2012年06月30日

男の遺言状

28日、「恋のバカンス」などで知られる、「ザ・ピーナッツ」の双子の姉が死去した。
僕らの世代では、東宝映画「ゴジラ対モスラ」の双子の妖精役の方が記憶に残っている。

人間の最期は、孤独なんだなと思わせられた。
あれだけのスターでありながら、葬儀告別式は近親者だけで行い、死因などもできる限りふせたという。
同時に大原麗子、山口美江の最期も頭に思い浮かんだ。
方や、田中好子のように、参列者の涙をさそう手厚い限りの葬儀告別式もある。
「葬儀は盛大に頼むぞ」という輩がいるが、本当にそうなんだろうか。
寧ろ、女性より男の方が死に対して、覚悟ができないような気がする。

冠婚葬祭で一番大切なことは、葬儀であることに変わりはない。
だが、自分自身への遺言状を書けば、「葬儀はするな」である。
他に「新聞のお悔やみに掲載するな」、「遺体は献体しろ」、「墓はいらない」 全ては最小限でいい。
そして一番大切なことは、「いつまでも悲しむな」である。
そんなわけにはいかないとしても、僕本人が「これでいい」と言ってるんだから、ためらうことはない。

最期は最愛の人、本当の友人だけでいい。
「誰が来たか」、「誰が来なかったか」なんて、亡くなってしまえば、知る由ないんだからね。
それより、「絶対に来ると思っていた人が、来なかったとき」のほうが、よっぽど悲しくなる。
だったら、変な期待などせず、来なくてあたりまえだと思っていたほうが、心は痛まないでしょ。
それに、人に葬儀の押し売りはしたくないからね。
あくまでも、個人的な視座であるが…

その代わり、出棺するときには、口元へ「I.W.ハーパー」を湿らせてくれ…   なーんてね。
「最期は孤独に逝くんだな…」 そんなことを考えさせられたね。
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2012年06月29日

とき 344号

彼から連絡が来るとは思わなかったし、こうして会ったことも不思議な気持である。

人間関係は適度に交流していなければ、自然に風化していくものだ。
偶然に会ったとしても、何と声をかけていいのか迷うのも、そんな胸中になるからであろう。
それこそ、このタイミングで会わずして、今度はいつ会うかである。

東京時代の知人から、日帰りの仕事で新潟入りするので、夕方に会いたいと連絡が来たのが日曜日。
これには僕も嬉しく思い、28日は時間、場所、場合を合わせて、ホテルのロビーで待ち合わせた。
東京の頃は、おたがいスーツ姿でしか対面していないので、僕のラフな服装に違和感があったようだ。
それにバーテンダーに転身したことを告げると、驚きの表情を隠せなかった。

見た目は変わったけど、人の中身なんて、よほどのことがない限りそう変わらない。
酒にでも酔わなきゃ、過去は痒いだけなので、コーヒーを間に挟んで淡々としたものだ。
こうして忘れずにいてくれたことは嬉しかったし、ずいぶん間延びしたことも確認しあった。
彼にしてみれば、僕が新潟に在住していることがピンと来ないらしく、時が飛んだとはこのこと。

それでもこうして会えたのは、携帯電話の番号を保管していたことに尽きる。
番号は消去できる気楽さもあるが、何十年もほったらかしにしている番号も多い。
だが、消せない番号ほど何か忘れ物をしているような、「ゴールデンナンバー」だったりもする。

新潟駅発、18:13の新幹線で帰京するという。
僕は開店準備があるので、駅の改札口までは見送らず、ロビーで手土産を持たせて別れた。
それから、19:00頃にケータイへメールが届いたが、時間にして越後湯沢あたりであろうか。
彼のことだ、週刊誌を眺めながらビールにさきいか、もしくはいびきをかいて寝ているに違いない。

おたがい年はとったけど、人生まだまだこれからである。
名刺も交換しなかったし、僕のブログを読むこともないと思うので、あえて一言添える。
「俺のことは心配するな、大きなお世話だ…(笑) ばかやろう、 ありがとう」。
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2012年06月28日

2012 July

【7月定休日】 
    1日(日)・ 8日(日)・16日(月)・22日(日)

   15(日)・24日(日) 営業致します。
 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日   日曜日 (最終日曜日のみ.深夜1:00まで営業) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)

【徒然なるまま…】

えっ、もう今年も半分終わりなの…
この年になると、月日が経つのが早く感じてしまう。
慣れた出来事の中だけで、過ごしているからだろう。
たいていのことは経験しているから、通り過ぎて行く季節感に驚かなくなる。

冬は春の到来が待ち遠しくなり、夏は秋の安らぎが恋しくなる。
年齢を重ねると、子どものように夏休みで大きく成長したりせず、道すがらの風景も見慣れてしまい、  いちいち興味を示すことも少なくなる。
毎日をあたりまえに受け続けると、時間は感覚的に早く感じてしまうのかな。

時間のすきまを埋めるのは、自分次第なんだろうね。
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2012年06月27日

街中散歩

26日、万代のビデオ店で、旧知の仲間と偶然出会った。

その顔合わせの仕方が結構楽しかった。
棚の背表紙を、「Z目線」で眺めていると、右側から紺色のポロシャツを着た人影がチラついた。
すると、今度はその紺色が左側に回りこんで、不自然に視界に割り込んできた。
妙な動きだったので、チラッと顔を見ると、目線には懐かしい顔があった。

僕は、「おー、おめらか…」と、男の照れ隠しと親しみを込めて新潟弁で答えた。
彼が言うには、本当に〜さんかどうか、遠目から近づいて確認していたらしい。
6年ぶりで、何て声をかけていいかわからず、それなら声をかけてもらえる角度に入ろうと考えたという。
「そういうのを、悪デレ(悪い照れ方)っうんだよ…、それに、俺は見せモンじゃねえぞ(笑)」と喝。
もう、この時点で気持はほぐれている。

そんなに親しい関係ではなかったが、会えば気楽に立ち話ができる距離にある。
その時どきの場面によるが、近況や共通の話題で間が持てるものだ。
係わりが密接だったほど、尺は長くなるが、連絡先を交わして後日改めて間引くときもある。
別に会ったからとは言え、耳寄りな情報を期待したり、無意味な好奇心を抱くこともない。
出会って挨拶を交わせたり、会話できることに意義があるのだ。

こうして、街中を歩いているだけでも、結構人生はおもしろいものである。
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2012年06月26日

FOMA 903

ケータイは、FOMA903シリーズ。

かれこれ、7年近くになるけど、何の不便もなく使っている。
強いて言えば、サポート期間が来年で終了するので、スマホと呼ばれる製品に替えざる得なくなること。

ケータイは電話とメール以外、ほとんど使用することはない。
連絡ツールにしているだけなので、ケータイで遊ぶ感覚もない。
スマホを持つことに抵抗はないが、その依存性に陥ることで、どこかに冷たさがともなうようでね。
コンテンツは選べるようだが、行く先々で黙ってもてあそんでいたら、それは奇妙な姿に映るだろう。

テレビゲームやケータイゲーム、ツィッターにフェイスブックもしたこともない僕に、そんな大それたモノは必要ないかと思われる。  (そのくせ、ブログは続けているんだからね…)
流行遅れとか、仕事がはかどるなど、周囲の切迫感に反応しないが、今は使う用事がないんだ。
それに、どこでも愛想を振りまかれて、流行をすり込まれることに、野暮な軽薄感がある。

いずれの選択になるだろうが、大人の道楽が、「ケータイ遊び」にならないように注意せねばならない。
それこそ電車の中でスーツを着た大人が、「少年ジャンプ」に夢中になっている姿と変わらないからね。

今ブログ、ある人に意外性を唱えられた…   だから、俺、しつこいんだって!  (`▽´) ケケケ
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2012年06月25日

偏見を捨てろ

5月に浦安市で発生した、看護師殺傷事件の犯人が逮捕されたことは記憶に新しい。

有名大学を卒業後、IT企業に勤める容疑者(26)の素顔を知る人は、口を揃えてこう言っていた。
裕福な家庭で成績優秀、優しくてリーダータイプ、明るくて仕事熱心、会えば挨拶をする人だった。
人柄を判断する上で基準とはなるが、さて、これを聞いてどう思ったであろうか…

普通に判断すれば、犯罪とは無縁なタイプであろう。
だが、一流企業に勤める人が横領をしたり、教職でありながら教え子にわいせつ行為を働く世の中。
警察官が万引きしたり、消防士が放火事件を引き起こしたりもする。
そういう立場による思い込みが、人の目を曇らせてしまうのだと思える。
その意味でいえば、警察の着眼点もまだまだ捨てたものではない。

僕の高校時代にさかのぼる。
母校は知る人ぞ知る、超有名ワル学校と呼ばれていた。
街中で校章を代紋代わりにチラつかせれば、関わりあいになりたくないと思われるほどだった。
その偏見は次第に気持の中に鬱積していったが、発散する手段が柔道だったので、高校3年のときのある一件だけを除いては、いい思い出として書けることばかりである。

それでも、腹立たしいこともあった。
世間の色眼鏡に、態度を便乗させている生徒が多かったこと。
不良高校だから「つっぱる」、偏差値が低い学校だから「勉強はしない」など、こうして世間の風評に迎合する奴は嫌いだった。
「どうせ、俺らは世間から認められていないし、吹きだまりの高校だから、この程度でいいんだよ」とか、「どうせ、俺らはバカだからよ…」だの、自虐的な言葉。
この言葉は30年経過した今でも、思い出すだけで不快感が先立つ。

まるで認められないのは、自分の純粋さと勘違いしているようにさえ感じた。
だから、なおさら世間がそういう目で見てしまうわけだ。
自分の存在の意味づけは、自分で作るものであろう。

僕はこういう考え方をしている。
泥沼に咲く、蓮の花を見てきれいだと思えるか。
きれいであっても、所詮は泥沼から咲いた花なんだから、汚い花のはずだと思うか。
人を見るとき、根源的な分岐点はここにあると思っている。
場所はどこであれ、きれいに咲かせようとする花は、みんなが一緒なのにね。

こういう偏見の苦い経験があるから、人を色眼鏡では見ないように心がけている。
冒頭に戻れば、あたりまえの基準が結構怪しかったりするわけで、思い込みで人は判断できないよ。
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2012年06月24日

24時のシンデレラ

中学の同窓会の知らせが届いた。

夏冬年2回、学年規模で開催されるようだが、出席できないのがこの仕事の運命。
今流行の同窓会不倫、同窓会がきっかけで再婚したりすることなんてあるのかな。
更年期を前に、「もう一丁、うおー!」とか、勝手にハッスルしちゃうのかね。

夜の仕事、女癖を引き合いに出されるがこれは全くの誤解。
体内時計が違う異性とは、普通には交際できないからね。
それに立ち仕事が終われば、ダシガラ状態になるときもあり、もう年齢的に体力の消耗も感じる。

22歳の頃、東堀の飲食店で店長として、明け方近くまで勤務していた。
当時の交際相手は同い年のOLで、門限があるような箱入り娘だった。
他所の土地から母子家庭で新潟に移り住み、父性には恵まれていなかった。
休日も時間帯も合わないので、まず会う時間を作ることがふたりの共同作業になる。

飲食店とはいえ、男の職場に客として会いに来させる真似はさせなかった。
そういうところでは、けじめをつけていたので、ずいぶん寂しい思いをさせていたかも知れない。
会話を交わすのは休憩時間に公衆電話から、母親の迷惑にならない時間帯を見計らって一回だけ。
当然、店の混み具合で電話もかけられないほどのピークも多かったので、約束できる電話じゃない。

本格的に会えるのは、月2回ほど夜の数時間だけ。
たまに会うのは、西堀のロイヤルホストでAM7時待ち合わせの早朝デート。
彼女は出勤前のモーニングセット、僕は就眠前のプレートをテーブルにはさみ、小一時間の安らぎ。
最初は会えないことに愛情は深まったが、そんな交際が長続きしないことは薄々予感していた。

男は仕事に脂が乗ってくるし、女は家庭をもちたくなる。
20代は、男と女の根源的な違いに揺り動かされたり、戸惑ったりするものだ。
そうならないためにも、恋愛は同じ生活サイクルで温め合ったほうがいいかと思う。
合意の大人遊びなら別だが、許せるのなら身近な存在に優るものはない。
それ以来、彼女とは一度も会っていない。

同窓会は、さまざまな物語があるという。
いろいろな障害を乗り越えた年齢が集うだけに、あの頃の純情が再燃することもあるだろう。
そういう日の女性は、「24時のシンデレラ」になっているんだと思う。

だから、男は甘い夢を見て、おのれの遮断機を上げてはならない…  いや、もう上がらないかもね。
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2012年06月23日

Shingo Okudaira (Dr)

「噂以上に、凄い奴だなあ」 
日本の天才少年ドラマー、奥平真吾の生演奏をはじめて聴いた、1985年頃の印象である。

僕ら60年世代は、ロックやフュージョンの影響をまともに受けてもおかしくなかったのに、彼は伝統的なフォービートスタイルを貫いていた。
飾りを省いたシンプルなドラムセットで、あれだけ鳴らしきれるんだからね…
レギュラーグリップから叩き出す、強烈なヒットにはほれぼれしたし、スネアヘッドをとらえるスティックの角度がしっかりと決まっていた。
また、フォームもいいからビートが安定していたし、きちんと人の音にも反応していた。
本人に 「メロディーを弾くように、叩くようなときがある」 と聞くと、ピアノも弾くんだとか。
「ドラムで歌う」 とは、このことでさ。

80年代、東京と新潟の小さな箱で、主に日本人ドラマーを聴いた。
90年代、東京で世界の一流と呼ばれる海外ドラマーを目の当たりにした。
専門家ではないので正確性には欠けるが、その素晴らしさはひるまないところにある。
決められた曲を叩かせたら上手い人もいれば、自由度の高い曲で個性を発揮する人もいる。
ソロパートで頭角を表す人もいれば、繊細なブラシワークを聴かせどころにする人もいる。
つまり、4ビートならあのドラマー、8ビート、16ビートならあのドラマー。
行き着くところは好みだろうが、僕個人では即興的で瞬発力があるドラマーが好きだ。

ジャズドラムに引き寄せられたのは 「奥平真吾の存在」 は大きかったね。

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2012年06月22日

また追跡…

閉店後、自転車で帰宅していたら、後方から減速した車の気配を感じた。

すぐにわかった、パトカーだ。
自転車のライトは点けているし、左側走行しているので、停止を求められる理由はない。
それでも怪しいと思っているのか、僕をマークしている動きがありありだ… ご苦労様です!

21日、夜のテレビ番組欄に、「追跡・警視庁24時間」だったか、特番が載っていたことを思いだした。
警察も人の子、特番の影響を受け、あるべき正義感が沸々とわいてきたのだろう…  いいことだ。
だが、相手を間違えるな、わしゃ、暴走族のケツ持ちかいな。
何が寂しくて深夜ひとり、おやじが自転車で暴走しなきゃならんのだ。
もう、白々しく、プチ追跡するのはやめろ。

もしかして、わしゃ、深夜にパンツ泥棒でもするというのか。
それとも何か、変な売人にでも見えるんかい。
それが警察の勘だとしたら、錯覚だよ、妄想。
サッカーなら、これ、オウンゴールだよ。
この前から、わしゃ、正義の味方だって言ってるのにね。

今度、大風呂敷を背負って、唐草模様の手ぬぐいを頭からかぶって鼻の下で結んだ状態でさあ、   無灯火で深夜自転車に乗ってようかな…  絶対に嫌な奴だよね。 (v ̄ω ̄)イエーイ♪
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2012年06月21日

不機嫌な理由

人が不機嫌になっていく過程が、何となくわかってきた。

8年ほど前、下古町の小さいラーメン店でのこと…
店主が麺上げをしているとき、固定電話が鳴り響いた。
受話器をアゴと肩にはさんで作業をしながら、第一声はとても丁寧だった。
すると声の調子がぶっきらぼうになり、「あー、いー、いー」と断りながら、受話器を投げ置いた。
客として、「接客業にしては、無愛想だな…」とは思ったが、そのときは店主の事情を知らないので、そう思うことしかできなかった。
最近、店主が不機嫌になった理由がわかったような気がする。

店をやっていると、電話営業や訪問営業など、さまざまなセールスアプローチを受ける。
そのこと自体、ニーズこそ合えば、お得な情報として活用できるので否定はしない。
だが、問題はお断りしても、その後もしつこくアプローチをかけてくる場合だ。
僕もコンサルタント営業の経験があるので、断られた気持ちは少なからずわかる。
だから、最初に用件を聞いて、ニーズが合わなければ丁寧な断り方を心がけてはいる。
それでも、しつこくアプローチされると、今度は辟易してくる。

中には、営業報告書を書くためのアプローチだったり、行動ノルマを消化するための訪問だったりする。
いつも思うことは、営業履歴や営業カルテのような、引継データーってないのかな。
担当者が代わるたびに、同じ電話アプローチばかりで、こちらの対応も疲れてくる。
営業の虎の巻みたいに、「人が代われば、結果も変わる」ような、訓話を示し合わせているのだろうか。
最初こそ、その社名と電話応対に好感を抱いたとしても、こうしつこいと逆に印象が泥沼化してくる。
結果、印象が悪くなるだけで、気持ちまで萎えてしまうから、契約なんて土台無理な話になっていることがわからないんだ。
相手は初電話かもしれないが、受手は何十回も意思表示しているにも関わらず、お構いなしに人を代えアプローチをかけてくることは、最早迷惑としか言いようがなくなっている。
つまり、相手が仕事なら、こちらも仕事であるという、基本スタンスの問題である。

今思えば、ラーメン店の店主が不機嫌になった理由は、意外とこのへんにあったんじゃないのかな。
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2012年06月20日

郷土意識

携帯電話に珍しい名前(O)が表示された。

「はい」 「もしもし」  白々しい受け方をしなくてもいい長年の関係だ。
年齢は僕よりも5歳ほど年上で、現在は東京原宿で22年ほど続く、老舗バーの店主である。
つきあいは26年ほどになるが、たまに連絡を取り合っているのは、東京当時の関係が息づいている。

「バーテンダーの見習い」を探しているという。
「それでどこかにいい人いないかな…」って話である。
初めてじゃないから、意図して求めているところはわかっているつもりだ。

新潟出身者は東京では意外と評判がいい。
総じて真面目なところに好感を持たれているが、望郷の念が強くホームシックにかかりやすい。
新潟人は他所の土地へ出たがらない傾向がある。
郷土をこよなく愛する気持ちはわかるけど、他を知ろうとする積極性に少し欠ける。
きっかけはどうあれ、一度は他所の風土や機微に触れないと、考えが凝り固まることもあるからね。

郷土意識(地元意識)を持つことはとてもいいことだ。
だが問題は、郷土に対する純粋さを頑ななプライドにしている人が多いこと。
慣れ親しんだ環境で育ったから、異質なモノとは交われないような気がする。
郷土愛は否定しないけど、どっぷりと浸かりすぎると狭い考え方に陥ると思われる。
しょうがないと言ってしまえばそれまでなんだけど、そうならないための意識は必要じゃないかな。

バーをやっていると、新潟が見えてくることがある。
ただし、それは自分も含め、良いほうにも悪いほうにも…
男は40歳ぐらいから、だんだん身動きが取れなくなってくる。
そうなってくると、自ずと得られることも決まりきってくる。
そのためにも、身も心も柔らかいうち、他の世界も見ておくことをお薦めするけどね。
何も方法は仕事に限らないけど、別角度から見た郷土意識とでも言うのかな…

Oさんの要望に応えられるかわからないが、早速、東京と新潟の知人関係者をあたっている。
これからは、若い連中の出で立ちも応援していきたいね。
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2012年06月19日

父親語録

17日、父の日だったんだね…  子どもに時間を割いた親も多かったであろう。

近年、モノより思い出の傾向が強いようだが、とてもいいことだと思う。
僕が子どものころ、モノも思い出も薄かったような気がする。
その代わり、「ほったらかし」という、特別な育て方をされた。
こう書くと、「ネグレスト」と誤解されるが、そうじゃない。
「自分でできることは、自分でしろ」… そう思ってほしい。

僕らの世代、父親は終戦まもないころ青春期だっただけに、それは怒ると怖い存在だった。
ケンカに負けて帰ってきたら、家に入れないぞと言われてたが、そんな単純な父親ではなかった。
「やるなら、それなりの意気地をもって、ケンカしてこい」ということだ。
寧ろ、そんなことを言われれば、逆に委縮してしまうし、計算あってのことだといえよう。

大なり小なり、子供心の思い出は、「父親語録」だったかも知れない。
子どもは物事への関心が高いので、目にするもの、耳にするもの、全てが新鮮に映る。
ゆえに、言霊(ことだま)として、永く生き続けている場合も多い。
例えば、「友達を大切にしろ」、「自分がされて嫌だったことは人にはするな」など、どこか儒教の教えのような言葉であり、父親はどうか知らないが子育て上、言うべきことは言っていた。
そうすると、その言葉は感情を呼び起こす呪文のように、魂が宿ってくるようにさえ感じた。
そう考えると、父親とは、「言語学」なのかも知れないね。

もちろん、父親として普段の行動が言葉の背景になるわけだから、浮ついた言語で終わってしまうか、  それとも、言霊として魂に宿るかは別である。
だが、どんな時代であっても、息子として願うことは、父親には後者であってほしいのだ。

僕の人生、父親にはなれなかったけど、経験を語り継ぐことはできるからね…
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2012年06月18日

闘牛士

17日、やぼ用があり、自転車で新潟下町(シモ)に出かけた。

入り組んだ路地を左右にハンドルを切っていると、ある一角からピアノの音色が聴こえてきた。
子どもが弾くタッチでドレミファ程度なんだけど、とても懐かしくて心地良く感じた。
少年時代、昼下りになると近所から女児が弾く、「ねこふんじゃった」とか、「月の砂漠」など、童謡曲が あちこちから聴こえてきたものだ。
それら日常の生活音で、情緒的にはおばあちゃんが奏でる、三味線の音色なんかも良かったなあー。

初夏の町ともなると、窓を全開にした部屋から、エレキギターなんかも聴こえてくる。
上手けりゃいいが、それが下手くそだと、暑苦しくてどうしょうもなくなる。
おまけにキーが合わない歌までかぶさってくると、終いには頭にくるわけよ。

中学時代、ロックギタリストのチャーが大ブームだった。
ある日、近所の窓から、当時のヒット曲「闘牛士」を歌い、チャーになりきってた高校生がいた。
一応、エレキギターの音なんだけど、「ビョョョ〜ン…」って感じの締まらないリフに加えて、調子こいて 「薔薇を投げるなら、明日にしてくれ」 と、歌詞か念仏だかわからないメロディーを唱えている。

僕もチャーが好きだったので、「チャーに失礼な野郎だ」と暴挙に出た。
自転車で窓辺へ近づき、大声で「ヘタクソー!」と叫んで、猛ダッシュで逃げると、必ず音が「ピタッ」と 鳴り止み、町が「シーン」と静まり返る。

振り返ると二階の窓辺から、怒りの形相でにらみつけている。
そのルックスは、デブッチョでニキビ面のロンゲ、上半身は裸でジーパン、首から十字架のペンダントをぶら下げてたと思うが、どう見てもチャーには見えず、グレート義太夫に近いわけだ。
それにしても、どうしてロックギターを弾く奴って、すぐに上半身裸になるのかな。
こうして下町(シモ)は、僕のような自警団 (?) により、いつもの平穏を取り戻すのだった。

その頃、わが家には、サイレントドラムがあった。
昼間だから、ドラムのラバーを外して、フリーソロを叩いた翌日。
近所では、「あの家の上の子、狂ったらしい」 と、噂されたらしい。

下町のトミー・スナイダー (ゴダイゴ)にはなれなかった。

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2012年06月16日

子ども性

携帯電話がない時代のことである。

仲間同士、酒を飲みながら盛り上がると、「あいつに電話して呼ぼうぜ」になることがある。
呼んで来る来ないは別に、こっちは酔っているし、相手は自宅でほぼ素面。
呼び出しに他意はなく、どこか親しさゆえだったりする。
ところがひょんなことから、脚本が途中で変わってしまうのが酒の魔力。
相手は面倒と思いながらも、盛り上がりにユーモアで応じられるか、それともいちいち怒って、その場をシラケさせるか、あしらい方でセンスがわかるものだ。

その昔、仲間と酔って、一人暮らしの友人二人に電話をしたことがある。
最初はその友人を呼ぶことになっていたが、何かお茶目なイタズラもしなきゃ気がすまなかった。
そんなノリで、友人にクイズを出したことがある。
ひとりには適当な番組名を名乗り、「クイズに当ると夢のハワイへご招待」とか言っちゃってさ。
その時点で普通はウソだと思うし、ろれつが回ってないので、そりゃ絶対にバレている。
それでも急場で作った三択クイズに答えてくれ、「正解」「ハズレ」だの、みのもんたばりに演出しながら電話の先でも、「やったー」「しまった」と無邪気に応じるユーモア溢れる男。
やっぱりこいつは人気があったし、シャレがわかるのでネットワークの広さにもなっていた。

一方の男は対照的だった…
「電撃! 自衛隊クイズ!」と叫び、「クイズに答えて、自衛隊に入隊しましょう」とか言って、強制的に クイズを執行するという荒技である。
「それでは問題です」とか言いながら、クイズではなく、いつの間にかアンケートになっている。
その質問がバカ丸出しで、「あなたは一日、何回、自慰をしますか…」。
「@・3回 A・5回 B・今している… さあ、正解はどれでしょうか」と支離滅裂である。
騒々しい冗談は伝わっているはずだが、その男は口角を飛ばす勢いで、「おまえら、人生をやり直せ!」と叫んで、電話をブチ切られた。
こっちは大笑いなんだけど、相手は怒ってしまった訳だ。
「ほとぼりが冷めた頃、飯でも誘えばいいか…」ぐらいにしか考えていなかったけど、この一件を根に  持ったらしく、その先を絡もうとはしなかった。

あまり常識ぶると、らしいことしか言えなくなるんじゃないかな。
認め合っているから、シャレがわかるのであって、嫌なら逆にそういう真似はできないものだ。
どこかにイタズラ心というのかな、笑いがない人間関係は詰まるところ続かないことはわかるモンでさ。
年齢に応じた笑いがあるから、真面目な話もできるような関係に似ている。
大人ぶろうとするよりも、いつまでも「子ども性」はもっていたいと思うね。

こう書くと昔の悪行(?)を美化してるようだが、若い時ってこうしてつきあっていたものである。
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2012年06月15日

おじさん(7)

われながら、大人げないおじさんだよな。

自転車の後ろから、「あっ」と、男児の元気な呼びかけに気づいて振り返った。
いつものガキレンジャーである。
僕をどう呼んでいいのか名称が決まっていないので、「アッ」とか、「オッ」だのと濁音を使う。
その呼びかけに対し、いかりや長介ばりに「ウィッース」で返す。
いつもはそれですれ違うが、今日は「どこに行くの」と聞かれる。

少し面倒なので、「あっち」と答えた。
すると「あっちって、どっち」と聞き返したので、「そっち」と答えなおす。
「だから、そっちって、どっちなの」と食い下がる。
「教えな〜い」と大人げない対応をすると、「もーう」とか言いながら立ち去る。

道すがら、何にでも興味を示すことはいいことだ。
感じたことや思ったこと、関心事を口にするんだからね。
大人が見直さなきゃいけないのは、こういう子どもの視座なのかも知れない。

それにしても教育上、僕は悪い大人の見本であろう。
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2012年06月14日

6月の花嫁

ジューンブライドである。
「6月に結婚した女性は幸せになれる」という、西洋の言い伝えがはじまりらしい。

結婚するからには、それまでの歩みがあってのこと。
恋愛期、いろんな言葉が交わされたかと思う。
女性がよく使う言葉がある。
 「私のこと、遊びだと思っているでしょ」
 「私と仕事、どっちが大切なの」
 「どうして、連絡をくれないの」
 「昨夜、どこにいた」
男なら、一度は言われたことがあるかと思う。
究極は、「お見合い」をチラつかせられたとき。

若ければ若いほど、恋にとりつかれたかのように、思わず口走ってしまうだろう。
別に、それを言ったからどうなるわけでもないが、男の立場で言えば聞きたくない。
かけひきめいたことをされるのは苦手だからだ。
それらの台詞を乗り越えるか避けるかは、そのときの状態で最も左右すると思える。
まあ、これらの言葉のやりとりを経由して、結婚に至ったカップルもいるだろうが。

相方は、男を試すような台詞はなかった。
僕も「仕事が忙しくて…」なんて、常套句でごまかしたこともなく、気がついたら一緒にいた感じ。
相方は童話作家の佐野洋子作、「100万回生きたネコ」に出てくる、メスネコのような気質がある。
物語の説明は省くが早い話、かけひきがいらないんだ。
それに男と女はシンプルになっていくけど、知らず知らずのうち、見えない絆が積み上がっていくもの。

だから、恋人同士のゴールは結婚式にあるんじゃなくて、もっと先にあるんだと思う。
それが何かわからないから、不安になって別れちゃうのかも。
逆にわからないから、不安になって一緒にいることもある訳で。
生活はおっかなびっくりだけど、不思議な関わり合いである。
この年齢にならなかったら、きっとわからなかったんだろうね。

6月の花嫁の言い伝えは、冒頭で書いたとおり幸せである。
そう考えると結婚って、心の物語のような気もしないではないが、永遠にわからないんだろうね。 
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2012年06月13日

ネタバラシ

昔、古本屋で推理小説を買った。
部屋のソファーに座って、登場人物の名前を見渡した。
赤鉛筆でこう書かれていた…  「犯人はこいつだよ」。
頭にきて、本をゴミ箱に投げ捨てた。

昔、ひとりで映画館で過ごしていた。
真後ろに座るカップルの男が、前にその映画を観たらしい。
展開のたびに、「次はこうなる」とか、女に解説している。
女も、「えー、やだー」「うそ」だの、かまととぶっている。
後ろを振り返って、「いい加減にしてくれ」と小声で言った。
カップルは黙って席を移動したので、ようやく快適に楽しめることになった。
あのまま黙って見ていたら、きっと結末を言われたんだろうな。

先日、ビデオ屋から借りた、モンスター映画の続編を相方と観ていた。
途中、相方が「前に観たことあるんじゃない。最後は誰も助からなかったんじゃないかな」と。
結末を言われて、「君ねえ〜、俺は初めて見るんだけどさあ〜」とプチ抗議。
相方は、「あっ、ごめん…」とはつぶやいたものの、僕は後で、「へ」をぶっかけようかと思った。
だが、だいぶ前に一度、借りて来たことのあるビデオに気づいたのはそう遅くはなかった。
それでも初めて見たことにして、すました顔でやり過ごした。

どいつもこいつも、ネタバラシすることが好きらしい… ったく、しょうがねえなぁ。 喝だよ、喝!
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2012年06月12日

熱湯風呂

「いや、いっーや、あっちぇ、風呂らったなあ〜」 (新潟弁)

10日夜、銭湯に行ったら、お湯の温度が熱過ぎた。
まるで、「入るな」と言わんばかりの熱さである。
他に客が五人ほどいたが、誰ひとり水でお湯をぬるめようとせず、さっさと入ってさっさと出る感じだ。
体温とお湯加減は人それぞれなので、他の客に遠慮してぬるめないようにしているとさえ思える。

僕でも半身浴で済ませたほどだから、体感温度は相当なものである。
湯船から出ると下半身は赤く、上半身は白い状態。
日焼けした肌の境目を思い出してもらえばわかるだろう。

「何で、水でうめないのか」と、思われるだろうがお答えしよう。
僕のような「銭湯の達人」ともなると、暗黙の「銭湯ルール」がわかってくる。
熱湯を我慢してこそ、一人前の世界があるからだ。

右手を入れて「どりゃー」と、渦潮のように大きくかき回すだけ。
うめていいのは、子どもやお年寄りに限る。
体に負担はかかるが熱くても、涼しげな顔をして湯船につかっているのが達人のこだわりである。
この日、僕の入浴時間は史上最短の45秒…   まさに、「熱闘風呂」であった。

銭湯には、男なりの「ルール」や「ロマン」があるのだ。
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2012年06月11日

警察官三人

10日夕方、警察官三人に囲まれて職務質問された。

その日、陽気に誘われて街中をサイクリングしていた。
途中、万代橋の真中ほどにさしかかると、自転車に乗った警官3人に制止を求められた。
前後とサイドをガード気味に包囲されて何かと思えば、自転車泥棒の職務質問であった。
開口一番、「最近、自転車の盗難事件が多いもので…」 (俺、かいな!)
そのデリカシーのない職務質問に一瞬イラッときて、「そんな、セコいことせんわ」と言い返したが、警察も仕事であるから協力をした。
防犯登録、各種ステッカーを指差し、自ら運転免許証も提示すると本部に身元を照合している。

万代橋のど真ん中なので、行き交う人はジロジロと顔を覗きこむ、バスの乗客からは一斉に視線は  浴びる、車は徐行して通るやら、ちょっとした興味の的になっている。
その間、「俺って、そんな悪いことするように見えますか…」とか、どこか硬い空気を和らげようとするが、警官からして緊張ぎみな愛想笑いで間引いている。
潔白を確認すると、「お急ぎのところご迷惑をおかけしました」と、建前上の一言。
僕も、「ごくろうさまでした」と、庶民レベルの挨拶で締めたけど何か解せないなあ。

「オンボロ自転車が悪いのかな」、「ラフな格好は疑われるのかな」、「人相が悪いのかな」など思う訳で、今度からニコニコして自転車に乗ろうとか。
そうだ、潔白を祝し、僕と警察官三人で自転車もいれて、万代橋で記念撮影すればよかったなあ。
みんなで、「ハイ、チーズ」とか言って、「イエーイ」と、(^^)V サインで決めてさ。
そうだよ、そういう終幕じゃないと後味悪いよね…   (v ̄ω ̄(v ̄ω ̄(v ̄ω ̄(v ̄ω ̄)イエーイ♪

僕はこう見えても、正義の味方に近い人物なんだけどなあ〜 わからないのかな。 イエーイ、(^^)V  
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2012年06月10日

エイドリアンに学ぶ

今になると、エイドリアンのような女性もいいよね。

ロッキーが所属するジムの近くに、エイドリアンが勤務する小さなペットショップがある。
彼女の外見は地味で、極度の人見知りな上、お世辞にも美人とはいえない。
内向的でいつもオドオドして、誰からも気にかけられないタイプ。
そんな彼女に会いたさ見たさ、店へ立ち寄るロッキーはエイドリアンのことが好きなのだ。

初めてのデートは、閉店後の10分だけ貸し切ったスケートリンクだった。
危なげに滑る彼女を横で見守りながら、おたがいのことを不器用に語り明かす。
そんなふたりは、どこか似たような境遇に惹かれ合いながら、今までの緊張がすっと氷解していく。
フィラデルフィアの寒くて長い夜、孤独じゃなくなったふたりは静かに結ばれた。

僕はエイドリアンを愛おしく感じる。
今の時代、何でも明け透けにしてしまう女性が多い。
真実をあれこれと引き出しては平気で相手を傷つけたり、些細なことに感情を開けっ広げにするような 女性は少し苦手である。
どこか謎めいたところがあって、ひとりで過ごす時間を大切にするような女性の方が気になるものだ。
「秘すれば花」という、いい言葉があるではないか。

僕は女性には好きなことをさせるけど、わりあい古風な考え方を大切にしているところがある。
男の疲れた表情に気づいてくれたり、過去の傷に触れたりせず、自然とそばにいて癒してくれるタイプ。
それでいながら、映画の中で観客席からリングの人ごみをかきわけて、「愛している」とストレートに表現した強さを見たときは感動した。
一見、地味に見える底辺にこそ、実は男と女の真実があるのではないだろうか。

僕がそう思うようになったのは最近のこと…  男としては、遅咲きの方かも知れないね。
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