2012年07月06日

いじめ問題(2)

人間の過去を振り返っても、いじめがなくなることはありえない。
好き嫌いの感情がある以上、誰の人間性にもひそんでいるからだ。
それをしないのが自制心で、理論上させないのが教育なんだと思う。

僕が腹立たしく思うのは、「いじめを何とかしろ」というだけで、自分では何もしない体質。
だからといって、教師が力ずくで荒療治なんてしようもんなら、とたんに吊るし上げられる。
今は怒りたくても、怒れない。 (まあ、叱れないでもいいさ…)
怒れないから、怒り方が身につかない。
身についていないから、なまじっか怒ると下手なだけで、逆に反感を買ってしまう。
その反感で、自信を失っていく。
失った自信からは、何も対策が生まれない。
強引な流れだけど、図星であろう。

僕は暴力(体罰やいじめ)を認めない。
その昔(昭和58年)、戸塚ヨットスクールが社会問題となった。
家庭や学校、地域でも手に負えない若者を、ヨットの操縦を通して社会更生させる施設である。
世間でいう悪ガキ相手に、屈強で強面揃いの男たちが、「てめえ、このやろう」「上等だ、こら」の口調で、一度「型」にガッチリとはめて、体罰だって容赦しない。
どんなに悪ぶっていても、そんな力の世界に放り込まれれば、タジタジになって腰を抜かすだろう。
いじめている連中が、いじめられている子の怖さを初めて、自分の身をもって知るんだからね。
だが、世間の流れはそれを許さない。

僕が教職の立場なら体罰は封印するが、いじめに関わった奴を聞き出してやめるまで個人面談をする。
相手が根負けして、いじめをやめるまで、徹底的に追い掛け回す。
その間、いじめられた子には、友達から救いの手を差し伸べさせる。
体罰ができないのなら、実際はそれぐらいの方法しかないでしょ。
今じゃ困ったことに、そのどちらも満足にできないんだからね。

だいたい、弱いものいじめをしているような奴は、甘やかされて育ったタイプが多い。
今まで経験したこともない、筋金入りのタイプと関わったら、そりゃ従順になるわ。
そういう大人と出会ってないだけだから、小さな箱庭の中でツッパッてられる訳だ。

先月、戸塚ヨットスクールを題材にした、ドキュメンタリー映画「スパルタの海」(1983)を借りて見たが、あれだって一概にダメだとは言えないと思う。 (上映中止となり、30年ぶりに公開された映画)
この映画を見た、まともな教師に本音を聞いてみたいが、答が見えない焦燥感に悩むんだろうな。
はっきりしていることは、教師以上に親が毅然とした態度をとらない限り、いじめには終わりがない。
「いじめやグレるなんて、とても怖くてできない」と、思わせるぐらいの気骨あるおやじの方がいい。

答というよりも、考えることの大切さの方が、とても重要なのかも知れない。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする