2012年08月31日

友を見舞う(2)

30日、高校時代の友人を見舞いに、新発田の某病院へ行ってきた。

新潟に在住していながら、年賀状のやり取りだけで、しばらく生身のつきあいをしていなかった。
年賀状が途切れたことも気にせずにいたが、実は年賀状すら書けない状態だったことを後から知った。
去年2月、友人を連れ立って会いに行こうとしたとき、「もう、友達だと思われていないかも知れない…」 そんな不安がつきまとっていた。
それでも意を決して病室に入ると、彼はベッドで横たわっており、老いた母親の献身的な介護のもとで、一生懸命に生きている姿を目の当たりにした。
そのとき、彼の目から涙があふれてきて、こちらを向きながら大きくうなずいた姿は忘れない。

あれから、1年8ケ月が経過して、単独で行くのはこれが4回目となる。
友人に仰々しい態度はとらないし、言葉を交わせない分、自然に目で会話をしあうようになった。
「年2回、会いに行く」 誓いを立ててから1年。

彼の病床の姿から比べれば、僕なんて幸せである。
彼を見舞うようになってから、日常の小さな悩みが、「バカらしく思える」ようになってきた。
この気持ち、説明するまでもないだろう…

(追記:猛暑の中、快く車で送り迎えして頂いた、コンチさんには心より感謝しております) 
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2012年08月30日

2012 September

【9月定休日】 
    2日(日) 9日(日) 17日(月) 23日(日) 30日(日)

 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日   日曜日 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)

【徒然なるまま…】

それにしても、残暑が厳しすぎますね… 皆様、いかがお過ごしですか。

それでも、夏の終わりになると、静かでスローテンポな曲を欲してくる。
ボサノバのように透明感がかかって、さざ波のような静けさを感じる曲。
または同じノートの繰返しで、口ずさめるほどシンプルに整理された曲。
夏疲れのとき、張り詰めた曲、戸惑うような曲はあまり聴きたくはない。
楽器や音の数ではなく、シンプルの中の美しさを生かしたような軽い曲。

去り行く夏を振り返れるような、雰囲気のある曲が聴きたくなる。
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2012年08月29日

現代日記(4)

飽きもせず、ブログ日記を書き綴っている。 

ブログは誰でも書けるけど、腰を据えて書くため、継続することは難しい。
最近はツィッターへ移行したまま、ブログをやめる人も多いようだ。
その見方によれば、ブログをアップできない人の方が正常かもしれない。

思ったとおりのことを書くのは、思いの外に難しい。
僕の書く内容は別に、とりあえず前へ前へと書き進められるのは、読まれることを気にしない点にある。
それに、朝起きたらシャワーを浴びる、寝る前に歯を磨くような習慣性にも似ている。

誰に向けて書いているかと言うと、節目を経験した自分自身に向けてだと思う。
身近で感じる出来事に、過去の出来事をつなぎ合わせてみれば、経験を再放送しているようなもの。
大まかに言えば、現在・過去・未来の流れが、書き出しの動機になっているところがある。

それと、ブログに不要な使命感をもたないこと。
「忙しくて、更新ができずにすいません」など、釈明文が添えられていると悲壮感が漂っていたりする。
そもそも、自分の脳を活性化させるためでもあるので、他者の評価を気にしてはならない。
読み手に対する評価を考え始めると、没個性的になってくると思うからだ。
そうなると規定の文字数で済ませられる、ある種カタログ雑誌と同じ類となってしまう。

ブログの構成は特別な技量を必要としない、誰にでも書ける「日本語の楽譜」なんだと思える。
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2012年08月27日

最後の夜

僕が居心地のいい店のひとつに、万代のダイニングバーがある。

気軽なスタイルで、日曜も営業していることもあり、忘れられない程度には顔を出していた。
店選びは「人」が味付けになるけど、時間的に伺えないことの方が多いのも現実。

彼とは五年ほど前、万代の居酒屋でたまたま隣の席で知り合った関係。
年齢は17歳ほど年下ながら、話していて反応が早いところが気に入った。
時間を割いてまで会うほどの親しさではないが、連絡先を交換してからここまでの歳月が流れた。

昨晩、彼が勤務する店でバーボンソーダーをひとりで飲んでいた。
しかし、この店ではこれが最後の夜となる。
大人の事情で、今月末でお店が閉店するからだ。

彼が次に行く先は決まっているとのことだが、最終的には「自分のお店を持ちたい」一心で、今は着々と経験と実績を積んでおり、若いながら野生を持つタイプである。

寧ろ年齢とは、精神的なものの方が大きいと思えるね。
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2012年08月26日

男女凹凸

世間が言うほど、男が軟弱化したとは思えない。

その前に、僕は「自分じゃ到底無理だな…」と思うことを、容易くやってのけてしまう人がいると感心する。
何だか、女性を好きになる感覚と似ている。
女性が日常生活で困ることと言えば、力を要することや、ほんの少しの用事で外出するときだと思う。
男みたいに基礎腕力がある訳でもないし、紫外線防止や化粧だって必要とする。
そういうとき、男は頼りになるはずだ。
男から見ても、女性が台所で手際よく料理を作ったり、身の回りを手早く整理する姿を見たときも同じ。

男女が器用すぎる関係は、あまり感心できない。
男女は補ってこその関係なので、全ての能力が高ければ一緒に暮らす必要などない。
完璧など目指さず、補い合いながら暮らしていくのが、自然の流れだと思える。

若い男が、草食系と呼ばれて久しい。
それは女性にでも、できることをやりたがるからだ。
例えば、自然災害が起きた場合、男は活動場所を外側に向けるはず。
なのに避難場所で、「女性と一緒におにぎりを握りたがる」、そういう男が多くなってきたんだ。
女性と同じことばかりしようとするから、いつの間にか男が草食系なんて呼ばれ方をされるようになり、  そうすれば必然的に女性が肉食系にならざる得ないでしょ。
つまり、女性ではしんどいと思われることを基準にして、男は本来の役割分担に戻ればいいんだ。

それを井戸端会議に参加したがったり、女性の聖域に顔を出したがるようになった。
男が会社の給湯室に、「僕も仲間に入れて…」と、裸エプロンで会話に入りたがるようになったんだ。
肉体そのものは男だけど、意識が女性と同じところに飛んじゃっているから、草食と言われると思う。
母親が思春期の息子の部屋をいきなり開けないのと同じである。
やっぱり、男が女性の聖域を覗こうとするようになってから、何か男女の役割がおかしくなってきたよね。
男女はたがいの生活領域を荒らさず、必要に応じて不器用に手伝うぐらいが一番いいのかも。

それとも、男がしたたかになってきたのであろうか… 
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2012年08月25日

Rocky The Final

「Rocky The Final」(完結編)を5年ぶりに観た。

前作「ロッキー5」こそが、シリーズ最後のようにも思えた。
展開は粗かったが、「愛すべき者から、目をそらすな」とのメッセージ性があった。
完結作品としては、ピリオドの打ち方がよかったからだ。

しかし、「Rocky The Final」では、「家族は変わる」ことからはじまった。
それにリングで死闘を演じる、青春映画の枠から、いつまでも抜け出せないチープな印象も受けた。
それでも最後まで、「愛と青春」「友情と旅立ち」を題材にして、よくぞここまでシリーズ化できたものだ。
理屈ではなく、こう考えられる。

僕は、人間の価値観は次世代に受け渡して行くことだと思うし、誰にもその役割があるような気がする。
「ロッキー3」以降、紋切型なストーリーになってしまったが、どの作品にも人間愛が表現されている。
シリーズ作品としては、とても「真正直な映画」の印象だった。

「Rocky The Final」のエンディングロールでは、フィラデルフィアを象徴する建造物を前にして、    大勢の老若男女が次々と出てきて、「WIN」の雄叫びを上げながら映画が終えていく。
その場面を見ながら、「みんなロッキーのことが好きだったんだな」と思った。
同時に劇場鑑賞では、「ああ、今度こそ、本当の終わりなんだな…」と感じた。

永遠の青春映画に批評は必要ない。
「わかっていても感動できる」のが、大衆映画の醍醐味だからだ。
それは、感動を欲しているからである。
原作「ロッキー」に、ルビ(ふりがな)をつけたようなストーリーだったが、いかに原作が重要で人々から
愛された映画であったか本当によくわかった。

個人的に思ったことは、大切な人よりも先に逝きたいね。
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2012年08月24日

五輪団体戦

ロンドン五輪のブログ記事は、これで書き収めになるだろう。

女子卓球団体の銀メダリスト、「福原愛」のコメントが素直で好感を持った。
「トーナメントの相手(好敵手)とチームを組んで、戦いに挑むことに格別の想いがあった」
僕なりに言葉を訳したが、確かにそんなような意味のことは言っていた。

日本の一丸主義な気質からすれば、スポーツの団体競技には向いていると思える。
競泳 体操 フェンシングなど、普段は個人の力が試される競技だが、団体戦になると風合いも変わる。
好敵手同士が結束することによって、予想以上に高いスキルや団結力が期待できるからだ。

個人競技の選手は孤独である。
駅伝ランナーは、「仲間につなぎたい」、その一心同体な気持ちがあるから感動が生まれる。
孤独な競技なんだけど、「待つ仲間がいる」から、長くて傾斜がきつい道も耐えられるんだ。
つまり、頼れる存在として認め合っているから、思いがけない力を発揮することがあると思う。

男子競泳400Mリレー銀メダリスト、「松田丈志」が気勢を上げた。
「北島さんをこのまま手ぶらで、日本へ帰すわけには行かない」
言葉通り、四人が団結力を発揮して、見事に銀メダルを獲得した。
男気あるメンバーに囲まれ、北島は幸せだっただろうし、僕自身「その関係を羨ましい」と思った。
そんなことを言ってくれる、好敵手であり後輩がいるんだからね。

五輪柔道にも、団体戦があればいい。
金メダルを期待され惨敗した、女子「福見」「中村」、男子「穴井」など、負けたら取り上げられもしない。
だが、ひとりの力では勝てない「団体戦」があることで、失った自信が芽生えつつあるはず。
そうじゃなきゃ、「個人戦だけ」というのも寂しいよね。

勝負の世界は非情だ。
柔道は今まで築き上げてきた実績や名誉も、負けてしまったら一瞬にして失う怖さがある。
しかし、「個人で負けたが、団体で返り咲いてやる」、「団体では負けたが、個人では負けちゃいないぞ」。
そんな、瀬戸際の気持を奮い立たせてくれる、「柔道五輪団体戦」がないことは残念でもある。
柔道の団体戦は一丸主義となれる、それこそ、「日本の真骨頂」であろう!

と…今晩、舟栄中学出身の天才柔道家と呼ばれた「小柵本 筆」(3級)が、酔って力説してましたぞ!
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2012年08月22日

狸と狐

今回の領有権問題で、中国と韓国の正体がそれぞれ明らかになったと思う。

さかのぼれば、時の小泉首相が靖国参拝したことで、両国との関係が悪化したと一部で報じられた。
それにより、中国で反日デモが起きて、日本料理店に投石するわ、日本車を見ればひっくり返すわで、とても文明国の行動ではなかった。
今は、日本の首相が靖国参拝をしなくても、すぐに違う問題を仕立て上げて蛮行を繰り返している。
賛否両論あるが、中国にとって靖国参拝をするしないは大した問題ではなく、国益のために新たな問題を引き起こそうとする了見は変わらないような気がする。

しかも、中国国内で人民の統制を謀れなくなると、日本へ矛先をすりかえるのは毎度の悪意である。
近隣国と仲良くしたいのはやまやまだけど、見え透いた悪意のある国に正論が通用しないのも現実だ。
それでも、国際社会で生きる上、中国と韓国とは上手につき合わざる得ないのは自覚せねばならない。

だが、日本と中国は言論の自由と弾圧による体制が違うため、協議が野蛮になるもどかしさがある。
それが韓国であれば、せっかく友好関係が進展したかと思えば、いきなり人を崖から突き落とす真似をするところがあり、正直、この問題を通じて、「考え方がわからない国」になってきた。
今件を通して、僕には、「中国=狸」 「韓国=狐」にしか見えないんだ。

そして、日本は品性を間違えずに、怒るときは怒るべきである!
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2012年08月21日

母性の天使

寝覚めの頭で、リビングのテレビをボッーと眺めていた午後。

相方がトーストをかじりながら、僕に、「この女優さん、誰だか知っている」と聞くので目を凝らした。
年齢は50代ほどの中肉中背、とても地味な役柄を演じてたので、最初は誰なのか思い出せなかったが「ほら、あのボイン女優の烏丸せつこよ…」と言われて気づいた。 (今、ボインって言うのかな?)

「烏丸せつこ」と言えば、五木寛之監督作の映画「四季・奈津子」の主演女優であり、濡れた白のTシャツから透けた、弾けんばかりの豊満なバストが男を刺激した。
あれから30年… 面影があるにはあるけど、バストは母性の象徴であるから残像にはなっている。
下品な感性ではなく、男が持って生まれた素朴な欲望としてさ。

70年代、常夏のハーフ「アグネス・ラム」は、日本のトップアイドルとなった。
その可愛い笑顔と健康的なバストは、まるで、「母性の天使」が舞い降りてきたようだった。
最初はバストに興味が向くけど、いい女優になるとバストのことは忘れていくんだよね。
「飯島愛」のTバック、「宮崎美子」のブルーのビキニ、「美保純」がロマンポルノ出身なんてことは、   今になれば、「ああ、そうだったね…」で終わるでしょ。
その脱皮力こそが、いい女優に成長するんだと思える。

それに、誰かわからないほどのオーラを出せるほうが、女優としてミステリアスだ。
若い頃と変わらないのも素敵だが、男の立場で言えば、人工的過ぎるのもどうかと思う。
若さを保つため、適度な努力をする女性は色気あるが、歯止めが利かない健康オタクは気持悪いだけ。

女優の役柄にもよるが、烏丸せつこは大衆に溶け込んだ、等身大の女優のような気がしたね。
女は思い違いしており、男はこういう女性を抱きしめたくなるのだ。   ああ、素顔のままで…
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2012年08月20日

SEA LINE

新潟の海岸線はきれいだ。

夕方、自転車で本町通りから、四ツ屋町の坂道を上って、日和浜海岸を眺めに行った。
残暑が厳しいので、まだ海水浴をしている人たちが多かった。
そんなことなら、海パンを持ってくればよかったと少し悔やんだ。

東京在住時、お盆が過ぎた頃、車で帰省していた。
初日だけは、古町のホテルに宿泊して、そのまま部屋から海水浴に出かけるのが楽しみだった。
波打ち際に寝そべって、海や空を眺めながら、弱まった太陽のもとで全身浴をしているだけ。
最初、波音や海の香りに癒されながらも、いつの間にか考えごとをはじめている。

老い行く親のこと、仕事のこと… 空と海の青よりも考えていることは対照的なことだった。
また、考えるととめどなく出てきて、ここまで考えることを今まで避けていたようにも思えた。
もう、先送りできない年齢に来ていたので、こういう時間はとても貴重だった。
目を背けていることも、いずれ向き合わざる得なくなることってあるんだ。
お盆の帰省は人それぞれ、心に抱く気持は違うと思うが、そういうところは僕も人並みだったと思う。

そんなことを思い返しながら、二葉中学の坂道を下り、柾谷小路を直進して万代に戻ったのが18時。
潮風を浴びたので、自転車にさび止めを噴射しておかねば… ええ、新車ですから (v ̄ω ̄)イエーイ♪
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2012年08月19日

日本無視

次は、「日本無視」がはじまるぞ。

中国と韓国には、ほとほと呆れてしまった。
魚釣島には、中国の自称「活動家」が上陸した。
強制送還された連中は好戦的で、あの人相と態度を見れば普通の民間人じゃないでしょ。
中国はいつも、マッチポンプ(自ら事件を誘発して、解決した気になって英雄を演じる)である。

竹島には、今までの日韓外交を反故にするかのように、大統領自らが上陸した。
しかもこの期に及んで天皇批判まで繰り返し、日本国民の感情を逆なでにした。
竹島に遠泳した韓国の芸能人たちに至っては、売名行為と言おうか悪乗りにしか思えない。
そんな両国、どこが儒教の国かわからないが、そのやり方は非文明国としか言う他はない。

これもまた、ロシアの首相が北方領土に足を踏み入れたことは記憶に新しい。
豪州の反捕鯨団体しかり、日本人拉致問題で当たり前の理屈が通用しない北朝鮮。
日米同盟に頼らざる得ない中、基地問題で正論ばかり振りかざしたため、今や米国との関係も危うい。

去年、東日本大震災では、日本の民度が世界中から賞讃された。
今年、言われなき暴挙で、日本いじめに攻勢をかけられている。
原因に日本の力が弱まっていることに加え、経済大国第三位の日本でありながら政治が大きく混乱し、時の首相がコロコロと入れ代わっていれば、外交で舐められるのは当たり前だろう。
本来は国の代表がしんがりを務めて、毅然とした態度をとらないと国が崩壊してしまうでしょ。

だから、外交は左手で握手をしながらも、右手は拳を握っておくぐらいの気持がないといけないと思う。
そうじゃないとこの先も、虎視眈々と暴挙暴論を仕掛けてくるだろう。

もう一度言うが、次は「日本無視」がはじまるぞ… だが、それだけ日本を意識していることでもある。
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2012年08月17日

Jaco Pastorius (EB)

ウェザー・リポートで一躍有名なサックス奏者 「ウェイン・ショーター」は、生涯最高のベーシストとして「ジャコ・パストリアス」の名を挙げたことがあるが、正直これには驚いた。

僕がジャコを聴いたのは、アルバム「ワード・オブ・マウス」からである。
中でも、2曲目「スリー・ヴューズ・オブ・シークレット」に魅了された。
自己のバンドを率いた「ワード・オブ・マウス・ジャパン・ツアー1983」(新潟公演)は間近で観た。
その時、ウェザー・リポート時代とは違い、コンポーザー(作曲)としての印象を強くもった。
当時の僕(18歳)の耳を疑ってもいいが、キャッチーなベースではなかったのが正直な感想だった。
それに、「ベースとしての役割を果たしているのかな…」とさえ思ったんだ。

アルコールとドラッグに溺れてたことを知ったのは後のことながら、確かにあのときの演奏は極めて奇行めいていて、おかしかったことは記憶にある。
散漫な演奏をダラダラと続けているかと思えば、目が覚めるようなベース・ランニングを弾きはじめたり、
そうかと思えばステージから消えてしまったり…
今思い返しても、キーボードとドラムのソロがやたら長かった気がしたし、何とかステージを成立させようと、メンバー同士の苦渋なアイコンタクトで何となくわかった。

観客は「ああ、これが世界最高峰のジャコなんだ…」と、文句も言わずに拍手を送って見ているだけで、ちょっとでもかじっていれば、ステージで何が起きているかは、カルトファンじゃなくてもわかったはず。
あれはジャコだから許されたんであって、普通ならブーイングが出てもおかしくなかったと思う。
それから四年後、あってはならない死に方をしたことは、ジャズファンには忘れがたいニュースだった。
(あのステージを同じ新潟県民会館で見ていた人がいたら、リスペクトする意味で語ってみたいね)

ウェイン・ショーターも、あまりキャッチーなタイプではないが、トータルサウンドという面においては、  抜群な構成力があると思うし、アグレッシブなソロを展開することでも知られている。
ショーターはジャコの一番いいときのメンバーでもあり、その後のグループには参加しなかったものの、ベースがビッグバンドを率いるという、時代的な快挙に敬意を払ったんだとも思える。

先月、「ワード・オブ・マウス・ジャパン・ツアー1983」の音源が、ツアーギタリスト「渡辺香津美さん」から提供されて、2枚組みCDとして発売された。
音質に期待できないけど、心情的には聴きたいような、聴きたくないような複雑な心境である。

ジャコのリーダー作を聴くのであれば、この三枚のどれかを推薦するけどね。
・Word Of Mouth  (1981)
・Birthday Concert  (1981)
・Invitation (1982)
ウェザー・リポート時代、ジャコの神がかりなベースを聴きたければ、やっぱりこれでしょ。
・8:30 (1979)
ジャコを追悼したいのであれば、この曲以外には思い当たらない。
・3 Views of a Secret / Word Of Mouth  (1981)
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2012年08月16日

小顔店員

万代・新潟駅前周辺には、多くの若者が集まるいろんな流行店がある。

コンセプトによっては、店長(経営者)は女性の採用基準を年齢や容姿で影響されてしまうもの。
整った顔立ちにプロポーション、スラリとした足長スタイル。
色白で小顔な美人であれば、一も二もなく採用であろう。
若い店長ともなれば「もしかしたら…」と、色恋を抱く男もいるだろう。
同じことを夢見て通う、お客さんも少なくはない。

小顔のどこがいいのかわからない。
若い子を採用すれば、お客さんも釣られて、売上が伸びるとでも思っているのかな。
だけど伸びるのは鼻の下だけであって、叶わぬ想いに投資をしているようなもの。
僕の身近にも、甘い夢を見て通い続けているような人もいるからね。
男の発露であるが、良いほうにも悪いほうにも転びやすいということ。

小顔の美人は否定しない。
それに誰もが羨む美人は最初の数週間だけで、意外なほどすぐに辞める子も多いのは事実。
引く手数多なんだから、本人も採用合格に自信を持っていることしばし。
その子が目当てだったお客さんも、目先が変わるから一向に座が落ち着かないでしょ。
そういうところは、僕も男だからよくわかるつもりなんだ。

女性は絶対に愛嬌である。
どんなに若くて小顔な美人であっても、愛嬌がなければ絶対にだめだと思う。
それなら最初から、愛嬌のある大顔なおばさんのほうが、よっぽど癒されるものだ。
採用基準は見当が付くけど、好感度の高い女性は美人でもなく、愛嬌のある女性なんだ… これ絶対。
一番ダメなのが、愛嬌のないおばさん… これも絶対。
一番イイのが、愛嬌のある美人… これはもう最強である!

お店は小顔店員がいるから行くのではなく、「愛嬌ある女性」がいるから行くのである。
どんなに美人であっても、それがなかったら、無駄な美人でしかない。
欲を言えば、優しいしぐさときれいな言葉遣いなら、ずっーとその女性のファンになるはず。
みんな「小顔」とか言うけど、わら草履だろうが、せんべいだろうが、店員は愛嬌がありゃいい。
だから、小顔だろうが、大顔だろうが、全く関係のないこと。

大顔女性 \(^ ^)/ バンザーイ!  今夜の僕は何を言っているのか… 夏バテのようだ。
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2012年08月15日

五輪閉幕

ロンドン五輪が閉幕して、日常が静寂になってきた。

今になっては、高校野球中継の応援歌がテレビから流れているのが、どことなく心寂しく感じる。
それほど、今年の五輪は見ごたえがあったということだ。

これは誰も言うことだが、女性アスリートの活躍ぶりが目を惹いた。
その種目に「女子ソフトボール」が加わっていれば、もっと盛り上がったに違いない。

僕が一番印象に残ったのは、「女子サッカー決勝戦」だった。
生中継で観たことを差引いても、最後まで怯まず、攻め切った姿勢に共感した。
個人競技の独立独歩な精神も魅力だが、日本人の気質である一丸主義がいい方向に進んだと思う。
ただ、学芸会のようなパフォーマンスは、あまり日本人らしくない感情振る舞いのような気がしたけど。
まあ、結果が大目に見た感じである。

女性は生理学的に強い。
それは出産という機能、子育てという本能にあるので、何よりも痛みには強いんじゃないかと思える。
その点、素顔の男は大げさな印象を受けてしまう。
男の場合、男らしさを熱望する使命感による強さなので、考え方によってはいやはや、とてもデリケートな生きものかも知れない。
負けて号泣する男に対し、女が見せたひと筋の涙が印象に残ったのは、そんな理由からだと思うんだ。

ロンドン五輪では、「日本の女性は強い」という印象を、満天下のもとに示すことができたであろう。
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2012年08月14日

雨宿り

13日「お盆休み」当日、夜の万代は静まり返っていた。

おまけに夜空がゴロゴロと鳴り出し、その後の雷雨で街から人が消えていった。
そのとき僕は万代のビデオ店にいて、入口のテントで雨宿りせざる得なかった。
それにしても、久し振りの雨である。

そのまま、野外照明に照らされている雨をぼんやりと眺めながら、帰るタイミングを見計らっていた。
小雨なら、傘を差さずとも平気なのだが、とても雨足が強すぎる。
周りを見渡しても、車が駐車場内を徐行運転しているだけで、人はほとんど見かけない。

店内で時間を潰そうとするが、近くのスーパーでおつかいを頼まれてたので、のんびりしていられない。
そうしているうち、半そでの腕にかかっていた、雨しぶきが弱まったことに気がついた。
「よし、行こう」と思い立ち、道すがらの誘惑も振り切るように、小雨の街へ自転車で飛び出した。

その瞬間、布団から飛び起きるときの気合にも似た感覚だった。
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2012年08月13日

自転車を買った

2台目の新しい自転車を買った。

とても、嬉しかった。
何てシンプルな喜びであろう。
車でもバイクでもなく、何の変哲もない普通の自転車である。

前輪のバスケットに、フランスパンを立てて、おしゃれに街中を走ろうかな。
それとも、マリンピア日本海へ、ペンギンでも見に行って来ようかな。
変速機がついているので、寄居町あたりからの坂道だって楽々だしね。

まるで、子どもみたいだろ。
あまり、物欲があるほうじゃないので、この程度でも満足なんだ。
相方とサイクリングをしたいんだけど、自転車に乗れないんだってさ…  (`▽´) ケケケ

それまでの自転車は、丸々5年乗ったんだ。
物持ちが良いというか、減価償却も終わっているし、張れて新旧交代である。
もう少し並行して乗り潰したいと思うのは、5年間の気持が宿っているんだろうね。

初めて車を買った、18歳のときの初々しさが戻ってきた。
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2012年08月12日

競技人生

ロンドン五輪、「今後の競技人生」について、敗者がインタビューされる場面をよく目にする。
だが、これを面白いと思ったことはない。

次の勝負に挑むことは、価値の高いことだろう。
だけど燃焼した後って、真っ白になっていると思う。
あまりにも疲れ切って、脱力感からユニフォームを着替える気力もないだろう。
そういうとき、マスコミに人間らしい対応をしなきゃいけないことは、結構きつかったりするものだ。

敗者が、「次は頑張る」というのは建前であり、本音は競技からいったん離れたいんじゃないかな。
特に心が折られたときほど、人知れずに考えているものである。
おそらく多くの選手は、こういう気持を感じていると思う。

そんな自分の気持を確かめたかったら、一度競技を離れてから、結論を出すのもいい。
心と体が感覚を欲してくるか、違う道筋が見えてくるか、次第に本音が表れてくるものだ。
やみくもに不屈の精神を持つと、それにこだわるあまり、逆に他の価値観を見落とすことにもなる。
距離を置くのは、競技から逃げ出すことじゃなく、自分の空気を入れ換える意味で大切なことである。
周りの空気を読むのは長けても、肝心の自分自身の空気がわからなければ、健康的とは言えない。

それに、「レスリング女子48k級 金メダリスト小原日登美」も一度競技から離れて、自分の空気を入れ換えてから、再挑戦した結果が「金」なんだから、こりゃすごいことだよね。

だから、「今後の競技人生」に、感極まって即答することはない!
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2012年08月10日

惜しくも銀

10日、深夜3時半の帰り道、マンションの窓明かりが灯っていく様子がわかった。

「ロンドン五輪 女子サッカー決勝」の生放送らしく、いかに国民の期待が高いかわかる。
結果は周知の通り、アメリカに「2−1」で敗れて、銀メダルという結果で幕を閉じた。
努力の素晴らしさを教えてくれた、「なでしこジャパン」に背中を後押しされた人もいただろう。
きっとスポーツを通して見方を深め、自分を見つめているところがあるんだろうね。
それこそ、未来への展望である。

さあ、わしゃ、そろそろ寝るとするか、明日(今日)早いんだ… zzzzzzzzz
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2012年08月09日

ゆとり世代の選手

9日現在、日本のメダル獲得数は31個。

金は4つなもの、銅の数からして、競り合いに強くなった。
去年の震災が見直す契機となり、成績にも間接的な影響を与えたんだと思う。
特にメダリストのコメントを聞いていると、感謝の気持を表明していることに気づく。

自分に向けた言葉だけでなく、周りの環境や人間関係にも感謝の言葉を放っている。
日本の景気が今ほど悪くない頃は、自分の努力だけを声高に主張していた気がする。
ひたすら、「個性あふれる自分の追求」ばかり終始し、自分を特別な人間に見立て上げていた。

その典型的な態度だったのが、バンクーバー冬季五輪で公式スーツを軽視して叩かれた五輪選手。
「おまえひとりでここまでこれたのか」ってことでさ。
一過去、身近に「俺の営業成績で、何人かの社員を食わしてやっている」と、自分を権威づけしている男がいたが、その場を与えてもらっていることについてはどう考えていたのか。
卓球女子団体銀メダリスト、石川佳純は19歳ながら、お世話になった人たちへ感謝を言葉にしていた。
そんな勘違い野郎たちに、ガツンと響く立派な態度だったと思う。

正直、子どものような親に育て上げられて、ロクに挨拶もできなければ、まともに約束も守れないような 「ゆとり世代」との仕事に辟易したこともあった。
同じゆとり世代でも、彼女のような内面の美しさに触れると癒されるものである。
それに感動できる、感受性がまだあることも教えてくれた。
そうだ、まだまだ、ゆとり世代や日本は捨てたモンじゃない。

おじさんは今、「ゆとり世代」(16〜26歳前後)に感動している。
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2012年08月08日

つぶやく選手

「五輪開催中に、いちいちつぶやくなよ… まだ終わっちゃいないよ」

スポーツニュースの枠で、五輪選手がツイッター上で「勝った、負けた」「ありがとう、楽しかった」など、心情をつぶやいていた様子が紹介されていた。
それによって、選手とファンが身近な存在に感じられるのだろうが、僕はどこか違和感がある。
律儀なコメント(つぶやき)には取れるけど、へりくだった親切のようにも取れるんだ。

ロサンゼルス五輪、陸上4種目金メダリストに「カール・ルイス」という米国の選手がいた。
その後の活躍は知るところだが、ゴールした瞬間でも、鬼神のような険しい表情が印象的だった。
もしその頃、ツイッターとやらがあって、彼がこうつぶやいたとする。
「イェーイ、やったぜ、みんなのパッションがマイエナジーとなり、愛と勇気でドリームゲット!」
その瞬間、あのゴールで見せた強面の厳しいイメージが、一気に幼児がかってしまうでしょ。
沈黙こそが、その選手の強さであったり、ペラペラつぶやくことだけが想いを伝える手段じゃない。
やっぱり、勝負に生きるアスリートには、アスリートのイメージがあるんだ。
女性はいいよ、まだ性分だから…  男だよ、お・と・こ!

中日ドラゴンズの元監督 「落合博満」が試合が終わった後、こうつぶやいていたらどう思うだろう。
「今日は球場に来てくれて、熱い声援をありがとう (m^ェ^m) 」
「負けたけど、まだ勝負は下駄を履くまでわからないよ (^o^)v 」
しかも絵文字で、アクセサリーまでつけて、逆に読みにくくしてさ。
勝負に生きる男のようには思えないし、僕の中の落合監督のイメージは変わっちゃうだろうね。

アスリートは、ストイックじゃなきゃだめだ。
勝っているときはいいけど、負けが続いているとき、そんなこと書けるかってこと。
ひとつ間違えたら、「言い訳」としかとらえかねないであろう。
それにファンへ過剰に気を遣い過ぎると、いつの間に卑屈な文章になってくるからね。
もう一度言うが、勝っているときはいいけど、負けたときに同じようなことを書けるかってこと。

感じのいい人かもしれないが、勝負に生きる選手のつぶやきはなじめないのが、僕の本音である。
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