2013年09月30日

2013 October

【10月定休日】  安心な低価格 お1人様こそ大歓迎  
     6日(日) 14日(月) 20日(日) 27日(日)
    ※ 13日(日) 通常営業致します
      
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日   日曜日 (連休の場合は営業致します) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)


寝覚めのシャワーを浴びる時間が、次第に長くなってきた。

シャンプーしながら、ぼんやり考えていることは、その日の大まかな予定。
シェービングで肌年齢を感じ、体を洗いながら夢の続きを思い出したりする。
ハブラシを歯間にあて、最初は軽く振動させるが、途中で「あー、めんどうだ」と前後左右、指先を乱暴に躍らせてしまう。
足元の排水口を見下ろすのは、抜毛が名残惜しくなってきたからだろう。

若いときは、タオルをヌンチャク代わりにして、水を弾く全身をたたき上げたあと、バスタオルで身をくるみのどもとをゴクゴクいわせながら、オレンジジュースを流しこんだもの。
それが今じゃ、手が届くところだけサッとふいて、あとは自然乾燥である。
鏡に映った、自分の姿かたちを難題とも思わず、「なんじゃこりゃ」と笑いとばすあたり。

年齢に逆らう空しい努力はするつもりなく、同年代の仲間と会えば、おやじがおやじに毒舌を吐く。
髪がフサフサなら、「かつら、とれよ」、腹が出てれば、「いいモン、食ってるな」
スリムになったら、「モテようとしてるだろ」など、こんな具合にひやかしあう。
おやじは憎まれ口を挨拶代わりに、温かいまなざしを向け合っているんだ。

まあ、これからは変身ショーになるけど、老けないように一応、ガンバルベー!
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2013年09月27日

健康診断

個人事業主になって、一番大切なのは「健康」であることは自覚している。

今朝、3〜4年ぶりに新潟市の国民健康検診へ出かけた。
自覚しているわりには、自分に手厚い行動をしないあたり。
だいたい、体のどこかが不調であっても、そのうち治るだろうというタイプ。
仮に検査で、「〜の疑いあり」と診断されても、大して気にしないのかも。
こういうところ、男は大雑把である。

だけど意識すべきは、守るべきは守ること。
「今、俺が倒れたらヤバイな…」、そんな使命感でしかないと思う。
もし、病を宣告されても、泣きじゃくるわけにいかないし、だからと言って、不安にさいなまれるだけでは情けない気もする。
そのあたり、あっけらかんとしているのが、男だったりするんだ。

それこそ余命何ヶ月であっても、「先にあっちで待ってるからよ…」ぐらいが、実際の心境かも知れない。
ただ、守るべき人がいるから、「今は絶対に逝けないぞ」という気力がわくんであってさ。
健康診断は自分の安心よりも、守るべき人に安心を与えたい動機のほうが勝るんだと思う。
家族の診断結果が来たら、自分の結果よりも先に、子どもの結果を知りたくなる気持と同じであろう。
自分自身の健康については、神経が図太いぐらいがちょうどいいとかと思っている。

30時間ほど断食して検査したから、さすがに空腹が堪えてきた… わしゃ、イスラム教じゃねえ!
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2013年09月26日

ひとりの時間

新緑が薫っていた、今年5月の東京山手線。

7人掛け椅子の乗客全員が、スマホを操作していた場面を見た。
驚く光景ではないが、何とも風情がないと思った。

万代のコーヒーショップで、雑文を斜め読みしていた。
周囲の女性客の多くは、ほぼ無意識にスマホをいじっている。
何の操作かわからぬが、何かにとりつかれている表情にも見える。

こういう女性ならいい。
理想を言えば、文庫本に夢中になりながらも、手元のコーヒーが冷めないうちに軽く口をつける。
カップについた口紅のあとを、無意識に軽く親指でなぞりながら、また次のページに顔をふせる。
同じ指を使うにしても、まだこっちのほうが、しぐさに魅力がある。

僕の見方は、わりかし古風なのかもしれない。
ラインとやらで、無表情で愚痴をつぶやいてたりしたら、その女性には興ざめするだろうな。
それが男だったら、風上におけないんであってさ。

ひとりの時間であって、ひとりの時間ではない。
ひとりになりたくても、ひとりにさせてもらえないというか。

ひとりの時間って、何なんだろうね…
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2013年09月25日

特典映像

たまたまビデオ店で手にした、サスペンス映画「エスター」がおもしろかった。

物語は三人目の子どもを流産して傷ついた夫婦が、孤児院から9歳の女児を養子として引き受け、   二人のわが子と同然に育てるが、その子は9歳の女児ではなかった…  (見た人いるかな…)

本編で使われなかった、DVD特典映像を見た。
似たシーンをいろんなパターンで撮り、取捨選択されたメイキングフィルムである。
そこには、もうひとつの「ラストシーン」がおさめられていた。

僕はお蔵入り(ボツ)にされた、ラストシーンのほうに戦慄が走った。
本編のラストシーンは、これまでの映画とさほど変わらないチープな印象を受けた。
しかし特典映像では、「こっちのエンディングが絶対にいいのに…」と評論家風に思ってしまった。

傷だらけの顔を割れた鏡に映して化粧直しする姿に、精神バランスが崩壊した人間が描かれていた。
正反対の人格に変身した後も風体を装い、堂々と人前に出て行く姿に、あの子の「モンスター性」を   決定ずけたラストシーンだと思ったからだ。
見た目9歳の女児が、次第にメスの本能を現していくあたり、男の立場で言えば禁断の新感覚である。

サスペンス映画のラストシーンは、満身創痍で解決するか、伏線がけて未解決にするか。
それとも解決は観客の思考に委ねるか、監督表現の見せ所であろう。
僕はもうひとつのラストシーンにこそ、あまりにも非現実的な奇異な恐怖が描かれていたと感じた。

特典映像の魅力は、いくつかの違ったパターンが見れること。
特にラストシーンはひとつではないという、映画作りの情熱を感じられる。
その意味では、特典映像の楽しみ方がわかってきたというか。

お薦めする映画でもないが、最近ゾクッとする刺激がない人にはいいかも…
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2013年09月24日

吉幸三回忌

9月24日 享年46歳 よっちゃんの三回忌である。

過去、彼に対する気持ちを文章で何度か公開したので、あまりくどいことは書かない。
だけど、命日にはどんな形であれ、思い出すことが逝った友人への敬意であろう。
だから、毎年この日だけは触れる。

正式な病名は不確かだが、同い年だった彼と別れて早くも2年が経過した。
細顔で豪快に笑う気さくな男で、誰かがそばにいるといつもゴキゲンだった。
父親が逝った年齢、51歳までは生きたいと口癖のように言っていた。
しかし、父親を超えることはできなかった。

調整的な美文を書くつもりはない。
私生活を断片的につなぎ合わせると、他人とのいさかいも結構多かったようだ。
耐え難い存在だと思われていた節もあるが、真正面からつきあえば楽しい男だった。
いつも誰かとつながっていたいのに、優位に立ちたがる不器用さが人を遠ざけてしまった。

ある日、僕の役割を理解していないと思える言動を彼から浴びせられた。
決然とした口調と言えば聞こえはいいが、僕は容赦なく彼をそのまま店からつまみ出した。
次の日、店の扉が開くと、少しバツが悪そうな姿を現した。
おたがい自然と笑みがこぼれ、昨晩は何ごともなかったかのように、普通の会話がはじまった。
どこか踏み絵のような出来事だったが、仲を戻せることがおたがいの存在をささえていたんだ。

性根は臆病なのに、男らしさを見せたがるところがあった。
もうひとつの口癖で誰かを批判するとき、最初に「男のクセに…」とかつける。
すぐに意固地になってすねるくせに、男を目指している純粋さがどこか憎めないというか。
でも、あれはあれで、人間つきあいは真剣だったんだ。
そして、彼との出会いで、過去の人間不信も少しずつ癒されていけた。

僕の追悼文である。
亡き彼には、利害も打算もへったくれもないので、本当のことを書ける。
笑いながら「あのバカさぁ…」と、腹を割りあった前提条件があるからなんだ。
それこそ理屈じゃなくて、自然に気が合ったと言うか、とてもわかりやすい男だったのは確かである。

こうして今も、彼を思い出しながら書いている。
逆に、誰も何も口にしないことは、仲間はずれにしたようなもんだ。
自分がされたくなければ、このあたり大事なところだと思っている。

なあ、よっちゃん、また来年懲りずに書くわ…  ちゃんと就職活動しろよ
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2013年09月22日

大相撲 LOVE

夕方の忙しない時間、大相撲中継に気分が癒される。
毎晩、ダイジェストを録画してるから、大して生中継は見てないが、音声だけでも風情が漂っていい。

9月秋場所は見所満載だ。
関脇と小結、前頭筆頭に期待の新鋭が顔を並べ、新入幕の遠藤がどこまでやれるか見ものである。
それに日本人力士が自力をつけてきたので、白鵬の独走を阻止できる顔ぶれも整ってきている。

相撲は強いものが絶対に勝つとは言い切れない…
手前味噌な過去だが、高校時代は柔道部に在籍しながら、吹奏楽部の臨時部員、相撲部の外人部隊に籍を置き、各学期の予定を調整していた。
相撲の団体はインターハイ、個人戦の実績は3位ながら、本当のことを言おう。
僕は全国最軽量選手で、レベルも最弱選手だった。
じゃあ、何で勝てたのか…  一発勝負の変則相撲だから勝てたんだ。

最軽量選手に慣れてない上、柔道を飛び道具に使うから、相手も想定外であろう。
その代わり、まわしをとらなきゃ勝てなかったし、対策をこうじられればほとんど勝ち目はない。
外人部隊は必殺仕事人(ノーマーク)だから、団体戦は先鋒(一番手)で特攻的な役割に終始するだけ。
勝つも負けるも、二番手が何を仕掛けてくるか、相手に動揺を与えれば役目も半分果たしたこととなる。
こういう戦法を立て続けにすることは無理だが、一発勝負に賭ける意気込みは、あの狭い土俵上では  時として「大番狂わせ」が起きても不思議じゃないのが相撲なんだ。
これもひとつの相撲の見方であるが、リアルな体験談からなので、少しはわかってもらえたかと思う。

これが毎日15日間だとしたら、それはもう心身ともに極限状態になってくるであろう。
だから勝っても負けても、「ゲンかつぎ」と称して、力士は飲みに出かけたくなるんだ。
素人目線ながら、最近は好きな力士も多くなってきたので、取組の広がりが楽しくて仕方ない。

来年こそは「テレビ座席」とは違う、また「生の情緒」を味わいに行きたいと思っている。
桝席の「生の迫力」もいいが、純粋に雰囲気を楽しもうとするなら、遠くなるが二階の椅子席でも十分。
所々空いているし、会場を見渡せる点と本当に相撲が好きな観客がいる点では、居心地がいいからね。

これからも、「大相撲LOVE」だぜ!
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2013年09月20日

中秋の名月

日増しに夜が長くなるこの季節…  「中秋の名月」である。

店へ向う途中、夜空を見上げたら、少しぼやけた満月だった。
日本人は桜の下の宴会はするけど、月夜を眺めながら酌交わすことはあまりない。
新潟は雲がかる夜も多いので、月には趣がないのかな…

僕は月とは切っても切れない、夜の仕事をしているので、何となく寂しさに惹かれてしまう。
月がビルとビルの間から見えたり、雲の切れ間から見えたりすると風雅に感じる。

生活圏なら、やすらぎ提や柳都大橋から、見上げた満月はいいだろう。
それと海沿いの高台から見た、街中に入り込む満月も絵になるだろう。
その際、高層ビルから見る、夜景の眺めと同じにしちゃいけない。
暗い夜道から見上げるところに、風流の極みがあるんだ。

月は潮を満ち引きさせる、神秘的な力を感じる。
太陽とは相容れない、静観したおちつきも魅力がある。

深夜の帰り道、自転車をゆっくりこぎながら、月をさがして見上げる時間は癒される。
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2013年09月19日

プロポーズ

18日、寝覚めのベットでテレビをつけたら、男性芸能人の結婚がとりあげられていた。

プロポーズが印象に残った。
朝、彼女が朝食を作る音で目覚めた。
彼はパジャマ姿のまま、台所で結婚を申し込んだという。
たったそれだけのことなんだけど、たくさんの心情が詰まっている気がした。

男は照れ隠しする生きものだから、女性に真正面から告白はしにくい。
映画に影響された過剰演出、ラブドラマから引用したような台詞など、逆に安っぽく感じてしまう。
セックスなら、エクスタシーを利用して、調子こいて告白するもんでさ。

日常の何気ないときに、思いがけない告白があったりするもの。
朝にハブラシを動かしながらとか、自転車で二人乗りしているときとか、相合傘の中でもいい。
何もワインディナーでシャレこみ、夜景のきれいなホテルじゃなくてもいいだろう。
無理せずに、素直に告白しやすい場所や場面の中に、自分らしさってあるからね。
健気な演出も大切だけど、自然体がもたらす言葉のほうが、真実味があったりするもんだ。
別に値打ちの大小じゃなくて、アナログ的な告白にこそ、その人柄が出たりすると思う。

朝の台所の音で、プロポーズをした気持ちはわかる。
一緒に同じ食事をして、感じ合いたくなったんだろう。
何気ない日常が、自分をささえていることに気がついたんだと思える。
便利なことが当たり前な現代だけど、女性に関してはわりあい古風な考えをしている男は結構いる。
亭主関白とかじゃなくて、いつしか奥ゆかしさとか寛ぎを基準に、男はプロポーズするような気がする。

つまり、男の胃袋をつかんだと言おうか…
僕はそれを、「ストマック・クロー」(プロレス技)と呼んでいる!
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2013年09月18日

Chick Corea & The Vigil

2列目33番 僕の座席ナンバー
隣の34番には、耳の肥えたEさんが座っている。

17日 19時開演 5分押し
新潟テルサのステージに現れたのは 「チック・コリア」 率いるバンド 「ザ・ビジィル」
チックのヒストリーを彷彿させるステージに、往年のファンを中心に館内が沸き上がった。
もう、アコースティック、エレクトリックと分けたがるのはやめて、マルチに楽しむべきだろう。

僕はピアニストとしてのチックより、バンマス兼コンポーザーとしての役割が好きだ。
自分がやりたいと思う音楽を、忠実に再現する手腕が、新鮮極まりないからだ。
4ビート フリー スパニッシュ ラテン… いろいろな音楽の集合体なので、ジャンルの枠を越えた  「サウンド・アドベンチャー」のようである。
アンコール曲 「スペイン」 で終演後、心地よい快感が残っていることがその表れであろう。

チックは、時代で変化した。
その時、自分の興味に忠実なことは、見方においては一貫性のあること。
その上で、あの時代のコンセプト(音楽)が好きだというのも、賛辞になるのであってさ。
新潟公演は刺激的だったし、アコースティックなセットリストが好きであっていいわけだ。

そんな 「ライヴリポート」
ジャズの使命感に燃えて、難解な専門用語を並べて、わざわざ読みにくくする必要もない。
そんなことを随所に感じながら、僕自身は今回で3回目のライヴとなるチックコリアを書き留めておく。

だって、あの 「チック・コリア」 だぜ!  (2012年3月18日/ブログ参照)

開店2時間半押しの営業終了後  深夜3時40分 自宅で 「クリスタル・サイレンス」を流しながら

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2013年09月17日

Mack The Knife

映画 「悪の教典」(主演・伊藤英明)を見た。

音楽はジャズシンガー、「エラ・フィッツジェラルド」が歌ったことで有名な「マック・ザ・ナイフ」
アルバムのタイトル曲にしたほど、60年代「ジャズヴォーカル」の名盤である。

この歌詞、犯罪を意味するメロディーを、エラがチャーミングに歌い上げている奇妙な曲である。
歌詞は劇中の翻訳で知ったことだが、それまではただ歌声に酔いしれていただけ。

名曲「星影のステラ」も美しいメロディーとは異なり、ホラー映画「呪いの家」のテーマ曲だ。
映画のことは知らなくても、いろんな場面を思い浮かべられるほど、素敵な曲には変わりはない。
しかし意味がわかれば、奇妙に困惑してしまう。

映画の主人公は私立高校で、とても人のいい先生を演じている。
その一方では、隠された狂気を押さえながら、刻一刻と大量殺人のチャンスをうかがっているサイコ。
そんな彼は精神疾患のフリをして、最後は警察に護送されていくが、これがまた始まりを予感させる。

ビリー・ホリディのような、ネガティブなイメージはない。
サラ・ヴォーンのように、大御所なイメージももたれてない。
エラ・フィッツジェラルドの、誰からも好かれる「エンターティメント」に注目をしたんだ。
映像が音楽を誘っているシーンに、「マック・ザ・ナイフ」を使用するあたりに恐怖を感じさせる。
余談だが、プロのヴォーカリストは曲目を歌詞で選ぶのか、曲調で選ぶのか、誰もが知るナンバーで  選ぶのか、直に聞いてみたいけどね。

この映画と挿入歌、「人は見かけによらない」ことを暗示しているようだ。
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2013年09月16日

Jazz Talk Vol.31

人に薦められるほど、マイルス・デイビスは聴いてないが、この一枚なら「フォア・アンド・モア」かな。
だが、この一曲になると、名盤「カインド・オブ・ブルー」の中から、「ブルー・イン・グリーン」だな。

イントロからテーマ、ソロ回しからのエンディングまで、すべてにおいて魅了される。
イマジネーションが途切れることなく、イメージシーンを変更するようなこともない。
イントロの4小節から、ミュートをかけたトランペットが感傷的に鳴り響くと体の底から力が抜けて、   何か言い知れない気持ちがしみいってくる。
その演奏は自身の心の中に入り込んで、極めて内省的に音で告白しているような色気を感じる。

それにエヴァンスが奏でるメロディーは、人の哀愁を代弁しているような美意識を感じてしまう。
シンプルの中の美しさと言うか、感情をおさえて音の間の幅を感じさせてくれると言おうか…
中高年の心が欲しがる音って、こういう哀愁めいたジャズに思わず共感してしまうんだと思う。

僕の中で、「ブルー・イン・グリーン」は、間違いなく残る一曲になるであろう。
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2013年09月15日

Jazz Talk Vol.30

題名のない、「ジャズトーク」を番号表記してから、今回で30回目となる。
まあ、ジャズにまつわる雑記帳みたいなものだ。

ジャズを文章にすることは、思いの外に難しいことは以前書いた記憶がある。
今晩も、「えーい、なんとかなるさ…」で、乱暴に書き綴ってみる。

職業上、「好きなジャズを流しながら仕事ができていいですね」とはよく言われること。
好きには違いないが、寿司職人に「いつもお寿司が食べられていいですね」と言うのと同じこと。

仕事をしながらの「ながらジャズ」だから、そんなに耳の奥に届いてはいないんだ。
BGMはあくまでも、お客さんのものだからね。
このあたりの感覚は街中の飲食店でも、似たようなパターンをとっているだろう。
ジャズバーだから、専門的な会話もできるんであってさ。

営業中、1〜2枚ほどは集中して聴ける時間もあるが、まかないの食事みたいなもの。
それに、お客さんとのキャッチボールもギグなので、寧ろ音楽よりも会話のほうが大事だ。
クラシックのような譜面に忠実な音楽であれば、言語はマニュアル用語であろう。
ジャズは相手の音をよく聴いて、反応する即興型の音楽だから、会話が想定外の方向に流れていくこともあるし、アドリブと言い換えてもおかしくはない。

人それぞれも、ひとつの楽器みたいなものである。
リズミックに奏る人もいれば、メロディアスに奏る人もいる。
ソロで奏りたがる人もいるし、相手の音を聴かずに外れた音を出したり、言語と同じようなものである。
流れは、イントロが挨拶、テーマがお題、ソロが感性、4バース(小節交換)が相性だったりするわけ。
このあたり、別に楽器を演奏できなくても、ジャズの耳が少し養われていれば、演奏の質は判断できる  ようになるはずで、その意味では言葉と音符の違いでしかないんだ。

会話と演奏に違いをつける、必要性はあまりないと思う。
その意味の店名が「ギグ」であり、音楽用語でありながら、音楽用語でとどめておくのはもったいない。

不確かに聞こえるかもしれないが、さながら整合性はあるとは思わないか…
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2013年09月13日

Jazz Talk Vol.29

退職後、自宅の一部をオーディオルームに改築して、ジャズを聴いて過ごしたいという声をよく聞く。
最近は、シアタールームに傾向づいているようだが、定年後に楽しみを描くことはいいことだと思う。

だが、意気込んでオーディオ機器や大量のソフトを買いこんでも、そんなに聴ききれるものじゃない。
寧ろ、時間がなかった合間に聴いていたほうが、集中力は研ぎ澄まされているもの。
それで時間を手に入れても気力が続いておらず、結局は部屋のお飾りになっていることもよく聞く話。

読書も似たようなもので、本を読もうと意気込んでいても、その頃には老眼で読むのが辛くなるとか。
そうすると「もういいや…」になり、使わぬ学習教材のような扱いになってしまう。
こうしてほとんどの人は、最初の意気込みとは裏腹に、退屈しのぎを口走るようになるのが現実かも。

ジャズの場合、今しっかり聴いている人ほど、無駄に聴かないアルバムを持たないからね。
そのあたりは勘所だと思うが、リスナーとコレクターの違いがわかるところでもある。
急な運動が体に悪いように、ジャズの耳も積み重ねなので、わかりやすいアルバムから耳を慣らせば、次第に難しいアルバムにも耳がついていけるもの。
それまでには、きっと自分なりの名盤が生まれているはずだ。

耳が肥えることは、お薦めアルバム50枚が次第に30枚となり、晩年は5枚ほどに絞り込まれる。
この5枚こそが、その人の人生の縮図みたいなアルバムなんだと思う。
ご年配のジャズ好きな方に、「絞り込んだ末の一枚」をたずねるときがあるのはそういう意味なんだ。

僕は、玉の汗が流れ落ちる熱狂的なジャズも好きだし、情感が漂う極めて告白的なジャズも好きだ。
まだまだ、「遠い一枚」となるけど、好きこそものの上手なれにはなりたいな…
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2013年09月12日

テレフォンカード

暑さ和らいだ夕方、2時間ほど外出していた。

途中、携帯電話を自宅に忘れたのに気づいたが、「まあ、いいか」とそのまま目的地へ向った。
最初はおちつかなかったけど、なければないであきらめもつく。
別になくしたわけでもないし、どこにあるかもわかっているし。
それよりも、ないことで困ったことがあった。

野暮用があり、妻の携帯に連絡しようかとしたが番号がわからない。
自宅の固定電話から、携帯に転送する設定にまではしていない。
あたりには、公衆電話も見当たらない。
到着先のロビーにある公衆電話では、「鳥羽一郎」のテレフォンカードも使えない。
こういうときのために、財布に入れておいたのに意味がない。

使えるのは十円玉と百円玉のみだが、小銭は百円玉しか持ち合わせがない。
一言二言の用事なのに、百円でおつりが出ないのもバカバカしい。
携帯電話がないと、手数がめんどうになる。

待てよ… 「この電話は今しなきゃいけないことか…」と考えると自ずと答えは出る。
手軽さが身についているので、少しせっかちになっているだけなのではないか。
おちつけば、意外にどうでもいい用件だったりする。
こうして、なければないで、開き直って過ごせるし。
20年前はこれが普通で、わざわざ「プライバシーを持ち歩く」ことはしなかったんだからね。

ついでに僕は、ガラケーだし!
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2013年09月11日

スピーチ力

連日、バーカウンターでは、五輪招致でのプレゼンテーションが話題になっている。

クローズアップすべきは、スピーチ力である。
話によれば、1964年の東京五輪では、先にプレゼンした某国のスピーチが長すぎたことに対し、   日本は要点を端的にまとめて、短いスピーチで完結させたことが、招致の決め手になったという。

多くに共通することだが、会議が長い会社ほど能率的ではない。
部下にすれば、早く現場に戻って仕事をしたいはずなのに、上司は精神論のような口上ばかり唱える。
それで会議を早く終わらせたりすれば、今度は「真面目に会議をしていない」と言い渡されてしまう。
不思議と会議に時間をじっくりかけたからと言って、うまくいったという話はあまり聞いたことない。
仮説に検証、くどい根回しや書類をたらい回しにしても、結局のところ成果は出ないことは、優秀な連中たちならわかっていることなんだ。
それより、テーマに忠実にテキパキと進行し、「やっちまえ!」のほうが新鮮で成果が早いもの。

日本の勝因は進行に過不足のないスピード感にあった。
スピード感こそスピーチ力であり、字余りも字足らずもない、見事なプレゼンテーションだったと思う。

ビールを飲むには、少し早い時間だ…   よし、このまま書き続けよう。
これは前にも書いたことだけど、言葉(スピーチ)そのものは、そんなに影響力はない。
それ以上に、声の抑揚(テンポやトーン)、顔の表情など言葉以外の要素のほうが相手へ与える影響が 強いことは広く知られるようになってきた。
ただ、それを実践すると、「無口なおしゃべり」と称される日本人の気質からして、態度が安っぽいとか、下手なパフォーマンスに映ってしまう。

それはそれでわかるが、逆に無表情でボソボソ小声でしゃべり、何の反応も示さずにつまらなそうにしている人のほうが、重い空気にならないかな。
こういうことは、どういう人とつながっていたいかに、結びついているものだろう。
一緒に食事をしながら、素朴に「おいしいね」と言う人のほうが、同席していて張り合いがあるように、     楽しい人と過ごしていたいのは当然である。
その意味では、スピーチもボディランゲージにも、TPOがあるんだと思う。

ここまで書いて気づいたことだが、今晩の文章は調子こいて長すぎるようだ…  これじゃ、落選だな。

冷えたビールを、喉に流し込みたくなってきた。
つまみは、「豚キムチ」と「焼鳥」、そろそろ食べおさめになる、茹でたての「黒埼茶豆」である。
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2013年09月10日

7年後…

東京五輪が決まった瞬間、誰もが「勝負は下駄を履くまでわからない」と思ったに違いないだろう。

決まるまで、日本人特有の精神論で浮かれている気もした。
逆に反対意見を述べる人は、常に反対材料を探すことに終始しているようにも思えた。
一度は時流に乗ってみるとか、視点を変えてみるとか、やり方はあるであろう。
「できるためにはどうするか…」、そんな思考回路もないと、不健康になるからね。

長い間、日本がひとつになることはあるようでなかった。
沖縄問題は対岸の火事だし、震災がれきの焼却先ひとつでも、新潟は直前で受け入れを拒んだ。
そうなると「スポーツ」という分野でしか、心はひとつになれないのかな。

仮説を立てれば、何ごとにも反対の立場を崩さない人ほど、「年越しできない不安」にかられたことが  ない人たちじゃないだろうか。
頑なに景気回復ばかり叫んでもダメだし、方や自分の倫理観だけで唱えられたら偽善的だ。
ここらでひとつ、東京五輪の開催決定に端を発し、「やるなら気持ちよくやろう」と姿勢を示すべきだろう。
将来に危機感があるから、「何かやろう」という日本の気概だと、どうして思えないのかな…

個人事業主の私見であって、それについて「ディベート」する気はないけどさ。
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2013年09月09日

本屋さん

本屋と呼ぶことにこだわりがある。

予定のない休日、自転車で街中を走り、気ままに本屋めぐりをしている時間が好きだ。
本屋は本屋であって、静かな雰囲気が好ましい。
だが、耳障りなBGMを流している店もあれば、接客用語を連呼している店など、雰囲気はさまざまあり
本屋に似つかわしくない店もあるが、時代の産物なので良しでいい。

中には店員が空目で万引きを監視していたり、書籍の入れ換え作業に険しい顔をしていたりと、そこで働く人もまちまちである。
個人的には存在を消しながら、黒子のように働く姿に本屋の店員冥利を感じる。

好きな本屋の雰囲気はBGMがなく、無音に近い環境であること。
聞こえるのは、レジで声のトーンを下げた接客用語と、床の足音が店内に共鳴するぐらいがいい。
携帯を使われるのは耳障りだし、制御装置が外れたような甲高い声も苦手である。
僕は本を探しにきているから。

本屋に行けない日が続くとおちつかない。
背表紙を眺めているだけでも楽しいし、どんな世界観があるのか考えると好奇心が刺激される。
近所の小さい本屋が大型書店に変わろうとも、本屋の文化は大切に持ち込んで行きたいと思う。

こう書いてしまうと、さぞかし文学的で難しい本を読んでいると思われそうだがそれはない (笑)
難しい本ばかり読んでいると、考えが凝り固まるどころか、理屈が地に着かなくなるからね。
大した読解力もないし、人に薦められる本もない。
あくまでも、本を読む習慣でしかないんだ。

この日買ったのも、推理作家の吉村達也シリーズ、NHK取材班によるドキュメンタリー小説。
出勤前、ところ構わず読んでいるか、寝る前にベッドスタンドで読んでいるか日常の一部でしかない。

きっと、このスタイルは変わらないんだろうな。
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2013年09月08日

東京五輪

8日 朝5時20分 「2002年 東京五輪」の開催が決定した場面でベッドについた。

決め手のひとつには、招致へのプレゼンテーションが、高く評価されたようである。
そんなプレゼンを見て、表舞台での伝達法(アピール)が長けてきたなと思った。
次第に手慣れてきた様子が見とれたし、時代のアイテムを大々的に駆使し、懇切丁寧かつ熱心な態度で語ってきた甲斐があったのだろう。
プレゼンの内容は時代の変化だろうが、その成果を示せるかは別問題となる。

懸念もあった。
理屈というプレゼンが上手すぎて、肝心の感情が揺れ動かされないことがある。
データ分析、マーケティングの検証などのリサーチも重要だが、最後は情熱に裏打ちされた信頼度だ。
情報化社会だから、開催要素をかき集めることは簡単だが、一番注目されるのはプレゼンではなくて、その国の日常民度なのだと思う。

人を見る目を養うには、オフィシャルな空間よりも、日常のプライベート空間を見たほうが早いもの。
このあたりは、会社案内のパンフレットみたいなもので、化粧をしたり着飾ったりしながら、いい会社で あることをアピールするのと同じこと。
本当にその会社を知りたければ、掃除のおばちゃんに聞くのが早い。
陰ながら地味な立場に対して、普段どういう態度をとっているかに、会社の民度が表れているからだ。
飲食店であっても、トイレの不潔な店の客層は高が知れている。

私事、北京五輪開催前の2001年、中国の北京へ行ったことがある。
トイレと路上マナーを見て、「この国で五輪が開催されて大丈夫か…」と思った記憶がある。
結果として、2008年に開催されたが、このように無意識に大衆民度を見ているわけだ。
身近な選挙にしても、当選したいための言動と日常の言動、どちらに票を投じるかは明らかだ。
言葉は巧みだが信用できない人、口下手だが態度に説得力が溢れている人の違いにも似ている。

東京五輪が決定したのは、言動にバランスがあったことに加え、日本の民度が評価されたと思う。
震災対策や福島の汚染水問題など、不利な要素も多かったにも関わらず、こうして圧倒的支持を得たことはまだまだ日本は捨てたモンじゃない。

僕は1964年、東京五輪の年に生まれた。
56年ぶりとなる東京開催では、御年すでに56歳になろうとするところ。
はたして、人生の「ウルトラC」はあるのだろうか…
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2013年09月07日

投稿画像

連日、交流サイトとやらに不適切な画像を投稿して、若者が「やぶへび」になっている。

その結果、本人は愚か、営業停止や廃業も余儀なくされ、その関係者までも不幸にしてしまうんだから、「考えなし」ほど怖いものはない。
投稿するとき、現実感をもてないんだろうな…
その投稿画像だけど、まるで家の中で寛いでいるとしか思えないんだよ。

いつの頃からか、世間が「個性」をひたすら尊重するあまり、こういう行動に違和感を持たなくなった。
個性的でありたいと主張する反面、その実態は極めて臆病で不器用だったりするわけだ。
生身のつきあいよりも、交流サイトなんちゃらのほうが、心地がいいと言うんだからさ。
僕は生身のつきあいをできない人は、どこか欠陥がありそうで、あまり信用したくない。

そのうち行為が過ぎて、月夜の晩に自宅のベランダからウットリして、どうでもいいようなメールを1日に何通も女性におくりつけるような、ストーカー予備軍になると思う。
つまり、コミュニケーションの仕方からしてわからないんだから、無理のないことかも知れない。
普段の何気ない行動の中にも、次第に蝕まれていくことってあるからね。

最終的には、群れから外れられない行為としか思えてならない。
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2013年09月06日

彼の素顔

5日、霧雨模様の夕方…

少量の買物をしに、ラブラ万代まで傘をさして歩いて出かけた。
途中で大通りを渡るため、地下道を昇りきったところで、偶然バッタリと同世代の知人と出くわした。
「ヨオ!」なんて感じで挨拶を交わし、しばし立ち話になった。

それまでは「表の顔」(仕事)ながら、会えば「素の顔」(私生活)になれるのが、彼の人柄の良さ。
最近わかったことが、交際範囲の広い人ほど、出会った瞬間をオーバーに表現すること。
要するに、人見知りしないんだ。

会えば「オー!」とか、「イエー!」だの言いながら、政治家のように両手で握手を求めてくる。
その顔は少年のような笑顔で、軽く抱きついてくることもある。
根っからの新潟人は、こういう気さくなノリはあまりできない。

内心、「先月、店であったばかりだろ…(笑)」と思っても、タイミングが新鮮なのだろう。
そんなつきあいやすさが魅力で、小細工なしにあれこれ話しかけてくるところが初々しい。
それに、人の悪口や不愉快になることを言わないから、誰からも信用されるタイプであろう。

僕も過去、人を信じて痛い目にあったことがあるから、このあたりは見る目を養えたかも知れない。
こうして、ムダに構えない素顔を見ていると、何か得をした気分になれるから不思議である。
こういう男の前では、できるだけ正直でありたいものだ。

閉じた傘の先端から、雨だれを滴らせながら、霧雨降る夕方の万代にて…
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