2013年02月10日

夜明けの街

1980年代、バブル景気と人手不足は紙一重だった。

二十代前半、東京と新潟で朝まで仕事をしていた頃がある。
バブル景気で沸く世間とは別に、年中人手不足の劣悪な労働環境があった。
そんな生活を4年近く続けていただろうか…

仕事が終わるのは明け方。
新宿の朝もやがかった横断歩道を、同年代と疲れた体を引きずるように歩いたものだ。
信号待ちで空を見上げると、新宿西口の高層ビル群がそびえ立っている。
誰からともなく「俺たちの将来、どうなるのかな…」と、つぶやいていたのが懐かしい。

早朝の新宿は、ゴミの集積場に群がるカラスが朝を告げる。
路上で朝を迎える酔っ払い、飲食店のゴミをあさるホームレス。
奨学金制度で新聞配達を担う、地方から上京した若者。
異色な誘惑で近づいてくる、女装したおかまの売春婦。
あたりは奇異ながら、次第に何の変哲もない日常になってくる。

ある者は、「田舎に帰ろうかな…」とタメ息をつく。
ある者は、「こんな生活してりゃ、女(彼女)とも結婚できねえよ…」と嘆く。
またある者は、「こんな仕事、やってられるか!」と叫んで、路上の空缶を蹴る。
路上に響いた空缶の乾いた音は、僕らの憤りを代弁したように今も耳に残っている。
こうして半年も持たないまま、一緒に帰る仲間は次々と入れ代わっていく。

力の及ばない、リーダーとして苦悩を思い出す。
会社は有望株という言葉で、若手を巧みに洗脳し、決定権を与えないリーダーを所々に配置した。
にわかに信じ難い、景気の良すぎる話ばかり聞かされたが、労働力を食い物にされてる不安はあった。
それでも会社に忠誠を尽くせたのは、人間関係に応えたいという純粋な思いを大切にし過ぎたこと。
だが、純粋な気持は好転することもなく、会社は脱税に手を染めて全国ニュースにまでなったほどだ。
そうなると組織が崩壊に向うのを見ながら、自分にはもうどうすることもできない。

その頃になると、希望に満ち溢れるよりも、「この東京でどうしていこうか…」と考えはじめていた。
新潟に帰ることは全く選択肢にはなかったし、次第に「破れかぶれの人生」になってきた。
しかし、不思議なことにそばで見ている人がいるもので、渡りに舟って本当にあるんだなと思った。
こうして仲間とはどちらからともなく、「機会があったら、また会おう」と言葉を交わして別れる。
だけど、「もう二度と会うことはないんだろうな…」と、直感は嘘をつかなかった。

たまに朝方の天気予報なんかで、新宿駅周辺の映像を目にすることがある。
そこには僕らみたいに、疲れきった体を引きずるように歩いている若者の形跡はない。
当時、歌舞伎町の交差点から、朝もやに包まれる西新宿の高層ビルを見上げて、タメ息をつきながらも今こうして生活しているのが人生なんだろうね。

いつの時代もタメ息なんて、そんな程度である…  季節は冬だったと思う。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする