ある日、相方が僕の顔を見ながら、「本当に年を取ったねぇ…」と一言つぶやいた。
それもそのはずで、僕が23歳の頃から、顔だけは知っているんだからね。
でも、どういう意味で言ったのかは、わからないけど…
身だしなみとして、自分の顔を見ることはあっても、それ以外でまじまじと見ることはない。
顔を見ても、良くならないので見ない。
見ないから、顔が良くなるはずもない。
顔はたるみ、小じわも増え、髪も少なくなってきている。
鏡を見るたび、ため息をつくのであれば、いっそうのこと見ない。
人に与える表情さえ注意していれば、いまさら顔なんてどう見られてもいい。
そうだ、開き直りの精神である。
自分の写真はめったに撮らないし、過去の写真を見返すこともあまりない。
観光地へ出かけても、被写体に自分が写り込むこともない。
ブログやフェイスブック、雑誌などにも、自分の顔を公開することもないだろう。
そもそも、自分の顔を公然にするほど、自意識がないのであろう。
それに鏡ばかり見たり、写真に写り込むのが好きな男って、どこか気色が悪いでしょ…
この先、生きていく上で、肉体のパーツはメンテナンスするだろう。
だけど「男性美」を追求した、メンズエステのようなことはしない。
年齢に任せた、自然の法則こそ、究極の「おじさん美」なのである。
性機能が衰えれば、男の医学を理解している女性とつき合えばいい。
無理して若い女に合わせて、年甲斐もなくハッスルする必要もない。
やがて若い男の影がチラついて、セックスで対抗するのは、もう愚の極みとしか言いようがない。
おねえちゃんから、「おじさま、がんばって」なんていわれた日には、目もあてられないだろう。
恋愛するなら、自分とほぼ近い年齢で、男を理解している女性がいい。
この年齢になると、自分の顔を評価するのは自分でなく、女性から見た顔が相応な評価だったりする。
「大人の顔」と言えば聞こえいいが、「男の顔は履歴書」ともいわれる。
おじさんの顔は、過去の経験に応じて、自ずと決まってくるんだと思う。
やっぱり誰でも、「いい顔してるね」(表情)と、言われたいはずなんだ。
矢沢永吉なんて、積極的にメディアに出ないが、けして62歳には見えないほど、いい顔しているよね。
高倉健もそうなんだけど、いい顔だと思う人は皆、「粋な顔」をしてるんだ。
顔を決めるのは第三者であり、自分で「うっとり」することではない… 僕の顔、オエッー ゲロゲロ!