2012年06月19日

父親語録

17日、父の日だったんだね…  子どもに時間を割いた親も多かったであろう。

近年、モノより思い出の傾向が強いようだが、とてもいいことだと思う。
僕が子どものころ、モノも思い出も薄かったような気がする。
その代わり、「ほったらかし」という、特別な育て方をされた。
こう書くと、「ネグレスト」と誤解されるが、そうじゃない。
「自分でできることは、自分でしろ」… そう思ってほしい。

僕らの世代、父親は終戦まもないころ青春期だっただけに、それは怒ると怖い存在だった。
ケンカに負けて帰ってきたら、家に入れないぞと言われてたが、そんな単純な父親ではなかった。
「やるなら、それなりの意気地をもって、ケンカしてこい」ということだ。
寧ろ、そんなことを言われれば、逆に委縮してしまうし、計算あってのことだといえよう。

大なり小なり、子供心の思い出は、「父親語録」だったかも知れない。
子どもは物事への関心が高いので、目にするもの、耳にするもの、全てが新鮮に映る。
ゆえに、言霊(ことだま)として、永く生き続けている場合も多い。
例えば、「友達を大切にしろ」、「自分がされて嫌だったことは人にはするな」など、どこか儒教の教えのような言葉であり、父親はどうか知らないが子育て上、言うべきことは言っていた。
そうすると、その言葉は感情を呼び起こす呪文のように、魂が宿ってくるようにさえ感じた。
そう考えると、父親とは、「言語学」なのかも知れないね。

もちろん、父親として普段の行動が言葉の背景になるわけだから、浮ついた言語で終わってしまうか、  それとも、言霊として魂に宿るかは別である。
だが、どんな時代であっても、息子として願うことは、父親には後者であってほしいのだ。

僕の人生、父親にはなれなかったけど、経験を語り継ぐことはできるからね…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする