2012年07月11日

ミートソース

10日夕方、相方から、「今日、何を食べたい」と聞かれた。

「何ができるの」と聞き返すと、献立の候補を並べた。
ざるそば、ミートソース、冷やし中華、焼きそば、カレーの五択だったので、ミートソースと答えた。
すると、「もっと、さっぱりしたものが食べたいのに…」と言い出す。
「じゃあ、リストに上げるなよ」とキッチンに向かって抗議。
どうせ、「冷蔵庫の諸事情により、本日の献立は急遽変更しました」とか何とか言うのかな。
また、「パンパカパンパン・パーン」とか、口でファンファーレを鳴らして、「冷やしソーメン!」あたり、  出てきそうな予感もしていた。

今日も仕事が終わり、食卓に着くと目の前に出てきたのが、なんと、おー、ミートソースではないか。
それまでは、社交辞令のようなもので、「とりあえず聞いておこうか」程度だと思っていた。
それは本当のところ、別に答など必要とはしていない、日常における惰性の会話だったりさ。
僕は出された食事は黙って食べるので、その答えには耳が届いていないんじゃないかとも。

夕飯を作る主婦の頭の中では、実はもう献立がキッチリと仕上がっているんじゃないかな。
とりあえず、相手に好意を示す意味で、一応聞いているだけだとか。
他の夫婦はわからないが、当らずも遠からずであろう。

炭水化物を補いたかったので、リクエストが叶って良かった…  うんめかった!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

人を描きたい

ブログを初めてから、もう4年が過ぎた。
そのわりには、大して訪問者がいないんだよね。
いや、本当に… だって、おもしろくないもん!

今さら過去に何を書いたかなんて憶えちゃいないが、比較的忠実には描いてきたつもりだ。
これで何かが変わるなんて考えたこともないし、このブログを見て当店に来店する人は稀だと思う。
寧ろ、書くきっかけを作ってくれた人、読んでいるという名もなき声に応えているようなところがある。

ブログの基本スタンスは、以前に腰を据えて書いたので重複は避けたい。
今後も私生活の画像は公開しないし、「だ・である調」の断定文で書くだろう。
それに良い子の見本みたいなことは書かないし、評価されるためのブログではない。
理由としては、一過去の軌跡を整理するのに、適切な時間が経過したと思っているからだ。
もうひとつの理由は、「いい思い出として、書き残しておきたい」というもの。

手前味噌だけど、人を描くことが好きなんだ。
なぜなら、ジャズやスポーツ、酒場や私生活にまつわるエピソードなど、所詮は人間ありきの物語。
ジャズを勉強したかったら、専門誌などで知識を得られるけど、逆に遠ざける結果になりやすい。
酒のウンチクを知りたければ、いくらでも入門書はあるけど、度が過ぎると人には歓迎されない。
それら今ではネットでわかることだし、それをわざわざ重複文にすることは馬鹿げていること。
つまり、自分の視座からしか描けないことが、ブログなんだと思える。

それにブログは単に言いたいことを、勝手に述べているだけのこと。
通常のコミュニケーションとは性質が違うので、意見を交換する場ではないことは以前にも宣言した。
肝心なことは、口頭や対面できちんと会話すればいいことだし、感じの良い自分を演じるつもりもない。
それでも、コメント欄を設定しているのは、余裕を持って楽しもうという気持の表れなんだ。

いつまでブログを書き続けられるかはわからないが、書けることがあるから描いているだけ。
そのうち、何週間も更新されなくなったら、そのときは飽きたと思ってもいい。
それか、もしかして、「似顔絵講座」を学んでいるかもしれないよ。
集大成として、「Portrait In GIG」 (気心知れたお客さんの似顔絵と紹介文を図鑑にしたブログ)を、ヘタながらも描いてみたいと思っているんだ。
その前に、「Jazz Bar GIG」の存続が前提にはなるけどね… (笑)

僕はブログで、人の驚きと本気を描いていきたいんだよね…  People Power!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

おじさん(8)

この頃、夏本番に向けて、「アロハシャツ」を着たくなる。

その昔、南の島へ観光に行くたび、「ネクタイ」と「アロハシャツ」を、旅の思い出に購入していた。
だが、日本だとアロハは見た目チンピラ風に映るので、あまり積極的には着ていなかった。
それでも、さりげなく季節に解けこみたくなるのが、最近の心境である。

今や素肌を人前でさらせるほどの肉体は失った。
自分自身の肉体を鏡に写して、思わず「プッ」と吹き出してしまうほどだ。
次第に迫る老化現象に対抗して、少しでも若くありたいと願うのが男の性。
アロハシャツを着ることにより、外見に関する意識の高ぶりを求めているんだろうか。
俺だって、数十年前までは上半身裸で、海辺でバドワイザーをラッパ飲みしていたぜ。
こんなになっちゃったけど、俺も若い頃…   無言のアピールなのかも知れないね。

最近、わかってきたことがある。
サッカーでも野球でもいいけど、自分がひいきのチームと、同じユニフォームを着たがるおじさん心理。
チームカラーに合わせた、バンダナやリストバンド、中には上から下まで同一化しているおじさん。
でも、似合っているおじさんって、ほとんど見かけないんだよね。
色白で腹が出たおじさん、ぶくぶくに太ったおじさん、髪の毛がかなり後退しているおじさん。
そうかと思えば、生物部で精子を顕微鏡で覗いた過去を持つような、理数系のひ弱なおじさん。
普通は似合わない領域に、手を出してはいけないような気もするのだが。
もしかして、僕のアロハシャツも…

もし相方が、「ムームー」を着たいと言い出したら、僕は断固阻止する。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

休日ふらり(11)

梅雨入り宣言の後、連日新潟も雨模様である。

飲食店は雨足の影響を受けやすいが、週末は予想外に賑わったことが嬉しかった。
以前、雨をもじって「雨天の友」を書き綴ったのは、去年の4月頃だったと思う。
天気のいい日は、誰もが似たような思考や行動を描いてしまう。
雨天というのは、何にせよ断りの理由をつけやすい。

成績が優秀な営業マンほど、「雨の日 風の日 訪問日和」という、訓話を胸に忍ばせている。
出かけるのが億劫になる天気ほど、逆に相手の気分を明るくさせるという意味だ。
誰もが同じ個性を求める中で、デキる営業マンほど、人と同じ発想はしないよね。
考え方は、雨天の友と極めて似ていると思う。

僕は私生活の完全な休日は、月3日(実際は1〜2回)だけ。
「ここへ行く」と決めたら、雨が降ろうが槍が降ろうが、出かけて行くタイプ。
「どこで何をしてた」など、細部は書き込まないが、行きつけの隠れ家をもっているのは本当。
リラックスできる空間や時間を作るから、人と会話をして気力をチャージできるのであってさ。

日曜の夜に遊んでくれる友人は少ないが、まあ年齢的にそれなりのスタイルでは遊んでいるわけよ…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月07日

おじさんの景色

今日は七夕なんだね。

一年って、ショートトラックみたいなものだ。
月ごとの行事や風物詩、旬の食材や季節の花を通り越しながら、一周していくような。
春の桜、夏の花火、秋の紅葉を見たくなるのは、きっと通過点の景色として見ておきたいからかも。
あと何周できるのかわからないから、人生いろいろ、儚くなるんであってさ。

過ごし方は年齢によって、ずいぶんと変わっていく。
若い頃は、はしゃいだり、おしゃべりしたり、行事を遊び道具としか考えていなかった。
それがこの年齢になると、おちついて見つめられるようになる。
縁起を担いだり、迷信を案ずることなく、安堵なため息をつきながら、今いる場所を確認している感じ。
うーん… 見る景色が、味わい深くなっていく感じかな。

今の、「おじさんの景色」を楽しんでいれば、いずれ、「おじいさんの景色」も楽しめるであろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

いじめ問題(2)

人間の過去を振り返っても、いじめがなくなることはありえない。
好き嫌いの感情がある以上、誰の人間性にもひそんでいるからだ。
それをしないのが自制心で、理論上させないのが教育なんだと思う。

僕が腹立たしく思うのは、「いじめを何とかしろ」というだけで、自分では何もしない体質。
だからといって、教師が力ずくで荒療治なんてしようもんなら、とたんに吊るし上げられる。
今は怒りたくても、怒れない。 (まあ、叱れないでもいいさ…)
怒れないから、怒り方が身につかない。
身についていないから、なまじっか怒ると下手なだけで、逆に反感を買ってしまう。
その反感で、自信を失っていく。
失った自信からは、何も対策が生まれない。
強引な流れだけど、図星であろう。

僕は暴力(体罰やいじめ)を認めない。
その昔(昭和58年)、戸塚ヨットスクールが社会問題となった。
家庭や学校、地域でも手に負えない若者を、ヨットの操縦を通して社会更生させる施設である。
世間でいう悪ガキ相手に、屈強で強面揃いの男たちが、「てめえ、このやろう」「上等だ、こら」の口調で、一度「型」にガッチリとはめて、体罰だって容赦しない。
どんなに悪ぶっていても、そんな力の世界に放り込まれれば、タジタジになって腰を抜かすだろう。
いじめている連中が、いじめられている子の怖さを初めて、自分の身をもって知るんだからね。
だが、世間の流れはそれを許さない。

僕が教職の立場なら体罰は封印するが、いじめに関わった奴を聞き出してやめるまで個人面談をする。
相手が根負けして、いじめをやめるまで、徹底的に追い掛け回す。
その間、いじめられた子には、友達から救いの手を差し伸べさせる。
体罰ができないのなら、実際はそれぐらいの方法しかないでしょ。
今じゃ困ったことに、そのどちらも満足にできないんだからね。

だいたい、弱いものいじめをしているような奴は、甘やかされて育ったタイプが多い。
今まで経験したこともない、筋金入りのタイプと関わったら、そりゃ従順になるわ。
そういう大人と出会ってないだけだから、小さな箱庭の中でツッパッてられる訳だ。

先月、戸塚ヨットスクールを題材にした、ドキュメンタリー映画「スパルタの海」(1983)を借りて見たが、あれだって一概にダメだとは言えないと思う。 (上映中止となり、30年ぶりに公開された映画)
この映画を見た、まともな教師に本音を聞いてみたいが、答が見えない焦燥感に悩むんだろうな。
はっきりしていることは、教師以上に親が毅然とした態度をとらない限り、いじめには終わりがない。
「いじめやグレるなんて、とても怖くてできない」と、思わせるぐらいの気骨あるおやじの方がいい。

答というよりも、考えることの大切さの方が、とても重要なのかも知れない。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月05日

庭園鑑賞

日本庭園は「涼」と「静」に魅力がある。

4日午後、相方と避暑を兼ねて、西大畑にある日本庭園「旧斎藤家別邸」を鑑賞しに出かけた。
大広間から見渡せる、庭園の眺めに癒されながら耳を澄ましてみる。
するとあらためて、自然な音が身近にあることがわかった。
小鳥のさえずり、池の水しぶき、一瞬の風に吹かれた葉の音…
ただ、日常生活で意識してないから、聞き取りにくいだけなんだ。

東京時代、忘れていたこの感覚を感じたことがある。
普段は車でしか通らない、渋滞を避けた朝の通勤路。
運転中は音楽を流しているか、身につかなかった英会話を聞きながら過ごしていた。
途中で缶コーヒーを飲みたくなり、自動販売機がある路肩に車を停車させ、ボンネットに寄りかかって  一服していたときのこと。

それまでは、運転席からの見慣れた風景と車中に音楽を適当に流しているだけ。
また、無意識にいろんな情報を判断して、目的地まで前に進んでいるようなもの。
それが初めて、映像と音声が重なり合ったような感覚に包まれた。
空を見上げたら広く感じたり、目の前にある高校の校庭から聞こえてきたチャイムの音。
風に雑じっていろいろな匂いを感じながら、髪が顔をなでるくすぐったい感覚。
車から降りて見渡さなかったら、そういう感覚を見落としていたかもしれない。

自然に触れるのは大切だ。
何も時間とお金を使って遠出しなくても、日常には五感を刺激する場所はいくつもある。
味覚は別にしても、視覚や聴覚、嗅覚や触覚など関係を描けるところ。
新潟の中心部でも、信濃川のやすらぎ堤、白山公園、船着場、足を延ばせば海岸線。
ただ、近すぎて気づかないだけなんだ。
僕が出かけたのは、西大畑の閑静な住宅街にある日本庭園。
それこそ喧騒の隠れ家であり、涼と静の空間が心を癒してくれた。

夏は蝉しぐれ、秋は紅葉、冬は冬囲いの雪景色…   何だか、楽しみになってきたな。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

擬音語

会話をしていると擬音語(擬態語)に、その人の個性を感じるときがある。

擬音語は、「雨がザーザーと降る」とか、「太陽がサンサンと照る」など、それらしい言葉で表現すること。
誰もが、無意識に使っていると思うが、それこそ表現の自由度である。
譜面なら、「アドリブ」「フィル・イン」、または「おかず」など、意味するところは同じであろう。

会話の一部を拾えば、「牛丼をバッサバッサ食べる」とか、「電話でモゾモゾしゃべる」など、その人の  幻聴が会話に面白味を与えてくれる。
この人は、牛丼を食べる音を、「バッサバッサ」と表現するのか。
この人は、電話の話し声を、「モゾモゾ」と表現するのか。
ありきたりに、牛丼を「モグモグ」とか、電話を「ヒソヒソ」じゃ、自由度に芸がない。
やっぱり、その人独自の「幻聴感覚」が楽しいのだ。

ある日、お客さんが気心知れている肉感的な体型の女性相手に、ユーモアのある擬音語を発していた。
考えずに発すれば、「パンパン」「ボヨヨン」とか、ありきたりな表現であろう。
だが、「体型がポンポンしていて好きだ」と… 「ポンポン」とは、可愛くて恐れ入った(笑)。

巨人軍の長嶋名誉監督のように、「シュッと引いて、パッと出して、スパーンと行けー」では、描写に熱意こそあるが、「なに言っているのかわからない」となるけど、それは許された人だからね。
職場の会話で擬音語が多いと困るが、飲んだ席で会話を盛り上げるには、意外と有効な言葉に思える。

結局のところ、その人の言い方になるんだけど、擬音語の表現にもユーモアやセンスがあるんだね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

化粧直し

繁華街は女性である。

昼下り、金融機関などへ行く用事があると、新潟駅前の繁華街を自転車で横切ることがある。
まだ繁華街は全体的に静寂に包まれており、見方によっては殺風景なセットのように見える。
その間、納品業者の軽トラックが行き交い、開店前の搬入作業が速やかに行なわれていく。
店の鍵を手にした従業員が慣れた手つきで、シャッターを開ける音があちこちから聞こえてくる。
それから仕込みや店内掃除などが行なわれ、開店時間になると看板に明かりが灯り暖簾がかかる。

時間を巻き戻せば、午前中は寝顔、午後からは素顔、そして開店になると化粧顔。
夜の店は照明で印象を変えれるが、昼に見ると所々に年期が入ってるのが飲食店。
店を正面から見ると入口が微笑んでるようだが、横から見たら外装が剥がれ落ちて老朽化してたり。
日中だからわかることであって、見られたくないところを覆い隠せるのが夜の世界である。
繁華街のネオンは、見せ方を変えられる、重要な手段なのである。

だから、繁華街は女性なのじゃ。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

雨に濡れても

1日、小雨模様になった19:00の街。

新潟伊勢丹の通路を歩いていたら、開け放たれた扉から、「雨に濡れても」が聞こえてきた。
つられて口ずさんだとき、本当にいい音楽って、こういうことなんだろうと思った。
その音楽から一度は離れたけど、思いがけないタイミングで自然と口ずさんでいる。

虹を見たら、「オーバー・ザ・レインボー」
月を見たら、「ムーン・リバー」
空を見たら、「リボン・イン・ザ・スカイ」
誰でも、頭の中から鳴り響いてくる一曲ってあると思う。

ジャズだろうが、ポップスであろうがかまわない。
そよ風や小雨、川のせせらぎ、鳥のさえずりなどと、同じほどの心地良さがある。
「気分がほしがる音楽」って、あるんだよね。

梅雨らしくなってきたなと、少し雨を楽しく感じた。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

目は心の鏡

「目は心の鏡」という、諺がある。

その昔、ジャズピアニストの山下洋輔さんが対談でこう言っていた。
「好きなことをやってない奴の顔はゆがんでいる」と表現した。
それに似ているのが、今の日本の政治だと思う。

政治家の目に魅力を感じない。
その目は冷たく、よそよそしい。

アメリカの心理学者、「アルバート・メラビアン」が、こんな実験結果を発表している。
人が他人から受ける情報の多くは三つに大別されるという。
 @顔の表情・態度  55%
 A声の質感・感情  38%
 B言葉の内容     7%
「メラビアンの法則」として、人の心理を数値化した、「ビジネススキル」のひとつである。
Bは7%の影響しか人に与えず、@とAの93%こそ、人に与える影響が大きいのがわかる。
Bが優秀なのに、どこか人に信用されないのは、@とAに配慮が欠けている場合が多い。
言葉以上に表情や態度の方が、無意識な伝達力になっているものだ。

政権を奪取したら、しがみつこうとするのが政治の常。
それを選んだのが、われわれ国民という意識もどこかへ行った。
よく、「政治家を見れば国民レベルがわかる」と言われる。
だが、「国民を見れば政治家レベルもわかる」とも言える。
日本全体、Bばかりに固執しており、@とAに活気がないんだ。

目は口ほどにモノをいう…  つまり、暗いんだよ!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする