2013年08月31日

予定は未定

8月の猛暑に加え、週末が5回あったせいか、気分的に夏が長いと感じた。

今夏、「海水浴へ行くぞ」とはりきっていた。
前日には、「海パン」と「バスタオル」、「下駄」を用意しておくほどの気合の入れよう。
当日、正午に起床して空を見上げると炎天下に恐れをなし、「だめだ、こりゃ…」とたじろぐこと2回。

ひとりで気ままに海水浴へ行くだけなので、とっさの気分の変わりようは早い。
準備までしておいて、それまでの気力はどこへ行ったのやら。
妻から「行かないの…?」と聞かれ、即座に「中止!」と宣言したのも2回。

恒例、「夏の予定は未定」も終わり、ようやく明日から9月に入る。
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2013年08月30日

2013 September

【9月定休日】  安心な低価格 お1人様こそ大歓迎  
     1日(日) 8日(日) 16日(月) 23日(月) 29日(日)
    ※ 15日(日) 22日(日) 通常営業致します
    ※ 17日(火)の開店時間は都合により、「21:30」からとさせて頂きます。
      
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日   日曜日 (連休の場合は営業致します) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)


なぜか突然、聴きたくなる曲は誰でもあると思うが、一曲には絞り込めないだろう。
初めて買ったレコード、初めて歌ったタイトル、あの場面で流れていたメロディー… 人それぞれだ。

初めてディスコ(クラブ)のDJに、リクエストした曲はよく覚えている。
Junior 「 Mama Used To Say 」
当時、「ユーロビート」がブームだったので、「ブラック」はそんなに流れていなかったんだ。
個人的には、クールに歌い流す「サラリ系」が好きなんだけど、「 Mama Used To Say 」と大きく唸る独特のフレージングは、演歌の女王「美空ひばり」のこぶしが利いた、節回しを思わせられた。

この曲で踊りたいというよりも、大音響で聴きたかったほうが強かったかな…
当時の自分が何をしていたか、鮮明に思い出せることが、本当にしみいってる曲だったりする。
この曲以外、「ディスコソング」はあまり知らないんだけど、今聴いても躍動感があるんだよな。

と… 「エキサイト ダンサー せきぐち」 改め 「トロピカル ダンサー かずお」が言ってました?
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2013年08月29日

海老沼 匡

連日早朝、リオデジャネイロから衛星生中継で、「2013世界柔道選手権」が放映されている。

僕にとって、至福のゴールデンタイムとなる。
今大会、柔道66キロ級で金メダルを獲得した、「海老沼 匡」の決勝戦に感動した。

相手は審判の死角を狙ったのか、反則スレスレとなる立ち技から「わき固め」(関節技)を仕掛けた。
瞬間で手首を極められ、肩に体重も押しつけられ、肘を絞り上げられる。
審判は反則を言い渡すかと思いきや、そのまま「わき固め」を容認して試合は続行された。
海老沼は「待て」の合図が入るまで、微妙に体の位置を入れ換えながら、30秒近く痛みに耐え抜いた。

しかし、左腕に相当なダメージを残したことは言うまでもない。
審判は時間を止めて、ドクターチェックを入れると思いきや、非情にも試合は続行された。
左腕はもう利かないはずだし、その痛みは生身であることを感じさせるほどだ。
こうなると本能的に戦意喪失になるものだが、苦痛を押し殺しながら正々堂々と組み合った。

 − ここで早朝5時30分放映終了。CMをはさんで次のニュース番組に映像がつながれた −

切りかえられたスタジオが歓喜に沸いた。
CMの間、海老沼が一本勝ちを決めたのだ。
VTRを見ると、前襟をつかんだ右手だけを有効に使い、捨身の大内刈りで勝利したのである。
アドレナリンを抑えきれない両拳を強く握りしめながら、彼は畳の上で喜びを小さく表現した。

左腕の痛みに精神力を宿らせた、「海老沼 匡」の気迫に感動した!  
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2013年08月28日

はだしのゲン

マンガ「はだしのゲン」の閲覧制限は、撤回を妥当とする結論に至った。

先日、書店で「はだしのゲン・総集編」を二冊買って読んだ。
読み継がれている本の何が問題で、何から目を覆おうとしてるのか、今一度この目で確かめたかった。

僕が初めて読んだのは、中学一年生の学級文庫である。
中1の読解力であるから、多くは理解できなかったけど、少なからず平和への尊さを感じたもの。

それより、「なぜ」の疑問のほうが大きくなった。
 「なぜ、戦争になったのか…」
 「なぜ、アメリカは原爆を投下したのか…」
 「なぜ、国民の多くは戦争に反対しなかったのか…」
 「なぜ、差別意識にとりつかれたのか…」
 「天皇陛下とは、日本にとってどういう存在なのだろうか…」
人それぞれの見方や歴史認識は違うけど、「なぜ」を考えさせる機会を奪ってもいいものだろうか。

丁寧すぎる理想論は、「意見はひとつじゃない」ことをさえぎると思う。
図書館が「考える場所」を遠ざけたら、図書館の意味を成さないわけであってさ。
青少年を子ども扱いし過ぎると正論が横暴となり、「考える力」が身につかなくなるんじゃないかな。

僕は閲覧規制することは全く理解できない。
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2013年08月27日

プロボクサー

「そりゃ、強かったけどさ…」

ボクシングのロンドン五輪、金メダリスト「村田諒太」が、プロデビュー戦を華々しく2ラウンドTKO勝ちをおさめ、その実力を新たに知らしめた。
しかも、対戦相手の東洋ミドル級太平洋王者は、「何もできなかった…」とまで言わしめた。

だが、試合の態度は鼻についた。
入場シーンから花道で笑顔を振りまき、試合中やインターバルも余裕しゃくしゃくの表情だった。
試合後、笑顔は自分をリラックスさせるためと、心理的に相手より優位に立ちたいからとしていたが、  見方によっては侮辱にも受け取られるからね。
相手は日本王者であり、リング上は対等であっても、プロボクサーとしては先輩にあたるわけだ。
それに「一対一の勝負」においては、敬意を払うのが日本人の美徳でしょ。
日本のスポーツマンシップに乗っ取れば、外国式のリアクションは慎むべきだろう。

勝っても負けても、相手を気遣う意味では武道と同じ精神である。
ロンドン五輪では、あんな態度は見せなかったはず。
それは対戦相手(対戦国)がいるから、国際儀礼を抜きには語れないと考えられているからだ。
これこそ、日本が世界に誇れる美徳である。

そういうところを勘違いして、リングに上がったような気がする。
「勝てば官軍」だけでは、人からは共感されにくい。
そりゃ、プロ第一戦の努力はくみするし、実力も誰もが認めるところ。
だけど、あの態度をかっこいいと勘違いさせたらいけない。
相手が誰であろうと、不遜な態度はダメだよな。
流行の不良上がりのボクサーじゃないから、あのパフォーマンスはもったいないんだよ。
黙って入場して、さっさとぶっ倒して、軽く一礼して花道を引き上げたほうが、強くて賢い姿であろう。

あの実力だ。
早い時期に、タイトルマッチも組まれてくるだろう。
今の僕は、「どこかに村田をリングのど真ん中で、ノックアウトしてくれる奴いないかな…」である。

人の心情からすれば、そうなるわけだ。 
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2013年08月26日

小さな車

歌手の宇多田ひかるを娘にもつ、母の藤圭子が自らの命を絶って3日が過ぎた。
日曜の夜、芸能トピックとして取り上げられていたのを、自宅のソファーで寝転んで見ていた。

娘をデビューさせるため、米国での家族3人の移動手段は、見るからに狭そうな小さな車だった。
生前、離婚した頃、親しい関係者には「(家族の形)あの頃に戻りたい」と言っていたそうだ。
「小さな車」に彼女の心情が物語っていた気がしたが、きっとこういうことだろう。

「小さな車」に夢を託して、車内は狭いながらも笑いのたえない、家族の温かい輪があった。
今の自宅も手狭だけど、家族が話し合い自立を尊重しながら、結びつきは不変であった。
それがいつの間に「大きい車」になったら、逆に険しい顔となり、家族が次第に他人になっていく。
自宅がどんなに豪邸でも、住んでいる家族が別々の部屋で好き勝手なことをしていて、日常語である「ただいま」「行ってきます」すらなければ、いずれ結びつきにいさかいや憤りをまねいてくるだろう。
「どっちが幸せなのか」って話になるけどさ。

前者の家庭なら、子どもはグレることなく育つと思うし、こういう「親バカ」ならいいと思う。
その一方、後者の家庭には、愛情の端々に金の匂いと見栄で生きる「バカ親」にも見える。
「親バカ」と「バカ親」の字ずらは似ているが、見方は別物である。
「親バカ」はまだ同じものを見ているので、親は苦労を苦労と感じずにすむ。
「バカ親」に育てられた子どもは、来るべき社会の時間でわかるものだ。

いい例が、ボクシングの亀田三兄弟の父親である。
最初は公式の場での態度、言葉遣いもわからない、独り善がりの「バカ親」だった。
入学式に子どもをモヒカン刈りにして、紫色のスーツを着せて参列させる精神構造にも思えた。
だが、3人の子を世界王者に仕上げたときには、もう立派な父親として世間は認めていた。
自分の「バカ親」ぶりに途中で気がつき、こういう「親バカ」なら次第に愛されるようになる。

藤圭子は大金を手にしてから、5年で5億円の現ナマを持ち歩き、世界中を豪遊生活していたという。
夢のような生活をしておきながら、じゃあ何で自殺をするほど病んでしまったのか。
金では買えないものがあったんじゃないのかな。
それに家族との心がすれ違っていれば、「あの頃に戻りたい」と思うのも無理はないだろう。
世の中、身の丈さえ知っていれば、「小さな車」でも辛くはないと思うけどね…

ぽっかり空いた日曜の夜、やがてテレビにも飽きた頭で、こんな考えごとをしていた。
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2013年08月25日

二重奏

昼夜の二重奏である。

開けた窓から響いてくる蝉の鳴き声は、去り行く夏を惜しむ象徴のように思える。
鳴き声は日増しに迫力が消え失せて、そろそろ主役が交代する時季となる。
夜になると茂みや側溝から、秋の虫の鳴き声が小さく響いていた。

窓を開けて、寝れるようになった。
夏の疲れを感じていたので、自然の涼しさは心地いい。
季節があるということは、幸せな気分になるものだ。

秋はそこまできている。
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2013年08月24日

団地ともお

今週、偶然見ただけなのに、早くも凝ってしまったアニメ番組がNHKの「団地ともお」。

物語は団地住まいの小学四年生の「ともお」が家族や友人、道すがらの光景に興味を示して、コミカルに情操を高めていく、15分二話からなるホームアニメ。
「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」とは一風違い、やんちゃだった頃の「子ども性」を再発見させられるところに惹かれてしまう。

「ともお」のような少年は好きだ。
勉強はできないけど、体育の授業や昼休みになるとはりきる子。
宿題を忘れて廊下に立たされようが、ゲンコツを喰らおうが、毎朝元気に登校してくる子。
放課後、下校時間の最後まで校庭に残って遊んでいる子。
休みの日、公園でひとりサッカーボールを蹴りながら、友達が来るのを何気に待っている子。

団地は小さな下町みたいなもの。
棟や区画で共同生活しながら、それぞれの家庭の在りかたがある。
その中で、ともおのように活発で友達想いの子がひとりでもいれば、それまでおとなしかった子どもたちまでも、表情がイキイキとしてくる。
コンプレックスに悩むより、勉強以外の多くのことにも関心を持ち、思い込みで人を判断しない純朴さ。
幼少期、そんな竹を割ったように、わかりやすい子どもはいたと思う。
大人が取り戻さなきゃならない感覚は、ともおのような単純な「子ども性」じゃないだろうか…

「団地ともお」 ついつい人に薦めたくなるホームアニメである。
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2013年08月22日

B級ニュース

中国の「B級ニュース」はおもしろい。

中国の動物園でライオンの檻の中には「犬」、ヘビの檻には「カピパラ」、ヒョウの檻には「キツネ」が展示されており、入場料を払ったお客さんが大混乱したという。
上野動物園に家族でパンダを見に出かけたら、檻の中に「チャウチャウ犬」がいたようなもんだ。
相変わらず、笑わしてくれる国だ。

その昔、少年ジャンプに「ど根性ガエル」という、オムニバスマンガが連載されていた。
物語は小さな町のお祭りに「歌謡ショー」と題した、見世物小屋の興行からはじまる。
ゲストは野口五郎 天地真理 森昌子と、時代のビッグアイドルが格安の入場料で見れるという。
しかし、薄暗いステージで顔を隠して熱唱しているのは、似ても似つかない全くの別人である。
大騒ぎになった場内の舞台袖から、出てきた主催者の説明はこうだった。
野口五郎の口はカタカナの「ロ」であり、正式な芸名は「ノロゴロウ」
天地真理は字をたてがきに分解して、一大地真理と書き「イチダイジマリ」と読む。
森昌子も同じたてがきの分解にして、木林日日子と書き「キバヤシヒヒコ」と読む。
だから、勝手に読み間違いをして入ってきたお客が悪いという言い分。
そんな、お笑いマンガみたいなことが、本当におきるのが今の中国なんだからね (笑)

日本も似たようなことはあった。
お化け屋敷に入ると、暗闇に線香の匂いとお経が流れているだけで、「おばけが出たー!」と思ったら、裸電球に照らされたベニヤ板に「唐傘おばけ」が描かれていた。
出口付近にさしかかると、スポンジを敷き詰めた落とし穴があったり、隅からうちわで風を仰いでいたり、顔にコンニャクをつけられたりもする。
ひどいのになると、頭に白い三角頭巾をつけて「うらめしや…」とか言いながら出てくるおじさん。
それで「おもしろくないよ…」とつぶやくと、「うるせえ、早く出てけ」と怒鳴られる。
コレ、文化祭の出し物にもおよばない、悪徳レベルでさあ… (笑)

こんなこともあったなあ…
昔の仲間が成人雑誌の広告欄で、「おま〇〇」の写真10枚セットを現金書留で申し込んだという。
それで送られてきたのは、ふんどし姿のおやじ達がお神輿を担いでいる、「おまつり」の写真だったというから、もう腹を抱えて笑い死にそうになったことがある。

大人になるとリスクは高くなる。
街中で友人が連れ込まれた風俗店では、自分の母親より年齢が優に越えた濃厚熟女だった。
それで「チェンジ」を申し出たら、店の奥から強面のお兄さんが出てきて、「ウチのナンバーワンに文句があるのか」と恫喝されたという。
仕方なしに、濃厚熟女のヘンテコリンな熟練技で昇天して、有り金を全部巻き上げられたとか。
スケベ根性はリスクがつきまとうが、社会の裏を知る面もあるわけ。

日本はともかくとして、中国のデタラメ動物園は笑える。
情操教育の動物園でこんなデタラメをやらかす、中国とは何て面の皮が厚い国なのだろう…

中国の「B級ニュース」ほど、今おもしろいものはない…  いやはや、脱帽だよ(笑)
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2013年08月20日

エリア51

米政府がネバダ州にある、機密軍事施設「エリア51」の存在を公式に認めたことを新聞で知った。
公式にUFOや宇宙人の存在は認めてないが、マニアの間で今後の報道に期待を寄せているらしい。

20代の頃、超常現象の中でも取り分け「UFO問題」には興味があった。
幼少時代、白黒テレビで見た「ウルトラセブン」が下敷きにあり、再燃のきっかけは「矢追純一のUFO  シリーズ」(書籍)であった。
なので、「エリア51」をはじめ、「キャトル・ミューティレーション」と名づけられた宇宙人による家畜実験、「グレイタイプ」と呼ばれる頭でっかちの宇宙人など、一通りのキーワードは通用する。

小学3年生の頃、空飛ぶ円盤(?)を見たことがある。
真冬の夜、雪の集積場で寝転んで夜空を見上げていたときのこと。
3色(赤・青・黄)を点滅させながら、上空を編隊飛行している謎の物体をこの目で見た。
見間違えかと思うが、それまで誰にも言ったことがなかったので、今晩書いたことにより、幼き日の秘密を告白できたようでホッとしている。

半世紀を一括りにしても、その間に驚くべきテクノロジーが開発されている。
この急激な進化の早さに、どこかからテクノロジーを入手したか、供給されているとさえ思えてしまう。
歴史を振り返れば、この早さはありえない話ではないでしょ。
数々のSF超大作なども、いずれ白日の下へさらされることを予見して、映画という形で小出しに国民を洗脳しているんじゃないかと、他愛もない夢が大きく膨らんでくるもの。

この世に生きているうちに、未確認飛行物体や宇宙人の存在など、解明された事実を知りたいよね。
ただ、あまりにも真顔で語ると、一般社会では風変わりな存在にされてしまう。
あくまでもファンタジーをおりまぜて、想像力を満たすものなので、金輪際この手の話は封印しておく。

そうじゃないと、「メン・イン・ブラック」に記憶を消されてしまいそうだ…
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2013年08月19日

夏の映画館

18日夜、涼を求めて映画館へ 「終戦のエンペラー」を見に出かけた。

日曜の夜は観客が少なく、適度に冷房も効いていて過ごしやすい。
ロビーから、緩やかな川と静かな夜景が一望でき、ダウンライトが1日の終わりを告げているようだ。
二時間半は涼めるので、夏の映画館は最適な空間になる。

昭和天皇の歴史認識を見直せるいい映画だった。
最初に妻が見たいと言い出したことからはじまる。
映画好きの妻は、作品が文学的でも通俗的であろうと、その鑑賞力は客観的に冷静である。
過剰な表現で本筋を見失わず、芋づる式に物語をまとめて、実態を語れるところは真似できない。

映画はいい。
一緒に見て何かを感じる点では、特有なコミュニケーションができる。
蒸し暑い夜道を歩きながら、妻の解説もパンフレット代わりに聞ける。
僕の教養はバレてしまったけど、映画は知らない世界を知る楽しさがあるよね。

残暑が厳しい中、ほろ酔いとは一味違った、月夜の帰り道だった。
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2013年08月17日

熱帯夜

連日、熱帯夜が続いている。
年齢的に強めの冷房を拒む体質になったが、さすがにそんなことは言っていられない。

寝るときだけは、冷房のタイマーをかけている。
起床する頃、外は最高気温に達し、寝汗で目覚めるため、最早目覚まし時計は役割を果たさない。
そのまま浴室でシャワーを浴びて、部屋ではバスタオルを腰に巻いて過ごす。
昼の炎天下を見上げるだけでも、外出する気力が萎えそうなこの暑さである。

それでも外気を浴びないと、昼夜のメリハリがつかなくなりそうで、努めて外出するようにはしている。
体に少しの太陽光を備蓄しておかねば、本当に「月夜の男」になってしまうからね。

熱帯夜、寝つきに悩まされている人も多いと思う。
近隣マンションの窓明かりが、夜明け前に灯っているのは、暑さで途中に目が覚めた人もいるのだろう。

涼しい朝方に眠れることはいいのだが、遮光カーテンとはいえ、陽の光だけはどうしようもない。
それにタイマーが切れた後、真夏の炎天下に部屋がじわじわと暑くなるのは、時より気持ちよく感じる。
まあ、慣れではあるが、標準時間でないからこそ、とりわけ違った感覚になるというものだ。

そんな熱帯夜も、あと何日かの辛抱である… 
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2013年08月16日

Summer Time

15日午後から、本格的なUターンラッシュがはじまった。

お盆期間が仕事だった人は、これから交代制の休日に入るという。
昔ほど集中的な列島大移動はなくなったものの、まだどこの行楽地も賑わいを見せているらしい。

今週、繁華街は人は少ないながら、同窓会と思しき団体客と旅行客が目立っていたようだ。
当店は暦どおりに従事する会社員、ようやく夏休みに入った常連さんらが連夜マッタリしていた。
人によっては、どこへ出かけても混んでるので、わざわざ疲れに行くこともないという輩もいる。
故郷を持たない人は、中心街の閑散とした雰囲気を愉しんでいたと思える。

燃え盛る真夏が過ぎるにはまだ辛抱だが、それぞれがサマータイムを満喫している… 今日はここまで
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2013年08月15日

Enrico Pieranunzi(P)

エンリコ・ピアルヌンツィ・トリオ 「2004 日本ライブ2枚組」 を連日聴き入っている。

これまで、2〜3枚聴いているが、「日本ライブ」 は初めて聴く。
人に語れるほど聴いてはいないが、自分のアドリブを探り続けている印象を受けた。
その残響音 「ブラッド・メルドー」 を思わせる。

音の着地点が予想しづらい。
オリジナルが多いのに加えて、原曲のメロディーもさりげなく、曲のインパクトも残りにくい。
立ち上がりも遅く、粒立ちがはっきりしてないから、どれも同じように聴こえてしまうと思う。
聴きやすくはないので、聴き流す状態になるかも知れない。
ウケ狙いのフレーズがないから、やや難しいアルバムである。

アルバムを聴き返すのは、1回聴くのと何回も聴いたあとの感想が異なるからだ。
だから、ジャズのアルバムほど、コストパフォーマンスに優れた、ジャンルはない。
常々言うが、ジャズはそう何枚も聴けないし、しみてくるまで時間はかかる。
学識でないから、無理に聴くべきではないが、ビギナーが最初に聴くには「エンリコ」のハードルは高い。
しかも。緊張感も高いから、好みも割れるだろう。

最初は 「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」 のように、レパートリーがわかりやすいのがいいだろう。
ジャズは、どこから聴けばいいのか迷い、入口で引き帰す人も多い。
その点、聴きやすさで言えば 「ビル・エヴァンス」 だろうが、その中身も断然に濃い分、あまりカンタンに触れて欲しくない、複雑な心境がある。

話を 「2004 日本ライブ2枚組」に戻す。
まだ、一枚目しか聴いていないので、アルバムを包括的には語れない。
だが、名曲「枯葉」をベースに15分ほどの即興へ突入したエンディングナンバーこそ、エンリコの魅力がストレートに伝わると思うし、この曲だけでも一聴の価値あり。

ライブ盤だから仕方ないけど、どこでも場違いな歓声を上げる客はいるもの。
僕自身、歓声自体は嫌いではなく、ライブを盛り上げる意味では理解できる。
だけど、毎回ひとりの観客が 「ヒョー」とか、調子っぱずれの甲高い奇声を上げるんだよね。
そんな、お節介な客が、録音をぶち壊しているのは複雑だ。
経験的に本当に感動した時は、地響きや低音のざわめきに近い 「タメ息」 が出るよ…

明日から耳を2枚目に移すが、また「ヒョー」とか奇声が入っていないことを願いつつ、本文を締める。
N塚さん、これからも「新潟」と「東京」をつなぎながら、長いおつき合いしましょうね (笑)
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2013年08月13日

半世紀

僕の年代(1964)が今、心地よい緊張感に包まれているのは、来年「花の50歳代」へ突入するからだ。

いろんな見た目を失うはず。
髪は細くなり、白髪が増えて、生え際も後退してくる。
腹が出てきて、体の動きがぎこちなくなり、頭の後ろから汗が流れるようになる。
顔全体が垂れ下がってくるし、シミやシワも増えてくるだろう。
それ以外、血圧や血糖値、性欲減退など、見た目じゃわからないことだらけになる。
行動に限れば早起きになったり、時代小説を読む気になったり、神社におまいりに出かけたくなったり…

潔く受け容れる覚悟はできている。
男がヒアルロンサンを注入したり、リフトアップしたりすることは考えられない。
女性は矯正下着で十分だし、せっかく可愛く年齢を重ねているのに、若返りを意識するあまりに自ら     「妖怪七変化」になっている場合もある。

じじばば諸君… 自然の摂理を受け容れようではないか。
ツービートの有名な標語 「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」の精神である。
50歳代、酸いも甘いも人生経験が豊富になる。
長年育まれた考え方が積み上がれば、晩年の人格に影響を及ぼすはずだ。
ただし、いい方にも、わるい方にも、半世紀の経験は生かされてくるんだと思える。

高校を卒業して、丸30年が経過した。
それぞれの母校によっては、今年は30周年の記念イベントも多いらしい。
交わる親しさはないにしろ、節目を確認しあえる余裕は、長い目で見れば必要だとは思うね。
それにしても早いね… 来年、半世紀になるんだよ。

そういう、僕の出身高校はぶっつぶれてねえし!    (*`▽´*)ウヒョヒョ
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2013年08月12日

花火大会

新潟まつり最終日の演目は、「花火大会」で終わるのが慣わし。

スターマインは迫力があるし、花火と音楽のコラボも時代を彩っている。
曲芸のような創作花火も多く、カラフルな連射に目を奪われてしまう。

そんな演出は喜ばしいが、いつの間に日本らしさを感じにくくなった。
奥ゆかしい情景というか、演出がこり過ぎて生音の風情を壊している。

花火の原点は、精進料理に似ている。
だが、グルメブーム、誰でも飲食店に点数をつけるようになった頃から、日本人は精進料理を忘れた。
粗食に敬意をはらえないのに、花火の美を感じられるのかな。
シンプルな過程を経て、高度なことがわかってくるのに、今は原点知らずに創作ばかり見ているんだ。

見方は人それぞれ自由だが、原点は一発に込められた祈りだろう。
夜空に一発、大輪の華が咲き、衝撃音が響いた後、火薬の匂いが漂ってくるのが花火文化だと思う。
シンプルな打上げ花火にこそ、精進料理のような品のよさがあるような気がするんだけどね。

週末の疲れを少し残したまま、万代の某所で花火大会を見物すること50分。
スターマインの雷鳴を背中越しに聞きながら、下駄を鳴らして家路に向った。
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2013年08月10日

Cliff Almond(Dr)

好きなドラマーに 「ミシェル・カミロ」 のツアーメンバー  「クリフ・アーモンド」 がいる。

90年 「斑尾ジャズフェスティバル」 が、初来日だったと思う。
当時、カミロのスピードにヒーヒー言いながら、くっついてまわっていた感じだった。
それから、3回ほど目の前で聴いた印象は、インタープレイに激しさが増したのがわかった。
従属的なドラマーというより、対等に演奏できるドラマーに変身していた。
シャープなスピードに加えて、重量級のリズムが生み出す、破格のグルーヴが人を虜にした。

クリフに限らず、それが持ち味のドラマーは他にもいる。
だけど感情移入されてしまうのは、カミロはもちろんのこと、時系列で聴いてきたからであろう。
変化に気づく以上に、カミロとの共演が個性の確立に役立ったと思う。
カミロも自認しているが、ドラマーに高いスキルを要求することは有名である。
メンバーチェンジはあったが、僕のファーストコールドラマーはクリフなんだ。

初来日から、21年後の2010年オスローでのライブ映像。
斑尾ジャズと同じトリオで、カミロの名曲 「オン・ファイヤー」 を演っているではないか。
その演奏、レスポンスに優れ、彫りの深さを感じてしまう。
あそこまで、シンバルを鳴らしまくり、フルストロークなのにうるさくない。
フォームがぶれていないし、手首のスナップが利いているからだ。
それに、タップストロークが絶妙である。

カミロは 「ドラマーを育成」 する。
ジェットエンジンを搭載したようなドラミングは、どこからでも急発進、減速、急ブレーキをかけられる。
「クリフ・アーモンド」  どこまで魅了するのだろうか  (添付画像をご覧あれ)

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2013年08月09日

踊る新潟

9日 新潟まつり初日。

大民謡流しがはじまる前、にわかに浴衣姿の参加者でざわめく街中の雰囲気が好きだ。
僕は「新潟甚句」が鳴り響く、同時刻が開店なので、見物に行けないのが残念である。

昔ほど、盛り上がりには欠けるという。
昔は終了の合図とともに、浴衣姿で居酒屋やスナックに顔を出すのが、粋な遊び方だった。
今はシャワーを浴びにさっさと帰宅する人が多く、まつりの風情も変わってしまった。
年に一度、浴衣を着付けしたんだから、立ち振る舞い含めて着流しで遊ぶのも粋なんだ。

別名「盆踊り」というぐらいだ。
盆は盆でも、煩悩(ぼんのう)の「煩」で解釈すれば、気が狂うほど踊り続ければいい。
夏の鎮魂行事なんだから、欲望まみれの邪気をはらい、悪霊が退散するまで「新潟甚句」を踊るのだ。
踊りは簡単だから、「24時間 チャリティー新潟甚句」でもいいでしょ。

アフリカの原住民の踊りは凄まじい。
白目を出して口を半開きにして、変な呪文を唱えながら、幻覚を見るまで踊り続けるのだという。
踊り続けた先では、何かが頭上から降臨して、生まれ変わった気持ちになれるのだろう。
日本の滝修業みたいに、気持ちがスキッとすると思うし、「新潟甚句」改め「幻覚甚句」である。

なんか、俺の頭の中でも「まつり」がおきている…
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2013年08月08日

Windows XP

まあ、物持ちがいいと言おうか、何と言おうか。

同じ機種のノートパソコンを8年ほど使っている。
ソフトはXPだが、今となっては、重い 遅い 鈍くさい。
何度か操作で軽くしたが、来年4月で終了するアフターサービスまで、この際使い切ろうと思う。

僕はネット社会に乗り遅れている。
いや、無理についていこうとも思わない。
仕事なら、四の五言わず覚えなきゃならないが、私生活で不自由することはない。
そもそも、流行を放棄したような男なので、何でもかんでも新しいものに飛びつかない。
ファミコンをしたこともなければ、ネットゲームもしたことはない。
男女の出会い系サイト、同じ話題の交流サイトに入ったこともない。
それに、顔が見えない相手とチャットで意見を交わして、そのうちケンカするなんて信じられない。
フェイスブックなんてやらないし、ツイッターでつぶやいたこともない、ないないずくしだ。
その点、ブログは一方的に発信できるし、イヤなら見なきゃいいだけのこと。
コメント以外、メールで議論を仕掛けてくるのは、悪いがバカに決まっている。
まあ、SNSに乗り遅れているというか、覚える気もないんだろうな。

20年前に一度だけ、新宿歌舞伎町のテレクラに仲間3人と酔って入ったことがある。
電話口で「今夜寂しい…」だの、甘い言葉に誘われ、深夜1時の真冬のアルタ前で待ちぼうけ。
最初がこんな調子だったから、後にも先にも回線(SNS)を介した出会いを利用したことはない。
男と女は日常の行動で出会わないとわからないし、イヤならブチッと回線を切れる軽薄さがある。
SNSを利用する女性も、「どこかにいい男いないかな…」とか思っているんだろうが実は男も冷静だ。
「その前に、おまえがいい女じゃないよ…」と見透かしていたりするんだ。
それに「いい男はSNSのような場所には現れない」というのが、女性の大方な意見である。
遊びと割り切れば相手も遊びなんだし、正論っぽい恋愛論を持ち出すべきではないだろう。
それがルールになるわけで、真冬の新宿で待ちぼうけを食らったバカな男がいい例である。

友人の話では、モノの欲しがり方は女性観に似ているらしい。
腕時計や貴金属は女性を表すといわれたが、新しいもの好きは若い女性に惹かれやすいと聞く。
本当のところはわからぬが、今あるモノを使いながら、ほどほどの欲求でいいんじゃないのかな。

その意味で「Windows XP」は戦友になるのであろう。
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2013年08月06日

誰もいない

5日、新潟市の最高気温31.4℃、10日ぶりの真夏日だったという。

人が少なかったわけだ。
日中、南万代へ野暮用があり、自転車に鍵を差し込んだ。
いつもなら、街中を走り抜けていくのだが、コンクリートの照り返しを避けたくて川沿いの道を選んだ。
風も吹いていない。

暑さのせいか、やすらぎ提に誰もいない。
ベンチにすら人はいなく、川面の緩やかな揺れもない。
昭和大橋を走る車が、蜃気楼のように揺れて映る気もする。
花火大会のスピーカー装置、芝生や植えこみに規制線も張られ、数日後に人で埋め尽くされる場所だ。

真っ昼間なのに、人影のない違和感は不気味である。
「世にも奇妙な世界」に迷い込んでしまうとき、理屈とは違う感性が動くんだろうな。
夏は一瞬だけ、白昼夢の世界を見せてくれるのである。

日中、橋の下や岸壁を見てると、韓国映画「グムエル」の怪物を思い出すのは、僕だけであろうか…
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