2013年10月31日

ひとり飲み

影がかった顔にひとこと 「生きていたか」…  すかさず 「挨拶なしで死ねるか」… だってさ (笑)

今夜、旧知の仲間が、ひとりで店へ訪ねにきてくれた。
酔いがしみ渡ってきた頃、しきりに「また飲もうよ…」と誘ってくれるんだ。
建前だとしても、そのひとことは嬉しい。
彼の前では、できるだけ正直でありたい。

だが、飲むとなると日曜の夜にあわせてもらうしかない。
そのため、僕の方からは積極的に誘い難いのが本音なんだ。
それに家庭を持っている相手であればなおさらである。
そうなると飲む相手も限られてくる。

必然的に「ひとり飲み」が趣味となり、日曜の夜に一緒に飲める相手は似たタイプとなる。
飲むなら盛り上りが早く、話の受け渡しに富んでおり、屈託なく笑えるタイプがいい。
枯れた会話よりも、陽気な会話で過ごし、「また明日からがんばろう」という気になりたいからね。
一番残念なのは、旧知の会合や同窓会の類に参加できないことかな。

この年齢になれば、偽装食材あるなしにかかわらず、高級食材など欲しなくなる。
食べたことがないなら別だが、ハンバーグにしても、既製品のデミグラスソースで十分だ。
飲むときは、一般的な素材で普通の会話を自然に楽しみたい。
それには小細工なしで、呼びかけには素直に応じたいのが人の情。

こんな俺でもいいのなら、気持ちよくつきあうし、無駄なことはないと思っている。
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2013年10月30日

2013 November

【11月定休日】  安心な低価格 お1人様こそ大歓迎  
     4日(月) 10日(日) 17日(日) 24日(日)
     ( 3日(日) 23日(土) 通常営業致します )
      
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日   日曜日 (連休の場合は営業致します) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)


今年も残すところ、あと2ヶ月…
年頭、小さな目標のひとつに何か習い事をはじめたいと掲げたが、いまだに決めずじまいである。

夜の仕事が控えているので、あまり体に負担がかかることは避けておきたい。
図書館で勉強通いも考えたが、自宅と過ごし方は変わらないだろうし、何よりも勉強嫌いだ。
ジャズにかかわる場所で過ごすにしても、昼間は仕事と少し離れた空間にいたいのが情操である。
いずれにせよ、そんな理由が先走ってしまう。

条件は適度に人と交流できて、場所は自宅からそう遠くはなく、ストレスがかからないこと。
それに趣味ごときで、熱くなるのはみっともないので、競わずに自分のペースで長続きできること。
まあ、前提条件は決まっているので、あとは何をするかだけなんだ。
決めたからには、このブログのように長続きできるとは思っている。

97年公開の日本映画 「Shall We ダンス…?」を憶えているだろうか。
作品で描かれていたのは、登場人物の「不満」よりも、漠然とした「不安」の方であった。
行く先の見えない不安を抱えている人たちの、人生の機微に触れていたと思える。
この年齢で習い事をはじめたいと思うのは、胸の奥底で似たような心境がひそんでいるのかな。

何かを変えたいんだけど、変えるきっかけが見つからないとか…
それとも今書いていることは建前であって、本当は恋愛願望に支配されている出会いの妄想劇とか。
あながち、男は甘い夢を見がちなんだけど、僕に至っては甲斐性なしなので、何事もないであろう。

ここらで奮起して、情熱の社交ダンスでもやろうかな。
待てよ… その前に加齢臭が気になるなあ…  つまり、一事が万事、そういうことなのよ!
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2013年10月29日

プロレスショー

最初に「プロレスはショー」と聞いたのは、中学二年の体育の授業だった。

体操着に着替えて授業を待つ間、プロレス技の真似事をするのはよくある光景。
見かねた体育教師は整列した僕らに開口一番、「プロレスはショーである」と説かれた。

プロレスは相手の協力なくして、技が成立しないことは薄々わかっている。
だが認めたら、それまでのレスラー像が崩れてしまいそうで、「そんなはずない」と抵抗していた。
認めることは威信にかかわり、プロレス中継を観ないことは、男子談議に後れをとることにもなる。
そんな理由のほうが勝り、わかっていながらも「真剣勝負なんだぜ」と、自分に言い聞かせていた。
その代わり、レスラーが執筆(口述筆記)した、啓発本を読まなかったのは、完全には信じられない   小さな抵抗感の表れだった気がする。

冷静に考えれば口から火を噴いたり、サーベルを振り回す姿に両手(もろ手)を上げて喜んでいたら   その民度は純粋すぎる。
それでも、プロレスを見続けられたのは、肉体移入できるだけの体力がありあまっていたからだ。
男みなぎるアドレナリン、何かに置き換えて放出しないといけない。

仕組は自慰と同じで、ワン・ツー・スリー フィニッシュ!(早)… このあたりでやめておく (⌒_⌒;
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2013年10月27日

静かな秋

26日、台風29号は午後3時に温帯低気圧に変わり、新潟には小さな風だけを残して去った。

店のお客さんから、初めて聞く話も多い。
時事から文化や趣味、地域ネタから噂の類まで情報には事欠かない。
時には、嬉しい話を耳にすることもある。
会話に飢えている人にとって、仕事帰りのバーは貴重な時間なのか。

近況、悪天候も重なり、お客さんもまばらだった。
その分、店内での距離が縮まり、時が経つのも忘れてしまう。
街並みはよそよそしいが、人には親しみを覚えてしまうこの頃。
人の気持には、気候が影響しているのであろうか。

台風が去り、街の気配は次第に、「静かな秋」へと変わりつつある。
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2013年10月26日

Jazz Talk Vol.34

金曜午前10時頃、一度目を覚ました。

何気にミニコンポのラジオをつけると、スピーカーから軽快な4ビートが流れてきた。
後でわかったことだが、NHK−FM 「セッション2013」の再放送だった。
1978年から、日本のジャズライブを中心にオンエアしている、長寿の専門番組である。

演奏はメンバー紹介があるまでわからなかったけど、トランペットは「大野俊三」の気がしたとおり。
構成は「P・B・Dr +トランペット」で、全6曲ほどの快演。
それにしても、FMでジャズを聴くのは、何十年ぶりだろうか…
昔はカセットテープに録音しては、繰り返し聴いていたものだ。

中でも印象に残っているのは、80年代の人気フュージョンバンド 「カシオペア」
番組終了時、エンディングのタイミングが合わず、演奏がバラバラになったことがあった。
プロであれば、普通に聴いてわかるようなミスはほとんどない。
その時だけは譜面上の勘違いであろうが、こういう不測の事態があるからライブは楽しいのである。

それにしても、「朝からジャズ」は気分が乗らない。
僕にとっては、深夜に「ラジオ体操」を聴かされている感覚だ。
朝とは遠い音楽なので、気分が欲しがらない。
ジャズは、夜に欲しがる音楽だよな…

そのわりには、最後までオンエアを聴いたんだから、それはそれで演奏者冥利に尽きるであろう。
わかったことは「小山太郎」という、ドラマーのリーダートリオであること。
トリオとしても、オリジナルティーがあって良かった。

そんな寝覚めだったので、今日はいつもより眠りにおちるのは早いだろう…
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2013年10月25日

100万回生きたネコ

イキイキと仕事をする女性は魅力がある。

アクセサリーが浮いて見えるような女には興味ない。
それを与えてもらっていれば、なおさらである。
女同士、「誰と仲良くしておけば得か」、考えているようじゃダメだ。
そういう女は、「男の疲れた表情」にも気づかないと思う。

日常をイキイキと仕事している女性はモテる。
その表情は自然と口もとが上がっており、目元の笑いシワが性格の明るさを感じさせる。
シワはコンプレックスかも知れないが、見る人によってはそれさえもチャーミングである。
こういう女は、もし男が寝たきりになったとしても、しっかり面倒を見てくれると思う。
もちろん、そんなことは期待していないけど、遠くの行動を見るのは男も女も一緒である。
一行目に戻れば、働く姿にはウソがないような気がするんだ。

先月、妻が録画予約していたテレビドラマ 「ショムニ・2」を、ほろ酔い気分で見ていた。
あのOLは皆一様に、「どこかにいい男はいないかしら…」と、年収やルックスばかり都合のいい夢を  抱いては、ぼやいてばかりいる。
しかし、よく見ていると条件は建前として、心のどこかではきっと本当に自分のことを好きになってくれる男の存在を捜し求めているんだと思えた。

80年代、女性が男性に求める結婚の条件は、3高(高学歴・高収入・高身長)と呼ばれるものだった。
額面の条件だけで結婚を決めて、後に泥沼離婚したり、家庭内不和になった女性もいた。
条件にとらわれすぎて、相手の本質を見抜けなかったとか。
第一、そんな「夢のような男」なんていないし、いたとしてもそうそう見合う女もいないでしょ。
本来、男女の別れの理由は奥ゆかしいものだし、打算は打算でしか終わらないような気がする。
それに、人は近くにいる人を好きになるのが、自然なことだと思うのだが…

僕は童話作家の佐野洋子 「100万回生きたネコ」のなかに、男の答があるようでならない。
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2013年10月23日

困惑会見

社会的な事件をおこしたスポーツ選手(著名人)の供述に、「酒に酔って…」の言い訳がある。

酒を提供する立場からすれば、「あー、またか」と腹立たしい言葉になる。
しかも「子どもたちの夢を汚した」と詫びるが、お行儀のいい「お言葉セット」のようでハナにつく。
マスコミの質問の仕方にも、問題はあるとは思うけどさ。

人の才能は、心を豊かにしてくれる。
感動や共感、努力の在りかたを示してくれるからだ。
その意味では、人の心を動かすのは人であろう。

才能は遠い存在にあるもの。
今なら多くの野球少年たちは、楽天の田中投手に憧れを抱いているだろう。
僕らの世代であれば、王や長嶋にあたる。
王や長嶋にはなれないけど、この人の存在を励みにがんばれば、自分の向上になるとか。
加えて大事なのは、身近な存在の才能に触れているかだと思うし、まあ努力でもいいさ。
それは身近な他人を認める潔さでもあり、近くの才能に敏感になるべきだと思う。

僕は野球が下手な少年だった。
ヘタはヘタなりに、上級生の打撃や捕球を見ながら、それなりの格好はつけたものだ。
一流を学ぶことは情操になるけど、身近に「こいつを目指そう」の存在がないと浮き足立ってくる。
だから、人の才能に気づいて反応することが、実力をつけられる近道だったりすると思える。

最近、「置かれた場所で咲きなさい」(だったかな…)、そんないい言葉があるよね。
まずは置かれた場所で咲けないのに、何で夢を世界に向けているんだという話であってさ。

元スポーツ選手は、「子どもたちの夢を汚した」と紋切型な謝罪をした。
冷たいようだけど、子どもはその選手のことはそんなに見てないと思う。
交流のない選手に、情緒的になれるはずがないでしょ。
そのときだけ情緒的になるのは、土台から無理な感情であってさ。

現役時代に憧れた子どもたちは、最早大人になっているんだから、その言葉は少々空しく感じる。
現実の子どもたちは、もう他の新しい才能に触れているはずだ。
それで「夢を壊したなんちゃら」言われても、相手は困惑するし、独り善がりな気がしないでもない。
それを言うなら「皆さん決して私のような大人にならないでください」のほうが、まだ思い切りがいい。

子どもの初恋の気持ちが、いつまでも続いているはずもなかろう。
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2013年10月22日

気軽な個性

朝にあたる月曜の夕方…

雨の日曜明け、夕方の万代は騒々しい気がした。
夜の街中の様子はわからないが、お世辞にも活気があるとは思えない。
満面に営業スマイルを浮かべてる、路上店員のほうが多いであろう。

定刻に看板の灯りを入れてしばらくのこと。
携帯電話に未登録のナンバーが表示された。
まだ、お客さんはいない。
仕事上、夜の7時を少し回った頃に着信が多いのは、こっちに気を遣ってのことであろう。
その相手がわからないので、少しかしこまったが、相手の声はそうではなかった。

「〇〇さん…?」  「さん」の語尾が上がるのはあいつだけだ。
別に用事があるわけでもなく、「その後、どうしてますか…」程度の親睦である。
それだけでも、人とのつながりは続いていくんであってさ。

昔は用件を包んだ電話のほとんどは、「うさんくさい勧誘」などで、私欲な内容が多かった。
この年齢になれば、こういう懲りない人には戸惑うこともない。
セコい真似されるのを嫌うのは、僕を知る親しい人であれば、その個性は伝わっていると思う。

つきあいに気軽さは大事だ。
今夜、楽天イーグルスがCSシリーズ優勝を決めたお祝いにひとりで来店されたFさん。
その動機も自分自身への気軽さであり、飲む理由をこしらえてくるところがわかりやすい。
そういえば、あいつからの電話も答えのいらない気軽な会話だったっけ…

毎日のひとつひとつは小さくてシンプルだけど、こうして短編で語れるところがその人の個性でもある。
ただ、その身近な個性に気づかずに、多くの出来事も流れていくんだと思う。
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2013年10月20日

小真面目

小真面目でいい。

飲食店展開している会社によくあることで、売上が下がると店を任されている人に責任を問われる。
小売店だろうが、営業職であろうが、同じように結果を追及されるのは世の常。
それに掲げられたノルマが、今の現状に即しておらず、厳しすぎる場合もあるだろう。

飲食関連は景気や天候に大きく左右されやすく、どんなに優秀な責任者であろうがダメなときはダメだ。
だが、損ねられない努力はすべきだし、景気的な理由を探してばかりでは、知恵も気力もなくすだけだ。
だからといい、空気を締めすぎると委縮するし、逆に緩めすぎると成果が一向に上がらないのも現実。

見えないストレスを家庭に持ち込みはじめると、今度は家庭にも小さなひびが入るようになる。
結婚して家庭を築くことは、そのあたりの切りかえ方も大事になってくる。
生真面目な人が思い悩みすぎると、会社と家庭が苦痛以外の何モノでもなくなってしまう。

業績が悪いからといって、毎日が感情的になっていれば、子どもと同じである。
客がいないからといって、雨の路上で「割引チラシをまいてこい」と指示を出すようなもので、その姿を  見て通行人は同情するわけないし、精神訓話やパフォーマンスが旺盛でもそれはそれで始末が悪い。
その上、晴天に人手不足をおこしてれば世話ないわけだ。
責任感が強すぎると、次第に小さな核の中でしか通用しない、論理で固まっていくような気がする。
真面目のどこがいけないじゃなくて、真面目をコントロールすることだと思う。

僕自身、ほどほどに店をやっていれば、その信憑性はどうあれ、自然と人の噂は耳に届いてくる。
時には「うつ病状態」とか、「仕事をやめた」など、突然消えていく人たちを何人か見てきた。
次第に病んでいく姿を、定点観測のように見ただけに、たまらない気持ちになったこともある。

生真面目には塩梅があり、生きていく上では小真面目ぐらいがちょうどいいと思う。
時として生真面目さは、心の狭さにもなるんだ。
友人でも小真面目ぐらいのほうが、胸襟を開いてつきあいやすいでしょ。
病に陥りたくなければ、小真面目でいいんだ。
まあ、口ではこう言っているけど、総じて真面目の味方であることには違いはないけどね。

何の変哲もない、今日日曜日…
夕方から「あー、明日から仕事か」と、深刻に思う人はやっぱり真面目なんだろうね。
その思いの加減には個人差があるんで、「誰もあんたを殺しゃしないよ」って話である。
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2013年10月19日

尿酸値 9.2

先月検査した、健康診断の結果が知らされた。

結論から言えば、問題なし。
ただ、尿酸値が基準よりちょっと高いだけ。
食物学に心得がある妻に「尿酸値って、なんじゃらほい!」と質問すると、かれこれしかじか説明される。
なるべくなら、「ビール」と「脂っこい食事」は控えたほうがいいとのことだが、あまり気にしない性分。
もちろん、頭の片隅には入れておくけど、健康不安を引きずる生活はしたくない。
こういうのは、ひとつ気なり出すと、「他にもまだあるんじゃないのか…」と不安に思いはじめる。
そっちのほうが、よっぽど不健康であってさ。

人から聞いた話だが、髪の育毛薬を処方すると、効果の代わりに男性機能が衰えるという。
それまでの髪の不安は和らぐものの、今度は髪とひきかえに男性機能に不安が変わるだけ。
それで男性機能の処方薬を服用すると、それまでの薄毛の不安を忘れてしまっている。
こうして気がつけば、クスリ漬けになるんであってさ。
薬が悪いんじゃなくて、ほどほどに神経が図太くないと、気にしすぎる日々になるのがイヤなんだ。
次回の検診でコレステロールを指摘されたら、もう尿酸値のことはキレイさっぱり忘れているだろう。
健康志向なんて、そんなもんだと思うわけ。

近年の健康ブームとやらで、身体欲求が尽きることなく、異常に神経質な男が多くなってきた。
酒は不健康を引き起こすからと言って、誰ともつきあうこともなく、家で何をしているのかな。
スッポンの生き血を飲みながら、ビリー隊長の「ビリーズ・ブートキャンプ」でもやっているのかな。
たまに夜中、中高年がランニングしている姿を見かけると、「何かの告知でもされたのか」と思えるほど、 鬼気迫る形相なんだ。
ここまでになると、何が目的になっているんだろうね。
健康に支配されすぎた精神構造は、融通の利かない幼稚度にも思えてしまう。

僕の尿酸値 「9,2」  詰まるところ、健康はつきあいかた次第じゃないかな…
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2013年10月18日

台風一過

台風一過まで行かぬが、三色のコントラストが鮮やかな午後の空だった。

台風が去った後、巻き返しの風は残るが、雲の間から射す小さな陽だまりに気分もすこぶる。

2日ぶりに、自転車で外出できた…
町中にこだまする、下校途中の小学生の元気な声。
頭上から響き渡る、姿を現わさぬカラスの鳴き声。
ありふれた道の片隅で、主婦らが顔をしかめてヒソヒソ話する姿。
交通量も多くなり、車の速度も上がりぎみに見える万代の交差点。
買物袋を提げた主婦が多いのは、雨風に買出しを足止めされていたせいだろう。
スーパーの鮮魚売場は、青魚を中心に品数が少ない。
野菜売場もいつもより、葉物の品揃えに迫力がない。

そんな視点で街中を見渡すと、人は自然に生かされていることを実感する。
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2013年10月17日

Jazz Talk Vol.33

最近、「ジョン・コルトレーン」ばかり聴いている。

マッコイ・タイナーの流れから、少し引き戻されたようだ。
店内で流すには激し過ぎるが、いつ聴いてもストイックで、まさにワン・アンド・オンリー。
聴きなおすと「これぞジャズだ」というべき仕上がりに、あらためて気づかされるというか。

一番最初に聴いたのは、名盤「至上の愛」
同時にソニー・ロリンズの名盤「サクソフォン・コロッサス」にも、針を落としていた。
予備知識のない10代、どちらが耳に心地いいかと比べたら、歌心あふれるロリンズであろう。

学力テストは簡単な問題から解いていかないと、タイムオーバーになってしまう。
「コルトレーンにかまっていると次の問題に進めない」… うん、そんな感じだった。
それほど、コルトレーンはとっつき難かったね。

問題に順番をつければ応用編であり、方程式がわからない頭では解答できない。
単純に難しいんだけど、最初から聴きこなせた人はそれほどいないんじゃないかな。
もちろん、「楽しい」という意味でだよ。

初耳の選択はロリンズ。
コルトレーンは死去していたので、必然的にロリンズを聴く機会が多かっただけなんだ。
それでも好きなアルバムを一枚挙げれば、「アフロ・イン・ブルー・インプレッション」かな。
これもまた、マッコイのピアノがしびれるわけよ。
「コルトレーン派」を名乗るにはおこがましいけど、「コル…ト」ぐらいは聴きこみたいね。
まだ戦闘的な耳もありあまっているから、また師匠(お客さん)たちに鍛えてもらおう… (笑)

例年、秋の夜長になると落ちついた「ピアノトリオ」をよく聴いているのだが、今年はさかりのついた犬  みたいに「ハードブロウ」ばかり聴いているんだ。
そんな台風が通過し終わった今晩、久し振りにビル・エヴァンスの「ムーン・ビームス」を聴いた。

それまでの空気が一変して透明に感じたのは、やっぱり「ジャズも天候」なんだということ。
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2013年10月16日

ザ・レスラー

プロレスを観戦した後の楽しみは、同伴者と飲みながらの「座談会」である。

大きく弧を描いた、ジャーマン・スープレックス
助走をつけた、エルボー・ドロップ
コーナーポストからの、フライング・ボディーアタック
それぞれの試合内容と、技の芸術性を振り返る。
一通り感想も出尽くしたころになると、今度は「レスラー本人」を紐解いてゆく。
プロレスの本題はここからだ。

なぜ、大仁田はFMWで有刺鉄線電流爆破マッチをすることになったのか…
なぜ、高山はUインター解散後、全日本プロレスのリングに上がったのか…
なぜ、大谷は新日本プロレスをやめてまで、ZEROワンに参加したのか…
など、それぞれの生きざまにまで、話題はおよんでいく。
リング上のキャラクターと、リング下の素顔にこそ、プロレスを知る鍵がある。

小学6年生の学芸会でプロレスを演じた。
カードは2対2のタッグマッチで、僕は悪役レスラー。
リングネームは忘れたけど、ふれこみは「狼に育てられたレスラー」で得意技は凶器攻撃。
最後は試合に収拾つかなくなり、レフェリーが怒って「ぽんぽこ仮面」に変身して全員をやっつけてしまうB級マンガ並みのシナリオだった。

そこそこ痛みがわかるから、絶対に本気でやるわけない。
6年生の創作と身体能力で作られた、パフォーマンスショーだからね。
それにこの時点で、「プロレスとはなんぞや…」は薄々わかっている。
相手にケガを負わせることはしないし、手を緩めることも覚えていく。
こうして事前の打ち合せをして、なわとびのロープで囲った教室のリングに上がった。
そんな「プロレスごっこ」でも、ドラマ仕立ての情操(演出)があるのだが、今は「あぶない」の一言だけで理解されないだろうね。

プロレスは白でも黒でもない、曖昧な部分もあるので、柔軟に受け容れる感性が求められる。
一番大事なことは、レスラー同士の信頼関係がないとプロレス(技)は成立しないこと。
理解できればプロレスを半分知ったようなもので、同時に社会の仕組も何となくわかってくるだろう。
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2013年10月15日

ケーフェイ

14日、新潟朱鷺メッセで「越後大花火」と題した、プロレスの試合を観戦しに出かけた。

メインイベントは大仁田組━高山組による、「有刺鉄線電流爆破デスマッチ」
爆音と閃光が飛び交う、リング上の肉体パフォーマンスである。
アリーナ席西側8列目から観るプロレスは13年ぶりとなる。

「プロレスとジャズ」は似ているといわれる。
試合時間と見せ所、フィニッシュホールド(決め技)など、いくつかの約束事で試合は成立している。
予め勝敗は決められているが、いかに取り決めのない部分(アドリブ)で試合を盛り上げることができるかが、レスラーの個性であり上手さである。

言いたいことはわかる。
予め勝敗が決められた試合を見て、何が楽しいんだと思われるかも知れない。
プロレスを真剣勝負だと思って見ているのは、一部のエキセントリックなファンだけ。
仕組をカミングアウトされてからは、エンターティメントとして生まれ変わったはず。

勝敗よりも、ストーリー仕立ての展開に娯楽性があり、見方は時代劇の殺陣(たて)と思えばいい。
それを「スポーツ」と言うから、八百長よばわりされるのであり、最初からショーであると宣言していれば、ややこしい話にはなっていなかったかも知れない。
だが、プロレスは景気のいい時代の「ムーブメント」だったから、白日の下にさらすタイミングがとても  難しかったし、何よりも隠し切れなくなったことが最大の理由だろう。
だから今は、新しい時代のプロレスを作り上げている段階なんだと思える。

僕がプロレスを違和感なく観戦できるのは、色あせない記憶があるからだ。
振り返れば銭湯の脱衣場でラムネのビー玉を転がしながら、プロレスのポスターを興味津々に眺めてた少年時代にはじまり、バンカラ世代のヒーロー「前田日明」の引退と同時に冷めていったプロレス熱。
あれから13年… 昔ほど再燃することはないが、今「最強のエンターティメントショー」を楽しめるのは、過去のプロレス熱が体のどこかに収納されているからであろう。

会場のパフォーマンスに参加するガッツはないけど、若いプロレスファンにはない、ロートルファン独特の味わいが出ていれば、これまたプロレス観戦冥利に尽きるであろう。
そのあと新潟駅前の居酒屋で、一緒に観戦したMさんと4時間半に渡って、熱くプロレスを語り合った。
当方、1973年〜2000年頃までの、「プロレス談議」が好きである。

ケーフェイ  (プロレス界で絶対に他人に口外してはいけない秘密の用語)
語源は「FAKE」(ニセモノ)らしいが、昔のジャズミュージシャンの「逆さ言葉」に似ている。
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2013年10月13日

Jazz Talk Vol.32

「丁度、こんなアルバムを聴きたいと思っていたんだ…」
それがこのアルバム「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」、リーダーは「マッコイ・タイナー」

自分の世界を広げてくれるのは、気のいいジャズファン。
そんなお客さんが推薦するアルバム、アーティスト、独自のレビューに新鮮味を感じる。
ジャズのアルバムは、昔ほどのセールス力はないけど、聴き切れない量は充実している。
新旧、良質なアルバムを探すとなると、人の見識も必要になる。
ひとりの知識なんて、「井の中の蛙」でしかないから、極めて他者の推薦も大事なことである。

複数のお客さんと出会っていなかったら、このアルバムを耳にすることはなかったであろう。
ジャズとストリングスが共演した、アーティストのアルバムは過去に何枚かは耳にしている。
ストリングス独特の幻想的なノートもいいが、激しいアプローチも聴いてみたかったところでの一枚。
76年、マッコイのアグレッシブなストリング作品があるとは思いも寄らなかった。
どことなく異質な一枚なんだけど、妥協を許さない個性の衝突に聴きごたえを覚えた。

高速で急発進するハードタッチは、キースでもチックでもなければハービーでもない。
これこそ全盛期のマッコイであり、アルバム「エンライトメント」にも通ずる迫力だ。
マッコイの影響を受けたと思えるゴンサロ・ルバルカバ、鍵盤を打楽器のように連弾するミシェル・カミロが好きなのに不思議とマッコイのリーダーアルバムには縁がなかったんだ。

ジャズを本格的に聴きはじめたときには、マッコイの親分であるコルトレーンはすでに他界していた。
そうなると精力的に日本ツアーをしていた、ロリンズに自然と興味が向くもので、そのメンバーつながりで好きなドラマーはアル・フォスターが最初となる。
マッコイとの出会いは遅かったけど、今ぐらいがちょうどいいタイミングのような気もする。

音を共有し合えるのは嬉しいことだし、たがいの刺激にもなるからね。
ヨーロッパジャズが「スコッチ」だとすると、コルトレーンの流れを汲むジャズは「バーボン」に近い。
そんなどちらの味わいにも受け止められる推薦盤 「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」を聴きながら、ゆっくりと飲むウイスキーは格別の味になるであろう。

それぞれが開放的になり、好きを分け与えられるようになれば、ジャズの情操はどんどん伸びるんだ。
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2013年10月12日

隣席の口論

万代のコーヒーショップで過ごしていた。

夕方にもかかわらず、30歳代の主婦と思える二人が、隣の席で対面していたのもつかの間。
それまでの会話はわからぬが、何かの言葉がきっかけで雰囲気が急変してきた。
聞き耳を立てるつもりはないが、距離が距離だけに仕方ない。
どうやら子どもの教育方針をめぐって、少し意見が対立したようである。
すると「あー、言っちゃった…」と思う言葉を口にした。

「子どものいないあなたに何がわかるの…」  意見が対立した図式はこの一言でわかった。
子育ての経験のない人を相手に、子育てを理解せよと言っても難しい。
しかし「経験のないことを常識的にわからない」と、決めつける親の感性は教育的に感心できない。

僕は基本的に、「他人はどこまでも他人」だと思うように切りかえた。
それが礼儀であったり、距離感であったりするんだけど、キチンと相談されたことについては的確性は どうあれ、自分に置き換えて理解するようには努めている。
相談するほうも、予期しない言葉で療治されるときもあるだろう。
場合によっては、相談相手を間違った自分にも非があると思うべきだ。

人間関係はこうして簡単に壊れてしまうので、何でもかんでも人に相談するのも考えものである。
それでも相談したいのなら公共機関の窓口とか、全ての言葉を受け容れる覚悟は必要だと思える。
それに相談するほうは、心のどこかで都合のいい言葉を言ってほしいと願っているもの。
他人の意見を感情で判断するより、他人の意見を活用するほうが賢いと思うけどね。

独身者に「結婚しないの」、既婚者に「子どもを作らないの」など、不用意な質問をする人がいる。
コレ、さっきの「いさかいを招いた言葉群」に近いよね。
他人は他人であり、口をはさまれたくないことってあるんだ。
セオリー通りに結婚して、子どもを育て上げた親が一人前であると、決めつけている言葉でしょ。
僕だったら、「じゃあ、一人前の親が何でそういう状態なの…」と、逆に質問をしてみたいけどね。
それぞれの人生観があるというのにさ…

話は変わるが、福山雅治主演の映画 「そして父になる」が話題であるらしい。
実生活の彼はここまで44歳独身、子どものいない人生を歩んでいる。
なのに実体験のない、「父親役」を演じている。
そこで、先ほどの女性の言葉 「子どものいないあなたに何がわかるの…」である。
なぜ独身の彼が父親役を演じれるかというと、父親としての思考回路(DNA)があるからだと思う。

実体験型の意見も大切だけど、子どもがいないのにわかるのは、思考回路が備わっているからだ。
親は子を見ているが、相談された人からすれば、その子ではなく親の在りかたを見ているもの。
悩む親は真剣だが、立場を置き換えられないから、こういう不用意な言葉がポンと飛び出るんだ。

そのあとスーパーのレジで、ニコッと「こんにちは…」と言われて気が晴れた、11日金曜雨模様。
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2013年10月11日

女の世界

大掃除の日となる夕方。

早速、邪魔扱いされるので、スーパーへ買出しに出かけた。
途中、携帯電話が振動して、妻から「フリーペーパーを持ってきて…」と言われ、別紙2冊持ち帰った。

近々、違うグループの女性たちと食事会をするので、その雑誌も参考にしてお店を決めたいらしい。
男は、「あのへんのあのあたりの店を適当に…」で入るもの。
だが、女は料理と雰囲気、最近じゃ「イケメン店員がサーヴしてくれなきゃダメ」なんていう始末。
 (そんなこと言われたら、わしゃ、どうすりゃいいんじゃ!)

それだけ合理的に楽しさを求めて、臨場感も期待しているんだと思う。
まあ、食事に行くというより、女性だけで「クッチャベリ」に行くんだ。
その席にプレイボーイ気取りで、「呼ばれていないのに登場!」すると絶対に浮いてしまう。
女性が複数集まれば本音が飛び交い、無駄話で日頃のストレスを発散しているんだからね。
どんなに可愛いペットでも、餌を食べているときにかまうと怒りをあらわにするのと同じ。
場を読めない男は、女性の輪の中に「フルチンダイブ」するようなものである。

女性と飲むときは男女の人数バランスがいいか、ゲストで呼ばれたときだけに限る。
それか虚構の恋心を抱きながら、二人でゆっくりと語り合える大人の関係に尽きる。
とか何とか言いながら、これからの季節は気の許せる仲間と「もつの煮込み」をつまんでいるほうが、  自分の性には合っている。

女の世界、男の存在感など皆無に等しいのだ。
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2013年10月10日

酒と潔さ

お酒を飲まない人が多くなったが、純然な予防医学とは違うような気がしている。

僕らの世代、酒を飲めない人は体質が合わないか、親の酒癖にトラウマがあるのか、何かの宗教上の理由かそんな程度だったと思う。
お約束、最初は「とりあえず・生!」で乾杯した世代でもあるので、ビールが苦手な人は少ない。
アルコールの強さはともかく、そこそこ飲み方は上手だったと思える。
寧ろ、酒が好きというよりも、ほどほどの社交術(会話)に長けていた。

酒場は会社では味わうことのできない、課外授業の場になる。
他人との共存を求められるのだから、自分ひとりが客ではない。
それに仲間内でしか通用しない論理を社交性と思っていたら、そいつはきっと大変な男であってさ。

若い人に、情報交換のつもりで電話番号を聞くと、ほとんどメールアドレスだけになる。
同じ連絡手段なので構わないが、「野郎さん」と交換日記するつもりはないんだけどさ。
電話という肉声に緊張するのか、応答に慣れていないのか、極めて閉鎖的なところがある。

僕は元来、気が短い面もあるので「面倒だ!」と、電話でサッサと用件を伝えるタイプ。
せいぜい、用件の確認でメールという手段を使うに過ぎない。
基本的に会話があってのメールであり、メールがあっての会話ではない。
メールに依存しすぎると、自分の中のコミュニケーションが本末転倒しちゃうからね。

酒を飲まなくなった理由のひとつには、他人とかかわらなくても生きれる世の中になったからだろう。
経験上、こういう男ほど女性の前では、「別人か…」と思わせるほど猫をかぶっているものだ。
その傾向、年代に偏りなどなく、人間関係が神経質になっているんだと思える。
酒を飲んで、健康に乱れることを潔しとしないというか…

僕は酒を飲まない人と、夜の街で一緒に過ごすことはない。
誤解しないで欲しいが、酒を飲めない人を「補欠扱い」しているのではない。
酒を飲めなくても引け目を感じず、飲み会を軽視しない男には一目置いている。

酒を飲まなくなったことと、会話をしなくなったことは、何かと連動しているような気がする。
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2013年10月08日

世代は巡る

映画(ビデオ)一本でも、真剣に見れば疲れはともなう。

「人」をテーマにした物語が好きだけど、オーバーなリアクションが邪魔に感じるときがある。
見るべきは「生き様」なのに、安っぽい感動にコケそうになるというか…

最近のテレビドラマで同じ作者の別監督、他局で放映された「半沢直樹」と「七つの会議」は物語違えど隠蔽(いんぺい)の舞台構造は似通っていた。
半沢直樹は説明的でわかりやすかったが、七つの会議はサラリーマンの迷走を描いた傑作だと思う。

理不尽なことに「このままでいいのか」と不安を抱えながら、誰も何も口にすることなく、ただ毎朝会社で不機嫌な顔をつけ合わせているだけ。
管理職はときどきの権力者を上手にかぎわけ、失敗は人のせいにして部下にリスクだけをとらせる。
難しいドラマだが、娯楽性を排除したリアリティーを、評価できるだけの見識者は少ない気がする。

見どころは、第四話(最終回)の「ここ」だった。
新任課長の告発に対し、万年係長は鬱積(うっせき)した不満を爆発させながら、部長にこう叫んだ。
「俺にはできなかったんだ!」と、全サラリーマンの気持ちを代弁した、名台詞だったと思う。

本来の物語は感動や幸せ、笑いや涙をウリにしがちだが、視聴者に「考えさせる」のもキーワードだ。
感動を求めすぎることは、安易に答を求めていることに等しい。
与えられた答ほどつまらないものはないし、七つの会議には問題解決など解説されていない。

録画を見返すと、東山紀之の妻役「戸田菜穂」が登場することで、ドラマがグッと引き締まっている。
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2013年10月07日

みちくさ

台所休みとなる日曜。

二人で食事へ出かけるか、個々に食事を済ませるか、買出しに行くかどれかである。
そんな日曜、近場の買出しで済ませることにした。

食欲の秋は、見るもの触れるもの食べたくなる。
休日の解放感にも包まれているので、道すがらにも興味を示してしまう。
僕の得意技は「道草」なので、一度自宅に買い出した荷物を置きに帰ってから、また鉄砲玉のように  出かけてしまうのは、予定のない日曜の茶飯事。

道草ほど楽しい時間はない。
本能的にストレスを軽減しているんだと思える。
ルパン三世のテーマソング、「サビの歌詞」を思い出してほしい。
「男には自分の世界がある」と、道草が気力を作ることがあるからね。

道草こそ、男の美学である。
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