2013年05月25日

存在感を消す

自己宣伝は時として、自由を束縛してしまう。

地元のテレビ番組、地域のミニコミ雑誌などに目を通していると、やたらと顔を露出する人がいる。
ビジネスの販路にしたいのか、有名になりたいのかわからないが、本当に顔が広い人はいるからね。

僕はいやだな…
存在感を小道具にしていると、自由な行動が取り難くなるでしょ。
まあ、出たがる年齢でもないのが本当の理由だけどね。
基本的に「シャイ」だから、記念撮影でも前列や真ん中で写真に納まることは少ない。
真ん中で写真に納まったのは、卒業アルバムの部活の写真、結婚披露宴の写真しかなかったと思う。
自然と相手を押しやり、脇を固めるタイプなんだろう。

僕は真ん中で構える親分肌ではなく、信頼した親分を守りたくなる護衛肌なんだと思える。
今は家族以外、そういう存在がいないだけであってさ…

その昔、会社を変わった時、担当する部署の集合写真があれば見せてもらっていた。
履歴書を眺めるよりも、一枚の集合写真のほうが、大まかな相関図がわかるからだ。
真ん中の主役は誰で、両サイドを固めている人物は誰か。
中心人物の近くに割り込み、存在を強調したがる人物は誰か。
隅で微笑んでいる人物もいれば、睨んだ顔をした人物もいる。
誰と誰の仲が近いのか、繊細な人間関係に気づくときがある。
目立ちたがりなのか、控え目なのか、表情に加えて、写真の場所取りはその人の性格が表れるものだ。
写る場所や順番をめぐって、存在感という嫉妬心が生じるらしい。
内面を紐解く鍵とはなるが、その人の能力とは無関係であることは実に興味深い。

存在感は大きくなるほど、逆に自由は利かなくなるので、これからは存在感を消す人も多くなるだろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする