2013年07月17日

大相撲教育

16日 関脇「豪栄道」が、横綱「日馬富士」を右差しからの豪快なすくい投げで敗った。

日馬富士は10日目にして、三連敗の4敗で早くも優勝戦線から脱落した。
先日の「妙義龍」との一番で、心を折られたんじゃないかな。
所作のときから目が虚ろだし、手足の動きがバラバラだから、重心が定まっていない。
東の横綱「白鵬」は貫禄のある、横綱相撲で安定しているから、少し焦りもあるんだろうか。
それに調子が悪いときは、勝ち急ごうとするからわかるんだ。
軽量な体であれば、まわしにこだわる相撲に戻らないと、とても勝ち目がないからね。

わかりやすく言えば、ボクシングでいうところの「イン・ファイト」である。
大きい相手に思い切り飛び込んでいけば、そうそういいパンチを食らわない。
逆に中途半端な距離で打ち合っていると、ロープ際に詰められてボコボコにされやすい。
ボクシングに限らず、格闘技のセオリーでもある。
それを日馬富士がわからないわけないが、それだけ相手が研究しているのか、横綱本人が修復しようと試行錯誤しているのかは定かではない。

今、大相撲がおもしろい。
だけど親子が一緒に、相撲を見ることはあまり聞かない。
相撲の所作に固唾を飲んで、立ち合いの瞬間に気持ちを入れる。
物言いがついたときも、不服な態度をとることもなく、協議の結果を待つひたむきさがある。
本当はいらだっていると思うが、自分たちに誇りがあるから、力士らしく振舞っているんだ。
その意味で言えば、親子でサッカーの応援もいいけど、たまには相撲観戦もいい情操である。

少し話題を変える。
プロ野球などの団体競技において判定を不服として、選手が審判に暴言や暴行をはたらく場面がある。
それで朝のニュース番組やスポーツ誌の記事などで、「監督と選手の熱意がチームを一丸にした」などと報じられるがそれっておかしくないか。
スポーツをやっていれば、誤審はあってはならないが、誤審は絶対にあるんだ。
その誤審に対して我慢強い選手を評価せず、パフォーマンスする選手を評価する傾向にある。
感情表現はわかりやすいことに越したことはないが、その場を重んじろってことなんだ。

憶えているかな。
今から30年ほど前(だったかな…)、野球中継の阪神戦でこんな事件がおきた。
甲子園球場で、阪神の島野コーチが判定を不服に、審判へ殴る蹴るの暴行を加えたことがあった。
他のコーチや選手は止めに入るどころか、何とその暴行に加担したことも問題になった。
その後の報道で「勝負へのこだわりを見せた」論調を耳にしたが、ソレ違うだろと思った記憶がある。
小心者ほど作為的と言おうか、暴力的な言動で興味の矛先を自分に集めようとするんだ。
作為はコンプレックスの裏返しであって、された本人からすればホトホト疲れるわけだ。
それで「将来の子ども達に夢と希望を」なんて言ってたら、コレちゃんちゃらおかしいん話であってさ。
その後、暴行を受けた審判は「あの試合は自分の子どもが見ていた」と、屈辱的に語っていた。
ああいう、みっともない暴力抗議を「伝家の宝刀」扱いするから、こういうことはなくならないんだ。

大相撲に話を戻す。
彼ら力士達は、強い集団のひとりであることが魅力的なんだ。
強い集団が見本を示していることが、何よりも重要なんだよ。
相撲は世界の人気競技ではないけど、日本が世界に誇れる伝統芸能でもあるんだ。
日本の伝統文化を見ることで、スポーツ観戦の仕方にも幅が広がるんじゃないかな。
見るもの応援するものが、流行というか偏りすぎているんだと思う。
僕に子どもがいたら、日曜日の夕方ぐらいは「おやじの解説付き」で一緒に見るんだけどな…

それにしても立ち合いのにらみ合いで、奇声を上げる観客は何とかならんかな。
静まり返る一瞬こそが、相撲の醍醐味なんだけどね。
クラシックコンサートのときの、「フライング拍手」と同じなんだよ。

たまには相撲から、日本人を学ぶべきである。
(名古屋場所の番付表はあと3枚ありますので、欲しい方には差し上げますよ)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする