2012年06月09日

ミッキーに学ぶ

好きな映画は、「ロッキー」(1976)  それ以降の作品は劇画的過ぎた。

原作の見どころは前半の「不器用な恋愛」、後半の「ファイティングシーン」だろう。
個人的には、「トレーナーとの関係」に重きを置いた。

年老いたトレーナーのミッキーは、誰よりも先にロッキーの素質を見抜いていた人物だった。
だが自堕落な生活を送っていたロッキーは、ミッキーの立場を理解してないとしか言いようなかった。
そういう考えのなさが、いつしか仲間までも遠ざけていった。
そこに来てアポロの思いつきから、突如として対戦相手に指名されたロッキー。
ミッキーは孤立しているロッキーを見かねて歩みよったが、逆に「こういうときばっかり…」と、過去からの感情が話をややこしくしてしまった。
本当は不仲でもなんでもなく、お互いの不器用さが和解を邪魔していただけのことであった。
長年冷遇されたと思い込んでいるロッキーは、思いを吐き出してミッキーの後ろ姿に罵声を浴びせる。
そのまま凍える夜の街をひとり、トボトボと歩きはじめたミッキー。

するとロッキーは着の身着のままでミッキーを追いかけ、肩に優しく手を回してから、何やら一言二言  交わしてから別れた。
男と男が、いさぎよく和解した瞬間である。
やっぱり、お互いを必要としていたんだ。
いつまでも意地を張っている自分をバカバカしく思い、もう一度出直す決意をしたのであろう。
そのときの台詞は高架橋の騒音でかき消されているが、どんな言葉を交わしたのかを観客に思い描かせたところが、心に訴えかけられた場面だった。

僕は思ったね… 男だから謝れるし和解できるのが真の姿であり、それこそが男らしさだよね。
そんな、詫び寂びの抑えた表現の中にこそ、この映画のよさがしみわたっていると思えるんだ。
このシーンを何度観ても、まぎれのない青春の香りに包まれてしまう。

何だか、生卵を殻ごとバリバリ食って、本町市場を全裸で疾走したくなったぜぇー!
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2012年06月08日

ロッキーに学ぶ

連日、来月のロンドン五輪に向けて、様々な競技の代表選考会が行なわれている。

努力は報われないことの方が多い。
じゃあ何で努力をするのかといえば、努力しないより、努力した方が目標に近づけるからと考える。
僕も柔道を通して努力はしたさ…  だが、努力が報われたなんて思ったことはなかったし、道場生にも無責任な啓発もしたこともない。
努力は自分がどう納得するか、他者がどう共感したかでしかないと思う。

映画のワンシーンを使えば、名作「ロッキー」(1976)の14ラウンドを思い起こしてほしい。
アポロの強烈な一発を喰らったロッキーは、キャンバスにのたうちまわり、ロープにしがみつきながらも必死に起き上がろうとしていたあの場面だ。
セコンドは、「もういいから、立つな、そのままでいい」と、怒鳴りながら制止していた。
セコンドは死闘に共感したが、ロッキーは納得してないので、制止を振り切り立ち上がる。
最終ラウンドまで立ち続けることで、俺はただのチンピラじゃなかったことを世間に認めさせたかった。
試合終了のゴングが鳴り響いたとき、誰も勝ち負けなんかにこだわっていなかった。
人々は結果に感動したのではなく、プロセスに感動したからだ。
つまり、結果が全ての世界で、プロセスという努力にみんなが共感したのである。

今でも、あの映画を思い返すと三つのポイントがあった。
まず動機。  エイドリアンへの愛情、ミッキーへの尊敬、ポーリーとの友情。
そして自分自身、世間に認めてもらいたいという信念。
次に努力。  努力に生きがいが宿った。
最後に運。  これだけは仕方がない。 
アポロが気まぐれにロッキーを名指ししなかったら、アメリカンドリームを手にすることはなかった。
結果とは、「動機・努力・運」を得たものが、真の勝者になれると思っている。

次回作からファイナル作まで、ロッキーシリーズが長年愛された理由には自分の弱さを素直に認めて、再挑戦を続けるプロセスにあるんだ。
その努力は金のにおいがするのではなく、牧歌的でやさしさに包まれているから、ロッキーは人々から愛されたのだと思える。

スポーツの勝敗において、共感と同情は全く違うものなのである。
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2012年06月07日

映画談議

もう、二年前の出来事だから解禁してもいいかな…

ある夜、たまたま居合わせた3人のお客さんと映画談議をしていた。
少し斜に構えた「映画通」ともなると、一般的な内容よりもどちらかと言えば奥行きを語る。
有名どころで合わせて反応を伺うこともあるが、知識全開で来られるとちょっと困るときもある。
せいぜい酒場の映画談議であれば、有名作品の見所、誰もが知る男優や女優あたりで落ち着くもの。
しかし、自称「映画通」のお客さんは飛ばしに飛ばしまくる。

「アル・パチーノ」「ショーン・コネリー」「ポール・ニューマン」…
有名どころの俳優から、「その人… 誰?」と首を傾げる脇役まで連ねてくる。
この傾向は、ジャズミュージシャンの好みにもいえることで、「いぶし銀タイプ」を上げていたほうが、  通と思われる勘違いした人にも似ている。
その人、映画通を名乗るだけあって、確かに作品や俳優を良く知っているのだが、正直に言うと単に  並べているだけのようにも思えた。
それで一番好きな俳優は、「ロバート・デ・ニーロ」だという。
僕は残念ながら、デ・ニーロの代表作と呼ばれる、「ゴッドファーザー」も「ディアハンター」も観ていないので、その魅力については語れない。
しかし、会話がかみ合わなくなってきたのはこのあたりからで、ストーリー展開が違っている雰囲気を 他のお客さんが嗅ぎ取ったようなのである。

バドワイザーを片手に会話へ加わっていたお客さんから、嫌味はないが強烈な質問を浴びせられた。
「本当はどっちも見ていないんでしょ… ストーリーが違うよ」 見たからこそ言える質問であろう。
すると映画通のお客さんが両手の人差指をクロスさせながら、「マスター、チェック」と合図する。
「あら、質問が…」と思いながらも、途中で会話をやめて、そのまま夜の街へ消えていった。
残された2人のお客さんと、全員一致で行き着いた答えはここだった。
「ロバート・デ・ニーロ」 名前がカッコいいからじゃないのか。
じゃあ女優は、「オードリー・ヘップバーン」ってところかな。
外に笑い声がもれるほど、盛り上がったことは言うまでもないが、会話にも身の丈があるわけで…
そのお客さんはあれ以来、店に現れていないことから、質問が図星だったのかな。

余談だが、今年の2月頃、カウンターで「カリラ」をロックで飲んでいたお客さん。
ジャズを聴きながら独り言… 「マイルスのペットは、いつ聴いてもいいなあ」と。
僕が流していたのは、「ジェリー・マリガン」だし…  しかも、「バリトンサックス」だし…
酔って周波数が合わなかったようだが、こういうワイルドな人って、かわいいと思うし好きだね。

映画好きもいいが、共通の話題を独占し過ぎると、周囲はしらけてしまうことがあるのでほどほどに…
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2012年06月06日

菊地容疑者

手配写真とは似ても似つかない、菊地直子容疑者の実物写真だった。

同居していた男の供述によると、プロポーズをしたら素性を明かされて断られたという。
去年12月に出頭した平田信容疑者と同じく、結婚が叶わぬ恋愛物語が幕を引いた気がする。
こうして17年後の顛末を知ると、人は人の中でしか生きられないことをつくづく感じる。
つまり、人を愛してしまったがため、次第に人間性を取り戻していったと推測ができる。
それはあまりにも、身勝手で遅すぎた結論ではあったが…

1995年、教団が事件を起こしたとき、二人の容疑者に共通していることは若さである。
若さゆえ、精神的に不安定であったり、何かにすがりつきたくなることもあるだろう。
若さは時として暴走したり、ねじれたりするものだ。
そんな青春の気質を巧みに操ったのが、麻原こと松本智津夫死刑囚であった。
世間知らずの若者が妖しい音色の笛を吹く、松本に何も疑わずに従ったとしても不思議じゃない。
それを見返りに報酬や地位など、密約もあったんだと思う。
マイナス思考にとりつかれていることに気づかず、その実態を知ったときには、もうすでに時遅し状態に陥っている怖い世界である。
本当に悪い奴は、青春をマインドコントロールするからね。

こうした仮説もふまえ、最後は自分自身に戻りたくなったんじゃないかな。
介護ヘルパーとして働いているうち、人生を思い直していったとか…
同情できないがそう考えれば、彼女は普通に人の子だったんだろうな。

いづれ、菊地容疑者の獄中手記が出版されたら興味がある。
もうウソをつく必要はないのだし、全ての真実を明らかに記す気がする。
人生を覚悟したのであれば、真実を告げて書き残すことが次世代への伝言でもあるからね。

それが真実でなかったら、稀代の悪としか言いようがない。
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2012年06月05日

外見の印象

アップにしていた髪を下ろした瞬間、女性が秘めた艶かしさを感じることがある。

3日夕方、古町のコーヒーショップ一階で過ごしていたら、二階から母親と20歳ほどの娘と思しき二人連れが階段で降りてきた。
そのまま窓際を横切ったとき、見覚えのある顔に気がついた。
母と思しき方が、たまに出かける本町のスーパーに勤めている人だった。

いつもは髪を頭巾で包んでいるので、女性の髪形まではわからない。
仕事の内容次第では、外見の自由が制約されているので、その先にある個性を知ることはない。
だから、街中でイメージにない姿を見かけて、思わずドキッとさせられた経験は誰でもあるだろう。
ビジュアル的には、ヘアースタイルで印象は変わるものである。

その女性、僕とそう変わらない年齢に見えたが、このあたりは年齢の問題だけではなさそうだ。
たとえ、エステに通って見た目の装いを繕ってみても、本人に先天的な魅力が備わっていなければ、  逆に女性としての魅力は感じにくいものだ。
男の立場でいえば、TPOをわきまえた艶かしい知性に魅力を感じてしまうのが本音である。

そう思えるようになってきたのは、男の性がおちついてきた証拠かな…  だが俺はババ専じゃねえ!
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2012年06月04日

ものまね

休日は少年に戻れる日である。

基本、毎夜は仕事なので、休日の夜は外出したくなるのは自然な性。
人とは生活の時間軸が違うため、ひとりで遊んでいることも多い。

相方から、「鉄砲玉」といわれる。
一度外出すると連絡もなく、どこで何をやっているのか、わからないからだろう。
別に、どこかで怪しいことはしてないのだが、いつも道草ばかりしているからだ。
開放的な気分に加えて、道すがらの光景に目を奪われることは誰でもあるでしょ。
つまり、子供の目線で楽しめるんだ。

街中を見渡し、珍しいモノがあれば近寄り、ここまで来たんだからと友人の店へ顔を出すとか。
友達作りでもないが、偶然会った知人と会話に夢中となり、深夜まで及んでしまうこともある。
その間、僕が最高に羽を伸ばしている時間を気遣ってか、逆に相方からも電話一本ありゃしない。
それでも、傾いた牛丼を手土産に帰宅すると、「もう、鉄砲玉なんだから…」と小言をいわれながらも  介抱してもらっていることについては頭が上がらない。

そのかわり翌日、僕がヘロヘロに酔っ払った姿を、「ものまね」して楽しんでいる。 あぁ、恥かしい…
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2012年06月03日

アリが出た

部屋で寛いでいたら、相方が戸を開けて、「アリが出たぞー」と大騒ぎ。
(説明しておくと、相方は昆虫や爬虫類が大の苦手だ)

「アリの一匹、二匹どうした」と素っ気なく返すと、「四匹もいたの。ということはもっと一杯いるかも…」とワナワナ引きつった顔で答える。
「うちは貧乏だから、アリの方が出て行くわい」と話を締めても、まだ「寝ているとき、全身に群がられたらどうすんの」と、ザワザワ言っている。
さらに、「元はといえば、あんたが甘いものをポタポタ床にこぼすから、アリが寄ってくるのよ」と責める。
… 「俺、かいな!」

しかも、僕が外部からアリを引き入れたと、疑いの眼差しを向け始めた。
「俺は、アリの親分じゃねえぞ。 じゃあ何か、俺の後ろからアリがついてくるのを見たのか」と聞くと、
「おー、見たぞー」と開き直る。
何でも、頭にハチマキを巻いたアリが二列になって、何十匹で大行進をしながらついてきたという。
… 「集団、小っさ!」

この時点で、相方がふざけだしてきたので、僕も「どうやって行進してきたのか、ここでやってみろ」と  逆にからかった。
すると「イチ.ニイ.イチ.ニイ.」と膝を直角に折り曲げながら、目の前でアリの大行進を再現し始めた。
さっきまで、ドン引きしていた顔は、いったいどこへ行ったのやら…

そんなことで笑っていられる我が家は…  こりゃ、アホである!
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2012年06月02日

一期一会

「一期一会」  (一生で一回しか会えない気持ちで交わる) そんな意味であろう。

バーテンダーであれば、座右の銘ともいえる、四文字熟語である。
初対面の店主とお客さんが、会話の接点を探りながら寛ぎを熟成させていく、人間ドラマのような場所がバーだと思っている。
当然、人間同士だから相性こそあるが、所詮は対人関係という、基本能力に行き着くものである。
ゆえにストレスにさらされることもあるが、豊かな人間性に魅せられたときは嬉しくなるものだ。
僕らバーテンダーは、こんな気持で仕事をしているんだと思う。

もうひとつ、バーテンダーの心境をことわざで言い表わせば、「去る者は追わず、来る者は拒まず」。
この場合、「者=客」になるんだけど、可愛げがないと言わずにその先を読んで欲しい。
商売上、誰でも気になることは、今まで来てくれていたお客さんが来なくなること。
店主は「仮説」、「検証」だのと、あれこれと考えを張り巡らすことになる。
そういう考えは、チェーン店のマニュアルイズムに任せておけばいいと思う。
晴れて自由人になったということは、まどろっこしい悩みは作らない生き方を選択したということ。
お客さんの心境が変わったんだから、それはそれでいいし、気にして追いかけることもない。
このように商売上のアプローチをかけないのは、意味があってのことである。

来なくなったお客さんの中には、もしかしたら、リストラや業績不振に苦しんでいるかも知れない。
それか家庭の不和や人間関係の悩みなど、人知れずに頭を抱え込んでいることも考えられる。
何か具体的な力になれるのならいいが、力になれないのなら、おせっかいしないことも仕事。
アプローチの仕方を間違えれば、お客さんに「金の切れ目が縁の切れ目」を突きつけることにもなる。
だから、商売上の営業電話もかけないし、職場に挨拶状も送らないのは配慮している距離なんだ。
商売が下手と言われるが、そういう人間関係が長く続かないことは、経験上わかっているからね。
とは言っても、それまでの関係に礼儀を失する態度を取らないのが大人のルール。

僕は店主として、お客さんといつまでも伸び伸びした関係でいたい。
「人は次第に離れていくこと」を前提にしているので、去る者は追わない考え方でいる。
それを前提にしておけば、人間関係はそうたやすく、悩んだり傷ついたりしないものだ。
人を囲おうとすれば、息苦しくなるのは当然なので、商売上のアプローチはかけない。
急速に親しくなった関係ほど、長続きしないことが多いのはそのためだ。
夫婦と一緒で、「つかず離れず」の距離感を心得ておけば、気分は軽くなるものである。

僕自身、バーテンダーとして、長くつきあうための健全なアプローチだと思っているんだ。
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2012年06月01日

ほめ言葉

半年振りに、髪へパーマをかけた。

長年、「パーマ→カット」の交互サイクルだった。
だが、近年は髪の量も減ってきたので、「パーマ→カット→カット」の順になっている。
育毛も衰えたので、美容室に出かける回数も間延び気味だ。
僕の仏頂面をドレッサーの鏡に映すと、何だか急に髪を切るのが惜しくなってきた。
このまま、後ろ髪を伸ばして、「ニセモノ・ダルビッシュ」にしてもらおうか。
それとも、髪を真中に寄せ集めて、「イマサラ・ベッカム」にしてもらおうか。
えーい、潔くない、「いつものやつでお願いします」… 毎回、美容室では妄想との戦いである。

「いつものやつ」から、二時間後…
日付が最後となる五月晴れの中、自転車で万代周辺を回った後、いつもの食料品売場に立ち寄った。
以前、会話をしたのがきっかけとなり、顔なじみの女性店員さんから、「髪、お切りになったんですね…」と微笑まれた。
普通ならここで、「かつらも衣替えです」とか、「触っていいですよ」などと冗談を言うのだが、あまりにも唐突だったので、「あっ、えぇ、ついさっき…」と慌ててしまった。
すると「お似合いですね」と、追加のリップサービスを受けたら、甘苦い気持ちがジワッと広がった。

女性が言われて嬉しい、褒め言葉の代名詞である。
それを男が言われても、嬉しいということだ。
たまには、逆の立場で考えて見ればわかることであろう。
女性を褒めない男には、なりたくないね。

断じておくが、僕はフェミニストではないことは記しておく…  空が青かった。
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