2012年09月22日

寺小屋教育

21日、文化庁の国語世論調査によると、普段日常で使用される言葉の意味や慣用句を多くの人が   誤った身に付け方をしているとの結果が発表された。

新聞の調査問題と照らし合わせてみると、僕は7問中、「2問不正解」があった。
 「にやける」→     正解「なよなよ」     誤答「薄笑い」
 「うがった見方」→  正解「本質をとらえる」  誤答「疑った見方」
とてもいい、国語の勉強になった。

言葉って、意外と誤って使っていることがある。
僕も過去、「歯に衣(きぬ)着せぬ」を、「歯に衣(ころも)着せぬ」と読み違いしていた。
誰でも会話中、「おやっ…」と思うことがあっても、実際は会話の流れをさえぎる真似はしないから、   後からわかることも結構多いだろう。
改めて、「衣」違いをしてたのは、若い頃の伝聞によるものと思われ、調べもせずに認識した言葉ほど 怪しかったりもするものだ。

会話なら修正できるが、文章だと修正が利き難く、とんでもない方向に意味が飛ぶことがあるからね。
よく間違えられることだが、「気のおけない友人」と使うと、「心を許せない友人」と勘違いされやすいのと同じように、国語力は難しい。
そう思うと、国語力とは、50代あたりから完成してくるんじゃないかな。
その代わり、「あれ」「これ」が多くなるけど、そこは大目に見てもらいたいんだけどさ。

僕は一般的な言葉違いは気にしないけど、「妙な流行語」は安易に使わないようにしている。
例えば、「チョー、なんちゃら」とか、「コクる」に「うざい」とかさ。
言葉の難しさ以前に、意識していれば使わなくてもいい言葉。
流行語は、軽佻に思えてしまうものだ。

最近、長文をバカにする傾向がある。
しかし、読解力がなさゆえのこと。
短い文章や短い言葉を乱発するのは得意だが、文章を考えながら読んだり、人と膝を付き合わせて  語り合うことを避けるようになってきた頃から、どこか会話が噛みあわなくなってきた気がする。
一般的に、「字」を書かなくなってきたことで、文章慣れできず、メールの影響でしゃべらなくても許せる 環境が悪いほうに整ってきた。
しゃべらなくなれば、ロクに挨拶もできない人間も現れてくるから、暮らしにくくなってくるわけだ。

それこそ、寺小屋教育の原点、「読み」「書き」「そろばん」に、戻らなきゃいけないかもね… 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする