気づいて反応することが、実力をつけられる近道だったりすると思える。

最近、「置かれた場所で咲きなさい」(だったかな…)、そんないい言葉があるよね。
まずは置かれた場所で咲けないのに、何で夢を世界に向けているんだという話であってさ。

元スポーツ選手は、「子どもたちの夢を汚した」と紋切型な謝罪をした。
冷たいようだけど、子どもはその選手のことはそんなに見てないと思う。
交流のない選手に、情緒的になれるはずがないでしょ。
そのときだけ情緒的になるのは、土台から無理な感情であってさ。

現役時代に憧れた子どもたちは、最早大人になっているんだから、その言葉は少々空しく感じる。
現実の子どもたちは、もう他の新しい才能に触れているはずだ。
それで「夢を壊したなんちゃら」言われても、相手は困惑するし、独り善がりな気がしないでもない。
それを言うなら「皆さん決して私のような大人にならないでください」のほうが、まだ思い切りがいい。

子どもの初恋の気持ちが、いつまでも続いているはずもなかろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする