2013年08月26日

小さな車

歌手の宇多田ひかるを娘にもつ、母の藤圭子が自らの命を絶って3日が過ぎた。
日曜の夜、芸能トピックとして取り上げられていたのを、自宅のソファーで寝転んで見ていた。

娘をデビューさせるため、米国での家族3人の移動手段は、見るからに狭そうな小さな車だった。
生前、離婚した頃、親しい関係者には「(家族の形)あの頃に戻りたい」と言っていたそうだ。
「小さな車」に彼女の心情が物語っていた気がしたが、きっとこういうことだろう。

「小さな車」に夢を託して、車内は狭いながらも笑いのたえない、家族の温かい輪があった。
今の自宅も手狭だけど、家族が話し合い自立を尊重しながら、結びつきは不変であった。
それがいつの間に「大きい車」になったら、逆に険しい顔となり、家族が次第に他人になっていく。
自宅がどんなに豪邸でも、住んでいる家族が別々の部屋で好き勝手なことをしていて、日常語である「ただいま」「行ってきます」すらなければ、いずれ結びつきにいさかいや憤りをまねいてくるだろう。
「どっちが幸せなのか」って話になるけどさ。

前者の家庭なら、子どもはグレることなく育つと思うし、こういう「親バカ」ならいいと思う。
その一方、後者の家庭には、愛情の端々に金の匂いと見栄で生きる「バカ親」にも見える。
「親バカ」と「バカ親」の字ずらは似ているが、見方は別物である。
「親バカ」はまだ同じものを見ているので、親は苦労を苦労と感じずにすむ。
「バカ親」に育てられた子どもは、来るべき社会の時間でわかるものだ。

いい例が、ボクシングの亀田三兄弟の父親である。
最初は公式の場での態度、言葉遣いもわからない、独り善がりの「バカ親」だった。
入学式に子どもをモヒカン刈りにして、紫色のスーツを着せて参列させる精神構造にも思えた。
だが、3人の子を世界王者に仕上げたときには、もう立派な父親として世間は認めていた。
自分の「バカ親」ぶりに途中で気がつき、こういう「親バカ」なら次第に愛されるようになる。

藤圭子は大金を手にしてから、5年で5億円の現ナマを持ち歩き、世界中を豪遊生活していたという。
夢のような生活をしておきながら、じゃあ何で自殺をするほど病んでしまったのか。
金では買えないものがあったんじゃないのかな。
それに家族との心がすれ違っていれば、「あの頃に戻りたい」と思うのも無理はないだろう。
世の中、身の丈さえ知っていれば、「小さな車」でも辛くはないと思うけどね…

ぽっかり空いた日曜の夜、やがてテレビにも飽きた頭で、こんな考えごとをしていた。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする