2013年03月30日

新潟は狭い

新潟は狭いから、自称することはすぐにバレるもの。

新潟日報の投稿記事「窓」は、「よい子の見本文」のようでつまらない。
だけど不思議と癖になる楽しさがあり、おもしろいと思うのは、その投稿者の職業(自称)にある。

記載上、「無職」と「年齢」を照らせば、「定年退職」の方であろう。
「パート」は女性、「学生」なら年齢で大方の学舎を判断できる。
多くの職業は、「会社員」「公務員」「自営業」が大半を占める。
僕自身、八年ほど前に2回投稿し、2回とも掲載されたが、当時の肩書は正真正銘の会社員。
試しに自身の考えを文章化して投稿したのは、そのときが最初で最後でこの先は二度とないだろう。

職業の肩書は人によって、「会社社長」「会社役員」で投稿する人もいるが個人の自由であろう。
僕は個人的に肩書で文章は読まないし、肩書が偉いからそれなりのことを言っているとは限らない。
寧ろ、肩書というのは、人の目を曇らせてしまうことがあると思っている。

その肩書、本当かどうかは別にして、「えっ、こんな職業があるんだ…」と思えたときは楽しい。
最近では、「海外旅行ライター」「演技教師」、または、「研究者」なんてのもあったな。
「無職」に抵抗あるなら、「ボランティア」でもいいし、「町内会役員」でもいいだろう。
「自称」は名乗ったら、読み手はどうあれ、職業をそう認識するからおもしろい。
僕は「この職業の人からは、このように社会が映っているのか…」と関心を持つときもある。

硬い文章が長くなったので、職業の自称にまつわる、当店のエピソードを紹介したい。
もう数年前のことだが、当店に自称「パイロット」と「コンシェルジュ」が現れた。
結論からいえば、国際線の「パイロット」は空港関係者には違いないが、全くの部門違い。
「コンシェルジュ」は、偶然その場に居合わせたお客さんの話によると、どこかの居酒屋店員。
双方に共通していることは、風貌がそれらしくない上、説明が矛盾だらけで、近くに女性客がいる。
何が目的なのかわからないが、なりすました正体はバレバレだし… (笑)
肩書は自分ではあれこれ名乗れるけど、判断は相手が客観的な事実に基いてすること。
国家試験で認定されない肩書以外は、言ったモン勝ちみたいなところもあるわけだしね。
冗談にしても、とんでもないぶっ飛び方で、「言わぬが花」という言葉もあるではないか…

僕も自称でモテるなら、「アウトロー」とでも名乗っちゃおうかな… もう一度言うが、新潟は狭いぞ!
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2013年03月29日

2013 April

【4月定休日】    安心な低価格、お1人様こそ大歓迎です。   
     7日(日) 14日(日) 21日(日) 29日(月・祝日)
     (28日(日) 通常営業致します)
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00 ⇒ 深夜3:00
 定休日   日曜日 (連休は営業致します) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名) 

 徒然なるままに…

某介護施設の窓から、万代のランドマークでもある、レインボータワーがよく見える。
最近、塗替作業が終わったらしく、夕方の西陽に照らされると原色が映えて春らしくていい。
新潟の空は鉛色の雲に覆われていることも多いので、その色彩は街に躍動感をもたらしてくれる。
街並みをもっと、ライトカラーに仕上げてもいいと思うけどね。

万代バスセンターへ、時刻表を見に行った。
妻が運転免許証を更新するため、近々免許センターに出かけるからだ。
新潟に移住してから、一度も運転席に座らせたことがないので、生涯ゴールド免許であろう。

ラブラ万代の地下、野菜売場の店頭に新玉ねぎが並んでいた。
今晩の食卓にと思い、片手で玉の重さを量って3玉購入した。
絹豆腐の上に薄くスライスした新玉ねぎを盛り、鰹節を振りかけてポン酢をかける。
これがまた、甘くておいしいんだ。

人差指で、ヒョイとつまめるほどのレジ袋を、自転車の籠にそっと置く。
万代橋方向から、春物コートを着て歩いてきた知人に、「マスター」と声をかけられた。
予期しない場所で挨拶を交わすと、「3月の決算が落ち着いたら顔出します…」と気のいい人だ。
会計上、この週末が年度締めとなり、来週1日から年度初めの会社が多いだろう。
1日からは、会社の環境も変わったりして、敏感な一週間になることも間違いないだろうね。

まあ、吹けば飛ぶような、あっし(個人事業主)には、かかわりのねえこって… (木枯し紋次郎風に)
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2013年03月28日

BLENDED

この10年ほどの間、良質なジャズのレコード(CD)が、中古市場に出回っている気がする。

理由は簡単で、年代的にジャズのコレクターが、身辺整理に入る年齢が近づいてきたからだ。
レコードは聴いてこそ、歴史的価値があるもので、いつまでも手放すことを惜しむのは愚行である。
捨てるには寂しいので、本当に大切にしてくれる人に譲るか、どこかに買い取ってもらうしか術はない。
僕なら、大切な事を語り継げる、感性の持ち主に譲りたいと思う。

ジャズはウイスキーに似ている。
僕の中のウイスキーは男の酒であり、長年の友情や親子関係にはなくてはならないものだ。
例えば、この曲を聴くとあいつを思い出すとか、この酒を飲んだあの夜は楽しかったとか。
長年部屋の飾りでしかないウイスキーは、ウイスキーの役目を果たしていないようで心寂しい。
いつか、しみじみひとりで飲むのもいいが、古い友人と過ごす大切なひとときにはウイスキーが似合う。

高校生のときから、変わらぬつきあいをはじめて、気がつけばもう還暦60歳を越えた男性三人組。
目尻の笑いシワに歴史を感じさせながら、今晩お店で「バランタイン21年」を開ける姿に立ち会えた。
ウイスキーは、樽でじっくりと熟成させるから、ひときわ味わい深くなる。
一緒に飲むのなら旧交を温めあった友人、腹を割って話せる友人に限られてくるような気がする。
60歳を過ぎて、これからどんどん渋くなって行くわけだが、これぞまさしく3人のキーモルトがひとつに熟成された「ブレンディットウイスキー」なのである。

自身、まだまだ「48歳のひよっこ」ではあるが、ガキには飲ませたくない…  還暦トリオに敬礼だ!
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2013年03月27日

怒らない

僕の3原則、「気にしない」・「考えすぎない」・「怒らない」

3つ目の「怒らない」は、僕を知る人なら「えっ…」と思うだろうが、ムダに怒らないということ。
この先、小さいことにいちいち怒っていては、身が持たなくなるし、気持も慢性的に疲れるだけだ。
本当に怒りが必要なときに、怒ればいいと思っている。

意識したのは、某スーパーで妻と買物を終えて、そろそろ出口へ向おうとしていたときのこと。
すると60歳過ぎた男が、レジの接客が悪いと人目もはばからず、パートを怒鳴りつけていた。
当然、店長が間に入り、怒りの矛先を浴びていたが、物言いがとにかくしつこい。
見かねた同年代ほどの男性客もなだめに入ったが、「関係ないだろ」の一点張りで取り付く島もない。
この男、よっぽど会社でチヤホヤされてきたのか、定年後が退屈で仕方がないのであろう。

僕もあんまりしつこいので思わず舌打ちを鳴らし、五歩の距離を詰めようとしたら、妻に左肘をつかまれ「やめておきなさい」と制止された。
こういうとき、女性は状況を見渡して、冷静な判断ができるもの。
ここで口出ししても、不毛な興奮を招くだけだから、そこの店長に任せておきなさいとのことだ。
そのための店長だし、暴力を振るえば話は別だが、出て行ったところで何とかなるわけでもあるまい。

酒乱は治らないのと同じで、怒りにプライドがない男の「威張り癖」は治らない。
その様子を軽蔑の眼差しで過ぎ去り、「アーはなりたくねえな…」と口元でつぶやいた。
つまり「怒らない」のではなく、原則は「怒る価値のない人を相手に怒らない」だけのこと。

一呼吸置いてから、「この怒り、本当に必要な怒りなんだろうか…」と自問自答するときがある。
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2013年03月26日

Sadao Watanabe (As)

「音色に父性を感じる」

好きなアルトサックス奏者は、「ナベサダ」 の愛称で親しまれている 「渡辺貞夫」 御年80歳。
時の音楽ブームで一挙に浸透した愛称だが、周囲に気安く 「ナベサダ」 と呼ぶ人はいない。
そういう僕も自然と 「サダオさん」 と敬称を使ってしまう。

これまで10回は生演奏を聴いているが、聴くたびに深まる優しい音色に気分をあずけている。
語ると長くなるので中略するが、けしてテクニカルな部分で感動を与えるタイプではない。
寧ろ、内面から込み上げるフレーズで、人の心を穏やかにしてくれる魅力がある。
酸いも甘いも知り尽くした、往年の名プレイヤーが成せる業。

先日、BS放送で録画した 「渡辺貞夫ライブ・IN・下関」 を見て、改めて感じさせられた。
選曲は自身が歩んできた道をかみ締めるように、縁の深いスタンダードを中心に取り上げていた。
上手に聴かせようとか、音を押し付けてくることもない。
音色を聴けば、誰が吹いているかわかる、個性的な情感がある。
例えるなら、演奏会の帰り道で、熟年夫婦が肩を寄せ合いながら 「今日は楽しい一日だったね…」 とつぶやきあえるような温かさがある。

妻はあまりジャズを聴かないんだけど、サダオさんは聴くんだよね。
一部のジャズ好きにしかウケない音楽じゃなくて、万人の情感に響いている音楽だからと思える。
愛妻家で知られるサダオさんは、数年前に精神的な支柱となる奥さんを失った。
晩年のステージでは、好んで取り上げるバラード 「 Everything Happens To Me 」
それを聴きながら、どんなことを思い巡らして吹いているのか 「哀愁のブロー」 がある。
それでありながら、最後は 「楽しさ溢れる曲」 で、会場を盛り上げるあたりが愛される人柄。

僕はジャズで影響を受けた人には、今でも 「さん」 づけなんだ。
会ったことがあればなおさら、どこか尊敬の念があるのだろう。
サダオさんが 「チャーリー・パーカーは越えられない…」 と言ったように、憧れは情緒となる。   
それにひとつを究めた人、好きなことをやっている人は、他人に対して構えた表情をしてない。
自信がある人の態度は自然だし、人柄は音楽にも出るからね。

僕なんてサダオさんの前では、きっとひとりのミーハーなジャズファンに戻るんだろうね。
それにしても、本当にいい顔、いい笑顔、大人なのに子どもにもなれる、父性を感じるプレイヤーだ。

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2013年03月25日

Jazz Talk Vol.21

楽器を習う、中年おじさんが増えていると聞く。

一番人気はサックスらしく、その次がギターにピアノらしい。
そもそも、おじさんがなぜ楽器を習うかといったら、女性を意識してのことだろう。
それは最初だけで、人前で聴かせられるようにもなれば、そんな動機は覚めている。

人前で演奏してこその習い事。
英会話を始める動機と似ている。
情操的な趣味は周囲の眼差しもあって、長く続けられることもある。

おじさんが楽器を習うんであれば、ピアノでポピュラーかジャズがいいと思う。
男が背筋をビシッと伸ばして、「白鳥の湖」や「童謡」を弾くわけにはいかないだろう。
基本レッスンなんかすっ飛ばして、弾きたい曲からやりゃいいと思うのは、おやじはあまり時間がない。
ネイティブじゃないんだから、おいしいフレーズだけ練習すればいい。

いい加減さもないと、大のおじさんが子どもとクラシックの発表会に参加することになる。
控室で小学生に交じり、髪を七三に分けて、タキシード姿で「ワナワナ」緊張して待機する姿。
あー想像もしたくないし、僕がピアノを弾けたとしても辞退しちゃうね。

仮にステージに立ったら、山下洋輔ばりに鍵盤をエルボーしながら弾くだろう。
「ガキども聴きやがれ、これが俺のフリージャズだ。ワーオ!」とか言ってさ。
会場をパニックにして、子どもたちを「エーン、エーン」と泣かしちゃったり。
それがきっかけで、5年通い続けたピアノ教室も辞めるハメになったりしてさ。

楽器は謙虚でテキトーな情熱で、高望みしなくてもある程度はさまになるもんだ。
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2013年03月24日

職業病

夜にかかる仕事もピンキリあるが、それなりの職業病もある。

例えば、名の知れたホテルのウェイターは、「痛風」や「糖尿病」になりやすいと聞く。
その理由のひとつには、一日の食事が宴会やパーティーで用意した、おすそ分けも多いらしい。
ホテルの料理は高級食材だが、高カロリーで高たんぱくも多く、いつも口にしていてはリスクも高い。
まあ昔ほど、お客も高級食材嗜好はなくなったし、従業員に大盤振る舞いもなくなったとも聞くけど、     実際のところはどうなんだろうね。

街場のバーテンダーというと、たぶん「アル中」と思われそうだが、それはごく一部。
大まかな疾病のひとつには、「逆流性食道炎」が多いと思われる。
僕自身、40歳前後に一度悩まされて通院したことがある。
原因はいろいろあるけど、食べてすぐ寝ることが一番いけなかった。

今も、生活傾向はあまり変わってない。
深夜にお店を閉店して、極めて朝に近い頃、食事と一緒に酒を飲む。
本当は宵の口なんだけど、カーテンからもれてくる、明け方の弱い陽射しが睡眠を急かす。
そうすると早く寝るようになるんだけど、食べたら寝るのが習慣にもなる。
その状態で寝るのが続けば、いずれ酸っぱい胃液が上がってくるのが、先ほどの逆流性食道炎。
仕事がら、一日10時間近くは立っているから、そんなに影響ないだろうと楽観的なんだけどね。

僕は仕事の前には、コーヒー以外ほとんど口にせず、一日の仕事が終わってからの一食となる。
空腹状態では早食いになるので、満腹中枢に信号が行きつくまで、食事量も進んでしまいがちとなる。
それでも食事はゆっくり食べるようにして、すぐ寝るようなことも少なくなり、朝のニュース番組や本など読んで合間を過ごしている。
こうして、生活習慣病の類は誰にでもあると思うけど、どう工夫してつき合うかは人それぞれであろう。
どういう仕事も一見華やかそうに思えたり、楽そうに見えたりする場合もあるが、そのぶん時間や制約、健康なども少し引き替えに生きているようなものだ。

きれいごとの代名詞 「朝は起きて夜は寝る」…   理想的だけど、きっと座が白けるよ。
小学一年生の教科書みたいなことを、大人社会で論じて悦に入っているようじゃ野暮だよ。
視力が悪くなるから本は読まない、難聴になるから音楽は聴かない、そう言っているようなもんなんだ。
職業病のひとつもなければ、自身の仕事に味気がないんじゃないかな。

健康なのに健康に悪いから酒は飲まない…    「おまえ、あっち行け!」だよ。
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2013年03月23日

おじさん(11)

僕も今や、年季の入ってきた「おじさん」になりつつある。

そもそも、おじさんって、いくつからおじさんになるのかな…
成人式のような規定があるわけでないし、自己申告でおじさんになるのかな…
それこそ、第三者の判断に委ねるところが大きいであろう。

僕の経験では、35歳までは「お兄さん」「あんにゃ」など、親しみで呼ばれていたと思う。
40歳までの5年間、敬称がはっきりしない年齢で、41歳からは「完全無欠なおじさん」になった。
その頃になると、交友関係の子どもも多くなるから、どうしても自覚させられてしまう。
幸いにも髪の量はまだあるし、でっぷりした中年体型でもないので、見た目は少し助かっている。
普段はジーパンにスニーカー、トレーナーのラフな格好だが、顔はもうすっかりおじさんだ。
こうして日々、見た目の若さが遠のいていくことを感じているが、50歳からの目標ができた。

目標は「おじさん」改め「おじさま」! リチャード・ギアみたいになれたらいいな…   (。-_-。)ポッ
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2013年03月22日

幕内土俵入り

東西幕内力士の土俵入りを見ていると、会場の声援に期待度が込められていることがわかる。

好調な力士を始めとし、郷土力士や個性派力士には、自然と声援が集まるもの。
それに相撲の取り口が正攻法な力士にも、自ずと声援はついてくるもの。
全てが白黒の土俵でありながら、真正面から向って行く潔さに対する敬意である。
真っ向勝負こそ相撲の醍醐味であり、基本となる強さの源だからだ。

相撲はプロテクターをつけない肉弾戦だ。
頭から突進することもあり、その衝撃度は計り知れなく、当然体にかかる負担も大きい。
現役生活も短く、引退後も何らかの後遺症で、日常生活に影響及ぼすこともあるという。
現に肩 肘 手首 膝 足首にテーピングをしていない力士を見かけないほうが珍しい。
その姿、力士としては痛々しい限りだが、それほど満身創痍になるのである。

相撲は野球やサッカー人気の足元にも及ばない。
時代背景もあるし、見た目の恥かしさも理由にあるだろう。
僕ら世代でも、相撲を見ている人(ダイジェスト含む)は少ない。
見ないから語れない、語れないから話題にならない、話題にならないから魅力を引き継げない。
スポーツであり神事、伝統文化というエンターティメント、全てが魅力の大相撲なのである。
厳しい稽古に耐え抜いた、力士たちの華やかな土俵入りに拍手を送ろうではないか。

僕は相撲を見ていると、どこか「ホッ」とする…
夕方、父親のあぐら姿を座椅子代わりにして見ていた、どこか幼い記憶があるのかもしれないね。
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2013年03月21日

水虫症候群

「えっ、もしかして、これって水虫…」

立ち仕事なので、靴は通気性が良く、柔らかい素材のスニーカーが一番合う。
冬の間、革靴を履いて仕事をしていたが、通気性が悪い上にクッションが硬かったため、かかとの角質が厚くなり圧迫痛がはじまった。
週一度、風呂上りに角質カッターで手入れしてたが、角質層を中心に痒みも感じるようになってきた。
その度に自宅のストレッチマットに足裏を擦りつけたり、かかとで体を回転させてみたり、痒みを抑える工夫を試みてみたが、さすがに我慢し切れなくなった。

水虫は足の指の間、爪の境目などにおきやすいと聞く。
それ以外には、かかとの角質層も水虫になることもあるらしい。
これが水虫なのかはわからないが、しばらくは薬箱の市販薬で様子を見ること数日。

それにもうひとつ、思いあたることがある。
シャワーを浴びた後、足をバスマットに軽く置くだけで、足全体までは丁寧に拭いていなかった。
その足で廊下を歩く度、妻から「しっかりと足を拭いてこーい!」と浴室へ戻されること数回。
めんどくさいときには、半渇きの足のまま、靴下を履いて出かけることもあった。
足をキチンと拭かないことも、痒みの原因のひとつであろう。

水虫というよりも、水虫症候群とでも言おうか。
今は靴も替えて、素足の見た目も何ともないし、痒みも治まっているから大丈夫。
蚊におでこや指を刺されたときの、あの奇妙なムズ痒さを思い出してもらえば伝わるかな…

柔道部時代、あの地獄の「インキンの痒み」と比べたら、こんなものは屁の河童である!
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2013年03月20日

マスクマン

僕らの世代、プロレスの覆面(マスク)には、ある種の憧れがある。

普段は平凡なサラリーマンだが、夜になると一転、謎のマスクマンに変身する。
何をするわけでもないが、マスクを着用するとなぜか気持が高ぶってくる。
そんな男の単純ぶりを、映画「ゼブラーマン」で哀川翔が演じていた。
あくまでも、パフォーマンスであり、エンターティメントでのことだ。

大分市議会でレスラー議員の覆面をめぐり、議会採決によって着用が却下された。
過去に条件付の認可もあったようだが、僕の庶民感覚から言わせてもらえば却下でいいと思う。
「規範(ルール)に違反してないだろ」との意見は必ず出てくるが、それもおかしい。
「見た目で人は判断できない」のは、一面から見れば正しいと思うが、世の中そんな都合よくは見ない。

一般的に人と対話するとき、サングラスやマスクをされていたら、表情がわかりにくいので、       コミュニケーションしにくいったらありゃしない。
それが答えだし、相手に対する正常な神経だと思う。
それに覆面の持つ自己陶酔感はなじめない。

「こだわり」と「わがまま」は紙一重、組織に所属した以上、簡単に「我が道」を振舞えない。
やり方を間違えれば、排除されかねないし、覆面を民意とする感覚は理解し難いものがある。
ならば、市議会で公約をポイしたら、議会をプロレスのリングに見立てて、覆面を脱ぐとかさ。
公約と覆面を賭けて、「電流どすん釘 泥んこ覆面剥ぎ 爆破ファイヤーうんこデスマッチ」だ!

それが嫌なら、自分で決められて、誰からも文句を言われる筋合いのない自営業に転身すればいい。
自営業こそ最強にも最弱にもなれる、男の変身願望を満たした究極の「マスクマン」に変身できるのだ。
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2013年03月19日

大相撲待望論

白鵬は千秋楽を待たず、13日目あたりで優勝を決めるんじゃないか。
あとは全勝するかしないか、眺めていればいいほどの安泰ぶりである。

大相撲春場所9日目。
上位の取組を見ていれば、そう思わざる得ない取り口だ。
それでも様子が変わってきたと思わせる力士が、ここ何場所かで台頭してきたのが収穫である。
鍵を握っているのは、「豪栄道」と「栃煌山」だろう。
育っている力士を上げれば、「高安」「妙義龍」「松鳳山」あたり。
途中休場しちゃったけど、「千代大龍」も期待のひとりである。
ここで気づいた人は、本当に相撲が好きなんだと思う。

今、名前を上げた力士は、全員が日本人力士だからだ。
このところ、ようやく日本人力士が力をつけてきたと思える。
ただし、両横綱のような圧倒的な強さはない。
それに強い力士ほど、激戦番付の十両から幕内下位でまごつくことなく、一気にかけ上がって行く。
取り口は、飛んだり跳ねたり変わったりせず、正攻法で勝負できる気の強さもある。
来年秋場所、両横綱のピークが過ぎたと思える頃、待望の日本人横綱誕生の兆しが見えるかもね…

星取表を眺めていると、横綱になるための資質まではあぶりだせないが、今後の日本人中心力士は  先ほどの名前が台頭してくると思われる。
大関取りへは「把瑠都」「安美錦」「豊ノ島」あたりが、門番力士で目を光らせていればいい。
もしかしたら、両横綱以外の番付が、大きく変わるような片鱗もある。
伸びてくる力士はどこか青春の匂いがするし、底を打った力士は哀愁にも似た加齢臭が…

えっ、僕が一番応援している、「稀勢の里のおっちゃん」はどうしたかって?
シメサバにあたって下痢が止まらず、本日から休場だってさ…  稀勢の里、声出して行け、声出して!
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2013年03月17日

Jazz Talk Vol.20

前回(Vol.19)、ジャズライブの魅力について書いたが、今回は閉演後の雰囲気を伝えたいと思う。

まず、開演前にリハーサルの音が店の外までもれていたりするだけで、次第に気持が高まってくる。
閉演後、いい演奏に立ちあえたら、席でその余韻にひたっていたくなる。
しばらくすると、まだ熱気がこもった空気をクールダウンさせるかのように、スピーカーからコルトレーンの高速ブローが小さく鳴り響いてくる。
そのとき、「あぁ、終わったんだな…」と感じる瞬間である。

それでもまだ、店内には客が複数残っており、次第に会話をし出すようになる。
控室からは、ついさっきまでステージで熱演していたメンバーがそれぞれ姿を現し、まばらな拍手を    浴びながら店内でちりじりとなる。
ドラムセットのパーツを手際よく外す、最近メキメキと腕を上げてきた小太りのドラマー。
奥のカウンターでは、妻か愛人だかわからない女性とヒソヒソ話をしている白髪まじりのベース。
隅のフロアー席では、納得がいかないソロパートがあったのか、指の動きを繰り返す若手のアルト。
扉近くでは、店主と水割り片手に談笑している、グループのバンマスでもある優しい目をしたピアノ。
ステージの上では見られなかった、どこか解放感にも満ちた表情もある。

やがてお客が引けて間接照明の一角には、親しい間柄だけが自然と集まり今夜を振り返る。
一息ついた店主もその輪に加わり、新たな談笑が終わる頃には、もう深夜12時を回っている。
だいたいこうして、お開きになるのは深夜1時頃であり、気さくな挨拶を交わしながら外で別れる。
店主もタクシーで帰る最後の客を外まで見送り、扉にかかっている「OPEN」の札をひっくり返す。

僕も夜風に吹かれながら、今夜の聴きどころを思い浮かべながら、フラフラと帰宅の途につく。
新宿の靖国通り、新潟の古町通りを歩いたものだ…  そんな夜道が懐かしくなるときがある。
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2013年03月16日

神出鬼没

携帯電話の画面に、未登録の固定番号が表示された。

電話に出ると、高校時代の友人からだった。
時々こうして、気軽に連絡を取り合うのだが、それでも3年ほどのご無沙汰だ。
昔から、急に音信不通となるときがあり、その行動も神出鬼没である。
何年も連絡を取り合わなくても、不思議と友人気分だけは続いているので、急な電話に違和感もない。
30年近く、ダラダラつき合えるのは、僕の中で彼の個性を認めているからであろう。
まあ、おたがいがおたがい、「勝手にしやがれ」なんだと思う。

本職は新潟の老舗レストランの有名コックだった。
大阪と東京で修業を積んだ彼は、持ち前の腕を活かせば食いっぱぐれることはない。
過去、何度か音信不通になっても、どこかで何かをやっているので全く心配はない。
あるときはラーメン店を独立開業、またあるときは飲食店チェーンの店長、節目になると連絡が入る。

料理の世界は「長幼の序」が厳しい。
料理だけに限らないが、男の世界に挨拶ほど大事なものはない。
彼が今まで飲食店を渡り歩いてこれたのも、世話になった先輩への仁義を守っていたからだと思える。
同じ釜の飯を食べれば、家族同然とする職人文化を守っているから、先輩達が手をかけてくれるんだ。
物事はマニュアル化できないことのほうが、はるかに大事であったりするけど、今では年齢かかわらずそれがわからない人がいかに多いか…

独身の彼に女性を紹介してあげたいが、どうも「飲む・打つ・買う」の三拍子疑惑もあるしなぁ… (笑)
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2013年03月15日

咲き乱れ

連日、気温差が激しかったが、天気予報によるともう落ち着くらしい。

いよいよ、春の到来である。
しかし、待ちわびた春であっても、気分は天候のように人それぞれであろう。

会社勤めをしていれば、新天地への転勤に気持を開花させている人もいるだろう。
それとも人事異動や配置転換に、苛立ちを覚えたくなる人もいるかも知れない。
席順に不服を感じる人もいれば、同期が出世した状況に焦る人など、それぞれ心理は違うと思う。
3月までは愛称や呼び捨てでも、辞令とともに役職で呼び合わなければ、組織に影響が及んでくる。
役職代われば敬語も使わなければならないし、場合によっては頭も下げなきゃいけなくなる。
権力志向の強い上司に巡りあってしまえば、真綿で首を絞められるようなやり方でネチネチと潰しに  かかられることもあるだろうし、病まないためにも処世術を身につけなければならないだろう。
春といっても、人それぞれの春があると思える。

前にも、こんなことを書いた記憶がある。
回避する意味で、そんな屈辱感を味わいたくなければ、仕事に安っぽい友情は絡めないほうがいい。
そのときはおたがい、ランニングパートナーというか、目的を果たすための戦友のほうが健康的だろう。
もし、友人つきあいしたいほどの仲ならば、どちらかが仕事を辞めてからのほうが長持ちすると思える。
それに一度離れてみたほうが、相手の本音がよくわかってくるものだ。

僕にもお客さんとのつきあいはあるが、基本はバーテンとゲストの枠内である。
それが意気投合して、今度は一緒に「仕事をやろう」となると、ほぼ間違いなく関係はこじれる。
飲食店で失敗するケースのひとつに、気が合うというだけで、けじめのなさが命取りになることもある。
つきあいを大切にしたいのであれば、仕事を絡めずに守るべき距離を守らねばならないかも知れない。
人情的に割切れないこともあるけど、長いつきあいをしたかったら、「人は人、自分は自分」だと思う。

今日15日、公務員の辞令交付だという。
公務員も民間も大まかに、組織の構図は同じであろう。
今晩、街中ではそれぞれの春夏秋冬、ひとりひとり気持の花が咲き乱れるのであろうか…
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2013年03月14日

第2の人生

今からそう遠くない時代、「人生40年」と言われており、男の平均寿命は「43歳」だったという。

僕は42歳で会社生活に見切りをつけたので、当時の平均寿命はほぼ生きたことになるだろう。
現在、男の平均寿命は「78歳」だというが、48歳の僕は単純にあと30年であろうか。
しかし、健康年齢にしたら、あと何年現役で仕事をできるのかな。
それこそ、神のみぞ知る世界である。

昔の平均寿命からすれば、今は第2の人生真っ只中である。
第1の人生は「男子厨房に入らず」、台所で料理を作るようなタイプではなかった。
最近では、料理のひとつでも覚えておかねばと思う反面、もっぱら妻に甘えてばかりだ。
若いときから、体育会系の男飯ばかり食べていたので、いざひとりになると食生活はばれてしまう。
第2の人生において、少し不安があるとしたら、自給自足の食生活かもしれないな。

その第2の人生であるが、シンプルながら日常を楽しめなければ、生活はつまらないと思っている。
今の環境を楽しめないのに、老後の楽しみ方なんて浮かぶはずない。
それでありながら、長年の会社勤めで退職金を得たとしても、きっと遣い方もわからないだろう。
今、遊んでおかないのに、定年後に妙な遊びを覚えたら、一番苦労するのは支えてきた女房である。
僕に退職金などないけど、第2の人生において遊ぶことは、大切な晩年への形成なんだと思える。

遊びを知らずに年を取ると、頓珍漢な抗議文を新聞社に送ったり、地域の会合で威張って嫌われる。
行く先々では、店のサービスレベルをアンケートに記入しては、毎度投函するのが趣味になったり。
それで「店の責任者から意見の回答がない」として、またそれについて投稿するようにもなる。
これじゃ、不毛なクレームをつけて、ただ偉ぶりたいだけの嫌味な老人になっちゃう気がするわけ。

過去が老年期に、大きく影響していると思える。
晩年に「正論かぶれ」しないためにも、まずは多くの人とつき合って、しっかりと遊んでおきたいね。
それに「将来は年金問題が一番気になる」なんて台詞、男なら口が裂けても恥かしくて言えない。
人生80歳まで生きれるとは思わないが、楽しみを最期に取っておいた頃には、死期が迫っているもの。

第2の人生に野望などないけど、新しい幕が開いたと思えるほどの大らかさは大切だと思っている。
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2013年03月13日

侍ジャパン

WBC 日本代表「侍ジャパン」が決勝ラウンドに向けてアメリカへ飛び立った。

一次ラウンド終了時、彼らに強い期待を抱けなかった。
覇者らしからぬ、小心ぶりな戦い方に風格を感じなかったからだ。

二次ラウンド初戦、不気味な戦力で日本に挑みかかって来た台湾。
あそこまで追い詰められた結果、本来の強い「侍ジャパン」が息を吹き返したと思われる。

運も味方につけていた。
一次ラウンドで韓国が敗退、二次ラウンドではオランダがキューバを破り、いい意味で予想を裏切った。
「漁夫の利」ではないが、満身創痍な対戦相手になったこともラッキーだった。

台湾戦以来、「日本のどこにこんな力があったんだろうか…」と思ったし、オランダを返り討ちにして       二次ラウンド1位で決勝ラウンドへ進出した。
ここまで見て思ったことは、勝負は慢心か臆病風に吹かれたほうが、だいたい負けるものだ。

「和をもってよしとなす」 日本人の気質であれば、団体機能を十分に果たせるスポーツであろう。
サッカーにも共通しているが、応援する側も「自分がしているんだ」という入れ込み方が強いんだ。
決勝ラウンドはベースボールの聖地アメリカ。  ここまで来たら、意識は「3連覇」しかないでしょ。

想像してごらんよ…
本場アメリカで、ウイニングボールがキャッチャーミットに、乾いた音で「ビシッ!」と収まった一瞬を…
その瞬間、日本中が「Yeah!」と、歓喜に沸き返ることを願って!
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2013年03月12日

深夜営業

今月1日、万代地域に開店したマクドナルドは、24時間営業であるらしい。
街中に暖色系のネオンが灯ることには、それぞれの賛否両論があるだろう。

人の生活は、24時間営業のコンビニやファミレスの出現で、大きく様変わりしたと思える。
いつでも空腹感を満たせるようになり、暇なら雑誌や嗜好品も手軽に買えるようにもなった。
それに街の防犯灯代わりにもなっており、地域の雇用も促進されている。
夜遅くに仕事を終える、僕らにとってもありがたい形態である。

その反面、社会問題もある。
コンビニ前でたむろする若者、モラルに欠ける人の温床にもなりやすい。
最近では、節電対策などもある。

地域の話し合いを引っかき回している発言はこれだ。
「朝が来たら起きる、夜が来たら寝る。人間らしい生活をおくりましょう」とか言い出す人。
こういう発言をする人が、いつも話し合いの腰を折るどころか、足を引っ張るんだ。
必ずこういう人っているんだけど、悪気がないぶん余計に始末が悪い。
「おたがいさま」の精神で、社会が成り立っていることを、まるでわかってないからなんだ。

深夜の帰宅途中、泥酔して路上に寝ていたおやじを介抱したことがある。
道ばたでブランドバックを拾い、自転車で東警察まで届けたこともある。
コレ、自慢話じゃなく、普通は「そのとき、自分の範囲でどうするか」判断できるもの。
無謀な正義感はないが、誰もが人や地域に守られているんだから、当たり前の発想に行き着くわけだ。
深夜営業について、「おたがいさま」の精神がなければ、逆に地域は蝕まれていくであろう。

深夜営業は万代地域に限らず、その地域において防犯空間にも匹敵すると思う。
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2013年03月11日

休日ふらり(15)

いつもより遅めで、午後2時半に起床した。

寝室からリビングのソファーに移動すると、2度寝のおそれがあるのでサッサとシャワーを浴びた。
下ろし立ての肌着を身につけてからは、新聞を広げて濃いめのコーヒーをすする。
日曜は「台所休み」にしているので、夜は外食するか買出しで済ませるかにしている。
夕方、本町市場で食品を買い込んでから、いったん自宅へ戻ることにした。

大相撲春場所初日の中入り後、後半戦を見るためだ。
上位陣は全員揃って白星スタートを切ったが、今場所は誰が優勝するか皆目見当つかない。
序盤戦の立会いと動きを見てれば、中盤戦には絞り込みができるであろう。

二度目の外出は紀伊国屋書店。
お目当ての文学書がなかったので、薄めの短編小説を一冊購入した。
帰宅にはまだ早いので、45分後に閉店を控えたコーヒーショップで本の紐を解いた。

予定のない休日。
だから、こうして気軽に書けるんであって、基本的にどこで誰と会って飲んだとかは公開しない。
「私生活は謎だ」とか言われるけど、何のことはない、風に吹かれるままがほとんどだ。
この日、「辻井伸行ピアノリサイタル」を録画してあるので、夜はこちらを優先した。

休日はシンプルだ。
遠出はできないし、生活リズムも半日ズレているので、行先やつきあいに限りある。
職業がら休日の夜は長い…   それにしても、今夜は北西の風が強くて寒い夜だ。

妻とはおたがい、つかず離れずの大人の休日となる…   それでいいのだ。
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2013年03月10日

忘れない

2011年3月11日の東日本大震災から、二年が経過した。

あの日、「長い不況が続くんだろうな…」と思った。
日本人の心が折られたんだからね。
それでも連日、ブログを書き続けられたのは「願い」からだったと思う。

飲食店なら、例外なく売上は悪化した。
当店でも、それまで2杯飲んでいた人が、1杯で切り上げるようになり表情も暗くなった。
街中も喪に伏して灯りを落とし、節電することで生きる糧を協力し合った。
三月の門出でありながら、この先の景気の落込みが影をひそめていた。
人間はとことん落ち込むと、最後は泣き笑いするという。
僕の店は、辛うじて生かされた…

あの年以降、資金繰りが本当に辛かったという店主も多かった。
耐え切れない店もあったし、内部を切り崩したり、借入金でつないだ店もあったと思う。
大震災は経済全体を落ち込ませたし、うわ言と一緒にサジを投げた店主もいたであろう。
本来はいい言葉であるはずの復興スローガンも、だんだん苛立ちと耳障りにさえ聞こえてきた。

地域経済も「あるべき生活に戻さないと大変なことになる」として、新潟市長も異例の会見を開いた。
経済が回復しなければ、被災地を支援したくても支援できない。
それに神妙な気持は真実であれ、次第に切替えられないことには、偽善的な感傷になってしまうんだ。
大震災で学んだことは、本当に被災地を支援したいと思うのであれば、地域経済を活性化させること。
感傷で共倒れになってしまっては、誰も救えなくなるどころか、元も子もなくなってしまうんだ。

それに気づいたのは、2004年10月23日の新潟県中越地震のとき。
毎年秋には、魚沼市の大湯温泉へ出かけていたが、復興の最中に温泉につかるのはしのびないと思いその年は予約を入れなかった。
だけど地域の方からすれば風評被害も含めて、来店客の落込みは死活問題にもかかわることだった。
僕自身、それから考え方を思い直して、ありふれたことがいかにつまらないことか自覚した気がする。

つまり、震災に遭われた方々、復興支援に携わっている方々への、敬意を忘れなきゃいいのである。
それをないがしろにして、ノー天気に気持を切り替えるのが、ダメなんだと思う。
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